インターバル 第115回「ホワイトデー」(2021年3月8日)
第115回「ホワイトデー」(2021年3月8日)
学童ではホワイトデーが近くなりかまびすしい。
D男は
「イリ、僕ね、今度K子ちゃんに『仕返し』しようと思うんだ」
「おいおい物騒だな。何されたんだ」
「うふ、バレンタインでチョコレートもらったんだ」
「ん?・・・それなら『仕返し』じゃなくって『お返し』というんじゃないかな」
Y男は
「ホワイトデーで僕K子ちゃんに『ゴジラ』をあげるんだ」
「ん?何で?・・・そういうことか、それは『GODIVA』だね」
R男は
「僕ね、ゲーム買ってしまってお金持ってないから、K子ちゃんの『ボディーソープ』になるんだ」
「ん?・・・それを言うなら『ボディーガード』だね。ボディーソープだと風呂屋の三助(お客さんの背中を流す人)になっちゃうよ」
こどもは聞きかじりが絶えず、真顔で言うので思わず笑ってしまう。つい漫才のミルクボーイを思い浮かべてしまう。
彼らがホワイトデーについて漫才をするときっとこうなる。
ボケ「うちのオカンがね 記念日の名前をちょっと忘れたらしくてね。でまあ色々聞くんやけどな 全然分からへんねんな」
ツッコミ「分からへんの? いや ほな俺がね オカンが思っている記念日を ちょっと一緒に考えてあげるから どんな特徴ゆうてたかってのを教えてみてよ」
ボケ「女の子にもらったチョコレートのお礼の日らしい。昔はマシュマロだったと言うねんな」
ツッコミ「おー ホワイトデーやないかい その特徴はもう完全にホワイトデーやがな」
ボケ「ホワイトデーなぁ」
ツッコミ「すぐ分かったやん こんなんもー」
ボケ「でもこれちょっと分からへんのやな」
ツッコミ「何が分からへんのよー」
ボケ「いや俺もホワイトデーと思うてんけどな」
ツッコミ「いやそうやろ?」
ボケ「オカンが言うには、それは不二家の宣伝から始まった日だったと言うねんな」
ツッコミ「ほなホワイトデーちゃうがなこれ 不二家の宣伝はペコちゃんポ子ちゃん、ポパイだもんな」
ボケ「そやねん」
ツッコミ「ほなもう一度詳しく教えてくれる?」
ボケ「バレンタインはじれったい男の子に女の子が催促する日だと言うねん。その日はそれに気づいた男の子が決意表明する日で、お返しであげるものは最近はチョコレートやアクセサリーなど何でもいいらしいねん」
ツッコミ「ホワイトデーやないかい チョコレートメーカーがバレンタインンとホワイトデーの2回稼ごうと言う魂胆や。俺の目は騙されへんよ 俺騙したら大したもんや」
ボケ「オカンが言うにはお葬式は招待状なしでも出れるが、その日は結婚式と同じで招待状がないと出れないものらしい。」
ツッコミ「ほなホワイトデーちゃうやないかい ホワイトデーに招待状は要らない…待てよ、女の子はどんな男の子にもあげあられるが、ホワイトデーはバレンタインでチョコレートをもらった男の子だけがあげられるという意味なんかな」
ボケ「分からへんねん」
ツッコミ「ホンマに分からへんがなこれ どうなってんねんもう」
ボケ「んでオトンが言うにはな」
ツッコミ「オトン?」
ボケ「ホワイトクリスマスとちゃうか?って言うねん」
ツッコミ「いや絶対ちゃうやろ もうええわー」
第114回「走って走ってランランラン」(2021年3月1日)
表題だけ見ると何か楽しそうだが、「走って走ってRun Run Run」と文字を置き換えるととたんにこどもは嫌な顔をする。3月となり、12月~2月までの「走って走ってRun Run Run」の期間が終わり、スピード練習と持久力トレーニングとの汽水域の期間に入る。天気にも恵まれ今年の冬はよく走った。
当クラブは長距離は言うまでもなく短距離も走り込む。ドリルという練習は他のクラブに比べて少ない。多くのこどもは1週間に1回の練習なので指導の時間は限られているから、自ずと冬は「走り込み」中心の練習となる。走り慣れすることに軸足を置くが、ここが小学生トレーニングの問題点があり、走り過ぎ、過酷と言われる。しかし、ケニアやエチオピアのこども達が毎日10km以上離れた学校に走って通っているのに、1週間に1度の練習で10kmも走らなければ国際大会では勝てない。走り込みは陸上選手にとっての「走る場数」だ。
最近のこどもは取っ組み合いのケンカはしない。せいぜい小突く程度だ。これまでの経験から言えば、ケンカ慣れしている者の方がケンカは強い。ヤクザが強いのはケンカの場数を踏んでいるからである。普通の人は他人を殴らずに一生を終える。もしケンカすることがあっても殴るタイミングがわからない。ヤクザは自分より大きい柔道部やレスリング部の大学生にも立ち向かう。ヤクザにはルールがないから、急所蹴り、頭突き、こん棒での一撃など勝つために手段は選ばない。学生は競技ルールの下では強いが、ケンカの場数には負ける。
釣り師も場数を踏んでいる。同じ船に乗ってもなぜかビギナーズラックは少ない。必ずベテランから釣れる。しゃくりのコツなのか、タナ取りの妙味なのか、ベテランは経験でわかっているようだ。夏の三浦半島でタイを釣る場合は素人は「エビ」を用意するが、ベテランは「スイカ」を餌にする。夏の三浦海岸では海水浴客が食べ残したスイカが海に浮かんでいる。タイはこの時期このスイカを食するからだ。知識も豊富だ。
銀座のクラブのママはほとんどのお客の名前を憶えている。私は1度しか行ってないのにしかもお金は上司が払ったのに、2年ぶりに行っても「あら?お久しぶり、入山さん」と会社のボトルが出てくる。ママに秘訣を聞いたら「ヒ・ミ・ツ」だそうだ。これも場数を踏んだ結果だと思う。
場数を踏むことは何かを究める際の必要十分条件だ。1000mの強化指定タイムを切るためには1000mを何回も走らなければならない。100回で壊れる壁があっても、人は100回で壊れることを知らないから、99回叩いて諦める場合が多い。だからバンビーニでは「諦めきれない」ほどの練習をする。そのための「走って走ってRun Run Run」なのだ。時間は限られている。バンビーニでは「Time is money」は「タイム イズ もう、ねえ~」と読み替える。
第113回「学校群」(2021年2月23日)
2月26日埼玉で公立高校の受験がある。
半世紀前になるが、中3年になってすぐ受験の相談会に母親と一緒に出席した。東京では日比谷高校が一番であった時代だ。中学校の担任は「入山君の成績ではB高校ですかね」と母親に告げ、母親は反論もせず「先生のいうことに従います」
翌日職員室に呼ばれ「昨日はお母さんにB高校と言ったが、お前の英語の成績ではB高校もおぼつかないぞ。だが、これからいくら勉強しても英語の能力が上がるとは思えないから英語を捨てろ。他の教科で頑張れ。英語が0点でも他の8科目が80点なら平均70点となり合格する」と言われた。今から思うと乱暴な進路指導だった。でも、入山家は親子とも先生には従順だった。
ところが7月の学校改革で高校は“学校群”制度になり、しかも受験科目は詰め込み教育廃止で、それまでの9科目から3科目(英語、数学、国語)になった。その他内申点重視、学校に対する積極的行動重視という制度が今年からの実施が決まった。
学校の先生もどういうものか計りかねていた。しかし、その発表があってまもなく職員室に呼び出され「入山、ダメだ。作戦変更。英語は捨てられない。数学と国語が満点でも英語が0点なら平均70点に届かない。頑張って英語をもっと勉強せえ」受験まであと6ヶ月になって言わないでよ、と思ったが、先生には相変わらず従順だった。
塾に行くお金はなかったから、参考書を何冊か買ってもらい勉強した。おふくろは疲れていたのに11時頃夜食を作ってくれて「頑張って、もう寝るからね」その甲斐あって英語は奇跡的大勝利。翌日英作文が1か所間違えただけで95点だったと先生に報告したら「嘘だ」と職員室ですべての先生から笑われた。顔が赤くなって下を向いてしまったが、「・・・それでも95点」ガリレオの気持ちがよくわかった。
B高校に進学してすぐは同級生を見下していた。俺ほど英語のできる奴はいないと。1ヶ月くらいたって、担任が「クラス分けの際の書類」を教壇に忘れ、それを盗み見したら、50人クラスで40人が英語100点だった。新制度は記述式を取り入れた新しい試験方法でもあったので第1回目は難しくできなかったという。自信が大崩れした。
さらにこの制度はA高校とB高校が53群というグループの中に組み込まれたものだった。それまでは単願であったが、学校間の学力格差をなくすためグループ化された。当時はA高校がB高校よりレベルが高く全員A高校に行きたかった。A高校かB高校かは運不運の問題となった。
合格発表をA高校に見に行こうとワクワクドキドキして向かっていたら、発表を見て戻ってきた同級生に出逢い「入山君、B高校だったよ」と言ったため感動も何もなくなってしまった。時代の流れを受け数々の出来事のおこる高校に入学したことになろうとは、その時知る由もなかった。
20年後会社で2歳下の同僚と偶然飲む機会があり、その際彼がA高校であったことを知った。彼は私がB高校であると知ったとたん態度が変わった。こどもの時の強く刻んだ誇りは大人になっても変わらない。あまりにも見下す態度に私は言った。「入試の成績順に1番A、2番B,・・・499番A、500番Bというように配分されるため、お前は499番でA高校、俺は2番でB高校だったんだ」真相は不明。
陸上競技は天候でタイムが左右される。埼玉県は強化指定選手制度でタイムによってA指定、B指定が決まる。その大会で優勝してもタイムが悪ければ選ばれない。2.26は雪のイメージがある。天候には左右されない受験だが体調には左右される。風邪もコロナにも負けず普段通りの成績を出せるよう、頑張って!
第112回「ねえ~、自己紹介してよ」(2021年2月17日)
学童の話
おやつの後の散歩で、公園に行った。
鬼ごっこで木の陰に隠れていると、1年生の女の子がやってきて、ベンチの方に連れていかれた。そこにはお母さんと思しき人がいた。「ねえ~、自己紹介してよ」という。目の前で嫌だとは言えず名前と趣味だけ言う。お母さんは「いつもYから聞いています。よろしくお願いします」とニコニコしていた。
2週間後、私が帰る時Yのお母さんが迎えに来てYと一緒に学童を出た。すると、Yが私の手をとった。「イリ、一緒に帰ろう。お家まで来てよ」と言う。学童では絶対に見せない行動だった。翌日マネージャーに報告したら、「Yはいつも先生と遊びたがっているのに、他の子が来ると遠慮して身を引いているのですよ」マネージャーは見ていた。
1ヶ月後公園に行くと、また「ねえ~、自己紹介してよ」と言われた。よく見ると遠くのベンチに母親がいる。
「なんで自己紹介するの。前もしたじゃない?」と聞いた。
「付き合う時は自己紹介するでしょ」
「???」
「お母さん昨日酔っぱらって言ってたよ。外見はどうでもいい、私はストライクドーンが広いからって」
「それはたぶんストライクゾーンだね」
「そんなことはどうでもいいの。お母さんはYの好きな人でいいって。Yのためなら相手は50歳まではオーケー、少々出ていても可。それ以上だと要相談だって。イリいくつ?」
常日頃、学童のこどもには30歳から60歳までその都度適当に言っているので、自分の学童における公式年齢がわからない。こどもは40歳以上の人物では年齢の見分けがつかないから、いくつと言っても信じる。
「あのね、Yがね、お嫁さんに行く前にたぶん私はこの世にいないと思う」
「探すから大丈夫」
「いや、探せないと思うよ。あの世にいるから」
「??? ところで奥さんいるの?」
「怖い人が1人いるよ」
「別れてよ」
「えー!!!これまで苦労ばっかり掛けてきたから、これからは奥さん孝行しなければいけない。夫婦って、友達と違う、磁石のようにくっついて離れたくとも離れられない関係なのだよ」
「ふ~ん。夫婦って磁石のようなものなの。じゃあ、なんでお父さんとお母さん別れたの?」
「・・・」
第111回「警察犬」(2021年2月10日)
犬の特徴はその嗅覚にある。人間の100万倍の能力があるという。警察犬は犬の持っている嗅覚を利用した警察の武器である。しかし、普通の犬はその嗅覚の能力をまったく発揮していない。ただの玩具にしか過ぎないのだ。多くの飼主はそれで充分で、彼らにとって愛犬は癒しの対象でしかない。警察犬はすばらしい能力をもっているのではなく、犬の嗅覚という感覚を100%発出させた結果である。すべての犬は訓練すれば警察犬になれる可能性があるのだ。犯人確保を目的としたシェパードやドーベルマンの犬種は別にして、犯人追跡または不明者の捜索に適した能力はどの犬でもある。実際、警察犬の中には追跡・捜索部門でチワワやトイプードルも採用されている。ただし、嗅覚に優れていると言ってもどの動物でも“警察犬”になれるわけではない。犬の数倍の嗅覚能力をもつ動物はゾウだが、移動に手間取る上狭い場所に入れない。そのため“警察象”は存在しないのである。
日本人の先祖はイノシシやシカを追いかけていた。またオオカミやトラなどから逃げ回っていたので、“速く走る遺伝子”は持っている。知能が発達し、走らなくても狩りはできるし難も逃れるようになったため、その能力は徐々に衰退している。しかし、まだ日本人は縄文時代から2800年しかたっていない。少なくともエジプト人や中国人より速く走る遺伝子が多く残っているはずだ。この遺伝子を100%発揮すれば、日本人は「速い」のである。しかし、塾に行ったりダンスをしたり、遺伝子から離れるにつれて「遅く」なってしまった。
我々陸上競技のコーチ達は児童が100%全力走ができるように指導している。たまにはキツイ練習もある。しかし、多くの人は別段辛ければクラブをやめさせてもいいと考えている。愛犬家と同じように明るく楽しい時間をこどもと過ごせればいい。こどもの隠れた能力を知ろうとはしない。自分の描いた人生像があり大学までのレールを敷いている。大学からこどもの望むように行動させても、こと陸上競技では遅い。「持っている嗅覚を研ぎ澄ます」ことで警察犬になれるように、「速く走る遺伝子を活性化させる」ことで日本一、いや世界一のランナーになれる可能性がある。我々は決して天才児を探しているのではない。
得てして私は大上段に振りかぶる傾向にある。しかし、訓練によって犬の嗅覚能力が100%発揮できても、一般の家庭で何の役に立てるかを考えてみると、私の主張は急に怪しくなる。コロナウイルスに匂いがあってそれを犬が嗅ぎ分けることが出来れば話は別だが・・・
(蛇足:今回は第111回のため「ワンワンワン」で、犬について語りました)
第110回「おのぞみの結末」(2021年2月3日)
少年は悩んでいた。自分はスポーツ万能だが特に秀でたものがなかった。走るのも速いが、かといって11秒台を出すほどでもない。何か記録を出さないと高校からオファーがかからない。内心焦っていた。
そんな日が続くある日、部活の帰り道、何やら怪しい古民家があった。「無料で悩み解決します。ココア付」との張り紙が気にかかった。こんなところに古民家などあったけと訝しんだが「ココアが飲めてただならいいか」と戸を叩いてみた。そこには老人がいて「いらっしゃい」と言った後は無言だった。
「あの、相談してもいいですか。僕、陸上部にいて速くなりたいんです。どうしたらいいでしょうか」
「わかった、占って進ぜよう。私の占いは珍しい『ココア占い』じゃ。ココアを飲み干した後、ソーサーをカップの上にかぶせ逆さにする。 すると残ったココアが垂れて、カップを持ち上げると、そのココアによって模様ができ、この模様がどのように見えるかによってお前の将来を占うのじゃ」
「飲んでいいんですか」飲み干すのにずいぶん長い時間がかかったような気がする。
「ああ、どれどれ、どんな模様になったかな? これは・・・鹿の絵柄になっている。鹿には角がある。角は神や宇宙からの交信を受け取るアンテナを意味する。さらに鹿は草を食べる時は悠然とし神からの指令があれば颯爽と走る、精神と肉体のバランスの象徴だ。鹿を見つけて鹿に乗れ」
「???」相談の趣旨には答えてないが、ココアを飲んだだけ得をしたような気分になった。翌日ここを通ったが、古民家はなくなっていた。
それからしばらく経って、ネットで探した陸上クラブに入った。毎回、嫌というほど走らされた。小学生と走らされても少年は手を抜かない。コーチには「あほ、小学1年生に勝ったから喜んでいるなんて。お前は自分と闘っていない。精神と肉体のバランスが欠けている」どこかで聞いたことのある言葉だった。コーチは1年で結果を出すには時間がないから週3日来いと言う。クラブ活動で毎日走った上に3日来いと言うなんて1週間1日も休みがないじゃないか、こんなんで速くなれるのかよと思いつつ、100m100位には入りたかった。
そんな日が続くある日、帰り道ふと見ると前に見たココアを飲ませてくれた古民家があった。「無料で悩み解決します。ココア付」の張り紙がまたあった。一杯ココアを飲んで帰ろうと立ち寄った。
「この間の少年じゃな。鹿は見つかったか」と老人は問うた。
「はい、鹿らしき名前のクラブに偶然入りました」
言っている間に急に少年は思い出した。そのクラブの練習場のひとつに「としのう」があり、そのバス停が「鹿浜五丁目」であったことを。前と同じようにココア占いをした。
「おお、今度はキツネの形となったぞ。お前の中学校は確か十二月田中学校だったな。その地域は、昔飢饉の時きつねが田植えの真似をし豊作を祈願した十二月田(しわすだ)村じゃ、今度はキツネそのものになれ」
「???」
少年は何が何だか理解できなかったが、老人の勢いに押されその場を後にした。翌日そこを通ると古民家はなくなっていた。しかし、思いを巡らしていくうちに学校の近くに十二月田稲荷神社がありそこにキツネがいたことを思い出した。なんとなくお参りした。また、念のため「きつねうどん」を事あるごとに食べた。キツネが自分に何の関わりがあるかわからないが、たぬきはひょうきんなものに、キツネは妖しいものに化けるものだとバアチャンが言っていた・・・
コーチから「持久力もあるからお前400mをやってみたらどうだ。そろそろ100mランナーから400mランナーに化けて見ろ」と400mの練習をさせられた。2年生の秋の大会では200mまでは1位だったが、残りの距離で失速し60秒を過ぎてしまった。それを見たコーチはその後さらに練習量を増してきた。しごきに近い。これじゃジイチャンの頃の野球部の監督だ。「そうだ、コーチの好きな大リーグのチーム名がWhite Foxだったな」と少年は急に思い出した。白狐は福を人間にもたらす動物だし稲荷神の神使だ。これも占い師のいうキツネに関係している。少年は運命を感じた。英語の苦手な少年の聞き違いで実際のチーム名はWhite Soxだが、そんなことはもう関係ない。信心は盲目的に何かに頼ることである。その後コーチの作る練習を完璧にこなした。すると春には57秒、そしてコロナや猛暑を乗り切った秋には53秒5で埼玉県8位になった。キツネのように「大化け」した。
その後はM-1で優勝した漫才師のように次から次へと高校から誘いが来た。
しかし、高校が彼をセレクションにかけるのは53秒5の記録ではなく、彼の将来的可能性に魅力を感じたからだ。少年は自分の価値をまだ理解していない。強靭な筋肉、頑固なほど真面目に練習に取り組む態度、小学生のような純真さを評価したからだ。もっとも記録がなければスカウトマンは見過ごしたかもしれないが・・・
少年は最初に声をかけてもらった高校に恩義を感じながら、1月24日憧れの高校に進学が決まった。本人がのぞんだ結末だった。
第109回「上を向いて歩こう」(2021年1月27日)
学童の話
私と話をする時、四方八方に目を配る子がいる。目線があっちこっち飛ぶので落ち着かない。シングルマザーのせいか週明け月曜日は特にテンションが高く、大声でのお喋りが多い。マネージャーが、遊ぶ時間室内が騒々しくなってきたので「皆さ~ん、ちょっと聞いて下さい。大声出すと飛沫が飛ぶと学校で教わらなかったですか」場の雰囲気がわからないYはすかさず「先生は静かに話しなさいとは言っていたが、大声出すなとは言ってないよ」と大声で発言「それを大声出すというのだよ」「でもね、マスクしているとよく聞こえないからはっきり喋ろとイリが言ってたよ」(俺を引きずり込むな!)全体に対する訓話が個人的な説教になってしまった。
このように指導しづらい子なのだが、私を同級生と思っているのかおじいちゃんと思っているのか、妙に馴れ馴れしい。でも、時々「おまえ、誰に対して言ってるんだ。3尺下がって師の影踏まずだ」と小突く。「えー、イリ死んでるの?イリの影踏むと僕らも死んじゃうの?ワー大変、皆逃げろ」屁理屈というのか機転が利くというのかよくわからない男だ。時々さらなる悪態をつく時がある。しかし、その際は発言しているうちに気づくようでまずベテランのおばあちゃん先生見て、さらにマネージャーが見ているかどうかを確認してここまでは大丈夫か、と思いながら視線が私に戻り、それからさらに私につっかかてくる。私はどうしても発言が許せない場合頭を叩く。咄嗟の時はお尻より間近な頭に手がいってしまう。暴力教師と騒ぐが、Yはその痛さ加減で自分の行為の悪さの度合いを判断している。でも、「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」ではないが、叩いてもからみついてくる子はかわいい。この子が早お迎えの時は、その後の学童の時間は静かに流れ何の苦労もない。
いつものお散歩では殿をつとめるのが私の役目だが、今回はおばあちゃん先生がお休みのため私が先頭を歩くことになった。こどもにも先頭の当番がいて、今日はKという3年生の男の子であった。痩せているのに、この時期Tシャツである。以前記述したジャンケンで負けると瞬間的に泣く子である。その子が不思議なことに下ばかり見て歩く。しばらく見ていたが一向に頭をあげる雰囲気ではない。
「いいか、K、男は堂々と胸を張って歩け」と言うと胸を張るが、2,3歩歩くと下を見る。「K、乞食みたいに歩くな。さもしいぞ。上を向いて歩こうだ」すぐ頭を上げるが、また下を見て歩く。同級生の姉さん児童がしゃしゃり出る。「イリ、こいつね、登校中犬のうんこ踏んじゃったんだよ。それも2回続けて。今度踏んだら、うんこ野郎と言われるのが嫌で、踏まないよう気をつけて歩いているんだよ」「そうか、でも逆に運のいい奴じゃないのかなぁ」「うふ、オヤジギャグね。Kは間が抜けているだけだよ」女の子は辛辣である。でもKは反論もせず行き帰りとも下を見て歩き続けていた。
こどものおかしな行動は、こどものこころの様相をあらわしているのかもしれない。
第108回「朝三暮四」(2021年1月20日)
冬季練習は真っ盛りである。長い距離の練習をやる際、高学年と低学年で反応が異なる。低学年に「2000m走」というとブーイングが起こるが「2km走」というとさほど非難は起こらない。高学年は逆で、「2km走」というと嫌な顔をする。「2000m走」のが彼らの耳には心地良いようだ。
こちらも面白くなって「200,000cm走をやるぞ」「いや、やめて2,000,000mm走をやる」というと、さらに彼らの心を固くさせてしまったようだ。黙って立ち上がる子が多い
低学年は2000m走を2km走と言うと喜び、高学年は2km走を2000m走と言えば安心する様子を見ていると、ふと「朝三暮四」*の言葉を思い出してしまい思わず吹いてしまった(低学年と高学年の距離に対するニュアンスは数字で考えるか単位で考えるかの学習度合の違いによるものだと思う)。
「わかった、じゃあ10本規定タイムで還って来たなら5本減らして15本にしよう」というと歓声が沸く。実は前もって用意した私の記録表にはもともとタイムを記載する欄は15個しかない。ある時、自分の記録が気になるので表を見に来て、それに気づく女の子がいた。雰囲気でわかった。「よろしくお願いします」と「ありがとうございました」練習の途中に「トイレ行っていいですか」の3つのセンテンスしか言わない子だ。だから、私の言動を疑っても決して他の子には言わないと思うので安心している。
だが、これからは念には念を入れて記録表はいつも2倍近い欄を設けることにしよう。
第107回「あの人は今」(2021年1月13日)
2015年9月大手スポーツクラブからの依頼で、千葉県南房総市のAKBの撮影に携わったことがあった。当時売り出し中の宮脇咲良のランニング指導の依頼であった。走り方が独特で、キモ可愛いが受けていたが、プロモーションビデオを「素人が練習を重ね陸上競技で活躍する」というストーリーにしたいとのことだった。
現場では咲良とその友人役の松井珠理奈の2人を指導した。咲良は決してわざと変な走り方をしていたのではなく、ただ単に走り方を知らなかっただけだった。珠理奈は陸上が好きなだけあって、走り方を修正する必要はなかった。咲良も30分ほど教えたらすぐ会得した。きっとずいぶん前からきちんと走れたのだろうが、キモ可愛いという流れで直さなかったのだろうと思う。顔かたちは綺麗な人たちだと思うが、どこでもいるような感じでもあった。バンビーニにも同じくらい可愛い子がいる(たぶん)。きっと化粧やステージなど環境を準備すると「お姫様」になるのだと思う。
1日目は10時半から15時まで拘束され、2日目は朝6時集合10時半まで拘束された。教えた時間は2日間で30分~40分くらいだった。特に2日目は指導のオファーがなかった。委託料以上に時間がかかり割が合わないビジネスだった。大手クラブはやはり賢い。
余談だが、AKBの偉いところはメンバーの仕事に対する厳しさである。私は15時に終わりホテルに戻ってゆっくり温泉に入ってビールを飲み夕食を食べ、ウイスキーを飲んでTVを見て寝てしまった。トイレに起きたら、バスがホテルに到着し彼女らが降りてきた。時計を見ると0時半であった。翌朝6時集合なので5時に起きたら彼女らはもう出発していた。挨拶もキチンとしていた。衣食住足りて礼節を知るのかもしれない。別の表現を使えば地位が人をつくるだ。AKBのことはよく知らないが、仕事人としてはやはり超一流だ。
バラエティ番組では大の大人がいろいろ工夫している姿を見て笑ってしまった。監督が真面目に鶏を追いかけて見たり、ほんの些細なことが気になりなかなか進まなかったりで、こういう仕事だったら毎日学芸会の練習みたいで楽しいだろうな、いやウケなかったら次に使ってもらえないから精神的にはしんどいのかな、と思いを巡らした。
気になったのが、主役のグループと争う偽グループたちだった。出番がない時は、ジャニーズWESTを見ず声がかかるまで体育座りで反対方向を見ていた。誰1人喋らず哀愁さが漂っていた。きっとそれが彼らのプライドなのかもしれない。無駄口はたたかない、監督の言うことには全力で挑む、それは簡単にはできないことだ。バンビーニの一部のこどもたちに見せてあげたい光景だった。
それにしても、名前も知らないし顔も覚えていないが、偽グループのメンバーは今どうしているのか、気になる。
第106回「体内時計」(2021年1月6日)
大人は月曜日から仕事始めだ。初日は朝起きるのが辛かった人もいただろう。先日新聞で「ソーシャルジェットラグ」という言葉を知った。「平日と休日の起床時間が異なることで、体内時計が狂い、体や精神に不調が出る状態を指す」ことらしい。「人間の体内時計は後ろの時間にはずれやすいが前には調整しにくい傾向があるからだ」としている。「ジェットラグ」とはそもそも「時差ぼけ」を意味するから、週末夜更かしをして土日に朝寝坊すれば、時差が大きい国に旅行するようなもので体は休まらない。増してやそれを習慣にしている人は疲れが蓄積していくに違いない。
バンビーニはこの体内時計を重視している。長距離のこども達にインターバルをするときには制限タイムは設けている。タイムを読み上げているだけが練習ではないとお叱りの指導者もおられようが、こども達の体内時計のスイッチを入れるにはこれしか方法がない。200m毎を40秒平均で走るには「40秒という時間」を計る体内時計が必要だ。距離が長くなればもっと正確な時計が必要となってくる。時計が曖昧であれば誤差が拡がりペース配分がガタガタになってしまう。こども達を見ると高学年になればなるほど、持ちタイムが速い選手ほど時間は正確だ。低学年は誤差と言えるレベルではない。赤ちゃんのように時計がないとは言わないが、日時計程度の時計だ。これをクオーツ時計にするには何回も何回もタイムを覚え込ませなければならない。
ジェット機が音速(340m/秒)を超えると衝撃波が生じ、地上から遠ければ減衰して衝撃音として聞こえるが、近ければ家の窓ガラスを割ってしまう。飛行機も音速を超える直前に機体が揺れ操縦が困難になるが超えると安定する。パイロットはこのマッハ1に達する直前のマッハ0.9から音速の壁を体感するという。
短距離の100mでも壁はある。10秒0の壁である。これを破る時選手は大きな衝撃波を受ける。この瞬間の達成感、マスコミの取材、周りの期待、オリンピックへの夢が押し寄せてくる。
小学生の時計には13秒の壁や12秒の壁がある。しかし、その程度の速度では衝撃波は起こらない。ただ、何かひとつのカーテンはくぐり抜けた感触は得られたはずだ。13秒を切った瞬間、風を感じると思う。12秒を切れば何か違う世界にたどり着く。あるいは逆に無音の世界になっているのかもしれない。君たちが本当の衝撃波を感じるのは、あくまでも10秒0の時なのだ。飛行機は流体力学から衝撃波を説明できるが、100mの場合、選手の体内には、標準時間に対応した時計と身体に密接した速度計があると思う。測定可能な速度はマックス100m10秒0なのかもしれない。それを超えた時機体が震えるような感触を得るのだ。人間の場合一度破るとその後突破しても衝撃波は起こらない。といってもこの感触を得たものは日本人で3人しかいない。しかも、私は100m10秒を切ったことがないので、まことに説得力に欠ける話でもある。
第105回「ライバルは三浦友和」(2021年1月1日)
正月のゆったりとした時間の中で、山口百恵の「プレイバック」が入ったCDを聞いていた。懐かしい思いを抱きつつ、いつの間にか眠ってしまった。
<夢の中に大学生の自分がいた>(夢によくある「タイムマシン的話の展開」)
1974年、当時ブレイクし始めていた山口百恵初主演の映画「伊豆の踊子」の相手役募集が新聞に掲載された。誰もが応募できるものではなかった。条件が3つ、年齢:17~23歳、身長:170cm以上、印象:「さわやかな感じ」で「大正時代の一高生の雰囲気」この条件に15000人が申し込んだ。当然その1人に私も加わった。私はチャンスがあれば挑戦する。しかし、4000人の1次通過者の中には私の名前はなかった。きっとこれは書類が郵便局の手違いで届いていなかったのだ。そうでなければ東宝から連絡が来ないわけがない。そうだ、きっとそうなんだ。なんてついてないのだろう。三浦友和が選ばれたのは私がいなかったからだ。・・・・ここから三浦友和とのライバル対決が始まった。
<急に結婚式の場面に変わる>(夢によくある「断続的な不調和」)
私の誕生日は1月23日、彼は私の後を追うように5日後1月28日に生まれた。その仕返しか、結婚式は1980年11月9日、私より2週間早く赤坂の霊南坂教会であげた。生まれた日にちの遅れがそんなにもくやしいのか、意趣返しに山口百恵と結婚した。私の結婚式は、今はつぶれてなくなった麻布グリーン会館。そこから教会には2~3kmしか離れていない。その教会を見に行き、私の親戚は式に遅れた。親戚とは所詮そんなものなのだ。私の結婚式の出鼻をくじいたことで三浦友和とのわだかまりはさらに深まってしまった。
<時の流れに乗ってこども達の成長を俯瞰的に見ている>(夢によくある「時間の加速的進行」)
何か私を意識するかのように子どもも私のところと同じ男2人、しかも生まれた年が2人とも同じだ。ここまでぶつけてこなくてもいいのに。そんなに私の存在を消したいのか。もしかすると私の応募用紙を捨てたのは彼かもしれない。
中学受験がどうだとかマスコミが騒いでいた。私は地産地消で息子たちを地元の学校に進学させた。今はお互い大きくなった。TVに友和の息子が出ていたが、他人とは思えなかった。
<ここから手紙を書く場面に変わる>(夢によくある「幻覚的シーン」)
三浦友和君へ
君の髪は相変わらずふさふさしているね。剛毛だな。私は砂漠化してきた(笑い)。
百恵さんも元気か、私の家内も元気だ。今は一緒に仕事をして頼もしい存在だ。
君の家も離婚もせず病気もしていないようだね。
これまでのわだかまりはお互い捨てて、近いうちにさいたま新都心で飲まないか?
そしてお互い妻のことを語り合いたいものだ
第104回「お袋の言葉」(2020年12月28日)
年末になると思いだすのが「築地の年末警備のアルバイト」だ。私が学生の頃築地のアルバイトがあった。夜の10時~翌朝6時までの警備である。それまでは様々な学校から学生が集められていたが、お互い面識がないので泥棒と善人の区別ができなかった。当時の築地市場の社長が大学の先輩だったため、私が通っている大学だけで警備することになり、100人が集められた。そのうちの1人だった。泥棒被害がゼロだった場合報奨金として別途3000円上乗せする条件がついていた。
しかし、30日の夜、泥棒は慣れたもので鯵や鰯などの安い魚を下ろし高額な魚(マグロなど)を持って行ってしまった。我々が警備していたのだが、一夜干しのイカなどを持参し「お兄さんら、お疲れさんだね。これでも食べてよ」と声をかけてくる。イカをくれる人はイカした人とばかりコロリと騙され「ありがとうございます」と礼まで言ってしまった。翌朝市場の人から詰問され、事の真実を知ったのである。そんな築地も今はない。豊洲は警備会社が守ってくれている。時代の流れかもしれない。いろんな輩のいる高度経済成長時代末期のことだった。
小学生の頃は家が雑貨屋だったので、年末29日から31日まで店でアルバイトをした。小学生だったのと買ってくれる客に帽子を脱いで最敬礼したのがウケて、お袋にはずっとそのやり方を強要された。一番売れたのは餅網、次に祝箸だった。1日千円もらった。3日間で3千円だ。当時伊藤博文の新札が出たときだったのでピン札でうれしかったのを覚えている。隣が鳶職でしめ飾りや門松を買いに来るお客さんが多く、そのついでもあったので繁盛した。餅網がなくなってきたので、お袋がダイエーに買いに行った。家の仕入れ値より安いと言って50枚ほど買い、うちの店の価格をつけても、それでも売れた。情報が少ない売り手市場の時代だった。しかし、時代の大きな流れには勝てず、10年後店を閉めることとなった。
お袋は用事で時々店を留守にするが、ある時しめ飾りを持ったお客が店に寄った。「お兄ちゃん、お母さんは?」「出かけてます」「そう、じゃあ、ここにあるやつ頂くわ。これはお母さんと約束しているので、お金は払ってあるからね」「はい」と言って茶碗と箸と餅網を包み最敬礼で渡した。お袋が帰ってきて説明したら「政夫、そんな約束をした覚えはない。それはお前が騙されているんだよ。顔を覚えているかい?」「いや、思い出せない」「詐欺師は堂々として、弱い者、知らない者を騙すんだ。人を見たら泥棒と思え、だよ。よく覚えておきなさい」「うん、ごめんなさい」
20年後お袋は布団詐欺にあった。
*)正月のしめ飾りは昔から鳶職が製作販売している。高い所で仕事をしている鳶は年初家に降臨する歳神様を迎える手助けをする役割だと考えれられていた。
*)布団詐欺:ティッシュや洗剤など無料商品を与えて客をセール会場のようなところに集め、集団催眠のごとくハイテンションにした上で、品質の悪い羽毛布団を高額で売りつける悪徳商法のこと。
第103回「型破り」(2020年12月23日)
歌舞伎の世界で、こんな言葉がある。
「型のある人が型を破ることを『型破り』といい、型のない人が演技をすることを『型なし』という」
簡単に言えば、「型なし」とは基本がないもの、「型破り」とは基本をわきまえた上でそこから独自性を導き出したもの、ということである。一見すると、どちらも自由奔放で同じように見える。しかしながら、実体は似て非なるものだ。
「型ができていない者が芝居をすると型なしになり、メチャクチャな演技となることが多い。型がしっかりした者がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。」
陸上において、走る「型」は腕振りとモモ上げである。バンビーニでは腕振りを最初に覚える。入会する子で「幽霊走り」や「いや~ん、いや~ん」走りをする子は少なからずいる。大人の市民ランナーの中には膝の負担を軽減させるため忍者走りをする方がいて、こどもたちがまねるが、足の基本はストライドを広げるためのモモ上げが絶対条件となる。諸々の基本を覚えた上で骨格にあった腕振りやオーバーストライドに修正している。それをプチ「型破り」と呼んでいる。
戦法についても「型」がある。一般的に長距離では目標とする選手がいれば「後方待機でラスト50mで抜く」ということを指示する指導者は多いと思う。力を温存する方が得だと計算するからだ。ラグビーで言えば、早大の展開ラクビー並みの「かっこいい」戦法だ。しかし、私は最近このオーソドックスの戦法を「初めからどんどん飛ばせ」という戦法に変えた。この戦法は、まるで明大の重戦車フォワードで「前へ前へ」という戦法と同じだ。展開ラクビーはボールを回してもタックルされれば終わりだ。しかしスクラムやモールは強ければ防ぎようがまったくない。モール、ラック、スクラムは苦し紛れに故意に崩せばペナルティが待っている。
最初から飛ばせば後は自分のペースで行ける、練習と同じやりかたでいい、ライバルとの駆け引きもいらないのである。この戦法は選手から教わった。ある時ライバルのいる大会で「後方待機の型」で行くことを確認したが、150mくらいでトップに立ってしまいそのまま行ってしまった。レース終了後「なぜ俺のやり方でいかないんだ」と叱ったことがある。その時選手は「コーチから言われた選手が遅かったので前へ出たかった。1000mだと200m通過の際電光掲示板でラップが見えるが400mはない。1位なら放送で通過タイムをアナウンスする。600mはまた電光掲示板を見ればいい。800mは電光掲示板がないが、1位ならラップタイムを放送するし、いいタイムが出そうだとそれなりの興奮がアナウンサーの声質でわかる。だからペースを知る上でも先頭がいい」という。その時は「型破り」の戦法だと思ったが、いくつかの大会での成果を見て納得。この歳で小学生に教わった。
しかし、型破りの戦法も何度もやればそれが「型」として定着する。「型破り」は新しい型の創造者でもある。
第102回「もみじ」(2020年12月16日)
紅葉(もみじ)を手にとるのなら、小さい方が綺麗でかわいらしい。落葉した際の傷もなく、本のしおりにも使える。昔の人は小さなこどもの手をもみじと表現した。言い得て妙である。
学童ではおやつの後、公園や学校に散歩するのが習わしだ。その際、隊列を組んでいくのだが、全体の安全を見るため私は隊列の最後から行く。ある時、列の最後の女の子の歩みがゆっくりとなり私の横に来ると私の右手を握った。握り返すともみじは私の手のひらにすっかり覆い尽くされてしまった。
1年生のKは私によくなつきそばに寄ってくる。なつくといえば偉そうだが、小さなもみじが風に揺れるようなしぐさでおいでおいでをされ、そそくさとKのところに行くのが実態だ。おやつのせんべいの袋が開かないとか、シルバニアのおもちゃを取ってくれとか、ほとんど召使的扱いである。外に出る時だけはおいでおいでができないため、Kは目で私を追ってくる。しかし、後方はいつも活発な女の子に取られてしまっている。今日はその子らがクラブの練習でいない。それでも周りの同級生に茶化されないため慎重だ。こどもも気を使っている。他のこども達が手をつないでいるのを見つけると「ラブラブだ」と囃し立てるが、その時は絶対に手を離さない。こどもはこちらが照れたり隠したりすればしつこいが、堂々としていればあきらめも早くすぐ他のことに気が行ってしまう。そして、Kとのお散歩は続く。公園や学校に行けばドッチボールや鬼ごっこで私は皆の慰めものになるので、束の間の2人の世界だ。
4年生のAという女の子はバスケをやっているだけあって、大きい。家内より大きいのだ。口は悪くいつも喧嘩腰で来る。父子家庭で「うちのパパはね、イリと違って・・・」と言って私と比較しては、私に冷たく当たる。「え、え、そうですか、あんたのパパと私はどうせ違いますよーだ」といつも心の中では暴れている。
ある時、Aが最後尾に来るなり私の手を握った。初めてなのでどうしたのかと訝ったが、その手は到底もみじとは言えずヤツデのようだった。
「イリ、お酒飲む?」
「ああ、大好きだ。飲まないと生きていけない」
「ふ~ん」
「パパも飲むのでしょう?」
「うん、でも飲むと人が変わってしまう。そんなパパ大嫌い」
「パパも外ではいろいろな人に気を使って大変なのだと思うよ。家では自分の思うように、ゆっくりしたいのだよ」
「それってストレスというやつ?」
「そうだね、大人はいろいろあるからね。私だって君にいじめられて、帰宅したらストレス解消でついついたくさん飲んでしまうよ」
「・・・わかった、パパのことは我慢する。今後イリをいじめない、やさしくするからね」と言った。握る手がヤツデからもみじに変わった瞬間だった。
手をつなぐことは決して恋人たちだけの特権ではない。
第101回「やかん」(2020年12月9日)
スポーツには含蓄ある言葉がたくさんあるが、私は次の言葉が好きだ。
努力して結果が出ると、自信になる。
努力せず結果が出ると、傲りになる。
努力せず結果も出ないと、後悔が残る。
努力して結果が出ないとしても、経験が残る。
小学生が理解するにはまだ早いかもしれない。でも、スポーツを続ければ必ずこの言葉の意味が分かってくる。
小学生は諭すように話をしても、誰かが道具につまずいてひっくりかえるようなことをすれば、こどもの関心はそちらにとられてしまう。こどもへのアドバイスの時間は、ウルトラマンやカップラーメンと同じように3分間だけだ。アドバイスを理解したくない子は「意味がわからない」と私の話を切って捨てる。だから「ぐちゃぐちゃ言うな。まずは俺の言うことを聞け!」と怒鳴ってしまう。そうすると「ガミガミ言うコーチは時代遅れだ」という非難が起こる。こども本人からではなく、まわりの大人たちからだ。「じゃ、どうすればいいんだ」と言いたくなる。そういう人は必ず次に「勝ち負けにこだわるのはくだらない」という。それは勝てない人間が吐く言葉だ。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」のだ。 ここまでやるのかと言われるくらいまでやって、初めて他のこどもと差別化できる。
人間は動物と異なり未経験のことを言葉で理解し危険を避けられるのだ。湯気の出ているやかんに触ると火傷するぞと言えば、火傷しないで済む。しかし、小学生には「生きる道」や「努力とは何か」というと、言葉のわからない赤ん坊と同じになる。その子には痛い目をみてもらうしかないのだが、小学生とはそういうものだと思えば腹も立たない。腹も立たないから、何度でも頭から湯気を出して怒る。コーチが湯気を出しているから逆らうと火傷するぞと思って、言うことを聞いてくれれば、それも指導法のひとつだと自分を納得させている。帰宅して一杯飲んでいると、「俺とやかんは一緒か」とつい考えてしまう。
第100回「ターザン」(2020年12月2日)
バンビーニの小瀧寧々は小学6年生の女子である。
今回は彼女に続くこども達に彼女を紹介しておきたい。バンビーニで練習をしている小瀧寧々は、埼玉県で今年最強の女子長距離選手であるが、水泳でも全国大会に出るほどのスイマーである。いわゆる水陸両用女子なのである。ターザンというと分かる方は少ないかもしれないが、私のこどもの時は憧れのヒローだった。類人猿に育てられ野生動物と同じように、泳ぎも速く足も速い人間なのである。通常水泳の筋肉と陸上の筋肉は異なるので、どうちらもすぐれた人間は、私の知る限りターザンと寧々しかいない。
私は第57回「横のスポーツと縦のスポーツ」で背が小さい子は横のスポーツである水泳より縦のスポーツの陸上競技を勧めた。背の高さ腕の長さが異なれば長い方が飛び込んだ瞬間リードするし、その後も差が広がる。体格の違いは記録に大きく影響するのが水泳である。水泳の決勝でスタート台に立つ選手に小さい子はほとんどいない。寧々は陸上では水泳ほど不利がない分水泳で鍛えた肺活量で活躍している。持久力は並外れているが、その精神力がまた尋常ではない。
水泳をやりながらバンビーニに入ってきたときは、1000mで「勝ちたい」という意欲で練習を始めた。そのうち段々上位に入れるようになって「勝てる」という自信がついてきた。そして最近では「勝ってみせる」という情熱が溢れている。先週の日清カップでしらこばとの鴨狩さんに追いつかれそうになって、「ダメか」と思った。鴨狩さんの方が勢いがあったからだ。しかし、追いつかれそうになってそこからギアを入れ替えラストスパートのアクセルを踏み込んだのはすごかった。彼女は競馬でいう先行馬に見えるが、実は追いつかれても引き離すことができる「自在」馬なのだ(第9回「競走馬その2(脚質)」を参照)。水陸両用の筋肉、タフな精神力と練習内容を確実にこなす真面目さが彼女の原動力だ。残り少ないバンビーニ-の日々で、気になる腕振りを直しておきたい。腕振りが直れば、中学に入ってもどこかで彼女の雄叫びが聞こえそうだ。「あ~あ~あ!!!」
水泳と陸上長距離が強いのなら自転車を練習させ、トライアスロンでオリンピックを目指せばいいじゃないかという人がいる。私もそう思うが、自転車は彼女はやりたくないのだ。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできないのである。
第99回「高知1枚」(2020年11月25日)
11月25日は「憂国忌」、作家三島由紀夫を偲ぶ日である。この日になると三島事件(三島由紀夫の命日)を思い出す。思想的にではなく、私の「ああ勘違い」の1つを思い出すからだ。
1970年(昭和45年)11月25日三島は楯の会のメンバーと自衛隊市川駐屯地(今の防衛省のあるところ)でクーデターを訴えたがかなわぬと悟って、割腹自殺をした男である。当時予備校生だった私は受験に出ない三島の本は読んでいなかった。受験に関係のない作家は全く知らない。新聞に載った三島の写真を見た時、当時はやっていた「松の木小唄」の演歌歌手「三島敏夫」と混同した。「なんであいつが自衛隊で割腹自殺するんだ。なぜマスコミはこんなに騒ぐのだ(朝日は床にあった三島の首の写真を1面に掲載した)」と不思議に思って予備校の友達に話をして、大いに笑われた。
大学に入って、大学の生協に行った。そこには今流行っている曲のベスト10が飾られ、そのトップが「小椋佳」だった。アルバムのジャケットには可愛い女の子が載っていた。こんなかわいい子が売れているんだと思わず買った。レコード盤に針を静かに置いた。イントロも何か切ない入り方で、女の子の美声が聞こえてくるだろうと期待した。ところが、低音の男の声が聞こえて来た。「何なんだ、これは。男か、シマッタ。天地真理にすればよかった」と後悔した。しかし、その後小椋佳にはまってしまった。
会社に入り、配属先は初めての大阪だった。ある日、商社の人に連れられて伊丹空港から高松空港へ行くことになった。切符は総務の女の子が手配してくれた。実を言えば、その日は商談というよりTV観戦が主であった。ちょうど春の高校野球がやっていて地元高松商業が頑張っていた。商社の人は部員の名前とこれまでの成績をすらすら社長と話をしていた。未熟な私は「へえ、高松商業は強いんだ」くらいしか言えなかった。
夏になり、またこの得意先に出張することになった。今度は私1人だった。総務の女の子は忙しそうだったので、自分で切符を買いに行った。旅行会社に行く途中で人だかりがあり、よく見るとTVで高校野球をやっていた。「打った!ボールは転々とフェンスへ。高知商業逆転サヨナラ 準決勝進出!」と興奮したNHKのアナウンサーの声がした。「おう、勝ったか。すごいな。明日の話題にしよう」と旅行会社へ行き、窓口で「高知1枚」
<顛末>
高知空港に着いても気づかなかった。当時の地方空港は同じような外観に思えたのだ。しかし、間違いに気づくポイントはあった。出発する伊丹空港では前回とゲートが違っていた。1~2回のフライト経験では「天候状態でゲートはちょくちょく変わるんだな」と勝手に解釈してしまった。高知空港に着く時、飛行機は一旦海に出てまた入りなおした。前回は海から直接空港に入ったのに「おかしいな?」でもこれも風のせいだと自分を納得させていた。高知空港に着いてトイレに行ったが、高松空港では曲がって右だったのに今日は左にある。しかも新設ではない。前回と違う。言い知れない不安が身体全体を覆ってきた。外に出ると全く違った景色があり、そこで自分の置かれている状況を理解した。「ここは高松ではない」高知駅から電車で高松まで乗り得意先に着いた時、もう甲子園は終っていた。
第98回「心理的限界」(2020年11月18日)
ハンマー投げや重量挙げの選手が、大会本番に自己ベストをたたき出すケースがある。自分が思った以上の力、いわゆる「火事場の馬鹿力」が発揮された状態である。 もともと人間の脳は筋肉や骨の損傷を防ぐため、脳で意識的にコントロールして使える力を抑制するリミッター(安全装置)が掛けられている。通常時はどんなに頑張っても『心理的限界』とよばれる、『自分の意識の中での限界だと思っているところ』までしか力が発揮できないのである。しかしリミッターが外れた時は『心理的限界』を超えて普段は出せないところまで、筋肉の本来持っている力『生理的限界』と呼ばれるところまで、解き放つことが出来る。
人間はいくら火事が起こっても車を背負うことはできない。せいぜいタンスくらいだ。生理的限界は身体的限界と置き換えてもいい。
ちなみに『生理的限界』のおよそ70%~80%が『心理的限界』だと言われているが、こどもにおいてはもっと低いと思う。バンビーニ陸上クラブの低学年のこども達は、同じ練習をしても、高学年がヘトヘトなのに、休憩時間虫取りで遊ぶ全力走ができないこどもがいる。
生理的限界まで一時的に近づける方法の一つは、ハンマー投げの選手のように大声で叫ぶことである。叫ぶことによって脳の興奮水準が高まり、その瞬間に使いきれていなかった筋肉を動かすために必要な脳の一部が一気に覚醒して、無意識的に通常以上の力が発揮できる。
ただし、試験の時に大声で叫んでも「知識の馬鹿力」はない。つまみだされるのがオチだ。この場合は自分に暗示をかけるようにポジティブなイメージだけを持つ、これまで勉強したことで克服できると考え、『やればできる』と心のなかで言い聞かせるのが効果的である。
陸上競技でこども達の心理的限界を高めるためにはほめて育てるだけでは難しい。時には親に言われたことのないような叱り方も必要だ。この心理的限界を高めるだけでこども達の記録は20%も向上するのである。12月から日曜日に基礎クラスを設けるのはこの心理的限界を上げるためのもので、4年生になると始まる本格的練習に備える意味がある。全力で走ることを覚えるのである。
子ども同士のじゃれあいが狩りのテクニックを覚える場となる、ライオン世界をイメージして、クラス運営をしたいと思う。
第97回「やればできる」(2020年11月11日)
昔流行った歌は、こどもには理解不能の歌詞も多かった。
♪ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団
勇気凛々 琉璃の色
望みに燃える呼び声は
朝焼け空にこだまする♪
(「少年探偵団」)
凛凛とはなんだろう、勇気は琉璃の色なのか、じゃあ琉璃色はクレヨンにあるのか、都心に声はこだまするのか、こどもには難しい歌詞だった。
♪どこの誰だか知らないけれど
誰もがみんな知っている
月光仮面のおじさんは♪
(「月光仮面は誰でしょう」)
こどもの時は「知らないのに知っているとはなんじゃこの歌は」と思っていた。
♪解けない謎をさらりと解いて
この世に仇なす者たちを
デンデントロリコやつける♪
(「七色仮面の歌」)
「あだなす」の言葉を「あだなのある者と」思っていたが、漢字がわかるようになって理解した。しかしながらデンデントロリコとやっつけるのはどういう状況を示すのだろうか。今もってわからない。
歌詞は大人が作るのだが、昔はこどものことは考えていないものが多かったし、それに対してこども達も深くは疑問に思わず、「ま、いいか」と歌った曲が多かったのである。
陸上の練習で「右足ケンケン」というと「右足で地面を蹴って走れ」という指示だが、「右足を上げて左足で地面を蹴って進む」子が20%いる。柔軟でも「足を開いて左から」というと右から行う子がいる。1人ではない。「左ってどっちよ?」という質問に、思わず「お茶碗持つ方だ」と言って苦笑してしまった。私の考えとこどものとらえ方が異なることが希にある。
こういうことがあると、こどもの世界と大人の世界の端境期とはいつだったのだろうかと考えてしまう。サンタクロースの正体を知った時だったのか、好きな子が出来て胸がキュンとした時からだったのか、大人になった私にはもうわからない。
明日昔の先輩に呼ばれて飲み会が開かれる。きっと病気と旅行と誰々が亡くなったという話しか出ないだろう。これまでもそうだったから。2時間の練習と2時間の飲み会ではその後の充実感が違う。さびしい時悲しい時には明るい曲は聞かない方がいい。失恋した時、水前寺清子の「365歩のマーチ」を聞いても何も癒されないのだ。余計に自分が疎外されてしまう。先輩たちの会合で私は今の仕事の話はしない。
「やってもできない」という言葉は受け入れられても「やればできる」という言葉はこの会合では禁句なのだ。大人とこどもの世界の境は分からないが、老人とこどもの世界の違いはこの2つの言葉で区別できそうだ。
やっぱり明日は行きたくないなぁ。
第96回「いじめ」(2020年11月4日)
学童の話
Tという1年生の女の子は「ぼくね、漢字書けるんだよ」と自慢する。女の子で自分を「僕」と言う子は学童で3人いる。ただ、Tは変な言い回しで喋る癖がある。足し算カードをめくって足し算をやり始めた。「8+7=・・・」しばらく間を置き(本人わからないのだ)、ページをめくりながら15と答える。裏側に答えが書いてあるから絶対に答えを見てから答えているのだが、本人は認めない。「え~わかんな~い、ぼくね・・」と延々に舌足らずで言い訳をする。仕舞には私にからみついてくる。「おい、T、ぶりっこしてもダメだ」というと「ぶっりっこって何?」「可愛くなくても可愛いそぶりをする子を言うのだよ。大人では両手を口の前でグーして語尾がだらしなく伸びる女性のことだ」
これではこどもでも同性に嫌われる。1年生の女の子は5人いるがKという従順な女の子以外は遊んでもらえない。3人の小1の女の子は彼女が来ると立ち上がって他の場所に行ってしまう。ぶりっこは男性には通じても同性である女性には嫌悪の対象でしかない。小1でも女なのである。帰宅して母親に訴えているらしい。学童でいじめられていると。実態は本人が悪い。家でも同じような言い方をしているが、注意したことがないそうだ。容姿は残念ながらぶりっ子レベルであるため、今後学校でいじめられないように都度「ぶりぶりぶりっこ」と注意している。
Sという男の子がいた。宿題をやっていると寝てしまう子だった。水筒の紐をかじったり教科書のページの角を食べてしまう子だ。この子はふざけて怒られることが多いが憎めない子であった。そのためずっといろいろな先生に声を掛けられていた。自分でもそれは感じていたと思う。しかし、翌年Yが入って来てから学童の雰囲気はガラッと変わった。すべての先生の視線がYに向かったのだ。Yの家は母親の精神的問題から離婚し、女手1つでYを育てている。そのせいかYは場の雰囲気をわからず1人奇怪な行動をする。入会する前に情報が入っていたせいもあって、我々はYの行動に理解を示した上で対応した。Sはその方針のせいではじかれることが多くなった。今までゆるされた行動がゆるされなくなったのである。Sは私の態度の変化にいぶかしい気持ちでいたと思う。ひょうきんなSが大好きだったので、私にからんでくるとおじいちゃんと孫の関係になっていた。だからYさえいなければという感情からYに辛く当たるようになったと思う。Yは不思議に我慢強くつねられても泣くことも我々に訴えることもない。いじめは許さないのだが、本人がいじめと思っていないので対応が難しい。気づけば「何をするのだ。いじめるな」とSを叱っている自分がいた。
自分を指し置いていじめを主張する子もつねってきてもいじめと感じない子もいる。どちらも守ってあげないといけない。来春新しいこども達が入会するとYよりも同情する余地のある子が入ってくるかもしれない。そうなればYもSと同じ思いをするだろう。
私の注意力不足がなければSは学童を辞めることはなかったのだ。こどもにとっての教育の善し悪しは、人生のほんのわずかなタイミングによるのかもしれない。
第95回「鬼滅けの刃」(2020年10月28日)
「入山さんってA型なんですか?信じられない、てっきりO型かと思っていた」「入山さんって、水瓶座なの?嘘!山羊座かと思っていた」といったように、人から勝手に血液型や星座を決めつけられたことがある。
決めつけとは、一方的なレッテル張りのことだ。そして、決めつけの内容は言われた側にとってだいたいは的外れなことが多い。決めつける側の頭の中には、「私」の固定化された像が映っている。その像は勝手に作り出したものなので、現実の私とは関係のないものだ。その「決めつける側の私」を現実の私自身と一方的に結びつけようとすることが、いわゆる「決めつけ」なのだ。
さらに、「思い込みが激しい」傾向のある人は、いったん「この人はこういう人だ」と思ってしまうと、その思考から脱却できないことが多い。このような上司に出逢った部下は一度過ちを犯すと、どちらかが転勤しない限り不幸な月日が続いてしまう。
決めつけの対処法は馬耳東風に対応すればいい。この点こどもは我々大人のように深くは感じず、あるがままの自分でいられるのだ。
第94回「逃げろ!」(2020年10月21日)
小学生の長距離は1000mである。小学生の陸上競技では、スタート時肘や腕や脚がぶつかる唯一の「格闘技」となる種目である。気弱な選手ではすぐ後方に下がってしまう。
昨年チャレンジカップの600mでポケット状態となった苦い経験から、今回すべての長距離選手にスタートから飛び出すことを課題とした。今年初めての大会で確信したのは現在の高速レースではこのやりかたしかないということだ。
その理論的背景はこうだ。
(1)選手の不満
ある選手に2~3番手についていき、ラスト直線で抜けと指示したことがある。目標とした選手が不調だったのか「遅すぎて」こどもの不満が募り、自分からペースアップして集団から抜け出した。
(2)相手のリズムに乗ってしまう
後方で走るということは前方の選手を絶えず見ることになり、無意識に前方の選手のリズムに引き込まれてしまう。
(3)スピードのブレ
集団の場合手足がぶつからないように一定の距離を保たなければならない。一定の距離を保っていても、前の選手の小さなスピードの変動はある。トップの人間の小さな変動が集団の後方の選手に伝わるまでにはかなり増幅される。後方の選手ほどスピードのアップダウンで大きくペースを振られてしまう。
(4)水しぶき
10月17日のような雨天時は、先頭の選手が走った水たまりの水を受けてしまう。先頭の選手は水たまりが見えるが、心構えができていない後方集団は急に水たまりに入ることになり、対応に慌ててしまう。
以上のことより、1000mでは集団で走るより集団から飛び出すことの方が有利である。
段々スピードをあげてゴール寸前相手を抜くことを競馬では「差し切る」というが、見ていて絵になる。しかし、本当に強い馬は「逃げ」なのだ。競馬ではタイムは参考であって日本記録云々と騒ぐ者はいない。いくら記録を破っても関係ない。順位戦だからだ。
埼玉の小学生の大会は記録戦である。強化指定選手の選考は指定試合で規定タイムを破ることにある。そのためにはバンビーニでは徹底した「逃げ」で勝負することにしている。
きっと他のクラブの指導者からは「馬鹿の一つ覚え」と笑われ、「頭を使え」と言われそうだ。しかし、愚直に繰り返すことによって何かが変わる、何かが生まれるのである。
コロナの影響で競技場では大声を出せないため、この作戦を行うたびに私は心の中で叫んでいる。
(半沢直樹の伊佐山部長【市川猿之助】の口調で)「逃げろ!逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、○○!(こどもの名前)」と
第93回「ぼうず」(2020年10月14日)
学童の話
大人が自然と身に着けた言葉がこどもの世界では通じないことがある。
月に1回の「お楽しみ会」で「ジェスチャー」をすることになった。28人が二組に分かれて速くお題が終ればいいゲームだ。あるいは10分間でいくつできたかを争うのだ。お題は各組14件ずつ28件用意してある。同じものだと別の組の答えを聞いてわかってしまうからだ。お題(14件1括り)はくじ引きだ。
A組で問題がすぐ生じた。お題の「チャンバラ」がわからない。今の子はチャンバラごっこをしないのだ。時代劇のTVがほとんどないからだし、時代劇のヒーローがいない。丹下左膳や白馬童子など時代劇のヒーローが今や一人もいない。チャンバラトリオというお笑いグループがあったのに・・・これは慌ててパスにした。
B組では「うなぎ」がお題であった。そこでジェスチャーマンは固まってしまった。後で聞いたのだが「うなぎ」は食べたことはあるが見たことがないと言う。だから鰻重の四角と四角に切られたうなぎしか思い浮かばない。うなぎを串に刺して焼くかっこうもできないし、ましてや落語の「鰻屋」や「素人鰻」のように、鰻をつかむ際、右手、左手を握りながら交互に手を上げて行くしぐさができない。また、できたとしてもそれを見ているこどもが何か判断できない。考えてみれば当然で親に連れて行かれても調理場まで見ないからだ。味はジェスチャーでは表現できない。
答えが違う場合は、両手で箱を示し右側に置くフリをすれば「その話は置いておいて」でもう関係ないことを示す。丸く円を描くと「ほぼ正解だが、もう少し違った言い方をすると」という意味を表すなど教えながら行った。
「鶏」のお題では、ひょうきんもののKが首を前後に動かして「鳩」、はばたくかっこうをして「白鳥」、卵を産む格好をして「ダチョウ」、頭を盛んに左右に斜めにするのを繰り返して「からす」など皆はKの思惑とは違った方向に行った。さかんに「両手で箱を示し右側に置く」しぐさをしながら彼の否定する顔が、また必死でさらに盛り上がった。
こんなのでどこがおもしろいのだろうかと思うくらい笑う。笑う声が部屋全体を包み、何か自分は幸せな気分になる。年寄の集まりだと面白いことを言っても、耳が遠いので一部の人間が怒り出し、その反応にさらに勘違いして他の人間までも怒り出し、しっちゃかめっちゃかになるのとは大違いだ。こどもを作るのは、子孫を残し遺伝子をつないでいくといった大袈裟なものでなく、こども達の笑いとこども達の行動によって明るくなることにあると思う。年寄夫婦で大笑いすることはあまりない。こどもがいれば毎日が大笑いだ。大人にとってのこどもの存在はそこにある。笑いは百薬の長だ。
第92回「発芽」(2020年10月7日)
スポーツの話
植物には「発芽の3条件」というものがある。タネは「酸素」「水」「温度」の3つが揃ってはじめて発芽する。たとえば、アサガオは発芽適温がおよそ20℃~25℃で、発芽には比較的高い温度が必要だ。もし、気温が10℃しかない時期にタネをまいても「酸素」「水」の条件が揃っていても「温度」が合わず発芽に至らない。逆に、発芽適温が18℃前後のパンジーを気温が30℃の時期にまいても「温度」が高すぎ、条件が合わずに発芽しにくい。
動物は寿命を操作することは殆んどできないが、植物は種子の中に生命の源と遺伝子を残していく。しかも、条件が整った時だけ発芽する。有名な大賀ハスは2000年の時間を有して発芽した。
子ども達を指導していて思うのだが、凄い子はたくさんいる。今までこんな凄い子はいないと思っていたら、まあびっくりするような子が翌年入ってくる。ただ、小学生のコーチはずっと育てることができない。塾や他のスポーツや手習いごとに取られてしまうからだ。受験だと言われればその子の将来がかかるため引き下がることにしている。子どもの人生を老人が左右してはいけない。また、バンビーニに入ってくる子にとって私は「路傍の石」だ。誰も今来た道にあった小石のことなど覚えていないように、10年後彼らには何も印象に残らないだろう。「なんだっけ・・・あの鹿のような名前のクラブで走ったことがある気がする」程度だろう。でも、私はコーチだったのだ。
発芽は条件が整った時だけ行われる。このことは子どもの能力の発揮でも言える。スポーツでの「発芽」の条件を3つに絞れば、1つ目は「子どもの負けず嫌いで辛抱強い性格」が必要だ。2つ目は塾や他の手習いごとに対し陸上競技を優先させる「親の寛容」さが大切だ。3つ目は「丈夫な体」を持っているかどうかだ。この3条件が揃った者のみが発芽できるのである。ただ、残念なことに植物と違ってタイムリミットがある。人間は動物だからだ。30歳以上を超えて発芽する人間はほとんどいない。30歳になって一年発起しても、羽生のような4回転ターンはできない。
チャンスに後ろ髪はない。人生の教訓でもある。私のような年齢になるとあああれがチャンスだったんだ後悔するが、現役の人にはわからない。言えることはチャンスは二度と来ないということだ。ワンチャンスをものにするのが大成する者だと思う。
自分が長距離が適しているのか、短距離がいいのかはコーチにしかわからない。短距離でも100mがいいのか400mがいいのかは総合的な面から判断すべきであり、好きな種目と適している種目とは別物だからだ。
コロナのせいで今年もあと2,3回の大会でシーズンが終わる。数少ない大会だが、その中でも発芽するタネを見るのがコーチの楽しみでもある。結果が伴えば自分が大賀博士になった気がする。それで充分。路傍の石にもいし(意志)がある。
第91回「なに~!」(2020年10月1日)
営業の話
営業時代社内接待も仕事の内だった。納期管理をする部署のT課長は背が大きく腕っぷしも強いので工場も皆恐れていた。部下の女の子が困っていると工場に脅しの電話を入れる。ほとんどやくざの督促と同じ雰囲気となる。だから皆は寄り付かない。しかし、私とは妙に馬が合って時々飲みに行く。私が納期で困ってもT課長に頼めばいつも奇跡が起こるので、誰もが羨む仲と見える。「先生、そろそろ出番です」「おー」私にとっては用心棒みたいな人だった。
入山「Tさん、乗りますよ」
T課長「おー」
運転手「お客さん、どこまで?」
T課長「俺んちまで行ってくれ」
運転手「えっ、ちょっとわかんないですね」
T課長「なに~!お前、運転のプロだろう。わかんないとはなんだ」
入山「まあまTさん、運転手さんだってわからないこともありますよ。大体どのへんですか。たとえばいつも乗っている駅はどこですか」
T課長「千葉駅だ」
入山「運転手さん、じゃ千葉駅まで行ってください。近くなったらまた教えます」
イビキをかいて寝てしまったT課長を乗せ、千葉駅方面に向かった。
入山「Tさん、そろそろご自宅に近くなったようですが何か目印はありますか?」
T課長「う~ん、ダイエーのそばだ」
運転手「ダイエーてどの辺ですかね」
T課長「なに~!お前運転のプロだろう。なぜダイエーがわからない」
と運転席を蹴る。
入山「まあまあ、Tさん回り見て見覚えありますか」
T課長「おー、あの道を左だ」
運転手「お客さん、一通で入れないですが」
T課長「なに~!お前遠回りする気だな、善良な市民からぼったくろうとするんだな。表出ろ!」
入山「まあまあTさん、一方通行じゃ仕方ないですよ。警察に捕まったら運転手さん明日から商売できなくなりますよ」
T課長「わかった、じゃその先で曲がってくれ。・・・・ここが俺んちだ。いくらだ。」
運転手「12540円です」
T課長「なに~!地球1周したのか、なんでそんなに高いんだ」
入山「いや、Tさんここは私が払いますのでご心配いりません」
T課長「そうか、悪いな」
T課長を降ろし、千葉駅に行くように運転手さんに言った。
運転手「お客さん、助かりました。1人だったら殺されたかもしれません。千葉駅までメーター倒して送ります・・・・着きました」
入山「運転手さん、ありがとう。本当に12540円でいいんですか?はい、15000円出しますので、お釣りとレシートください」
運転手「いや、お客さん、さっき機械が壊れちゃってレシートが出ないんですよ」
入山「なに~!」
第90回「あ~りが~とさ~ん」(2020年9月24日)
アホの坂田(コメディNOの坂田利夫)を大阪のフェスティバルホールで初めてみた時、こんなアホなことを平気で出来る奴がいるんだと感心した。「あ~りが~とさ~ん」といって変な動きをして「ああ、こいつは常識人を捨てたな」とあっけにとられた。ところがその後「間寛平」が登場した。「かい~の」と言って物の角でお尻を上下させたり、お猿の物まねで舞台狭しと駆けずり回った。度肝を抜かれ「こんな男が世の中にいたのか」とただただ驚くだけだった。寛平はアホの坂田の上を行き「人間を捨てた」芸風だった。
他人より秀でる人間は出逢った時から何かが違う。そして不断の努力をしている。天才とはそういうものだ。
バンビーニ陸上クラブでも衝撃の出逢いの子ども達がいた。スーパー1年生だった男の子2人は先輩を抜くことに生きがいを感じ将来性を予感した。獲物をもてあそぶライオンの子どものようだった。手足が長いアフリカ人のような女の子も入ってきた。うちのエースはこの子だな、と直感した。しかし、彼らはここにきて練習をさぼることを覚えた。小学生にストイックなことを要求するのは無理なのは百も承知している。だが何度怒っても何度ペナルティを課しても、やれお腹が痛い、足が痛い、頭痛だ、最後はトイレで逃げられる。折角蕾が開きかけ花の色がおぼろげながらわかったのにまた閉じてしまった。一生懸命やっているとは思えないタイムで帰って来る。どんなに苦しい顔をしてもタイムがすべてを物語る。塾や他のスポーツを兼ねているので可哀想な気がするが、私は陸上競技のコーチであり、その才能は高く買っている。蕾はユリのように大きいのだ。しかしながら、「馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない」という諺をいま身に染みて感じている。
だが、私はあきらめない。懲りずに練習場で再トライしてみる。彼らがバンビーニをやめない限りストップウオッチが微笑むまで怒鳴り散らしてやるぞ、コーチに「あ~りが~とさ~ん」ではなく「ありがとう」と言える日まで。
第89回「まんずまんず分かった」(2020年9月17日)
営業の話
安倍さんの後、菅官房長官が総理大臣になったが、出身が秋田と聞いて懐かしく思った。
以前勤めていた会社の工場が羽越線の仁賀保にあった。労使協定では秋田行きの夜行列車で行くのが暗黙の了解であった。あけぼの、天の川、鳥海、出羽と名前は変わったが、特に印象が強いのは寝台急行「鳥海」だった。この列車の寝台は3段式であった。寝ないと着替えられないくらい狭い。新潟過ぎると貨車の切り替えか何かで大きな音がして起こされた。羽越線は松本清張の「砂の器」でしか知らなかったし、入社するまで秋田には行ったことがなかった。その後30年秋田とは切っても切れない縁となった。
社内の公用語は秋田弁だったが、なかなかわからなかったが、秋田の人とお酒を飲むと「秋田弁はフランス語に聞こえるだろう」と何人かの人に言われた。フランス語は習ったことがないのでそうなのかと思っていたら、口の悪い先輩が「秋田は寒いので雪が食道に入らないように、なるべく口を開かないでしゃべっているだけだ」という。
別の人は「秋田弁は世界で一番短いセンテンスがある。ギネス級だ」という。何かと言えば『「どさ」「ゆさ」』の会話だった。つまり、その意味は「どこさいくのさ(どこへ行くの)?」「湯さ(銭湯に行くのさ)」という文章で世界中でこの意味を文章にしたら、秋田弁より短い文章はないという。
そのくらいなら可愛いものだが、ある時秋田弁を甘くみて大失敗した。納期が差し迫っていて工場にお願いに上がった。すると生産担当者が「まんずまんず分かった」と言ってくれたので、その生産担当者を接待してその日の夜行で東京に帰った。お客に行き「工場を説得して納期通り入れると確約をもらいました」と報告。「若いのに頑張ったね」と得意先には褒められた。ところが納期が近くなって特便を手配するので納入日を確認したら、予定にないとのこと。慌てて先の生産担当者に電話した。「あなた、納期通り入れると言いましたよね」「なんだ、そんなこと言ってねぇ」「イヤ言いました。まんずまんずわかったと言ってくれましたよね」「ああ言ったよ」「じゃあ、なぜ守らないのですか」
その会話を聞いていた上司がいったん電話を切らせて私を会議室に呼んだ。「入山、いいか、秋田弁の『まんずまんず分かった』は『まんずまんず分かった』ではなく、『まんずまんず分かった』なのだ。アクセントが違うのだ。俺たち関東の人間はその言葉を『よーくわかった。後のことは俺たちに任せろ』と取る。しかし、工場の人間は『まあ、まあ、お前の言っていることは今わかった。別途考えておく』程度のものなのだ。決して前向きの回答ではない。何人の新人営業マンがその言葉に泣いたことか」と言われた。その時は上司が工場長にお願いして事なきを得たが、その後私は「日にちと時間」を聞くまでは帰らないしつこい営業マンとなった。
数年後にオランダのフィリップスの子会社の資材と話すことがあった。世界中のフィリップスの会社の資材が集まって国際会議が年2回開かれる。公用語は英語で行われるが、本社のミスでこうなったとある国の資材が発言したら、議事進行していた本社の人間がオランダ語で話し始めたという。何が起こったかオランダ人以外わからなかったという。私はすでに秋田で経験していた。
コーチとして子供たちに教える場合、難しい言葉や曖昧な指示は混乱をもたらす。30分走をする際「歩く速度でいいが歩いてはいかん」と教えたことがある。ものの見事に子ども達は1周もしないうちに歩き出した。
第88回「猿の惑星」(2020年9月9日)
スポーツの話
職業柄ストップウオッチを押すことが多いが、短距離選手には「12秒という壁を意識して何度でもトライしろ。一度破ったら11秒6までは簡単に行き、次に11秒5の壁が待っている」と指導している。
1964年の東京オリンピックの頃、人類の100mの壁は“10秒0”であった。ゴリラのような筋肉質のボブ・ヘイズが挑戦したが、準決勝で追い風参考ながら9秒9を出し決勝での期待がかかった。しかし、金メダルは取ったが10秒は切れず、その後アメフトに転向した。人類が正式に10秒を切ったのは1968年6月20日全米選手権でハインズ、グリーン、スミスの3人が準決勝で同時に9秒9(手動計)を出したことによる。1960年に西ドイツのハリーが10秒0を出してから8年がかかった。
トップニュースとなり、人類の進歩(逆の意味で人類の壁)を意識させた日でもあった。今では日本人も含め何百人も10秒を切っている。
壁には人類という大きな壁と日本人、埼玉県、○○学校という壁がある。自己ベストという小さいが確実に意識できる壁もある。特に陸上競技の場合はタイムや距離や高さという自己記録が厳に存在するので意識しやすい。柔道やレスリングの場合運不運がある。吉田沙保里の時代にプレーした同期生は絶対に優勝できないのだ。沙保里という壁は破れなかった。その点陸上競技は努力が報われるスポーツだ。たとえ桐生祥秀と走ることになっても、「自己ベストという壁を破る」という目標がある。陸上選手は対人競技の選手と比べれば幸せだ。
特殊相対性理論では「運動する物体の時間は静止しているものに比べて進み方が遅くなる」としている。これは映画「猿の惑星」のアイデアに引用されたように「ロケットに乗った宇宙飛行士と地球とでは、時間は宇宙飛行士の方が遅くなる」という考えで、宇宙飛行士が6か月の飛行から帰ってきたら地球は700年も経って猿に支配されていたというストーリーとなった。
年寄はアクセクしないが、子ども達はいろいろなものに興味があり動き回る。だから「運動している物体(子ども)は静止しているもの(年寄)に比べて時間の進み方が遅くなる。よって、コロナの影響で短くなったといっても夏休みが長く感じる」のである。(*これについては第6回「ゾウとネズミ」に別の観点からも記載した)
時間は伸び縮みするということもアイシュタインは言っている。急いでいる時、電車に乗り遅れると次の電車が来る5分間が10分間のように長く感じられる。彼女を送る際あと5分後に電車が来るのに1分で来てしまったような気がする。「困ったことや苦しい時は楽しい時よりも時間の進み方は遅くなる」のである。
時間は気の持ちようである。先述したような100mにおいて12秒を壁とするか11秒5を壁とするかによっても違うと思う。11秒5を壁と考えれば11秒9は簡単だ。しかし、中学生に11秒0が壁だと言えば11秒2は簡単だというほど物事はたやすくない。壁(目標)を心理的に到達できないほどに高くすれば、12秒も切れずに中学生活が終ってしまう。
第87回「時間かかったねぇ~」(2020年9月2日)
学童の話
学童は大人の世界の入り口のような気がする。子どもの世界と大人の世界の汽水域だ。子は親の映し鏡だと以前書いた(第46回「映し鏡」)が、大人の社会で使われる言葉使いや話し方をするのだ。また、その様子を見ていた1年生が上級生の真似をする。一人っ子で家から出ない子はずっと幼いのかもしれない。
というように言った者勝ちなので、名前を指摘することが自らを上位に位置づける方法なのだ。帰りの会でも「静かにするよ」「先生の方を向いて」という子が上位で、注意される子が下位に位置づけられる。年齢に関係ない。文字通り言った者勝ちだ。
入山「うんと紙がないから太変だけど・・・」
児童「言い訳は止めようね」
入山「ちょっと待ってね。わかった、373」
児童「正解。でも、ずいぶん時間かかったねぇ~」
完全に上からの物言いいだ。
彼らの教師に対する見方は、マネージャーのS先生、ベテランのT先生、怖いI先生、そして私という順位づけである。何か許可がいる場合私より上位の教師に許しを請う。よって、私は下の下であるため教師として見ていない。
女の子が学校から帰ってくると汗びっしょりなので着替えをする。私を立たせカーテン代わりにして着替える。私を男としても見ていない。着替えがないと下着でいいかと聞くがどうみても色っぽい。女の先生に聞いてみる。案の定ダメだった。学童のTシャツを貸し出す。
女の子は髪の毛がうっとおしいのでゴムバンドでおさげにしてくれというが、女の子の髪を分けたことがない。二つに分けろと言うが髪の毛の目分量がわからないし、ゴムを二重にするのか三重にするのかがわからない。子どもにとって簡単なことと思われていた髪結びが私にはできない。「こりゃダメだ」がいつも聞かされる子どもの捨て台詞。学童での序列は当分変わらないようだ。
第86回「夏模様」(2020年8月26日)
昔の話
コロナの影響で今年の夏はどこも盆踊りがない。盆踊りのない夏休みなんて、考えたこともない。
小学生の頃は自治会がしっかりしていた。毎年夏には自治会毎に順番に盆踊りが開催された。今は公園しかないが、昔は土地も余っており、盆踊りの開催場所に困ったことはなかった。
私の地元の盆踊りは足立区東和一丁目から始まり東和五丁目で終了する。毎週土日の2日間、雨天は順延だった。町内会ごとにお囃子と太鼓叩きがいた。祭りが近づくとどこかの家でお囃子の音が聞こえた。太鼓はうるさいので練習する場所がなく個人の経験に頼らざるを得なかった。そのため、一丁目から五丁目まで1人のおじさんが叩いていた。このおじさんの名前は知らないが、おじさんの太鼓は初めは踊りに合わせた静かなものだったが、休憩の際お酒を飲むと興に乗じて太鼓を乱打する。無法松の一生に出てくる「小倉祇園太鼓」の「暴れ打ち」が始まるともう舞台はおじさんのものとなった。皆がこのおじさんに集中し、踊りも放送も屋台もすべての音が止まった。夜空を見上げ、撥(バチ)を持った腕をまっすぐ伸ばして止め、しばしの間合いの後に叩く太鼓は、まるで広場の空気をすべて振動させたかのようだった。
ひよこ売りのおじさんには2度騙された。そこには通常の黄色いひよこの他に赤色や青色のひよこがいた。「これは珍しいひよこだよ」という。「これを下さい」と青色のひよこを選んだ。翌日暑かったので、ひよこが水飲み用のケースで水浴びをした。しばらくして、ひよこを出して拭いてあげると、拭いたタオルが青く染まった。
ひよこ売りのおじさんは「ぼうず、これ買って卵を産ませてお母さんを喜ばせてやれ」とも言っていた。しかし、ひよこは半年後「コケコッコー」と鳴き始めた。
ふとベンチを見ると、あの無法松のおじさんがいた。ビールの缶を片手に櫓(ヤグラ)が運び出されるのをじっと見ていた。豆腐屋がラッパを鳴らして通り過ぎた。帰ろうと広場を出たら、小走りに自宅に向かう岡部の後ろ姿があった。
第85回「名前負け」(2020年8月19日)
営業の話
入山という名前は山に入るだから祖先は木こりか猟師だと思う。稲田は農夫、魚浜は漁師だったのだろう。名前にはそれなりの意味がある。
さて、私には営業をしていた時「名前負け」した男が2人いる。
1人は大王丸さんだ。
A社の営業部長だった彼は、得意先の協力会でも強烈なインパクトがあって得意先の担当者も名刺をもらったら絶対に忘れない。歌丸や金丸、五郎丸は有名だがこの人に比べたらインパクトがない。この名前を聞けば海賊の親分か山賊の大将か思い起こされ、少なくとも手下ではないはずだ。会ってみれば何か祖先の面影が出てくる人だった。同じ製品を競合していたが、彼が出てくると勝てない気がした。完全に名前負けした男だった。
2人目は高杉さんだ。
会社の上司だった高杉春正さんのことだ。私が逢った有名人の子孫はオリンピックで優勝した田島直人のお子さんが大学の先輩であったのが最初だったが、歴史上の人物の子孫としては初めての出会いであった。幕末の動乱期、長州藩の志士として活躍した高杉晋作の血を引く高杉家本家筋の14代目である。晋作の実名は「春風」で、高杉家では代々、長男の名前に「春」の字が付く習わしになっているそうだ。東京の祐天寺に大きな家を構えている。
かつてお父さんが長州(山口県)出身者の人間を書生として養っていた。
ある時B社の取引で電子部品の挿入機(5000万円)の商談があった。競合は3社である。ただこのB社は電々ファミリーのひとつで購入先はほぼ決まっていた。資料作り(比較検討用に)にうちの会社の製品を利用されていると思ったので上司の高杉さんと相談しB社に行ってもらった。比較だけに利用されるなら時間がもったいないので、入札に不参加することを高杉さんに提案したのだ。
選定責任者の製造部長のC氏と名刺交換すると、「高杉さん、祐天寺に住んでいる高杉さんですか」と聞いてきた。「はい・・・」「ぼん、私です。Cです。学生時代お父さんにお世話になったCです」そこから話が盛り上がり、最後は「私が応援します。このままだとあそこに決まってしまいます。いいですか、ぼん、私の言うように工場も対応するよう指示してください」と述べて別れた。その後週1で連絡があり、その都度改良して対応した。最後は価格だが高杉さんが工場を説得して競合を出し抜いた。こうして4500万円になってしまったが受注に成功した。機械に慣れると作業員は同じものを欲しがる。こうしてこの会社に私が担当の間、合計3台納入した。
高杉家が書生として同郷の人間の面倒を見たことと、春正さんの底抜けの明るさで受注できたビジネスに居合わせたのは営業冥利に尽きる。
「おもしろきなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり」(晋作辞世の句)
第84回「大奥巡り」(2020年8月12日)
昔の話
私の母校「足立区立東淵江小学校」の校歌は古関裕而の作曲である。朝の番組「エール」を見て、ふと思った。小学校か中学校か高校の校歌が確かこの人が作曲したのではないかなと思って調べたら、小学校校歌だった。校歌などはその学校を出てないと全く興味がないと思う。私などは今聞いても小学校の校歌なのか中学校の校歌なのかよく思い出せない。ただ、高校の校歌はわかる。学校体操というのがあって校歌に合わせて体操をした。これが高校1年生の体育の授業で実施され、評価の対象であったので今でも体が覚えている。
さて、その高校での話。
いたずら好きなのか目立ちたがりなのかよくわからないが、昔から人のやらないようなことをした。小学校以来「情緒不安定」の文字が高校卒業まで通信簿に記載されていた。小学校の時はなんと読むのかわからなかった。高校になってやっとわかった。しかし、その時はもう遅かった。
高校には誰が考えたのか誰も成功したことがない伝説の「大奥巡り」という度胸試しがあった。高校は1、2組が女子(就職組)、3、4組が大学進学文系、5、6組が大学進学理系というクラス分けであった。1クラス50人の大所帯。度胸試しとは「この1組または2組の教室を授業中1周してくる」という内容だ。前の扉から入り後ろの扉から出る。ゆっくりと歩き慌ててはいけない。過去挑戦してみた先輩の中には、扉を開けたはいいが足がすくんで動けなかったり、教壇付近で引き返してしまった人がいたようだ。数年前にある先輩が入室に成功したが数学のT先生だったので、入って10歩も行かないうち胸ぐらをつかまれぶん殴られて終わり、その後誰も挑戦しなくなった。今冷静に書いていると全くくだらない度胸試しだった。
4組にいた私はある時自習授業になって何のきっかけかこの伝説に挑戦することになった。成功したら皆が1人100円くれるという。全員が賛成した。4900円は当時の私にしては大金だった。
1組は体操の時間でいなかったので、2組で挑戦するしかなかった。前の扉をノックし先生に頭を下げ、ゆっくりと先生の前を歩き窓際の机の列を通り後ろの壁にたどり着き皆を見ながら後ろの扉まで来た。入る時は張りつめた空気だった。「な、なんなんだ、こいつは」との雰囲気が蔓延していた。T先生だったら入ったとたんまた殴られて終わったのだろうが、女のS先生(おばあさん先生)だったので、何をしようとしているのかわかってゆるしてくれたのだと思う。窓際の列を歩いていた時皆は気づいた。これが伝説の「大奥巡りだ」と。ざわざわし始めた。一礼して扉を開けて出た時、拍手が起こった。扉を閉めると急に足がガクガクした。
一部始終を見ていた立会人のMたちからの情報で成功したことがわかると、クラスの皆からお金が集まった。数えてみると6000円は超えていた。
大奥巡りの成功はひとえに寛大で慈母愛に満ちたおばあさん先生のおかげだ。今日8月12日はおばあさん先生の命日である。献花
第83回「世にも奇妙な物語」(2020年8月5日)
スポーツの話
私には癖がないと豪語している人が、靴を履く時右足からいつも履いていることを本人は知らない。初耳の時に瞬きを激しくする人がいて、このことは知らないんだとわかってしまう。「無くて七癖あって四十八癖」とは、癖が無いように見える人でも何かしらの癖があるもので、癖があるといわれる人ならば、尚更多くの癖があるものだということである。
さて、当クラブにはいろいろな子が入ってくる。僕をもっと速くしてくれと言ってくるが、入会しなくとも“癖”をなくせば速くなる。これからご紹介するのは、本当はもっと速いのにサイドブレーキを引いて走っていた子どもたちの癖である。
学校ではパンチスタートを教わったようだが、体が固い上、腕や脚の力が不足しているため彼には不向きなスタートだった。構えた時腕が真っ直ぐ伸びず(体を支えられないため)腰を高く上げた分足の出るのがかえって遅れていた。つんのめった走りでハイヒールを履いて走っている様なものだ。ミディアムスタートに変えてスムーズに出れるようになった。
(2)利き腕で字を書いていない
スタートの練習では「利き足で出なさい」と小学生に教えていた時、利き足をチェックする動作を中学2年生の男子がやってみたいというのでやらせてみた。なんと逆だった。この子は川口市の100mではトップクラスの選手だ。片岡鶴太郎じゃあるまいしわざと利き手でない方で絵や文字を書くべきではない。陸上では「器用」なスタートは要らない。選手に合った「綺麗」なスタートを旨とすべきである。
(3)地面を叩くような腕振り
腕振りができていないのは腕の振りを教えていないからだ。地面を叩くように拳を下ろし肘を引いて上にあげる。さすがに最近は100mではやらないがロング走では時々やる。かなり私に怒られるが言われるまで気づかない。
(4)幽霊走り
手の甲を上に向けて走る“うらめしや”の腕振りをする子がいる。保護者の間で「幽霊走り」と言われていると聞いて可哀想になり対策グッズをつくってみた。ポンチ絵を渡し製作はすべて妻がおこなった。これは腕に巻いた布が本人に見えたら幽霊走り、見えないように走れたら直っているから、時々自分でチェックしなさいと指示。これがうまくいったようで綺麗になった。今後このグッズなしで腕が振れたらいいのだが。もともと地力があり腕振りがきちんとできれば同学年の速い子と同じくらいになると思う。
このように当クラブに入会する児童・生徒の中には、摩訶不思議な癖がある者がいる。
第82回「エイトマン」(2020年7月29日)
学童の話
おやつはじゃんけんで教師に勝った者から3人ずつ取りにいくことになった。今日のじゃんけんは私が担当である。「始めはグー、じゃんけんぽん」で4人が私に勝った。その中でまたじゃんけんして2人が決まった。あと1人だったが3年生と1年生だったので3年生の女子に「K、お前先輩だから1年生に譲れ」と言った。文句が出たがバンビーニと同じ調子で聞く耳を持たなかった。「さあ次行くよ」と進めたものだから女の子のKは泣き出してしまった。
そばにいたおせっかいのYが「イリ、謝りなさいよ」と言ってきた。こんなことぐらいで泣くなと思ったが、仕方ないので「ごめんね、ごめんね、ごめんね~」と漫才のU字工事の益子の口調で言ったものだから、火に油を注いでしまい、Kは号泣してしまった。優先させた1年生までがKの味方となり非難。他の先生に助けを求めたが、自らの仕事に専念し背を向けてしまった。「自分でまいた種だから、自分で始末しなさい」という無言の答え。完全に四面楚歌。「どうしよう・・・」と思った瞬間、口と体が動いた。
「すみません、これからは1年生と言えどもひいきしません。平等に対応します。・・・お詫びに歌を唄います。先生の子どもの頃流行った歌で『エイトマン』と言います。・・・では、いきま~す。*( )内は振付動作。
ファイト(肘を曲げて右手前左手後ろ)
ファイト(肘を曲げて左手前右手後ろ)
ファイト(肘を曲げて右手前左手後ろ)
ファイト(肘を曲げて左手前右手後ろ)
ファイト(肘を曲げて右手前左手後ろ)
エイト(右手で親指と人差し指で円を作り左手も同じようにし胸の中央で8の字を作る)
エイト(上記と同じ。ただし右手の輪が左手の輪の上に)
エイト(上記と同じ。ただし左手の輪が右手の輪の上に)
エイト(上記と同じ。ただし右手の輪が左手の輪の上に)
エイト(上記と同じ。ただし左手の輪が右手の輪の上に)
エイト(上記と同じ。ただし右手の輪が左手の輪の上に)
光る海(右の手のひらを水平にしておでこに当てながら広田ひかるの方を見る)
光る大空(同様に大空こうきを見る)
光る大地(同様にあきやま大地を見る)
行こう無限の地平線(遠くを指さし、左手を添えた後両手を外に広げ地平線を示す)
走るエイトマン(膝を高く上げその場モモ上げ)弾よりも速く(右手親指と人差し指で楕円をつくり弾を連想させ、前から後ろに流す。相対的に自分が弾より速いことを示す)
叫べ胸を張れ鋼鉄の胸を(右手を広げて口元へ。胸を張り、ゴリラのように胸を叩く)
ファイト(肘を曲げて右手前左手後ろ)
ファイト(肘を曲げて左手前右手後ろ)
エイト(右手で親指と人差し指で円を作り左手も同じようにし胸の中央で8の字を作る)
エイト(上記と同じ。ただし右手の輪が左手の輪の上に)
エイトマーン(両腕で輪を描き足は揃えてО脚にし全体で8を表す」
第81回「オリエント急行殺人事件」(2020年7月23日)
営業の話
30年ほど前、東京駅八重洲口の工事現場で人だかりがしていた。ふと覗いてみると将棋を指すお兄さんからハイと将棋駒を渡された。早指しの将棋だという。いや、将棋はそんなにうまくないので皆がやるのを見てからと言ったが、皆がやってみろと囃し立てた。本日はサービスだからとお兄さんが言ったので、それならとやってみた。
早指しはある局面から開始して持ち時間は2秒位で進める。3秒になると考えちゃいかんといって無理やり駒を進めさせられ1分間持たなかったように感じた。終わったので帰ろうとしたら「はい、本日は10駒で詰んだから1駒3,000円合計30,000円、通常15駒なので5駒少なかったから加算料金1駒5,000円でプラス25,000円、将棋連盟の指導料として1回30,000円、将棋駒の使用料20,000円、合計105,000円頂きます」「え、さっきサービスだって言ったじゃないですか」「だから通常の半分の値段にしてあげたんだ」「いや、サービスというのは無料だと思いますよね、そういってましたよね」と隣のお兄さんに助けを求めたら、対面のおじさんが「払えよ、見苦しいぞ」という。そのうち皆が「払えよ」の大合唱。私の後ろに若い衆が移動し逃げられないようにしていた。ここで気づいた。10人くらいの観客全員がグルだと。まるで映画のようだった。だが、もう遅い。仕方なく財布を出した。たまたま今日は給料日だったので財布に30,000円入れてあった。カード類はテレホンカードしかなかった。お金をすべて取り上げられて解放された。
現場から20m先に公衆電話があった。慌てずゆっくり歩いて電話ボックスに行き110番しようとして振り向いたらもう人っ子1人いない。どう逃げたか見届ければよかった。
「いや、旦那さん、あいつらは地域で3か所くらいやると逃げちゃうんだよ。真剣師(賭け将棋をして生計を立ててる者)はその都度変わるから特定できない。しかも、早指しと言っても絶対に勝てない局面図になっていない。大山名人が相手だったら真剣師が負けるかもしれない局面図になっているので、詐欺にもならない。お金がないと腹いせで殴ってくるがその時暴行罪として現行犯で逮捕するしかない。無料だとは言ってなかったでしょう、サービスするとは言ったと反論する。頭のいい奴らだ。警察官が最初から立ち会うなど特別なことがないかぎり立件は難しい」事実その後中央警察からの連絡はなかった。
警察を出た時、何か幸せな気分になっていた。「俺より損をした奴がいる。俺は30,000円で済んだ。なんとツイテいるんだろう」繰り返し繰り返しつぶき、会社に戻る足が勝手にスキップした。
第80回「金魚」(2020年7月16日)
昔の話
子どもの頃東京の足立区に住んでいた。海抜0m地帯だ。よく中川や綾瀬川が氾濫した。家には雨戸がないので、台風が近づくと親父は板を窓枠に打った。その槌音が子供心にもこれから台風が来るのだと身構えさせた。台風が来ると昔はよく停電したものだった。その頃の人たちは心得ており、ろうそく台にろうそくを置いてそれを待った。電気が切れて真っ暗になった瞬間、マッチの火でろうそくに点火すると言い知れぬ神秘さがあった。子どもは電気が来なければ寝るしかないが、大人は寝るには早い。しかし、やることが限られるからだろうか親父が包丁を研ぎ始めた。薄目で見ていると親父やお袋の顔がろうそくの火でゆらゆらと揺れている。お袋が山姥となり私を生贄とする儀式が始まるかのようだった。布団を慌てて被って寝た。夜中トイレで起きると、風の音が強くなっていてワクワクした。いま風が強いと言うことは明日の朝は台風が去るということだ、そうすれば・・私はどうやって遊ぶかを考えていた。
待望の筏(いかだ)を使う事だった。近くにはため池があり親父が以前小さい丸太を5,6本鉄線でくくりつけ筏を作ってくれた。ただ、この池は浅くすぐ池底について動けなくなるので、これまで開店休業であった。この台風で床下浸水となった。水かさが増し筏を動かせる。隣の家の清吉と50m先の一男を呼んで筏に乗った。深い所でこけたら泳げたかと言えば無理だったろうが、こけるなど考えたこともない。リスク管理などまったくできない年齢だ。長い棒で池底を押して動かすとロビンソン・クルーソーになった気がした。
別の台風の時、東京を過ぎ去ったのを見て親父が朝早く自転車で出かけた。それから1時間して親父が慌てて帰って来た。「政夫!起きろ!母ちゃんはバケツをできるかぎり用意して」との声。自転車のハンドルにバケツ2個、荷台に1個乗せて親父に連れられて綾瀬川に向かう。なぜ行くかわからないが、親父が行くぞといえばついて行くしかない。着いてみると綾瀬川は氾濫していて、そばにあった金魚の養魚所から金魚が逃げていた。池なのか田んぼなのか見分けがつかなかったが、魚がピチャピチャ跳ねているのがわかった。持ってきたタモですくうと20匹以上出目金が、他を探ると琉金が10匹、ランチュウが5匹ほどすくえた。普通の金魚は捨てても十分バケツは一杯になった。親父と合わせて6個のバケツが一杯となったので帰宅する。養魚場のおじさんが見ていた気がする。でもタモを持っていたのは我々だけではない。何十人の人間がいたのでどうしようもなかったと思う。泥水では金魚は死んでしまうので家ではタライに水を入れてそこに金魚を入れた。金魚でタライは一杯だった。両手ですくうとたくさんの金魚がこぼれ落ちた。一生に1回だけの経験だった。だから金魚を見るとこの日のことが浮かんでくる。
しかし、翌朝水道水の塩素のせいで金魚は全滅した。そして養魚場のおじさんも死んだ。自殺だったと風の便りで知った。
第79回「ああ、勘違い」(2020年7月9日)
学童の話
歳を取ると耳が悪くなる。冷めた珈琲を電子レンジに入れてTVを見ていると、温まったことを知らせる「チーン」が聞こえない。妻に何度も怒られる。外の雨音も聞こえない。学童に行くときに「雨大丈夫かな?」と聞いて呆れられる。最近スーパーのレジで支払う際従業員の言葉がマスク越しのため言っていることがわからない。面倒くさいのでうなづくしかなく、折角袋をもっているのにレジ袋を買わされてしまう。
ある時、児童Bが女子Cのいたずらに堪忍袋の緒が切れたようで、喧嘩になりそうだったから仲裁に入った。児童B「Cにはムラムラするんだよね」入山「えっ、まだそんな気になるのは早いよ」児童B「前からそう思っていたのだが、生意気なのだ、女子のくせに。僕はCのいたずらに腹が立ってしょうがないのだ」ここで気がついた。入山「もしかしてそれを言うならムカムカしたと言うのだよ。ムラムラだと違う意味になる」児童B「・・・・」
お後がよろしいようで。
第78回「オルガナイザー」(2020年7月2日)
スポーツの話
高校の生物の教科書には、イモリやカエルの胚の実験から形成体という部位はその周囲の胚域に働きかけ器官の分化を誘導する、と教えている。Aのイモリの形成体をBのイモリに移植するとBのイモリの部位にAの器官(心臓や胃など)ができるため、器官は形成体によってコントロールされることがわかっている。
私にはここ8年間の小学生指導で感じ始め今では確信に変わった理論がある。
倫理上人間の身体の器官を司る形成体は操作できないが、能力(一定の課題を成し遂げることのできる力)は人為的に促進、強化、できると思っている。
身体の筋肉は誰もが生まれた時に持っている。しかし200kgのバーベルを持ち上げることは訓練をしなければできない。マラソンも2時間を切って走ることは普通の人間にはできないが、特殊訓練をすれば可能にするところまで人類はレベルアップしている。
こういうことから人間は通常生きるための生物的器官は生物的形成体のよってできあがるが、能力を高めるのは別の形成体として身体のどこかに存在している。この形成体をオルガナイザーと呼ぶことにする。
ここで能力とは運動能力だけではなく知能や芸術的才能、気配りなど「察する」能力も含む。このオルガナイザーは外的要因でスイッチが入るのであり、本能的に活発化するものではない。このオルガナイザーを刺激することによって通常の人間の能力の数百倍数千倍を持ち合わせることができる。
オルガナイザーと才能の組み合わせは多種多様だ。もしかすると才能のオルガナイザーはひとつでなくそれぞれに分かれた多数となって体の中に存在するのかもしれない。私が児童のオルガナイザーに刺激するのは陸上競技だが、もしかするとサッカーやラクビーのコーチの指導にあえばそのオルガナイザーが作動するのかもしれない。もっと飛躍した見方をするとその子が伸びるのは運動能力ではなく芸術面なのかもしれない。NHKの朝の番組の「エール」では蓄音機から流れた「威風堂々」の行進曲が主人公の作曲的能力を刺激したのを思い出した。
ただ、このオルガナイザーは目をつぶってしまうこと多々ある。スーパー1年生として期待していた児童が3年生になって普通の子になってしまったことは反省の余地がある。塾やコロナなど他の要因で走ることに興味がなくなったのかもしれない。また苦しいことから逃れる知恵がついたのかもしれない。
目をつぶるくらいならもっと大きな刺激を与えて目を覚ませればいいが、オルガナイザーには賞味期限があるようだ。小学生の頃は絵がうまくどのコンクールでも入賞していた私は、中学に入って陸上部になってからは絵と疎遠になり、今では学童の児童に笑われるくらい下手くそだ。
オルガナイザーはどの子どもでもある。どのオルガナイザーがあるのかをチェックすればいいのだが、お金も時間もない中、自分にあったオルガナイザーを見つけられる運のいい子が天才になるのだと思う。もしかするとオルガナイザーの上に「運」というウルトラオルガナイザーが存在するのかもしれない。
第77回「禁じられた遊び」(2020年6月25日)
昔の話
私が小学生の頃(昭和30年代後半)「三度ぶつけ」という遊びがあった。ドッヂボールのコートがない遊びで、どこまで追いかけてもいいのだ。3回ぶつけられたらゲーム終了で、当てられた子は「死刑」で壁に後ろ向きに立たされ皆に1回ずつぶつけられる。2度当てられると死刑になりたくないので、一番弱い子を選んでその子を狙い3度当てて逃れる。今思うとちょっといじめに近いが、皆はいじめている、いじめられていると思っていない。戦略の一環だからだ。校庭を逃げ惑う子が多いが、運動神経のいい子は下がりながらボールをとって逆に追いかけてくる。そのため後ろは見ずにボールに相対して下がるからスピードも出ている。
不幸は突然襲ってくる。当時はバレーボールのネットの支柱が4本~6本くらい校庭内に立っていた。材質は木なのだが運悪く角にあたってしまい。頭がパクリと割けて大量の出血、救急車で運ばれた。それ以降「三度ぶつけ」は禁止となった。
彼が9秒5に挑戦するといって2B弾を持ち、まさにそれを投げようと耳元に右手が来た瞬間2B弾が爆発した。その時運悪く須賀は2B弾を至近距離で見てしまった。そのため右目が失明してしまった。見なければ耳がキーンとしただけだったろう。学校はそれ以降2B弾を禁止した。
第76回「本能児の騙」(2020年6月18日)
スポーツの話
以前にもお話しした(第24回「女はいつだってアクトレス」(2019年6月25日))ように、女性は有事の際も20%の力を温存している。それはお腹の中に赤ちゃんがいた場合その子を守らなければならないからだ。精根尽き果てても後50m行けば避難所にたどり着ける、10m走れば野犬から逃れられるとわかった場合、あれほど立てないと言った状態から突如立ちあがて逃げる。これは女性特有の本能である。子どもは男女問わず苦しさや困難さから逃げる本能がある。中学生以上の男子は戦う本能からそれこそ99%全力を尽くしてしまう。陸上競技の800mに見られるケツワレは男子に多く見られる現象である。
小学生や女子選手の練習のポイントはいかに余力を残さず力を100%出せるか、なのである。正確に言えば100%は無理なので90%に目標を置いている。
今回は小学生における90%発出方法を紹介する。
子ども達に練習メニューを見せると必ず規定タイムより遅くなる。インターバルの本数や種類を知るとそれに合わせて力をセーブする傾向にある。練習時間をつつがなく過ごすためにはどう力を配分すればいいかを心得ている。
練習が始まると「今日は長いのはやめよう」「スピード練習がしたい」と練習内容をまず否定する。やめる気がないことがわかると「10本はやめよう」「7本なら何とかできる」と条件闘争に持ち込む。「まずはやってみよう」と走らせると「足が痛い」「お腹が痛い」「気持ち悪い」「頭が痛い」と体調不良を言い出す。「気のせいだ」と続けると「トイレ」という印籠を出す。少なくともこれで1本は休める。2,3回言えないのは子供なりにもわかっている。最後は「コーチ、もう時間無いよ」と競技場に申請した練習時間を持ち出す。
あいにく耳が遠いのでその他の苦情は聞こえない。聞こうとしないから余計に聞こえないのでもある。ここまでは反乱ではなく、主張して少しでも楽になればいいか程度のデモだ。私にとっては適温であり、心地よい。
だから練習の内容は教えないようにしている。実は規定タイムもサボることを予想して高く設定してある。
かけっこ教室は、手を抜く“本能”をもった“児童”を“騙し”ながら練習をさせることがポイントである。私はこの方法を「本能児の騙」と呼んでいる。
第75回「ランドセルと体温計」(2020年6月11日)
学童の話
新型コロナの影響で、1年生にとって登校した日は2ケタいくかいかないかの状況である。その中で急にこの暑さだ。通常は4月から涼しい時期にランドセルの重さに慣れ、徐々に暑さに対応していくのだが、入学と同時に30℃の暑さとランドセルの重さと闘うことになったので、1年生にとっては大変な状態なのだ。分散登校で2組にわかれて登室してくる1年生は汗だくだくだ。髪の毛がお風呂上がりのようでかつ顔が赤い子が多い。学校から登室するまでの距離は10分くらいかかる。学校の登校エリアの最南端にあたるところがこの学童なのである。この距離は年寄の散歩には快適な距離だが、ランドセルと宿題や副教材の入った袋を持って歩く1年生にとっては行軍のようなものである。
着替えをさせてからうがい手洗いをして検温である。着替えも男の子の1人はパンツまで替えるのだが皆の前で平気で脱ぐので困る。多くの子はそこまでしないのだが、この子はまだ廉恥心は芽生えていない。トイレで着替えさせるよう教育していくうちに恥ずかしさの感情が生まれるのであろうか。といっても昔の子はこの子のような子供が多かった。私は小5の時小学校の担任の家(我孫子市)に数人の友達と遊びに行った。手賀沼がまだ綺麗だったころだからパンツを脱いで泳いだ。友人2人も泳いだ。女の子たちはさすがに見ているだけだったが、先生たちがいなかったら脱いだと思う。昔はそんなおおらかな子どもが多かった。
コロナが流行り、より心配性や潔癖症な子が多くなった。検温をする際、子ども達は体温計の数字をじっと見ている。中には36.9℃になると取ってしまう子がいる。37℃になると要注意、37.5℃だと帰宅させられるからだ。ハラハラドキドキなのだろう。3つある体温計の中でAは低め、Bは高め、Cはほぼ正しい値が出る傾向にあるが、子ども達は経験上Aを選ぶ。平熱が低い子は速く値が出るBを選ぶ。Cは正しいが、値が出るのに5分くらいかかるので嫌われている。我々も杓子定規には子ども達を扱ってはいない。37℃の子には体温計を替えて2回計るし、2回目の間のインターバルは10分以上置いている。
陸上教室には体温計を1日中離さず1日100回も自分で計っている子がいるという。その子はスタート練習でフライングすることが多い。今までせっかちかと思っていた。どうも心配性で遅れたらどうしようということでフライングになってしまうようだ。今からその性格を徐々に変えていかないと受験の時に困る。試験の前日、心配で眠れなくなってしまう。徹夜明けの状態で受験に臨んでも結果は予想できてしまう。スタートは私が治せても性格は治せない。これから新型コロナのせいで神経質な子が多くなるだろう。ズボラな性格がいいとは言わないが、精神的に弱いと社会に出た時に困る。
勤務を終え学童を出る時「イリ、バイバイ」と玄関まで送りに来た子どもに「ありがとう、また明日」と言ってその子と握手をした。ドアを開け振り向くとその子が右手をズボンで静かに拭いていた。
第74回「ゴルフ接待」(2020年6月4日)
営業の話
昔、ゴルフの接待をした。
ゴルフの接待は決して悪いことではない。コストパーフォーマンスから言うと、寿司―クラブ―タクシーのコースと比較すれば安く済む。また、お客との付き合う時間は夜の部が3時間とすればゴルフは少なくとも6時間は一緒である。必ずスコアを書く時に「入山、パーです」と言うので、名前を覚えてもらえる。その後得意先に行った際、一緒に回った得意先の事業部長や資材部長から声をかけられる、担当に注目される、といった具合に営業にとっては有利に展開するのである。
そのゴルフ接待にまつわるお話を2点ほど。
(1)思わず「足が出た」困った瞬間
1.部下の行為
ゴルフはボールが当たった時のショック緩和のため全員が帽子をかぶる。ゴルフでは風が吹くことがある。ある時風が吹きお客の帽子が飛んだ。私の部下は追いかけたが帽子は転々と転がる。風が弱くなったので取れると思った瞬間また風が強くなった。思わず部下は足を出し帽子を踏んでそれ以上転がることを防いだ。
残る3人はこれを見ていた。「馬鹿!」と心の中で叫んでしまった。いくら池に入る可能性があったのでやむを得ない行為だと思うが、「お客の帽子を見ている前で踏むな」池に入った方がましだった。クラブハウスに戻ってお客に帽子を買って詫びた。でも彼には直接叱らなかった。一連のお客に対する対応に同席させて暗に注意した。
2.見てはならないもの
お客のボールががけ下に転がった。崖下から打ったボールがどこにいくか見る為フェアウエイにいるがなかなか戻ってこない。おかしいなと思って見に行った。すると私が覗いた時、ボールが上がらずまた転がって行った。ボールが今打ったところより転がり、OBゾーンにいってしまう瞬間だった。お客は思わず足を出しボールを止めた。「こりゃ、まずい。もう何回打ったのだろうか」と見ないことにしてフェアに体を戻した。「○○さん、ここはローカルルールで無罰でラフに戻せるそうですよ」と嘘を言って崖下から上がってもらった。
(2)接待慣れ
1.ゴルフ接待が多いお客
8時集合なのに7時に来て朝からお酒を飲んでいた。昔はラウンドすれば帰りにはアルコールが抜けると考えていたのだろう、ゴルフ場にある一番高いお酒を飲んでいた。すべて費用はこちらもちだ。この人たちはスコア90で回る人たちなので練習もしない。ただただ接待されることを楽しんでいる。
2.せこいお客
清算する時ちょっと高いなと思って明細を見るとお客の1人がシャツとボール6個(1個800円)を買っている。我々が払うものと考えての確信犯だ。
3.ゴルフを要求するお客
「天気いいね」、「入山さん、やってる?」これで察しないと、「●●部長元気、この間2打差で負けたからね」それでも相手にしないと「ライバルの□□会社からゴルフ、ゴルフて言われてね。でも僕は入山さんたちと回るのが楽しいなぁ」となってくる。
新型コロナウイルスで夜の接待がなくなればゴルフしかないと思うが、石田純一がゴルフで感染したという。今の営業は辛い所がある。私の理想は子ども達にゴルフ場で走らせることだ。アップダウンが大きく、しかも走るところは芝生の上で膝に対する負担が少ない。かつて1500m世界記録保持者ジム・ライアンが練習していたのがゴルフ場だった。この人の練習方法がバンビーニの長距離練習の基礎となっている。
第73回「用心棒」(2020年5月28日)
昔の話
男らしさとは何か、仕事とは何か、ということを考えると、昔の男は偉かった。
子どもの頃、親父から終戦後の話を聞かされるとき必ず出てきたのが「用心棒」の話だった。
終戦後の米兵は「ギブミーチョコレート」の世界だったから日本人をなめてかかかったフシがあり、一部無銭飲食する輩がいた。たらふく食べて英語でまくしたてて帰ってしまう。体が大きいのでおおくは泣き寝入りになってしまう。そこで一部の商店は用心棒を雇った。その手の輩が現れると控えの場所にいる男に連絡する。通常の日本人だし終戦直後の栄養不足から身体の大きさは大人と小学生ほどの差がある。しかし、この男はひるまない。親指と人差し指をあわせて丸にして示し、「マネー、マネー」と請求する。それでも行こうとすると軍服を引っ張って殴りかかる。米兵は笑いながら殴り返す。大きな拳にはひとたまりもなく飛ばされる。しかしこの男はひるまない。相手は大きいので顔をなぐるには跳びかからないと届かない。その間上から殴られる。しかし、顔が倍以上に腫れてもこの男はひるまない。殴られている間も「マネー、マネー」と親指と人差し指の丸のサインを出している。ついに米兵も根負けして払った。特攻崩れの元軍人だったというこの男は社会情勢が落ち着くと出番はなくなった。これが親父が目にした「すごい男」の1人だ。
翻って私。親父の話に比べるとスケールは小さいが、昭和40年代大学生になって初めて行ったストリップ小屋の「見張り役」の男衆についてである。
携帯電話がない時代、男衆は必ず2人以上小屋の前に待機している。小屋に近づくと鋭い眼で見るが、お客と判断すると愛想笑いをして中に案内する。万一あやしい動き(集団で来る、陰に隠れる者がいる)があれば、立ち上がって警戒する。その姿はミーアキャットに似ている。もし警察なら1人が小屋の中に駆け込み危険を知らせ、残された男は警察の突入を体を張って止めるのである。止める男は1分間頑張ればいい。それ以上の時間は必要ない。その訳はこうだ。
公然わいせつ罪の構成要件(罪が成立するための条件)は実行行為だ。踊り子が全裸になった瞬間成立するが、逆に全裸になっている現場を警察に押さえられなければ実行行為がなかったことになる(実際はお客の証言でもいいのだが、賭博と違って見ているお客は罪に問われないので、通常は好きな踊り子が捕まってしまうような証言しない)。だから警官がスットリップ小屋に入るのを阻止し、踊り子が服を着てしまえば公然わいせつ罪は成立しない。よって踊り子は罪をまぬがれるということになる。
警察に踏み込まれた場合、「公然わいせつ罪」は6か月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金で済むが、「公務執行妨害罪」は3年以下の懲役または禁錮もしくは50万円以下の罰金となる。踊り子は罰せられない逃げ道があるが、男衆は警官が中に入るのを邪魔した瞬間公務執行妨害罪が成立してしまう。逃げ道はない。警察が来たことを踊り子に知らせた男も、“公然わいせつの捜査”という「公務」を妨害したことで同罪となる。踊り子の無事と引き換えに、確実に逮捕され3年も刑務所に入る割が合わない仕事なのだ。
2つに共通しているのは「体を張って他人を守るビジネス」ということだ。
私はたくさんの子ども達と接する仕事(陸上クラブ、学童)をしている。そのため、子ども達の誰か1人でもコロナにかかれば高齢者の私は死ぬことになる(子供たちは平気だろうが)。コロナのせいで、最近命をかけて仕事をしている様な気がする。しかし、昔の用心棒たちのレベルにはまだまだ遠いのだ。
第72回「夢をあきらめないで」(2020年5月21日)
スポーツの話
小6や中3の子ども達へ
小6や中3の児童・生徒のモチベーションを維持するのは難しいかもしれません。もう出られる大会がほとんど期待できないからです。最高学年になってトップになることが当クラブの計画でもありました。年初は新型コロナウイルスのために大会が中止になるなんて誰も考えもしませんでした。
しかし、君たちの人生がこれで終わりになるわけではないのです。来年中学生、高校生の生活が待っています。だが、ここで練習をやめたらすぐには通用しないレベルまで下がってしまいます。中学生や高校生になって入ってくる初心者の子どもと変わりありません。ただ、彼らは希望を持って陸上を始めるわけですから、やっと練習を再開する子どもらとの差が必ず1年後に出てしまいます。練習を明るくとらえる子と暗く考えてしまう子とでは伸び方が違います。小学生で優れていても現実はそう甘くはないのです。
1年間大会に出られなくても、長い目で見れば無念ではありません。あの織田信長の無念を考えたらたいしことではありません。あと少しで天下をとれたのに明智光秀の裏切でそれができなくなると観念した時の無念さです。その時潔く死ねるのだろうか、光秀に首を渡すなと森蘭丸に下知し火を放した潔さはすごいとしか言えません。私なら女装して逃げたか、襲ってきた兵士に対して皆に金10両をやるから助けろとか見苦しい態度をしたと思います。だってあとわずかで天下をとれるのですから、生きることに執着したと思います。
夢は実現可能性がゼロにならない限り挑戦してみるべきです。外交官試験を受けようとする30歳の学生や身長が165cmにならないで止まってしまったお相撲さん志望の子どもなどを除いては・・・
陸上競技では中学生がオリンピックで優勝することはありません。水泳のような浮力もないし野球のように魔球もないからです(第57回「横のスポーツと縦のスポーツ」を参照)。ただひたすら人類100万年の遺伝子をもって重力と闘う競技ですから、成熟した人間でないと記録は出ないのです。多くの種目のピークは20歳台なのです。今まで生きてきた分の年数を重ねなければ金メダルは狙えないのです。たった1年間ではありませんか。今はただただ我慢です。
君たちは知らないだろうが、岡村孝子の「夢をあきらめないで」の曲の一節に
「・・・あなたの夢をあきらめないで 熱く生きる瞳が好きだわ 負けないように悔やまぬように あなたらしく輝いてね」があります。
献詞
第71回「カラオケ」(2020年5月13日)
営業の話
現在のカラオケは通信を使ったもので、いつでも最新の曲とどんな古い曲でも選曲できるが、昔は歌を唄うのは非常に不自由なものだった。昭和50年代カラオケがあるクラブは少なく、歌を唄う時は専属のギターの先生がいた。酔うと唄うのは演歌が多いのでピアノよりギターの先生が多かった。ところが専属の先生はいつもその店にいるわけではなく、30分もすると他の店に行ってしまう。1曲いくらの世界だったのだろう。客の少ない店に長居は無用だ。1時間もするとまた戻ってくるが・・・
唄いたい時に唄えない不便さはあるが、カラオケと違って唄っているお客のレベルでキーやテンポを調整してくれるので下手な人間には便利だった。
私は無類の音痴のため歌は苦手なのだが、営業上仕方ないと観念していた。だから決まって高低差が狭いフランク永井と石原裕次郎の歌しか唄わない。唄わないと言えば聞こえはいいが、唄えないと言った方が正しい。松山千春や平井堅のような高い音は不思議に夢の中でも出ないのだ。小田和正の夢も見るがあの澄んだ声は発声することすらできない。夢の中だけでいいからいつか彼らと同じように唄いたい。
カラオケが8トラックからレーザーディスクになった頃、工場にお客を連れて行き食事の後2次会でクラブに行った。舞台に上がって上司がシナトラのマイウエイを唄い始めたら、すでにここに来ていた事業部長が見つけて「おい、K君それは俺の持ち歌だ」といってマイクを取り上げて唄い始めた。頭をかきかき戻ってきた上司。昔は我儘な事業部長が多かった。
すぐ司会者になる先輩がいた。社員の女の子をつれてクラブに行くとヨイショも兼ねてホステスが女の子にマイクを向ける。初めは断っていてもアルコールが増えると唄いだす。するとここで先輩が出てくる。歌が始まる前に「では次の曲は渡辺真知子のヒット曲『迷い道』・・(前奏始まる)・・・曲がり角ひとつ間違えることによって迷い道にはいりこむのが人生です。彼女はどこで間違えてうちの会社に入ったのでしょう。唄うは○○会社のマドンナ□□です・・(□□唄い出す)」これを得意とする。いつも連れて行ってもらうのはありがたいが、女の子を誘うのはいつも私の役目。最後は皆に嫌われた。
その先輩のもうひとつの得技は「そんな夕子に惚れました」という相撲の増位山の歌。
「・・・・そんな夕子に惚れました」で終わるのだが、夕子という歌詞を連れてきた女の子の名前に置き換えるのである。「・・・・・そんな□□に惚れました」となる。女の子がどう思おうが、女の子にウインクして自分は大満足で終わり、皆のタクシーを呼んでくれたのである。
新型コロナ対策と思って「コロナビール」(*)を毎日飲みながら、昔をなつかしんでいる今日この頃である。
*)コロナビールはメキシコのビールだが、子どもの頃親父の目を盗んで飲んだあの苦いビールの味がする。なつかしい。3月までは金麦だったが、緊急事態宣言が出てから倍以上するコロナビールに替えた。再延長でさらに出費がかさむ。
第70回「子どもの目線」(2020年5月6日)
学童の話
4月第2週にイースターの遊びを行った。エッグハント(タマゴ探し)である。「子どもが隠すから先生は別の部屋に行って」ともう一つの部屋に追いやられる。5分位して「もういいよ」と声をかけてくる。学童なので隠すところがあると言えばあるし、ないと言えばない。なかなか難しいのだが、隠した場所に近くなると子どもの目が泳ぎ始め、違うとところを探していると安心したのか笑いながら隠している場所をチラチラ見始める。だから、見つける確率が高くなる。麻雀でテンパイタバコという言葉がある。テンパイすなわち上がる一歩手前になると安心感からか煙草を吸う上司がいて、その人が煙草を吸ったら気をつけろが合言葉になった。だから、その人はいつも負ける。上司の子どもの頃はここの学童の子どもと同じ行動をしたのだと思う。
ビデオの時は遊びたい人はトランプなどのゲームで別に遊んでもいいのだが、100%子どもはトランプに集中せず、笑い声に吸い込まれていく。子どもというものはそういうものだ、と思えば腹も立たない。それよりか何とかこの本能を邪魔してやれとほくそ笑んでしまう。
興味のあることはそれこそ目が開き瞳が輝く。疲れた時は瞼が重くなるためか薄目になり、生気がなくなる。子どもの目は心の窓である。いつもその窓を全開にしよと心がけている。しかし、現実に戻ると、新型コロナ感染予防のための換気で、窓という窓を開けっぱなしにしている学童は年寄にとっては寒い・・・・。
第69回「ブラックスワン」(2020年5月1日)
スポーツの話
ブラックスワンとい言葉を聞いたことがありますか?
ブラックスワン(Black Swan)とは、マーケットにおいて事前にほとんど予想できず、起きたときの衝撃が大きい事象のことです。従来、すべてのスワン(白鳥)は白色と信じられていましたが、1697年にオーストラリアで黒いスワンが発見されたことにより、鳥類学者の常識が大きく覆されました。このことから確率論や従来の知識や経験からは予測できない極端な事象が発生し、それが人々に多大な影響を与えることをブラックスワンと呼んでいます。具体例としては2008年のリーマンショック、最近では2016年6月の英国EU離脱、12月のアメリカのトランプ大統領当選などが挙げられます。
ワクチンができるまでは仕方ないと思いますが、スポーツ界では今の状態は困るのです。
中3や小6の子ども達は大会がなくなり、モチベーションが下がっています。他の学年の子ども達も練習場所がなく、系統だった練習ができていません。集団で走っていると警察に訴えられます。警察も罰することはできませんが、道徳に訴える「教育的指導」を行います。新型コロナウイルスはスポーツ界のブラックスワンなのです。
つまり、このゴールデンエイジの時期にチャンピオンやスーパースターがつくられるといっても過言ではないのです。
当クラブの人員構成は小1~中3です。同じ年代だけではなく年上のお兄さんお姉さんと練習するのですから、低学年の子どもは体内にある「まねっこ細胞」によって運動神経を大きく高めているのです。まさにゴールデンエイジをつくりあげるのに集団は役立っているのだ思います。決して自主練だけではゴールデンエイジは見過ごされて終わってしまうのです。
自粛は十分理解しますが、子どもたちに勉強だけでなく、みすみすゴールデンエイジを逃すことは断じて避けなければなりません。勉強は大学に行くまでに取り返せます。また自習だけでもある程度の知識吸収はできます。しかし、ゴールデンエイジに後ろ髪はありません。
第68回「ホステスさん」(2020年4月24日)
営業の話
コロナウイルスの問題でナイトクラブやキャバレーなどが休業に追い込まれている。困っているのは経営者だけでなくそのビジネスを支えているホステスであろう。営業をやっていた頃の話をシーリズに加えたい。
もちろん若い時はバイトに徹すれば、座っているだけでもお金はもらえる。あとはママたちが段取りしてくれる。問題は座っているだけでチーママやママになれるかということだ。「ナイトクラブで成功するホステスの秘訣は何か」を今回のテーマとしたい。
一つはその記憶力だ。いきつけのクラブならまだしも、2、3年ぶりで行くクラブでのこと。
年数回しかいかないで3年後に久しぶりに行ったようだが、ドアを開けるとこちらを見て「あら、○○会社のT部長さん、お久しぶり」と挨拶。ボトルもとってあった。この店には2年後仲間と行ったら「あら、入山さん、出世した?」とT部長のボトルを出してきた。どういう覚え方で2年間も会っていない顔を覚えていられるのだろうか。名刺の裏に似顔絵を書いて備忘録にしているのか。中にはフルネームで覚えている猛者もいる。フルネームで呼ばれると妙にくすぐったくて、どんな子でもかわいく見えてしまう。
「部長さんの横に座り膝に手を置き、対面の課長さんに軽く会釈、係長さんに元気?と声をかけ、一般社員には軽く視線を万遍なく送る。会話が始まったら係長さんに目で指示してカラオケを操作させ歌に持ち込む。うぶな新人には『私の好み』と言えばいい。トイレから帰って来た社員には途中まで迎えおしぼりを渡す際、流し目で『今度1人で来て』といった雰囲気を浴びせればいいのよ。これで7人までは私1人でオーケー。でもこれは20分間くらいしかもたないので、早く若い子が来てくれないとね」
この話をなぜ私にしたかというとT部長はクラブに行くのが他社より早いからだ。もっと遅く来るようにT部長に言いなさいという暗示だったと思う。T部長は18時から寿司屋で飲んで20時前にクラブに行き、21時にはタクシーで帰る人だった。
これも「T部長に言っておきなさい『予約して来い』」というサジェションだ。
様々なやり方で賢く強く生きている彼女らを、敬意をこめ私は「ホステスさん」と心では呼んでいる。
第67回「ピカピカの1年生」(2020年4月17日)
学童の話
卒業生が出ると新1年生が入ってくる。これが通常の流れだ。4月1日から続々新人が登室してきた。
生意気な子もいる。勉強を見回っていると「イリ(早速先輩たちの言い方を真似る)、ここがわからない」「足し算だから自分でやってみて」「? あなたはね、あなたは先生でしょう。先生が子どもに教えなくていいの?」同時に右手の人差し指が天井に向かってそそり立っている。でも憎めないのだ。この子はクオーターできっとこの調子で一生男をリードしていくことが予見される。末恐ろしい。
男の子では「たもん」が久しぶりの坊主頭だ。子どもが私を「ハゲ」と言った時「俺はハゲではない坊主だ」と反論してきたが「たもん」が入ってきてその頭髪の多さに理論的主柱を折られた。土地で例えると「ハゲ」は「砂漠」で、私は木のあるところとないところがある「山を守るために間伐した里山」風だが、毛を短く刈り込んでありこれを坊主といっていた。ところが「たもん」はぎっしりつまった短い毛でおおわれた頭、つまり「芝生」だ。「たもん」を坊主としたら私は安いゴルフ場だ(一部芝生がなくなって地肌が見えている)。もう「ハゲ」と言われても何も反論できない、正真正銘の「坊主」が来たのだ。
これから楽しい1年が過ごせそうだ。ただ、この子らは卒園式も入学式も正式なものがない世代として今後語られる。この子らの為にも早くコロナ騒動が終息してくればと祈る。
やめる子が出てきたので待機児童の1人が繰り上げ当選で入って来る。どんな子なのだろう。3年生が離婚で学童をやめなければ、入会することなく決して会うことはなかった子なのだ。この出会いも運命と言える。どうか普通の子であるように。
第66回「気合いだ、気合いだ!」(2020年4月10日)
スポーツの話
なぜなら受ける方はタックルされるとは思っていないから、心の準備がなく大怪我する可能性が高いのです。
相手がタックルしに来た時やこちらがタックルにいく場合、緊張が生じます。相手がタックルしてくる時はこちらが倒されることを念頭に「来るぞ、来るぞ」と心の中で叫びながらいくのです。もちろんタックルしに行く場合は相手が当たってくるので「痛いぞ、痛いぞ」と思いながら行くのです。そうするとコンタクトしても不思議に痛くないのです。
私はタックルに行って相手の膝に当たり鎖骨を折りました。しかし、その後終了まで5分間ぐらい試合に出ていたと思います。終了のホイッスルでロッカールームに戻りシャワーを浴びようとユニフォームを脱ごうとした際、手が上がらないことに気付いたのです。脳の信号が身体の部位に伝わらないのはまことに摩訶不思議な体験でした。仲間は鼻の骨が折れ曲がっているのに自分で直してテーピングをして再びコートに戻っていきました。気合を入れていればできるのだと思います。
昔レスリング協会には八田一朗という会長がいて、合宿中に電気をつけた部屋で寝かせる、ライオンの檻の前でにらみ合い眼力を養うなど奇抜な練習をさせました。その甲斐あってたくさんのメダルを獲得させた実績があります。心の弱さを克服させるためなのですが、今の子は敬遠するでしょうね。
コロナウイルスは目に見えません。これにむやみやたらに突っ込んでいくのはいかがなものかと思います。しかし、手を消毒し換気をよくしマスクをすることをルーティン化することで、見えない敵にも身構えることができます。非科学的なことかもしれませんが、できることをすべて実行した後は「気合いだ、気合いだ」
第65回「卒業」(2020年4月3日)
学童の話
3月も終わりに近づき今日で最後という男の子がいた。頭がいいわけではないが人柄がいいので気になる子であった。他の子とくらべて雰囲気を察することに長けていて、場を和ませようとか盛り上げていこうとかを意識している子どもである。時には異常なくらい盛り上がる子なのでうるさいので叱るほどだ。
連絡帳返しという1日の最後のセレモニーの時に、手を挙げて皆にお礼を言いたいとして挨拶を始めた。小学2年生の男の子である。3年間勤めて初めての光景である。私がいつもの時間になったので帰ろうとした時、その子が手紙をくれた。「学どうの人へ」という表題だったのだろうが、「学童の入へ」と書いてあった。あまり漢字は得意ではないので「人」と「入」を間違えた。皆は「学どうの入(山先生)へ」と思ったのだろう(通常子どもたちは、自分と同等以下という位置づけなのだろうか、私を『入(イリ)』と呼ぶ)。読んで読んでとせがまれた。
「そうか、面倒みたからなぁ」と思い、封筒を開けて読んでみた。「学どうの入へ。2年間ぼくのめんどうを見てくれてありがとう(そりゃそうだ、お前が2番目に手がかかった。:カッコ内は私の心のつぶやき、以下同じ)。ふな木先生、つのせ先生、池田先生、名くら先生、ぼくとあそんでくれて楽しかったです(私の名前は後で出てきて他の先生より一番お世話になったという、よくある修辞方法だ)。けんかもしました。公園にも行きました。きっとぼくの思い出としてのこると思います。(おいおいそろそろ私の名前を出さないと文章終わっちゃうよ)・・・(略)・・・お元気で」
(便箋は2枚ない、裏も見たが書いてない)これで手紙は終わってしまった。
何か“森の石松”の話(*)のように自分の名前がいつ出るか出るかと引っ張られた挙句、無い。「お~い!俺の名前がないぞ!」先生方は大笑い。その子はやっと気づいて「ごめんなさい」と小さな声で謝ってきた。
小学3年生の女の子は甘え上手だ。容姿は十人並みだが小学3年生とは思えない、笑い方やしぐさに大人っぽさがある。他の女の子には絶対にマネできない。同学年の女の子には嫌われるタイプなのだろうな。校庭で遊ぶとき「私を追いかけて」と促して逃げる。無視したらかわいそうだよなと思って追いかけていると、それを冷静に見ているもうひとりの自分がいた。「これじゃ『大きく年齢の離れた女(ひと)と再婚した小金持ちのじいさん』みたいで恥ずかしい」と思いながら追いかけている。この子も3月一杯であった。私の手をとったり後ろから平気で抱きついてくるこの子でも、半年後には道で逢っても無視されるのだろうな。それが学童という世界の宿命だ。
博打打みたいな子もいれば数学や絵の天才的な子もいる。また学力などは平凡だが周りに気を配る天才もいる。甘え上手な子もいる。学童は千差万別な子どもの集団と言える。
*)浪曲に「石松三十石船」という演目がある。大阪の八軒家から淀川を遡上して京都の伏見へ渡す三十石船(米を三十石積める大きさの旅客船)に乗り込み、石松は寿司を肴に酒を飲んでいると、乗合衆の噂話が聞こえてくる。海道一の親分は誰かという話題に神田生まれの江戸っ子が次郎長の名を挙げたのがうれしくて石松は彼に酒と寿司を勧めた。この場面は「江戸っ子だってねえ」「神田の生れよ」「寿司を食いねぇ」のセリフと共によく知られている。清水次郎長が海道一の親分でいられるのはいい子分が揃っているからだという江戸っ子に石松は子分の中で誰が一番強いのか尋ねる。一番は大政、二番は小政ときて、大瀬の半五郎、増川の仙右ヱ門、法印の大五郎となかなか自分の名前が出てこないのに石松はだんだん不機嫌になっていく。しつこく尋ねる彼に「下足番じゃあるまいし」と素っ気なく答える江戸っ子にとうとう堪忍袋の緒が切れた石松は振る舞った酒と寿司を取り上げて「誰か一人忘れちゃいませんか」と大騒ぎ。江戸っ子が再度暗誦すると「大政、小政、・・・そうだ遠州森の石松」。やっと自分の名前が出てきて大喜びの石松に江戸っ子が「強いにゃ強いがあいつは馬鹿だからなぁ」というのがこの浪曲のオチである。
第64回「免疫力」(2020年3月28日)
昔の話
昭和30年代東京オリンピックをアジアで初めて開く五輪として日本中が盛り上がっていた頃、我が家もたくましく生きていた。
私が小学生の頃はビー玉遊びが全盛期だった。このビー玉遊びは相手のビー玉を当てるのであり、当たれば当たった方がその対角線上に飛ばされる。するとビー玉はドブに落ちる(当時のドブは排水を目的とした溝状の水路である)。とぎ汁やニンジンなどが流れてくる。家の前のドブ浚い(どぶさらい)は各家の責任なので、無責任の家の前のドブはヘドロ状になっている。そこに相手のビー玉が落ちても自分のビー玉となるので平気で手を突っ込む。それをポケットに入れてまた遊ぶ。せんべいをばあちゃんが持ってくると皆で食べる。手を洗う暇などない。食べたらまたビー玉。ポケットの周りは泥だらけ。ばあちゃんはそれを見ても怒らないし注意もしない。よくもまあ病気にならないで済んだものだ。
転んで傷ができてもばあちゃんが唾をつけて終わりだった。白い泡をふくオキシドールより効果ありと教えられていた。喉が痛ければうがい薬ではなくネギを首に巻いて寝かせられた。風邪をひいてよかったと思うのは、ばあちゃんがりんごを布巾で絞って作ってくれたりんごジュースを飲めることだった。
ばあちゃんは明治の女なので強かったが、お袋は戦争をくぐりぬけた女だったからもっと強かった。戦争でアメリカのグラマン戦闘機が川崎に墜落した時、低空を滑走する際、ほうきをもって追いかけたという女だ。
ある時食事中にゴキブリが出た。当時のゴキブリは図々しく明るい所でも出没した。新聞紙をまるめてやっつけるのが常識だが、そんなゴキブリにとっての常識は我が家では通じない。新聞紙を丸めているうちに敵は逃げてしまう。子ども達が騒いでいる時にお袋は素手でゴキブリを叩きつぶした。唖然として見ていた我々の前でごみ箱までゴキブリを運んで捨てた。さすが戦争を経験した女だ。問題はその後だ。当時はティッシュというものがないので、ティッシュで手をふくこともなく、ただゴミ箱の上で手を叩き敵の残骸を散骨しただけで、その手で私の茶わんにご飯をよそった。いまでこそぞっとする光景だが、当時はすごいなぁと感心するだけだった。
当時の家は長屋を改造したもので屋根裏は通じている。ネズミの運動会が毎日行われている。あの音は実際に聞いてみないとわからないと思うが、トムとジェリーの世界だ。猫いらずなどの対策はしていたようだが、どこでどう察するのかなかなか食べない。やはりネズミ捕りが一番だ。捕獲した後の処理はご存じだろうか。100%水死である。近くに用水があるのでそこにネズミ捕りごと紐をつけて沈めるのである。5分間くらいつけたらネズミは死ぬ。そしてゴミと一緒に捨てるのである。当時は分別の必要はなかった。
子どもの頃はドブ、ゴキブリ、ネズミなど非衛生的な世界が広がっていた時代だった。だから我々の時代の子ども達は少しくらいのバイキンなら自然治癒の範囲だった。
インフルエンザの遺伝子異常であろうコロナウイルスに戦々恐々としているのは、人類が弱くなったのだろうか、それともウイルスが強くなったのだろうか。考えさせられる今日この頃である。
第63回「ケガの予防には」(2020年3月21日)
スポーツの話
先日の練習で転んで足首を痛めた選手がいました。後続ランナーとぶつからないようにダッシュの後、急な角度でフィールドに入ったことによる転倒です。翌日の病院では靭帯損傷とのことで3週間の安静が必要とのことでした。
一般にスポーツのケガには今回のケースのように1度で大きな力が加わる事で起こるものと小さな力が繰り返し加わる事で起こるものがあります。前者は一般的にスポーツ外傷、後者はスポーツ障害と呼ばれます。
それは、スポーツをする人なら当たり前のように繰り返す動作によって加わる力です。
1.野球選手が何十回・何百回と繰り返すボールを投げると言う動作。
2.バレーやバスケの選手が何百回・何千回と繰り返すジャンプと着地動作。
3.サッカー選手が何百回・何千回と繰り返すキック動作。
4.陸上競技ならランニング動作、つまり何百回・何千回・何万回と繰り返す、地面を蹴って身体を前に運ぶと言う動作。
これらを繰り返す事でケガが起こるのです。これだけを聞くとスポーツ動作自体がケガの原因? と言う事になります。では、スポーツをしている人がみんなケガをしていますか? 答えはNO です。
ケガをするには繰り返し行う動作の中にちょっとした問題がある場合が多いのです。
このちょっとしたクセや個性を形づくっているものは、関節の硬さや柔らかさ、微妙な骨の配列の違い(O脚やX脚など)、筋力の強さや弱さ、それまでの運動経験、育ってきた生活環境……と様々です。
同じチームで同じ練習をしていても、痛みの出る選手・痛みの出ない選手がいます。どこのチームにも必ずと言っていいほど故障の多い選手がいると思います。ケガの多い選手・ケガの少ない選手 この違いは何でしょう?
筋肉・腱・骨・靱帯など組織の強さの差は1つの要因として考えられます。少々の力を加えても平気な関節や・筋腱を持つ選手もいるでしょう。長時間走るとふくらはぎが疲れる人がいれば、向うずねの前側が疲れる人もいます。脚よりも先に腰が辛くなる人もいます。腰よりもう少し上の背中が辛くなる人もいます。
ただ、走ると言う運動だけでも、人それぞれ負担のかかる場所は違ってきます。
だから、バンビーニ陸上クラブでは入会してすぐに腕振りや前傾姿勢や膝の上げ方などを徹底的に直します。正しい姿勢が体に優しいのです。速い選手に奇抜なフォームで走る人はいません。愚直に正しい姿勢で走ることがケガをしない面でも重要です。
以前ドナルドダックのようなガリ股で走る選手を指導したことがあります。静止の状態でつま先が外を向いているのです。空手をやっているためガリ股になっているとのことでしたが、指導困難な選手でした。基本のモモ上げができないし、ストライドを伸ばせないのです。あのままやっていたらいつかケガをしたでしょう。お母様に報告するのは辛かったのですが、空手に専念してもらうことにしました。
第62回緊急報告「コロナウイルス下の学童の状況」(2020年3月14日)
学童の話
いま話題の学童について実態を報告する。春休のシフトは先月決定していたが、今回の休校につては他の学童と同じく準備していなかった。緊急事態なのでスケジュールについてはすべて対応すると学童には申し上げ、国家存亡の時だと意気込んでいたが、実際は拍子抜けだった。
実際に対応した3月2日~13日については、児童の出席率が思ったほど高くないのだ。普段だと定員31名のところ24~30名が出席するが、今回の休校対応においては12名が平均の出席数である。
子どもを学校が預かる場合でも通常の学童の登室時間(だいたい14時頃)には子供を帰す。この14時過ぎに来る子をあわせても14~15名ほどにしかならない。
この会社の他の児童クラブ(5つくらいあるが)はもっと少なく、それぞれの平均出席数は3~10名である。
これは親が学童での感染を嫌って親戚に預けたり自ら対応していることが主な理由である。
確かに学童では2m間隔で生活するのは無理だ。また、自由時間では子ども達がストレスのせいか私にまとわりついてくる。すくなくともこの学童で感染者が出たら「高齢で持病あり」の私が真っ先に重篤な患者となるであろう。
今週でイレギュラーシフトは終わりかと思ったが、また来週も続く。昼間は室内をアルコール消毒、帰宅したら胃の中をビールやウイスキーでアルコール消毒。アルコール漬けの毎日である。困ったものだ。
第61回「昭和の音色」(2020年3月7日)
昔の話
昭和(30年代)には音が織りなす世界があった。
「あっさり、死んじめぇ」としか聞こえない売り声は朝の定番(本当は「あさり、しじみよ」)。味噌汁に入れる具を売りに来たのだ。夕方はプープー♪と鳴る豆腐屋のラッパが「トーフー」と聞こえ、決まって2丁の豆腐を買いに行かされた。夏の日には「キンギョ~~やキンギョ(金魚や金魚)」の声が聞こえる。金魚屋はリヤカーにたくさんの金魚を積んで自転車で引っ張ってやって来る。その際水がバシャバシャと動いていた。あんなに水が動いたら金魚死んじゃうよと思っていた。後でわかったのだが、このおかげで空中の酸素が水の中に入ってポンプなどの高額装置が不要だったのだ。
ボンという爆弾の音が聞こえると、爆弾屋というポン菓子職人が来た証だ。爆弾屋のおじさんがリヤカーを引いてやってくる。子どもにとっては物々しい装置が荷台にある。荷台の真ん中に鎮座した大砲のような物がまさしく爆弾あられを作る機械なのだ。荷台にはその機械と大きな網(針金の網で出来ている)と薪、材料や色々のものが積まれていた。当時あられの購入方法は変わっていた。支払いはお金ではなくお米であった。まさしくそこは「米本位制」の世界だった。お米を持っていくとそのうち何割か取られて残りをポン菓子にしてくれる。おじさんの目分量だから2割から4割とられる。いいかげんなのだが、子どもはお菓子が食べれればいいので気にしない。味付けはサッカリンだけだった。しかし、甘い物のない時代のおやつには持ってこいだった。親もお金ではなく家にあるお米でいいので気軽に子どもに渡した。
しかし、いくら存在意義や文化の担い手と持ち上げようとも、おじさんにとって紙芝居はあくまでも飴や駄菓子を売るための道具にすぎなかった。紙芝居を見る前に飴かソースせんべいを買う。口の中で飴を転がしている子どもかソースせんべいを食べている子供以外はそばに寄せない。「シッシー、あっち行け」なのだ。お金のない子は遠くからかあるいは斜めから見るしかない。誰も同情はしない。自分だけがよければいいのだ。子どもはとかく残酷だ。
三橋美智也や三波春夫といった演歌歌手が多かった時代だった。子ども用の曲として三橋美智也は「快傑ハリマオ」を歌っていたので彼のレコードが流れると何はともあれ飛出しって行った。
この型屋というのは、粘土を型に押し込み型から取り出し、色のついた粉をつけて出来バイを競うのだ。いいか悪いかはおじさんが決める。これは5点、これは10点、として今でいうポイントがもらえる。紙におじさんが赤鉛筆で書いたそのポイントを集めると、100点はAという型を、200点だともっといいBという型をもらえる。ポイントを貯めるためには何回も粘土と変な粉(金色や銀色などキラキラしたものだ)を買わなければならない。1回毎に申請でき、その作品におじさんがポイントをくれるからだ。高いポイントをもらうには大きくデザインのいい型が必要であった。タコやねずみのような単純な型では芸術点は5点が精一杯だった。やっと100点貯まったので、今度おじさんが来たときにポイント分の型と取り換えてもらおうと公園で待っていたが、もうそれっきりおじさんは来なかった。毎日毎日「岸壁の母」の気持ちで待っていたが、いつしか自然にあきらめた。
楽しくも切ない昭和の路地裏物語があった。
第60回「子どもごころ」(2020年3月1日)
学童の話
ママゴトの話の中でいつも犬役の子(第46回「映し鏡を参照」)に「なぜいつも君は犬役をするの?」と尋ねた。すると「だって、先生、犬になるとママが優しくしてくれるからだよ。僕には勉強だとか躾だとかで厳しいのに犬のキャンディにはいつも優しいんだ。怒ったことがないのさ。だから僕はママゴトの時はキャンディになりたいの」という答えが返ってきた。なるほどそうか、彼はママゴトで犬に成り下がったのではなく犬に成り上がったのだった。
人が遊んでいると割り込んでかき回してどこかに行ってしまう。学校の先生に悪態をついて授業が進まないことを決して子供たちはゆるしていないのだ。
A男を家に入れドアを閉める時、片隅に大きな男物の靴が置いてあるのをねえさん先生は見逃さなかった。
第59回「Simple is best」(2020年2月23日)
長距離は心肺系の強化やレースの戦略、ラストスパートなど様々なファクターがこの公式にプラスされるため、簡単には表現できませんが、100mにおいてライバルに勝つ方法は単純に「歩幅を大きくして、回転数を多くする」ことなのです。
野球や柔道など対戦するスポーツと違いあまりにも単純な理屈のため、「じゃどうするのよ」といった疑問が出ます。単純明快な理論には地道な基本練習が重要なのです。短距離の練習の中で基本中の基本は「モモ上げ」です。
モモ上げの練習というのは大腰筋を鍛えることができ、スタートダッシュの動きをスムーズにするために必要な筋肉の一つになります。大腰筋というのは足の骨から背骨のあたりをつなぐ筋肉で、足を上げる際に重要な筋肉でもあります。モモ上げをすることによって、片足を地面に接地している際に逆足を上げる動作がより動かせるようになるため、ストライドが伸びやすくなります。また、走る際に重要な要素の一つであるピッチを高めるのにもモモ上げは有効です。これはより速い動作でモモ上げを行うことにより、より高い効果が期待できます。モモ上げを高速でできるようになると両足それぞれの動きが速い動作に慣れていきます。そうすると、それぞれの足で地面を接地する際に、無駄な力が抜けたような、より地面を捉える感覚が洗練されていきます。結果、ピッチが速くなりやすくなるのです。
モモ上げは地面を捉える際に必要な感覚である地面反力を鍛えるのに有効な手段なのです。地面反力とは地面に力を加えたことに対する反発のことです。私たちは走るという動作に限らず、歩くなど、日常生活の中でも常に地面に力を加えながら生活しています。そして、考えてみれば単純な話ですが、重い物体は軽い物体よりも地面に落ちた際の地面へ加えるパワーが大きくなります。また、その分だけ地面から反発する力も大きくなり物体も大きな力をもらえます。速く走るためにはより大きな力を地面に加えただけではダメで、その加えた力の反発を地面から上手くもらうことで、走りは加速していくということです。モモ上げという練習は地面に加えた力を、反発力という推進力の形で体に受ける感覚を身につけるための練習なのです。おデブちゃんはガリちゃんよりはやく走れるはずなのです。
第58回「テレビ」(2020年2月17日)
昔の話
インターバルの話は古いと家内に言われ、しょげてしまいました。でも、時が経つにつれ「俺が昭和の語り部になる」と思うようになりました。時々昔の話をしたいと思います。内容が思い出話ですので「である」調で語っていきたいと思います。お聞き苦しいと思いますが、よろしくお願いします。
「大正テレビ寄席」という番組では三遊亭歌奴がお客と喧嘩したのが映っていた。ビデオ撮りではない生放送だからどうしょうもないのだが、お客が歌奴の人気ネタ「授業中」(これについては第17回「山のあなた」をご参照ください)について「同じことばかりやるなよ」とヤジを飛ばしたことによる売り言葉に買い言葉的喧嘩であったが、歌奴は怒って帰ってしまった。TVの編成局はあわてただろうな。週刊誌もとりあげなかった。おおらかな時代だった。
TVの操作について。昔はリモコンなんかなかった。チャンネルを回すしかない。寝ながら見ているとチャンネルを替えるのに起き上がっていかなければならないから、妹がテレビの前を通るのを待って声をかける。人間リモコンだ。入山家ではチャンネルの回し方も決まっていて常に右回りだ。1チャンネルのNHKを見て10チャンネルのテレビ朝日をみるのには時間がかかるのだ。左に回せばすぐなのに、日本のネジは右ネジだからチャンネルを回すのに右回りならはずれないという教えがあるからだ。理屈など関係ない。親父が右と言えば右なのだ。今から思うと可笑しくなる。しかし、親父の教えでも、このチャンネルはよくはずれるのだ。妹が大きくなると私と喧嘩した時はこのチャンネルをはずして部屋に持っていってしまう。仕方ないので残ったネジをペンチで回してチャンネルを替えた記憶がある。
第57回「横のスポーツと縦のスポーツ」(2020年2月11日)
バンビーニの他に水泳クラブに入っているお子さんのお母さんから聞きました。「うちの子は他のお子さんと比べて背が小さいので、最近伸び悩んでいる。水泳は背の大きさが記録に関係し、ひとかきで差が出てくる」と。
水泳と陸上競技の違いをデフォルメしてみますと、前者が「横のスポーツ」で後者が「縦のスポーツ」と言えます。
水泳はスタートと同時に横になります。スタートの脚力が同じなら水に入った瞬間から身長差分の差が出ることになります。さらに自由形なら手の長さも効いてきます。女性で170cmの人と150cmの選手では身長差が20cmでも、横のスポーツである水泳をすれば手の長さの差7cmが加わり27cm差となります。*)資料1
一方陸上競技は「縦のスポーツ」ですから、身長の差は関係ありませんが、股下の差が関係してきます。通常身長170cmの人と身長150cmの人の股下はそのまま計れば5cmの差があります。足が前後45度ずつ広げて走ると仮定すると、ストライドの差は12cmの差になります。*)資料2
腕のひとかきを伸ばすのは至難の業ですが、ストライドを伸ばすのは努力すればできます。小学生の頃の身体的差は水泳の方が大きいのです。
また、横のスポーツである水泳は浮力があるため、中学生でも活躍できます(当時中学生だった岩崎恭子さんがバルセロナで金メダルをとりました)が、若い人がどんどん出てくるため、精神的な強さがつく前に「燃え尽き症候群」になる場合が多いのです。陸上競技では地面を蹴る力や腕振りの筋肉をつけるのには時間がかかるため、高校生以下がオリンピックで優勝したことはありません。強くなるためには長い年月が必要で、その間に精神的なタフネスさが身についてきます。水泳より陸上の方が、努力が報われるスポーツと言えます。陸上に専念すべきです。
<資料1>
身長170cmの女性と身長150cmの女性では平均肩幅に差があります。
身長170cmの女性は肩幅38cm、身長150cmの女性は肩幅33cmです。一般的に両腕を広げると身長になると言われていますので、身長から肩幅を引くと、
①身長170cmの人は132cmですから2で割って66cmが腕の長さになります。
②150cmの人は同様に考えると117cm÷2=59cmが腕の長さに なります。
すると、身長で20cmの差が水の上では20cm(170cm-150cm)+7cm(68cm-59cm)=27cmとなります。
参考データ
身長(㎝)肩幅(㎝)
150 33.0
155 35.2
160 36.3
165 37.3
170 38.0
→kirari「肩幅の平均サイズ」より
<資料2>
股下のデータは日本人女子の平均である45%として計算しました。
身長 股下
150cm 68.0cm
155cm 69.8cm
160cm 72.0cm
165cm 74.3cm
170cm 76.5cm
→Celestia358「股下座高の平均」より
蛇足ですが、藤原紀香さんは 身長 171cm 股下 88cm、ローラさんは 身長 165cm と小柄ながら 股下は 83cm あるそうなので、彼女らが陸上競技をやっていたらと面白かったと思います。
第56回「九九と漢字」(2020年2月1日)
学童の話
小学2年生になると掛け算が始まる。学童では勉強については深くは追及しない。勉強は学校と塾に任せこちらは宿題のお手伝いだけだ。新人の教師は肩に力が入ってしまい遊ぶ時間に食い込んで教えている。ここはアメリカと同じくチャイムが鳴ったらあと少しで終わるところでも、終わりにしないといけない。もっともこの学童ではチャイムなどはなく、できる子の「時間だよ」の一声がその代りとなる。
掛け算で気づいたことがある。九九の勉強は、1~9まで言うのを間違ってないか聞くだけだが、8x5=40、8x6=48、8x7=56・・・に違和感があり、咄嗟に答えが出てこない。どうも私は5x8=40、6x8=48、7x8=56と覚えているようだ。調べてみると九九は前の数字が小さく掛ける数字は大きくないとできないようで、無意識のうちに数字を入れ替えていることに気付いた。特に6の段以上は必ず入れ替えている。だから早口で6の段以上を言われると無意識に入れ替えているうちに子どもの九九が終ってしまい、正誤の判断ができなくなってしまう。
さらに、私には大きな欠点があった。子どもの頃のいいかげんさから、日本語の基礎ができていない。書き順がデタラメで黒板で書くのが恥ずかしい。今ではもう何が何だかわからない。まだ小学生低学年では指摘されないが、自分の姓名が出てくるとうるさく言われる。皆に大声で「イリ、田邊の邊の書き方が間違っているよ!」と言われる。冗談じゃない「田邊」の字は難しくスラスラ書けるわけがない。そう言えば、家内が旧姓濱田なので手紙を送る際「浜田」と書いて、何度も指摘されたのを思い出した。
漢字で大人になるまで勘違いしていたのが「自暴自棄」という言葉。ずっと「自爆自棄」と思っていた。もちろん発音も文字通りの発音をしていた。その他「止血」を「とけつ」と読んでいた。学童に勤務するようになって、急に恥ずかしくなってきた。いつか時間が取れたら漢字を勉強しよう。
親父ギャグについて子どもからお説教された。地球儀でいろいろなところを説明する際「マダガスカル島でまだ助かるどう」「ロシアの殺し屋は恐ろしあ「これ誰の?おらんだ(オランダ)」と言っているうちは良かったが、「御食事券の汚職事件」とか「厚揚げをカツアゲ」や「草刈ったら臭かった」「卓球で脱臼」と調子になったら、小4の女の子から指摘された。「だから年寄りはダメなんだよ。親父ギャグばかりでつまらない」「・・・じゃお聞きしますが、親父ギャグと子どもギャグの違いって何なの?教えてよ」「それは、聞いてすぐ笑えるのがギャグ。親父ギャグは説明を聞かないとわからない。解説付きのギャグではつまらない」そうかと納得。そう言えば初代林家三平が、笑い話がウケないと「今何がおもしろいかというと・・・」と解説して大笑いしたことを思い出した。時代の流れかな?
第55回「歌は世に連れ世は歌に連れ」(2020年1月27日)
「青春とはなんだ」「これが青春だ」などの青春ものは学生の頃です。そのシリーズものの主題歌で青い三角定規の「太陽がくれた季節」がヒットしました。その歌はまさに陸上部での思い出に他なりません。当時部員に歌わせました。絶対服従だから嫌という生徒はいません。今では考えらない世界でした。
現在子供たちは塾などに忙しく私の頃に比べ余裕がありません。その合間を見てバンビーニ通ってくれています。歌を聴くことは少ない中、思い出の曲は何になるのでしょう。また、その曲を聴いてバンビーニのことを思い出してくれるのでしょうか。いつの日か一緒にお酒が飲めるようになったら、聞いてみたいものです。
第54回「鶴の恩返し」(2020年1月20日)
日本昔話
おじいさんが山で柴刈りをした帰りに、沼の近くで猟師の罠にかかって苦しんでいる鶴を見つけました。おじいさんは鶴を罠からはずし逃がしてあげました。するとその夜、旅の途中で道に迷ったと言ってかわいい娘がやって来ました。おじいさんとおばあさんは困っている娘を家に入れてあたたかいお粥を食べさせました。娘はこれからどこにも行く宛がないというので、それならわしらと一緒に暮らそうと言うことになり、娘はおじいさんおばあさんの家で暮らすことになりました。
翌朝、娘は糸を持って機織り部屋に入り、しばらくするととても美しい布を織って出てきました。おじいさんはこれを町で高い値段で売ってお米や味噌を買うことができたのです。その晩もその次の晩も娘は布を織り、おじいさんは町へ売りに行ったのでした。
娘は機を織る間は覗かないでくれというが、日増しに娘がやつれていくので、おじいさんとおばあさんは心配してついに機織りしている娘を覗いてしまいました。
部屋の中には夫婦の着物や道具を風呂敷に包んで肩にしょった娘がいました。娘は「私はツルではありません。私はサギです」と言って、両手を広げて鷺(サギ)の姿となり、呆然とする二人をそのままにして空へと帰っていきました。
1.部屋の中にはやつれた顔で寝ている娘がいました。娘は「私はツルではありません。私はガンです」
2.娘は屋根伝いにピョンピョン走って逃げていきました。ツルだとおもったら娘はトビだったのです。
3.娘は箪笥や火鉢をドンドン運び出している、ツルだとおもったら娘はペリカンだったのです
4.パソコンでフェイクニュースを流していました。おじいさんは娘に問い詰めました。「お前はツルかい?」「いぇ ウソです」
おじいさんが山で柴刈りをした帰りに、沼の近くで猟師の罠にかかって苦しんでいる鶴を見つけました。おじいさんは鶴を罠からはずし逃がしてあげました。するとその夜、旅の途中で道に迷ったと言ってかわいい娘がやって来ました。おじいさんとおばあさんは困っている娘を家に入れてあたたかいお粥を食べさせました。娘はこれからどこにも行く宛がないというので、それならわしらと一緒に暮らそうと言うことになり、娘はおじいさんおばあさんの家で暮らすことになりました。
翌朝、娘は糸を持って機織り部屋に入り、しばらくするととても美しい布を織って出てきました。おじいさんはこれを町で高い値段で売ってお米や味噌を買うことができたのです。その晩もその次の晩も娘は布を織り、おじいさんは町へ売りに行ったのでした。
娘は機を織る間は覗かないでくれというが、日増しに娘がやつれていくので、おじいさんとおばあさんは心配してついに機織りしている娘を覗いてしまいました。
するとそこには一羽の鶴が自分の体から羽を抜いて布に織り込んでいたのです。
娘は二人に気がつくと、「隠していても仕方ありません。私はおじいさんに助けられた鶴です。ご恩を返したいと思い、娘になっていましたが、正体を見られたのでもうお別れのときです。」と言い、一羽の鶴になって空に舞い上がりましたとさ。
小学生のコーチに鶴の恩返しはないと悟っています。陸上競技で花開くのは高校大学に行ってからです。その時はその学校の監督やコーチに心酔しているでしょうから、きっと忘れ去られてしまっているでしょう。そんな殺生なと言っても「私はツルではありません。あなたのことは最初からひとつも頭に入っていません。なぜなら私はシジュウカラなのです」という答えが返って来るだけです。おあとがよろしいようで。
<解説>
ガン(雁):癌、トビ(トンビともいう):鳶(とび職)は高所での作業を得意とする職人、ペリカン:引越しのペリカン便(日本通運)を指しています、ウソ(鷽):スズメ目阿戸理アトリ科ウソ属に分類される鳥類の一種、嘘にかけている シジュウカラ:始終空とかけている
第53回「だまされたぁ~!」(2020年1月13日)
私が高校生の頃、新橋を歩いていたら、テキヤのおじさんから声をかけられました。「おい、あんちゃん、いいものあるから見て行け」と。そこには憧れのアディダスのバックがあったのです。当時5000円していたのが2000円でありました。安いなあと思ったが、手持ちはギリギリ2000円です。購入したら亀有駅まで帰れるかその時は不安でした。そのため、なかなか決断できませんでした。テキヤのおじさんはきっとイライラしていたのでしょうね、「おい、いくらあるんだ?」「1500円」「じゃ、いいよ1500円で」なんか得したような気がしてしまい購入してしまいました。
翌日学校に持っていき級友に自慢しました。何人もの友達が褒め称えてくれました。買い物上手だとか目の付け所が違うとか。しかし、冷静な1人が私に質問しました。「入山、それ本当にアディダスか?」「だって、三つ葉のマークも字体もホンモノじゃないか」「いや、俺にはアディドスとしか読めないのだが・・・」言われてみてよく見ると何と「adidas 」ではなく「adidos」とバックにはプリントされてあったのです。それに気づき皆は大笑いしました。私も笑うしかありませんでした。その時、テキヤのおじさんはアディダスとは一言も言ってないことに気付きました。よく考えてみると「いいものがあるよ」としか言ってないのです。捨てるほどの男気もなかったので、「ま、アディダスのバックと言わなければいいか」と卒業までひっそりと使いました。
中学生の頃は先生に騙されました。体育教官室に呼ばれ「入山、いいか水泳で黒人選手がいないのはなぜかわかるか」「わかりません」「黒人の選手は比重が大きい。だから水に入ると沈んでしまうのだ。メラニン色素が重いからだ。日焼けすると体重が増え、走りが遅くなる。だから夏休みプールは禁止だ」という指示に納得してしまったのです。野球部のエースも同じ内容で説得されてしまいました。こうして2人は中学3年生の夏、楽しいはずのプール遊びをしていないのです。
今、この恩師に抗議するつもりはありません。筋肉を冷やしていいものでもないし野球部のエースも私もすぐ木に登るタイプだから自制は必要だったと思いますが・・・・
さて、大人になった私は、今度は子どもたちを騙す場合がある、ことを事前に宣言しておきます。
1000mを3分30秒が切れない子に対し、記録会で3分29秒8を作り出すことがあります。大会2週間前ではもう練習は限られ、あとは精神的なものしか残っていません。ならば気持ちよく大会に押し出すために1000mの記録会で私がストップウオッチを早く押すことがあり得ます。3分30秒2と3分29秒8では本人の心の響きが違います。たとえ3分30秒2が正しくても3分29秒8と錯覚して大会に出た方が、効果が大きいのです。通常は嘘や騙しはいけないことですが、時と場合によっては堂々と大胆に使わして頂きます。それで子供たちの記録が伸びるのならいつでもテキヤのおじさんになります。実際友達に指摘されるまでなんとツイテいる男だと思っていたのですから。
第52回「子どもの食べ方」(2020年1月6日)
学童の話
もう子育てしてずいぶん経つせいか(こう言うと、家内は「あんたは何もしていない」と冷たく言い放つので、家では決して言わない)、子ども達に驚かされることがある。今回はその食べ方について驚いた。決して全員がそうしているわけではないが、そういう子は確実にいる。
ケース1:せんべいの重ね食い
おやつで薄焼きせんべいが出る時がある。私の子どもの頃は1枚ずつ味わって食べたが、何人かの子どもたちは一度に薄焼きせんべいを重ねて食べる。一瞬でせんべいのおやつが無くなる。1枚ずつ食べることによって美味しい時間を伸ばそうという気持ちがないのだ。小学生の頃、友達とお好み焼き屋に行って延々2時間ねばったことがある。当時金属カップに1人前ずつ盛られたお好み焼きを水で薄めながらせんべい状態にして美味しい時間を延ばしていた。昔は子どもたちの魂胆を許容する土壌があった。
ケース2:最中の皮とあんこの別食い
子どもたちは最中が出ると皮とあんこを別にして食べる。表蓋を開けあんこだけをうまく食べる。と言っても皮を捨てることはせず、あんこを食べた後皮をゆっくり食べる。同じように饅頭の場合も皮とあんこを別々にして、皮は皮だけであんこはあんこだけで食べる。最中と違って皮が原型をとどめることは少ない。私が福島の柏屋の薄皮饅頭が好きなのは、皮が薄くあんこの量が多いからだが、あんこだけでは食べられない。黒糖の入った皮と一緒だからおいしいのだ。
ケース3:ご飯とおかずの別食い
御弁当の時に気づいたのだが、ある子どもはご飯とおかずを別々に食べるのだ。白いご飯を先に食べ、なくなってからおかずを攻略していく。私の子どもの頃は、食べものは寿司のように食べろと教わった。親父に言いたいのは寿司を食べさせてもらってないのに「寿司のように・・・」と言われても困った。親戚の葬式で食べたことはあるのでおおよそ言いたいことは分かったが・・・要するにおかずとご飯を一緒に食べろということだった。それの方がご飯が進むからだ。
若い時先輩に工場でご馳走になった時がある。その時食堂で頼んだのが「カレーライス丼」である。決して「カレー丼」ではない。つまり、カレーライスとご飯だけのどんぶりが出てくるのだ。カレーライスにあるルーをどんぶりにかけてまず食べる。どんぶりが終わったら、ルーが少なくなったカレーライスを念入りに混ぜドライカレーのようにして食べるのだ。(最初からカレーライスの大盛りにすればいいと思うのだが・・この先輩は他にもカツ丼ライスなるものも注文する時がある。カツ丼のカツを盛り飯の上に乗せて食べる。完食した後カツ丼のタレを利用してカツが1つしか残っていないカツ丼を食べるのだ。我々世代では常にご飯とおかずは対だった)。
ケース4:白いご飯は食べれない
ご飯が嫌いなのかと思ったら、白いご飯は嫌いだがその上にフリカケを乗せれば食べられる、チャーハンやカレーライスやオムライスなら食べるという子がいる。この子の苦手なのは旅行に行った際の朝食だ。旅行の朝食は焼き魚と卵焼きと味噌汁が定番である。これでは白いご飯となってしまうからだ。猫飯は我々世代の考えで決して彼はその行動に出ようとしない。ふりかけを要求するか、母親が事前に買っておくやり方でやり過ごすらしい。
食事の方法については家によって様々な違いがあり、正解は複数あるのだと思う。この子らも大人になったら講釈を垂れる私より必ず大きくなると思う。陸上競技とは違って私の意見が正しいとは限らないのである。
とは言うものの、子どもたちとワイワイガヤガヤ食べるのは楽しくまたおいしいものだ。冬休み子どもたちとお弁当を食べることによって、大家族主義のよさを満喫している。
第51回「宣言効果」(2020年1月1日)
あけましておめでとうございます。
しかし、実際は失敗や挫折してしまい、諦めたまま今まで来てしまった人が多いのではないでしょうか。続かない理由の一つに、モチベーションがあります。
モチベーションは徐々に下がるもので、失敗や停滞があると一気になくなります。そして、続かない理由を自ら作ってしまい諦めてしまいます。喫煙は実は思ったほど体に悪くないのだとか、12月は忘年会があったのでダイエットはできなくても仕方ない、等と。
例えば闘病している少年のためにホームラン宣言をし、実際にホームランを打ったベーブ・ルースの「約束のホームラン」などは、宣言効果によるものともいえましょう。
テスト前には「100点を取る」と宣言して自分を追い込むことによって、実際に100点を取るのはとても難しいかもしれませんが、言った手前後にはひけずに勉強をして、100点に近い点を取ることができるのではないでしょうか。
続かない理由を作れない状況まで追い込むことにより、成功率を上げ、達成できるようになる、これが宣言効果です。
また、自分はできるのだ、自分は夢をかなえる力があるのだと思うことは、自分に対するピグマリオン効果(第28回「ピグマリオン効果」を参照してください)を期待できるのです。
昨年は生意気なことばかり言ってきましたが、今年もよろしくお願いします。
学童の話
クリスマス会での話である。24日夜、子どもはサンタさんから自分のほしいものがもらえるが、そのことを事前にお願いしなければならない。七夕のように短冊に書く子もいれば、ただ念じる子もいる。願いの仕方は子どもによって千差万別だ。お願いポーズも合掌するもの、指を組むもの2種類がいる。
子どもがサンタさんにお願いしているのは、実はそのサンタさんの使徒である保護者に『こういうものが欲しいのだよ。違うものを間違えて購入しないように』と念をおしているのかもしれない。子どもの方が騙されているフリをして逆に保護者を操っているような気がしてならない。子どもは賢いのだ。保護者に直接言うのは懐具合も考えて言いにくい。サンタさんにお願いする形を取ることによって、心が痛まずにお願いできるのだ。ダメな場合は何らかの反応が保護者からある。その時は次善の策に切り替えればいいのだ。
第49回クロストレーニング(2019年12月22日)
バンビーニ陸上クラブに通っていた女子のNが強豪県である長野県のスピードスケートの大会で優勝しました。お母様からの電話では500mでは4位でしたが、1500mでは2分32秒89で優勝したそうです。スピードスケートは長野県、北海道がダントツでその中の長野県で優勝することは意義あることです。何しろ高梨、小平を生んだ県であり、幼児を含めた育成ヒエラルキーがしっかりしている県だからです。スケートのシーズンオフである4月から9月までの条件で通って頂いたのですが、少しはお役にたてたのかな?と思うとうれしい限りです。
スピードスケートでは自転車やローラースケートを取り入れた練習が有名です。橋本聖子選手は夏場の練習で自転車をこいでいました(実際橋本選手は自転車でもオリンピックに出たくらいです。今ではスケート連盟会長の他自転車競技連盟の会長も兼任しています)
今回はこの異分野のスポーツを積極的に取り入れようとする「クロストレーニング」について考えてみたいと思います。
サイクルトレーナーは主に筋力アップの他、心肺機能を鍛えたり、長時間身体を酷使することによって精神力を鍛えたりもできます。さらに大会中にはウォーミングアップやクールダウン時に使用されます。
スピードスケート選手はサイクルトレーナーに限らず、日頃の練習では選手の環境によって、自転車の種類は違いますがサイクルトレーナー、エアロバイク、ピストバイク、ロードバイクなどに乗ってトレーニングをしているのです。
まず第一に、ケガの予防です。
専門種目ばかりやっていると同じ筋肉ばかりを使うことになり、オーバーワークになりやすいので、身体への負荷を抑えてフィットネスレベルを上げるという点に置いてもクロストレーニングは有効です。また、特定の動きが多くなるため、動きにも偏りが出てきます。
例えば野球のピッチャーは片手で投げる動作の繰り返し、サッカー選手は足をメインに使うので上半身より下半身の筋肉を多く使います。このように、一部の筋肉や関節に疲労がたまるとオーバーユース症候群や、じん帯の損傷・炎症などのスポーツ障害を引き起こすリスクが高まります。
陸上選手でケガをした人が水泳や自転車練習に回されるのはそういった理由です。
専門種目で痛めた筋肉を使うわけにいきませんから、別の筋肉を使うトレーニングをするという至極普通の考えです。
ウエイトトレーニングなどの筋トレを行うことも正確にはクロストレーニングです。
専門種目でメインに使う筋肉でなくても時には集中して鍛えなくてはいけません。
例えば走り込み練習の翌日など、足回りに集中して筋肉痛がきても、腹筋や背筋などは筋肉痛にならない場合があります。だからと言って、走りに腹筋背筋を使っていない訳ではありません。高速で走るためには身体がぶれないよう強靭な体幹が必要です。
これらは走っていても鍛えられる筋肉ではありますが、集中して筋トレをした方が効果的に鍛えられるという理論です。
子どもですので、同じことを長期間にわたって繰り返せば、精神的な飽きがきます。また、技術的にも体力的にも上達が足踏みし停滞期に陥ることもあります。日本のスポーツは武士道的な精神修養の一面が強調されるあまり、一つのことに打ち込むことを良しとする土壌があり(第34回「陸上道」をご参照ください)、それは高いレベルの技術を生み出す場合があります。少年野球でもサッカーでも、世界的に見て日本の子供達の競技レベルは非常に高いです。その一方で、高校、大学と年齢が上がるにつれて、燃え尽き症候群やスポーツ障害などの弊害が数多く発生していることもまた否定できません。
(写真左がN選手、右は自転車練習の小平奈緒選手)
<参考文献>
高橋大智氏のHP、FRAMEのHP、αランナーズHP、SPORTIEのHP
第48回「巣立ち」(2019年12月15日)
学童の話
11月22日までの新規応募(2020年4月から)に対し問題児のA男は申し込みをしなかった。猶予期間の12月13日を過ぎたのでもう来期は来ないことが確定した。来年の3月末までは在籍の権利はある。ただ、月謝を持ってこなければその権利もなくなる。
彼の学童での姿を見たのはハロウイン前だったのでかれこれ2ヶ月見てなかった。先週子供たちを公園に連れて行ったとき、彼は友達と車座になってあぐらをかきながら、ポケモンカードをしていた。札の投げ方、札の取り方は堂に入っていた。たばこの吸い方の真似もうまいが、カードで遊んでいる姿は博徒の面影がある。学童で4時間拘束される窮屈さよりいいと思っているのだろう。
母親も女手一つで育てた子なので、我々が彼の所業を訴えても「うちの子は悪くない」の一点張りで、なおかつ最後は「学童の先生は何を見ているのですか、それでも教育者なのですか」と食ってかかる。学童内では悪いことをすれば怒るが、そのことは母親には言わない、が暗黙の了解となってきた(A男は怒られたことを自分からは決して言わない。母親に心配かけたくないからだ)。ウリ坊を見つけて「まあ、かわいい」と抱き上げると、母親のイノシシが猪突猛進してくるようなものだ。ウリ坊を見たら目をそらさずあとずさりして逃げるのが一番だ。見ていて可哀想なくらいの盲目愛はイノシシと同じで逃げるのが得策である。
A男は夏休みの朝母親に学童まで送ってもらい、その別れ際ちぎれんばかりに手を振り、「いってらしゃい」を連呼をする。この母子の固いきずなは永遠なのだろうなと思いつつ、彼の行動が演技でないことを祈っている。ただ、母親を見る限り、退室19時の約束なのに15分~30分の遅刻は平気、19時5分の場合は「セーフ」といって教室に入ってくる人なので、母親の態度や文句は何をか言わんや、である。学童では何回ももめ事を起こしてきたが、ついにそのA男も巣立っていく。
2年前1年生で入ってきたB男は宿題をやりながら寝てしまう子で、歩きながら寝る強者である。学童ではいろいろな子に逢ったが、彼はナルコレプシー(*)なのである。
学校でも寝ているらしい。学童では宿題の途中で寝たり、連絡帳を渡す際座って待っている間に寝てしまう。歩きながら寝たのは、おやつ後のお腹休めの時間に寝てしまい、散歩の時間になったので子供たちに起こされて、仕方なく外に出たのだ。様子が夢遊病者のようなのでおかしいと判断して、手をつないで出発したら10歩と歩かないうちに膝がガクンとしていた。明らかに寝たのである。公園に行くまで5回も膝を折った。
家で「お休みなさい」と言ってから自分の部屋で遅くまでYouTubeを見ているという。当時ニュースは北朝鮮のことが多かったので、朝鮮語が飛び交っているのを見たのだろう、朝鮮語を流暢に話す。正しい文章かどうかは問題ではなく、その話があたかも朝鮮語のように聞こえるのである。昔オヤジギャグとして「足臭せよ」→「アシクセヨ」→「아시쿠세요」と朝鮮語もどきを話してウケたことがあるが、そんなもんじゃない。本物のように1分間しゃべれるのだ。だから、可愛かったし、表情が豊かで愛着があった。学童内に白けた雰囲気が出た場合、B男に振ればおもしろい回答が返って来た。場をなごませる男として重宝していた。
しかし、1年前問題児のC男が入ってきてから雰囲気が変わった。C男はいろいろな事情があり、同情すべきことが多かった。だから、教員の間ではC男にエネルギーが偏り、B男に接する時間がなくなっていった。そのため、B男はC男に対し意地悪をしたり、中指を立てて侮辱したりするようになった。きっと、今までの自分に対する愛情を取られたような気がしたのだろう。自分にとって代わったC男のことは気に入らなかったのだと思う。ところが相手が悪い。C男は背も高く、頭もいい、さらに自己主張も強い(キレる傾向でもある)。意地悪されたり、物を壊されたりすれば、すぐ言いつけに来る。その度にB男は我々に呼び出され反省させられる。こうしてB男の反乱も3ヶ月で終わった。
その後にとった彼の行動は意外なものだった。連絡帳渡しや宿題の際、人一倍大きな声でかつわけのわからないことをつぶやき、ねえさん先生に怒られる。皆も「またか」とげんなり。彼は怒られることによって我々の歓心を買おうとしていたのである。大人しくすれば我々に怒られないが、声もかけられないより怒られても声をかけてもらいたいと思ったのだろう。彼のとった態度は涙が出るほどいじらしい行動なのだ。そのB男も親父さんの転勤で今月でやめる。
A男、B男が去っていく。教育現場ではよくあることだ。今度はC男が我々に立ちはだかる番かと思う。心しなければならない年を迎えることになりそうだ。
*)ナルコレプシーは、
日本語では「居眠り病」といわれる、睡眠障害の一つです。ナルコレプシーのいちばん基本的な症状は、昼間に強い眠気がくりかえしておこり、どうしても耐えられなくなってしまう「日中の眠気」です。
もちろん、日中の眠気は、前夜の睡眠不足のときや食後などの条件によっては誰にでも起こりますが、ナルコレプシーの場合、よく眠っていても空腹でも関係なく眠気がおそい、また毎日くりかえして眠くなり、しかも一日に何度もおこり、それが最低3ヶ月以上続くというものです。(認定NPO法人日本ナルコレプシー協会HPより)
第47回「子どもの脚質」(2019年12月10日)
第43回「ヒーロー」でもお話しさせて頂いたように、2019年埼玉チャレンジカップで子ども達が1人を除いて全員「ポケット」状態になり、思い描いたレースにならなかったことがあります。子ども達は大人しく黙々と練習をするタイプのため(相手を押しのける気性ではないため)、600mではスタートの出遅れは致命的でした。改めて子供たちの性格を見極めたレース展開をすべきだと思いました。
*)「ポケット」:スタートで出遅れると前にも横にも動けずしばらく後方に位置する状態
脚質は大きく分けて
(1)逃げ
(2)先行
(3)差し
(4)追い込み
(5)自在
の5種類です。
もう一度記述しますと、脚質を決めるのは、主に馬の精神面(気性)と走行能力(脚力)です。
1.精神面について詳しく見ると、
他の馬より前に出ようとする闘争心、最後まで諦めずに走る粘り強さ、騎手の指示に対する従順さ(折り合い)、馬群の中でレースをしてもひるまない図太さなどがあります。
2.走行能力について詳しく見ると、
脚の速さの他にスタート直後の加速力・瞬発力やレース終盤での瞬発力、持久力などがあります。
精神面では、遅くなっても抜かれても「くやしくない」のです。まだ、他人と争うことを知らないのです。走行の能力の面では、驚くことに全力走ができないのです。脈拍を計ってもレース前とレース直後とダウン前と脈拍数が変わっていない子がいます。全力走とは何かを教えるということがまず必要です。極端なことを言えば、犬を子ども達の前で放して追いかけさせればきっと全力走をします。転んだり、動物に対する極度の怯えなど情操教育上よくないのでしませんが、やってみたい衝動に駆られます。
バンビーニ厩舎の牝馬たちの中では
「逃げ」で成功したのがIです。一人で抜け出しそのままゴールしました。1度もトップを譲りませんでした(越谷カップ)。勝ち気ですが優しいので競ったら押しのけるか譲るか微妙な動きをするので「逃げ」がよかったのでしょうね。
「先行」を得意とするのがNです。しかし、この子の真骨頂は「自在」です。「先行」は周りの子が遅いことが多いので仕方なく前に出てしまうからです。相手によって戦法を変えられる自由度があり、真に強い馬です(彩の国クラブ交流大会)。川口マラソンではRが先行の脚質を持っていました。先頭はあの田口倖菜さんなので、途中で2位狙いに変えました。
Sはスピードがあるため「差し」の脚質でうまく先頭集団についていけば成功することができます。先行する集団がスパートする前に、あるいはスパートする際に反応よく前に出れば勝てます。
一方、牡馬たちは全般的に気が弱く馬群の中でレースをするのを嫌うのが5年生のT,YやZです。気の弱い逃げ馬はペースの緩急をつけるのが苦手で単調なペースで走ることが多く、彼らに共通の課題でもあります。他の馬に追いつかれた途端に気力をなくしてしまうことも多く、今後の練習では先行の脚質練習をさせ、精神(気性)を変えさせていければと思います。
逆にKやTという子は低学年ながら根性があり「先行」タイプでもありますが、もう一度伸びる二の脚を使い、最後に後続を突き放して勝利することが多いのです(越谷カップ)。
先週、今年最後の大会である川口マラソンでは私が大ポカをやらかしてしまいました。
第38回川口マラソンでNがずっと先頭を走り1位で競技場に入ってきましたが、最後に同タイムで差し切られました。ゴールの際、私はいつも胸を出してフィニッシュしろと教えています。ルールでは、頭でも足でもない、ゴールは胴体がゴールラインに到達した時だからです。ところが川口マラソンは足に記録用のチップをつけてこれがセンサーに感知された時がゴールなわけです(他の大会ではゼッケンにつけるタイプもあります)。
どういうことかというと胴体がゴールラインに到達しても足がゴールラインに届いていなければ(考えられる例としては倒れ込んだ時です)、まだゴールではないのです。このことをNに教えていませんでした。川口マラソンの「ゴールの仕方」はゴールの際足を前に出すことなのです。もう一つポイントがあります。チップは1つのため右足につけるか左足につけるかは個人の自由です。自分のつけた足を覚えていて、つけた足を前に出すのです。
Nにはかわいそうなことをしてしまいました。ルールを熟知することはコーチの責任です。またそれを伝えることもコーチの仕事です。反省の1年になってしまいましたが、来年はうちの子ども達が各部門とも最上級生になるので、この経験を生かし上位独占を狙います。
第46回「映し鏡」(2019年12月1日)
学童の話
勉強の時間(だいたい30分くらいだが)は本読みと計算カードをする。計算カードではズルする者が少なからずいる。計算カードはたとえば「5+7」のカードをめくると裏に「12」と答えが書いてある。それが30枚あり、何分で計算できるかという勉強の仕方だ。しかし、これには文字通り「裏」がある。「5+7」で答えを言ってから裏を確認するならいいが、早くめくろうとして「ごうたすななは」と言っているうちにカードをめくるので答えがわかってしまう。「お前、答えを見て答えているだろう」と言っても「ぼく、見てないもん」と言われればそれ以上は言えない。でも絶対見ている。もう一つはカードを順番に並べてあるのをシャッフルしないから、「5+7」の次は「5+8」の問題になるので、順に1を加えていく問題になるから、問題を見ずに答えていく不届き者もいる。自宅では親は忙しいし、面倒くさいから野放しなのかもしれない。しかし、そういうずる賢い子も1年たつとできるようになるので、目くじらを立てることはしない。
学童では、その後帰る時間まで遊び時間である。
小3の男の子(E男)が遊び時間にママゴトをする。小1の女の子(F子)に誘われるからだ。この子は私の「UNO」の遊び仲間で、ママゴトに彼を取られるのは辛い。仕方ないので、小3の女の子と曼荼羅をして遊ぶ。隣ではE男がシルバニアファミリーのママゴトに夢中だ。曼荼羅で相手が考えている間にE男の声が聞こえる。「ぼくね、ご飯がほしいなあ」「それはお父さんにいいなさい。今日の当番はお父さんですよ。まったく、私ばかり当てにしないでね」「はあ~い、お父さんは今日はどこかな?」「どうせパチンコですよ」「じゃあ、いつ食べれるの?ぼくお腹空いちゃった」と舌足らずの幼児言葉でE男は喋る。曼荼羅の相手の女の子に「E男はずいぶん赤ちゃん言葉で話すな。何歳の設定なのだ」と「聞いたら「ああ、E男は赤ちゃんではなく今日は犬だよ」「何、犬をやってるの?」、1年生がママで3年生が犬か、思わず笑ってしまった。シルバニアファミリーのママゴトセットは動物が主体だからやむをえないか。ママゴトは「飯事」だから自分の生活の一部が入ってくる。現実と願望が織りなす世界となる。F子はE男に「がまんできない子は家に入れませんよ」と答えている。きっと、ママゴトの世界はF子の家庭を反映しているのだろう。
問題児のA男はおやつのポッキーを食べる際、煙草を吸うマネをする。ところがこれがまたうまいのだ。ほっぺを少し凹ませて煙を吸い込み次に吐く。吐くのもゆっくりと恍惚の雰囲気を漂わせ、こいつ自分が吸ってるいるのではないかと思わせるほどの力量だ。
子は親の映し鏡、親は気をつけた方がよいのかもしれない。
第45回「戦友」(2019年11月25日)
昨日、第14回彩の国小学生陸上クラブ駅伝競走大会(熊谷陸上競技場)に初めて出場しました。結果は56チーム中真ん中くらいでした。1区女子2区男子3区女子4区男子5区女子6区男子の6人で1チーム、バンビーニは全員5年生での構成でした。
駅伝の魅力はいろいろありますが、早稲田大学スポーツ科学学術院の松岡宏高教授は、大学駅伝のおもしろさを次のように指摘しています。
「『結果がわからないものを見る楽しみ』。襷をつないで走り、ときに何が起こるかわからない『ドラマ性』。今年はどこが強い、どの選手が楽しみかと頭をひねる『予想、予測性』、そして、自分自身や家族の出身校など特定の大学を応援する『カレッジ・アイデンティティ』がより顕著に現われている」
今回は初めてだったので相手の分析はしていませんが、優勝を争うなら相手のメンバーの1000mのタイムを調べ、バンビーニの子どもの持ちタイムと比較して、3区で30秒以内ならいける、6区で10秒差なら勝ったなどと計算する楽しみがあります。小学生は周回コースなので地形的、性格的なコースの得手不得手は考えませんでしたが、大学駅伝なら監督は選手が山登りが得意なのか、山下りがすぐれているのかも考慮します。
箱根駅伝では、意識がもうろうとして走る選手、実業団駅伝では怪我で走れずに這いつくばってタスキを渡す女子選手などに感動し、またそれを期待するスポ根(スポーツ根性物語)的興味が自分をTVに向かわせているようです。
もしうちの愛泉が這ってタスキを渡すことになったら、気が狂っちゃうほど動揺してしまうでしょうね。そのまま声を大きくして応援するか(きっと涙声で何を言っているかわからないでしょうが)、冷静に彼女を抱きかかえレースを止めるか、自分の行動がどうなるかわかりません。このことを書いているうちに想像して涙が止まりません。基本軸が定まらないのでは、指導者として失格かもしれません。
抜かれた時の罪悪感、順位を上げた時の高揚感、他人の頑張りを心底応援する期待感、子どもは今回純粋に体験しました。
南サブゲートから善が現れた時は(途中まで観戦できますが200mくらいはスタンドの裏に隠れたコースで南ゲートから出てくるまで見えません)、「海難事故で助けを待っていたら大きな日の丸をつけた捜索救難機が現れた」ようなもので、頼もしくまた仲間でよかった気がします。
今回お腹が痛いと手を斜めに上に上げたり下げたりする奇怪な動作をしたアンカーの奏冬が絶好調だったら10人抜きをして、それはそれは白馬の騎士が現れたように思うでしょう。子どもの頃TVで見た「ローンレンジャーが白馬シルバーに乗って崖の上で立ち上がる場面」が思い出されます。アンカーはおいしいところ皆持って行ってしまうのです。来年誰をアンカーにするか楽しみです。
友達を信頼すること、これは決して簡単なことではありません。人生において何人の人間にできるでしょうか。戦争は生きるか死ぬかの極限にあります。家族以外に命をかけて守る相手、また守られる自分、それが戦友でしょう。だから「戦友」は誰よりも絆が強いのです。4位で帰って来た寧々に対して2区の怜吾は「ワァー、何でこんなに速く来るの?責任が重大になってしまう」と思ったでしょう。逆に前の選手が順位を落として帰ってきても、タスキをもらったらあいつの分も取り返すと頑張る子も出てきます。「頼むぞ」と言ってタスキを渡す子ども達。こうして彼らは段々「戦友」になっていくのでしょうね。1人で戦う陸上競技に唯一仲間意識が出るのが短距離のリレーであり長距離の駅伝なのです。