インターバル 第221回 「二刀流」(2023年3月19日)
第221回「二刀流」(2023年3月19日)
WBCで大谷選手の二刀流の活躍が話題となっている。
リトルリーグのときは投手で4番という野球選手は珍しくない。野球センスがある子は投げて打つからだ。指導者が大谷のようになることを教えれば可能性はある。でも、これまでの野球の常識では投手は投げてなんぼの世界だから、DH制の大リーグでは打撃練習などはしない。監督も観客も打者としての活躍は期待していないからだ。だからホームランを打つ大谷投手はすごいのだ。
陸上競技に目を向けてみよう。
まず、一般的には短距離は速いが長距離はからっきしダメだったり、長距離は得意だが徒競走は苦手という子が多い。両方速い子もいるが、校内の範囲だったり、せいぜい市内、区内でのレベルだ。埼玉県、全国レベルではそう多くはいない。
ところが、バンビーニにはタイプの違う二刀流の女子選手がいる。
1人目は古閑明里である。
短距離・長距離両方共優れた成績を残した子である。
彼女は埼玉県で100mを5年生で優勝、6年生では3位をはずしたことがないスプリンターである。
しかし、駅伝やロードレースを走らせてみるとこれがまた速い。試しに昨年11月に600mを走らせてみたらなんと1分43秒、G指定記録で優勝してしまった。骨格がしっかりしている上に根性も人一倍優れている。大会は1種目に制限されていることが多いので、コーチとしてどれをやらせるか悩むのだが、この他にもジャべリックボール投げも走り幅跳びも単独で練習させれば指定記録を破れる力がある。
100mを深耕すれば長距離練習がおろそかになり、1000mを専門にやれば短距離の時間が短くなる。短距離と長距離は一般的に弱いトレードオフの関係にあるが、彼女はヘッチャラだ。100mでも速く、1000mでも速いなら「足して2で割るという計算」方法はプラスαをもたらす魔法の数式に代わる。2つの距離を得意とする選手が少ないのだから400mか800mでは必ず成功するといえる。
バンビーニを卒業するにあたって中学生になったら400mか800mがいいと提案しているのだが、100mに固執している。1000mも走れというなら走るが、100mをやらせてくれるなら走るという。クラブチームのコーチのできることには限界がある。しかし、中学校でいい先生に当たれば、きっと400mか800mをやるようになると期待している。好きな種目と優れた種目は別物であることにもうすぐ気づくであろう。
もう一人の女子は中学生の小瀧寧々である。バンビーニが強くなったきかっけは彼女のおかげだ。この子が皆を引っ張っていってくれたからだ。秀吉の正妻の「ねね」と同じ響きの「寧々」で入会以来興味があった。
この子はこの小論「インターバル」によく出てくる子だが、今回あらためて引っ張り出したい。陸上競技の中で長短で秀でている明里はすごいが、寧々は異種競技で優れているのだ。
一つは昔から練習していた水泳だ。このことに関しては第57回「横のスポーツと縦のスポーツ」(2020年2月11日)で水泳より陸上のメリットを科学的に説いたが、マイペースで心の変化はない。第100回「ターザン」(2020年12月2日)では、映画のターザンのように水陸両用女子は貴重であることを強調した。
彼女は中学生になっても活躍し、昨年(2022年)埼玉県ジュニア水泳強化合宿に選抜された。これは埼玉陸上協会の強化指定選手(2022年は800mで選ばれた)相当である。つまり、水泳と陸上の両方で将来有望と判断されたのである。いわゆる女ターザンなのだ。
使われる筋肉が異なる上、練習場所も異なるわけで、2つを使い分けるのは相当の努力が必要かと思われる。大谷が”WBC”と”FIFA World Cup”に出るようなものだ。
誰もが同じように考えるだろうが、この子にはトライアスロン(水泳+バイク+ランニング)を勧めている。しかし、バイク(自転車)が嫌いだといって、検討すらしてくれない。寧々は3つの種目のうち2種目は超優秀で残りの1種目も彼女にとってはさほど難しくもなかろう。3つとも優れた人はスポーツ界でさらに少なくなる。いい指導者について練習すればオリンピックも夢じゃない。
歴史は韻を踏む(歴史は繰り返さないがしばしば同じようなことが起こる)といわれている。過去何人のこどもたちが私の提案を顧みなかったことか。好きな種目と自分に合った種目は異なると言っているのに。子どもの自由にさせると、多くのこどもが生まれ持った才能を置き忘れていってしまう。チャンスに後ろ髪はないのである。「老いては子に従え」という言葉があるが、陸上競技においては「子は老いたコーチに従え」なのである。
でも「ダメなんだよなぁ、これだけ言っても・・・」
野球やサッカーのように高額な報酬がない陸上競技では、親孝行のために走るといった動機付けができないが、私は成功するための時間がある間は何度でもいう。
二人のような人間は、勉強もできる上書道もうまい等マルチすぎて1つに絞ることができない。小中学生のうちから引き出しがたくさんあるのだ。才能がなく努力しか生きる術がなかった私には、大谷選手と同様遠い存在なのである。
第220回「あこがれ」(2023年3月12日)
強化指定選手、それもシルバー(S指定)ではなくゴールド(G指定)が、バンビーニのこどもたちの憧れである。埼玉陸協もこどもたちをあおる。強化指定選手になると彼らだけが着れるTシャツを販売する。しかも毎年色を変えている。昔のTシャツ(色が異なるだけ)を着ていると今年はなれなかったんだと思われるから着ない。強化指定選手は埼玉陸上界のステータスなのだ。
人にはそれぞれ憧れというものがある。私は歳をとり過ぎたせいか今は憧れるものがない。しかし、過去には私にも憧れはあった。
こどもの頃怪我した友達が三角巾をしていた。不思議にもかっこいいと思った。松葉杖なんかしている友達を見ると「貸してくれ」と頼んだこともあった。怪我をしないという前提で憧れていたのだと思うが、負傷=松葉杖=英雄の図式であった。
隣の家の子が夏祭りでバイクにはねられた。その時は自分でなくてよかったと思った。歩道の外側にいたか内側にいたかの1mの差だった。翌日病院にお見舞いに言ったら事故の相手が持ってきたのだろう、果物が入った籠とお菓子の缶があった。「入山君も食べたら」といってくれた。きっと高級なお菓子だったのだろう「とてもおいしい」と思った。なぜ自分が外側にいなかったのか、外側にいたらきっとあのお菓子を独り占めできたはずだ。本当に自分はついていないこどもで隣の子がうらやましく、ベットに寝ている姿に憧れてしまった。
テレビでホウレン草を食べると強くなるポパイが放映されていた。その時ウインピーさんが食べているものが何かわからなかった。いつも食べているのでおいしいものなのだろうと思うが、親父やおふくろに聞いても知らないという。それがハンバーガーであることを知ったのはずいぶん後だった。以来ハンバーガーには特別な思いがあり、ビックマックは憧れの的だった。給料をもらえるようになったら、ビックマックを4つ食べたいと思っていた。しかし、いまとなってはビックマックセット1つで十分お腹が膨れる。
学生になって憧れたスターは加山雄三だった。団塊の世代の先輩たちは石原裕次郎だった。私が小学生だった頃ゴジラなどの怪獣映画と併映(封切り映画は当時2本立てだった)されていた「若大将シリーズ」を、大学時代オールナイトで4本連続で見た。実は小学生の頃ゴジラは鮮明に覚えているが「若大将シリーズ」は記憶にない。小学生にはおもしろくなかったのだろう。大学生になって見た加山雄三の「若大将シリーズ」は筋書きは単純だが痛快で、楽器を駆使して歌っていた。また、主人公は映画ではスキーなどスポーツ万能の青年なのだ。そんな田沼雄一こと加山雄三にあこがれていた。今も歌って踊れるコーチになりたいと密かに思っている。
加山雄三、サザンが茅ケ崎、石原裕次郎が逗子、湘南にはいつも私のあこがれの波が押し寄せている。一度だけ社宅を自由に選んでいいと言われ家内と北鎌倉の一軒家を探したことがある。不動産屋が通勤は大変ですよ、北鎌倉では絶対に座れないから逗子にしなさいと言われた。逗子を見に行ったら夏は海水浴客で身動き取れませんよと言われた。結局気の小さい私は、北鎌倉ではなく北浦和に家を構えることになった。
一方、言葉においては「広島弁」にあこがれた。菅原文太主演の「仁義なき戦い」で使っていた広島弁である。菅原文太扮する広能昌三が渋い声で発する広島弁が任侠にあこがれた学生時代には魅力的に聞こえた。
「おどれの胸に聞いてみたら分かろうが」
「わし、ずっと待ちよりますけえのう」
「最後じゃけん言うとったるがのう」
社会人になると車にあこがれた。テレビの車のCMで「いつかクラウン」というのが流れていた。今ならベンツかレクサスなのだろう。働いたお金で買おうと思っていた。しかし、入社してたまたま同期に話をしたら「そうなの?俺なんかいつもクラウンだよ」と言われて急に興味が無くなった。それ以降いつになってもカローラだった。
誰でもあこがれはある。しかも、人生の節々でその対象は変わる。
加山雄三にあこがれながら菅原文太にも魅力を感じていた。山口百恵を好きだったのに桜田淳子が私を好きだといったら、淳子でもいいだろうと節操がなかった。思えば青春のあこがれは複雑怪奇で、混沌そのものであったのかもしれない。
入院した患者に手を伸ばして、届くか届かないぎりぎりのところに欲しいものを置くのが究極の意地悪だそうだ(実際は物理的に届かないところに置いてある)。
バンビーニのこどもたちにとって、埼玉の強化指定選手はあこがれだろうが夢ではない。いまそこにある現実そのものだ。これまでの練習は神様がずっと見てきた。
神様は人間のように意地悪はしない。あこがれは手を伸ばせば届くところに必ず置いてある。
第219回「イチャモンの成長曲線」(2023年3月5日)
スキャモンの成長曲線(発育発達曲線ともいう)はスポーツの世界では絶対視され、解釈論の研究は行われても発展的研究は少ない。もちろんスキャモンの時代と違って、かたっぱしから死体を解剖していい時代ではなくなっているからでもある。
そこで科学的検証もしていないので説得力に乏しいが、「スキャモンの成長曲線」に対して、「イチャモンの成長曲線」を紹介したい。
スキャモンはスポーツ科学者ではない。スキャモンの成長曲線はただ単に解剖学的見地から臓器の重量などで人間の成長を調べたにすぎない。多くのコーチたちが支持するゴールデンエイジ理論はこのスキャモンの成長曲線に基づいている。スキャモンの成長曲線では、身体を動かすための運動神経系を意味する「神経系」の発達は生後から急激に発達して5歳頃には80%まで発達し、12歳頃には100%発達をすると記されている。そのため、コーチたちはその時期を運動の発達に重要な時期であると位置づけ、ゴールデンエイジと呼び、現在に至っている。
しかし、ゴールデンエイジはあくまでも技術獲得の敏感期であり、臨界期ではない。この時期を過ぎると技術が身につかないというわけではない。この解釈を間違えると、指導者や保護者は「この時期しか技術が身につかない」と思い込み、長時間の単一的な技術練習が重要、と思い込んでしまうかも知れない。しかし、イチャモンは逆の意味で危惧している。コーチたちが、この時期が来るまでは、怪我しない総花的な練習でいいのだと考えてしまうことだ。
すなわち、ゴールデンエイジにおけるトレーニング効果はそれ以前の運動経験や、その時の成長段階によって異なる可能性が大いにあるのだが、幼児期の指導の難しさから「幼児から長距離の練習は・・・」と戸惑っているコーチは多い。
一説によると「スキャモンの成長曲線における神経系の発達は身体の成長に伴う物量的な増加を示しており、神経の質と必ずしもリンクしていないのではないか」という。それは神経の量が増える事より、その増えた神経を使いこなせるか否かでこどもの運動能力が決まるのではないか、という仮説を意味する。運動神経は脳からつながる背骨の骨髄から枝分かれして筋肉へと向かい、その筋肉にのみ脳からの指令を伝える。
日本女子体育大学学長の深代千之氏によると、「運動神経がいい」は、スポーツ科学的には「自分のイメージ通りに体を動かせること」と定義した。そもそも“運動神経”は脳と筋肉をつなぐ神経のことで、神経そのものに個人差はなく、脳から筋肉に情報を伝える「伝達速度」にも個人差はないという。ただ、「運動神経のいい子」と「運動神経の悪い子」の違いについて、スポーツや運動に必要な “動きのパターン” を経験しているかどうか、つまり、「脳の神経回路をたくさんつくったかどうか」という「後天的な環境の違い(トレーニング)によって決まる」と述べている。
「運動神経がいい」というと敏捷性のある子を想像しがちだが、深代氏のいうように「体をイメージ通り動かすこと」であるならば、長距離に強い子を「運動神経がいい」と言ってもいい。
持久力は「肺機能」が重要だが、その肺は自力では動かない。呼吸筋(横隔膜や肋間筋など)というものが動かしている。呼吸筋は心臓のような不随意筋ではなく、脳の指令で動く随意筋である。我々は息を深く吸い込むこともできるし、短くハアハアゼイゼイすることもできる。その動きは小さいときに育まれるといっていい。小さいときから長距離を走れば呼吸筋をスムーズに動かせる神経回路が出来上がり、長距離を速く走っても疲れないようになる。多くのコーチは肺が随意筋によって動いていることを忘れている。
スキャモンの成長曲線とは「神経系統は生まれた直後から5歳ごろまでに約80%成長し、12歳ごろには約100%近くになる。」と示しているだけだが、イチャモンの成長曲線は「運動神経の良さ(神経系統の質の高さ)」に注目して、「運動神経」は運動の「成功体験」と「反復練習」を繰り返すことで、誰にでも身につけることができる。運動神経は努力した者だけに与えられるものであるとしている。
スキャモンは肺の重量しか計測していない。そこから成人と比べて肺重量の小さいこどもの持久力トレーニングは無駄、と後世のコーチたちは判断しているようだ。トラックと軽自動車を比較して、トラックのエンジンが大きいからといってトラックがすべての点で優れているとは思わないであろう。軽自動車は小型軽量ゆえに燃費性能はすぐれており、航続距離は長い。
成人は小学生にくらべれば倍以上体重がある。肺の大きさも比例して大きい。バンビーニの小2のH子にいたっては体重20kgなので開きは3倍となる。だが、普通の成人は1000mでは彼女に勝てない。彼女は肺を効率的に動かしている“運動神経のいい”子なのである。
だから、イチャモンは、長距離選手は肺を有効にコントロールできる「運動神経」を小さいうちからトレーニングするべきであると主張する。
第218回「負けに不思議の負けなし」(2023年2月26日)
「負けに不思議の負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり」
負けたときには、必ず負ける理由がある。しかし、負ける理由があっても外的要因などにより勝つということもある。だから勝負に勝ったとしてもおごることなく、さらなる努力が必要であるという意味で野村克也監督が好んでこの言葉を使った。
旧日本軍が太平洋戦争でアメリカに負けた。野口氏や戸張氏が共同で「失敗の本質」をまとめ、敗戦の理由を分析した。当時の日本軍の考えは場末の博徒よりレベルが低い。この将官たちに自分の運命を託した当時の若者はたまったものではない。
男の世界は自分の意志の有無にかかわらず、いろいろな面で勝負の世界が待っている。中学受験において友達と争う、恋人を巡った戦いも出てくる。課長選別の頃から入社したての仲良し〇〇年組から脱しライバルを意識するはずだ。家をいつ買うかも勝負である。
こどもの行動を見ていて、大人になって勝負強い者とそうでない者との違いはこどものうちに決まるのではないかと思うようになった。私がバンビーニでよく口にする「早期トレーニング」は運動だけではない。勝ち癖も小さいうちから養うべきだと思う。
学童ではおやつの順番を決めるのにいろいろなじゃんけんをする。先生じゃんけんは先生と子供たちが一斉にじゃんけんをして先生がじゃんけん前に「私に負けた人」と条件を付ける。「あいこ」も負けとカウントされる。ただおやつをもらう順番を決めるだけなのだが、こどもたちは真剣だ。おやつの中身は同じなのに気づいているのだろうか。
ある日、月のお誕生会でもあったので趣向を変えて、「おはじきじゃんけん」をした。事前におはじきを6個渡す。いろいろな友達とじゃんけんしてたくさん取った子からおやつがもらえる。早くからなくなった子は何人の子とやったかでその序列が決まる。
私はR男の後をついていった。以前からR男は勝負事は大好きだが、弱い。どうして負けるのかを観察したかった。
初めはニコニコしてじゃんけんをする。2回負けると3回目からはやる前から首をかしげる。そして肩を落とす。じゃんけんを出す手が緩慢になる。じゃんけんを出すのに力強さがなくなる。
この時のR男は心の内圧が下がっていたのである。「心の内圧が下がっている」というのは、空気の抜けた「自転車のタイヤ」みたいなものだ。空気がシッカリと入っていれば、多少の段差があってもなんの問題もないが、内圧が下がっていると小石の衝撃でもパンクしてしまう。
それと同じで、心も内圧が低いと傷つきやすくなってしまう。「心が強い人」と「心が弱い人」の違いは「心の内圧」に違いがあるだけだと思う。自転車のタイヤであれば、「空気入れ」で空気を入れたらいいわけだが。心の場合はそう簡単にはいかない。
頑張りが足りないと発破をかけたりして内圧を上げさせようとすると、“自己保存” の本能が働き苦痛を避けようとしてしまう。だからだんだんと勝負の世界から遠のいてしまう。しかし、成長するにつれて勝負の世界が嫌でも待っている。いま勝ち癖をつけずにいつ勝ち癖をつけるのだ。
「勝てる気がしない」「早く終わらないかな」といったことは、勝負のときは思ってはいけない。負けのスパイラルはちょっとした弱気で築かれてしまう。いわゆる負けが負けを呼んでしまうのだ。反対に勝つこどもは雄叫びをあげて勝ち進む。まるで自分には敵はいないかのように。たとえ1度負けても長くは引きずらない。だから、おはじきは最終的には一番増えていた。毘沙門天の化身といわれた上杉謙信のようなオーラがあった。
学童はアフリカの動物保護区のようなものだ。保護区では弱い動物だからといってライオンから助けてはならないという基本ルールがある。
学童の教師はこども同士の勝負にどちらかに加担してはいけない。しかし、やむにやまれぬ気持からR男に一言アドバイスしたい。
「いつもチョキばかり出すな!たまにはパーも出せ!」
負けに不思議の負けなし。
第217回「ポリアンナ効果」(2023年2月19日)
実力があるのに記録が出ないこどもは多い。集中するのはいいが逆に緊張するので、走り始めるといつもより体が重く感じる。それが「調子が悪いぞ」というシグナルにつながる。速い子は自信を持っているので微塵たりとも調子が悪いとは感じない。バンビーニもいろいろな大会に出ているこどもがいる。頻繁に大会に出ることはたとえ1000m走1本でも通常の練習より体の消耗が激しいのであまり勧めないが、最近は馬なりにしている。自信のない子は逆に場数を踏ませるようにしている。否定的な考えを捨てさせ本番を楽しむ前向きの子になってもらいたいと思う。
どうせ走るのなら自信をもって走るべきだ。チャンスは年に6回(長距離は5回)しかないのである。そこでベストタイムをださないといけない。自己否定的な言葉(どうせダメなんだ、指定記録はかなり厳しいあとは運だけだ等)より自己肯定的な言葉(やってやろうじゃないか、あの黒いTシャツかっこいいね、指定選手って陸上のエリートかな?僕これだけ練習やっているのだからいけるよね等)が出ればしめたものである。
ポジティブな考えはそうでない考えの人と大きく差が開くのである。これを「ポリアンナ効果」という。
ポリアンナ効果とは、心理学用語の一つで、否定的(悲観的、後向き)な言葉よりも肯定的(楽観的、前向き)な言葉の方が大きな影響を及ぼすという効果である。1964年にアメリカ合衆国の心理学者チャールズ・E・オスグッドが提唱した言葉だ。
名称は1913年にエレナ・ホグマン・ポーターが書いたベストセラー小説『少女ポリアンナ』にちなんでいる。
内容としては「父親を亡くして孤児となったポリアンナが貧しさと不幸に負けず、身の回りで自分に優しくしてくれる人たちの存在に気付いて喜ぶ『よかった探し』で、自らが置かれた絶望的な状況を受け入れつつ生きるための勇気を出す」という物語である。この「ネガティブな事態でも常にポジティブであろうとする」特徴からこのように言われている。(ウィキペディアより)
普段悪口ばかり言っている人からは皆、離れて行ってしまう。常にネガティブな人は、周囲の人に良い影響を与えることができないのである。
一方で、人の良いところを見つけ、周囲の人を褒めたり好意的な言葉をかけたりする人の周りには自然と人が集まってくる。
バンビーニでも長距離クラスのA男のところには人が集まる。多弁な子ではないので積極的に集まるというより、他のこどもたちが彼から離れようとしない。彼が弱気や否定的な言動をすることはないから、1000m走にポジティブな思考の持ち主であり皆もそれを肌で感じている。練習中ふざける子もいるが、楽しいこどもというより練習に対する態度がネガティブだという印象を持たれてしまう。だから皆はずっとそばにはいない。
ポジティブかネガティブかは言葉だけでなく雰囲気でもわかるのである。
歴史的にも偉人はプラス思考を好む傾向にある。
チャーチル元イギリス首相は「悲観主義者はあらゆる好機に困難を見出し、楽観主義者はあらゆる困難に好機を見出す」と述べたのは有名だ。
イギリス作家のオスカー・ワイルドは「楽観主義者はドーナツを見るが、悲観主義者はその穴を見る」と語った。
ただ、注意しなくてならないのは、ポジティブな考えは必要なのだが、ポリアンナ効果の派生語である“ポリアンナ症候群”におちいってはいけない。この症状は「直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、自己満足に陥る心的症状」のことである。別の言い方で表すと、悪い部分から目を逸らしたり、自分にとって都合の良い情報ばかり集めてしまうような状況はただの現実逃避に過ぎない。
主な特徴として「少しだけの良い部分を見て自己満足してしまう」「現状より悪い状況を考え、今そうなっていないことに満足しようとする」ことが挙げられる。
1000mで猛然とラストスパートをかけて3分18秒を出し、3分20秒を切ったと満足してしまうこどもがいる。だが、私は怒る。最初から飛ばしていれば3分10秒を切っていたと。こどもだからと言っていつもほめればいいというものではない。
また、ある時、3万円詐欺にあった人が、50万円詐欺にあった人がいたことを知って、自分はついている、47万円も得したと思ってしまう。この性格では再び詐欺にあってしまう。
第216回「ギフテッド」(2023年2月12日)
学童にK男というこどもがいる。私と神経衰弱のゲームをする際、ほとんどこの子がとってしまう。抜群の記憶力である。すごいのはこれだけではなく、落とし物の持ち主を探し出す能力がある。つまり、このハンカチはS君のです、この鉛筆はE子ちゃんのですと、言い当てる。何気ないことでも記憶をしている。学童では落とし物があったら、必ずK男に聞くことにしている。警察犬よりするどいのだ。
N男は大人の口を利く。このインターバルの第207回「ほほう」に出てくる男の子だ。この子は癇癪持ちであるが、私とは対等の口の利き方で内容も大人の会話で話が進む。国旗はすべてどの国か言い当てることができる。ウルグアイやパプアニューギニアの国旗も知っている。ドル円や日銀のことも知っている。これが正真正銘の1年生。
過去には天才かと思える女の子がいた。夏休みに算数の宿題(といっても公文のドリル)を持ってきた。その3年生の女の子の内容を見たらなんと高校3年生の積分をやっていた。それをいとも簡単に・・・この能力では学校の算数は物足りないだろうな、というよりバカバカしいほどの時間だろうなと思う。友達は2桁の掛け算で四苦八苦しているのだから。
この子たちはもしかすると「ギフテッド」ではないかと思う。
ギフテッドとは、生まれつき知性が高く、特定の能力が突出している先天的な特性を持つ人のことを称した言葉で、神様からの贈り物として「Gifted」と表現すると定義されている。
生まれつきであり、後天的に努力して獲得した能力とは異なり、教育によってギフテッドに育てることはできないのである。
一般にギフテッドは大きく二つの型に分けられる。
まず、まんべんなく優れている英才型だ。
記憶力や理解力、論理的思考力などの能力が高く、数学のみならず国語や社会、理科、英語、美術、体育における全ての科目で成績優秀であることが特徴的で、彼らの対応は問題ない。
周囲からも「天性の才能」であると見られ、その才能を活かすために周囲も理解しやすいので
より一層才能を発揮できるようになる。
しかし、不幸にも大多数のギフテッドは発達障害の特性もあわせもつタイプなのである。
数学や芸術、スポーツなど、ある分野で突出した才能を現す一方で、発達障害であるネガティブな印象や苦手な分野が強調されてしまう。
そのため、ギフテッドとしての才能に気付かれることなく生活し、発達障害を持つ子どもとして支援を受けるケースが多くなる。
K男も通級のこどもになっている。彼はルールに厳しく学校の玄関を出る時から学童の玄関に着くまで列が乱れようものなら牧羊犬のように列を直しに駆けずり回る。妥協は許されない。私が出勤するときにその列と一緒になったが、私が話しかけようものならぎょろ目でにらめつけられる。学童に入るとすぐに「イリ、遊ぼう」とすり寄ってくるのだが、帰る途中のルールは変えられないのだ。
さらに、何かあると先生やほかの児童の間違いを指摘する。注意されても本人は悪気はなく、間違いを正したい、教えてあげたいという気持ちから繰り返す。こういう行為が一律に発達障害として切り捨てられる。
このコミュニケーションが取れない、授業を妨害する、場の雰囲気を理解できないというだけで「発達障害」に追い込んでいるのが今の学校教育だ。同じ年齢の友達と話が合わなかったり、授業で習う内容が簡単すぎて面白くなかったりといった悩みが生まれ、通学が苦痛になってしまう。
だから、我々大人は彼らの苦痛を取ってやることが何よりも必要なのだ。
その子の得意なことを優先的に伸ばし、苦手な分野を人並みにする関わりが大切だ。
しかし、発達障害を併発している場合の問題点は、ギフテッドの特性に気付かないケースの場合だ。ギフテッドは個人差が大きく、どの分野で才能を発揮するか、どのような学問で高い学習能力を持っているかは、それぞれ違う。
算数は桁違いの理解力があっても文章を読むのは苦手、漢字を覚えるのは得意だが作文が書けないなど、得意な分野が偏る場合がある。
そのため、ギフテッドの子どもが才能を発揮するためには、個性を尊重し、それぞれに合った学習環境が必要になる。
文部科学省が、欧米などで「ギフテッド」と呼ばれる特異な才能を持つ子どもを支援するため、2023年度予算で8000万円を計上する、と昨年12月22日の「日経新聞」が報じた。
今からでも遅くはない、日本も才能のある子を見殺しにしない教育をすべきである。戦後の平等主義の弊害が取り外されるきっかけになってほしい。ギフテッド先進国のアメリカでは飛び級など、「ギフテッド」に対する教育プログラムが用意されており、フェイスブック(現メタ)創業者のマーク・ザッカーバーグも、そのプログラムの卒業生であるなどかなりの天才が見出されている。
アメリカのテレビドラマ「HEROES」に出てくるようなこどもたちは日本にも必ず存在する。
第215回「赤い鳥、青い鳥、そして白い鳥」(2023年2月5日)
こどもが自由に動き回っているのを見ると、こどもはもともと「鳥」なんだと思うことがある。しかし、よく見ると、親の教育方針によって3種類の鳥が飛びまわっている。
赤い鳥、青い鳥、そして白い鳥だ。
過去児童教育に登場した鳥たちを思い出してほしい。
まずは、「赤い鳥」だ。
鈴木三重吉は子供の純性を育むための話・歌を創作し世に広める一大運動を宣言し『赤い鳥』を発刊した。創刊号には芥川龍之介、有島武郎、北原白秋、らが賛同の意を表明した。その後菊池寛、谷崎潤一郎、らが作品を寄稿した。大人の作った子供のための芸術的な歌としての童謡普及運動、あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となっていった。しかし、宮沢賢治などの申し出についてはまったく取り上げなかった。
つまり、鈴木三重吉のイメージに合わない作家は参加できなかったのが、この運動の限界であった。こどもが喜ぶ児童文学ではなく、大人が作った権威主義の児童文学となってしまったのである。
次に「青い鳥」だ。
ベルギーの劇作家メーテルリンクの童話劇である。貧しい木こりの子チルチル、ミチル兄妹がクリスマスの夜にみた夢のなかで魔法使いのおばあさんの病気の孫のために、青い鳥を探すようにいわれ、「思い出の国」「夜の御殿」「未来の国」などの国々を旅したが、青い鳥を連れ出すことができなかった。しかし、目覚めると部屋の青い鳥は鳥籠の中にいたというものだ。
魔法使いのおばあさんは二人に、しあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれた。
この物語から、「青い鳥症候群」という言葉が生まれた。チルチルとミチルが青い鳥を探し続ける姿から、現実を直視せずに理想ばかりを追い求める人の様子を指す。
最後は「白い鳥」だ。
ピーター・パンはスコットランドの劇作家ジェームス・マシュー・バリーの小説「小さな白い鳥」に初めて登場する。
ピータパンの原作であるこの小説をご存じない方も多いと思うので、この話のあらすじを簡単にご紹介する。
人間の子供は生まれる前は小鳥だったという設定になっていて、ピーター・パンは生まれて一週間後にまだ小鳥のつもりで窓から飛び出し、ケンジントン公園の中の小鳥の島に舞い戻ってしまう。完全な人間になれず・・・さりとて小鳥でもない・・・中途半端な存在としてケンジントン公園で妖精たちと暮らすことになる。
一度、家に帰りたいと願い、妖精たちの力を借りて家の窓まで飛んでいき、自分がいなくなって悲しむ母親を見つめる。でもその時はまだ決心がつかず・・・やがて「今度こそ」と本当に人間に戻る決心をして二度目に家に飛んで行ったら、窓は閉ざされていて、母親には既に新しい男の子がいることを知り、失意のうちに公園に帰る。
ピーター・パンは人間にもなれず、鳥にもなれず成長することがないまま、公園に居続ける・・・。
ピータパン症候群はその後の話として「大人という年齢に達しているが精神的に大人になれない男女」を指す言葉だが、「白い鳥症候群」はそれ以前の「人間になるか鳥になるか妖精になるか中途半端な状況」を表している。
これが「赤い鳥」、「青い鳥」、「白い鳥」の3種類の鳥たちだ。そして、この3種類の「鳥」はバンビーニにおいても飛翔している。
赤い鳥は権威主義を象徴しており、父親が「俺の敷いたレールの上を走れ」と言われたこどもたちだ。「俺は学生時代走り高跳びをしていた。お前は身長も遺伝で高くなる。だから走り高跳びをやれ。その教室に入ることでお金がいくらかかってもいい、だからやれ」と親の権威で種目まで決められてしまうこどもが「赤い鳥」だ。
青い鳥は理想を追いかけてどこまでも行くタイプのこどもたちだ。自分は100mが得意だ。小学生までは埼玉県1位だった。だから100mを極めたい。コーチが適性からすればほかの種目がいいと提案しても、いつも「青い鳥」を追いかけしまう。
白い鳥はいろいろなことをやっているどっちつかずのこどもたちだ。親は自分のこどもの可能性を追求するがために、水泳や空手やサッカーなどを陸上競技と並行してやらせてしまう。陸上が大事なのかサッカーが大事なのかその時によって軸足が違う。こどもはやらされている感が強い。これが「白い鳥」だ。
こどもは自由に伸び伸び育ってほしいと誰もが望んでいるはずだ。しかし、赤い鳥や白い鳥は窮屈な生き方だ。場合によってはこどもを籠の鳥に追いやってしまう。青い鳥は鳩が鷹を目指すような生き方になるかもしれない。
中島みゆきの「この空を飛べたら」ではないが、我々は「鳥」を思い浮かべる際、大空を飛ぶことを前提にして考えてしまう。また色鮮やかな鳥が地味な色の鳥よりも価値があるとも考えてしまう。
しかし、多種多様な現代だからこそ発想を変えて、飛ばない鳥「ヤンバルクイナ」のような鳥を目指すこどもが出てもいいと思う。
ヤンバルクイナは飛べない鳥だからこそ2足歩行となり、人間と同じように脳が発達している鳥だ。大空を飛び回ることはできなくとも、知恵と工夫で生き抜くことができる。
第214回「オノマトペ」(2023年1月29日)
学童のこどもが学校から帰って来て、「イリね、今日学校でH君がブワーンとぶつかって来て体がカコーンと言った。思わず目から涙がザ~と出て来た。交差点の青信号の点滅みたいにチカチカ痛かった」と語りかけた。
こどもはいろいろな事象に対してオノマトぺを使う。よく聞くと長々と説明する大人に比べて状況や本人の体の状態を的確に述べているような気がする。
「オノマトペ」とは「ケラケラ笑う」「雨がシトシト降る」など、日頃から何気なく使っている擬音語や擬声語、擬態語を総称したものだ。これを駆使した作家に有名な宮沢賢治がいる。
「どっどど どどうど どどうど どどう」(風の又三郎)や「さあ、もうみんな、嵐のように林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。」(オツベルと象)
ビジネスの世界でもアップルの創始者スティーブ・ジョブズは「オノマトペの魔術師」とも呼ばれ、特に注目してほしい時や商品の素晴らしさを伝えたい時、「ブン」「ボン」というオノマトペを使い、観客を楽しませ、想像力を膨らませるプレゼンを行っていた、という。
スポーツ界では巨人の長嶋選手が野球を教える時に、オノマトベを使っていた。こうした指導や言葉から、この長嶋選手の指導方法は天才にしかわからない、とでも言わんばかりにマスコミが面白おかしく報道していたことを思い出した。
『球がこうスッと来るだろ。そこをグゥーッと構えて腰をガッとする。
あとはバァッといってガーンと打つんだ。』
カーブの打ち方については、
『ボールがキューッとくるだろ。そしてググッとなったらウンッっと溜めてパッ。』
素人がこのような指導をされたら、どんなことかわからないだろう。
スポーツの良い動作とは、動作をしている本人ではなく、それ以外の人がみて感じるものであり、実際に体を動かしている本人にとっては自分の動作を確認できず、自分の感覚に頼って行なっている。たとえビデオで自分の動作を確認できても、それを他人に伝える際はとても言葉で充分に言いあらわせるものではない。
陸上競技の指導中、私も知らず知らずのうちにオノマトペを使っているのに気がついた。
「ちんたら走るな」
(のろのろと行動するさま、動作が緩慢でだらけている様子、などを意味する表現。怠慢な様子を咎める際などに用いる場合が多い)
「さっさとやれ」
(すばやく / 迅速に / 早急に / 迷わず / 手際よく 、という意味合い)
「とっとやれ」
(早くやれといった程度を強調する意を表す。「さっさとやれ」よりも強い表現)
「走り幅跳びのコツは“トントントーン”と跳べ、と語尾を上げて教えている。
バンビーニではこのオノマトペ以外にも単語を自分流に解釈して言いたいことを表現するこどもがいる。E男がその筆頭だ。この子の言葉は時には難解で、例えば厳しい練習を課すと「コーチは悪夢だ」という。最初は単語の使い方が間違っていると思っていたが、そのうち言葉のいい違いではなく、この子独特の表現であることに気がついた。「悪魔は人間が悪魔と取引をするとその後の人間の行動によっては怖い存在となるが、悪魔は何もしなければ何でもなく存在そのものは怖くない。悪夢はそのこと自体が恐怖なのだ。見たくない夢を悪夢という。だから、私を悪魔というよりも悪夢と言った方が、この子の置かれている状況を的確に示している」のだと思う。
このような経験から、陸上競技の1000mの極意を聞かれたら、私はこう言うことにしている。
「介護施設のおじいさんのようにちんたらスターラインに行くのではなく、
サーと位置について、号砲と共に福袋目当ての大阪のおばちゃんのようにバーと飛び出す。
しばらくすると離陸後10000mに達した飛行機のようにスーとペースが落ち着く。
そうしたらガツガツ行って、警察のネズミ捕り装置の手前のように相手がスピードを上げて来なかったらグングン前に進む。
ラスト300mになると出世競争に勝ちあがった社長のように自信をもって直線をタターンと走る。
しかし、ライバルがスッスッと迫まる気配を感じれば、お金を借りた相手に街で気がつき逃げるかのようにツーツーと走る。
根性の情熱でフツフツとスピードが沸いてくれば、第4カーブを曲がると長岡の三尺玉の花火のようにドカーンとラストスパートをかける。
そして最後は御柱の木落しみたいにドドーとゴールする」と。
第213回「1万時間の法則」(2023年1月22日)
「1万時間の法則」というのを聞いたことがあるだろうか。
心理学者アンダース・エリクソン教授が行った研究がベースとなっており、マルコム・グラッドウェル氏が著書の中で紹介している。将来的な成功に導くための法則の一つとして、世界中で注目を集めた。
もともとこの法則はエリクソンの研究チームがバイオリニストを対象に調べていたところ、バイオリンを専攻している学生と国際的な活躍をしているバイオリニストや交響楽団のバイオリニストには大きな違いを見つけたことがきっかけで生まれたとされている。プロとして活躍しているバイオリニストたちは、20歳になるまでに1万時間以上の練習時間を積み重ねていた。そこから「ある分野でトップレベルの実力を身につけるためには、1万時間の練習・努力・学習が必要だ」という法則として発表されるようになった。
1万時間とは週1日休みを入れて1日3時間の練習で10年が必要だ。
しかし、米プリンストン大学が2014年に行った研究では、この法則には不備があったとされ、練習量が少なくてもトップレベルになるような天才が一部にいて、逆にどんなに練習しても上達しない人もいるというのが彼らの指摘であった。
大学生になって頭角を現した選手が出ると人知れず消えていった選手とあわせて「ほら、児童練習は必要ない」と言ったり、練習時間が短い選手が成功すると「長いだけが練習ではない、質の高い練習が大事だ」というコーチや評論家が出てくる。
私はそれらの選手が児童の時から陸上の練習をしていたり、もっと走りこんでいたらオリンピックで入賞していただろうと言いたい。ラグビー選手であった中道貴之は高校3年のときの1987年、試しに出た大会で100m10秒1を出したが、陸連の誘いににもかかわらず高校時代はラグビーで押し通した。大学に入って本格的に陸上競技をやり始めたが、その後記録更新には至らなかった。
すくなくとも一流演奏家はひとり残らず練習の虫だ。彼らは朝から晩まで、時を忘れて練習をしている。舞台に上がる直前になっても、ピアニストは舞台袖で楽譜をピアノの鍵盤に見立てて指を動かし続けている。しかし不思議なことに、彼らは練習をあまり苦にしてない。
野球の世界でも、長嶋選手や王貞治選手は練習の虫だった。練習が修行のような感じだったが決して苦にしていなかった。むしろ楽しんでいた。こうなると努力自体、生まれ持った才能だと言わざるを得ない。
ドイツサッカー連盟登録選手数は全部で710万人ほど。うちU-19以下の育成選手登録数は約240万人で、そのうち50%以上が4〜12歳までの子どもたちだ。ただU-11、U-13、U-15と上の学年に上がっていくにつれて、やめていく子どもがどんどん増えていく。1万時間になる前にやめていくのだ。
理由は簡単だ。サッカーをやりたいのにサッカーができないからだ。
ドイツではU-10年代からリーグ戦が始まる。U-12〜U-13年代になるとリーグの昇格、降格もある。結果を出したい指導者は勝ちたい気持ちからうまい子ばかりを起用するようになる(第211回「早生まれと遅生まれ」でも紹介した)。不用意なミスをしない子を起用しようとする。
サッカーがしたくて、楽しみにして試合会場に来たのに、出場時間はわずか10分。中にはかわいそうに出場できない子も出てくる。次こそは出れますようにと祈ってまた試合に向かう。何度もそうしたことが繰り返されたら、いつの日か失望に押しつぶされて、サッカーを離れていってしまうのだ。何万回対面でパス練習をしても、それは試合の中でのパスとは別物なのだ。出場するこどもと出場しない子との差はますます開いていく。
その点、陸上競技は出たいと思えば大会に必ず出れる。「陸上競技はいつでも誰でもレギュラーなのだ」こんなすばらしい競技はない。努力する目標はライバルではなく自己記録だ。それを何度も更新していくうちに、さらに努力して結果として1万時間が視野に入ってくる。
我々コーチも「1万時間の練習もまったく苦にはならないくらい陸上競技の魅力を伝えて、夢中にさせることができたら、陸上競技でトップレベルの人材が育つ」と考えなければならない。
サッカーアカデミーの募集があったのをHPで見つけた。小3から育成しその練習量は自主練も含め週18時間である。高校生の時に1万時間を超える計算になる。
<2022年度 鹿島アントラーズノルテジュニア(新3年生)選考会のお知らせ>
2021.12.09(木)
【対象・募集人数】
新小学3年生(現2年生):若干名
※応募資格として、原則的に週4日(火・木・土・日)の練習に毎回通っていただくことを条件といたします。
※GKも対象になります。
第212回「日向者(ひなたもん)と日陰者(ひかげもん)」(2022年1月13日)
学童では大声を出したり、何度も発言して先生の話を覆いつぶすような行動に出て目立とうとする子がいる。
2年生のY男は腹の底から大声で話す。「Y男、ここは道場じゃないから大声を出すな!」と怒るがどこ吹く風だ。笑い声も昔の浪越徳治郎(マリリン・モンローの胃痙攣を治したという伝説の指圧師)のように「アーッハッハ」とわざとらしく笑う。
マネージャーがコロナやインフルエンザの注意事項を説明しているのに「はい」をセンテンスごとに入れた。
「みなさん(「は~い」)最近またコロナが流行っていますね(「はい!」)コロナ対策で何が必要ですか(「はい、はい、はい」)じゃ、Y男君(○○でしょう、XXでしょう、それと・・)はい、そこまで、他の人も答えてみましょう。(「はいはい、思い出した◇◇と▲▲です」)」
すべてを言い尽くしてしまった。誰が答えてもY男の答えと同じになる。だからこの後誰も答えない、いや答えられない。
「で、そういう対策をしてもかかった場合はどうすればいいのでしょうか(「はいはい、病院に行って保健所に連絡して学校や学童の先生に連絡します」)ちょっと、1年生に聞いているのよ。はいはい蝉じゃないんだから、少し黙ってて」
でも、それもインスタントラーメンができる時間までだ。
「では、これからおやつにします(「はい」)。今日のおやつの順番の決め方は(「学年別じゃんけんがいい」「いや、先生じゃんけんがいいかな」「待てよ、それは昨日やったから今日は勝ち抜きじゃんけんがいいかな」)ねえ、あなたが先生なの?決めるのは、わ・た・し。 さっきからペラペラしゃべって、この教室あんたと2人きりじゃないのよ。これからあんたはしゃべっちゃダメ」
やり手のマネジャーも頭に来たらしい。
宿題をやっている時、Y男が1年生の女の子にちょっかいを出した。後ろ向きにしゃべりかけていたので相手の女の子のR子も呼ばれた。ところがあろうことかY男が「R子ちゃんが僕の肩を叩いて質問したので振り向いて答えただけです」という。勝手に振り向いてしゃべり始めたのを私は見ていた。ところがR子は否定するどころか「ごめんなさい」と言った。マネージャーもY男の言葉を鵜吞みにしてはいないようで、「R子ちゃん今度気をつけようね」といって解放した。
「R子、いいんだよ、本当のこと言って。なぜY男をかばうの?」
「いいの、Y男くんはいつも私に声をかけてくれるの。Y男くんが話をしてくれなければ遊ぶ人がいなくなるから、私が我慢して済むのならそれでいいの」
でもその相手はまったく悪びれずR子に対する感謝のかの字もない。この性格大人になるまで引きずるなよ。この性格では「日陰の女」になってしまう。いや、それ以上にDV男から別れられない女になってしまう。とっても心配だ。
出張かけっこ教室では初級クラスから上級クラスまで3クラスがあり、幼稚園児から5年生までの児童が来る。印西市主催になっているので多くは語れないが、どのクラスも自信のない子は列の後ろに回る。俺の走りを見ろという自信家は一番前に並ぶ。レッスンのしやすさから言えば、自信のある子が先頭の方がいい。ところがあるクラスでは実力が伴わない自信家がいつも先頭に立つので困っている。モモ上げ足前振りはこうするんですよと見本を示した後、先頭をやらせるがこれができない。そのためいつも出だしでレッスンが止まってしまう。バウンド走でもスキップになってしまうので後ろに行ってほしいのだが、後ろを振り向いている間にグイグイと列の先頭に行ってしまう。保護者がすぐそばで見ているため下がれとも言えずじれたい思いをしている。
一方逆にできないのを恥ずかしく思う子は、何の種目でもスーと列の後ろに回ってしまう。日陰者の身であることを心得ている。ところがこれがいつも裏目に出る。みんなに見られたくないから後ろに行くのだが、最後だから全員が終わっていて結局皆にじっと見られてしまう。
あるこどもはできないと両手の肘をあげ手のひらを上にして「お手上げ」のポーズをする。「僕は本当はできるのに、コーチの教え方が悪く僕は何をしていいのかわからない。もっと丁寧に教えろ」とアピールしているようだ。
10人以上の集団になれば、必ずこの日向者(ひなたもん)と日陰者(ひかげもん)は存在する。
第211回「早生まれと遅生まれ」(2023年1月8日)
「相対的年齢効果」という言葉がある。簡単にいうと、同学年における遅生まれ(4月生まれ)と早生まれ(3月生まれ)の運動能力や体格の差のことだ。小学生、場合によっては中学生でも、同学年における4月生まれは、3月生まれよりも体格や運動能力に優れる傾向がある。
もちろん、3月生まれの子どもの全てが晩熟、4月生まれの子どもの全てが早熟というわけではないが、概してその傾向が強いということだ。それは、各種スポーツのセレクションの際に「見落とされる子どもたち」を生み出している。
プロスポーツやオリンピックの大舞台での活躍を夢見る子どもたちは、概ね小学生の間に、各競技のセレクションを受験する。その後に、優れた環境でトレーニングをするために通らなければならない「狭き門」と言える。
サッカーでは、Jリーグアカデミーのセレクションがそれに当たるが、この過程を経て子どもたちが入団したあるチームで、選手たちの生まれ月の分布を調べたところ、50%以上が遅生まれ(4~6月生まれ)で、早生まれ(1~3月生まれ)の子どもは10%にも満たないという傾向が見られた。
同じ年代の国内で出生した子どもたちの生まれ月は、統計的には1~3月、4~6月ともに約25%ずつのはずだ。この比率から判断すると、セレクションの場では、早生まれの子どもの半分は見落とされてしまい、逆に、遅生まれの子どもたちは高い合格率だった。セレクションで評価をつける大人たちが、遅生まれのためにその時点で体格や運動能力が優れていた子どもたちを積極的に選んだ結果と考えられるからだ。
この時点では生まれ月の影響による早熟・晩熟の成長の差があったとしても、一般的には18歳以降にほぼ等しくなると考えられる。しかし、将来的に運動能力が高くなるかもしれない子どもを、早期のセレクションでは「選抜しきれていない」ため、オミットされたこの子らが成長するにつれてサッカーや野球をやめてしまう結果をもたらしている。そのため、下記の表でも実際にプロになっている選手に早生まれ遅生まれの痕跡が残っている。
ジョッキー(騎手)は体重の軽い方がいいので、ジョッキーのセレクションでは逆の現象がみられる。
さて、よその競技はさておき陸上競技について考えてみよう。残念ながら陸上競技においても、早生まれの不利がある。
短距離や投擲や跳躍種目は体格差の影響が出る。
身長の差はストライドの差となって体の小さい早生まれのこどもには100mでは不利に働く。ジャべリックボール投げもリリースポイントが高い方が遠くに飛ぶ。よって学年別の大会が続く高校までは早生まれのハンディは常にある。ただ、幸いにも陸上競技の場合は選手として大会に出られないというサッカー選手の悲哀さはない。出場を希望すれば必ず出れる。
しかし、早生まれ遅生まれの違いは小学生のうちは影響が大きいのだが、長距離種目では時として早生まれのハンディが該当しないケースがある。
バンビーニでは1000m3分6秒のU子が1月生まれ、3分5秒のA男が2月生まれである。バンビーニの1位、2位が早生まれである。
では、なぜ長距離だけが早生まれの不利が小さいのであろうか。
2人の共通点は足の回転数が他のこどもに比べて多いこと、さらに長い距離になればなるほど強いことである。
長距離が速くなるには、“走る姿勢”や“呼吸筋に弾力性がありかつ筋肉が互いに補完しあっていること”および“精神的な強さ”などが影響している。
これらのファクターは成長(体の大きさ)に左右されないものなので、これらが秀でている子が早生まれのハンディを克服しているものと思われる。
もっとも陸上の場合、早生まれ遅生まれの影響はインターハイ(高校)までで、その後は影響はみられない。サッカーや野球と異なり我慢強ければ自主的に練習を重ね、成長のピークである大学まで続ける選手が多い。というより大学になって長距離選手が他の種目に移る可能性は能力的に低いからでもある。
日本のスポーツの場合は、早生まれを若い段階から可能性を鑑みる事無く切り捨てている育成体制、その時に優れている選手のみを使うという試合環境の悪影響が大きいと思われる。ところが、陸上競技の問題点は「早生まれ遅生まれ」というより一緒くたに“小さいこども”という概念で、この程度が限界と練習を制限してしまうことにある。精神的に大人びたこどもや、呼吸筋が発達している子が実際にいるのを無視している。
大人のルールで子供たちが犠牲にならない練習体制の見直しを、スポーツ界では再考する時期が来ているかと思われる。最近の子は、もっと厳しく指導してくれとは口が裂けても言わないだろうが、我々大人が思っているほどヤワじゃないのは確かである。
第210回「染之助・染太郎」(2023年1月1日)
東京の寄席で落語や講談以外の芸のことを色物(いろもの)という。主に漫才、漫談、手品、や曲芸などだ。つまり、寄席では落語と講談以外の芸はすべて色物なのだ(講談は落語以前の演芸なので寄席でも敬意を払っている)。
寄席は落語を中心にプログラムが組まれていて、構成からいえば落語が7だとすると色物は3という割合が普通である。
なぜ、色物と呼ばれるのか
出演する芸人名が木札に書かれ、寄席の表、入り口付近や場内に掲げられているのが番組表というが、落語家や講談師の名前はみな黒文字で書かれている。しかし、芸種を赤文字で書かれている出演者がいて、この人達が色物と呼ばれている。
だから、寄席では落語家が一番ランクが高い。特に昭和の時代は柳家小さん、三遊亭圓生や林家正蔵などは脂がのっていた頃だったので最優遇対応であった。
しかし、その寄席でも初代林家三平という落語家は、圓生や正蔵とは違った芸風であった。林家三平は、昭和の落語界のスーパースターである。1960年代テレビから生まれた演芸ブームの立役者、落語界の異端児でありながら、寄席への集客力で最も貢献した落語家と言える。この点では、圓歌も談志も円鏡も敵わない。
「異端児」と呼ぶのは、寄席では紋付き袴姿で登場しながら、まともに落語を一席もやらずに、ダジャレの小噺をつないだだけの高座、または、最初から立ち姿で、歌謡曲、シャンソンなどを歌う高座ぶりだからである。そのダジャレは「お正月」を「和尚がtwo」、「サイトシーイング」を「斎藤寝具店」という程度の内容。これでも、三平が言うと、客席は沸いた。小噺がうけないと、「これはどこが面白いかというと」とスベッた噺を説明しながら、拳を額にやって「どうもスイマセン」。これで、また爆笑。つまり、出てくるだけで可笑しく、何をやっても笑ってしまう。
さらに、客席を「いじる」。客の笑いの反応が今一つだと、客席を二つに分け、「(ウケないほうに向かって)こちらを重点的にやりますから、(ウケてるほうに向かい)こっちは休め!」。噺の途中で寄席に客が入ってこようものなら、そのお客に向かって「今、お越しになるかと、みんなで噂をしていたところです」と笑いの種にしてしまう。
歌う高座では、アコーディオンの「小倉義雄」を登場させ、フランク永井ばりに『有楽町で逢いましょう』を歌い、最後には「よしこさーん」と叫んで笑わせた。このアコーディオン師の小倉は三平がどんなにおかしなことを連発しても、クスリとも笑わず、最後まで無表情でアコーディオンを弾いていたので、高座の面白さが倍増した。こうして、三平は寄席の落語のタブーを次々と破ってしまい、新しいファンを開拓した天才と言ってよい。(落語評論家山本益博氏評)
それでも三平は色物ではなく落語家と扱われ、笑いの取れる芸人としてTVに重宝がられた。
一方、私の知っている限り色物で有名なのは、海老一(えびいち)染之助・染太郎だ。
「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬や桝を回す芸で有名であった。特に正月のテレビ番組には数多く出演した。染太郎が病気をするまでこの2人を観ない年はなかった。染之助が芸を見せ、目が大きく出っ歯な染太郎が話術で楽しませるというスタイルの芸であった。
「ミスターお正月 お正月と言ったら誰?」というアンケートで、1位をとったことがある。
途中で拍手が起こると「ありがとうございまーす!!」
お客が飽きてくると「いつもより余計に回しております」
疲れているなとお客が思う頃には「喜んでやっております」
終盤になると「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じです」
と言って笑わせる。
内容は毎年毎回同じ内容のものが多いが、それでも観て聴いて楽しくなる芸風だった。
バンビーニは私と家内のユキさんと2人でやりくりしている。バンビーニ創設のときはこどもが3人くらいであったので私1人でやっていたが、会員が増えると私の性格である大雑把さで無料で追加レッスンをやったり、選手に入れ込んで練習をするが相手は嫌がっていたなどちぐはぐなことも多かった。ユキさんが加わってお金の管理をしたり保護者の意見などを吸いあげて私にアドバイスするようになって、経営や運営は楽になった。こどもに専念できるのが何よりだ。
練習中雨が降ってくるときがあるが、私に「やめる?」と言って来る。大雨でなければやめるわけがないのだが、保護者の手前もあるのかなと思い躊躇するポーズはする。しかし、一度でもやめれば、やめる基準をこどもらなりに見極めるから、口実づくりをさせないためにもやめない。
時々私が染之助でユキさんが染太郎と思うときがある。私が肉体労働者でユキさんが頭脳労働者かと自嘲してしまうが、どんな会社でも営業をしてお客さんを引き寄せる方が偉い。お客さんが来なかったり、離れていってしまったら私の存在意義はなくなる。ユキさんあっての私だ。
今年も今日から始まる。
改めて、皆さん、「おめでとうございま〜す」
学童や出張かけっこ教室もあるので休みはほとんどないですが、「喜んでやっております」
また、今年もたくさんの強化指定選手を輩出していきたいと思います。こどもがいい子に育つように「善し子さ~ん!」
もし、だめだったらその時は拳を頭に置いて「どうもスイマセン」
今回の小論“インターバル”は正月でもあり「いつもより余計に文字を使っております」
今年もどうぞよろしくお願いします。
第209回「テセウスの船」(2022年12月25日)
今年もあと1週間となった。いい年だったと思う。しかし、年末で小6のこどもたちが10人も卒業していく。小さなクラブであるバンビーニにとっては大きな痛手だ。金銭的にも心理的にも。やはり、クラブの良さは引っ張っていく人間がいてこそ効果がある。それを失うのが一番大きい。どうしようか思いあぐねているうちに眠ってしまった。
やめていくこどもたちが全員で一つのランニングクラブを作ったら、それは“バンビーニ”になるのではないのか。集団走のいいところは彼らの存在があったからで、その利点はそのまま持っていける。残った我々はいったいなんなのだろうか。これは学生時代習った「テセウスの船」の命題と同じではないのか。この歳になって実際にこの命題にぶつかるなんてその時は想像もしていなかった。
「テセウスの船」とは、ある船の部品を少しずつ新しい部品に交換したとしたら、最終的に出来上がる船は元の船と同じものなのだろうか?古代ギリシャから問い続けられてきた命題だ。また、置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのかという疑問が生じる。
同じことが人間でも言える。生きている間に私たちの細胞のほとんどが死に、また新たに入れ替わる。服装や髪型など、私たちの見た目はどんどん変化するし、年をとればシワが刻まれ、白髪になったり禿げたりする。自分が自分であるという「自己同一性(アイデンティティ)」は、心が基盤になっていて外見や体ではないと考える人がいるかもしれない。だが、心だって変わる。高校時代好きだった人も今会えばなんの引っかかりもない。人生観は経験を積むにつれて違ってくるだろうし、友人や配偶者だっていつまでも自分が思っている人間ではなくなる。自分のこどもだって大人になれば変わるのだ。
ならば、これだけ変化する人生において、私たちは本当にずっと同じ人間なのだろうか?今日の自分は明日の自分と同一人物なのか?
とここまで考えると、たとえ夢でも頭が痛くなり目が覚めた。
巨人とヤクルトが1対1のトレードを全員に施したら、いったいどっちが巨人でどっちがヤクルトかわからなくなるだろうが、実際は一部に限られ、引退、新人の加入なども加わってもそれでも巨人は巨人、ヤクルトはヤクルトとして存在している。
青山学院大も佐久長聖高校も過去の優勝時の学生や生徒とは異なっているが、たとえ優勝から何年たっていても伝統は活きている。うなぎ屋の秘伝のタレと同じで、伝統の継ぎ足し継ぎ足しの効果が出ているからだ。
ちなみに秘伝のタレが衛生上問題ないのは実は継ぎ足しのタレは低温殺菌されることによって菌類が繁殖出来ないようになっている。低温殺菌とは、「63℃~68℃」ぐらいの高温で殺菌することだ。焼いたうなぎをタレに浸けることにより、タレの温度が上がり、結果的に低温殺菌される。「名店ほどタレが腐らない」のは名店にはお客さんがたくさん来るため注文も多く、常にタレが低温殺菌されるため、菌が繁殖しづらい環境となっているからだ。
中学生は学校が育成するのが日本陸連の方針だ。小6のこどもたちと別れるのは辛いが、彼らが残してくれた生真面目なほどの練習態度、最初から飛ばす積極性は後輩たちが間近で見ていた。それを自然と引き継ぐよう指導することが私の役割だ。バンビーニは継ぎ足しの手法で伝統を維持していきたい。それには毎年強化指定選手を輩出していくことだ。うなぎとタレの相乗効果でおいしいうなぎの店となっていくのと同じように、バンビーニは普通の子を強化指定選手まで育て、その子が新しく入ってきた子を引っ張っていき、新しく入ってきた子は翌年同じように次の子を引っ張っていくという“陸上クラブの名店”として存在していきたいと思う。
本日の超ロング走で卒業していく6年生、これまでの努力に敬意をもって“さようなら”だ。 中国語で「さようなら」は「再見」である。また会いましょう。これまでありがとう。
第208回「集団効果」(2022年12月18日)
感染症は、病原体(ウイルスや細菌など)が、その病原体に対する免疫を持たない人に感染することで、流行します。ある病原体に対して、人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなり、間接的に免疫を持たない人も感染から守られます。この状態を集団免疫と言い、社会全体が感染症から守られることになります。(厚生労働省HP)
こどものスポーツクラブにおいてサボることは特異なことではない。こども特有の自己防衛本能だ。しかし、放っておけばクラブに蔓延する。あまり強くなることを意識していない子に多く見られる。ひょうきんにして笑いを誘い、私に怒られることで皆の注目を浴び、サボって怒られてもいつものことかと皆は流すと考えているようだ。そのうち、この子に同調する子が出てくるようになる。段々と真面目に練習する子が嫌な顔をしてくる。クラブ全体が機能不全に陥てしまう。
「陸上クラブにおける集団免疫」を取得するとは、強い子を1人出すことである。3人出せばワクチン3回分、5人出せばワクチン5回分の効果がある。強くなるためには厳しい練習が当たり前だとの考えが浸透すれば、サボる子に誰も同調しなくなる。強い子はサボるこどものことなど無視して練習を行う。コーチが怒鳴っても効くのはその時だけだが、仲間から無視されると練習をするかクラブをやめていくかの選択となる。こうして、「サボるという感染」から小さいこどもたちを守ることができ、集団免疫が完成する。
しかし、時には集団に加わることが弊害となる場合がある。心理学で有名な「内集団・外集団バイアス」が発生した時である。
イギリスの社会心理学者が、人の集団について、つぎのような実験を行った。
最初に、お互いに、まったく見ず知らずの人を何人も集める。そして、コインを投げて、表か裏かで、この人たちを2つの集団A、Bに分ける。ただし、集団に分けられた当人たちには、コイン投げでランダムに分けたことは伝えない。そのかわりに、集団Aのメンバーに対して、「この集団の方々は、みなさん、独特の芸術を好んでおられます」と伝える。さて、なにが起こっただろうか。
まず、集団Aのメンバーは、もともとまったく見ず知らずどうしのはずなのに、お互いを理解し合うようになった。「独特の芸術」という共通の嗜好があるように伝えられて、お互いに親近感がわいたのである。そして、それは「自分たちの集団は、もう片方の集団よりも優れている」という集団意識の形成にもつながった。これは「内集団バイアス」または「内集団びいき」などと呼ばれる。
つぎに、集団Aのメンバーは、「集団Bは、特徴がなくみな同じような人たちの集まりだ」と感じるようになった。実際には、集団Bに入った人には、さまざまな個性があるはずだが、集団Aのメンバーにはそれが見えなくなった。そして単に、「自分たちとは別の集団に入っている人たち」というレッテルを貼ったのである。これは、「外集団同質性バイアス」と呼ばれる。固定観念や偏見が始まるきっかけとなる。内集団の多様性を外集団よりも高く認識し、外集団をステレオタイプ化して平均的な集団だと認識してしまうのである。
注意しなくてはならないのは、最初はあまり意識せずに、なんとなく集団に属していたはずなのに、ふと気がついてみると、いつの間にか自分の集団に対して強い愛着心が芽生えていることである。バイアスは、知らず知らずのうちに生じてくるのである。
バンビーニの練習が厳しく他のクラブは緩いと考えるのが外集団同質性バイアスの弊害だ。
自分が強くなったのはバンビーニ内でライバルがいたからだが、さらに、大会でしか会わないライバルのおかげでもあるのだ。大会でしか会わないライバルは我々よりもっと厳しいトレーニングを積んでいて、そのライバルの所属するクラブは多様性のある集団であると考える方が自然なのだが、時として「外集団同質性バイアス」はその集団が自分たちの集団より劣っていると考えるようになる。問題はそこにある。
問題の解決策としては、バイアスとは偏りあるいは思い込みであるから、「外集団同質性“バイアス”」の解釈を「他のクラブの練習はバンビーニより高いレベルで厳しく、速い選手と同質の多くの個性的選手がいる」と逆に考えればいいだけなのだ。
我々は謙虚に厳しいトレーニングをこの冬行い、来シーズに向けて切磋琢磨しないといけない。そうしないとライバルクラブの質の高い練習に負けてしまう。
第207回「ほほう」(2022年12月11日)
学童でこどもとオセロをやることがある。すべて親父か祖父の口癖であろうが、大人に言われればカチンとくる言葉でもこどもから言われると口元が緩む。
「イリ、どうですか、久しぶりにこれしませんか?」と将棋を指すようなそぶりをする。N男は将棋ができないからオセロだなとわかる。「いいよ、今日は誰とも約束してないから」「そう、じゃすぐやろう。そうじゃないとR子やT男にイリをとられちゃうから」と急いでオセロの箱をおもちゃの棚から持ってくる。
「じゃ、僕が白でイリが黒ね。僕からやるよ」
「おいおい、普通は黒から始めるんだけどね」
最初はあまり考えずにどんどん打っていくとN男は
「いいね、いいね。ぐいぐい来るね。イリ、そのリズムだよ。オセロはリズムが大事」
「・・・」
中盤に入ると複雑な状況が続く。とたんにN男のペースが遅くなる。
「オセロはリズムじゃないの?」
「高速道路は100kmで走れるけど、浦和の街を100kmで走れる?スピードは臨機応変でないとね」(きっと親父の口癖だ)
私も角(かど)をとるためにどうしようと考えるときがある。すると
「ねえ、早くしてくんない。下手の考え安めに煮えたりだよ」
「うん?それを言うなら下手の考え休むに似たりじゃないの」
「そうともいう」
ある時は、「今だ!」と言って白い石を置く。
「おい、おい、剣道じゃないのだからその言葉は必要ないんじゃない?」
「なに言っているの?オセロは血で血を洗う男の戦いの場だよ」
「そうかもしれないが・・・ところで、一体私のどこにスキがあった?」
N男の考えと違う置き方をすると上から目線で
「ほほう、そうきたか。面白い打ち方するね。山ちゃん」
「なんだ、山ちゃんって」
「入山だから、山ちゃん」
「イリちゃんじゃないのか」
「山ちゃんのがいいやすいね、山に入るというので入山なら、山が先に来るので山入り、すなわち山ちゃんでもいいんじゃない」
「勝手に名前を変えるな!」
怒るとかえってN男はニコニコする。
「引っかかったな、これでどうだ」と白い石を置かれ、直線5個、斜め2個と白にひっくり返された。引っかけるようなトリキーなことをされたわけではないが、このあともたくさん白にした時N男は必ずこういう。勝どきの言葉だと理解した。
黒い石を白い石に裏返ししてから
「ちょっと待った。これやめてこう」
「おいおい、やり直しは認めるけど、ひっくり返してからやり直すとなると、どこが黒だったか、どこが白だったかわからないよ」
「大丈夫、大丈夫、きっとこうだと思う」
あきらかに形勢が違う。でも反論するほどの記憶力もない。
「これ違うんじゃない?」
「キョーレツゥ! チッチャイことは気にするな! それ、ワカチコ! ワカチコ!」
「なんじゃそりゃ」
ゲームは続く。
私はいつも4つの角(かど)を目指して、石を打つ。その戦略以外に石を打つことはない。
「イリね、角(かど)をとりゃいいというものではないよ。ほら、こんなに黒が白になっちゃた」
とうれしそうに言う。半分馬鹿にしている。それでも角(かど)とりを目指すと
「あのさ、馬鹿の一つ覚えで角(かど)しか頭にないの?まるで北朝鮮と同じだね」
「なんで?」
「北朝鮮はミサイルしか打たない。笑っちゃうね。」
「それ、親父の言葉だろう?ちょっと、親父呼んで来い!」
「パパは大事なお仕事しているの。こんなところには来ないよ」
「こんなところ?おい、表に出ろ!」
「まあまあ、大人げないよ、山ちゃん」
「皆さん、時間ですよ。おもちゃをかたづけて帰りの会始めますよ」とマネージャの声。
「よしゃ、山ちゃん、今日はこのくらいにしておくよ」
どう見ても黒の数が優勢なのだが・・・
こうして60年の悠久の時を経た1年生との戦いは終わった。
第206回「二十四の瞳」(2022年12月4日)
1年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半も前のことになる。世の中のできごとはといえば、緊急事態宣言が出され、外出の自粛をよぎなくされていたが、ワクチンがやっと承認されようとしていた。そんな中、海なし県のサッカーの街へ年老いた男のコーチが赴任してきたのである。
さいたま市や川口市に住むバンビーニの子供たちは、4年生までは駒場競技場に通い、5年生になったら水曜日の舎人公園陸上競技場にも通うようになる。コーチはさいたま新都心から自転車で20分かけて浦和の駒場競技場に通う。サングラスをかけ自転車で通うモダンなコーチを見てこどもたちは目を輝かせるが、保守的な大人たちは目をそむけた。
バンビーニの長距離には当時可愛い4年生4人と3年生の8人がいた。練習中コーチは彼らの記録をメモした。キラキラした二十四の瞳が、コーチを見つめていた。こどもたちはコーチに亀仙人のあだ名をつけていた。
こどもたちとの毎日は充実していた。コーチとこどもたちはたくさんの練習を行い、競技場や野外での練習を楽しんだ。コーチは練習しすぎるという大人たちの冷たい視線に落ち込むこともあったが、純真なこどもたちの二十四の瞳を思い出すと元気が出るのだった。こどもたちも、決して恵まれているとはいえない背丈の中で、懸命に練習してきた。
練習は厳しくこどもたちは途中で疲れて泣き出してしまうことがあったが、のちにコーチのために強くなるというこどもたちの健気な気持ちを知り、胸を打たれたのであった。コーチはこどもたちにきつねうどんを振る舞い、みんなで記念撮影をした。
その後新型コロナは色々な変種に変わり、経済は麻痺し日本の巣ごもり主義は激しさを増し、大会は次々と中止になっていった。
そんな中ひたむきに練習を続け今年の大会で強化指定をとったメンバーの呼びかけにより、12人が集まった。会合では、ケガから塗炭の苦しみを余儀なくされた者、勉強のし過ぎで視力が悪くなった者など時代の傷を背負って育った教え子たちは、コーチを囲んで小学3,4年生のあの日皆で一緒に撮った写真を見た。
ジュースを飲みながら1人の女子が、厳しい練習についていくしか強化指定選手として生き残れなかったことを振り返り、ZARDの「負けないで」を歌った。その中で目を悪くした男の子が一人一人名前を呼びながら写真の顔を指さすが、少しずつずれていた。
コーチが「そう、そうだ、そうだ」と笑いながら肩を抱いて、歌を聞きながら涙がほほを伝うと、皆はしんとし、歌った同級生に女の子がしがみついて、むせび泣いた。
バンビーニ版「二十四の瞳」には後日談がある。
この12人の選手が2チームに分かれて駅伝チームを作ろうと言い出したのだ。皆で「伝統」というものをつくりたいという。黙食、1m以上の間隔、大声の禁止など、これでは思い出は作れない。駅伝を走りタスキを手で渡し「任せたぞ」「おお、任せておけ」の声を出してゴールして皆で肩を組んでオイオイ泣いてみたい、そんな思いからチームを作らせてくれと言ってきた。このひと月タスキを挟んでよりひとつになった。
大会当日、Aチームの走りを見ながら走っていたせいかBチームも予想以上に頑張った。そのため7位に入賞することができた。Aチームが準優勝できたのもBチームが7位に入ったのも、すれ違った際のお互いの目での応援、すなわち“二十四の瞳”があったからだ。大会が終わって、泣き笑いしながらまた皆で記念撮影をした。
12人の物語はこれで終わりだが、何十年か後に人生で困難に接した時、この駅伝のときに撮った記念撮影の写真を見て泣くことがあるかもしれない。
しかし、その時私はもういない。だから、今から言っておきたい。
「この時の努力と感動を思い出し、今の困難を乗り切りなさい。
山で道に迷ったら確信のとれるところまで戻ってまた登ることが鉄則だ。そのまま突き進むのは愚の骨頂に過ぎない。
人生で迷ったら、栄光の出発点になった駅伝の日まで戻りなさい。写真を見るだけでいい。ライバルたちと比べたら出遅れているかもしれないが、君は長い距離を得意としてきたじゃないか、まだ間に合う。頑張れ!」と。
第205回「Snow Man」(2022年11月26日)
長距離は皆で走ることで集団効果がもたらされる種目である。
佐久長聖高校、世羅高校など駅伝名門校では、これまでに成功者を多く生み出し、その環境下で練習すれば新入生もいつしか「先輩のように強くなれる」と思っている。
青山学院大では、TVで見ていた箱根の選手が合宿所で同室の場合がある。「自分にとってのスター」が身近にいるわけだが、スターがいればそのノウハウを自分のモノにするとき、成功のイメージが具体的に浮かんでくる。スターと一緒にいるだけでも刺激をもらい自分のレベルが上がることが多い。
スポーツだけでなく芸能界でもそれは言える。バナナマンはコント赤信号の、、有吉弘行はオール巨人の、井ノ原快彦は稲垣吾郎の、松平健は勝新太郎の付き人だった。
世界の長距離界を引っ張っているケニアでは、通常の練習方法は集団走がメインである。先頭の選手たちと一緒にできるだけ長く走るのが下位選手の練習方法でもある。
「いい天候で、高地で、幼少期から走っていて、同時に才能を持った人たちが集まる。才能を持った人は、すぐにその才能を試し、勝利に向けてメンタルを鍛え始める。ここにいる選手たちは、隣に常に世界クラスの選手がいる状態だ。“彼が走れれば、自分も走れる。彼が勝てれば、自分も勝てる” 。周りにたくさんの世界レベルの選手がいるということは、自分の自信に繋がるということだ」とケニアの選手は言う。
しかも、ケニア人のトレーニンググループは練習メニューのすべてが終了するまでに多くのランナーがドロップアウトするのが普通である。その後集団走から離れて速い選手のイメージを持って、自分で練習するのである。
集団走については賛否両論があるが、バンビーニではそれでこどもたちが速くなったと思っている。
通常小学生が一人で練習する場合、練習計画をつくるのは親である。コーチである親は、他人を気にすることなく距離・ペース・時間・などをこどものために自分でコントロールすることができる。また、親はこどもの性格や体調および食事などすべてを知り尽くしている理想的コーチである。
しかし、こどもが不調になったとき、血縁という強みが逆に大きな弱みになることもまた事実である。大会で不本意な結果となった場合、24時間365日選手のそばにいるコーチであるから、こどもは気が抜けない。緊張感から解放されるためには陸上をやめるしかないという極端な選択肢しか残らなくなる。
親も順調に記録を伸ばしてきたこどもの落ち込みにどう対応していいかわからなくなるであろう。結果これまでの厳しいトレーニングをまろやかなものにしてしまう。ましてや反抗期になったらさらに問題解決が難しくなってしまう。
赤の他人であるからか、その点クラブのコーチは冷めている。「やれと言ったらやれ」と突き放した言い方もできる。時にはクラブに任せるのも不調解決法の一つでもある。 たとえば気温が低く雨が降っている日は、単独走のモチベーションを高めるのは難しい。モチベーション向上に効果があるのはグループでの練習である。
ランニングクラブに加入した場合、クラブにはコーチがいるし、様々なレベルのランナーがいる。クラブに入るとルート・ペース・距離などを親が自分で計画する必要がない。煩わしい計画というプレッシャーから解放される。
また、こどもはたとえコーチに怒られても2時間たてば解放される。週2回くる子でも次回会うのは3日後だ。それだけの時間の経過があれば怒ったことも怒られたこともお互い忘れてしまう。
集団走のメリットは技術やペースについて学ぶことであり、速い選手と一緒に走れば、よりハイスピードで走るという機会となり、充実した練習となる。他者からの適度なプレッシャーによる刺激を意味する。トップアスリートたちがグループで競い合いながらトレーニングするのはこれが主な理由である。
速いこどももこれまでライバルとは思っていない子が一緒についてくるようになれば、負けずと自分のペースを上げ、相乗効果が生まれる。普通の子は一緒に走ることで、速い子の息遣い位置取りなどを肌で感じるのである。自然と相撲で言う“見取り稽古”となっている。こうして速い子を核にして皆は雪だるま式に強くなっていく。
今バンビーニでは5年生を中心にこどもたちが力を伸ばしている。長い下積みの時代を経てスターになったグループと重ね合わせて、長時間の練習で速くなっていくこどもたちを私は”Snow Man”と呼んでいる
第204回「黒い羊」(2022年11月19日)
白い羊の中にたまに黒い羊が産まれることがある。黒く色づいた羊は、群れの中で目立つ存在であり、加えて、黒い羊毛は染色できなかったため、旧来より価値の低いものだと考えられていた。このことから集団の中で好ましくないと見なされる特徴や、欠点を持つ成員に対して使われる言葉として「黒い羊」という言葉が生まれた(ウイキペディアより)。
たった40名くらいの集団(学童)でも黒い羊(異質なこども)はいる。
どのような黒い羊かというと、我々も手を焼く「感情が抑えられないこども」がまずあげられる。
自分がやりたいことができないと、ふつふつと怒りの感情が込み上げてくるのだ。大声を出し涙を流し物に当たる。困った男なのだが、怒りが爆発する前に蓋をすることはできる。私とオセロで遊んでいると強引に2年生が私を連れ出そうとする。口をまげ眉間にしわを寄せ始め、こりゃ危ないなと思った時に「ダメだ。俺がN男とやることに決めたのだ。だからあっちにいけ」といえば納得して笑顔になる。それも涙が出る寸前までが限界で、涙が出ると私でも無理だ。爆発したらしばらくは私の言葉も耳に入らず、私は爆風や熱湯を浴び続けることになる。だからこどもたちはこの子に極力近づかない。
以前会社勤めのとき部下にこういうタイプのものがいた。挨拶から仕事の取り方まで教えていたが、ずいぶん我慢していたのだろう。飲み屋で先輩が「だから、お前は入山さんに迷惑をかけるんだ」と説教をし始めた。始めは大人しく聞いていたようなので、放っておいて女の子と談笑していたら、「なにー!」と声が聞こえたので振り向いた瞬間ビール瓶を数本テーブルから振り払い床にビールをまき散らした。想像していない光景だったので「どうした?」と聞いたらその部下の目が吊り上がり下がらない。こころの状態が目尻を吊り上げ、弁慶が1人戦っているような状態で立っていた。その異常さはわかったので、気の利く女の子に彼を駅まで送らせた。翌日辞表を持って私のところに来たが、目尻はまだ吊り上がっていた。目尻が下がったのは翌々日だった。もう誰も彼のそばに寄らなくなった。辞表は私が握りつぶした。人事と相談して他の部署に配置替えをしてもらい、心機一転やり直せとアドバイスした。しかし、後年結婚もするが逃げられてしまい、その後退社した。
そんな大人にならなければいいがと願っているが、やめた男と違うのは、自分の気持ちが抑えられない反面自分の気持ちを素直に表す。学童に途中から入ってきた女の子に対して、「僕S子ちゃん大好き。学童に入ってきてうれしい」と自分が好きな子には照れずに好きだという。ただ、N男はぐいぐいいくのでS子が辟易していることに気づいていない。
次に、可哀そうだが「主張が全く通らない子」がいる。
鬼ごっこを主張しても誰も聞いてくれない。遠慮気味に小さい声でしゃべるから主張が聞こえない。鬼ごっこが終わる頃入って来て「代わり鬼がいいなあ」というがもう終わるのだからシステムを変えるのは面倒くさいと思っているので、皆は否決はしないが応えない。そうしているうちに外遊び終了の笛がなる。
たまに参加しても足が遅いので誰も捕まらない。だから最初は参加をちゅうちょする。しかし、根は好きなので入りたいが決断が遅く、参加を決めた時は終盤になっていることが多い。途中で入った者はまずは鬼になるが、彼は通常1人も捕まえられずに終了してしまう。
トランプでも「7並べ」か「ババ抜き」かを皆で決めようとしているときに、「神経衰弱」しようと言って入ってくる。どちらかというと間が悪い。自己主張の強いグループの中では難しい存在だ。ひとつも思い通りに進まない。場の雰囲気がわからず「雑踏の中の孤独」にさいなまれている。他のこどもたちは無視しても怒らない彼への対応を心地よく感じているみたいだ。
最後に「意地っ張りなこども」がいる。
意地っ張りなこどもは損をしている。先生が注意しても聞かない。素直に「ごめんなさい」が言えないのだ。注意されて愁傷な顔でもすればゆるされるのに、気に入らないと反対方向を向いてしまう。
やるなということをわざとすることもある。本を片付けろと言っているのに、2冊目を本棚から出してくる。本を取り上げてもすぐに取り返す行動に出る。そのうち先生の怒りは増してくる。はた目にも先生の心の中で怒りが爆発しているのがわかる。そのうち声も大きくなってくる。もうあとは説教ではなく自分の感情をこどもにぶつけている。腕をつかんで強引に自分に引き寄せて話を聞かせようとする。こういう子は泣きもしない。その態度に我々がいなかったらきっと頭を叩いていることだろう。感情が抑えられない。
あれ?どっかのこどもと同じだよ。
大人になると、黒い羊は落ちている白い毛を身にまとい、白い羊として存在しているようだ。
第203回「是非に及ばず」(2022年11月12日)
600mに出場したルイが1分47秒の指定記録にあと0.2秒のところで指定選手枠を取れなかった。前の選手は1分46秒89であったし、右隣の選手は同タイムであったがルイが胸を出した分写真判定でルイが勝っていた。
限界、限界と大げさに大人は言うが、所詮限界とはこの程度の差なのだ。正式タイムを聞いたときはルイの周りの電磁場が乱れ、ルイを大きく揺さぶったことであろう。世界中の不幸を一身に背負った思いであったろう。しかし、あとわずかという時間の残酷さは歴史上ルイだけではない。あと少しで天下を逃した人間とくらべれば、0秒2はたいしたことではない(奇しくも大会のあった11月6日は信長まつりが岐阜で開催されていた)。
1582年、織田信長が数名の臣下とともに本能寺に宿泊をしていた明け方のこと。信長は、明智光秀の軍に周囲を囲まれ、襲撃を受けた。側近の森蘭丸が「謀反!敵は明智光秀なり」と伝えると、その時信長が放った言葉が「是非に及ばず」だった。後世「光秀のような周到な人間の企てたことなので逃げることができない、仕方ない、あきらめた」と解釈された。
あと半年生きていれば毛利も屈服させ九州征伐も終わって天下統一ができたのに、その無念さはいかほどだっただろう。
しかも、森蘭丸に介錯をさせ自害した信長の潔さは決してまねすることができない。私ならあとわずかなのだから、なんとか逃げようと考える。縁の下に穴掘って隠れるか女中に変装して逃げようとし、結果敵に見つかり生き恥を天下に晒したことだろう。人生あきらめることも必要だ。
ルイはきっとまだイジイジしているのだろと思って、私はたくさんの励ます言葉を持ってきた。しかし、水曜日に練習に来たルイは、これまでの彼とは思えない饒舌な明るい姿に変身していた。夜空ではお月様も地球に隠れた昨日の赤暗い皆既月食から、煌々と輝く普段のお月様に戻っていた。
お母さんの話ではここ1ヶ月大会の朝まで家では無言で家族から離れていたそうだ。大会から帰って恐る恐るルイを見たら、鼻歌が出て食事中も冗談が出てお風呂では大声で歌っていたという。
ここ2ヶ月間の練習ではケガの箇所を何度も気にしていたし、私から1分9秒で400mを通過しろと言われたがそれがかなわず毎回怒られ涙がこぼれる日々が続いていた。今になって相当のプレッシャーだったのだろうなと考えるとかわいそうな気がした。大会は一度も練習中出せなかった1分9秒で400mを通過した。450m~500mで一度失速したが最後追い上げた。その結果としての0.2秒だ。見事復活と言っていいタイムなのだ。励ますたくさんの言葉は無駄になったが、吹っ切れていてくれてありがとう。
小学生の強化指定大会はもうない。潔くあきらめよう。しかし、中学生の強化指定大会はこれからたくさん待っている。練習をしっかりやりそれに向って前に進もう。12月で小6はバンビーニを卒業だが、やる気があればあと4ヶ月半お手伝いさせてもらうよ。
「是非に及ばず」の言葉にはもうひとつの解釈がある。
気がついた時にはすでに敵に囲まれ打つ手のない状況だったことから、「是非に及ばず」は信長の「仕方ない」という諦めの気持ちであることが通説とされてきた。しかし、その直後、自ら弓を持ち雑兵と戦ったことから
1. 攻めてきたのが本当に明智であるのか考えても仕方ない
2. この場で明智の襲撃の善悪を論じても仕方ない
3. 相手がだれであれ攻め込んできた以上は戦わなければ仕方がない
長く持ちこたえれば味方が駆けつけてくるかもしれない。「是非に及ばず」という言葉は、つべこべ考えず「まずは戦え」との奮励の言葉だったという解釈もできる。
光秀は信長の首を晒せば謀反を正当化できたのだが、信長は自害し火をつけ跡形もなく消えていってしまった。それは信長が光秀に対して加えた最後で最強の攻撃となった。そのため信長は生きているというフェイクニュースを秀吉に流がさせられ、光秀に味方する武将が出なかったのが、光秀最大の失敗であった。
ルイよ、今回は「是非に及ばず」(あきらめよう)だ。しかし、今後も「是非に及ばず」(つべこべいわず練習しよう)だ。この言葉を君に捧げる。
第202回「もう一つの発達曲線」(2022年11月5日)
バンビーニに入ってくるこどもの中には「全力走ができない」子がいる。それも1人だけではない。1000mのタイムトライアルをやらせてもゴール後息も切れていないし、休憩時間に鬼ごっこか何かで遊ぶ。何度もそして強く怒ってもダメだった。しかし、ある大会で3組目で出場し自分が皆を引っ張る立場となった。その時は最後まで力を抜かなかった。いや、抜けなかった。ゴール後動けなくなったが、これが全力を出し切ったということだ。それ以降練習ではゼーゼー、ハアハアと毎回うるさいくらいになった。
こどもは楽をすることを選ぶ。こどもだけでなく大人も含め人間すべてがそうかもしれない。しかし、速く走れるこどもは目標を達成するために忍耐や我慢をすることを知っている。
忍耐をしたり我慢をすることを示す「粘り強さ」は、IQや才能には無関係でかつ先天的なものではなく誰でも意識すれば得られるものだ。人生何度も失敗をして晩年大企業の社長になった人がいる。しかし、スポーツにおいては、大学生になってからこの能力(粘り強さ)が得られるとは思えない。
たとえばラグビーで成功した人間は小学生の頃から、先輩たちが血を流したり骨折をそばで見ており、ラグビーをするならば多少のリスクは仕方のないことだと自分にいいきかせてきた。高校や大学になって足が速いからとか体が大きいからだと言ってラグビーを始めても成功する確率は低い。負傷する人間を見てしりごみしたり目をそむけたりすればラグビーは強くなれない。ラグビーでは小さい時から恐怖心や過酷さに耐えないといけない。
つまり、スポーツおける粘り強さは幼児期、低学年からつけさせるべきだと思う。
人間はおおむね3歳頃になると自制心が育ち始めるので、4歳になると自分の思いを我慢して周りの状況やルールに合わせた行動ができるようになる。
そして、認知力や言語力がより発達し、目の前の状況や言葉をより深く理解できるようになる(コーチの言うことを理解できる)。未来を想像する力がつくので、自分の希望や達成したいこと(大会で優勝することなど)に向けて我慢したり、頑張って取り組んだりすることができるようになる(練習を真面目にこなす)。
だから、ものごとを判断し、想像し、自制できるようになる4歳頃から「粘り強さ」を育てるべきだ。
粘り強さがない子は練習をやらせてもすべてこなせない。バンビーニでも途中で練習をやめる子がいる。足やおなかが痛い等を理由とするが、何回も言うので無視して走らせるとそのうち「トイレ」と言い出し、何とか練習を完遂させようとしてきた私もこの言葉であきらめてしまう。
その点、小1のH男と小2のH子は絶対に手を抜かない。本数はすべてこなす。高学年が10本のところ彼らには7本にして量を調整しているが、気づくと10本すべてをやっている。
しかも、2人はお互いをライバルであると意識している。
ある日H男の調子が悪くすべてH子に抜かれた時、走りながら泣いていた。次の週はリベンジとばかり家を出る時から気合が入っていた。一方は気合が入り一方は暑さで体調不良では勝負は見えていた。今度はH子が全部負けた。予想通りH子は帰りの車の中ではボロボロだったらしい。
H男は全力走あるいは力を出し切る能力に長けていて、少しきつめのインターバルでは毎回次のような状態である。
この写真を見るとスパルタとかやらせ過ぎという非難が起こるが、このあと休憩時間が終わってまた走り始める頃には元気いっぱいスタートラインに並ぶ。私を非難する前にこの子をほめてほしい。
H子はあまり表情を変えないが、終わりという声がないかぎりやめない。通常2組で練習するが1組目が終わる頃にはもうスタート近くにいる。よく掲載する写真だが誰かがスタートラインに着くのが遅く、私のスタートの合図ができない状態になっている場面であり、「早くしてよ」と無言の催促をしている態度である。勝気はある意味努力至上主義の表れだ。
10月30日の練習では1年生のU子がずっと泣きながら走った。「辛いか?」と聞くとしゃべらないがうなづく。「じゃ、次やめていい」というが、やめない。考えてみれば、1年生と言っても2月生まれだからまだ6歳、実質幼稚園児と同じなのだ。400mのインターバルができる幼稚園児が何人いるだろうか。重要なのはタイムではない、やり遂げる心意気だ。きっとこの子なら5年生になったらどんな練習でも簡単にこなすことだろう。
さぼる子とそうでない子で根本的に違うのは、忍耐力、すなわち目的のため(強化指定選手になること)に我慢する(言われたメニューを完遂する)気持ちを持っているかどうかだ。
その粘り強さの年間発達増加量(精神的心理的な面のため数値化はできないのでイメージ)は下記のようになると思われる。
これは幼児期、低学年に持久走トレーニングをすることが正しいか否か以前の問題で、経験的に言えるスポーツにおける「もう一つの発達曲線」(「粘り強さ」の発達曲線)である。
人生における粘り強さは遭遇する困難によって生涯の間鍛えられるが、スポーツにおける粘り強さは、幼少期に身に付けなければ体力の低下とともに衰え、そしていつの日か消える。
第201回「お~い!突っ込んでよ!」(2022年10月29日)
学童でいたずらをするこどもがいると、間髪入れずお尻を叩く。外遊びのときは帽子のつばを思いっきり叩く。叩くと泣きそうになるがその時は必ずこう言う。
「叫べ、わめけ、そしてひざまずけ!ゆるしを乞うのじゃ。社会がゆるしてもこのワシがゆるさん。我は神なり、ハレルヤ!」
だいたいこういうと意味が分からないためか意地が出てくるせいか、泣かずに終わる。泣くとマネージャが飛んでくるからややこしくなる。
ある時これを聞いていた1年生のS子は
「イリ、イリはカミナリ様なの?」
「なんで?」
「だって、我は神なりといっているから」
「・・・」
外遊びの際、列の先頭にいる私の影をわざと踏む子がいる。
「ばきゃやろう、昔から『三尺下がって師の影ふまず』という言葉があるんだぞ。少しは尊敬しろ」
「なにそれ?『しのかげふまず』って、『死の影踏まず』ってこと?イリはもう死んでいるの?・・・お~い、皆!イリが死んでいるんだって」
「・・・」
こうやって突っ込んでくれると助かるのだが、こどもの場合そうでないときがある。
宿題の時間、勉強をさぼって「かいけつゾロリ」を読んでいる子に対して
「おい、しっかり勉強せぇ」
「何で勉強するの?」
「馬鹿だなぁ、そうしないと俺みたく偉くなれねえぞ」
「・・・」
(お~い!黙るなぁ、ここは突っ込め!)
バンビーニでは、こどもらにインターバルをやらせると必ず
「じゃ、コーチも走ってよ」という。
10年若ければ走ってもいいがもうそんな歳じゃない。そこで
「俺は若い時は人一倍走った。神様はその努力を知っているから『入山、もうそんなに頑張らなくていいんだよ。もうお前は十分努力したんだから。無理しなくていい』と神様がいうので、俺は走りたくても走らないんだ。もうこの歳になると神様の言うことには従わないとね。そもそも神様は・・・」
こどもたちは諦めて走り出す。
小さな女の子が「コーチは学生時代モテたの?」と聞くものだから、
「ああ、モテたよ。俺は陸上部だったから、高校のときはすごいのなんのって。うちの高校はグランドの周りにグリーンベルトがあり、そこに桜やハナミズキなどの木が10m置きに植えてあった。グランド全体では50本くらいあったかな?その1本1本に1人ずつ女の子が隠れるようにして俺を応援しているんだ」
「ふむふむ、それで」
「最初は無言で応援していたのに、自分の感情に勝てなかったんだろうな、『いりやまく~ん!』て声を出してしまった。無理ないよね、女子高生だもんね。その女の子を皮切りに皆が声を出し始めた。みんな一様に『いりやまく~ん!』って言うんだ。だから「いりやまく~ん、いりやまく~ん」って、まるでイリヤマゼミが泣いているようだった。他のクラブに迷惑がかかるので、みんなの練習の邪魔になるよと注意したら、今度は俺が走り出すとサクラの木から順番にハナミズキの木が終わるまで拍手するようになった。今から思うと球場で起こるウエーブのような感じだったな」
「ふ~ん、そうなんだ。じゃ、バレンタインのチョコレートは一杯もらったの?」
「ああ、もうそれが大変だった。持ちきれないので親父に軽トラを出してもらって持ち帰ったよ。あまりにも多く入山家でも食べ切れないので近くの老人ホームにあげた」
「じゃ、ホワイトデーが大変だったんじゃないの?」
「うん、でも皆ウインクでいいというから、ウインクでお返しさせてもらったよ」
「ふ~ん。すごいね」
(お~い!ここは突っ込んでよ!)