バンビーニ陸上クラブ

小中学生対象陸上競技専門教室
 048-783-2989
お問い合わせ

インターバル 第65回「卒業」(2020年4月3日)

65回「卒業」(202043日)

学童の話

3月も終わりに近づき今日で最後という男の子がいた。頭がいいわけではないが人柄がいいので気になる子であった。他の子とくらべて雰囲気を察することに長けていて、場を和ませようとか盛り上げていこうとかを意識している子どもである。時には異常なくらい盛り上がる子なのでうるさいので叱るほどだ。

連絡帳返しという1日の最後のセレモニーの時に、手を挙げて皆にお礼を言いたいとして挨拶を始めた。小学2年生の男の子である。3年間勤めて初めての光景である。私がいつもの時間になったので帰ろうとした時、その子が手紙をくれた。「学どうの人へ」という表題だったのだろうが、「学童の入へ」と書いてあった。あまり漢字は得意ではないので「人」と「入」を間違えた。皆は「学どうの入(山先生)へ」と思ったのだろう(通常子どもたちは、自分と同等以下という位置づけなのだろうか、私を『入(イリ)』と呼ぶ)。読んで読んでとせがまれた。

「そうか、面倒みたからなぁ」と思い、封筒を開けて読んでみた。「学どうの入へ。2年間ぼくのめんどうを見てくれてありがとう(そりゃそうだ、お前が2番目に手がかかった。:カッコ内は私の心のつぶやき、以下同じ)。ふな木先生、つのせ先生、池田先生、名くら先生、ぼくとあそんでくれて楽しかったです(私の名前は後で出てきて他の先生より一番お世話になったという、よくある修辞方法だ)。けんかもしました。公園にも行きました。きっとぼくの思い出としてのこると思います。(おいおいそろそろ私の名前を出さないと文章終わっちゃうよ)・・・(略)・・・お元気で」

(便箋は2枚ない、裏も見たが書いてない)これで手紙は終わってしまった。

何か“森の石松”の話(*)のように自分の名前がいつ出るか出るかと引っ張られた挙句、無い。「お~い!俺の名前がないぞ!」先生方は大笑い。その子はやっと気づいて「ごめんなさい」と小さな声で謝ってきた。

小学3年生の女の子は甘え上手だ。容姿は十人並みだが小学3年生とは思えない、笑い方やしぐさに大人っぽさがある。他の女の子には絶対にマネできない。同学年の女の子には嫌われるタイプなのだろうな。校庭で遊ぶとき「私を追いかけて」と促して逃げる。無視したらかわいそうだよなと思って追いかけていると、それを冷静に見ているもうひとりの自分がいた。「これじゃ『大きく年齢の離れた女(ひと)と再婚した小金持ちのじいさん』みたいで恥ずかしい」と思いながら追いかけている。この子も3月一杯であった。私の手をとったり後ろから平気で抱きついてくるこの子でも、半年後には道で逢っても無視されるのだろうな。それが学童という世界の宿命だ。

博打打みたいな子もいれば数学や絵の天才的な子もいる。また学力などは平凡だが周りに気を配る天才もいる。甘え上手な子もいる。学童は千差万別な子どもの集団と言える。

*)浪曲に「石松三十石船」という演目がある。大阪の八軒家から淀川を遡上して京都の伏見へ渡す三十石船(米を三十石積める大きさの旅客船)に乗り込み、石松は寿司を肴に酒を飲んでいると、乗合衆の噂話が聞こえてくる。海道一の親分は誰かという話題に神田生まれの江戸っ子が次郎長の名を挙げたのがうれしくて石松は彼に酒と寿司を勧めた。この場面は「江戸っ子だってねえ」「神田の生れよ」「寿司を食いねぇ」のセリフと共によく知られている。清水次郎長が海道一の親分でいられるのはいい子分が揃っているからだという江戸っ子に石松は子分の中で誰が一番強いのか尋ねる。一番は大政、二番は小政ときて、大瀬の半五郎、増川の仙右ヱ門、法印の大五郎となかなか自分の名前が出てこないのに石松はだんだん不機嫌になっていく。しつこく尋ねる彼に「下足番じゃあるまいし」と素っ気なく答える江戸っ子にとうとう堪忍袋の緒が切れた石松は振る舞った酒と寿司を取り上げて「誰か一人忘れちゃいませんか」と大騒ぎ。江戸っ子が再度暗誦すると「大政、小政、・・・そうだ遠州森の石松」。やっと自分の名前が出てきて大喜びの石松に江戸っ子が「強いにゃ強いがあいつは馬鹿だからなぁ」というのがこの浪曲のオチである。

森の石松.jpg振り返る女.jpg

64回「免疫力」(2020328日)

昭和30年代東京オリンピックをアジアで初めて開く五輪として日本中が盛り上がっていた頃、我が家もたくましく生きていた。

私が小学生の頃はビー玉遊びが全盛期だった。このビー玉遊びは相手のビー玉を当てるのであり、当たれば当たった方がその対角線上に飛ばされる。するとビー玉はドブに落ちる(当時のドブは排水を目的とした溝状の水路である)。とぎ汁やニンジンなどが流れてくる。家の前のドブ浚い(どぶさらい)は各家の責任なので、無責任の家の前のドブはヘドロ状になっている。そこに相手のビー玉が落ちても自分のビー玉となるので平気で手を突っ込む。それをポケットに入れてまた遊ぶ。せんべいをばあちゃんが持ってくると皆で食べる。手を洗う暇などない。食べたらまたビー玉。ポケットの周りは泥だらけ。ばあちゃんはそれを見ても怒らないし注意もしない。よくもまあ病気にならないで済んだものだ。

転んで傷ができてもばあちゃんが唾をつけて終わりだった。白い泡をふくオキシドールより効果ありと教えられていた。喉が痛ければうがい薬ではなくネギを首に巻いて寝かせられた。風邪をひいてよかったと思うのは、ばあちゃんがりんごを布巾で絞って作ってくれたりんごジュースを飲めることだった。

ばあちゃんは明治の女なので強かったが、お袋は戦争をくぐりぬけた女だったからもっと強かった。戦争でアメリカのグラマン戦闘機が川崎に墜落した時、低空を滑走する際、ほうきをもって追いかけたという女だ。

ある時食事中にゴキブリが出た。当時のゴキブリは図々しく明るい所でも出没した。新聞紙をまるめてやっつけるのが常識だが、そんなゴキブリにとっての常識は我が家では通じない。新聞紙を丸めているうちに敵は逃げてしまう。子ども達が騒いでいる時にお袋は素手でゴキブリを叩きつぶした。唖然として見ていた我々の前でごみ箱までゴキブリを運んで捨てた。さすが戦争を経験した女だ。問題はその後だ。当時はティッシュというものがないので、ティッシュで手をふくこともなく、ただゴミ箱の上で手を叩き敵の残骸を散骨しただけで、その手で私の茶わんにご飯をよそった。いまでこそぞっとする光景だが、当時はすごいなぁと感心するだけだった。

当時の家は長屋を改造したもので屋根裏は通じている。ネズミの運動会が毎日行われている。あの音は実際に聞いてみないとわからないと思うが、トムとジェリーの世界だ。猫いらずなどの対策はしていたようだが、どこでどう察するのかなかなか食べない。やはりネズミ捕りが一番だ。捕獲した後の処理はご存じだろうか。100%水死である。近くに用水があるのでそこにネズミ捕りごと紐をつけて沈めるのである。5分間くらいつけたらネズミは死ぬ。そしてゴミと一緒に捨てるのである。当時は分別の必要はなかった。

子どもの頃はドブ、ゴキブリ、ネズミなど非衛生的な世界が広がっていた時代だった。だから我々の時代の子ども達は少しくらいのバイキンなら自然治癒の範囲だった。

 インフルエンザの遺伝子異常であろうコロナウイルスに戦々恐々としているのは、人類が弱くなったのだろうか、それともウイルスが強くなったのだろうか。考えさせられる今日この頃である。

免疫力(ビー玉、ゴキブリ、ネズミ).jpg

63回「ケガの予防には」(2020321日)

スポーツの話

先日の練習で転んで足首を痛めた選手がいました。後続ランナーとぶつからないようにダッシュの後、急な角度でフィールドに入ったことによる転倒です。翌日の病院では靭帯損傷とのことで3週間の安静が必要とのことでした。

 今回はスポーツ選手のケガについてお話ししたいと思います。ケガについては以前お話ししました(第19回「ケガ」)が、今回の件からもう一度お話ししたいと思います。

一般にスポーツのケガには今回のケースのように1度で大きな力が加わる事で起こるものと小さな力が繰り返し加わる事で起こるものがあります。前者は一般的にスポーツ外傷、後者はスポーツ障害と呼ばれます。

 では、スポーツ障害とはどんなものでしょう?

それは、スポーツをする人なら当たり前のように繰り返す動作によって加わる力です。

 1.野球選手が何十回・何百回と繰り返すボールを投げると言う動作。

 2.バレーやバスケの選手が何百回・何千回と繰り返すジャンプと着地動作。

 3.サッカー選手が何百回・何千回と繰り返すキック動作。

 4.陸上競技ならランニング動作、つまり何百回・何千回・何万回と繰り返す、地面を蹴って身体を前に運ぶと言う動作。

これらを繰り返す事でケガが起こるのです。これだけを聞くとスポーツ動作自体がケガの原因? と言う事になります。では、スポーツをしている人がみんなケガをしていますか? 答えはNO です。

ケガをするには繰り返し行う動作の中にちょっとした問題がある場合が多いのです。

 走ることを指導されてない子はちょっとしたクセや個性を持っています。それは身体の負担のかかる場所の違いとなり、積み重なる事でその部位の痛みやケガの原因となります。

このちょっとしたクセや個性を形づくっているものは、関節の硬さや柔らかさ、微妙な骨の配列の違い(O脚やX脚など)、筋力の強さや弱さ、それまでの運動経験、育ってきた生活環境……と様々です。

 同じチームで同じ練習をしていても、痛みの出る選手・痛みの出ない選手がいます。どこのチームにも必ずと言っていいほど故障の多い選手がいると思います。ケガの多い選手・ケガの少ない選手 この違いは何でしょう?

筋肉・腱・骨・靱帯など組織の強さの差は1つの要因として考えられます。少々の力を加えても平気な関節や・筋腱を持つ選手もいるでしょう。長時間走るとふくらはぎが疲れる人がいれば、向うずねの前側が疲れる人もいます。脚よりも先に腰が辛くなる人もいます。腰よりもう少し上の背中が辛くなる人もいます。

ただ、走ると言う運動だけでも、人それぞれ負担のかかる場所は違ってきます。

だから、バンビーニ陸上クラブでは入会してすぐに腕振りや前傾姿勢や膝の上げ方などを徹底的に直します。正しい姿勢が体に優しいのです。速い選手に奇抜なフォームで走る人はいません。愚直に正しい姿勢で走ることがケガをしない面でも重要です。

以前ドナルドダックのようなガリ股で走る選手を指導したことがあります。静止の状態でつま先が外を向いているのです。空手をやっているためガリ股になっているとのことでしたが、指導困難な選手でした。基本のモモ上げができないし、ストライドを伸ばせないのです。あのままやっていたらいつかケガをしたでしょう。お母様に報告するのは辛かったのですが、空手に専念してもらうことにしました。

 スポーツ障害はスポーツ外傷と異なり予防が可能です。ランナーの場合には、いつも履いている靴を見ただけで、どこに障害が現れているかがわかるのです。障害を予防するには、インソールを作ることが一番です。靴の外側が減っている人には外側のアーチを、内側が減っている人には内側のアーチを高くすれば、地面に対して足がまっすぐに着くので障害を減らせるのです。偏平足の子には真ん中にアールをつくってあげるのがベストです。

 ケガで泣いた選手を多く見てきました。せっかく才能があるのに残念でなりません。でも、大人になって開花するのが陸上競技です。焦らずゆっくり体を鍛えて私の目が間違ってないことを証明してください。

ガリ股・偏平足.jpg

 

 

62回緊急報告「コロナウイルス下の学童の状況」(2020314日)

学童の話

いま話題の学童について実態を報告する。春休のシフトは先月決定していたが、今回の休校につては他の学童と同じく準備していなかった。緊急事態なのでスケジュールについてはすべて対応すると学童には申し上げ、国家存亡の時だと意気込んでいたが、実際は拍子抜けだった。

実際に対応した32日~13日については、児童の出席率が思ったほど高くないのだ。普段だと定員31名のところ2430名が出席するが、今回の休校対応においては12名が平均の出席数である。

子どもを学校が預かる場合でも通常の学童の登室時間(だいたい14時頃)には子供を帰す。この14時過ぎに来る子をあわせても1415名ほどにしかならない。

この会社の他の児童クラブ(5つくらいあるが)はもっと少なく、それぞれの平均出席数は310名である。

これは親が学童での感染を嫌って親戚に預けたり自ら対応していることが主な理由である。

確かに学童では2m間隔で生活するのは無理だ。また、自由時間では子ども達がストレスのせいか私にまとわりついてくる。すくなくともこの学童で感染者が出たら「高齢で持病あり」の私が真っ先に重篤な患者となるであろう。

 1日の流れはこうだ。開室まえにドアノブなど子どもの触れるところをアルコール消毒する。8時開室、登室と同時に検温。37.5℃以上は親に連絡して帰宅させることになっている。9時まで自由時間(長期休みの際は子どもは自分のおもちゃを持って来ていい)、9時~9時半まで勉強。9時半から自由時間(トランプ、曼荼羅、将棋など学童の玩具で遊ぶ)通常の長期休みは午前中に散歩に行くのだが、今回は外出禁止。彼らのエネルギーの発散の場がないので時間的やりくりが難しい。12時に昼食、その前に検温。全員が食事を終えるとお腹休めでDVDを見る。13時半くらいまで見るのだが、毎回来る子が替わるため、いつも「トムとジェリー」だ。他のものを見ればいいのだが、DVDの中身を決めるのが昨日見ていない子なので、皆大好きなトムジェリにする。しかもここの学童ではトムジェリは1つしかない。時間は決まっているからいつも同じところまでしか見れない。毎日来る子もいるのだが、誰も文句を言わない。子どもは同じ内容でも飽きないのである。私は続きが見たい。15時半までは自由時間。15時半から16時までおやつ。その前に3度目の検温。16時から17時まで自由時間。17時に連絡帳返し。17時から17時半まで勉強。17時半から19時まで自由時間で、卓球など午前中とは違った遊びができる。18時からお迎えが来て段々人数が減ってくる。なお、今は児童および教師全員がマスク着用を義務付けされている。

 今回は教師の数は普段より多く4人で15名を見ている。検温や消毒など普段の業務以外の仕事がありかつロングになりやすいため、正社員の人の負担が大きいからだ。普段は子ども10名ごとに1名の教師対応が基本で、かつ子どもが1人の場合でも2人は確保している。以前に事故があり、救急車の手配と看護および児童クラブの鍵かけなど1人で同時にできないためだ。

 

今週でイレギュラーシフトは終わりかと思ったが、また来週も続く。昼間は室内をアルコール消毒、帰宅したら胃の中をビールやウイスキーでアルコール消毒。アルコール漬けの毎日である。困ったものだ。

消毒ドアノブ.jpg体温計.jpg

61回「昭和の音色」(20203月7日)

昔の話

昭和(30年代)には音が織りなす世界があった。

「あっさり、死んじめぇ」としか聞こえない売り声は朝の定番(本当は「あさり、しじみよ」)。味噌汁に入れる具を売りに来たのだ。夕方はプープー♪と鳴る豆腐屋のラッパが「トーフー」と聞こえ、決まって2丁の豆腐を買いに行かされた。夏の日には「キンギョ~~やキンギョ(金魚や金魚)」の声が聞こえる。金魚屋はリヤカーにたくさんの金魚を積んで自転車で引っ張ってやって来る。その際水がバシャバシャと動いていた。あんなに水が動いたら金魚死んじゃうよと思っていた。後でわかったのだが、このおかげで空中の酸素が水の中に入ってポンプなどの高額装置が不要だったのだ。

 子どもがワクワクする音が聞こえてきた。

ボンという爆弾の音が聞こえると、爆弾屋というポン菓子職人が来た証だ。爆弾屋のおじさんがリヤカーを引いてやってくる。子どもにとっては物々しい装置が荷台にある。荷台の真ん中に鎮座した大砲のような物がまさしく爆弾あられを作る機械なのだ。荷台にはその機械と大きな網(針金の網で出来ている)と薪、材料や色々のものが積まれていた。当時あられの購入方法は変わっていた。支払いはお金ではなくお米であった。まさしくそこは「米本位制」の世界だった。お米を持っていくとそのうち何割か取られて残りをポン菓子にしてくれる。おじさんの目分量だから2割から4割とられる。いいかげんなのだが、子どもはお菓子が食べれればいいので気にしない。味付けはサッカリンだけだった。しかし、甘い物のない時代のおやつには持ってこいだった。親もお金ではなく家にあるお米でいいので気軽に子どもに渡した。

 カチカチと拍子木が聞こえて来た。待ちに待った紙芝居屋がやってきたのだ。決して役者顔とは思えないおじさんは、紙芝居を始めるととたんに絵と一体となって芝居を演じる役者となる。音楽の先生がモーツアルト物語を子ども達にみせるような絵語りでなく、1人で演じる芝居・演劇なのだ。おじさんはどんな場所でも演劇空間に変えるのだった。その語り口に、黄金バットが自分の目の前にいるかのようだった。

しかし、いくら存在意義や文化の担い手と持ち上げようとも、おじさんにとって紙芝居はあくまでも飴や駄菓子を売るための道具にすぎなかった。紙芝居を見る前に飴かソースせんべいを買う。口の中で飴を転がしている子どもかソースせんべいを食べている子供以外はそばに寄せない。「シッシー、あっち行け」なのだ。お金のない子は遠くからかあるいは斜めから見るしかない。誰も同情はしない。自分だけがよければいいのだ。子どもはとかく残酷だ。

三橋美智也や三波春夫といった演歌歌手が多かった時代だった。子ども用の曲として三橋美智也は「快傑ハリマオ」を歌っていたので彼のレコードが流れると何はともあれ飛出しって行った。 当時はレコードをかけてスピーカーで曲を流していた。詐欺まがいの型屋というおじさんが来たのだ。

この型屋というのは、粘土を型に押し込み型から取り出し、色のついた粉をつけて出来バイを競うのだ。いいか悪いかはおじさんが決める。これは5点、これは10点、として今でいうポイントがもらえる。紙におじさんが赤鉛筆で書いたそのポイントを集めると、100点はAという型を、200点だともっといいBという型をもらえる。ポイントを貯めるためには何回も粘土と変な粉(金色や銀色などキラキラしたものだ)を買わなければならない。1回毎に申請でき、その作品におじさんがポイントをくれるからだ。高いポイントをもらうには大きくデザインのいい型が必要であった。タコやねずみのような単純な型では芸術点は5点が精一杯だった。やっと100点貯まったので、今度おじさんが来たときにポイント分の型と取り換えてもらおうと公園で待っていたが、もうそれっきりおじさんは来なかった。毎日毎日「岸壁の母」の気持ちで待っていたが、いつしか自然にあきらめた。

 楽しくも切ない昭和の路地裏物語があった。

路地裏の音色.jpg

 

60回「子どもごころ」(202031日)

学童の話

ママゴトの話の中でいつも犬役の子(第46回「映し鏡を参照」)に「なぜいつも君は犬役をするの?」と尋ねた。すると「だって、先生、犬になるとママが優しくしてくれるからだよ。僕には勉強だとか躾だとかで厳しいのに犬のキャンディにはいつも優しいんだ。怒ったことがないのさ。だから僕はママゴトの時はキャンディになりたいの」という答えが返ってきた。なるほどそうか、彼はママゴトで犬に成り下がったのではなく犬に成り上がったのだった。

 ママの愛情が欲しいのは彼だけではない。もう来なくなって久しいがA男の噂が聞こえてきた。ここの学童は親切で、来なくても権利のある3月末までは1日でも来れば受け入れることになっている。ただし、問題は月謝が半年間未納だ。規約ではとうに除籍になってもおかしくない。それでも杓子定規に拒否するなとの指示があった。立派な教育方針だと思っていた。ところがどうも勝手が違うようで、A男の学費が未納でも彼が在籍している限り補助金が出るので、省けるおやつ代や教員の精神的疲労から考えて今の状態は経営者側にとってベストの状態なのだ。しかも、A男は通っている学校とここの学童との共通問題児ということなので、情報交換は頻繁に行われていたから行政も簡単には除籍できないのだ。

 最近は学校にも行ってないようなので、学校側がお母さんに電話をするが、電話に出ない。連絡帳を出していないので、学童もどうせ来ないとは思いつつ、登室するかどうかの確認を毎日している。しかし、やはり出ない。そこで学校は学童と合同で家庭訪問をした。家にはA男が1人でゲームをしていた。彼は決して内向的ではない、できれば皆と遊びたいし目立ちたい性格なのだ。話をしたら、「学童も含めて男の先生は暴力教師だ、だから行きたくない」とのことだった。学童にはもう一人男の教師がいて、熱血漢でA男の行為に時々我慢できないことがあった。よく散歩に行く当中で1人残して怒っていた。素直にごめんなさいが言えるタイプではないので、我々の見ていないところで手を上げていたのかもしれない。女教師が叩いてもさほど問題にならないが、男教師が叩くと暴力になるのはいかがなものかと抗弁したくなるが、イメージとはそんなものだ。だからライオンの世界になってしまう(第33回「ねえさん先生」参照)。

 学校からのレポートを見せてもらった。「・・・クラスの皆は『A男が来ないのはさびしい』とか『A男はどうしているの』」と書いてあった(そうか学校では少しは人気あるのだなと見直した)。しかし、レポートの1枚目の文章がここで終わり次のページをめくったら、「という言う子は1人もいない。それよりか『授業が途切れることがない』、『遊びがルール通り行われて楽しい』という意見の子がたくさんいた。・・・」となっていた。

人が遊んでいると割り込んでかき回してどこかに行ってしまう。学校の先生に悪態をついて授業が進まないことを決して子供たちはゆるしていないのだ。

 でも、日本の教育は見捨てない。家庭訪問の後、学校の教師と学童の責任者がA男と一緒に母親の職場に行ったのだ。しかし、思惑と違い、ずいぶん怒鳴れたらしい。「シングルで働いているのだから子どものことは学校で考えてよ。子どもが学校に行かなくなったのはあんたらのせいだ」そこに話し合いの余地はなかった。A男を家まで送った時、彼は「ママと一緒の部屋に寝ていたのに、今は別々の部屋になった」と話し始めた。「昼食はスーパーのお弁当を買って食べている。学校に行かないことも怒られないし、かえって時間つぶしにタブレット端末を買ってくれた。でも楽しくないのだ、何かが違うのだよね」

 A男を家に入れドアを閉める時、片隅に大きな男物の靴が置いてあるのをねえさん先生は見逃さなかった。

 犬.jpg靴.jpg

59回「Simple is best」(2020223日)

 陸上競技、特に100mで速くなるための理論は単純で、「足の速さ=ストライド(歩幅)xピッチ(足の回転数)」の式であらわせます.

長距離は心肺系の強化やレースの戦略、ラストスパートなど様々なファクターがこの公式にプラスされるため、簡単には表現できませんが、100mにおいてライバルに勝つ方法は単純に「歩幅を大きくして、回転数を多くする」ことなのです。

野球や柔道など対戦するスポーツと違いあまりにも単純な理屈のため、「じゃどうするのよ」といった疑問が出ます。単純明快な理論には地道な基本練習が重要なのです。短距離の練習の中で基本中の基本は「モモ上げ」です。

 モモ上げ練習が重要なのはそれによって二つの効果が期待できるからなのです。

 一つは足の切り替え動作をスムーズに行えるようにするためです。

モモ上げの練習というのは大腰筋を鍛えることができ、スタートダッシュの動きをスムーズにするために必要な筋肉の一つになります。大腰筋というのは足の骨から背骨のあたりをつなぐ筋肉で、足を上げる際に重要な筋肉でもあります。モモ上げをすることによって、片足を地面に接地している際に逆足を上げる動作がより動かせるようになるため、ストライドが伸びやすくなります。また、走る際に重要な要素の一つであるピッチを高めるのにもモモ上げは有効です。これはより速い動作でモモ上げを行うことにより、より高い効果が期待できます。モモ上げを高速でできるようになると両足それぞれの動きが速い動作に慣れていきます。そうすると、それぞれの足で地面を接地する際に、無駄な力が抜けたような、より地面を捉える感覚が洗練されていきます。結果、ピッチが速くなりやすくなるのです。

 二つ目は、地面反力を得るためにモモ上げをするのです。

モモ上げは地面を捉える際に必要な感覚である地面反力を鍛えるのに有効な手段なのです。地面反力とは地面に力を加えたことに対する反発のことです。私たちは走るという動作に限らず、歩くなど、日常生活の中でも常に地面に力を加えながら生活しています。そして、考えてみれば単純な話ですが、重い物体は軽い物体よりも地面に落ちた際の地面へ加えるパワーが大きくなります。また、その分だけ地面から反発する力も大きくなり物体も大きな力をもらえます。速く走るためにはより大きな力を地面に加えただけではダメで、その加えた力の反発を地面から上手くもらうことで、走りは加速していくということです。モモ上げという練習は地面に加えた力を、反発力という推進力の形で体に受ける感覚を身につけるための練習なのです。おデブちゃんはガリちゃんよりはやく走れるはずなのです。

 基本をきちんとこなすことが重要なのですが、小学生特に低学年は単純なことに飽きてしまうというこれまた児童心理学の基本がデーンと構えています。飽きないように工夫して練習させることがこれまたコーチの基本です。陸上競技の練習は基本の複合体と言えるでしょう。

モモ上げ.jpg

58回「テレビ」(2020217日)

昔の話

インターバルの話は古いと家内に言われ、しょげてしまいました。でも、時が経つにつれ「俺が昭和の語り部になる」と思うようになりました。時々昔の話をしたいと思います。内容が思い出話ですので「である」調で語っていきたいと思います。お聞き苦しいと思いますが、よろしくお願いします。

 昭和36年、手塚治虫作品「ふしぎな少年」を原作としたTV番組が始まった。主人公サブタンは時間を止められる能力があり、そのおかげで交通事故を防いだり犯罪を未然に防いだりすることができた。しかし、当時の番組は大部分が生放送で行なわれたため、サブタンが時間を止めたり動かしたりする場面を表現するのに、サブタンが「時間よ止まれ」と言った瞬間に、周囲のすべての演技者が直前の姿勢のまま動きを止めるのだが、片足立ちのまま静止した登場人物が、次第に足をぐらつかせる場面や瞬きをしてしまった俳優などがいたりした。生放送だからどうしようもないのだが、その失敗を見つけるのが楽しみのひとつだった。

 「金曜10!うわさのチャンネル!! 」に和田アキ子がゴッドねぇちゃんとして登場した。デストロイヤーやせんだみつおのカラミがおもしろかった。この番組のおかげでその後和田アキ子が姉御歌手としてのイメージが定着してしまった。ある時特別番組で「ローマの休日」を9時から妹2人が見ていた。10時になったのでいつものように1階に下りチャンネルをカチャカチャと替えた。当然妹たちからは猛抗議。「俺は1週間これを楽しみにしてきた」「私たちは1ヶ月も前から楽しみにしてきた」と。結局力づくでチャンネルを4番に替えてしまった。ただ、喧嘩してバラエティー番組を視ても全然面白くないことに気付いた。妹に声をかけたが15分も過ぎたら筋が分からないと拒否された。私は2階に上がり居間には誰も視ていない「うわさのチャンネル」がむなしく流れていた。

 昔のTVはお化け番組が多く、その視聴率と同じくらいの割合で子供たちはTV番組を見ていた。月光仮面は平均視聴率40%最高67.5%、紅白歌合戦においては平均70%以上、最高81.4%、レコード大賞も沢田研二が大賞を取った時は50.8%であった。つまり、この時代はお化け番組が多く、友達が見るのは私とほぼ同じTV番組だった。だから話題が無くなれば昨日のTVの話をすれば盛り上がった。

「大正テレビ寄席」という番組では三遊亭歌奴がお客と喧嘩したのが映っていた。ビデオ撮りではない生放送だからどうしょうもないのだが、お客が歌奴の人気ネタ「授業中」(これについては第17回「山のあなた」をご参照ください)について「同じことばかりやるなよ」とヤジを飛ばしたことによる売り言葉に買い言葉的喧嘩であったが、歌奴は怒って帰ってしまった。TVの編成局はあわてただろうな。週刊誌もとりあげなかった。おおらかな時代だった。 

TVの操作について。昔はリモコンなんかなかった。チャンネルを回すしかない。寝ながら見ているとチャンネルを替えるのに起き上がっていかなければならないから、妹がテレビの前を通るのを待って声をかける。人間リモコンだ。入山家ではチャンネルの回し方も決まっていて常に右回りだ。1チャンネルのNHKを見て10チャンネルのテレビ朝日をみるのには時間がかかるのだ。左に回せばすぐなのに、日本のネジは右ネジだからチャンネルを回すのに右回りならはずれないという教えがあるからだ。理屈など関係ない。親父が右と言えば右なのだ。今から思うと可笑しくなる。しかし、親父の教えでも、このチャンネルはよくはずれるのだ。妹が大きくなると私と喧嘩した時はこのチャンネルをはずして部屋に持っていってしまう。仕方ないので残ったネジをペンチで回してチャンネルを替えた記憶がある。

 カラーテレビが出てくると白黒しか視ていない家に対するPRなのだろう、カラー番組になると画面の右下に「総天然色」という文字が出る。この番組はカラーだからカラーテレビを買いなさいとの暗示である。すぐに買えない私の家では吸着盤で付くスクリーンを画面にかぶせた。セピア色とか靑色とかがあり、結局1色なのだが何かカラーTVを見ているような錯覚に陥った。日本中に子供だましの商品が氾濫していた。

 昔のTVは故障もかなりあった。砂嵐のような画面の時は親父が出てきてTVを叩くと直った。なぜだか理由はわからない。故障の理由はわからないけど、結果的に直せる親父は偉いと思った。3Dテレビなど考えもつかない時代であった。

テレビ.jpgTV.jpg

57回「横のスポーツと縦のスポーツ」(2020211日)

 バンビーニの他に水泳クラブに入っているお子さんのお母さんから聞きました。「うちの子は他のお子さんと比べて背が小さいので、最近伸び悩んでいる。水泳は背の大きさが記録に関係し、ひとかきで差が出てくる」と。

 水泳と陸上競技の違いをデフォルメしてみますと、前者が「横のスポーツ」で後者が「縦のスポーツ」と言えます。

水泳はスタートと同時に横になります。スタートの脚力が同じなら水に入った瞬間から身長差分の差が出ることになります。さらに自由形なら手の長さも効いてきます。女性で170cmの人と150cmの選手では身長差が20cmでも、横のスポーツである水泳をすれば手の長さの差7cmが加わり27cm差となります。*)資料1

 一方陸上競技は「縦のスポーツ」ですから、身長の差は関係ありませんが、股下の差が関係してきます。通常身長170cmの人と身長150cmの人の股下はそのまま計れば5cmの差があります。足が前後45度ずつ広げて走ると仮定すると、ストライドの差は12cmの差になります。*)資料2

 腕のひとかきを伸ばすのは至難の業ですが、ストライドを伸ばすのは努力すればできます。小学生の頃の身体的差は水泳の方が大きいのです。

 また、横のスポーツである水泳は浮力があるため、中学生でも活躍できます(当時中学生だった岩崎恭子さんがバルセロナで金メダルをとりました)が、若い人がどんどん出てくるため、精神的な強さがつく前に「燃え尽き症候群」になる場合が多いのです。陸上競技では地面を蹴る力や腕振りの筋肉をつけるのには時間がかかるため、高校生以下がオリンピックで優勝したことはありません。強くなるためには長い年月が必要で、その間に精神的なタフネスさが身についてきます。水泳より陸上の方が、努力が報われるスポーツと言えます。陸上に専念すべきです。

 <資料1>

身長170cmの女性と身長150cmの女性では平均肩幅に差があります。

身長170cmの女性は肩幅38cm、身長150cmの女性は肩幅33cmです。一般的に両腕を広げると身長になると言われていますので、身長から肩幅を引くと、

①身長170cmの人は132cmですから2で割って66cmが腕の長さになります。

150cmの人は同様に考えると117cm÷259cmが腕の長さに なります。

すると、身長で20cmの差が水の上では20cm(170cm-150cm)+7cm(68cm-59cm)=27cmとなります。

参考データ

身長(㎝)肩幅(㎝)

150        33.0

155        35.2

160        36.3

165        37.3

170        38.0

kirari「肩幅の平均サイズ」より

 <資料2>

股下のデータは日本人女子の平均である45%として計算しました。

身長      股下     

150cm   68.0cm 

155cm   69.8cm 

160cm   72.0cm

165cm 74.3cm

170cm   76.5cm

Celestia358「股下座高の平均」より

蛇足ですが、藤原紀香さんは 身長 171cm 股下 88cm、ローラさんは 身長 165cm と小柄ながら 股下は 83cm あるそうなので、彼女らが陸上競技をやっていたらと面白かったと思います。

水泳.jpg短距離.jpg

56回「九九と漢字」(202021日)

学童の話

小学2年生になると掛け算が始まる。学童では勉強については深くは追及しない。勉強は学校と塾に任せこちらは宿題のお手伝いだけだ。新人の教師は肩に力が入ってしまい遊ぶ時間に食い込んで教えている。ここはアメリカと同じくチャイムが鳴ったらあと少しで終わるところでも、終わりにしないといけない。もっともこの学童ではチャイムなどはなく、できる子の「時間だよ」の一声がその代りとなる。

掛け算で気づいたことがある。九九の勉強は、1~9まで言うのを間違ってないか聞くだけだが、8x5=40、8x6=48、8x7=56・・・に違和感があり、咄嗟に答えが出てこない。どうも私は5x8=40、6x8=48、7x8=56と覚えているようだ。調べてみると九九は前の数字が小さく掛ける数字は大きくないとできないようで、無意識のうちに数字を入れ替えていることに気付いた。特に6の段以上は必ず入れ替えている。だから早口で6の段以上を言われると無意識に入れ替えているうちに子どもの九九が終ってしまい、正誤の判断ができなくなってしまう。

さらに、私には大きな欠点があった。子どもの頃のいいかげんさから、日本語の基礎ができていない。書き順がデタラメで黒板で書くのが恥ずかしい。今ではもう何が何だかわからない。まだ小学生低学年では指摘されないが、自分の姓名が出てくるとうるさく言われる。皆に大声で「イリ、田邊の邊の書き方が間違っているよ!」と言われる。冗談じゃない「田邊」の字は難しくスラスラ書けるわけがない。そう言えば、家内が旧姓濱田なので手紙を送る際「浜田」と書いて、何度も指摘されたのを思い出した。

漢字で大人になるまで勘違いしていたのが「自暴自棄」という言葉。ずっと「自爆自棄」と思っていた。もちろん発音も文字通りの発音をしていた。その他「止血」を「とけつ」と読んでいた。学童に勤務するようになって、急に恥ずかしくなってきた。いつか時間が取れたら漢字を勉強しよう。

親父ギャグについて子どもからお説教された。地球儀でいろいろなところを説明する際「マダガスカル島でまだ助かるどう」「ロシアの殺し屋は恐ろしあ「これ誰の?おらんだ(オランダ)」と言っているうちは良かったが、「御食事券の汚職事件」とか「厚揚げをカツアゲ」や「草刈ったら臭かった」「卓球で脱臼」と調子になったら、小4の女の子から指摘された。「だから年寄りはダメなんだよ。親父ギャグばかりでつまらない」「・・・じゃお聞きしますが、親父ギャグと子どもギャグの違いって何なの?教えてよ」「それは、聞いてすぐ笑えるのがギャグ。親父ギャグは説明を聞かないとわからない。解説付きのギャグではつまらない」そうかと納得。そう言えば初代林家三平が、笑い話がウケないと「今何がおもしろいかというと・・・」と解説して大笑いしたことを思い出した。時代の流れかな?

九九と漢字.jpg林屋三平.jpg

55回「歌は世に連れ世は歌に連れ」(2020127日)

 最近、紅白歌合戦を見ても、ミュージックステーションを見ても何も印象に残りません。歌が身に染みていないのです。ところが、ある時天地真理の「恋する夏の日」が聞こえてきました。するとその瞬間大学生で高校の後輩を指導していた頃がまざまざと思いだされたのです。当時インターハイ(三重県)に行くお金を捻出するため、夜北千住の緑屋の屋上でビアガーデンのアルバイトをしました。家庭教師のお金は月末のため、間に合わないのです。当時コーチにはインターハイ引率のお金は出なかったのです。ビアガーデンではこの曲が流れていました。その時は覚えようとも聞きたいとも思っていなかったのに、いまこの曲が流れるとこの頃を思い出すのです。

 「歌は世に連れ、世は歌に連れ」というのが「ロッテ歌のアルバム」の名司会者玉置宏のオープニングの言葉でした。そういえば時代の節々に歌がありました。昔は子どもには難しい歌詞も多かったのです。月光仮面では「どこの誰かは知らないけれど、誰もが皆知っている。月光仮面のおじさんは・・・」の冒頭の句は子どもながら「知っているのか知らないのか、どっちなんだ?」とイライラしました。少年探偵団では「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団 勇気凛々 琉璃の色・・・」という歌詞。「凛凛」って何?瑠璃の色ってどんな色?疑問に思ったけれどそんなもの一瞬であって、子どもには関係ないのです。歌えればいいのです。

「青春とはなんだ」「これが青春だ」などの青春ものは学生の頃です。そのシリーズものの主題歌で青い三角定規の「太陽がくれた季節」がヒットしました。その歌はまさに陸上部での思い出に他なりません。当時部員に歌わせました。絶対服従だから嫌という生徒はいません。今では考えらない世界でした。

 現在の歌は、私にとっては横文字が多く歌詞を覚えられない、速くて高くてリズムがとれず歌えないものばかりです。今の子ども達は大人になったら、どんな歌を思い出すのでしょうか。1964年の東京オリンピックの頃、私には夢、希望、そして無限の可能性がありました。植木等(クレージーキャッツ)のサラリーマンものを見て大人に憧れました。ネクタイを頭に巻いて飲んで騒いで・・・しかし、サラリーマンを卒業するまでその姿を見たのはたった1回だけでした。「サラ―リーマンは気楽な稼業と来たもんだ」という唄はサラリーマンをおちょくった唄でしたが、明るく楽しい雰囲気の歌でした。早く大人になりたかったのです。

 

現在子供たちは塾などに忙しく私の頃に比べ余裕がありません。その合間を見てバンビーニ通ってくれています。歌を聴くことは少ない中、思い出の曲は何になるのでしょう。また、その曲を聴いてバンビーニのことを思い出してくれるのでしょうか。いつの日か一緒にお酒が飲めるようになったら、聞いてみたいものです。

太陽がくれた季節.jpg酔っぱらい②.jpg

54回「鶴の恩返し」(2020120日)

日本昔話

おじいさんが山で柴刈りをした帰りに、沼の近くで猟師の罠にかかって苦しんでいる鶴を見つけました。おじいさんは鶴を罠からはずし逃がしてあげました。するとその夜、旅の途中で道に迷ったと言ってかわいい娘がやって来ました。おじいさんとおばあさんは困っている娘を家に入れてあたたかいお粥を食べさせました。娘はこれからどこにも行く宛がないというので、それならわしらと一緒に暮らそうと言うことになり、娘はおじいさんおばあさんの家で暮らすことになりました。

翌朝、娘は糸を持って機織り部屋に入り、しばらくするととても美しい布を織って出てきました。おじいさんはこれを町で高い値段で売ってお米や味噌を買うことができたのです。その晩もその次の晩も娘は布を織り、おじいさんは町へ売りに行ったのでした。

娘は機を織る間は覗かないでくれというが、日増しに娘がやつれていくので、おじいさんとおばあさんは心配してついに機織りしている娘を覗いてしまいました。

部屋の中には夫婦の着物や道具を風呂敷に包んで肩にしょった娘がいました。娘は「私はツルではありません。私はサギです」と言って、両手を広げて鷺(サギ)の姿となり、呆然とする二人をそのままにして空へと帰っていきました。

 

 サギ(鷺)は詐欺にひっかけたもので意外な結末に驚かれたと思います。サギの恩返しは知人から教えてもらった落語のマクラのはなしですが、調べてみるとその後いろいろな創作落語家によって、このマクラは様々なバージョンがあることがわかりました。では、下線部を次にあげるバージョンに置き換えお読みいただき、出てくる鳥との関係でお考えください。

1.部屋の中にはやつれた顔で寝ている娘がいました。娘は「私はツルではありません。私はガンです」

2.娘は屋根伝いにピョンピョン走って逃げていきました。ツルだとおもったら娘はトビだったのです。

3.娘は箪笥や火鉢をドンドン運び出している、ツルだとおもったら娘はペリカンだったのです

4.パソコンでフェイクニュースを流していました。おじいさんは娘に問い詰めました。「お前はツルかい?」「いぇ ウソです」

 もう読者のみなさんは飽きてきたと思いますので、原作を記載し原作の良さを改めて味わってください。

 

おじいさんが山で柴刈りをした帰りに、沼の近くで猟師の罠にかかって苦しんでいる鶴を見つけました。おじいさんは鶴を罠からはずし逃がしてあげました。するとその夜、旅の途中で道に迷ったと言ってかわいい娘がやって来ました。おじいさんとおばあさんは困っている娘を家に入れてあたたかいお粥を食べさせました。娘はこれからどこにも行く宛がないというので、それならわしらと一緒に暮らそうと言うことになり、娘はおじいさんおばあさんの家で暮らすことになりました。

翌朝、娘は糸を持って機織り部屋に入り、しばらくするととても美しい布を織って出てきました。おじいさんはこれを町で高い値段で売ってお米や味噌を買うことができたのです。その晩もその次の晩も娘は布を織り、おじいさんは町へ売りに行ったのでした。

娘は機を織る間は覗かないでくれというが、日増しに娘がやつれていくので、おじいさんとおばあさんは心配してついに機織りしている娘を覗いてしまいました。

するとそこには一羽の鶴が自分の体から羽を抜いて布に織り込んでいたのです。

娘は二人に気がつくと、「隠していても仕方ありません。私はおじいさんに助けられた鶴です。ご恩を返したいと思い、娘になっていましたが、正体を見られたのでもうお別れのときです。」と言い、一羽の鶴になって空に舞い上がりましたとさ。

小学生のコーチに鶴の恩返しはないと悟っています。陸上競技で花開くのは高校大学に行ってからです。その時はその学校の監督やコーチに心酔しているでしょうから、きっと忘れ去られてしまっているでしょう。そんな殺生なと言っても「私はツルではありません。あなたのことは最初からひとつも頭に入っていません。なぜなら私はシジュウカラなのです」という答えが返って来るだけです。おあとがよろしいようで。

<解説>

 ガン(雁):癌、トビ(トンビともいう):鳶(とび職)は高所での作業を得意とする職人、ペリカン:引越しのペリカン便(日本通運)を指しています、ウソ(鷽):スズメ目阿戸理アトリ科ウソ属に分類される鳥類の一種、嘘にかけている シジュウカラ:始終空とかけている

鶴の恩返し.jpg

53回「だまされたぁ~!」(2020113日)

私が高校生の頃、新橋を歩いていたら、テキヤのおじさんから声をかけられました。「おい、あんちゃん、いいものあるから見て行け」と。そこには憧れのアディダスのバックがあったのです。当時5000円していたのが2000円でありました。安いなあと思ったが、手持ちはギリギリ2000円です。購入したら亀有駅まで帰れるかその時は不安でした。そのため、なかなか決断できませんでした。テキヤのおじさんはきっとイライラしていたのでしょうね、「おい、いくらあるんだ?」「1500円」「じゃ、いいよ1500円で」なんか得したような気がしてしまい購入してしまいました。

翌日学校に持っていき級友に自慢しました。何人もの友達が褒め称えてくれました。買い物上手だとか目の付け所が違うとか。しかし、冷静な1人が私に質問しました。「入山、それ本当にアディダスか?」「だって、三つ葉のマークも字体もホンモノじゃないか」「いや、俺にはアディドスとしか読めないのだが・・・」言われてみてよく見ると何と「adidas 」ではなく「adidos」とバックにはプリントされてあったのです。それに気づき皆は大笑いしました。私も笑うしかありませんでした。その時、テキヤのおじさんはアディダスとは一言も言ってないことに気付きました。よく考えてみると「いいものがあるよ」としか言ってないのです。捨てるほどの男気もなかったので、「ま、アディダスのバックと言わなければいいか」と卒業までひっそりと使いました。

中学生の頃は先生に騙されました。体育教官室に呼ばれ「入山、いいか水泳で黒人選手がいないのはなぜかわかるか」「わかりません」「黒人の選手は比重が大きい。だから水に入ると沈んでしまうのだ。メラニン色素が重いからだ。日焼けすると体重が増え、走りが遅くなる。だから夏休みプールは禁止だ」という指示に納得してしまったのです。野球部のエースも同じ内容で説得されてしまいました。こうして2人は中学3年生の夏、楽しいはずのプール遊びをしていないのです。

今、この恩師に抗議するつもりはありません。筋肉を冷やしていいものでもないし野球部のエースも私もすぐ木に登るタイプだから自制は必要だったと思いますが・・・・

さて、大人になった私は、今度は子どもたちを騙す場合がある、ことを事前に宣言しておきます。

1000m330秒が切れない子に対し、記録会で329秒8を作り出すことがあります。大会2週間前ではもう練習は限られ、あとは精神的なものしか残っていません。ならば気持ちよく大会に押し出すために1000mの記録会で私がストップウオッチを早く押すことがあり得ます。33023298では本人の心の響きが違います。たとえ3302が正しくても3298と錯覚して大会に出た方が、効果が大きいのです。通常は嘘や騙しはいけないことですが、時と場合によっては堂々と大胆に使わして頂きます。それで子供たちの記録が伸びるのならいつでもテキヤのおじさんになります。実際友達に指摘されるまでなんとツイテいる男だと思っていたのですから。

アディダス.jpg

 

 

52回「子どもの食べ方」(202016日)

学童の話

もう子育てしてずいぶん経つせいか(こう言うと、家内は「あんたは何もしていない」と冷たく言い放つので、家では決して言わない)、子ども達に驚かされることがある。今回はその食べ方について驚いた。決して全員がそうしているわけではないが、そういう子は確実にいる。

ケース1:せんべいの重ね食い

おやつで薄焼きせんべいが出る時がある。私の子どもの頃は1枚ずつ味わって食べたが、何人かの子どもたちは一度に薄焼きせんべいを重ねて食べる。一瞬でせんべいのおやつが無くなる。1枚ずつ食べることによって美味しい時間を伸ばそうという気持ちがないのだ。小学生の頃、友達とお好み焼き屋に行って延々2時間ねばったことがある。当時金属カップに1人前ずつ盛られたお好み焼きを水で薄めながらせんべい状態にして美味しい時間を延ばしていた。昔は子どもたちの魂胆を許容する土壌があった。

ケース2:最中の皮とあんこの別食い

子どもたちは最中が出ると皮とあんこを別にして食べる。表蓋を開けあんこだけをうまく食べる。と言っても皮を捨てることはせず、あんこを食べた後皮をゆっくり食べる。同じように饅頭の場合も皮とあんこを別々にして、皮は皮だけであんこはあんこだけで食べる。最中と違って皮が原型をとどめることは少ない。私が福島の柏屋の薄皮饅頭が好きなのは、皮が薄くあんこの量が多いからだが、あんこだけでは食べられない。黒糖の入った皮と一緒だからおいしいのだ。

ケース3:ご飯とおかずの別食い

御弁当の時に気づいたのだが、ある子どもはご飯とおかずを別々に食べるのだ。白いご飯を先に食べ、なくなってからおかずを攻略していく。私の子どもの頃は、食べものは寿司のように食べろと教わった。親父に言いたいのは寿司を食べさせてもらってないのに「寿司のように・・・」と言われても困った。親戚の葬式で食べたことはあるのでおおよそ言いたいことは分かったが・・・要するにおかずとご飯を一緒に食べろということだった。それの方がご飯が進むからだ。

若い時先輩に工場でご馳走になった時がある。その時食堂で頼んだのが「カレーライス丼」である。決して「カレー丼」ではない。つまり、カレーライスとご飯だけのどんぶりが出てくるのだ。カレーライスにあるルーをどんぶりにかけてまず食べる。どんぶりが終わったら、ルーが少なくなったカレーライスを念入りに混ぜドライカレーのようにして食べるのだ。(最初からカレーライスの大盛りにすればいいと思うのだが・・この先輩は他にもカツ丼ライスなるものも注文する時がある。カツ丼のカツを盛り飯の上に乗せて食べる。完食した後カツ丼のタレを利用してカツが1つしか残っていないカツ丼を食べるのだ。我々世代では常にご飯とおかずは対だった)。

ケース4:白いご飯は食べれない

ご飯が嫌いなのかと思ったら、白いご飯は嫌いだがその上にフリカケを乗せれば食べられる、チャーハンやカレーライスやオムライスなら食べるという子がいる。この子の苦手なのは旅行に行った際の朝食だ。旅行の朝食は焼き魚と卵焼きと味噌汁が定番である。これでは白いご飯となってしまうからだ。猫飯は我々世代の考えで決して彼はその行動に出ようとしない。ふりかけを要求するか、母親が事前に買っておくやり方でやり過ごすらしい。

食事の方法については家によって様々な違いがあり、正解は複数あるのだと思う。この子らも大人になったら講釈を垂れる私より必ず大きくなると思う。陸上競技とは違って私の意見が正しいとは限らないのである。

 

とは言うものの、子どもたちとワイワイガヤガヤ食べるのは楽しくまたおいしいものだ。冬休み子どもたちとお弁当を食べることによって、大家族主義のよさを満喫している。

最中・饅頭.jpgカツ丼ライス.jpg

51回「宣言効果」(202011日)

あけましておめでとうございます。

 我が家では、毎年元旦に今年の目標を子ども達に書かせてきましたが、いつの日かなくなってしまいました。今では逆に、新しい遺言書は書いたかと子どもに言われています。財産はいらないから借金だけは残すなと諭されています。それはともかく、1年の初めに目標を設定することは有意義なことだと思います。

 これまで、皆さんが目標を掲げて挑んだことがあると思います。

しかし、実際は失敗や挫折してしまい、諦めたまま今まで来てしまった人が多いのではないでしょうか。続かない理由の一つに、モチベーションがあります。

モチベーションは徐々に下がるもので、失敗や停滞があると一気になくなります。そして、続かない理由を自ら作ってしまい諦めてしまいます。喫煙は実は思ったほど体に悪くないのだとか、12月は忘年会があったのでダイエットはできなくても仕方ない、等と。

 心理学でいう「宣言効果」とは、ある目標を達成するのにあらかじめ目標を周囲に宣言してしまうと達成率が上がるという現象のことです。自分の夢や目標を周囲の人に宣言してしまうと後に引けなくなり達成しないといられなくなり、その結果、その夢や目標を達成しやすくなるという効果があります。

例えば闘病している少年のためにホームラン宣言をし、実際にホームランを打ったベーブ・ルースの「約束のホームラン」などは、宣言効果によるものともいえましょう。

テスト前には「100点を取る」と宣言して自分を追い込むことによって、実際に100点を取るのはとても難しいかもしれませんが、言った手前後にはひけずに勉強をして、100点に近い点を取ることができるのではないでしょうか。

 目標を周囲に宣言をすることにより、やらざるをえないところまで自分を持っていき、

続かない理由を作れない状況まで追い込むことにより、成功率を上げ、達成できるようになる、これが宣言効果です。

 周りに宣言できないという人が多いのは、達成できなかった時、揶揄されるのではないかという不安があるからです。しかし、そういう不安を抱えた人のほうが、有言実行する可能性は高いです。それは、不安の大きさがモチベーションの後押しをするためであり、不言不実行の人が多い中、宣言効果に乗ると頭一つ抜けると思います。

また、自分はできるのだ、自分は夢をかなえる力があるのだと思うことは、自分に対するピグマリオン効果(第28回「ピグマリオン効果」を参照してください)を期待できるのです。

 末尾にイチローの卒業文集をアップします。結果的には、彼が小学生で掲げたのは「夢」ではなく「目標」であったのかもしれません。この目標に向かって彼は努力したのです。

 人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくるのです。保護者の方はお子さんに夢を語らせ文章として残させ、苦しい時悲しい時に読み返す習慣をつけさせてください。何度も言うことになりますが、小学生のコーチ(陸上競技)の役割は、持っている種を発芽させることです。身体的ピークが遅い陸上競技では、大輪の花を咲かせるのは大人になってからです。それまでお子さんを陸上競技につなぎとめるのは保護者の方の役割です。

昨年は生意気なことばかり言ってきましたが、今年もよろしくお願いします。

 <参考文献>ウィキペディア

イチロー②.png

 50回「サンタさんはいるのか」(20191228日)

学童の話

クリスマス会での話である。24日夜、子どもはサンタさんから自分のほしいものがもらえるが、そのことを事前にお願いしなければならない。七夕のように短冊に書く子もいれば、ただ念じる子もいる。願いの仕方は子どもによって千差万別だ。お願いポーズも合掌するもの、指を組むもの2種類がいる。

 学童ではサンタの存在について議論することはしない。学年が上の者が下の者に入れ知恵することもしない。信じる信じないは別に置いておいて、クリスマス会は年間行事に含まれる「学童行事の定番」なのだ。我々教師は12月下旬は飾り付けや買い出しで忙しい。

 Kという3年生の女の子が「先生、今日はね、サンタさんが来たらサインしてもらうようにTVの前にメモ用紙とサインペンを置いておくんだ。私の手作りのクッキーも一緒に置いて食べてもらうの」と内緒話をしてくれた。後日「どうだった?サンタさん来た?」と聞いたら、「うん、クッキー完食だった」「サインは?」もうこうなると教師ではなく興味津々の芸能レポーターになってしまった。「うん、サインもあったよ。『Thank You!』て書いてあった。プレゼントも私の思っていたように○○だった。サンタさんはなぜ私の希望がわかるのかな?」と楽しそうな顔をしていた。

 そういえば昔、我が家では何日か前にサンタさんにお願い事をしなさいと希望のものを書かせた。24日夜寝る時間に玄関前に希望の物を購入して置いておく。玄関には鈴をつけておき、糸を部屋まで延ばす。私が糸を引くとチリンと音がする。「おい、今音が聞こえなかったか?シー静かに」と発言。兄弟2人は「うむ?」と耳をそばだてる。もう一度静かに糸を引く。すると玄関の方から鈴の音が聞こえる。「サンタさんだぁ」と弟が反応し駆けていく。長男は恐る恐るついて行った。弟が「あ、僕の名前が書いてある」と言って、気が狂ったように家内が丁寧に包装した包み紙を引きちぎる。「あ!怪獣だ!」とすっとんきょうな声をあげソフビの怪獣を手に取った。兄は任天堂のゲームソフトを見つける。「サンタさんが来た!」と大喜び。この光景を見ると苦労して購入し演出した努力が報われる。子も親も「幸せ」を感じる1コマである。

 ところが、学童でいろいろな子どもの言動を垣間見ると、Kのような純粋な子ども達ばかりではないことに気づいた。中には知能犯的子供もいるのである。彼にとって、サンタさんは自分の欲しいものを手に入れるための都合のいい存在にしかすぎないのだ。

子どもがサンタさんにお願いしているのは、実はそのサンタさんの使徒である保護者に『こういうものが欲しいのだよ。違うものを間違えて購入しないように』と念をおしているのかもしれない。子どもの方が騙されているフリをして逆に保護者を操っているような気がしてならない。子どもは賢いのだ。保護者に直接言うのは懐具合も考えて言いにくい。サンタさんにお願いする形を取ることによって、心が痛まずにお願いできるのだ。ダメな場合は何らかの反応が保護者からある。その時は次善の策に切り替えればいいのだ。

 誰が純粋にその存在を信じ、誰がサンタの存在を利用しているか、外見上はよくわからない。子どもはいつも愛らしい純粋無垢の顔をしているからだ。しかし、プレゼントを手に入れ、「してやったり」という保護者の喜びから背を向けた瞬間、ニヤッとする子どもはいる。しかし、ここで保護者ががっかりする必要はない。低学年から高学年の端境期にはよくある現象なのだ。こうして子どもは大人になっていき、保護者は子離れしていくのである。

サンタ.jpg

 

49回クロストレーニング(20191222日)

バンビーニ陸上クラブに通っていた女子のNが強豪県である長野県のスピードスケートの大会で優勝しました。お母様からの電話では500mでは4位でしたが、1500mでは23289で優勝したそうです。スピードスケートは長野県、北海道がダントツでその中の長野県で優勝することは意義あることです。何しろ高梨、小平を生んだ県であり、幼児を含めた育成ヒエラルキーがしっかりしている県だからです。スケートのシーズンオフである4月から9月までの条件で通って頂いたのですが、少しはお役にたてたのかな?と思うとうれしい限りです。

スピードスケートでは自転車やローラースケートを取り入れた練習が有名です。橋本聖子選手は夏場の練習で自転車をこいでいました(実際橋本選手は自転車でもオリンピックに出たくらいです。今ではスケート連盟会長の他自転車競技連盟の会長も兼任しています)

今回はこの異分野のスポーツを積極的に取り入れようとする「クロストレーニング」について考えてみたいと思います。

 スピードスケート大会の会場に足を運んでみると、選手控え室付近にはサイクルトレーナーが整然と設置されています。このようにスケートと自転車は切っても切れない関係にあるのです。

サイクルトレーナーは主に筋力アップの他、心肺機能を鍛えたり、長時間身体を酷使することによって精神力を鍛えたりもできます。さらに大会中にはウォーミングアップやクールダウン時に使用されます。

スピードスケート選手はサイクルトレーナーに限らず、日頃の練習では選手の環境によって、自転車の種類は違いますがサイクルトレーナー、エアロバイク、ピストバイク、ロードバイクなどに乗ってトレーニングをしているのです。

 クロストレーニングとは、自分の専門種目以外のトレーニング・スポーツを行って、身体能力が偏らないようにするトレーニングのことです。ここではスピードスケートの選手が自転車で練習することをいいます。Nのお母様は先見性があり、今年の春先にご相談がありバンビーニに加入して頂いた次第です(第21回「スケートと自転車と私」をご参照ください)。

 クロストレーニングの効果

まず第一に、ケガの予防です。

専門種目ばかりやっていると同じ筋肉ばかりを使うことになり、オーバーワークになりやすいので、身体への負荷を抑えてフィットネスレベルを上げるという点に置いてもクロストレーニングは有効です。また、特定の動きが多くなるため、動きにも偏りが出てきます。

例えば野球のピッチャーは片手で投げる動作の繰り返し、サッカー選手は足をメインに使うので上半身より下半身の筋肉を多く使います。このように、一部の筋肉や関節に疲労がたまるとオーバーユース症候群や、じん帯の損傷・炎症などのスポーツ障害を引き起こすリスクが高まります。

 次にリハビリにも効果的です。

陸上選手でケガをした人が水泳や自転車練習に回されるのはそういった理由です。

専門種目で痛めた筋肉を使うわけにいきませんから、別の筋肉を使うトレーニングをするという至極普通の考えです。

 第三に普段使わない筋肉を鍛えることが出来るので、パフォーマンスは向上します。

ウエイトトレーニングなどの筋トレを行うことも正確にはクロストレーニングです。

専門種目でメインに使う筋肉でなくても時には集中して鍛えなくてはいけません。

例えば走り込み練習の翌日など、足回りに集中して筋肉痛がきても、腹筋や背筋などは筋肉痛にならない場合があります。だからと言って、走りに腹筋背筋を使っていない訳ではありません。高速で走るためには身体がぶれないよう強靭な体幹が必要です。

これらは走っていても鍛えられる筋肉ではありますが、集中して筋トレをした方が効果的に鍛えられるという理論です。

 最後に、練習のマンネリ化を解消できる点も挙げられます。

子どもですので、同じことを長期間にわたって繰り返せば、精神的な飽きがきます。また、技術的にも体力的にも上達が足踏みし停滞期に陥ることもあります。日本のスポーツは武士道的な精神修養の一面が強調されるあまり、一つのことに打ち込むことを良しとする土壌があり(第34回「陸上道」をご参照ください)、それは高いレベルの技術を生み出す場合があります。少年野球でもサッカーでも、世界的に見て日本の子供達の競技レベルは非常に高いです。その一方で、高校、大学と年齢が上がるにつれて、燃え尽き症候群やスポーツ障害などの弊害が数多く発生していることもまた否定できません。

 N選手がバンビーニの練習で長距離の呼吸法、腕振りの重要性、ペース配分、ラダーなどによる敏捷性など、スケート以外の練習を学んだことで今回の結果に結びついたと思います。N選手の今後のご健闘をお祈りします。

(写真左がN選手、右は自転車練習の小平奈緒選手)

<参考文献>

高橋大智氏のHP、FRAMEのHP、αランナーズHP、SPORTIEのHP

スケーター七海.jpg小平奈緒と自転車.jpg

 

 

48回「巣立ち」(20191215日)

学童の話

1122日までの新規応募(2020年4月から)に対し問題児のA男は申し込みをしなかった。猶予期間の1213日を過ぎたのでもう来期は来ないことが確定した。来年の3月末までは在籍の権利はある。ただ、月謝を持ってこなければその権利もなくなる。

彼の学童での姿を見たのはハロウイン前だったのでかれこれ2ヶ月見てなかった。先週子供たちを公園に連れて行ったとき、彼は友達と車座になってあぐらをかきながら、ポケモンカードをしていた。札の投げ方、札の取り方は堂に入っていた。たばこの吸い方の真似もうまいが、カードで遊んでいる姿は博徒の面影がある。学童で4時間拘束される窮屈さよりいいと思っているのだろう。

母親も女手一つで育てた子なので、我々が彼の所業を訴えても「うちの子は悪くない」の一点張りで、なおかつ最後は「学童の先生は何を見ているのですか、それでも教育者なのですか」と食ってかかる。学童内では悪いことをすれば怒るが、そのことは母親には言わない、が暗黙の了解となってきた(A男は怒られたことを自分からは決して言わない。母親に心配かけたくないからだ)。ウリ坊を見つけて「まあ、かわいい」と抱き上げると、母親のイノシシが猪突猛進してくるようなものだ。ウリ坊を見たら目をそらさずあとずさりして逃げるのが一番だ。見ていて可哀想なくらいの盲目愛はイノシシと同じで逃げるのが得策である。

A男は夏休みの朝母親に学童まで送ってもらい、その別れ際ちぎれんばかりに手を振り、「いってらしゃい」を連呼をする。この母子の固いきずなは永遠なのだろうなと思いつつ、彼の行動が演技でないことを祈っている。ただ、母親を見る限り、退室19時の約束なのに15分~30分の遅刻は平気、195分の場合は「セーフ」といって教室に入ってくる人なので、母親の態度や文句は何をか言わんや、である。学童では何回ももめ事を起こしてきたが、ついにそのA男も巣立っていく。

2年前1年生で入ってきたB男は宿題をやりながら寝てしまう子で、歩きながら寝る強者である。学童ではいろいろな子に逢ったが、彼はナルコレプシー(*)なのである。

学校でも寝ているらしい。学童では宿題の途中で寝たり、連絡帳を渡す際座って待っている間に寝てしまう。歩きながら寝たのは、おやつ後のお腹休めの時間に寝てしまい、散歩の時間になったので子供たちに起こされて、仕方なく外に出たのだ。様子が夢遊病者のようなのでおかしいと判断して、手をつないで出発したら10歩と歩かないうちに膝がガクンとしていた。明らかに寝たのである。公園に行くまで5回も膝を折った。

家で「お休みなさい」と言ってから自分の部屋で遅くまでYouTubeを見ているという。当時ニュースは北朝鮮のことが多かったので、朝鮮語が飛び交っているのを見たのだろう、朝鮮語を流暢に話す。正しい文章かどうかは問題ではなく、その話があたかも朝鮮語のように聞こえるのである。昔オヤジギャグとして「足臭せよ」→「アシクセヨ」→「아시쿠세요」と朝鮮語もどきを話してウケたことがあるが、そんなもんじゃない。本物のように1分間しゃべれるのだ。だから、可愛かったし、表情が豊かで愛着があった。学童内に白けた雰囲気が出た場合、B男に振ればおもしろい回答が返って来た。場をなごませる男として重宝していた。

しかし、1年前問題児のC男が入ってきてから雰囲気が変わった。C男はいろいろな事情があり、同情すべきことが多かった。だから、教員の間ではC男にエネルギーが偏り、B男に接する時間がなくなっていった。そのため、B男はC男に対し意地悪をしたり、中指を立てて侮辱したりするようになった。きっと、今までの自分に対する愛情を取られたような気がしたのだろう。自分にとって代わったC男のことは気に入らなかったのだと思う。ところが相手が悪い。C男は背も高く、頭もいい、さらに自己主張も強い(キレる傾向でもある)。意地悪されたり、物を壊されたりすれば、すぐ言いつけに来る。その度にB男は我々に呼び出され反省させられる。こうしてB男の反乱も3ヶ月で終わった。

その後にとった彼の行動は意外なものだった。連絡帳渡しや宿題の際、人一倍大きな声でかつわけのわからないことをつぶやき、ねえさん先生に怒られる。皆も「またか」とげんなり。彼は怒られることによって我々の歓心を買おうとしていたのである。大人しくすれば我々に怒られないが、声もかけられないより怒られても声をかけてもらいたいと思ったのだろう。彼のとった態度は涙が出るほどいじらしい行動なのだ。そのB男も親父さんの転勤で今月でやめる。

A男、B男が去っていく。教育現場ではよくあることだ。今度はC男が我々に立ちはだかる番かと思う。心しなければならない年を迎えることになりそうだ。

*)ナルコレプシーは、

日本語では「居眠り病」といわれる、睡眠障害の一つです。ナルコレプシーのいちばん基本的な症状は、昼間に強い眠気がくりかえしておこり、どうしても耐えられなくなってしまう「日中の眠気」です。

もちろん、日中の眠気は、前夜の睡眠不足のときや食後などの条件によっては誰にでも起こりますが、ナルコレプシーの場合、よく眠っていても空腹でも関係なく眠気がおそい、また毎日くりかえして眠くなり、しかも一日に何度もおこり、それが最低3ヶ月以上続くというものです。(認定NPO法人日本ナルコレプシー協会HPより)

イノシシ②.jpg夢遊病.jpg

 

 

47回「子どもの脚質」(20191210日)

43回「ヒーロー」でもお話しさせて頂いたように、2019年埼玉チャレンジカップで子ども達が1人を除いて全員「ポケット」状態になり、思い描いたレースにならなかったことがあります。子ども達は大人しく黙々と練習をするタイプのため(相手を押しのける気性ではないため)、600mではスタートの出遅れは致命的でした。改めて子供たちの性格を見極めたレース展開をすべきだと思いました。

*)「ポケット」:スタートで出遅れると前にも横にも動けずしばらく後方に位置する状態

 競馬では、競走馬がレース中どの位置にいると能力を発揮できるか、その位置取りでレースを進めることを脚質といいます(第9回「競馬その2」【脚質】に詳しく記載していますので、そちらもお読みください)。

脚質は大きく分けて

(1)逃げ

(2)先行

(3)差し

(4)追い込み

(5)自在

5種類です。

もう一度記述しますと、脚質を決めるのは、主に馬の精神面(気性)と走行能力(脚力)です。

1.精神面について詳しく見ると、

他の馬より前に出ようとする闘争心、最後まで諦めずに走る粘り強さ、騎手の指示に対する従順さ(折り合い)、馬群の中でレースをしてもひるまない図太さなどがあります。

2.走行能力について詳しく見ると、

脚の速さの他にスタート直後の加速力・瞬発力やレース終盤での瞬発力、持久力などがあります。

 小学生特に低学年はゴールしても力が有り余っていることが多いです。

精神面では、遅くなっても抜かれても「くやしくない」のです。まだ、他人と争うことを知らないのです。走行の能力の面では、驚くことに全力走ができないのです。脈拍を計ってもレース前とレース直後とダウン前と脈拍数が変わっていない子がいます。全力走とは何かを教えるということがまず必要です。極端なことを言えば、犬を子ども達の前で放して追いかけさせればきっと全力走をします。転んだり、動物に対する極度の怯えなど情操教育上よくないのでしませんが、やってみたい衝動に駆られます。

 このような初期的問題点を乗り越えた子供たちを対象にすれば、だいたい競走馬と同じタイプに子供たちは分けられます。

バンビーニ厩舎の牝馬たちの中では

「逃げ」で成功したのがIです。一人で抜け出しそのままゴールしました。1度もトップを譲りませんでした(越谷カップ)。勝ち気ですが優しいので競ったら押しのけるか譲るか微妙な動きをするので「逃げ」がよかったのでしょうね。

「先行」を得意とするのがNです。しかし、この子の真骨頂は「自在」です。「先行」は周りの子が遅いことが多いので仕方なく前に出てしまうからです。相手によって戦法を変えられる自由度があり、真に強い馬です(彩の国クラブ交流大会)。川口マラソンではRが先行の脚質を持っていました。先頭はあの田口倖菜さんなので、途中で2位狙いに変えました。

Sはスピードがあるため「差し」の脚質でうまく先頭集団についていけば成功することができます。先行する集団がスパートする前に、あるいはスパートする際に反応よく前に出れば勝てます。

一方、牡馬たちは全般的に気が弱く馬群の中でレースをするのを嫌うのが5年生のT,YやZです。気の弱い逃げ馬はペースの緩急をつけるのが苦手で単調なペースで走ることが多く、彼らに共通の課題でもあります。他の馬に追いつかれた途端に気力をなくしてしまうことも多く、今後の練習では先行の脚質練習をさせ、精神(気性)を変えさせていければと思います。

逆にKやTという子は低学年ながら根性があり「先行」タイプでもありますが、もう一度伸びる二の脚を使い、最後に後続を突き放して勝利することが多いのです(越谷カップ)。

先週、今年最後の大会である川口マラソンでは私が大ポカをやらかしてしまいました。

38回川口マラソンでNがずっと先頭を走り1位で競技場に入ってきましたが、最後に同タイムで差し切られました。ゴールの際、私はいつも胸を出してフィニッシュしろと教えています。ルールでは、頭でも足でもない、ゴールは胴体がゴールラインに到達した時だからです。ところが川口マラソンは足に記録用のチップをつけてこれがセンサーに感知された時がゴールなわけです(他の大会ではゼッケンにつけるタイプもあります)。

どういうことかというと胴体がゴールラインに到達しても足がゴールラインに届いていなければ(考えられる例としては倒れ込んだ時です)、まだゴールではないのです。このことをNに教えていませんでした。川口マラソンの「ゴールの仕方」はゴールの際足を前に出すことなのです。もう一つポイントがあります。チップは1つのため右足につけるか左足につけるかは個人の自由です。自分のつけた足を覚えていて、つけた足を前に出すのです。

Nにはかわいそうなことをしてしまいました。ルールを熟知することはコーチの責任です。またそれを伝えることもコーチの仕事です。反省の1年になってしまいましたが、来年はうちの子ども達が各部門とも最上級生になるので、この経験を生かし上位独占を狙います。

ポケット.jpgゴール.jpg

46回「映し鏡」(2019121日)

学童の話

勉強の時間(だいたい30分くらいだが)は本読みと計算カードをする。計算カードではズルする者が少なからずいる。計算カードはたとえば「57」のカードをめくると裏に「12」と答えが書いてある。それが30枚あり、何分で計算できるかという勉強の仕方だ。しかし、これには文字通り「裏」がある。「57」で答えを言ってから裏を確認するならいいが、早くめくろうとして「ごうたすななは」と言っているうちにカードをめくるので答えがわかってしまう。「お前、答えを見て答えているだろう」と言っても「ぼく、見てないもん」と言われればそれ以上は言えない。でも絶対見ている。もう一つはカードを順番に並べてあるのをシャッフルしないから、「57」の次は「58」の問題になるので、順に1を加えていく問題になるから、問題を見ずに答えていく不届き者もいる。自宅では親は忙しいし、面倒くさいから野放しなのかもしれない。しかし、そういうずる賢い子も1年たつとできるようになるので、目くじらを立てることはしない。

学童では、その後帰る時間まで遊び時間である。

小3の男の子(E男)が遊び時間にママゴトをする。小1の女の子(F子)に誘われるからだ。この子は私の「UNO」の遊び仲間で、ママゴトに彼を取られるのは辛い。仕方ないので、小3の女の子と曼荼羅をして遊ぶ。隣ではE男がシルバニアファミリーのママゴトに夢中だ。曼荼羅で相手が考えている間にE男の声が聞こえる。「ぼくね、ご飯がほしいなあ」「それはお父さんにいいなさい。今日の当番はお父さんですよ。まったく、私ばかり当てにしないでね」「はあ~い、お父さんは今日はどこかな?」「どうせパチンコですよ」「じゃあ、いつ食べれるの?ぼくお腹空いちゃった」と舌足らずの幼児言葉でE男は喋る。曼荼羅の相手の女の子に「E男はずいぶん赤ちゃん言葉で話すな。何歳の設定なのだ」と「聞いたら「ああ、E男は赤ちゃんではなく今日は犬だよ」「何、犬をやってるの?」、1年生がママで3年生が犬か、思わず笑ってしまった。シルバニアファミリーのママゴトセットは動物が主体だからやむをえないか。ママゴトは「飯事」だから自分の生活の一部が入ってくる。現実と願望が織りなす世界となる。F子はE男に「がまんできない子は家に入れませんよ」と答えている。きっと、ママゴトの世界はF子の家庭を反映しているのだろう。

問題児のA男はおやつのポッキーを食べる際、煙草を吸うマネをする。ところがこれがまたうまいのだ。ほっぺを少し凹ませて煙を吸い込み次に吐く。吐くのもゆっくりと恍惚の雰囲気を漂わせ、こいつ自分が吸ってるいるのではないかと思わせるほどの力量だ。

子は親の映し鏡、親は気をつけた方がよいのかもしれない。

写し鏡.jpgシル場ニアファミリー.jpg

 

 

45回「戦友」(20191125日)

昨日、第14回彩の国小学生陸上クラブ駅伝競走大会(熊谷陸上競技場)に初めて出場しました。結果は56チーム中真ん中くらいでした。1区女子2区男子3区女子4区男子5区女子6区男子の6人で1チーム、バンビーニは全員5年生での構成でした。

駅伝の魅力はいろいろありますが、早稲田大学スポーツ科学学術院の松岡宏高教授は、大学駅伝のおもしろさを次のように指摘しています。

 「『結果がわからないものを見る楽しみ』。襷をつないで走り、ときに何が起こるかわからない『ドラマ性』。今年はどこが強い、どの選手が楽しみかと頭をひねる『予想、予測性』、そして、自分自身や家族の出身校など特定の大学を応援する『カレッジ・アイデンティティ』がより顕著に現われている」

今回は初めてだったので相手の分析はしていませんが、優勝を争うなら相手のメンバーの1000mのタイムを調べ、バンビーニの子どもの持ちタイムと比較して、3区で30秒以内ならいける、6区で10秒差なら勝ったなどと計算する楽しみがあります。小学生は周回コースなので地形的、性格的なコースの得手不得手は考えませんでしたが、大学駅伝なら監督は選手が山登りが得意なのか、山下りがすぐれているのかも考慮します。

箱根駅伝では、意識がもうろうとして走る選手、実業団駅伝では怪我で走れずに這いつくばってタスキを渡す女子選手などに感動し、またそれを期待するスポ根(スポーツ根性物語)的興味が自分をTVに向かわせているようです。

もしうちの愛泉が這ってタスキを渡すことになったら、気が狂っちゃうほど動揺してしまうでしょうね。そのまま声を大きくして応援するか(きっと涙声で何を言っているかわからないでしょうが)、冷静に彼女を抱きかかえレースを止めるか、自分の行動がどうなるかわかりません。このことを書いているうちに想像して涙が止まりません。基本軸が定まらないのでは、指導者として失格かもしれません。

抜かれた時の罪悪感、順位を上げた時の高揚感、他人の頑張りを心底応援する期待感、子どもは今回純粋に体験しました。

南サブゲートから善が現れた時は(途中まで観戦できますが200mくらいはスタンドの裏に隠れたコースで南ゲートから出てくるまで見えません)、「海難事故で助けを待っていたら大きな日の丸をつけた捜索救難機が現れた」ようなもので、頼もしくまた仲間でよかった気がします。

今回お腹が痛いと手を斜めに上に上げたり下げたりする奇怪な動作をしたアンカーの奏冬が絶好調だったら10人抜きをして、それはそれは白馬の騎士が現れたように思うでしょう。子どもの頃TVで見た「ローンレンジャーが白馬シルバーに乗って崖の上で立ち上がる場面」が思い出されます。アンカーはおいしいところ皆持って行ってしまうのです。来年誰をアンカーにするか楽しみです。

友達を信頼すること、これは決して簡単なことではありません。人生において何人の人間にできるでしょうか。戦争は生きるか死ぬかの極限にあります。家族以外に命をかけて守る相手、また守られる自分、それが戦友でしょう。だから「戦友」は誰よりも絆が強いのです。4位で帰って来た寧々に対して2区の怜吾は「ワァー、何でこんなに速く来るの?責任が重大になってしまう」と思ったでしょう。逆に前の選手が順位を落として帰ってきても、タスキをもらったらあいつの分も取り返すと頑張る子も出てきます。「頼むぞ」と言ってタスキを渡す子ども達。こうして彼らは段々「戦友」になっていくのでしょうね。1人で戦う陸上競技に唯一仲間意識が出るのが短距離のリレーであり長距離の駅伝なのです。

今回は順位はたいしたことありませんでしたが、来年全員が最上級学年ですので、最後のレースとして入賞させてあげたくなってきました。力が入り過ぎるとろくなことがないのですが・・・

 

 たすき.jpg白馬の騎手.jpg

44回「天才」(20191118日)

学童での話

才能のある子が世にいる、ことを学童で教わった。

サヴァン症候群の子が実際にいたことだ。ある時、宿題を見るということで室内を巡回していた。その子は公文に行っており、公文の問題をしていた。もちろん我々が教える必要もないし、質問に答えることもない。ベテランの先生からはあの子に近寄らない方がいいと言われていた。なぜかはそのうちわかると言われた。その子と一緒に勉強していた友達が九九をお願いしますと言ってきた。九九の勉強とは、本人の九九を聞いていればいい。間違ってないか、何分でできたかをチェックすればいいのだ。つっかえ、つっかえ言うので、つい隣の件の子のやっていることを見てしまった。というより見えてしまった。彼女は何と積分をやっていたのだ。小2の同級生は九九で四苦八苦なのにこの子は数学の積分をしている。高3でやる積分、そう私が一番嫌いだった積分をいとも簡単に解いている。質問されても答えることができない問題をやっているのだ。これは近寄らない方がいいとベテランの先生が言うわけだ。女の子は、我々に聞いてもダメだろうという顔で質問をしない。他の学問たとえば国語などのレベルは高くない。自分からは仲間に加わらない。1人遊びが多い。しかし、数学においては天才なのだ。これじゃ算数の時間が馬鹿バカしいだろうな。

次に小1の男の子の描いた絵だ。何も見ずにすらすらと絵をかいた。ZOZOの前澤社長の購入した絵で注目されたバスキアの絵と比べてそん色がない。もちろん油絵とデッサンの差があり、単純な比較はできないが。この子は私の学童日記に出てくるC男である。鼻くそをほじくって鼻血を出した、と女の子をからかった男の子だ。場の雰囲気を察することができない生活における問題児だ。怒られた時はその時はシュンとするが、5分もしないうちに同じことを繰り返す懲りない男の子だ。いまはクレヨンだが、この子の才能に気づき、デッサンや色遣いの教育をすれば123億円の絵を描くことも可能なのではないかと思った。

子どもの能力は計り知れないのだ。この才能を生かすのも殺すのも我々大人の責任だ。

*)サヴァン症候群

知的障害や発達障害等のある者の内、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。

 

 子どもの絵.jpgバスキアと前澤.jpg

積分.jpg

43回「ヒーロー」(20191112日)

先日の埼玉チャレンジカップでバンビーニの子ども達のほぼ全員がスタートでポケット状態となり、前にも横にも行けない状態となってしまいました。600mですので200mのスピード練習はしてきましたが、スタートから100mの練習はしていませんでした。うちの子は性格がやさしく他人を押しのけてまで前に行くようなタイプではありませんので、その差が1位との差になってしまいました(前半の差が心に諦めの気持ちを芽生えさせてしまいました)。完全に私の指導ミスです。

スポーツにおいて、性格は勝利を左右する大きな要因であります。戦闘的かつ英雄願望を持たなければいけません。子ども達がもっていなければ、無理やりにでも考えを変えさせる(性格的には納得できないがコーチの方針なら仕方がないと思わせる)ことが必要です。落語家は家に帰ると無口な人間に戻る人がいるようです。AKBのメンバーの中には内気な子がいるそうです。陸上の大会は舞台です。舞台に立った時は、落語家やAKBのように普段の自分を変えないといけません。ある面二重人格でいいのです。

行動心理学においては、人間の行動のベースに『何かを手に入れるためにリスクをとる』促進フォーカスと『リスクを避けようとする』予防フォーカスがあり、それぞれ別の神経系が関係しているとしています。この志向は試合中に『勝つためプレー』をするか『負けないようなプレー』するかの選択のベースとなります。

高梨選手は以前は圧倒的な力があり、他者を寄せ付けませんでした。適切なライバルが存在しない中、周囲のメダルへの期待とそのプレッシャーから目先の短期目標であるオリンピックで勝利することだけに意識が向いてしまい、予防フォーカスがかなり強く働いてしまったと考えられます。違う性格なら絶対優勝できたでしょう。

選手の心理がわかりやすいのはラグビーです。勝っているチームは残りわずかな時間になると反則をしないようにかつミスをしないようにと心がけます。負けているチームはミスを恐れず突き進むだけです。勝っているチームは時間が長く感じられ、負けている方は時間が短く感じられます。気持ちの持ちようなのです。

各国の国民性を表現するジョーク(エスニックジョーク)に「沈没船ジョーク」という有名なものがあります。

沈没しかけた船に乗り合わせる様々な国の人たちに、海に飛び込むよう船長が説得を行います。その時の決め台詞が次の言葉です。

アメリカ人に 「飛び込めばあなたはヒーローになれます」

イギリス人に 「飛び込めばあなたはジェントルマン(紳士)になれます」

ドイツ人に 「飛び込むのはルールです」

タリア人に 「飛び込めばあなたは女性に愛されます」

日本人に 「皆さん飛び込んでいますよ」

韓国人に 「日本人はもう飛び込んでいますよ」

アメリカ人アスリートが世界記録を出すのは「ヒーローになれると思う」国民性なのかもしれません。バンビーニの子ども達には大会で走る時だけアメリカ人になってもらいたいと思います。

沈没船.jpg

第42回「未来予図」(201911月3日)

学童での話

 ある日、鼻血を出した子がいた。服が血で汚れたため体操着で帰って来た。一年生のC男が盛んに何で鼻血出したの?と聞いていたが、答えたくなかったようだ。ずっと黙っていた。C男は業を煮やして「○○ちゃんは鼻くそほじくって鼻血出したんだって」と皆に聞こえるように言った。もちろんフェイクニュース。○○は驚いたように「ちぇ」とばかり嫌な顔をした。しかし、C男は全然空気が読めず大声で繰り返していた。○○は可愛い顔立ちで将来きれいな女性になると思われる。女の子というものは自分が可愛いとか綺麗とかを小さいうちからわかるのだろう。体操着で帰って来たことを盛んに悔いていた(体操着には大きく○○と書いてあった)。自分の名前が変な人に知れたのではないかと・・・名札は学校内だけで行き帰りははずすことになっていたことを最近知った。

B男は女の子にちょっかいを出すくせがある。女の子が泣きながら学童に帰って来た。B男がXXに手を上げたらしい。学童では暴力はゆるさないから、女の子の訴えを取り上げてB男に詰問した。するとB男は「XXちゃんが僕のことを気持ち悪いといったから」と反論。帰り道に女の子の耳のうしろからねこじゃらしを当てたようだ。女の子はねこじゃらしでくすぐられるのを「気持ち悪い」と言ったのだが、B男は自分が言われたと思ったのだ。普段からえげつないことをするので時々皆から総スカンをくっている。自業自得だ。手をあげたことはいけないことだからきちんと謝らせた。か細い声で「ごめんなさい」と。この言葉でXXのゆるしを得た。

 これで終わりかと思ったらB男が「僕にも謝って」という。何に?と思ったが、気持ち悪いと言ったことに対してらしい、大人の女の人なら「ふざけんじゃないわよ、自分が勝手に勘違いしたのでしょ、何で私が謝らなきゃいけないの?」と怒鳴られるところだが、長引くとおやつの時間にかかるため、強引に「そうだね、XXも誤解するようなことは言わないようにね。これでお互いめでたし、めでたし。はい、仲直り」という支離滅裂な言葉で喧嘩を終わらせた。結局XXは謝っていないが、私の言葉で、B男は謝って貰ったような気がして納得したようだ。

 XXは容姿は普通だが、姉御肌で将来面倒見のいい大人になると思う。飲み屋のママでもやっていける能力はある。

アルバイトで責任がない、孫のような年齢の子どもたちだが血がつながっていない、人生長く生きてきたが器用に生きることはできなかった、などのことから、個々の児童の未来予想図を書くことができると思う。すべての子の未来を当てることはできないだろうが、確実に言えることは、10年後この2人の男の子に口をきいてくれる女の子はいない。

鼻くそほり.jpg学童いじめ.jpg

 

 無視している女子高生.jpg

 

41回「ピア効果」(20191028日)

ローンウルフ(一匹狼)は気楽でしょうが、決して効率のいいものではありません。漫画のゴルゴ13(謎のスナイパー)はかっこいいが生きるのは大変だと思います。長生きはしないだろうと思います(といっても50年以上いまだに連載しているので、主人公デユーク東郷は単純に計算すれば80歳を超えています。普通なら老眼で300m先の相手など見えないはずですが・・・もう出生のいわれもグシャグシャになっているはずです)。

 さて、現実に目を向けると、1人で何かをやろうとするよりも、競い合いや切磋琢磨する仲間がいた方がモチベーションも上がるし、やる気も持続しやすいと思います。さらに、互いに励まし合うことができるために挫折しにくくなります。チーム、組織、集団による効率の向上を行動心理学では「ピア効果」といいます。

難関大学を目指す進学校のように、高い意識や能力を持った人間が集まりお互いを刺激・感化させることで、集団全体のレベルアップに加え個々の成長に相乗効果をもたらすのは、ピア効果を利用したものなのです。

企業では個人ではなくチームで作業する組織にしています。チームで生産を行うことによって、互いに補完的な生産活動をしたり、互いに教えあうことによって知識や技術が熟練されたものになったりするなどの効果があります。また、自分がサボることによって迷惑がかかる人がいる、という意識が社会的な規範やプレッシャーとなり、生産性が上がるのです。

陸上競技でも川内選手のように独自で考えたメニューを実践して力を付けた選手もいますが、オリンピック選手になれませんでした。独学はある面強いですが、体系的な観点が弱く、通常の学生が知っている基本知識が剥落しているところがあるのです。陸上界でも同じ現象が起きるのです。冷静に自分を分析して練習を課せないこともあります。

陸上競技それも長距離に当たっては協働の環境は必要不可欠です。

また、集団では協働ばかりではなく競争でも効率がよくなる場合があります。自転車の競争で、単独で走っている人と複数で走っている人の速さを比べた研究があります。その結果、複数で走っている人の方が単独で走っている人よりも速かったのです。目に見えるところに頑張っている競争相手がいることで、ピア効果が働き、自分も頑張ろうという意識が自然と強くなります。

しかし、競争相手のレベルによっては、ピア効果の大きさは変わってきます。例えば、相手のレベルが自分と比べて高すぎる場合、どう頑張っても相手には敵わないから、と力を出し切ることを諦めてしまうということが起こり得ます(中2男子Aの川口の短距離選手森本君に対する態度)

逆に、相手のレベルが自分よりも低い場合には、本気を出さなくても勝てる、と手を抜いてしまうのです(中2男子Aの学校のクラブの部員に対する態度)。よって、ピア効果が発揮されるためには、競争相手は互いに油断したら負けるくらいのレベルの人が望ましいことになります。だいたい同じレベルの相手であれば、ピア効果が存分に発揮されやすく、切磋琢磨して能力を高めていくことができるのです(中2男子Aの中1男子Bへの変化)。

競い合うことで人間は大きく力を発揮し成長します。まさに資本主義社会はそのように経済を発展させてきたわけですし、スポーツの世界もそうです。

フィギュアスケートのキムヨナ選手と浅田選手、羽生選手とチェン選手、競泳の萩野選手と瀬戸選手などがライバルとしてお互いにしのぎを削ったのです。その結果お互いにレベルが上がったのです。「あいつには負けたくない!」と強く思うことが必要です。「自分とあいつは条件が違うから、この先自分が劣ってしまってもしょうがない」などと言い訳を考えてはいけません。

ライバルに設定した相手には何としてでも勝とうと努力しなくてはいけません。

「ライバルを力にする」そんな雰囲気がバンビーニ陸上クラブで芽生えてきてくれればと願っています。

 *)ピア (peer) とは仲間、同級生、同僚、地位・能力などが同等の者という意味を持つ単語。

 参考文献:ウイキペディア、行動心理学におけるピア効果、ゴルゴ13(小学館「ビックコミック」)

 

 ピア効果.jpg

40回「ある女子選手の一考察」(20191022日)

33回彩の国小学生クラブ交流大会でバンビーニの5年生の女子選手が2位に入りました。1位の選手のスプリットタイムは20032秒、40072秒、600154秒、800236秒、100031966でした。一方バンビーニの子は20035秒、40075秒、600157秒、800238秒、100031987でした。800mの時点のタイムから予測するとラストでかわせたと思います。タイム決勝の綾ですね。

今回はこの子について考察してみます。

(1)記録の変遷

ベスト記録の更新は728日越谷カップ33306922日草加市選手権328941016日越谷市内小学校陸上競技大会32495102031987です。

この記録の伸びは私の指導の結果ではありません。3ヶ月で1000mのタイムを13秒以上縮めることは、指導の範囲を超えています。

彼女の抜群の素質によるものと思われます。

(2)個人分析

彼女をもう少し分析してみましょう。

①誰も彼女を脅威と思っていない。強いというオーラが感じられない。

②見た目も速いという際立った走り方ではない。

③本人は飄々としていて、かつお母さんがガツガツしていない。子供たちの自由にさせている。

④食事を好き嫌いなくたくさん食べる。

⑤骨太(体幹がしっかりしている)である

⑥もともと彼女の専門は水泳である。基礎体力を鍛えるつもりでバンビーニに入会した経緯がある。

⑦文科省の体力テストはダントツでAランク

⑧ゴールデンエイジに入っている

そのため、前回33秒で入ったため後半落ちてしまった経験から、200mの入りは若干遅くして入れというと、1,2回の練習でそれをこなせる(35秒~36秒)。今回同組の32秒で駆け抜けた先頭の子に左右されなかった。ラストスパートはラスト150mからというとそれを実行していた。くどい指導をする前にこなしてしまう。今回のレース展開は200m毎のラップタイムが200m:35秒、400m:40秒、600m:42秒、80041秒、100041秒で、練習で課題にしていた40/200mの平均タイムを意識して走れた。

(3)感想

クラブに在籍して練習してくれている中2の女子のように長距離に強い(200mインターバル20本を36秒で帰って来いといえば、ほとんど±1秒で全数クリア出来る)タイプでもなければ、中1の女子のように切れ味鋭いラストスパート力もありません。ただただレースが終わってみると前に誰もいないのです。

剣道で言えば、上手くも速くもないのに「構えが崩れず下がらず」、無理に崩そうとすると逆に自分が崩れて打たれてしまう相手なのです。

「うまい人は、試合にしろ稽古にしろ、終わったあとに相手に清々しい気持ちを残してくれる。試合で自分が負けた時は本当に負けたと言う気持ちを残し、後腐れがない。自然に頭が下がる。ところが、前述のタイプの人間と試合して負けた時には、もやもやした気持ちが残りすっきりしない。なぜ負けたのかわからない」

彼女は相手にそう思わせるタイプなのです。だから手ごわいのです。

(4)2020年の彼女

来年から小学生の長距離の全国大会が予定されています。これまで小学生のうちから長距離をやらせるのはどうかということで全国大会がなかったのですが、現実を調査しやっと認めたのでしょう。800mか1000mかまだ決まっていないのですが、どちらでも対応できるようにしたいと思います。ここで認められて中学では他のレベルの高いクラブに入ってもっと上をめざしてもらいたいと思います。それまでにバンビーニの他の選手の良い目標になってもらいたいと思います。

 参考文献:ウイキペディア、全日本剣道連盟HP

寧々.jpg剣道.jpg

 

 

39回「暗黙知」(20191012日)

「得られた客観的データ(数値)を統計的に処理し、結論を導き出す。さらに、多くの人に理解・応用してもらうために、他の研究者の研究結果と合わせて考察して客観的データを基に、言語や図表を用いて説明する」その結果人類に貢献したと認められる発見、応用や理論に対しノーベル賞はもらえます。

しかし、一般人である我々は「私たちは言葉にできるよりも多くのことを知っているが、それを言葉で相手に理解させるのは難しい」ことを知っています。マイケル・ポランニーは、知ってはいるが言葉で表現できない知識を「暗黙知」と呼びました。

巨人の長嶋元監督のように野球界でのスーパースターが少年野球教室で子供たちに「球がこうスッと来るだろ」「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」「あとはバッといってガーンと打つんだ」と教えたそうです。たとえ野球界で天才といわれた選手でも、自分が会得した技術を皆にわかるように教えることは難しいのです(別の話でも使いました。第31回「夜と霧」を参照してください)

運動会対策イベントなどで、初めての子どもを指導する時、ポイントは3つあります。一つ目は腕振り、二つ目はモモ上げ、三つ目はスタートの構えにあります。腕振りは、1.手を伸ばして走る、2.腕を体から離して振る、3.太鼓叩きのように振る 子が多いのです。腕を曲げて走れといっても、どうやら本人は腕を曲げて走っているらしい。確かに腕を前にあげて下ろす際、体に近くなるまでは、合っています。問題は体まで肘が降りた際、肘を後ろに突きあげれば問題ないのですが、肘ではなく前腕または手首を後ろに持っていくものだから、手が伸びてしまうのです。これを指摘しないで腕が伸びているというと子どもの気持ちでは「僕、ちゃんと腕を曲げているのに」との不満が出てきます。運動会対策イベントを催すと必ずこうなりますが、1時間のレッスンでスタートからゴール、カーブの曲がり方等を教えるため、腕振りだけに多くの時間はさけないので、ある時間経つとスルーしてしまいます。最後まで腕が伸びている子には申し訳ないと思います。

当クラブで腕振りが個性的だという子はいません。すべて入会して1ヶ月間たっぷりと時間をかけて直してしまうからです。紐を持たせて走らせるなど、これまでの経験で得た方法で強制的に直してしまうのです。そこには納得した説明にはならない場合がありますが、つい「習うより、慣れろ」方式を取ってしまうのです。

指導者は暗黙知ではなく形式知として指導すべきですが、言い訳に聞こえるでしょうが、たとえば自転車の乗り方を子どもに教える場合、皆さんは理論的に教えられますか?自転車の後ろを持ってあげて練習しているうちに、手を放し本人が持ってもらっているものとして一人で運転した後、後ろを振り向いて「できた!」、とお決まりのコースではなかったでしょうか。初めての自転車の乗り方は、ほとんどの人が言語化できないのです。

ラクビーや野球のように個人技の他に「作戦」がある競技は数量化と体系化が必要ですが、芸術(絵画、音楽、写真・画像、彫刻や陶芸、舞踏やダンス等々)や多くのスポーツ(柔道、体操、陸上競技など)では、視覚や聴覚などの感覚器官を通して教育されます。しかし、この分野の教育は、言葉では語り継げないもの「暗黙知の伝授」なのです。

つまり、この分野では師匠は何も教えない、ただ弟子は師匠のやっていることを見て自分のものにするというのが、教育であるとしています。「グッとラック!」の司会をしている立川志らくは立川談志(笑点の大喜利を企画した落語家で初代司会者)の弟子ですが、談志の物まねがうまい。きっと師匠の動きや語り口を一生懸命勉強したからだと思います。

先日当クラブに、小学生の陸上界では有名な4年生の女の子が練習に来ました。ところがその子には幼稚園の妹がいました。いつもセットです。一緒に走っていい?というので走らせたら、なんと速いこと速いこと。3年生以下は皆置いてかれました。幼稚園児で、しかも400m走のインターバルなのです。ところがよく見ると、その走り方は腕振りからモモの上げ方までお姉ちゃんそっくりなのです。顔も似ているので背の高さで判別しています。これなどは「門前の小僧」的教育だと思います。お姉ちゃんの練習や試合にいつもついていくから目でフォームができあがったのだと思います。「持久力も見るだけでアップするのか?」と言われると何も言えなくなりますが、少なくともフォームは見ているだけでよくなるのでしょう。

実験はしていませんが、もしかすると見ることが持久力をアップさせるのかもしれません、このテーマに興味が湧いてきました。そういえばバンビーニにも長距離クラスにキョウダイが3組います。姉弟2組、兄妹1組、このキョウダイも共に速い。妹や弟は姉、兄に比べて競技歴は短いのですが上の子の同学年時に比較して速いのです。3組に共通しているのは「いつも一緒に行動している」ことです。

自分の好奇心を満たすために、TDCAサイクルの手法を活用していきたいと思います。

Theory(理論):従来の実績や将来の予測などをもとにして理論を作成する(「仮説」を立てる)

Do(実行):理論に沿って練習を行う(練習のすべてのタイムを記録します。1人で来ている子との比較なども行います)。

Check(評価):練習の結果が理論に沿っているかどうかを評価する(実際の伸び率を計算する)。

Act(改善):実行が理論に沿っていない部分を調べてTを修正する(伸び率が他の子より小さいことが起きた。「やる気の問題」という仮説)。

改善したTをTDCAサイクルの中心に置き、再びTDCAサイクルを動かすのです。

このキョウダイの下の子が速いのはなぜか?まずは「速くなる理由は、上の子の練習を見てきたので、練習に関する不安も恐怖もない。そのため、すんなり練習に溶け込めるからだ。暗黙知の習得を自然にしている」という仮説を立ててみたいと思います。

参考文献:ウイキペディア、暗黙知の次元

 自転車.jpg立川志らく.jpg幼稚園児に抜かれる.jpg

38回「愛称」(2019105日)

学童では教師を愛称または短縮形で呼んでいます。私は「イリ」池田先生は「イケ」と呼ばれています。これは、子どもが上から目線の態度をとろうとしているからです。巨人の長嶋茂雄選手は同僚の王選手などからは「チョウサン」と呼ばれていましたが、監督の川上氏には「シゲ」と呼ばれて怒られていました。彼らは川上監督になろうとしているのです。

我々は子ども達に〇〇先生と呼びなさいなどと強制するつもりはありません。彼らは自分たちが困った時や負い目がある時は自然に○○先生と呼ぶからです。公園で怪我をしたり、水を床にこぼした時には我々に対して「イリ」とか「イケ」とは言わないのです。

 さて、その愛称または短縮形で思い出したことがあります。「ロシア文学に対する挫折」です。

若い時、有名作家の本を教養のひとつとして読もうと文学にのめり込んだことがあります。しかし、トルストイ、ドストエフスキーらのロシア文学に挑戦した時は読破どころか、50ページも進まないうちに心が萎えて断念してしまいました。まだ家に埃にまみれておいております。たぶん死ぬまで読まないと思います。家内は捨てろといいますが、学生時代食事をけちって買ったものだから、捨てられないのです。本を見ると、もう今ではすっかりなくなってしまった向学心に燃えた若い頃を思いだすのです(だからと言って、どうってことはないのですが)。

 ロシア文学は、人物の名前が長く、登場人物がやたら多い、なんだかわけのわからないサイドストーリーがいろいろとあってあらすじを追うだけでは理解が難しいのです。

戦争と平和では主な登場人物が559名いるらしいのです(47ページでやめましたから、ウイキペディアで知ったのです)。

さらなる問題は人物を愛称で呼ぶ場合と父称、正式名で呼ぶ場合とに作家は分けるのです。つまり、登場人物の名前が場面によって変化するのです。カラマーゾフの兄弟の一人に「ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ」という人物がいます。これが彼の正式名前ですが、小説の中では、ミーチャと呼ばれ、「ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ」と「ミーチャ」のどこをどうとったら同一人物になるのか、わかりません。日本語では久子、久男が「ちゃこちゃん」「チャ―ボー」と呼ばれます。ひさこは幼児や外人には呼びにくいらしく「ひさこ→ひちゃこ→ちゃこ」という変化で「久」のつく人は「ちゃこ」と呼ばれるとお袋に教わりました(お袋は久江でした)。

また、日本語でも官位がつく正式な呼び名は昔ありましたが、真田左衛門佐信繁(さなださえもんのすけのぶしげ)が真田幸村であることはすぐ覚えられます。

しかし、慣れないロシア語では発音するのも億劫になるため長く感じられるのでしょう、人物名が覚えられないのです。用事があって3日間放っておいてから読むと、もう誰が誰だかわからなくなり、始めに戻ります。これを繰り返すと47ページが我慢の限界となるのです。

愛称や短縮形の呼称において、日本人、日本語は世界一です。

 *)ロシア文学に挫折した頃、ロシア人の名前を挙げろと言われ「スケべビッチ・オンナスキー」と言ってウケていました。今から思うと挫折者の捨てゼリフでした。

 

参考文献:ウイキペディア、河出書房「世界文学全集」

 

カルマーゾフの兄弟.jpg戦争と平和.jpeg

37回「嫌な上司」(2019101日)

 多くの保護者様は現在会社勤めしていると思いますが、定年まで嫌な上司と出逢うことは少なくありません。底意地の悪いのやパワハラは問題外ですが、普通のタイプと思われる上司の中でも嫌な上司がいました。

 私は現在陸上競技のコーチをしていますが、コーンやマーカーは直線やダッシュのゴールを示せればよいという考えで、色についてはバラバラでも全く気になりません。子どもの中には片付けろ!というと、きちんと色分けして持ってくる子がいます。几帳面な性格の子だと思います。しかし、可哀想に次に使う時は私はまた適当に置いてしまいます。もしこれが逆だったら、子どもは大変です。折角手伝ってくれたのに色が違うとお説教されていやな気分で終わってしまいます。

 そうです。まず1人目は性格が真逆な上司で、上司が几帳面である場合が困ります。皆で作った事業計画書を上司に持って行ったところ、内容ではなく、字は明朝体を使え、グラフでは減少は赤、増加は青、棒グラフは3D形にしろと言われ、嫌な顔をすると「ようござんすか、計画書というのはな・・・」と慣れない江戸弁を駆使して延々10分間言われ、参りました。私は資料をどういう形式にするかを気にしていないから納得しないのです。上司のお名前も「藤原さん」でしたが「ふじわら」さんというと怒るのです。俺は「ふじはら」なんだ、と。

 次に曖昧な指示をする上司です。「いいか、入山。今度の戦略は『たとえば』だな、○○というやり方がいいと思う。いいか、あくまでも『例えば』だが・・・云々」成功すれば「な、言った通りだろう」失敗すると「入山、あれは『例えば』と言っただろう、よく自分の頭で考え、臨機応変に行動するべきだったな。反省しろ」

 最後に、なんとでもなる指示をする上司です。業種によって違うので普遍的な事例で述べます。「入山、風邪ひくなよ」という指示です。

風邪を引いたら大変です。「あれほど、風邪ひくなと言っただろう。お前は俺の指示を全然守らない奴だ」風邪をひかなければ「な、お前は俺の指示を守ったから風邪をひかなかったのだ。風をひかなかったのは俺のおかげだ」というタイプです。

具体的に申し上げると「いいか、競合が安売り攻勢でくるかもしれない、皆気を付けろ」と言いながら個々の得意先の売価決定申請書(得意先に売る商品の値段)を提出すると「こんな値段で売るなんて、工場が納得するわけはないし、安ければ誰だって売れる。いい営業マンは不良品だって売って来るものだ」といってOKしません。そのうち競合にシェアを喰われる羽目となりました。「そらみたことか、あれほど競合の低価格攻勢に気を付けろといっただろう」と怒る上司です。

 翻って今の自分は子供たちに常に指示及び指導をしていますが、指示・指導は明確にかつ途中で変えないようにするべきだと考えています。

「今日はインターバル10本の練習だが、苦しければやめてもいいが、やり通すことが大切である。本数より規定タイムを守ることが必要だが、熱中症で倒れても困るから規定タイムをクリアできないのは仕方ない」という指示だけは出さないようにしています。

子どもが混乱するのはどうともとれる指示であり、優柔不断の態度です。

本日の練習は5本シリーズ(*)と言ったら、すべての練習項目は5本です。子どもの「くたびれたぁ!」圧力で3本に変えてはいけません。決めたことはやるのです。

どんなことがあっても変更しないので、最近はさかんに私に時間を聞いてきます。としのうでの練習の時は17時になると「蛍の光」が流れ、練習を止めなくてはなりません。逆算してあと10分しかない、もう終わりだと思うと、トイレとか水だとか時間稼ぎが始まります。賢い子どもたちとの駆け引きは今後も続きます。

子どもは素直ですが自分の判断では行動できないのです。そのため、コーチの役割は社会人の上司以上に重要だと思います。嫌な上司にならないよう肝に銘じて精進します。

 

*)バンビーニ陸上クラブの練習の本数は七五三シーリーズになっていて、内容によって7本の時や5本の時、負荷が大きい時は3本です。なぜ奇数かというと、7本やる場合4本をめざし、それをクリアすれば後半は半数未満です。そう思えば、気が楽になります。偶数だと終わってもまた同じ本数をしなくてはならず、精神的につらくなります。

怒る上司.jpg風邪.jpg

36回「頑張る心と頑張れる体」(2019924日)

体力を測る時、暗黙の了解として“全力を出し切る”ことが求められます。しかし本当に全力を出し切っているかを確かめる手立てはありません。苦しい顔をされれば全力を出しているように思えます。しかし、私の前を通った後ろ姿はサボっていることを示している時があります。私はサボれば怒鳴ります。言い返せば目をつりあげて怒ります。大人げないという方もいますが、相手は小学生なので決して長時間お説教をすることはありません。怒るのは祭りの合いの手みたいなものです。子どもはコーチの見えないところではゆるめることは本能だと思っています。子ども達は「我に艱難辛苦を与え賜え」と言ったという昔の武将ではないのです。

当クラブの1年生は全力走をやらせても全力で走っていないことがわかりました。というのもある時心拍数を計りながら練習した日がありました。練習前、100m走直後、3分後と3回計りましたが、心拍数はほぼ同じでした。彼は多分全力走を知らないと思われます。2月生まれだから体は普通の幼稚園児と同じと思っていいです。だが、私生活ではお父さんが厳しく育て練習にも車でなく自転車で来ます。練習は我々に預けて下さる。親を頼ることはできません。しっかりしている反面、生意気な物言いをするからいじられます。でも、めげないのです。私はめげない子が好きです。学童でよく登場するA男は決していい子ではありませんが、めげない子です。めげなければ明日が来るのです。目が覚めた時環境や本人そのものが変わっているかもしれないのです。当クラブはいじめはゆるしませんが、イジリは大目に見ています。

ある時ペナルティ(タイムが悪いとバービーをやらせる)を課すと言ったら、頑張りました。バービー20回は辛いことがわかっているのです。見ていても全力で走り規定タイムをクリアしました。やればできるのです。きっと犬を放し追っかけさせたら、子どもは全力で逃げると思います。それが大会だったらすごい記録が出るのです。

ここからが、私の理論の裏付けです。

スポーツ生理学の権威である猪飼道夫(元東大教授)は次のような実験を行いました。

「手の母指内転筋を支配する前腕の尺骨神経に50ボルトの電流を流すと(他の指を支配する神経と異なるため他の指は働かないが、念のため石膏で固めている)被験者の意志と無関係に母指内転筋が収縮し筋力を発揮する。電気刺激を与えて発揮される最大筋力(生理的限界)は自発的に発揮される最大筋力(心理的限界)よりも平均約31%大きい値であった。さらに精査すると被験者(10名)によって18%~48%と増加幅に大きな差があった。すなわち、頑張るこころと頑張れるからだに個人差が顕著であることが分かった」

 

猪飼はこのメカニズムを、「ヒトは平常“こころの殻”という(抑制)が本来の自由を奪っているが、外部からの気合いやかけごえ等の強い刺激がこころの抑制(無理をしない)に作用し脱抑制を引き起こすことによって、抑制が一時的に消退したものである。すなわち、大脳の運動野に対する抑制的作用が外からの刺激によって一時的に中断することによる」と説明しています。

簡単に言えば“火事場の馬鹿力”のメカニズムを説明するものです。普段は抑制がかかっているため子どもは生理的限界まで力を出すことが困難ですが、外的環境や、あるいは個人の強い意志によって生理的限界値近くまで力を発揮することが可能であることを示唆しています。恐らく、厳しいトレーニングによって自発的最大筋力を限りなく生理的限界まで近づけることができるでしょう。

ただ、口ばかりの私の姿はこれに逆行して、加齢に伴って生理的限界が限りなく心理的限界に近づき、少し頑張ると筋肉に異常をきたします。そのため、子どもたちの「コーチもやってよ、見本見せてよ」という挑発には決して応じないのです。

以前、米国でベストセラーになった一冊の本があります。それを野中さんが翻訳して『脳を鍛えるには運動しかない!』の刺激的なタイトルをつけ出版しています。

それはどういう内容かといいますと、イリノイ州ネーパーヴィルの中・高等学校へ一人の体育教師が赴任してから学校が大きく変わった話です。その教師の体育授業の特徴は、楽な楽しいことに流れる現代的生徒に対して、心拍計をからだに付け比較的高強度の運動を20~30分間頑張って走らせる厳しい授業を課したことにあります。

しばらくすると生徒たちが今まで味わったことのない達成感や爽快感、あるいは充実感や効力感(充実感)を体験するようになりました。その頃になると生徒の姿勢や行動にも変化が現れ、こころとからだに自信が芽生え、苦しいことにも積極的にも立ち向かう勇気、体力、忍耐力が強化され、物事を自発的・積極的に行おうとするエネルギーが高まってきました。その結果、肥満が米国の子どもの平均30%に対してわずかに3%まで減少し、かつて平凡な学校が全米有数の優秀校にのし上がったのです。

この訳本のタイトル“脳を鍛える”とは、“こころを鍛える”ことであり、高強度のランニングを比較的長い時間頑張ることによってからだの鍛錬にとどまらずこころの強化にまで好影響を与えた事例を紹介したものです。

バンビーニ陸上クラブの練習が小学生には過酷すぎるとの非難のメールがきたことがあります。しかし、私もめげません。以上の理論的背景によって、改めて思います。「頑張るこころと頑張れるからだは表裏一体をなす」と。

参考文献:ウイキペディア、猪飼道夫論文集、山地啓司(初代ランニング学会会長)評論集

 

 

 火事場の馬鹿力.jpg全力走.jpg

 

35回「水風船」(2019917日)

夏休みの終わりに、学童では水風船で遊ぶことになった。水風船は屋台のヨーヨーみたいなもので、それをぶつけあう遊びだ。暑い日には楽しいゲームとなる。制限時間は15分。ところが問題がある。予算の関係で12個までだ。だから、子ども達はなかなかぶつけない。投げるふりをしても投げない。なくなったら遊べなくなるのだから当然だ。追いかけても投げはしない。

5分が経過して、我慢できなくなった小1から投げ始めた。やっと開戦だ。なんだか関ヶ原の合戦で様子をうかがっていた西軍みたいだった。ラスト5分になったところで左手には1個残っている。どうするのかなと見ていたら、皆はそれぞれ右手に持ち換えて1人を見つめている。その瞳にはあのお騒がせ男のA男が映っていた。小3の男の子は自分の工作を壊され、小2の女の子はおはじき遊び中おはじきを足で引っ掻き回され、小1の男の子は彼のズルでいつもつまらないゲームをさせられていた。皆はそれぞれ普段から言い知れない恨みがあったのだろう。最後の1個は彼向けにとってあったのだ。

彼が走り回っているところへ小3の男の子が投げた。それを見て小2の女の子が投げた。皆それぞれの思いを持って投げた。ところがA男の悪運はたいしたもので、皆の水風船はある時は前にある時は後ろへある時は手前に落ちるなどして当たらない。農民が槍を持たされて敵将に攻撃してもへっぴり腰では刺すことができないのと同じだ。一騎当千とはこのことか。

同級生のY男がA男を公園の壁に追い詰めた。その時残り時間は1分。だが、A男の右手にもひとつの水風船が残っていた。A男はついに投げた。きっとY男をライバルとし彼を最大の敵と考えていたのだろう。Y男は男気があり時々A男の不正を正していた。喧嘩慣れしているようで、言われれば言い返すがA男もむやみには挑んでいかなかった。そのためA男の最後の1個はY男にとっておいたようだ。しかし、悪運もここまで。丸腰になった彼にY男の水風船が当たった。残り30秒、水風船が残っていた子供たちは一斉に彼めがけて投げた。いくら農民の槍でも数が多ければ敵将を刺す者も出てくるものだ。5個が当たった。服はびしょびしょ。

そこで、終了の笛の合図。時間には厳しい学童だ。一斉に引いて集合し点呼が始まった。そして、何事もなく学童に戻った。しかし、その帰り道、誇らしげな顔を見せた子、満足そうな顔をした子がいたことを私は見てしまった。教室では保護者のお迎えまでいつもと変わらない雰囲気。彼は気づいたのだろうか、皆が自分を狙っていたことを。たぶんA男は知っていたのだろう。でも、今が楽しければいいA男はめげない。彼はそういう男だ。30年後、日本経済がおかしなことになっても彼だけはたくましく生きているのだろう。そんな彼を私はあの世でじっくり見届けるつもりだ。

水風船.jpg水風船2.jpg

 

 

34回「陸上道」(201999日)

 日本人は、「○○道」が好きです。武士道はもとより、茶道や華道、柔道や剣道など、日本古来のジャンルに多くあります。とりわけアスリートには「○○道」好きの人が多いのか、相撲道や野球道なんてことを言いだす人までいます。

 「○○道」の「道」は、一本道です。日本では「ひとつのことを続ける」ことに、「いろいろやる」ことよりも高い価値が置かれています。野村元楽天監督は、現役時代に自分のことを「生涯いち捕手」と呼んでいましたが、この「生涯いち○○」みたいな人生に対するスタンスは、今でも日本人の生き方として、あるいは職業倫理として、好意的にとらえられることが多いのです。諺にも石の上にも3年、嵐の後には凪がくる、牛の歩みも千里、待てば海路の日和あり、など辛抱して続けなさいというものが多いのです。

 「○○道」には、ひとつの重要な前提があります。「道」を極めた先には、「達人の境地」のような万事に通じる普遍的な世界が開けている、と言うものです。だから「道を知る者」同士は、たとえまったく違う世界の人間でも分かり合えると考えるのです。名人同士が対談して、「うん、わかる、わかる」みたいな話になるのです。大学の一芸入試も、メダリストの政界デビューも、そもそも日本ではこの「極めたる者の普遍性」のような観念を背景に成り立っているのだと思います。。

だからと言って、私は小学生、中学生に「陸上道」を勧める気はありません。

陸上は楽しくやりなさい、タイムが伸びていく喜びを感じなさい、将来人生で辛いことがあったら陸上を思い出しなさい。記録が伸びた過程を思い出す、それがきっと役に立つと思うからです。礼に始まり礼に終わるとか、直立不動でコーチの話を聞くことは求めていません。

そもそも陸上競技の練習に「うちの伝統は・・・」とする意思が私にはないのです。クラブは道場ではありません。個人の資質によっては今までのやり方を大きく変えた練習が必要になることがあります。私よりも経験豊富なコーチに預けることもやぶさかではありません。その子の将来のために、バンビーニという組織を超えた指導が必要な場合があるからです。

型にはめた教育をしても自然体のケニアの選手にはかないません。オリンピックで世界記録を出すためには、爆発的エネルギーを出すことが必要です。じわじわした力ではありません。すなわち、爆発するということは型にはまっていないことを意味します。

短距離は最大筋力を発揮する練習があるため休憩が長めのせいか、生意気なお子さんがたくさんいます。若い時なら生意気な子どもを怒鳴りつけたでしょうが、今は生意気なら生意気のまま育てようとしています。ただ、心底強くなりたいという気持ちがないといけません。ただの走り屋ではダメなのです。

一方長距離はほとんど走っているせいか、当クラブでは無口な子が多いのです。特に長距離は2時間の練習のうち会話は10分間、私が9分間を受け持ち10人全員で1分間の持ちタイムとなっています。しかし、無口の子ども達には「なにくそ」の雰囲気が漂っています。2つのタイプの子ども達に臨機応変に対応していきたいと思います。

もし、一生懸命陸上競技をやっていくうちに、自分なりの「陸上道」を見つけたら(その時は高校生以上だと思いますが)それはそれでいいと思います。その時は相当上のレベルになっているはずです。そのハイレベルの人の「陸上道」を否定することはしません。もう私の範疇を超えているからです。

この文章を読んでいる当クラブの子どもがいたならば、こう言いたい。「オリンピックで金メダルをとったら、インタビューで『今ある自分は、小学生の時に習ったバンビーニ陸上クラブの入山コーチのおかげです』と一言言ってください。TVを見ながらニヤッと笑って永久の眠りにつくでしょう」

参考文献:ウイッキペディア、石井 昌幸/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授氏論文

 陸上道写真.jpg

 

33回「ねえさん先生」(201991日)

学童における夏休みの極々些細なできごと。

夏休みも終わりに近づいたある日、1日子供を預かっているのだから、当然遊ぶ時間も増える。曼荼羅、オセロ、将棋、トランプ、あやとり、けん玉、おはじき、人生ゲーム、ツイスト等いろいろなゲームがある。近代ゲームでは私はすべて子供に勝つことにしている。それが教師の役割だからだ。ただし、ポケモンカードなど現代のゲームに関してはグリコ(お手上げ)だ。だから、見ているだけ。他の教師も同じだ。支配人の若い女の先生(ねえさん先生)を除いては。

私が曼荼羅を小1の女の子とやっている時、事件は起きた。「A男、あんたズルしたでしょ。○○君に謝ってよ」と件のねえさん先生の声。「僕ズルなんてしてないもん」といつもの会話が始まった。ところが今回は皆が見ていたためA男には断然不利な状況であった。監視カメラ5台作動中に万引きをやって捕まったようなものだ。逃げようがないのだが、ここからが意地っ張りの損なところが出る。「ごめんなさい」と一言言えば済む話なのに・・・段々お互いに引けなくなってきたのは声のトーンでわかった。

ねえさん先生はA男の身体を押さえ謝らせようとしたが、A男は興奮し、暴れる。上体は押さえられているため、足で蹴り始めた。少しひるんだ隙にA男は学童から逃げようとした。しかし、学童の鍵はその開け方にコツがいるため子供では開かない。その間にA男に追いついたねえさん先生はA男をつかんで「払い腰」で床に倒した。

後程聞いた話だが、子どもを迎え入れた後いちいち施錠するのは、こうしたケースで子供が学童を飛出し自動車や自転車、歩行者とぶつかるのを防止するためだという。それで合点がいった。子どもが学校から帰って来るたびに施錠するという面倒な意味が。それと、ねえさん先生は柔道をしたことがなく、咄嗟に出た技だといっていたが、見事な「払い腰」だった。

床に押さえて「謝れ!」と言っていたが、足をバタバタさせいたため、おばさん先生がさらに足を押さえた。我々男衆の教師は見ているだけ。男の教師がこれをやると思わず殴ったり蹴ったりすることが起きこるため、腕白どもを力でねじ伏せることは規則としてできない。なぐったら跡が残り訴訟になるという、辞職だけでは済まないのだ。見ているだけでは辛いものがあるが、雌ライオンの狩りを見ている雄ライオンみたいだった。

さて、A男は押さえられて身動きが取れないのだが、押さえている先生の手を押さえられた手の指の爪を立てて攻撃。「痛い」とねえさん先生、そのため押さえていた腕によけいに力が入り、「痛いよ」とA男。これからは売り言葉に買い言葉のラッシュ。「痛いよ、くそ婆」「うるさいわ、お前が思うほど歳とってないわ。くそガキ」「こんなところやめてやる」「ああ、とっとと出てけぇ」結局自由を奪われたA男が静かに流した涙がねえさん先生の心に触れた。柔道で寝技をかけられ負けを覚悟した選手の涙に通じるところがあったのかもしれない。

もう暴れることもなくなったA男は解放され、母親が迎えに来るまで隅でじっと耐えていた。私は時間が来たので帰ったが、その日はねえさん先生とおばさん先生の二人で話し合い、迎えに来る母親には話さないことにしたようだ。

翌日、私の目の前で、A男は元気よく「ただいま!」と言って学童に入ってきた。

寝技.jpgライオン.jpg

 

32回「スランプ」(2019828日)

スポーツをするうえで「記録の停滞」や「パフォーマンスの伸び悩み」など、一時的に調子が落ちて力を十分に発揮することができない状態を「スランプ」と言いますが、子供がスポーツをする中でスランプに陥ってしまった時に「手助けをしてあげたい」「支えてあげたい」と考える保護者の方も少なくないと思います。

保護者にとって、子供が苦しんでいる姿を見ることはとても辛いことです。「この子は自力でここから抜け出せるのだろうか」「このままでは辞めたいと言ってくるのではないだろうか」「このことをコーチに相談するべきか」などの「悩み」や「不安」と葛藤することもあるかもしれません。

しかし最終的にスランプを乗り越えるのは子供自身です。

そこで保護者としてするべきことは、転んでいる子供を抱き起すことでも、「立ち上がりなさい!」と叱咤することでもありません。

まずは「記録の停滞」の原因を分析し、子供が安心してスポーツに取り組める環境を整えてあげることではないでしょうか。

一般的にスポーツをする子供達がスランプへ陥る原因としては

1.過度の練習によって、身体的・精神的過労の状態に陥っているとき(疲労骨折など)

2.自覚しない栄養障害や慢性の病気である場合(甲状腺亢進症など)

3.フォームの修正など、練習によっていったん無意識化・自動化された動作に、さらに高度な技術を習得しようとして、意識的動作が加わったとき、

4.自分の現在の技能水準に飽きたらなさを感じ、最高級の技術を習得しようとして、コツが上手く見いだせず、技術的な悩みや焦りが生じたとき、

5.日常生活における悩みや競技生活に対する迷いなど、精神的な悩みごとや動揺があるとき、

6.埼玉県県強化指定選手規定タイムを切った時など、自己の目標を達成したことによる気のゆるみから、練習に対する意欲や情熱を失ったとき、

7.練習プランが新鮮味に欠けているとか、技術面の課題が容易で固定化しているなど、マンネリ化練習内容に陥っているとき、

8.仲間との関係、練習目標、チーム目標に疑問や不満を抱き、練習に対する意欲や情熱を失っている場合

に見られます。

このようにスポーツをする子供達がスランプに陥る原因には様々なことが考えられ、中には心がボロボロになるまで本人さえ気づかないケースもあります。

 

さらに、「記録の停滞」には「スランプ」ではなく、陸上競技を始めたばかりの子が陥る「プラトー(停滞)」もあります。

スランプ状態というのは、通常は既に高いレベルにある選手が本来の力を出せなくなるようなときのことを指すのに対して、プラトー現象というのは、これから力を付けようとしている成長過程にある子に見られる現象のことであり、基本的にスランプとは似ていても異なるものです。

すなわち、スポーツを始めてしばらくの間は、初めてのことが多いし、今までできなかったことができるようになるため、急激な成長を感じることができます。しかしある程度のレベルや年齢に達すると「得意なこと」と「苦手なこと」、「好きな練習」と「苦痛な練習」に合わせて、身体的な特徴などから「するべき課題」を避けてしまったり、「苦痛で地道な努力」ができなくなってしまうことがあります。そして子供達はとりあえず「何らかの練習」をやっておけば、努力を怠っていない気になったり、練習をちゃんとやっている気になります。

その結果「頑張っているのに結果がついてこない」「努力をしているのに自己ベストが更新できない」となるわけですが、それがスランプかと聞かれれば、答えは「NO」で、それは「プラトー」に当てはまりますので、自分の苦手を克服する努力を怠らないことが大切になります。

「停滞」という意味では、スランプもプラトーも似ていますが、停滞の原因が「心身の疲労」などであれば「休息」が必要となりますし、プラトーであれば自分の課題ときちんと向きあう必要があり、それぞれに対処法が真逆なため注意が必要です。

また、「記録の停滞」には身体の急激な成長に脳がついていけず、パフォーマンスが一時的に落ちてしまうという成長期の子供特有のスランプ「クラムジー」があります。

クラムジー(英語:Clumsy)とは、不器用な、ぎこちないという意味を持つ形容詞です。スポーツの世界では、急激に身体が成長する第二次性徴期に、身体と感覚のバランスが崩れ、以前に習得した技術を思うように発揮できなくなる時期を指します。同時に成長痛(オスグッド)によるひざ痛を発症する子どもも多く、精神的にも肉体的にも「何をやってもダメ」な状態に陥ることも少なくありませんが、これはその時期を通過すれば問題ないのです。しかし、多くの子どもはその時に競技をやめてしまうのです。

 

「スランプを経験したことがない=強いメンタルの持ち主」とは限りません。適当にやっている人は、大きな成果をあげることもない代わりに、壁にぶつかったり、スランプを感じることもないでしょう。

子供がスランプに陥って悩んだり苦しんでいるということは 「ひとつのことを真剣に取り組んでいる証」だということです。

スランプに陥っている子供達は、保護者から「今の自分を認めてもらえる」ことで、安心して前へ進むことができますし、逆に保護者からも否定的な態度を示されれば、さらに状態を悪くしてしまうばかりです。負のループに陥ってしまいます。

スランプを乗り越えるのは子供自身ですが、それを見守り支えてあげるのは保護者の役割だと思います。

もしお子さんが相談してきた時は、とにかく話をしっかり聞いてあげてください。

その際に「自分がそうだったから子供もそうだろう」と自分の経験に基づいた決めつけは危険ですし、うまく伝えられず脱線しかけている子供の話を遮って先に結論を言ってしまうようなことがないようにしなければなりません。

子供の気持ちをしっかり受け止めるためには100%の話を聞いてあげなければいけません。 99%では子供は満足しませんし、その残りの1%にとても大きな意味が隠されているかもしれません。

子供の結果ばかりを評価するのではなく、たとえ結果が悪くてもそれまでの努力を認め、子供の未熟な部分も受け入れてあげることが大切です。

 それができるのは保護者だけだと思いますし、 子供達が自分の努力を一番認めてもらいたいのはやはり保護者だと思います。

 

大人達はつい子供達の欠けている部分を指摘して改善しようとしがちで、そのせいで子供達の努力や良い部分が曇ってしまうことがあります。日頃から「頑張っていること」「努力していること」をきちんと認めて子供の気持ちを満たしてあげることが大切です。

子供達は、良いことも悪いことも経験したことがそのまま体と脳に染み込んでいきます。スランプを乗り越えた経験は、子供達の心の成長に良い影響として体の中に刻まれることでしょう。スランプを自分の力で乗り越えた子供達は、この先も同じような壁にぶつかった時、自分で道を切り開く力がついているはずです。

そこで得た自信や力は、スポーツの場面だけでなく、社会人になってからも自分の財産となりこの先もずっと子供達の支えとなってくれることでしょう。

 

参考文献:ウイッキペディア、大和部屋、サカイク

スランプ.png挫折.jpg

第31回「夜と霧」(2019820日)

「コーチは必要か」というテーマを挙げると、「自己否定するわけがないから、答えは簡単」と見透かれそうです。今回はそうだと居直って話を進めます。自分の存在意義が問われたテーマだからです。

オリンピックでメダルを取った選手は競技力が高いことで、我々の”知らない世界”を経験しているかもしれません。しかし、経験したから”できる”と言うのは間違いです。東大に合格した人が家庭教師になって教え子を東大に合格させることができるのかと一緒です。

「競技力=指導」と考えてしまいがちですが、「競技力≠指導」です。野球界でのスーパースター「巨人の4番」長嶋茂雄は少年野球教室で子供たちに「球がこうスッと来るだろ」「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」「あとはバッといってガーンと打つんだ」と教えたそうです。たとえ野球界で天才といわれた選手でも、自分が会得した技術を皆にわかるように教えることは別の様です。

指導と競技では求められる能力が異なります。競技力の高さはアドンバンテージにはなりますが、コーチの能力を決定づける要因ではありません。

もし知っている範囲でしか指導できないのであれば、到底世界記録を出す選手を育成することはできません。

コーチをしていると知らない世界に挑戦していくことからは避けられません。自分が日本記録を出していなくとも、その世界を知らなければその分、工夫して学べば良いのです。

実績がないからコーチが出来ないと悲観せず、謙虚に学び続けるコーチでいたいと思います。

コーチが必要なことはゴルフでもあります。

最近復活したタイガーにコーチが必要ないといわれているのは”ゴルフがうまい”からではなく、”自分のスイングや体について熟知している”からです。プロだから自分のスイングを理解していて当たり前だと思うかもしれません。しかし、ゴルフが上手いからといって自分のスイングメカニズムや構築方法に関してロジカルに説明できるかというとそうとは限りません。そこにはスイングを理解するための知識が必要になるからです。

 今までタイガーはブッチ・ハーモン、ハンク・ヘイニー、ショーン・フォーリーという一流コーチたちからそれぞれタイプの違うスイング理論を学んできました。スイング理論だけではなく体やスイングの癖、スイングの修正の仕方などを20年以上学び、すでにコーチがいなくても自分自身をティーチングできる知識レベルにあるはずです。そんなタイガーでもコモという参謀役を重用するのは、スイング構築が複雑で狂いが生じやすいものだと理解しているからです。タイガーといえどもすべてのスイング理論を理解しているわけではないし、自分で気づかないスイングのズレもあります。無駄な試行錯誤を省くために、コモの幅広い知識を活用しようと考える合理性はタイガーが強かった理由の一つだと思います。

さて、低迷したゴルファーがコーチに指導を依頼すること”は、ふた通りのパターンがあります。

(1)ひとつは、”何かを変えたい”ときです。

自分でがむしゃらにがんばってみたが、それでもうまくいかず、「何かを変えなければいけない」と感じて、指導者に助けを求めるパターンです。

 ただしこの場合、自分はなぜ成績が低迷しているのか、その状態を打破するためには何をすべきなのか――そうした現状分析ができていないので、コーチの人選を適切に行なえていないことが多いのです。「実績があるコーチだから」とか、「知り合いで人柄がいいから」とか、技術的な部分でのマッチングを考えずに、依頼してしまいがちだからです。

(2)もうひとつのパターンは、”課題をクリアするために必要なものを取り入れるため”です。

この場合は、自らの現状分析を行なって、自分の進むべき道を理解し、そのためにコーチに習いたいことは何なのか――それが、明確であることが多いのです。そういう選手であれば、適切な指導者を選択できます。

 選手の成績の浮き沈みに関しては、一般的にコーチの指導力が問われることが多いですが、実はそれ以上に、選手側の人材登用のスキルが、そのカギを握っているのです。

欧米には優れたコーチがたくさんおり、スイングだけでなく、ショートゲームやパッティングなど、分業制も進んでいます。また、コーチにもさまざまな種類があって、ひとつのメソッドを教えるタイプもいれば、選手に対して柔軟に対応し、さまざまなスイングモデルを提案するタイプのコーチもいます。

つまり、選手が何をしたいのかによって、適切なコーチの人選は変わります。選手としては、たくさんの選択肢の中から、選手自身がコーチから何を教わる必要があるのか、それを明確にしてスタートを切らなければ、適切なコーチを選ぶことができないし、まして理想のゴールにはたどり着くことができない、ということです。

ウッズの話に戻します。

ウッズは、2014年にクリス・コモという、ほぼ無名のコーチと契約しました。『ゴルフスイングコンサルタント』と名乗る彼は、全米中の有名なコーチたちに弟子入りしていて、さらに、テキサス女子大学のヤン・フー・クォン教授から学んだバイオメカニクス(生体力学)をゴルフのスイングに取り入れていました。

無論、一部のプロゴルファーやメディアは、コモに懐疑的な目を向けていました。その論調の大半は以下のようなものでした。

かつては世界のトップに君臨していたウッズです。その指導を、何の実績もなく、バイオメカニクスという訳のわからない話をする”若造”に任せていいのか、というものでした。

だが、ウッズには「自分自身の持っている特性を生かした、体に負担をかけないスイングを確立したい」という明確なビジョンがありました。そのために必要なのが、コモであり、バイオメカニクスの知識でした。

事実、見事に復活を果たしたウッズですが、彼のようにすれば、誰にでも同様の結果がもたらされるわけではありません。もしも、ウッズと同じように復活を期すプレーヤーがいるなら、まずはウッズのスイングを真似るのではなく、ウッズのスイング構築のプロセスを真似るべきです。

今回のウッズの復活によって、改めてわかったことは、コーチ選びに大事なことは、名声や実績ではない、ということです。

もちろん、実績を残しているコーチはいいコーチである確率が高いのですが、だからといって、ある選手、あるいはあなたにとって、必要な知識や気づきを与えてくれるコーチかどうかはわからないのです。

小学生や中学生の場合はもっと簡単です。コーチの役割は技術論ではなく、子ども達が陸上競技を好きになり、持っている潜在的才能を発芽させることなのです。大輪の花は高校生、大学生になってから咲きます。その時はきっと私の存在は忘れ去れていることでしょう。でも、たとえそうなる運命でも、私は大賀ハスの大賀博士のように子どもの才能を発芽させることに、自分の存在意義があると思っています。ただし、大輪の花が何色なのかはわかりませんが・・・

 

*)「夜と霧」

著者は、強制収容所から奇跡的な生還を果たしたユダヤ人のヴィクトール・フランクルです。精神科医だったフランクルは、冷静な視点で収容所での出来事を記録するとともに、過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望したか、何に希望を見い出したかを克明に記しました。

「夜と霧」は戦後まもなく出版され、世界的なベストセラーとなります。アメリカでは、「私の人生に最も影響を与えた本」でベスト10入りした唯一の精神医学関係の書となっています。日本でも、重いテーマにもかかわらず、これまでに累計100万部が発行されました。2002年には新訳本も刊行され、その人気は衰えていません。

「夜と霧」が時代を超えて人を引きつけるのは、単なる強制収容所の告発ではなく、“人生とは何か、自分の存在意義とは何か”を問う内容だからです。

戦後、フランクルは「人生はどんな状況でも意味がある」と説き、生きがいを見つけられずに悩む人たちにメッセージを発し続けました。彼が残した言葉は、先が見えない不安の中に生きる今の私たちにとって、良き指針となるはずです。

収容所という絶望的な環境の中で希望を失わなかった人たちの姿から、人間の“生きる意味(存在意義)”とは何なのかを探ります。そして苦境に陥った時の“希望”の持ち方について考えています。(みすず書房)(NHK放送「夜と霧」)

*)大賀ハス

大賀ハスは、1951年、千葉県千葉市検見川にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハスのこと。発見されたハスの実3個の中の1個が発芽したのです。

 

参考文献:ウイキペディア、TRACコーチ 大西正裕談、ゴルフスイングコンサルタント吉田洋一郎談、NHK放送

 夜と霧.jpg長嶋茂雄.jpg

 

 大賀ハス.jpg

30回「レコード大賞」(2019811日)

昔、場末のバーで飲んだ時酔っぱらいのお客が歌う唄には共通点がありました。お姉ちゃんに聞くと港、冬、かもめ、ひとり、恋に破れて、が共通ワードだといいます。そうだろうな、こんなところに来る人は、少々人生に疲れた人が多いと思います。

でも、恋愛に縁遠い男が失恋や別れの唄をなぜリクエストするのでしょうか。テレサテンが好きな男はたくさんいますが、ほとんどの男はテレサテンのハイレベルの恋はしていないはずです。それなのにリクエストするのは「恋」を「出世」に置き換えている者がいるからです。唄に出てくる彼女は、部長や役員、いや社長のことなのです。彼女は会社そのものかもしれません。ライバルが出世するとそれは失恋になります。配置転換や肩たたきにあうと、それは「別れ」になるのです。サラリーマンは恋多き人種なのです。

さて、本日申し上げたいのは酔っぱらいの論理ではなく、「データースポーツ」としての統計学のことです。場末のバーではワードが限られてしまうため、ネットの歌詞検索サイト「Uta―Net」から抽出したデーターで日本人が好む唄をつくりました。

その前提条件は

1.このサイトに登場する数が多いワードを選びました。

2.ワードを使って展開すると私の文章がつなぎで入ってしまうので、極力私は「てにをは」に限定します。そのため人気の高いワードの入った「曲名」で文章を構成することにしました。

3.ただし、このワードの登場回数は同じ唄を複数の人間がレコード化した場合もカウントされるため若干修正が必要ですが、今回は問題視しません。あくまでも例なので。

4.引用した歌手ならび作詞者の原文の内容は考慮していません。そのイメージを思い出さずに唄を読み下してください。

 

(1)登場頻度の高いワード

10,000件以上登場するワード

1.夢:96,987

2.目:68,894

3.風:64,484

4.恋:53,558

5.道:46,595

6.光:44,895

7.幸せ:23,977

8.鳴:20,278

9.願い:18,280

10.波:17,970

11.神:13,429

12.希望:12,716

13.晴:12,548

14.自由:11,658

②同じジャンルで比較して、多かったワード

1.星と月

星:33,469件 月:28,536

2.好きと愛

好き:38,837件、愛:92,297

3.海と空

海:24,682件、空:79,385

4.男と女

男:16,738件、女:30,481

5.春夏秋冬

春:16,855件、夏:17,997件、秋:5,736件、冬:9,090

③特殊な条件で多かったワード

1.あなたとおまえ

あなた:60,116件、おまえ:5,093

2.夜と朝

夜:79,423件、朝:28,524

3.昨日、今日、明日

昨日:13,488件、今日:42,232件、明日:48,340

 

(2)(1)を参考に創作した「唄」  題名は「真夏の夢追い人」

「新しいに吹くは」「あなたへと続く」にいざなう

「迷想少」だった私が「幸せについて本気出して考えてみた」

降るに」「願い」をしたら「希望という名の」が降りてきた

「あなたのに包まれながら」

「うれしい!たのしい!大好き!」な気持ちになるのは、きっと「動」

このまま「もう少しの」を見させてください「自由な女」さま

私のほしいのは「らない覚まし時計です」

「目覚めた時にはれていた」「あー休み」

*)曲名

1.「新しい朝に吹く風は」:SUPER GIRLS(作詞:NOBE)

2.「あなたへと続く道」:コブクロ(作詞:小渕健太郎)

3.「迷想少女」:Bury(作詞:高舘圭介)

4.「幸せについて本気出して考えてみた」:ポルノグラフィティ(作詞:新藤晴一)

5.「星降る夜に」:THE ALFEE(作詞:高見沢俊彦)

6.「お願い」:アンジェラ・マキ(作詞:アンジェラ・マキ)

7.「希望という名の光」:山下達郎(作詞:山下達郎)

8.「あなたの愛に包まれながら」:森昌子(作詞:紙中礼子)

9.「うれしい!たのしい!大好き!」:DREAMS COME TRUE(作詞:吉田美和)

10.「恋の波動」:突然段ボール(作詞:Syunji Tsutaki)

11.「もう少しの夢」:西野七瀬(乃木坂46)(作詞:秋元康)

12.「自由な女神」:READY TO KISS(作詞:石谷光)

13.「鳴らない目覚まし時計」:チャン・グンソク(作詞:加藤哉子)

14.「目覚めた時には晴れていた」:ビリー・バンバン(作詞:阿久悠)

15.「あー夏休み」:TUBE(作詞:前田亘輝)

人気のワードを使って創ったのだから、きっとこれが今年の「日本レコード大賞」となるはずです。

 

さて、バンビーニ陸上クラブは子ども達のデーターを作成しています。そのため、指導の他にインターバルのタイムや心拍数をとったり、走った時の歩数を数えたり様々なデーター取りをしています。マネージャーがいないコーチの動きはバタバタです。頼りないように見えるかもしれませんね。

 

例えば心拍数測定の際、小1の男の子の心拍数は走る前と走った後でほとんど変わりありませんでした。つまり全力走をしていなかったのです。まだ会員の方が少なくデーターの母数が足りないため、学術的データーには程遠いですが、数年かけて整備していきたいと思います。そして日本レコード大賞ならぬ陸上日本一のお子さんを創作していきたいと思います。

日本レコード大賞.jpg

29回「いじめっ子、家に帰ればいじめられっ子」(201986日)

学童の仕事をやっていると子どもの生態に驚かされます。皆さんはご自分に関係あるお子さんしか接しないと思いますので、機会あるごとにその生態をご紹介します。ご自分のお子さんと比較してみてください(日記からの転用なので、である調での記述をしています。生意気な雰囲気が漂っていればおゆるしください)。

(1)子どもはやっぱり役者

大人から見れば実にたわいない「じゃんけん」だが、子どもにとっては大勝負だ。

しかも、懸賞はおやつの順番。勝った者から取っていくだけのものだが、おやつを用意する我々は知っている。1番だろうがビリだろうが、おやつの中身は変わらないのだ。勝負は2回。2つの机をあわせて1組とし、それが2組、多い時で3組で、まずはその机の、前に座ったもの同士の代表決めジャンケン。勝つと両手を上に突きあげ顔も天井に向けて勝利の雄叫びをする。ところが代表ジャンケン(通常4人、多い時で6人)で1人負けした時、その瞬間、落涙。瞬きせず大きな目からボロボロと涙が、そして自分の席に戻って机に伏せて腕で顔を覆う。この子はもう2年生だが1年の時から相変わらずやっている。この子が代表ジャンケンに出ると我々教師は何はさておき彼の行動を凝視。そして、いつも期待通りの結果に終わる。でも彼はくじけない。泣いたことを忘れて最後におやつを取りに行く。きっとまた明日挑戦するだろう。私の唯一の楽しみだ。

(2)絶対失敗する手品

あやとりの中に「腕抜き」という手品がある。巻いたはずのひもが腕から抜けてしまうというあやとりの簡単マジックだ。まず相手の手首にひもを1回巻く。自分の両手の親指と小指にひもをかけ、あやとりの基本のスタイルを取る。それから自分の両手の親指と小指の間にあるひもを、反対側の中指で互いに取る。それから中指にかかった2本のひもの間に、相手の手首を下からくぐらせる。それから自分の両手の親指と小指のひもを外すと、あら不思議、腕が抜けてしまうというあやとりの簡単マジックだ。

教えてくれる先輩は実にうまくやるが、当の本人はうわべだけでやろうとしているから、反対側の中指で取らないで思いっきり引っ張るため、はずれない。やられる私がうめき声をあげるからますますうけて、子どもは腕抜きの登竜門として私のところに来る。私の腕には二重三重の紐の跡が残っている。恐怖の時間だ。

(3)いじめっ子、家に帰ればいじめられっ子

母親が学童に怒鳴り込んできた。問題児のA男の母である。自分の子どもが学童でいじめられているというのだ。皆が自分を無視し遊んでくれないという。一方的にまくしたてられた。

事実は違う。年下とゲームをすると必ず無知につけこんでズルをしかける。ポケモンカードで順番を跳ばしたり、点数をごまかして相手のカードを排除する。気骨のある奴は「僕やめた」と言ってゲームから抜ける。抜けることを言えない子はずるずると彼の奴隷と化していく。それではおもしろいわけがない。だから、次回A男から誘われても参加しない子が出てくる。これを家に帰ると皆に無視され仲間外れにされたと母親に言いつけたのである。母親は息子を盲目的な愛で支えているから、頭に血が上っておりどんなに説明しても納得してくれない。それどころか「隠ぺいだ」とのたまう。

私はお手伝いの立場だから、あとはマネージャーに任せる。マネージャーの説得が効いたのだろう、翌日何事もなくA男は来る。母親が怒鳴り込んでいくことを留めないのだから本人は自分が悪いとは思っていない。罪悪感がない子どもは鉛筆の芯で友達を傷つけても芯が折れたことに怒る。世の中一方の話だけで善悪を判断してはならない。

(4)おなら

夏休みに入ると13時~14時半までお昼寝タイムがある。ある時皆が寝掛かった時「ボッ」という音が・・・私の近くだとは思ったが、もう子供より早く寝掛かっていたので気にならなかったが、「入山先生!」とこの学童を運営している女性のマネージャーからお叱りの声が・・「えっ、お、お、俺ですか?」とんだ濡れ衣だ。しかし周りの人間は大きい音は大人だと先入観を持っている。大人と同じ大きさの音は子どもでも出るのだ。きっと世の中の冤罪はきっとこうした先入観から起こるのだろう。否定し続けるのも惨めなのでそれ以上の反論はしなかった。笑い声も聞こえたので子どもたちも私を疑っているはずだ。威厳が無くなる。

おやつの時間になってまた「ボッ」とおならの音。先ほどの音と同じだ。皆は私を見た。皆も音源と私の位置からして私ではないことはわかっていたのに、私をまず疑った。犯人の子どものすぐそばにいた子が「○○」がしたと、証言。はっきり白黒言ってくれる子が犯人のそばにいてくれて助かった。やはり世の中監視カメラは必要だと思った。

 いじめっ子.jpg

 

 

28回「ピグマリオン効果」(2019728日)

「ピグマリオン効果」という言葉、お聞きになったことはありますか? 「教師が特別に期待した子どもは成績が伸びる」という心理学の有名な実験結果です。心理学や教育学に関係しない方にはなじみがないと思いますので、簡単にご説明すると、こんな具合です。

1.有名大学の教授からの依頼で、小学生に独自の知能テストを実施する→ただし、このテストは何の意味もないダミー。

2.教授から担任の先生に、テストの分析結果として「今後、成績が大きく伸びる子どもたち」を知らせる→テストに意味はなく、当然ながら「分析結果」もウソ。ランダムに選んだ子どもの名前を挙げただけ。

3.その後を追跡調査すると、名前を挙げられた子どもたちの成績が実際に伸びていた

という実験結果を示すものです。

この実験をした学者(ロバート・ローゼンタール)は「担任が特別に期待して、子ども自身も期待を感じるため、成績が伸びた」と結論づけています。別名ローゼンタール効果ともいいます。

この実験結果は

1.どの子も大きな可能性・伸びる力を秘めている

2.それを信じ、適切に接していれば、自然と伸びるもの。信じずに接すれば、伸びるものも伸びない

ということを示しています。

この実験では、名前の挙げられた子ども全員の成績が向上したわけではありません。名前が挙がった中で向上しなかった子は、おそらく「学校の勉強」ではない別の分野に可能性を持っていた子、あるいは実験の時期ではないタイミングで伸びる可能性を持っていた子なのでしょう。

つまり

伸びる分野・伸びる方向・伸びる時期は、一人ひとりまちまちである

とも考えられています。

誰が、いつ、どのように伸びるのかが事前にわからないのは、自分の寿命がいつなのかがわからないのと同じ自然の摂理なのです。

私も小学生の頃、習字ではいつも金賞、絵は都知事賞をもらうなど必ず応募大会では入賞していました。習字では躍動感が、絵では物の見方および色使いに関して他の子供と違うと通信簿には書かれていました。しかし、中学で陸上部に入って以来その分野と縁遠くなってからは、まったく進歩はなくいや退化したようで、いつも学童では文字と絵で子供たちに笑われています。

この結果、私はこう思うようになりました。

我々大人が子供たちにするべきことは

1.いつ、どこで、誰が、どんな風に伸びるのかはわからないけど

2.「すべての子は何か大きく伸びるものを必ず持っている」と信じ

3.日々、発芽のチャンスを子どもに提供する

ことであり、

そのための姿勢としては

1.いつ芽が出ても見逃すことがないよう丁寧に子どもを観察し

2.「これは芽かな?」と思うものがあれば、その成長を支えてあげる

ことだと思います。

また、

1.自分の期待・予想にだけ焦点を絞らず、広く子どもの可能性を信じる

2.(自分の子だけでなく)関わることのできるすべての子どもに対してこの姿勢を持って接するのが望ましい

と思います。

バンビーニ陸上クラブのコーチの私は、保護者の方より子供たちに冷静に相対していますが、冷静であるが故に逆に思い入れが強く、時に空回りすることが多く、正直申し上げるとピグマリオン効果の恩恵にまだあずかっていません・・・・

 

*)ピグマリオンという名称は、ギリシャ神話を収録した古代ローマのオウィディウス『変身物語』("Metamorphosen"、訳に『転身物語』とも)第10巻に登場するピグマリオン王が自らつくった女性の彫像に恋い焦がれ、その願いに応えたアプロディテ神の力で人間化したと言う伝説に由来します。

 

参考文献:ウイキペディア、はてなブログ2018919

 

 

 

 ピぐマリオン.jpgビリギャル.jpg

27回「君はモーツアルトになれるか?」(2019718日)

お子さんの能力開発(自己啓発)において保護者の皆さんの努力には頭が下がります。塾やお稽古ごとなどにお金をかけていますし、自らの時間も犠牲にしています。私の過去を振り返ると恥ずかしくって隠れたい気持ちです。

しかし、先日その皆さんの努力を無にする本を見てしまいました。「残酷な世界で生き延びるたった一つの方法」(橘玲)という本です。

それは、双子の研究から「やればできるという自己啓発の考えは間違いでやってもできないのが現実。それを受け入れるべきである」というものです。双子の片方が養子に出された後の研究で、2人は環境の差によって違った性格や学歴が生じるかと思ったら、双子の兄弟は恐ろしく同質な人間に育つケースが多かったのです。そのため「人間の能力は遺伝によって決定される」と結論づけています。「遺伝」が左右するとなると学習塾やスポーツ教室へ子供を送り出す努力が無駄になってしまうことになります。「そりゃないよ」です。だから、著者はわざわざ本の表題に「残酷な世界」との文言を入れたのです。

世の中その通りなら、高いお金をとるバンビーニ陸上クラブには誰も来ません。だって、努力しても速くなれないのですから。子どもから言わせると「お父さんが練習して速くなってよ。そうすればその遺伝子のある僕も速くなる」との屁理屈をつけてきそうです。

でも皆さん、安心してください。「善は急げ」に対して「急いては事を仕損じる」のように世の中には相対する警句があります。もっともらしい理論に対抗する正当な理論がどこかにあるのです。その理論を見つけました。

「天才!成功する人々の法則」(マルコム・グラッドウエル著)」です。

ここでは能力の高い人間というのは、「生まれつきの才能」によるものではなく、「好機」と「熱心な努力」、つまり遺伝子ではなく、後天的な要素によるとしています。

音楽の世界で天才の名をほしいままにしたのは「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」です。

1756年にザルツブルグ(現在のオーストリアの都市)で生まれ、幼いころより宮廷おかかえのヴァイオリン奏者の父親から英才教育を受けてきました。3歳のころにはチェンバロを弾き始め、5歳の時には最初の曲を作曲します。父親と共に音楽旅行を重ね、宮廷などで演奏を披露し大絶賛されました。

「トルコ行進曲」や「フィガロの結婚」などの代表曲を作曲した後、626曲目の「レクイエム」の作曲に取り組んでいる途中、35歳という若さで短い生涯を終えます。

彼は一度聞いた曲をすぐにピアノで弾いたりアレンジしたり、目隠ししながらピアノを奏でたりと、彼の音楽の才能は誰もが認めていました。また、600曲を超える曲の数もそうですが、彼の楽譜にはほとんど書き直した跡がありません。試行錯誤しながらの作曲ではなく、頭の中に思い描き完成した楽譜をそのまま譜面に起こすという、常人離れした才能によるものだと言われています。

音に関しては特に敏感で、ヴァイオリンの音色を「バターみたい(柔らかい音色なので)」と表現したり、演奏の中でのわずかな不協和音にも反応し、どの楽器がどのようなミスをしたかが把握できたりしました。幼いころから音楽に触れられるという環境があったことにより、彼の個性と才能を最大限に発揮することができたことは、世界に多大な財産を残すことになりました。

もし、モーツアルトがヨーロッパではなく江戸時代宝暦~天明の時代(田沼意次の時代)にいたら、三味線奏者、よくて雅楽演奏家で終わったことでしょう。オーストリアに生まれて幸いでした。

 

「天才!成功する人々の法則」の著者グラッドウエルは、さらに「一万時間の法則」といって「世界レベルの技術に達するにはどんな分野でも一万時間の練習が必要だ」としています。まるで脳がそれだけの時間を必要としているかのようです

 

モーツアルトは3歳の頃から1日12時間も楽器に触れて育ったため5歳の時には優に一万時間を超えていたのです。彼は天才ですが、それに加えての練習が天才の芽を開花させたのです。遺伝の要素だけで能力が決まるなら、NHK交響楽団の楽団員の子息は皆モーツアルトになっているはずです。

歌手・女優のジュディオングは「魅せられて」のヒットの後、版画において棟方志功の愛弟子井上勝江の指導を長らく受けていました。上岡龍太郎に勧められ岡本太郎に認められたお笑いのジミー大西が芸能界から離れ画家になりました。アフリカにもいきました。いろいろ見学して彼独自の色遣いを会得しました。世間が認めるまで一万時間の修行がかかりましたが、最高で数百万円の値がつく絵を描くことになったのです。彼らは素質もさることながら努力してきたのです。

 

1781年にアマデウス・モーツァルトは、自分より24歳年上のヨーゼフ・ハイドンと親しい友人になりました。ある時ハイドンはモーツァルトの父親に言いました。

「神に誓って、また、正直者として私はあなたに申し上げますが、私が直接知っている人物、もしくは、名前を知っているすべての人々の中でも、あなたの息子は最高の作曲家です。彼には素晴らしいセンスがあり、その上、非常に深遠な作曲の知識があります」と。

それから時は流れ238年後、バンビーニ陸上クラブのコーチは自分より50才離れた子どもと出逢いました。ある時コーチはその子の保護者に言いました。

「神に誓って、また、正直者として私はあなたに申し上げますが、私が直接知っている人物、もしくは、名前を知っているすべての人々の中でも、あなたのお子さんは最高のランナーです。素晴らしいセンスがあり、その上、走ることにおいて非常に深い潜在能力があります」と。

私がヨーゼフ・ハイドンとすれば、陸上界のモーツァルトはあなたのお子さんかもしれません。

 

参考文献:ウイキペディア、モーツアルト物語、「残酷な世界で生き延びるたった一つの方法」(橘玲)、「天才!成功する人々の法則」(グラッドウエル)

モーツアルト.jpgモーツアルト楽譜.jpg

26回「ドキドキしちゃう わたしの胸♪」(2019712日)

先日当クラブでは練習内容が変わる場面で心拍数のチェックを行いました。いろいろなデーターが取れて有意義でした。心臓は練習内容の強度や選手自身の能力まで推測できる臓器だということがわかりました。

心臓については過去に「心拍数を減らすことは長生きの秘訣」という話を記載しました。読み返すのは面倒だと思いますので、要約します(第6回「ゾウとネズミ」)。

「寿命は心拍数に比例します」

心臓は休みなく動き続けていますが、正確には休みながら断続的に動いているのです。心臓が収縮を終えてから次に始めるまで心臓は休んでいることになるからです。その休息時間が長ければ長いほど1分間の心拍数が少なくなり、寿命が長くなります。例えば、からだの小さいハツカネズミの1分間の心拍数はおおよそ500/分であることから、休息時間は著しく短くなり、最長寿命は2~3年と短いのです。

 それに対して、ゾウやクジラの心拍数は5~10/分と少ないため心臓の休息時間も長くなり、最長寿命も70~100年と長いのです。従って、動物の種間では、1分間の心拍数と寿命とは反比例するという法則性が成り立ちます。

 「ヒトの生涯に打つ心拍数はすべて等しく25億回が与えられている」、これが事実と仮定して単純計算すると、1分間の心拍数が50拍、60拍、70拍、80拍の者の寿命はそれぞれ95歳、79歳、68歳、59歳となります。仮に、定期的に運動することによって心臓が肥大化(スポーツ心臓)し、1回の収縮で心臓から送り出される血液量が多くなると、当然心拍数は少なくなります。従って、寿命は長くなります。70拍の人が50拍になったら27年長生きできるということになります。運動をしてスポーツ心臓になることは長生きの秘訣なのです。

という内容でした。

 

その心拍数は心臓の鼓動です。心臓は丈夫です。どんなことがあっても規則正しく動かなければならない臓器なのです。そのため、規則正しく動くための仕掛けがあります。水晶発信器のような定期的な電気信号を出す機能がついているのです。洞結節という部位です。心臓はそのことによって動き続けているのです。

さらにその電気信号を出している部分が故障するともうひとつ電気信号をだす部位(房室結節)があります(房室結節は普段は動かず、洞結節が動かなくなったときに活動を始めるのです)。

いずれにしろ “心臓自身が心臓を動かしている”この特殊な現象は、他の臓器には見られず“心臓の自動能”と名づけられています。動かし方も自転車と同じようにフル回転の時もあれば、軽井沢観光のようにゆるやかにこぐときもあります。自動能で自由に調整できます。

だから、敵が攻めてきたときなどには、心臓は血液量を多くして体の筋肉を動かして対応します。陸上競技においては、体が大変な運動量だと判断した時は心臓は目一杯動きます。ジョッグのようなアップ程度のものではあまり動きません。この心臓の臨機応変さ(心拍数の変化)で与えられた練習がきついか否かがわかります。さらに、その選手の潜在能力も推測できます。このことを利用して、今後当クラブでは心拍数を定期的、継続的に測定していきたいと思います。

 

最後に、

かわいい子どもたちへ

小さい時から心拍数を計る癖をもちなさい。そうすれば、複数の好きな人に同時に出会った時でも迷いませんよ。ママに相談しても「何にも言わずに黙っているだけ」ですから、困っちゃうよ。

恋は自分で判断しなければいけません。A君に会うと心拍数110、B君に会うと心拍数120だとしたら、B君を選ぶべきです。「ドキドキ度」が大きい人があなたの意中の人です。なぜなら脳はいろいろなことを考えてしまいます。親や友人や将来設計などでいろいろ忖度してしまいます。心臓は不随意筋ですので、意識の束縛がない愚直の臓器なのです。

青春時代は心臓に従いなさい。歳をとったら脳に従いなさい。

一つだけ気を付けなければならないことがあります。あなたが風邪をひき熱がある時A君に会ってはいけません。熱は心拍数をあげてしまいます。熱がある時にA君に会うと心拍数が130になってしまうかもしれません。恋は正しいドキドキ度で判断しないといけません。

参考文献:ウイキペディア、「ゾウの時間、ネズミの時間」、ランニング学会山地啓司氏論文、山本リンダ「こまちゃうナ」(ミノルフォン)

心臓.jpg恋(2人の男を同時に).jpg

25回「こわっぱめ」(201974日)

バンビーニ陸上クラブがない時は、学童のお仕事をさせてもらっています。バンビーニ陸上クラブに来ている子は目標を持って来ているので、さほど指導に苦労したことはありません。学童の子は家庭の事情で来ている子が多いためか、いろいろなお子さんがいます。勉強をさせたりおやつを食べさせたり遊ばせたりであっという間の4時間ですが、本日はその中の生活のひとコマをご紹介します。

(1)「仕返しとお返し」(小2男子)

「先生、バレンタインでチョコレートいくつもらった?何?ゼロ、まあ仕方ないね。僕はね、明日たくさんの『仕返し』をしなければいけないので大変なんだよ」「・・・・?おいおい、それは全国的に『お返し』って言うのだよ」

(2)「おのれ!」(小3男子)

チャンバラをした時、「先生危ない」といって後ろを振り向かせられ切られた(叩かれた)ときがある。すかさず「おのれ!卑怯者」と言ってかかっていったら、「先生、『おのれ』って何なの?」「うん、咄嗟に出た言葉だよ。チャンバラの時に言う言葉かな?私もよくわからない」

(3)「狭き門」(小2女子)

公園で遊ぶ時は、ブランコやジャングルジムはチェックしているが、滑り台は安全なのでそれほど注意はしていない。ところがある時帰る間際に滑り台で女の先生が叫んだ。慌てて駆け付けた時、女の子の足が滑り台の隙間にすっぽり入ってしまい、取れなくなってしまっていた。男の子からここを通れるかとの挑発があってトライしたようだ。女の子を出そうとしたらまったく動かず、レスキューを呼ばなくてはいけないかと思った。幸い右側に若干の隙間があったので横にずらしたら彼女が少し動いたので、そこから引っ張り上げた。我慢強い子だったのがせめてもの救いだった。子どもは予想外のことをするものだ。

(4)「人間になりたかった鬼」(小3女子)

どろけい(泥警)、氷鬼、替わり鬼、など鬼ごっこは多種多様あるが、私が入ると必ず私が鬼になる。鬼を決める時も「鬼決め、鬼決め・・・」の掛け声で足を指で順番に触っていて指が最後に止まった子供からはずれていく(鬼の「役割からはずれる」)。でも、よく見ていると絶対私に指が止まると思う瞬間に指は私をすり抜け隣の子の足に、結局鬼はいつも私になる。鬼になってなんとかタッチ寸前になると「バリア!」といって見えないバリアがあるらしく、捕まえることができない。バリアがなくてもタッチ寸前に「休憩タイム!」(水を飲むための時間)と言って「熱中症対策」で休憩しなくてはいけないことを強調する。それでも言い訳できない雰囲気で捕まえると「あのね、先生。私ばかり捕まえるとそれはいじめになるよ、学校の先生が言っていたよ、だってね・・・」延々と抗議が続くのであきらめて他の子どもを捕まえにいく。振り向くと抗議の子ははるか遠くに走り去っていた。

(5)「ツィッター」(小2女子)

2年生の女の子は何かぶつぶつ言っている。スピードというトランプゲームに負けたらしい。子どもの声は高く小さく速いためもう呪文のようにしか聞こえない私は傍に寄り耳を傾けた。するとこう言っていた。「私が負けたのは私のせいじゃない。□□が泣きそうになったので、私がわざと負けてあげたのだ。□□は幼いから喜んでいた。私がしっかりしているからうまくいったのだ。私は賢い、決して負けたのは私のせいではなく私の思いやりだ。それを□□は・・・男の子はかわいいものだ。うふ」

(6)「曼荼羅」(小2女子)

曼荼羅というゲームはひっくり返したカップの底におはじきを3個~5個置き、自陣にある5個のカップのおはじきがなくなれば勝ちというゲーム。2つの陣地の間におはじきを最後に置くオアシスがある(これはカップがひっくり返らずに置いてある)。どちら回りでもいい。おはじきを1個ずつカップに入れ、最後にここに入れられないと順番が代わる。

子ども達は5個をどうすれば効率よくオアシスに入れられるかを体で覚えている。だから順番を決めるジャンケンにこだわる。何か理由をつけられいつも後攻は私だ。私が意地悪して予想もしないことをすると、因縁をつけられやり直しをさせられる。目がいつも置いてほしい所にいっているので、すぐわかる。でも、意地悪する。しないと3分持たないで負ける。7個も溜まっているおはじきを子供が持った。どうやってもオアシスには入らない、と思っていたのに、最後のおはじきが入った。オアシスで終われば連続してできるのだ。

目が悪いからかな、と思って眼鏡をかけて見ていたら、同じような場面で4番目のカップに2個落としていた。「ずるい」と指摘したら、取ってやり直しをしたが、不思議とまたオアシスで終わって、もう1回できる。「えっ」と思ったがもう遅い。彼女は始める位置をずらしてリプレーしていたのだ。恐るべき「こわっぱ」だ。

(7)「オセロ」(小2男子)

オセロを挑戦してきた子がいた。他の先生を破ったので残るは私のみになったようだ。私は容赦しない。冷たい鉄の男。しかし、さすが他の先生を破っただけある。あと7個くらいまでは圧倒的に子どもの勝利という陣形、カドも2個取られ3個目も危なかった。へたすると歴史的敗北かと思われた瞬間、勝利を確信した子どもは綺麗に黒を揃えようとして、ミスをした。私の次の一手によってもう黒駒を置けなくなった(白を挟めなくなった)のである(正式なルールではこの場合パスするのだが、ここの学童ではアウトにしている。)。柔道で言えば圧倒的大差で勝っていたのに禁じ手を出して失格した選手みたいだった。

しょげていたがここで力の差を見せておかないと、小ばかにされる。学童と言えども序列はあるのだ。私の毛づくろいをさせないといけない。私は先生なのだ。

(8)「お迎え」(小1男子)

17時を過ぎると保護者がちらほらとお迎えに来る。その度に「○○ちゃん、お母さんお迎えだよ」と声をかける。時々騒いでいる子には「お父さんがお迎えに来たよ」と嘘をつくことがある。大人しくなった子が嘘とわかるとホッとしたのか、しばらくすると私に「先生、お迎え来たよ」と仕返しの言葉があった。初めての言葉にギックとした。私のお迎えはまだ早い・・・

 

 

 7月4日.jpg

24回「女はいつだってアクトレス」(2019625日)

日曜日、阪神競馬で第60回宝塚記念が行われ、牝馬(メス)のリスグラショーが1番人気のキセキ(牡馬オス)を押さえて優勝しました。陸上競技の小学生1000mで女子が男子を押さえ優勝したようなものです。

人間の世界では、小学生での男女の体力差はそれほどではありませんが、中学生からは男女差が出てきます。1000mの埼玉県の強化選手B指定のタイムが小学6年生で男子が315秒、女子が320秒で5秒差です。ところが、中学生になると1000mはなくなり800mとなりますが、B指定のタイムは中3で男子22秒、女子は218秒で距離が短くなった上にその差は16秒と開いてしまいます。男女差は小学生の内は競走馬と同じ世界だと考えていいかもしれません。

競馬では牡馬(オス)は牝馬(メス)より速く、その差を埋めるべく牡馬は牝馬より錘を2Kg余計に背負って走ります。それで平等だとJRAは判断しています。

陸上の大会は男女別ですので、ハンディはありません。陸連が奇をてらって男女混合レース(今年から小学生でも男女混合リレーが始まりましたが・・・)を企画したらどんなハンディでしょうか。女子のスタート位置を前にする、男子はつねに女子の外側のレーンを走るなどでしょうか。

当クラブの子供たちのトップクラスはタイムでの男女差が出ますが、そうでない子供たちでは差はありません。時には女子が前に出ることがあります。インターバルでの設定タイムは女子が遅いのですが、途中のジョッグは速く、何時もスタートで男子を待つ状況です。

小学生のうちは女子に負けてもくやしいとか恥ずかしいとかの感情は少ないようです。気が強い女子がいると男子を叱咤します。よって、当クラブでは男女合同練習が基本です。学年によって練習の質量は変えますが、男女間ではいつも同じ内容です。

女子のコーチングでの悩みは「どうやったら全力を出し切らせるか」ということです。男の子は「ケツワレ」状態になることはありますが、女子はありません。苦しい顔はするけれど、セットが終わると1分もしないうちにケラケラ笑い出します。だから心の中で「もう1セットあるけど、ここで終わってあげようか」と思っても、あの笑い声で「さ、最後のセット行くよ」と立ち上がってしまいます。軽減する気がなくなってしまうのです。岩崎宏美じゃないけれど。女はいつだって、アクトレス(女優)なのです。練習中の苦しい顔に騙されちゃいけない。

これは彼女らの性格が悪いということではないのです。なぜなら全力を出し切らないのは「本能」だから仕方ないのです。女性は自分の子供を本能的に守ります。だからどんなに疲れ切っても子供の為に若干の余力を残しているのです。山登りをしても男子より疲労が先に来ますが、疲労度100%ではなく、90%です。お腹の中に赤ちゃんがいたら80%でしょう(もちろん妊娠していたら山登りなどしませんが)。子どものために必ず力を残すのです。疲労度100%になる前に疲れ切ってしまう演技をするのです。だって、女はいつだって女優なのですから。

男子は罵れば「なにくそ」と思いますが、女子は罵ろうがおだてようがダメです。相手は女の本能だからです。女子の選手は、「苦しみの縦糸と好奇心の横糸を織って楽しさの風を通すサマーニット」の練習を欲しがるものです。つまり、練習に対して女は恋するような気持になれば変身します。

「あなたにくちづけされたくて 私は花になりました あなたに甘えてみたくて私は子猫になりました だからいつでも だからいつでも 私を優しく愛してね 私のほかにはどなたへも あなたの愛をあげないで 姿を変えても恋をする 私を愛してくださいね」(ちあきなおみ「変身」)ですから。

しかし、熱中させても飽きるのも早い。

「私の誕生日に22本のローソクをたて ひとつひとつが みんな君の人生だねって言って 17本目からはいっしょに火をつけたのが 昨日のことのように 今はただ5年の月日が長すぎた春といえるだけです あなたの知らないところへ嫁いでいく 私にとって」(伊勢正三「22才の別れ」)。だから手を替え品を変えて様々なサマーニットを作るのです。

たとえば、インターバルトレーニングで200mx40ではなくって200mx7400mx5600mx3400mx5200mx7とするのです。

また、うちの子は喋らない代わりに目で訴えてきます。インターバルで本数を間違えるようなものなら一斉にこちらに「眼球」が動きます。疲れれば「上目使い」で訴えます。これに騙されないようにしないといけません。マムシは産まれてすぐの子供でも毒があります。人間の女の子も・・・

 私がとびきりのハンサムなら何も悩みませんが・・・女子をコーチするのはとかく難しいものです。

女.jpg

23回「ゆらぎ」(2019618日)

「気持ちがゆらぐ」「決意がゆらぐ」など、"ゆらぐ"という言葉にはあまりいいイメージがありません。ぐらぐらとして、定まることのない不安定な感じがするからでしょうか。大人には信念というものが確立していて、「ゆらぐ」ことは少ないのかもしれません。しかし、子どもは心理的には「ゆらぐ」ものなのです。また、陸上競技の記録でも「ゆらぎ」が見られます。

スポーツトレーニングを専門的に始めた頃には記録が順調に伸びるが、同時に好・不調による記録の波も大きいのです。すなわち、トレーニング初期には変動係数が大きいものなのです。そのため長い期間で見れば記録は右肩上がりの直線になりますが、ある時点では平均直線よりはるか下にあることもあります。ペース配分がわからない初期にはよくあることなのです。君の出場する組は強豪が多いよと言われただけで足がすくむこともあります。ペースは性格により乱れるのです。

 

長距離選手の性格要素を測定した実験があります。

トレッドミル(室内用で固定式のベルトコンベアみたいなもの)では決められた速度で何分走れたか、グラウンドでは1500mを何分で走れるか、という実験を毎日同じ時間に測定して各実施日の記録をプロットします。2つの方法での違いを確認します。

結論は「トレッドミルで走るより(距離の変動)グラウンドで走る方が変動係数(タイムの変動)は小さい」ということでした。

その原因の1つは、トレッドミル走では持続時間のゴールが特に決まっておらず、いつ運動を中止するかは個人の主観的判断にまかされるため、個人の性格的特徴が現れてきたと考えられます。

もう1つはグラウンド走では主体はランナーであるのに対して、トレッドミル走では主体は機械の側にあります。そのため、ヒトは機械の一定のペースに自分のリズムを合わせなければならない心理的負担や束縛感が疲労を早めたり、あるいは単調さによる飽きが頑張る意欲を萎えさせたのかもしれません。一方、グラウンドでのタイムトライアルではゴールが明確であるので、残りの距離を考えながら自分でリズムやペースを調整しながら走ることができるからです。

当クラブで両方の特徴を利用した「タイム走」をやることがあります。タイム走とは40分間でどれだけ走れるかの練習です。頭のいい子はロードであれば目標の建物を、トラックであれば何周かを決めて走ります。こうすればゴールがないトレッドミルと同じような状況にはなりません。他の子も嫌がらずに早くこのことに気づけば楽なペースで遠くまで走れるのです。この練習をする目的はペースの把握です。大会では何秒で200mを走ったかなど自分のペースは自分で把握することが大切です。いわゆる体で覚えるのです。

ケープタウン大学のノックス(Noakes,T)は、「ランニングペースを決定するのは大脳である。活動筋(心肺機能や脚筋)からの情報が求心性神経を介して逐一大脳に送られ、大脳はからだの疲労度と残りの距離を勘案しながら最善のペースを構築している」とヒトのからだの素晴らしさを強調しています。

小学生の内はゆらぎが大きいのは当たり前です。とんでもない記録も出す代わり、ふがいない、やる気のないような記録も出すことがあります。平均タイムを挟んで大きくゆらぐ年代なのです。しかし、5年、10年とトレーニングを積み重ねるにつれて徐々にその伸びも小さくなり、それに伴って気象条件や好・不調等による記録変動も小さくなり、安定してきます。すなわち、トレーニング初期には変動係数は大きいですが、競技生活も晩年に近づくと変動係数が小さくなるわけです。ベストタイムから大きく下がらないけれども大きく破ることもない状況です。この現象は長く競技を続けた選手にみられる宿命的な現象です。その頃になると選手は他人に言われるまでもなく自分の限界を感じるようになります。

ちびっ子たちよ、小学生の時代は、大きく「ゆらぐ」ものなのです。たった1回の記録にくよくよしてはいけません。君たちの限界は当分きませんよ。だって、本格的練習を始めたばかりじゃないですか。

参考文献:ウイキペディア、山地啓司(初代ランニング学会会長)氏論文

 

 ゆらぎ.jpg

22回「本番に弱い子」(2019613日)

今週末に「彩の国小学生クラブ交流大会」が行われます。当クラブでも7人の選手が出場します。楽しみだという子もいれば、緊張している子もいます。

いつも練習ではいいタイムを出し期待されているのに、本番に弱い子がいます。運動会でも普通に走ればダントツで優勝するのにスタートでミスして思うような結果がでない、お互い歯がゆい思いをしています。当クラブにはこのような子が数人います。

この子らの特徴は

1.過去の失敗がトラウマになっている

2.完璧主義者

3.ネガティブ思考

4.緊張になれていない

であり、一つ以上または全部が該当する子です。

(1)過去の失敗がトラウマになっている

100mのスタートで失敗したり、長距離で速い人と一緒に飛出し、後半足が重くなって思うように動けず、後続に抜かれて行ったこと、などを思いだし体が委縮してしまうのです。

(2)完璧主義者

①神経質

練習の際いろいろな色のマーカーを置きます。テーマが終わるごとに子どもたちに撤収させますが、その際赤は赤、黄色は黄色、青は青ときちんと色別に分けて回収する子がいます。10分くらいしてマーカーを使った別の練習の際、コーチは適当にマーカーを置きます。コーチにとっては目印にしか過ぎないので、色の区別が気になりません。撤収する際その子はやっぱり青は青、赤は赤と分けて回収してくるのです。几帳面というか神経質というのか、総じて完璧主義者なのです。

②完璧主義者/真面目

「自己の欠点」ばかりにフォーカスする癖があります。また、自分のミスを許すこともできません。自己に対して厳しいのです。

そのため「自分は無能」だという結論になりがちで、自己嫌悪や自信喪失につながっているようです。

(3)ネガティブ思考が人一倍強い子

完璧主義者だけでなく、基本的に人間は「ネガティブに考える癖」があります。これは、危険を予知し、身を守るための本能であり、人間なら誰にも備わっている癖です。しかし、その程度が問題なのです。

街でばったり会った友達に声をかけたら、友達がそっけなかった。「あの人は自分のことを嫌っているのだ」などと考えます。友達は急いでいたのかもしれない、後で聞いてみようなどと確認することなく早合点してしまいます。成功は「まぐれ」と思い、失敗は「やっぱり自分は失敗する」と考えます。よい事を無視するだけでなく、ネガティブな出来事を進んで拾い上げる癖があります。

失敗恐怖症の行き着く先は、本番に弱くなるどころか、本番を避けるようになり、何も成し遂げられない人生で終わってしまうほど危険な症状なのです。

(4)緊張に慣れていない

陸上競技場の空間を広いと感じ、ライバルの殺気や声援の大きさなど大会の雰囲気に飲まれてしまうことが多いのです。「あがってしまって何もできなかった」が常套句になってしまいます。

では、こういう子ども達にどう対応したらいいのでしょうか。当クラブでは次のようにしようと心得ています。

 (1)ルーズになる

本番に弱い完璧主義者や真面目な人は、小さなことを大きく過大視する特徴があります。

まだ起こってもいないことに恐怖し、ネガティブになることは「時間の無駄」です。いいえ、それは大会に弱い人間にしてしまう、百害あって一利なしの悪癖なのです。正直、それなら何も考えない方がマシです。ルーズになって開き直った方が、パフォーマンスを下げることがなくなり、大会に強い人間に近づいていくのです。

つまり、「今度の大会は記録会と考えている。君たちの本当の目標は6年生になった時に強化指定タイムを切れるかだ」と来年の大会に子どもの目標を先延ばしにして、目の前の大会に気楽に出場させるのです。これを繰り返していくことによって本番にリラックスして望む精神力を養うのです。

(2)目標を段階的に上げて行く

完璧主義者は、合格ラインを高く設定する傾向にあります。高く設定し過ぎると、達成できずに自信喪失に終わることが多いのです。その結果、行動することが恐くなり、成功を手にできずに終わるのです。

目指している成功とは「小さな成功の集まり」です。つまり、合格ラインを下げることが「小さな成功体験」を増やし、本当のゴールに到達する最短距離なのです。

1000340秒を切るために200mx10200m=44秒ペースで走る。10本出来たら次は43秒に目標を切り上げる。要するに強化指定選手になるために最初から41秒にペースを設定したら毎日が未達で、自信喪失につながってしまうからなのです。

(3)失敗はフィードバックにすぎないと考える

何一つ失敗せず成功できるものは「すでに達成したこと」だけです。当然、達成済みのタスクを繰り返したところで成長はありません。123+・・・+1055を何回も計算するだけでは計算の能力は上がりません。

成長するためには失敗は不可欠です。「1000m、平均タイムで走る子が前半から果敢に飛び出していく。ラスト100mで足が上がらなくなった。次は950mまでもった。次はゴールまで届いた」失敗と改善の繰り返しで、成長した自分になれるのです。

失敗体験とは「目標に一歩近づいた証」であって誇らしいことです。この思考を身につけることで、失敗の恐怖がなくなり、大会に強い性格が育まれていきます。

(4)やり遂げる覚悟を持つ

他人に悪く見られたくない、自分の醜態をさらしたくない、これらは「覚悟のない人の思考」です。

当クラブにいるZ君は練習中苦しい顔をし、インターバルが終わるたびに首を絞められているかのような声を出します。所定の設定タイムもクリアしていません。スタッフの人間は心配をして声をかけますが、私はあえて無視するのです。これを超えないと彼の演じる舞台のカーテンは決して開かないのです。

(5)準備(練習)をやれるだけやる

大会に弱い子は、自分への評価が冷静にできていない状態、感情的な状態であることが多いのです。自己評価の奴隷と化しているのです。

つまり、練習による確認作業によって「正当な自己評価」ができるようになります。200mのインターバルを40秒で10本できれば、326秒は手の中にあることがわかるはずです。

また、完璧主義な人は、練習を徹底することで気持ちが楽になり、不当な自己卑下をすることなく大会に挑めます。

(6)緊張する場に身をおく工夫をする

大会に弱い子は「緊張の環境」に慣れていない傾向があります。

受験でも公開模試に一度も出たことがない子は、きっと雰囲気に飲まれてしまうでしょう。一斉にテスト用紙をめくる音が大きく聞こえたり、試験官の靴音が気になったり、トイレが心配になったりします。テストに強い子はそれをなくすために、公開模試を何度でも受けるのです。

 陸上競技でも同じです。200mのトラックで練習していた自分は、初めて全日本中学校放送陸上競技大会で国立競技場に出た時、何と大きいグランドなのかと固まり、2000mが3000mに感じた記憶があります。メロメロでした。

当クラブでは練習スケジュールを鑑み、小さな大会も含め参加を繰り返すことで、緊張への耐性がつき、大会に強い性格をつくっていきます。

まとめ

大会に強い子、自分が望むものを全て手に入れている子は、突き詰めると「失敗の恐怖がない」のが共通した特徴です。

当クラブではトレーニングと遊びを兼ねて「運命ジャンケン」をします。トラックに15m間隔で数人並べ、1人が全力で走って行ってジャンケンをする、負けたらスタートラインに戻る、勝ったら次の人とジャンケンする。全員に勝ったら終了。勝てない場合は5分で終了というものです。あと1人でスタートラインに戻るのはくやしいでしょう。しかし、それに勝たないと文字通り前に進まないのです。現状は、すんなり勝つ子は「自分は負けない」と思う子なのです。

参考文献:<ヤギコーチ>のコラム、<ダイレクトコミュニケーション>のコラム

HP写真・イラスト.jpg

 

21回「スケートと自転車と私」(201963日)

スピードスケートで全国25位以内に入る高校生とその妹に、不定期でパーソナル練習を実施しています。お母様がご熱心な方で、スケートにおける知識の深さと他種目の練習を取り入れるダイバシティにおいては群を抜いています。私も教わることが多くお会いするのが楽しみです。

さて、そのお母様に私を雇った理由を尋ねたところ「アイススケートに似ている競技は自転車競技であり、学校でもシーズンオフは自転車を取り入れている」「じゃあ、なぜ私を雇うのですか?私はランニングコーチですよ」「同じチームの子に陸上部出身の子がいる。妙に速い。陸上競技に何かいいトレーニングがあるのではないか」ということらしいのです。

 では、スケートの選手がなぜ自転車競技をとりいれているのでしょうか。

その理由として,二つが考えられます。1つは2つの競技で使う筋肉が似ているからなのです。両者の鍛えるべき重要な筋肉は、大腿四頭筋とハムストリングスです。陸上の長距離選手とスピードスケート選手では筋肉の鍛え方が違うように、通常ならばスポーツそれぞれの特性によって必要なところに必要な分の筋肉をつけていく必要があります。しかしどちらの競技も長時間の前傾姿勢を維持できるように身体のバランスを鍛える必要があるため、必然的に選手として必要となる肉体の理想像が似通っているのです。そのため、わざとギアを重くして自転車で坂道を繰り返し登り、両者ともに足を太くし鍛える訓練をしています。

大腿四頭筋は太腿の前部であり、跳躍力を重視されるスポーツで重宝され、瞬発力を発揮するには欠かせない筋肉です。ハムストリングは大腿の後部のことです。主に下肢の動き作ったり、運動能力に大きく影響したりする部分であるとされています。

こうして、スピードスケート選手も競輪の選手も、身体全体を鍛えつつも下半身の筋肉に効果的に力を伝えられるようなトレーニングをしているのです。

さらにもうひとつ大事な要素はこの2つの競技のスピードが近いからなのです。例えば平昌オリンピックの男子1000メートルの優勝記録は10795でした.これは自転車競技の男子1000メートルの記録にとても近いのです.リオデジャネイロ・オリンピックのオムニアム(陸上の10種競技のような総合競技)の男子1000メートルの1位の記録は100923でした。

自転車はギアと車輪を用いて,スピードスケートは氷という抵抗の極めて少ない物質を用いて,それぞれ最速を目指しているのです。このスピードになると,使うエネルギーのほとんどは,空気抵抗をどのように克服するかに用いられます.そのためにスピードスケートにとって自転車競技は相性がいいのです。

スピードスケートは競馬で言う逃げや先行(インターバル第9回「競馬その2」脚質をご参照ください)が勝つことはほとんどありません。空気抵抗のために,先頭に立つのが圧倒的に不利だからなのです.誰もが誰かの後で走ろうとしますから,ゲーム理論からしてもスピードが上がりません。そして最後に全体のスピードが上がると,先頭集団の選手の数が絞られ,先頭から2番手に付けていた選手が,トップがコーナーで膨らんだところを,インを突いて優勝ということが多いのです。

スケートの選手に陸上競技を教えるにあたって、自転車練習では得られない下肢をすばやく動かせるアジエリティや太腿をしなやかに動かせる筋持久力を教えていきたいと思います。

では、逆に陸上競技が取り入れる他のスポーツはあるのでしょうか。

うちのクラブで自転車競技の選手の子がいます。まだまだ太腿の筋肉はついていませんが、どのくらい陸上競技の記録が伸びるか楽しみです。自転車で効果が上がるなら来シーズンは自転車を取り入れたいと思います。ただ彼はうちでは長距離選手なのです。

 

私事ですが、自分が高校生の時、抜群の持久力を自慢していました。すると、恩師が「じゃあ、お前、バスケットボール部の練習に参加してみろ」とバスケの練習に誘われました。今日は遊びだと運動靴の底を洗って体育館で参加しました。楽しいはずの練習がなんと40分間で根を上げてしまいました。陸上競技はただただまっすぐ走るスポーツであり、横の動きには全くついていけず、バテバテでした。

これをおもしろがった恩師が、水泳の練習にも私を参加させました。これは横の動きがないし浮力もあるから大丈夫だろうと思っていました。なんと今度は30分で足が動かなくなりました。ビート板での泳ぎについていけなかったのです。地面を蹴る動作と違った筋肉を使うため危なく溺れるところでした。

さらに恩師は「俺とバトミントンの試合をしてみろ」と悪ふざけが増してきました。年寄には負けないぞ、時間が経てば私が勝つと思いましたが、恩師のシャトルが私の前や後ろに自由自在に飛んでいきバタバタと動かされ、強打の後のフェイントに翻弄され、「持久力の入山」の名前は粉々に崩れ去っていったのです。

陸上競技には絶対にない横への動きがどれほど前進する力の補助になるか、すべての筋肉を鍛えればいいのか、実験していきたいと思います。でもマラソンの選手は不必要な筋肉は自然に落ちて行ってしまうので理屈はあわないのですが、もしかするとすべての筋肉を鍛え上げた先には2時間を切れるという理論に行き着くのかもしれません。

参考文献:ウイキペディア、FRAME、橋都浩平のCanopy Walk

スケート.jpg

 20回「無口」(2019528日)

困ったことに、当クラブには練習中一言も発しない子供たちがたくさんいます。

こちらが喋ってもほとんど言葉が返ってこず、ハイの代わりに頭を縦に振り、ノーを表現するのに細かく横に振る子供たちはまるで動物園の小動物の様です。念を押さなければそのそぶりもしないので、ある時はまるでお地蔵様にお願い事をしているようです。

練習メニューを発表すると、キツイと言って抗議してくる子はいますが、少数派で皆の顔色を窺って発言しているせいか、他の子供たちが無言でその練習の準備を始めるとしぶしぶ準備を始めます。

当クラブには無口または口数が少ない子は、家ではめちゃめちゃ喋るのに、いざ練習に来ると喋らないのが特徴です。あるお母さんには「家で喋っている時の声をボイス・レコーダーで録音してください」とお願いしているのですが、未だに実現はしていません。

コーチの私はもともとお喋りで、小学生の時の通信簿にはいつも「情緒不安定」と書かれていました。子供の時はこの字が読めず、きっと「他人に対する情けのかけ方が人によって異なる」タイプの子供と書いてあるのだと本気で思っていました。

家では、妻と喧嘩すると妻は黙ってしまいます。いえ、大人しくなるという意味ではなく、意識して口をきいてくれなくなるのです。原因はあきらかに彼女のミスなのですが、家の中での沈黙に私は耐えきれず、2日後には私が謝って落着し、普段の生活に戻ります。

だから、無口の子供たちと一緒にいるといつも一人芝居になってしまいます。最初はストレスになっていましたが、いまでは彼らを理解してきたので平気です。しゃべらなくても問題は何も起こらない、言語を取り交わすことは最小限のことだけでいいのです。彼らが私の指示を聞いている時、彼らの眉毛や目の動きで察しがつくようになりました。

無口の子供たちは決して手を抜きません。伸びる子の多くは無口が多いのです。

日常生活では夫婦同士は日々の習慣や行動をおおよそ理解しているので、ほとんど言葉は要りません。私の家のように、「あれ、あのひと、あのこと」で通じます。若い人たちでは「それ、そのひと、そのこと」は理解しても、ア系列でわかるまでは時間がかかるでしょうが、いずれわかるようになります。ただし、そのため相互の思い込み(推測)に齟齬が生じて、とんでもない方向にいく危険性もあります。

先日カードで買い物に行くと言って私のカードを持っていく際に「1、5、つかっていい?(15,000円使っていい?)」と彼女は言ったのですが、私は「いちご(つ)買っていい?」と聞こえたので「だめ、いちごは季節はずれだから、スイカにして」と言ったら「わかった、Suicaにチャージする。でもチャージは現金だよ」、「ジャージは暑いよ、トレーナーにしなさいよ。ユニクロはカードきくよ」話はどんどん核心から離れて行きました。

自分の家庭の事をしゃべりすぎました。話を子供のことに戻します。

無口の子または口数が少ない子は練習では損することがあります。喋らないことによって体調管理、練習の理解度などの把握がコーチたちに伝わらないことが多いからです。ただ、これまでの練習によって、当クラブではお喋りな子と比べて下記のようなことがなければ、さほど問題がないことがわかっています。。

①上達に関する大切な情報を聞いていない。

②自分の失敗を指摘されても聞いていない。

③聞いているフリをしているけど頭では何も考えていない

無口や口数が少ない子には彼らなりの対処法があります。こちらが5聞いてほしい場合、100喋って5聞いてくれればいいように、何べんでも同じことを喋るようにします。眉が動いたらこっちのものです。目が泳がなければ私の言うことを理解したのです。

いつの日か私と一緒にお酒を飲む頃には、「無口」であることを肴に大いに語り合えると思っています。頑張れ!お地蔵様。

参考文献:ウイキペディア

 

 お地蔵様.jpg

 

19回「ケガ」(2019521日)

先日サニブラウンがついに9“99を出しました。

彼は高校生の時リオ・オリンピックの選考大会である日本選手権を左太ももの違和感で欠場し、リオ・オリンピックをあきらめました。当時違和感があるだけであきらめたのは不可解でしたが、良く考えてみれば違和感を持ってレースに勝てるほど甘くはなかったでしょうし、レースに出て筋断裂のような大怪我をすれば選手生命を失うことになったでしょう。コーチの英断です。彼はまだ若いのです。

バンビーニ陸上クラブに今年中学生になった子がいます。今でもコーチに気を使って通ってきています。ただ、中学生となっては週1の当クラブの練習では当然不足するので、他のクラブで足りない分をまかなっています。自主トレする子もいます。その一方で怪我で苦しむ子も出てきました。

日本のトップレベルであろう、中学生であろうが、スポーツをやっていれば怪我はつきものです。そのためか「怪我をしなければトップレベル」という声をこれまで沢山聴いてきました。

どのスポーツもそうですが、現在に到るまで「怪我さえなければ」と言われてきた選手なんて星の数ほどいたのです。プロ野球でドラフト1位選手がどれほど1軍で活躍できたでしょうか。

一方、水泳の萩野公介、バトミントンの奥原希望、柔道のウルフ・アロンなど怪我を克服し活躍した選手もいます。

生活に支障をきたし、今までできていた当たり前の生活ができなくなるくらいの怪我ですから、大半の選手はここで挫折してしまいます。

では、怪我は仕方のないものなのでしょうか?

野村監督の言う「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」であって、怪我をするのは必ず原因があったはずです。

 

怪我をしやすい状況(原因)とは大きく次の4つが考えられます。

(1)疲労が蓄積しているとき

 疲労が蓄積しているときは言うまでもなく、怪我をしやすい状態にあります。疲労により筋力やパワー、柔軟性などが低下した状態でいつもと同じ動作をしたときに、筋肉が必要以上の力を発揮したり、いつもより大きな力で引き伸ばされたりすることがあります。このようなときに怪我は起こりやすいです。

①疲労の原因

 疲労の原因はトレーニングから来るものと考えがちですが、それだけではありません。仕事や学校生活、居住環境や人間関係など、人は生活する上で様々なストレスが降りかかります。そのストレスが許容量を超えた場合、疲労となり身体に悪影響を及ぼします。疲労はトレーニングだけではなく、生活環境によるストレスにも影響される事があります。

②予防策

 練習量を減らしたり、練習の頻度を少なくしたりするなど、全体のトレーニング量を調整することで防ぐことができます。目安としては全体の半分~3分の1程度、トレーニング量を減らします。減らすのはトレーニング量のみで、強度はそのままにしておきます。1週間程度、様子をみて調子が戻れば元のトレーニング量に戻し、調子が戻らなければそのままトレーニング量を減らした状態で練習します。

(2)ウォーミングアップに問題があるとき

 スポーツをする前にウォーミングアップを行うことは、とても大切な事です。ウォーミングアップ無しにいきなり全速力で走ったり、重たいものを持ち上げたりするのは、筋肉に対してのダメージがかなり大きくなります。スポーツをする前は必ずウォーミングアップをするようにしましょう。

a)ウォーミングアップは短すぎても長すぎてもダメ

 ウォーミングアップの目的は「身体の状態を最高レベルにする」ことです。例えばウォーミングアップが以下のように

・ランニング5

・体操5

 と内容も時間も不足している場合は、身体の状態を最高レベルまで引き上げることは難しいと思います。この様に身体が完全に目覚めていない状態で急に筋肉などに負荷をかけると、怪我を起こしやすいです。

 また、反対に

・ランニング30

・ストレッチ15

・ドリル20

・ダッシュ10

 と時間が長すぎたり量が多すぎたりすると、メインの練習や試合前に疲れてしまい、却って怪我を引き起こしやすくなります。最近の例をみるとこのケースが多いと思います。昨年は当クラブのアップの前に保護者が子供に体を温めると称してやらしていたことがありました。クレームをつけるとクラブのアップでは量が足りないと言われ、お客さんでもあるためそれ以上の論争は避けてきました。経営者としてはヨシとしても、コーチとしては猛省しています。

b)身体を最高の状態にするために

 アップは奇抜なものは要りません。普段の練習をやる前のアップを少し工夫して行うのが安心です。そうすることで身体の状態を把握しやすくなります。身体の状態が把握できると、例えば「今日は太もも裏の筋肉が張っているから、入念にストレッチやドリルを行おう」と怪我の芽を摘むことができます。

(3)トレーニングの内容がガラッと変わるとき

①慣れていない・新しいトレーニングを取り入れる場合

1.オフシーズン⇔シーズンの移行期

2.重要な試合が終わり、次の試合に向けて準備するとき

3.強化合宿

などがあると思います。これらの時期は慣れていない・新しいトレーニングに取り組むことが多いです。実はこの「慣れていない・新しいトレーニング」をするときに怪我をするリスクが潜んでいます。

②慣れていない・新しいトレーニングの適応

トレーニングはストレスであり、人間はそのストレスを受けたときに「適応」という現象を引き起こし、また同じストレスに晒されたときに備えようとします 慣れていない・新しいトレーニングを行ったときは、今までに無かったストレスが身体に降りかかるので、ストレスを大きく感じてしまいます。したがって、慣れていない・新しいトレーニングを大量に行うと、ストレスに抵抗できずに怪我に繋がりやすくなります。

③慣れていない・新しいトレーニングを取り入れるには

怪我をしないためには、適応能力の限界を超えないことが大切です。慣れていない・新しいトレーニングをする場合は徐々に取り入れるようにすればいいのです。

(4)練習量や強度が急激に増えたとき

 練習量や強度を増やすことができればその分、ハードなトレーニングに耐える力がつくので、体力も向上しやすくなります。特に体力や記録が伸び悩んでいるときや、ビギナーから脱却したいときに練習量を増やすことは重要です。ここで大事なのは徐々に練習量や強度を増やすことです。

徐々に練習量や強度を増やすことで怪我のリスクは確実に減少します。

①キツイ練習=効果のある練習ではない

 競技スポーツでよくあるのが、毎回の練習で体力の限界まで追い込んでしまうことです。確かに体力を向上させるにはハードな練習が必要になりますが、身体の適応能力の限界を超える練習量は、逆に体力を低下させてしまいます。例えば100mダッシュを2030本という練習はキツイ練習ですが、得られる効果はある本数から減ってしまい、仕舞いにはヘトヘトになるでしょう。それを毎日、毎週のように行なうと回復が間に合わず体力が低下し、最終的には怪我に繋がります。追い込めば追い込むほど体力が向上するわけではありません。

②トレーニングは計画的に~

  競技スポーツをやっている方は、重要な試合から逆算してトレーニングの計画を組むことが大切になります。そうすることで、「試合まで期間があるから練習量を増やして、ハードな練習に耐える身体を作ろう」「大会が近づいてきたので、練習量を落として筋力を上げよう」などと、自分に必要なトレーニングを判断しやすくなります。行き当たりばったりでトレーニングをしていると、身体のコンディションの変化に気付きにくく、怪我の芽を見逃しやすくなります。

 

<結論>

練習を工夫し体をケアしスケジュールを管理することで怪我は防げる場合が多いのです。特に陸上競技の場合はコンタクトスポーツではないので克己に努めれば可能です。

怪我で休部をメールしてきたので、多分もう会えない気がします。ここに怪我で落ち込んでいる教え子に「Never Give Up」とエールを送りたいと思います。

いつかどこかの競技場で会える日を・・・・

 

参考文献:ウイキペディア、厚別公園HP、TABIMINTON

怪我.jpg

18回「ホットレッグ」(2019514日)

5月11日(土)バスケットボールBリーグチャンピオンシップで千葉ジェッツが相手に5分間得点をやらずに19点差を2点差まで縮めました。その間エース富樫にボールを集め彼は期待に応え連続得点を演出しました。

これがバスケットでよく言われる“ホットハンド(hot hand)”というものです。ホットハンドとは、試合中や練習中に神懸かりしたようにゴールを繰り返して決めるような時に使われる言葉で、正に“絶好調”と言う感じのことです。好調であれば味方からのパスも自然に多くなり、それに応えればますますボールが集まってきます。そのため1試合のゴール数が選手本人もビックリするような得点数になります。

例えば、2006122日に行われたロサンゼルス対トロントの試合でアメリカNBA界のスーパスター、コービー・ブライアントが1試合81ポイントの驚異的な新記録を作りました(松浦俊介訳『科学で勝負の先を読む』)。これらこそ正に“スーパーホットハンド”と言えましょう。このような現象は恐らくバスケットボールだけでなくサッカーやラグビーなど多くのスポーツでみられる現象です。

バスケットボールにみられるホットハンド現象がランニングにも現れるのではないかと初代ランニング学会会長の山地啓司さんは考えています。「筆者がかつて選手であった頃、マラソンや駅伝のレース中にこの種の絶好調の状態を何回か経験したことがある。この現象をバスケットボールのホットハンドになぞらえて“ホットレッグ(hot leg)”と命名しよう。本来、駅伝やマラソンを走っていると生理的にはだんだん疲れてきて脚が思うように動かなくなるのが一般的現象であるが、レースの後半に差し掛かって何かの拍子に急に脚が快調に動き呼吸も楽になり、どんなにスピードを上げても走れそうな錯覚さえ感じられる時がある。それは長い時は数キロ続く。中盤にそんな状態になると自重しないと大きな落とし穴が待っているので用心する必要があるが、レースのゴール数キロ前になると大きく崩れる心配がないので思い切ってどんどんペースを高められる。そんな現象を経験した時はほとんど自己新記録を更新する」

一般に市民ランナーでも“ランナーズハイ”と言って長い距離を走っていると心身の陶酔感に浸る時があります。これを体感した時はもうランニングをやめることは難しくなります。ゴルフでナイスショットをした時や釣りで大物を釣り上げた際に竿の震えを味あうともうやめられなくなるのと同じです。

しかし、山地さんは「ホットレッグは酸素の収支のバランスが最高のレベルで調和し、しかも疲れた中で大脳は冴え攻撃的・闘争的状態、しかも脚は毒素が一気に抜けたような軽やかさを感じるものである」としてランナーズハイをさらに超越したものとしています。

小学生にこのことを感じさせるのは距離的に無理ですが、疑似的体感はできるのではないかと思います。何度も何度もハイスピードで1000mを走っていれば、脳ではそれがその子の最大距離と認識されます。いままで最後の第3コーナーでへばったのに第4コーナーまで何でもない、こりゃいけるかもと感じさせればそれがホットレッグの降臨となります。

苦しくないレベルのジョグとかFunランでは、ランナーズハイやホットレッグは得られません。走っていて「ちょっとキツいかも」「ヤバっ、苦しい」っていう段階を超えたときに、突然訪れることが多いようで、心臓にある程度の負荷をかけて辛くなるくらいのペースで走ることが必要になると思われます。一定以上の長い距離を走っていると、さっきまで苦しかったのに突然脚が軽くなって、呼吸もラクになり、気分がよくなる。なんだかどこまでも走れるような気がしてくるのですが、なんでそうなるのかは諸説がありますが、よく言われるのが「エンドルフィン」説です。肉体を苦痛から解放するために、ある種の「脳内麻薬」のような働きをする物質が脳から出るのです。それはこれまで厳しい練習をしてきた選手へのご褒美なのかもしれません。

 

参考文献:ウイキペディア、山地啓司(初代ランニング学会会長)論文、

ホットレッグ.jpg

17回「山のあなた」(201956日)

55日の日曜日クラスの長距離の部で、小3の女の子が400mのインターバルを練習しました。タイムが落ちる中なんとかついてきたのですが、17時になり競技場を出なければならないと思った私は「残念だが練習はこれで終わりだ。競技場の外でダウンしよう」と言いました。保護者からは今日は夜間もあるのでまだいいのでは、というご指摘があり、事務所に聞きに行ったところその通りでした。そのため、選手らには「よかった。時間はたっぷりあるので残りの3本やるぞ!」と言って練習を再開しました。すると小3の女の子は思わず涙がこぼれ、お母さんのところで泣いてしまいました。もう終わったと思い、これまで耐えてきた気持ちが雲散霧消してしまったのでしょう。私はもうシャワーを浴びたような彼女に練習しなさいとは言えませんでした。

ここで思い出しました。私が中1の時大正テレビ寄席で三遊亭歌奴の「授業中」という落語を聞いていたことを。この創作落語はカール・ブッセの詩で上田敏訳の「山のあなた」が基になっていました。

山のあなたの 空遠く

「幸い」住むと 人のいう

噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて

涙さしぐみ かえりきぬ

山のあなたに なお遠く

「幸い」住むと 人のいう

山の向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば、幸福があるのだと誰かが言った。

それならばと私も他の人を誘って探しに行ったけれど、欲しかった幸福は見つからず、涙を浮かべて帰ってくるしかなかった。

すると、さらに誰かが言う。

その幸福なら、あなたが探しに行った場所よりも、確かもっとずっと遠い山の向こうにあるのに、と・・・。

という意味です。

「コーチよ、しっかりしろ。こっちは一生懸命やっているのだ。追加などできるか。終わりと言ったら終わりだ。あと3本なんて気持ちがもたない」

コーチは子供たちの身体のことだけでなく、心もケアしなければなりません。今また小3の女の子に教わった気がします。

山のあなた.jpg

16回「目標設定」(201951日)

年号が「令和」に変わりました。新たな元号が始まり、これから20年、30年自分にとってどういう時代にしようかと思いを巡らしていらっしゃる方も多いのではありませんか。

毎年新年の目標を明確に立てる人もいれば、立てない人もいます。立てて意識し続けることができる人もいれば、意識し続けられない人もいます。もう私のような年齢になるとここ数年間の目標は「家内安全、健康第一」しか思い浮かびませんでした。少なくともバンビーニ陸上クラブを立ち上げるまでは・・・・

 

目標を意識し続けることは簡単ではないかもしれません。しかし、目標を持ち続けることで人の意識の状況はずいぶん変わり、その結果、行動もその後の展開も大きく変わります。

心理カウンセラーの藤田耕司さんは

「人間の脳は脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)という部位で視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚からインプットされる五感情報の取捨選択を行っている。人間は五感を通じて絶えず情報をインプットしているが、その情報のすべてを同じレベルで同時に認識し続けると情報がオーバーフローしてしまう。

そのため、脳幹網様体賦活系で重要な情報と重要ではない情報との選別が行われる。重要だと判断された情報は意識に残るが、重要ではないと判断された情報は五感で感じたとしてもスルーされ、意識に残ることはない。

例えば、試験勉強をしている時、靴下が足に触れている感覚を意識していたり、かすかに聞こえる空調の音を意識していたりすることはないだろう。ほぼすべての意識は英単語が書かれた参考書に向けられているはずである。このように五感からのインプット情報を取捨選択しているのだが、強い関心を持っている情報に関しては重要情報だと判断し、優先的に意識にあげてくれる」(一部加筆)と言っています。

新しいスーツを買うという目標を考えている時、街を歩くと他の人のスーツが目につくようになります。携帯電話を買い替えようとしている時は携帯電話のCMが目に留まりやすくなったり、他の人の携帯電話が目につくようになったりします。こういった経験は皆さんおありだと思います。

 

毎年「今年こそ平均体重になるぞ!」「簿記1級を取ろう!」「今年こそ結婚!」こんな目標を立てようとしている方は残念ながら思いは遂げられる確率は低いです。年末になって「また今年も出来なかった」と絶望するよりも、新年の目標設定の仕方を少し工夫して達成できる目標にするべきです。

目標の立て方に失敗すると、自信喪失につながってしまいます。皆さんも目標を達成できなくて落ち込んだことはありませんか? それは、目標を達成できないあなたが悪いのではなく、達成できない目標設定をしてしまったからかもしれません。

方や臨床心理士林田一氏はおもしろい例をあげています。

あるギャンブル依存症の方がいるとしましょう。この方は月に10万円パチンコでお金を失っています。そして彼はある日こう思います。

「もう金輪際パチンコはやめよう!

しかし、次の給与が出ると、財布にお金が沢山入っていることに気づきます。彼は我慢することができずにパチンコをして給料をすべて失ってしまいました。

「こんな俺は生きている価値がない。」

彼はすっかり自信を失ってしまいました。

 この場合も、パチンコに行ってしまった彼が悪いというより、目標設定の仕方が悪いのです。もちろん、依存症の場合パチンコを辞めるというゴールが大前提です。しかし、いきなり「パチンコを辞める」とだけ目標設定をしてそれに挑戦するのは、山に登ったことがない人がマッターホルンの登頂を目指すようなものです。極端な話ですが、この目標を「財布に1,000円しか入れない」、「繁華街に近づかない」などに変えてあげることで達成可能な目標になります。達成可能な目標を細かく達成することで、自信もつき前向きな気持ちになるでしょう。

自信を失いやすい方は、日々の目標設定の仕方を少し見つめなおすだけで、明るく健康な毎日を送れるかもしれません。

バンビーニ陸上クラブは埼玉県の強化指定選手をつくりあげることを目標にしていますが、最初から厳しいタイム設定はしていません。長距離における練習で、インターバルトレーニングをします。

インターバルトレーニングは平均スピードを徐々に上げて行くトレーニングで、コーチである私が子供たちの成長具合を見て設定します。設定してもできない子が出てきます。努力してできない子には「200mx10の時まず半分の5本を設定タイムで帰ることをめざしなさい。それができたら次は7本、8本最後は10本すべて設定タイムをクリアする。すると今度はステージを上げて強化選手B指定のタイムを、クリアしたらA指定のタイムを、と目標を上げて行く」と教えています。最初からA指定のタイムは設定しません。まずは自己ベストから設定していきます。

達成可能な目標設定は、「重要性」と「出来ると思うかどうか」がポイントです。「出来ると思うかどうか」の意義は、以前書いた「人類の壁」でも申し上げました。当クラブでは、子供たちには達成可能な目標設定にしてあげています。

もう一つの要素「重要性」が揃うと、その目標は達成可能な目標となります。重要性とは、その目標を自分が重要だと思っているかどうかです。

例えば「禁煙する!」という目標にした場合、「本当はやめたくないけど嫁がうるさいし、とりあえず禁煙宣言しようかな」とか思っていると100%うまく行きません。人間は思ってもいないことを言うことがあるのです。新年の目標の場合、よくあるのは「とりあえず言っとけ、できなかったらできないでまあいいや」です。

「目標は立てたからには絶対に、100%、なにがなんでもやりきる」という強い想いがないならば、それは重要性を認識している目標とは言えません。逆にこれだけ強い想いのない目標は達成不可能です。「一応目標たてといてできたらラッキー」という気持ちでは目標達成はできません。

このように「重要性」と「出来るかどうか」に着目して目標を立てると達成可能な目標設定となります。

元号改変は、大きな目標を立ててしまいがちです。勢いでその目標のまま走り抜けてしまうと「また今年も出来なかった」と何年も同じような絶望感に襲われてしまうことでしょう。今、一歩立ち止まって、「重要性」と「出来るかどうか」に着目し、目標設定をし直してみることが大切です。そうすることが目標達成した一皮むけた自分に近づく最初の一歩なのです。

参考文献:臨床心理士林田一氏談、心理カウンセラー藤田耕司談

令和.jpg目標.jpg

 

 

15回スポーツおける「菊と刀」(2019422日)

私が学生だったとき、「菊と刀」(*)という本を読んだことがあります。アメリカ人が日本との開戦を予測して日本および日本人を研究したことを後日まとめた本でした。アメリカ人はこんな風に日本や日本人を観ていたのだとあきれるやら感心したことがあります。ここまで分析されたら戦争に負けるわけです。アメリカ軍は日本人の行動を熟知しており、カレンダーで429日は天皇誕生日、1123日は新嘗祭、211日は紀元節と日本人のけじめある祝日を理解し、この日は防備を徹底しています。なぜなら追い詰められた日本人が「万歳突撃」をする心理的決断日になることが多いのです。

(*)『菊と刀』は、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版されました。ベネディクトは、フランツ・ボアズより教わった急進的な文化相対主義の概念を日本文化に適用するべく、恩や義理などといった日本文化『固有』の価値を分析しました。本書は戦争情報局の日本班チーフだったベネディクトがまとめた5章から成る報告書「Japanese Behavior Patterns (日本人の行動パターン)」を基に執筆されたものです。蛇足ですが、ベネディクトは女性でかつ日本に行ったことのない文化人類学者でした。日本人の書物を読み、日系人に会ってまとめたものだったのです。

 

さて、「インターバル」に掲載する資料を集めているうちにライトナー・カトリン・ユミコさん(ウイーン大学卒哲学博士)の『外国人からみた日本のスポーツにおける「ふしぎ」─ 2016 リオ五輪における日本人アスリートの立ち居振る舞いに着目して─』の研究ノートを見つけました。

スポーツにおける「菊と刀」を見つけたようで懐かしい気がしましたので、ご紹介します。

長いので、要約しますと、日本人は必ずオリンピックになると「金メダル宣言」をし、負けたらTVの前で「謝る」。さらに相手を称えるなどレースまた試合の駆け引きや敗因の分析をしない傾向にある、としています。謙虚である日本人の行動を非難するのでなく、外国人ではやらない行為に不思議かつ称賛の念を抱いているとのことでした。

彼女以外でも、きっとどこかライバルの国が、陰で「スポーツでの日本人の行動」を事細かく分析し、対戦競技では丸裸にされてしまうのでしょうね。怖い、怖い。

 

<論文抜粋>

1.「金メダル宣言」

 「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタン男爵による有名な言葉は世界的に知られているが、近年のオリンピックに出場するトップアスリートの多くにとって、オリンピックにおいて金メダルを取ることの方が、競技人生の最大目標であるに違いない。 しかし、そうした中で、多くの日本人選手が、メダル候補でない選手を含め、大会前に「金メダルを宣言」する風景は、日本の「Rio 2016」報道で初めて目の当たりにした。柔道やレスリングをはじめ、体操や水泳等の選手でも、特に、メディアに対するインタビューにおいて、「必ず金メダルをとる」や「絶対に金メダルを持って帰る」というような宣言をするアスリートを見て、「堂々と宣言ができてすごい」と率直に思った一方で、「このようなことを言ってしまって大丈夫か」と心配にもなり、複雑な気持ちであった。

 世界ランクの上位に入り、オリンピック前の様々な国際大会において優勝の経験もあり、優勝の最有力候補と言われる選手であれば、金メダルが取れる自信もあるであろうことから、実際にその目標を言葉にすることによって、自分自身の目標をより明確に現実的なものにしようと意識を高めることは、選手によってはオリンピックへの一つの備え方であるかもしれない。しかし、それほど金メダルが期待されていなくても金メダルを取る宣言する選手を見ると、自分自身に余計なプレッシャーをかけているようにしか見えず、なぜこのような発言をするのか「ふしぎ」に感じる。

 オーストリア人選手のメディア対応と比較をしてみると、金メダルを取る可能性について聞かれる場合は、多くの選手が「金メダルについてはあまり考えずに一試合一試合を大事にして全力を尽くしたい」や「特にオリンピックでは、何が起きるかはわからないので、金メダルについては深く考えていない」等のようにコメントをする。つまり、どちらかというと、とにかく自分自身に余計なプレッシャーをかけないように慎重に答えるアスリートが多いのだ。

それだけでなく、その競技の誰もが認める、ほぼ金メダル確実といわれる選手でさえ、メディア側が世の中の注目が集まるであろうビッグ・ニュースになりうるメダル獲得宣言という答えを引き出そうと、しつこくメダルに関する質問を繰り返しても、以上のようなコメントで交わし、メダル宣言は極力しないような対応をするアスリートがほとんどなのである。

 この「金メダル宣言」をジャパノロジー分野においてもよく議論されている性格的特徴という観点からみてみると、一般的には謙虚で控えめ、アピールを好まないといわれる日本人が積極的にメダルを取る宣言をしているのに対して、普段の生活ではアピール感が強いといわれる欧米人の方がむしろメダルを取る確率について慎重に答えているという姿は、非常に「ふしぎ」なことであると考えられよう。

個人的には、歴史的に「根性論」に基づいて語られてきた日本のスポーツだからこそ、「実力を度外視して、誰もがとにかく強い気持ちや志をみせなければならない」等のようなスポーツというものに対する精神力を賛美する理由から、多くの選手が、義務のように金メダル獲得を宣言してしまうのではないかと考える。

 

2.「負けたら謝る」

 金メダル宣言と同様に、「負けたら謝る」という 2016 リオ五輪に出場した多くの日本人アスリートにみられた立ち居振る舞いも、外国人からみる日本のスポーツにおける謎の一つであるといえる。その中で、そもそもそこまで金メダル候補として期待されなかったであろうという選手でさえ、インタビューで泣きながらも謝るというのは、「ふしぎ」な光景であった。

 オーストリアにおいて、サッカー等といったチームスポーツの場合は、個人のミスでチームが負けたときは、テレビのインタビュー等のメディア対応においてチームメイトに謝るという風景は度々見受けられる。しかし、個人競技の場合は、アスリートが、特に「なぜ」という理由も、「誰に」という対象となる人物も述べずに、とにかく金メダルが取れなかったことを「謝る」ということはない。この場合には、期待に応えられなかったこととその原因について、自分自身の感情や感想を表現し、試合のパフォーマンスを分析するということが一般的であるのではないかと考えられる。

 おそらく日本人の場合には、応援してくれている人やサポートしてくれている指導者、あるいは家族及び友人に対して謝っているのではないかと推察はできるが、実際に「誰に」そして「なぜ」謝っているのかは、日本人でない身としては理解しがたいことであるといえよう。

通常負ける原因を考えてみても、「何等かの理由で実力や持っている力を発揮できなかった」、「その日は相手が自分自身より強かった」や、「判断ミスをしてしまった」等は推察される。いずれも意図的に負けるようなものでなく、したがって、(当事者が)謝らなければならないものとして受け止めなくてもいいと解釈される。

また、「Rio 2016」における報道を振り返ってみても、「謝って当然」や「謝るべき」と、選手の謝る姿に納得するメディア関係者や元アスリートであるテレビの解説者もいないように捉えられる。それだけでなく、「十分に頑張っていましたね。本当にお疲れ様です。」という日本的な言い回しで、むしろ選手を励ます場面が多くみられたことから、むしろアスリート以外の様々な人には選手たちが金メダルを取る難しさと、彼らが競技以外の生活を犠牲にしてまでその目標に向けて世界と戦って頑張っている過程こそが評価されているようにみえる。このような対応のズレをみていると、選手以外の人々の方が、オリンピックで金メダルを取ることの難しさをアスリートより理解し、オリンピックというものをより現実的に捉えているような印象は受けてしまう。

 しかし、日本人ならではの性格やそれによる考え方という視点から謝っている日本人選手の立場になってみると、もしかすると負けた原因を分析すると世間的に言い訳や責任逃れと批判される恐れがあるということから、対外的にはわざと試合内容やパフォーマンスを冷静に分析しないのではないかとも考えられる。応援されている人にどのように見られるかという、周りの目を本人の評価に直結するものとして受け止め、それが「負けたら謝る」という立ち居振る舞いにつながるのではないかとも考えることはできよう。

 

3.「相手を称えない」

 スポーツにおいて試合で負けるというのは、様々な理由はあるものの、基本的には、相手がより強かった、速かった等、パフォーマンスがより優れていたからであるといえるのではないだろうか。さらに、より優れたパフォーマンスを発揮できたその相手を称えるという行為も、オリンピック等といった国際的なスポーツイベントではよく目にする。しかし、筆者が日本でみた2016リオ五輪の報道で取り上げられた日本人選手には、そのような行為をとるアスリートを一人も見ることがなかったというのは、本稿で述べる日本のスポーツやアスリートにおける3つ目の「ふしぎ」である。

もちろんどうしても相手を称えなければならないわけではなく、また外国人選手の誰もがそのようなことを行うわけでもないが、今まで多くの外国人選手にみられたこのような行為を日本人選手において(筆者が見る限りにおいては)一切目にしなかったというのは、衝撃的なことであった。

 「負けたら謝る」という行為に対する解釈に類似しているが、相手を称えることによって敗因を自分自身に起因させるのではなく、誰かのせいにするような言い訳や責任逃れと思われる可能性がこのような行動をとる原因の一つとして考えられるのではないだろうか。しかし、可能な限り準備や調整を経て、最高の状態で臨んだ大会において、自分自身のベストパフォーマンスや実力をすべて発揮ができたのに、最終的に負けて銀メダルに終わるという展開も、特にオリンピックにおいて度々みられるが、その場合には、優勝をした相手とそのパフォーマンスを率直に称えていいのではないかと筆者は考える。ましてや僅差で勝負した相手は、常に競い合って厳しいトレーニングや練習を乗り越えてきた者同士としてその苦労を一番に理解できるからこそ、金メダル獲得を称賛するというのは、むしろスポーツマンシップそのものなのではないかとも考えられる。それは、自分自身を否定してしまうということではなく、さらには、競技人生を終えなければならないことを認めることでもないであろう。

 

外国人の日本人アスリートに対する「疑問と尊敬」

 「ふしぎ」だから非難をするのではなく、むしろ外国人として到底考えが及ばない彼らの行動の背景を認めるだけでなく、さらに一歩踏み込んで自分自身にはできないであろうという考えから尊敬を払う人すら多くいるのではないかともいえる。それは、本稿のテーマである日本人のオリンピックアスリートに関していえば、彼らの多くが金メダルという大きな責任を負い、誰にも頼らずに一人で世界と競おうとする覚悟でオリンピックに臨む姿に対してであり、多くの外国人アスリートがそのことに敬意を表するものであるからに違いない。

 

 

参考文献:ウイキペディア、『外国人からみた日本のスポーツにおける「ふしぎ」─ 2016 リオ五輪における日本人アスリートの立ち居振る舞いに着目して─』の研究ノート

 

吉田沙保里.jpg

第14回「タイガー・ウッズ」(20019416日)

昨日終わったゴルフのマスターズではタイガーウッズが優勝しました。タイガーウッズは、母親の勧めで始めた習慣で最終日は赤系のシャツを着ます。タイガーの写真は赤いシャツで写っていればどこかの大会の最終日と考えて間違いありません。タイガーが優勝することは期待していた人は老若男女多かっただろうと思います。なぜなら昔の彼は強かった。一番強い時の印象は神がかったパットです。グリーンの傾斜、芝目などあらゆるファクターをインプットしてあさっての方向に打ち出し、しばらくするとボールはゆっくりとカップに向かって行きました。さらに、追いかけるタイガーは積極的に攻めます。あと10cm後ろだったら池ポッチャになる場合でも負けている時はガンガンピンにからめてきます。まるで1位でなければゴルフでないがごとくです。マスターズは123千万円、214千万円、387百万円ですので、2位でもいいんじゃないのと思うのですが・・・

タイガー・ウッズの強さの秘密は、いろいろありますが、藤原和博さん(メンタルトレーナー)は彼の「脳の使い方」にあるといっています。タイガー・ウッズは「自分は世界ナンバーワンのゴルファーだ」という自分自身の能力に関する自己評価を持っています。

この自分自身の能力に関する自己評価のことを『エフィカシー』といいます。

エフィカシーの高い人は、新しいことにチャレンジするとき、チャンスの場面、逆境に立たされたとき、「自分なら素晴らしい結果を出せる!」と考えます。エフィカシーを上げていくのに、過去は一切関係なく、根拠はいりません。なぜなら、「自分自身の能力に関する自己評価」だからです。他者からの評価ではありません。

200510月、世界ゴルフ選手権の最終日に、タイガー・ウッズとジョン・デーリーという2人のゴルファーが優勝争いをしていました。最終の18番ホールが終わった段階で、同スコアで並び、勝負はプレーオフに持ち越されたのです。そして、迎えたプレーオフ2ホール目。タイガー・ウッズは先にパー・パットを決め、ジョン・デーリーが距離1メートルのパー・パットを決めれば、さらに次のホールへと勝負が持ち越される場面。もしあなたがタイガー・ウッズの立場だったら、このとき、どう思うでしょうか?おそらく、たいていの人は「外せ!」と思うのではないでしょうか。ジョン・デーリーが外せば、タイガー・ウッズの優勝が決まる場面で、タイガー・ウッズは、なんとジョン・デーリーのパットを本気で「入れ!」と願っていたのです。「外せ!」と思ってしまうことで、無意識に自分は相手と同じであるか下であると評価していることになってしまいます。「相手が外すことで優勝できる」と考えるということは、「相手が外してくれないと自分は勝てない」と自分に言っているのと同じです。タイガー・ウッズには「自分は世界ナンバーワンのゴルファーだ」というエフィカシーがあります。このエフィカシーを維持するためには、ジョン・デーリーが最後のパットで「外せ!」なんて思ってはいけません。

「世界ナンバーワンのゴルファーの自分が、相手のミスによって優勝が決まるなんて、自分らしくない。もっと自分はすごいプレーができる人間なんだ!」と思っていました。実際に、ジョン・デーリーが最後のパットを外した瞬間、タイガー・ウッズは本当にガッカリした顔をしていました。それは、最高のプレーで優勝するイメージがタイガー・ウッズの頭の中にあったからです。

 藤原さんは決して、エフィカシーはタイガー・ウッズだけが特別ということではないとも言っています。脳の使い方なので、練習していけば誰でも上手に脳を使いこなすことができるのです。

人はみな、天才として生まれてきているのです。生きていく過程の中で、そう思えなくなっただけです。小学生の頃出展した絵のコンクールでいつも3位までに入った自分や一度聞いた音楽をほぼ同じようにギターでひけた自分を思い出してください。あの時学校や親の理解や援助があったらきっと今頃は1200万円の画家になったし、カーネギーホールが一杯になる音楽家になっただろうと考える方はいらっしゃると思います。

自分の子どものことを低く見なさないでください。子どもたちは、とてつもない可能性を秘めています。つまり、子供たちの能力・価値はまだまだそんなものではないということです。今度はあなたが理解と援助を与えてやる巡り合わせなのです。

「自分はただのゴルファー」だと思っていれば、本当はもっとできるのに、脳はそのエフィカシーに合わせて力をセーブします。「自分ならもっと上手にプレーすることができる!」と思うこと。そこに過去は一切関係なく根拠もいりません。

エフィカシーを上げていくためには、陸上競技・人間関係・学業、何か一側面の上手くいかなかったことを見て、自分のことを責めないことです。その時はその子らしくなかっただけです。

このパットが入れば2億円、外せば1億円、つまり1パット1億円になるわけで、私なら1mの距離でも手が動かなくなり打てません。タイガーは7mの距離でもウインニングパットが入ったイメージしか持っていません。入らないことを考えていないのです。みんなタイガーのようになりましょう。

 タイガー.jpg

 

 

 

13回「ルーティン」(2019410日)

ラグビーの五郎丸選手で有名になったルーティン(routine)は、スポーツ心理学では「アスリートがパフォーマンスの前に行う儀式的な動作の事」を指します。

五郎丸選手の前にはイチロー選手のユニフォームの袖をつかみバットをセンター方向にバットを立てる動作が有名でした。まず何人かの有名選手のルーティンをご紹介しましょう。

(1)琴奨菊(相撲)

立会直前の胸を反る動作「琴バウアー」

(2)内村航平(体操)

跳馬の前に両手を前に差し出すポーズ

(3)ウサイン・ボルト(陸上)

スタート前胸で十字を切るしぐさ

(4)C・ロナウド(サッカー)

フリーキックを蹴る前に右足から後方に4歩、最後に左に1歩動き仁王立ちする。

(5)浅田真央(フィギア)

左足からリンクに入る。前進、後進の周回、左右交互の足で滑るジグザグ滑走などの一連の動作

プロの選手は多かれ少なかれこのようなルーティンがあります。

では、なぜこのようなルーティンがあるのでしょうか。

まず一つ目は短時間で極度の集中状態をつくれるからです。

受験勉強やダイエットのための運動はなかなかやる気が起きません