バンビーニ陸上クラブ

小中学生対象陸上競技専門教室
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インターバル(6月18日)

23回「ゆらぎ」(2019618日)

「気持ちがゆらぐ」「決意がゆらぐ」など、"ゆらぐ"という言葉にはあまりいいイメージがありません。ぐらぐらとして、定まることのない不安定な感じがするからでしょうか。大人には信念というものが確立していて、「ゆらぐ」ことは少ないのかもしれません。しかし、子どもは心理的には「ゆらぐ」ものなのです。また、陸上競技の記録でも「ゆらぎ」が見られます。

スポーツトレーニングを専門的に始めた頃には記録が順調に伸びるが、同時に好・不調による記録の波も大きいのです。すなわち、トレーニング初期には変動係数が大きいものなのです。そのため長い期間で見れば記録は右肩上がりの直線になりますが、ある時点では平均直線よりはるか下にあることもあります。ペース配分がわからない初期にはよくあることなのです。君の出場する組は強豪が多いよと言われただけで足がすくむこともあります。ペースは性格により乱れるのです。

 

長距離選手の性格要素を測定した実験があります。

トレッドミル(室内用で固定式のベルトコンベアみたいなもの)では決められた速度で何分走れたか、グラウンドでは1500mを何分で走れるか、という実験を毎日同じ時間に測定して各実施日の記録をプロットします。2つの方法での違いを確認します。

結論は「トレッドミルで走るより(距離の変動)グラウンドで走る方が変動係数(タイムの変動)は小さい」ということでした。

その原因の1つは、トレッドミル走では持続時間のゴールが特に決まっておらず、いつ運動を中止するかは個人の主観的判断にまかされるため、個人の性格的特徴が現れてきたと考えられます。

もう1つはグラウンド走では主体はランナーであるのに対して、トレッドミル走では主体は機械の側にあります。そのため、ヒトは機械の一定のペースに自分のリズムを合わせなければならない心理的負担や束縛感が疲労を早めたり、あるいは単調さによる飽きが頑張る意欲を萎えさせたのかもしれません。一方、グラウンドでのタイムトライアルではゴールが明確であるので、残りの距離を考えながら自分でリズムやペースを調整しながら走ることができるからです。

当クラブで両方の特徴を利用した「タイム走」をやることがあります。タイム走とは40分間でどれだけ走れるかの練習です。頭のいい子はロードであれば目標の建物を、トラックであれば何周かを決めて走ります。こうすればゴールがないトレッドミルと同じような状況にはなりません。他の子も嫌がらずに早くこのことに気づけば楽なペースで遠くまで走れるのです。この練習をする目的はペースの把握です。大会では何秒で200mを走ったかなど自分のペースは自分で把握することが大切です。いわゆる体で覚えるのです。

ケープタウン大学のノックス(Noakes,T)は、「ランニングペースを決定するのは大脳である。活動筋(心肺機能や脚筋)からの情報が求心性神経を介して逐一大脳に送られ、大脳はからだの疲労度と残りの距離を勘案しながら最善のペースを構築している」とヒトのからだの素晴らしさを強調しています。

小学生の内はゆらぎが大きいのは当たり前です。とんでもない記録も出す代わり、ふがいない、やる気のないような記録も出すことがあります。平均タイムを挟んで大きくゆらぐ年代なのです。しかし、5年、10年とトレーニングを積み重ねるにつれて徐々にその伸びも小さくなり、それに伴って気象条件や好・不調等による記録変動も小さくなり、安定してきます。すなわち、トレーニング初期には変動係数は大きいですが、競技生活も晩年に近づくと変動係数が小さくなるわけです。ベストタイムから大きく下がらないけれども大きく破ることもない状況です。この現象は長く競技を続けた選手にみられる宿命的な現象です。その頃になると選手は他人に言われるまでもなく自分の限界を感じるようになります。

ちびっ子たちよ、小学生の時代は、大きく「ゆらぐ」ものなのです。たった1回の記録にくよくよしてはいけません。君たちの限界は当分きませんよ。だって、本格的練習を始めたばかりじゃないですか。

参考文献:ウイキペディア、山地啓司(初代ランニング学会会長)氏論文

 

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22回「本番に弱い子」(2019613日)

今週末に「彩の国小学生クラブ交流大会」が行われます。当クラブでも7人の選手が出場します。楽しみだという子もいれば、緊張している子もいます。

いつも練習ではいいタイムを出し期待されているのに、本番に弱い子がいます。運動会でも普通に走ればダントツで優勝するのにスタートでミスして思うような結果がでない、お互い歯がゆい思いをしています。当クラブにはこのような子が数人います。

この子らの特徴は

1.過去の失敗がトラウマになっている

2.完璧主義者

3.ネガティブ思考

4.緊張になれていない

であり、一つ以上または全部が該当する子です。

(1)過去の失敗がトラウマになっている

100mのスタートで失敗したり、長距離で速い人と一緒に飛出し、後半足が重くなって思うように動けず、後続に抜かれて行ったこと、などを思いだし体が委縮してしまうのです。

(2)完璧主義者

①神経質

練習の際いろいろな色のマーカーを置きます。テーマが終わるごとに子どもたちに撤収させますが、その際赤は赤、黄色は黄色、青は青ときちんと色別に分けて回収する子がいます。10分くらいしてマーカーを使った別の練習の際、コーチは適当にマーカーを置きます。コーチにとっては目印にしか過ぎないので、色の区別が気になりません。撤収する際その子はやっぱり青は青、赤は赤と分けて回収してくるのです。几帳面というか神経質というのか、総じて完璧主義者なのです。

②完璧主義者/真面目

「自己の欠点」ばかりにフォーカスする癖があります。また、自分のミスを許すこともできません。自己に対して厳しいのです。

そのため「自分は無能」だという結論になりがちで、自己嫌悪や自信喪失につながっているようです。

(3)ネガティブ思考が人一倍強い子

完璧主義者だけでなく、基本的に人間は「ネガティブに考える癖」があります。これは、危険を予知し、身を守るための本能であり、人間なら誰にも備わっている癖です。しかし、その程度が問題なのです。

街でばったり会った友達に声をかけたら、友達がそっけなかった。「あの人は自分のことを嫌っているのだ」などと考えます。友達は急いでいたのかもしれない、後で聞いてみようなどと確認することなく早合点してしまいます。成功は「まぐれ」と思い、失敗は「やっぱり自分は失敗する」と考えます。よい事を無視するだけでなく、ネガティブな出来事を進んで拾い上げる癖があります。

失敗恐怖症の行き着く先は、本番に弱くなるどころか、本番を避けるようになり、何も成し遂げられない人生で終わってしまうほど危険な症状なのです。

(4)緊張に慣れていない

陸上競技場の空間を広いと感じ、ライバルの殺気や声援の大きさなど大会の雰囲気に飲まれてしまうことが多いのです。「あがってしまって何もできなかった」が常套句になってしまいます。

では、こういう子ども達にどう対応したらいいのでしょうか。当クラブでは次のようにしようと心得ています。

 (1)ルーズになる

本番に弱い完璧主義者や真面目な人は、小さなことを大きく過大視する特徴があります。

まだ起こってもいないことに恐怖し、ネガティブになることは「時間の無駄」です。いいえ、それは大会に弱い人間にしてしまう、百害あって一利なしの悪癖なのです。正直、それなら何も考えない方がマシです。ルーズになって開き直った方が、パフォーマンスを下げることがなくなり、大会に強い人間に近づいていくのです。

つまり、「今度の大会は記録会と考えている。君たちの本当の目標は6年生になった時に強化指定タイムを切れるかだ」と来年の大会に子どもの目標を先延ばしにして、目の前の大会に気楽に出場させるのです。これを繰り返していくことによって本番にリラックスして望む精神力を養うのです。

(2)目標を段階的に上げて行く

完璧主義者は、合格ラインを高く設定する傾向にあります。高く設定し過ぎると、達成できずに自信喪失に終わることが多いのです。その結果、行動することが恐くなり、成功を手にできずに終わるのです。

目指している成功とは「小さな成功の集まり」です。つまり、合格ラインを下げることが「小さな成功体験」を増やし、本当のゴールに到達する最短距離なのです。

1000340秒を切るために200mx10200m=44秒ペースで走る。10本出来たら次は43秒に目標を切り上げる。要するに強化指定選手になるために最初から41秒にペースを設定したら毎日が未達で、自信喪失につながってしまうからなのです。

(3)失敗はフィードバックにすぎないと考える

何一つ失敗せず成功できるものは「すでに達成したこと」だけです。当然、達成済みのタスクを繰り返したところで成長はありません。123+・・・+1055を何回も計算するだけでは計算の能力は上がりません。

成長するためには失敗は不可欠です。「1000m、平均タイムで走る子が前半から果敢に飛び出していく。ラスト100mで足が上がらなくなった。次は950mまでもった。次はゴールまで届いた」失敗と改善の繰り返しで、成長した自分になれるのです。

失敗体験とは「目標に一歩近づいた証」であって誇らしいことです。この思考を身につけることで、失敗の恐怖がなくなり、大会に強い性格が育まれていきます。

(4)やり遂げる覚悟を持つ

他人に悪く見られたくない、自分の醜態をさらしたくない、これらは「覚悟のない人の思考」です。

当クラブにいるZ君は練習中苦しい顔をし、インターバルが終わるたびに首を絞められているかのような声を出します。所定の設定タイムもクリアしていません。スタッフの人間は心配をして声をかけますが、私はあえて無視するのです。これを超えないと彼の演じる舞台のカーテンは決して開かないのです。

(5)準備(練習)をやれるだけやる

大会に弱い子は、自分への評価が冷静にできていない状態、感情的な状態であることが多いのです。自己評価の奴隷と化しているのです。

つまり、練習による確認作業によって「正当な自己評価」ができるようになります。200mのインターバルを40秒で10本できれば、326秒は手の中にあることがわかるはずです。

また、完璧主義な人は、練習を徹底することで気持ちが楽になり、不当な自己卑下をすることなく大会に挑めます。

(6)緊張する場に身をおく工夫をする

大会に弱い子は「緊張の環境」に慣れていない傾向があります。

受験でも公開模試に一度も出たことがない子は、きっと雰囲気に飲まれてしまうでしょう。一斉にテスト用紙をめくる音が大きく聞こえたり、試験官の靴音が気になったり、トイレが心配になったりします。テストに強い子はそれをなくすために、公開模試を何度でも受けるのです。

 陸上競技でも同じです。200mのトラックで練習していた自分は、初めて全日本中学校放送陸上競技大会で国立競技場に出た時、何と大きいグランドなのかと固まり、2000mが3000mに感じた記憶があります。メロメロでした。

当クラブでは練習スケジュールを鑑み、小さな大会も含め参加を繰り返すことで、緊張への耐性がつき、大会に強い性格をつくっていきます。

まとめ

大会に強い子、自分が望むものを全て手に入れている子は、突き詰めると「失敗の恐怖がない」のが共通した特徴です。

当クラブではトレーニングと遊びを兼ねて「運命ジャンケン」をします。トラックに15m間隔で数人並べ、1人が全力で走って行ってジャンケンをする、負けたらスタートラインに戻る、勝ったら次の人とジャンケンする。全員に勝ったら終了。勝てない場合は5分で終了というものです。あと1人でスタートラインに戻るのはくやしいでしょう。しかし、それに勝たないと文字通り前に進まないのです。現状は、すんなり勝つ子は「自分は負けない」と思う子なのです。

参考文献:<ヤギコーチ>のコラム、<ダイレクトコミュニケーション>のコラム

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21回「スケートと自転車と私」(201963日)

スピードスケートで全国25位以内に入る高校生とその妹に、不定期でパーソナル練習を実施しています。お母様がご熱心な方で、スケートにおける知識の深さと他種目の練習を取り入れるダイバシティにおいては群を抜いています。私も教わることが多くお会いするのが楽しみです。

さて、そのお母様に私を雇った理由を尋ねたところ「アイススケートに似ている競技は自転車競技であり、学校でもシーズンオフは自転車を取り入れている」「じゃあ、なぜ私を雇うのですか?私はランニングコーチですよ」「同じチームの子に陸上部出身の子がいる。妙に速い。陸上競技に何かいいトレーニングがあるのではないか」ということらしいのです。

 では、スケートの選手がなぜ自転車競技をとりいれているのでしょうか。

その理由として,二つが考えられます。1つは2つの競技で使う筋肉が似ているからなのです。両者の鍛えるべき重要な筋肉は、大腿四頭筋とハムストリングスです。陸上の長距離選手とスピードスケート選手では筋肉の鍛え方が違うように、通常ならばスポーツそれぞれの特性によって必要なところに必要な分の筋肉をつけていく必要があります。しかしどちらの競技も長時間の前傾姿勢を維持できるように身体のバランスを鍛える必要があるため、必然的に選手として必要となる肉体の理想像が似通っているのです。そのため、わざとギアを重くして自転車で坂道を繰り返し登り、両者ともに足を太くし鍛える訓練をしています。

大腿四頭筋は太腿の前部であり、跳躍力を重視されるスポーツで重宝され、瞬発力を発揮するには欠かせない筋肉です。ハムストリングは大腿の後部のことです。主に下肢の動き作ったり、運動能力に大きく影響したりする部分であるとされています。

こうして、スピードスケート選手も競輪の選手も、身体全体を鍛えつつも下半身の筋肉に効果的に力を伝えられるようなトレーニングをしているのです。

さらにもうひとつ大事な要素はこの2つの競技のスピードが近いからなのです。例えば平昌オリンピックの男子1000メートルの優勝記録は10795でした.これは自転車競技の男子1000メートルの記録にとても近いのです.リオデジャネイロ・オリンピックのオムニアム(陸上の10種競技のような総合競技)の男子1000メートルの1位の記録は100923でした。

自転車はギアと車輪を用いて,スピードスケートは氷という抵抗の極めて少ない物質を用いて,それぞれ最速を目指しているのです。このスピードになると,使うエネルギーのほとんどは,空気抵抗をどのように克服するかに用いられます.そのためにスピードスケートにとって自転車競技は相性がいいのです。

スピードスケートは競馬で言う逃げや先行(インターバル第9回「競馬その2」脚質をご参照ください)が勝つことはほとんどありません。空気抵抗のために,先頭に立つのが圧倒的に不利だからなのです.誰もが誰かの後で走ろうとしますから,ゲーム理論からしてもスピードが上がりません。そして最後に全体のスピードが上がると,先頭集団の選手の数が絞られ,先頭から2番手に付けていた選手が,トップがコーナーで膨らんだところを,インを突いて優勝ということが多いのです。

スケートの選手に陸上競技を教えるにあたって、自転車練習では得られない下肢をすばやく動かせるアジエリティや太腿をしなやかに動かせる筋持久力を教えていきたいと思います。

では、逆に陸上競技が取り入れる他のスポーツはあるのでしょうか。

うちのクラブで自転車競技の選手の子がいます。まだまだ太腿の筋肉はついていませんが、どのくらい陸上競技の記録が伸びるか楽しみです。自転車で効果が上がるなら来シーズンは自転車を取り入れたいと思います。ただ彼はうちでは長距離選手なのです。

 

私事ですが、自分が高校生の時、抜群の持久力を自慢していました。すると、恩師が「じゃあ、お前、バスケットボール部の練習に参加してみろ」とバスケの練習に誘われました。今日は遊びだと運動靴の底を洗って体育館で参加しました。楽しいはずの練習がなんと40分間で根を上げてしまいました。陸上競技はただただまっすぐ走るスポーツであり、横の動きには全くついていけず、バテバテでした。

これをおもしろがった恩師が、水泳の練習にも私を参加させました。これは横の動きがないし浮力もあるから大丈夫だろうと思っていました。なんと今度は30分で足が動かなくなりました。ビート板での泳ぎについていけなかったのです。地面を蹴る動作と違った筋肉を使うため危なく溺れるところでした。

さらに恩師は「俺とバトミントンの試合をしてみろ」と悪ふざけが増してきました。年寄には負けないぞ、時間が経てば私が勝つと思いましたが、恩師のシャトルが私の前や後ろに自由自在に飛んでいきバタバタと動かされ、強打の後のフェイントに翻弄され、「持久力の入山」の名前は粉々に崩れ去っていったのです。

陸上競技には絶対にない横への動きがどれほど前進する力の補助になるか、すべての筋肉を鍛えればいいのか、実験していきたいと思います。でもマラソンの選手は不必要な筋肉は自然に落ちて行ってしまうので理屈はあわないのですが、もしかするとすべての筋肉を鍛え上げた先には2時間を切れるという理論に行き着くのかもしれません。

参考文献:ウイキペディア、FRAME、橋都浩平のCanopy Walk

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 20回「無口」(2019528日)

困ったことに、当クラブには練習中一言も発しない子供たちがたくさんいます。

こちらが喋ってもほとんど言葉が返ってこず、ハイの代わりに頭を縦に振り、ノーを表現するのに細かく横に振る子供たちはまるで動物園の小動物の様です。念を押さなければそのそぶりもしないので、ある時はまるでお地蔵様にお願い事をしているようです。

練習メニューを発表すると、キツイと言って抗議してくる子はいますが、少数派で皆の顔色を窺って発言しているせいか、他の子供たちが無言でその練習の準備を始めるとしぶしぶ準備を始めます。

当クラブには無口または口数が少ない子は、家ではめちゃめちゃ喋るのに、いざ練習に来ると喋らないのが特徴です。あるお母さんには「家で喋っている時の声をボイス・レコーダーで録音してください」とお願いしているのですが、未だに実現はしていません。

コーチの私はもともとお喋りで、小学生の時の通信簿にはいつも「情緒不安定」と書かれていました。子供の時はこの字が読めず、きっと「他人に対する情けのかけ方が人によって異なる」タイプの子供と書いてあるのだと本気で思っていました。

家では、妻と喧嘩すると妻は黙ってしまいます。いえ、大人しくなるという意味ではなく、意識して口をきいてくれなくなるのです。原因はあきらかに彼女のミスなのですが、家の中での沈黙に私は耐えきれず、2日後には私が謝って落着し、普段の生活に戻ります。

だから、無口の子供たちと一緒にいるといつも一人芝居になってしまいます。最初はストレスになっていましたが、いまでは彼らを理解してきたので平気です。しゃべらなくても問題は何も起こらない、言語を取り交わすことは最小限のことだけでいいのです。彼らが私の指示を聞いている時、彼らの眉毛や目の動きで察しがつくようになりました。

無口の子供たちは決して手を抜きません。伸びる子の多くは無口が多いのです。

日常生活では夫婦同士は日々の習慣や行動をおおよそ理解しているので、ほとんど言葉は要りません。私の家のように、「あれ、あのひと、あのこと」で通じます。若い人たちでは「それ、そのひと、そのこと」は理解しても、ア系列でわかるまでは時間がかかるでしょうが、いずれわかるようになります。ただし、そのため相互の思い込み(推測)に齟齬が生じて、とんでもない方向にいく危険性もあります。

先日カードで買い物に行くと言って私のカードを持っていく際に「1、5、つかっていい?(15,000円使っていい?)」と彼女は言ったのですが、私は「いちご(つ)買っていい?」と聞こえたので「だめ、いちごは季節はずれだから、スイカにして」と言ったら「わかった、Suicaにチャージする。でもチャージは現金だよ」、「ジャージは暑いよ、トレーナーにしなさいよ。ユニクロはカードきくよ」話はどんどん核心から離れて行きました。

自分の家庭の事をしゃべりすぎました。話を子供のことに戻します。

無口の子または口数が少ない子は練習では損することがあります。喋らないことによって体調管理、練習の理解度などの把握がコーチたちに伝わらないことが多いからです。ただ、これまでの練習によって、当クラブではお喋りな子と比べて下記のようなことがなければ、さほど問題がないことがわかっています。。

①上達に関する大切な情報を聞いていない。

②自分の失敗を指摘されても聞いていない。

③聞いているフリをしているけど頭では何も考えていない

無口や口数が少ない子には彼らなりの対処法があります。こちらが5聞いてほしい場合、100喋って5聞いてくれればいいように、何べんでも同じことを喋るようにします。眉が動いたらこっちのものです。目が泳がなければ私の言うことを理解したのです。

いつの日か私と一緒にお酒を飲む頃には、「無口」であることを肴に大いに語り合えると思っています。頑張れ!お地蔵様。

参考文献:ウイキペディア

 

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19回「ケガ」(2019521日)

先日サニブラウンがついに9“99を出しました。

彼は高校生の時リオ・オリンピックの選考大会である日本選手権を左太ももの違和感で欠場し、リオ・オリンピックをあきらめました。当時違和感があるだけであきらめたのは不可解でしたが、良く考えてみれば違和感を持ってレースに勝てるほど甘くはなかったでしょうし、レースに出て筋断裂のような大怪我をすれば選手生命を失うことになったでしょう。コーチの英断です。彼はまだ若いのです。

バンビーニ陸上クラブに今年中学生になった子がいます。今でもコーチに気を使って通ってきています。ただ、中学生となっては週1の当クラブの練習では当然不足するので、他のクラブで足りない分をまかなっています。自主トレする子もいます。その一方で怪我で苦しむ子も出てきました。

日本のトップレベルであろう、中学生であろうが、スポーツをやっていれば怪我はつきものです。そのためか「怪我をしなければトップレベル」という声をこれまで沢山聴いてきました。

どのスポーツもそうですが、現在に到るまで「怪我さえなければ」と言われてきた選手なんて星の数ほどいたのです。プロ野球でドラフト1位選手がどれほど1軍で活躍できたでしょうか。

一方、水泳の萩野公介、バトミントンの奥原希望、柔道のウルフ・アロンなど怪我を克服し活躍した選手もいます。

生活に支障をきたし、今までできていた当たり前の生活ができなくなるくらいの怪我ですから、大半の選手はここで挫折してしまいます。

では、怪我は仕方のないものなのでしょうか?

野村監督の言う「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」であって、怪我をするのは必ず原因があったはずです。

 

怪我をしやすい状況(原因)とは大きく次の4つが考えられます。

(1)疲労が蓄積しているとき

 疲労が蓄積しているときは言うまでもなく、怪我をしやすい状態にあります。疲労により筋力やパワー、柔軟性などが低下した状態でいつもと同じ動作をしたときに、筋肉が必要以上の力を発揮したり、いつもより大きな力で引き伸ばされたりすることがあります。このようなときに怪我は起こりやすいです。

①疲労の原因

 疲労の原因はトレーニングから来るものと考えがちですが、それだけではありません。仕事や学校生活、居住環境や人間関係など、人は生活する上で様々なストレスが降りかかります。そのストレスが許容量を超えた場合、疲労となり身体に悪影響を及ぼします。疲労はトレーニングだけではなく、生活環境によるストレスにも影響される事があります。

②予防策

 練習量を減らしたり、練習の頻度を少なくしたりするなど、全体のトレーニング量を調整することで防ぐことができます。目安としては全体の半分~3分の1程度、トレーニング量を減らします。減らすのはトレーニング量のみで、強度はそのままにしておきます。1週間程度、様子をみて調子が戻れば元のトレーニング量に戻し、調子が戻らなければそのままトレーニング量を減らした状態で練習します。

(2)ウォーミングアップに問題があるとき

 スポーツをする前にウォーミングアップを行うことは、とても大切な事です。ウォーミングアップ無しにいきなり全速力で走ったり、重たいものを持ち上げたりするのは、筋肉に対してのダメージがかなり大きくなります。スポーツをする前は必ずウォーミングアップをするようにしましょう。

a)ウォーミングアップは短すぎても長すぎてもダメ

 ウォーミングアップの目的は「身体の状態を最高レベルにする」ことです。例えばウォーミングアップが以下のように

・ランニング5

・体操5

 と内容も時間も不足している場合は、身体の状態を最高レベルまで引き上げることは難しいと思います。この様に身体が完全に目覚めていない状態で急に筋肉などに負荷をかけると、怪我を起こしやすいです。

 また、反対に

・ランニング30

・ストレッチ15

・ドリル20

・ダッシュ10

 と時間が長すぎたり量が多すぎたりすると、メインの練習や試合前に疲れてしまい、却って怪我を引き起こしやすくなります。最近の例をみるとこのケースが多いと思います。昨年は当クラブのアップの前に保護者が子供に体を温めると称してやらしていたことがありました。クレームをつけるとクラブのアップでは量が足りないと言われ、お客さんでもあるためそれ以上の論争は避けてきました。経営者としてはヨシとしても、コーチとしては猛省しています。

b)身体を最高の状態にするために

 アップは奇抜なものは要りません。普段の練習をやる前のアップを少し工夫して行うのが安心です。そうすることで身体の状態を把握しやすくなります。身体の状態が把握できると、例えば「今日は太もも裏の筋肉が張っているから、入念にストレッチやドリルを行おう」と怪我の芽を摘むことができます。

(3)トレーニングの内容がガラッと変わるとき

①慣れていない・新しいトレーニングを取り入れる場合

1.オフシーズン⇔シーズンの移行期

2.重要な試合が終わり、次の試合に向けて準備するとき

3.強化合宿

などがあると思います。これらの時期は慣れていない・新しいトレーニングに取り組むことが多いです。実はこの「慣れていない・新しいトレーニング」をするときに怪我をするリスクが潜んでいます。

②慣れていない・新しいトレーニングの適応

トレーニングはストレスであり、人間はそのストレスを受けたときに「適応」という現象を引き起こし、また同じストレスに晒されたときに備えようとします 慣れていない・新しいトレーニングを行ったときは、今までに無かったストレスが身体に降りかかるので、ストレスを大きく感じてしまいます。したがって、慣れていない・新しいトレーニングを大量に行うと、ストレスに抵抗できずに怪我に繋がりやすくなります。

③慣れていない・新しいトレーニングを取り入れるには

怪我をしないためには、適応能力の限界を超えないことが大切です。慣れていない・新しいトレーニングをする場合は徐々に取り入れるようにすればいいのです。

(4)練習量や強度が急激に増えたとき

 練習量や強度を増やすことができればその分、ハードなトレーニングに耐える力がつくので、体力も向上しやすくなります。特に体力や記録が伸び悩んでいるときや、ビギナーから脱却したいときに練習量を増やすことは重要です。ここで大事なのは徐々に練習量や強度を増やすことです。

徐々に練習量や強度を増やすことで怪我のリスクは確実に減少します。

①キツイ練習=効果のある練習ではない

 競技スポーツでよくあるのが、毎回の練習で体力の限界まで追い込んでしまうことです。確かに体力を向上させるにはハードな練習が必要になりますが、身体の適応能力の限界を超える練習量は、逆に体力を低下させてしまいます。例えば100mダッシュを2030本という練習はキツイ練習ですが、得られる効果はある本数から減ってしまい、仕舞いにはヘトヘトになるでしょう。それを毎日、毎週のように行なうと回復が間に合わず体力が低下し、最終的には怪我に繋がります。追い込めば追い込むほど体力が向上するわけではありません。

②トレーニングは計画的に~

  競技スポーツをやっている方は、重要な試合から逆算してトレーニングの計画を組むことが大切になります。そうすることで、「試合まで期間があるから練習量を増やして、ハードな練習に耐える身体を作ろう」「大会が近づいてきたので、練習量を落として筋力を上げよう」などと、自分に必要なトレーニングを判断しやすくなります。行き当たりばったりでトレーニングをしていると、身体のコンディションの変化に気付きにくく、怪我の芽を見逃しやすくなります。

 

<結論>

練習を工夫し体をケアしスケジュールを管理することで怪我は防げる場合が多いのです。特に陸上競技の場合はコンタクトスポーツではないので克己に努めれば可能です。

怪我で休部をメールしてきたので、多分もう会えない気がします。ここに怪我で落ち込んでいる教え子に「Never Give Up」とエールを送りたいと思います。

いつかどこかの競技場で会える日を・・・・

 

参考文献:ウイキペディア、厚別公園HP、TABIMINTON

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18回「ホットレッグ」(2019514日)

5月11日(土)バスケットボールBリーグチャンピオンシップで千葉ジェッツが相手に5分間得点をやらずに19点差を2点差まで縮めました。その間エース富樫にボールを集め彼は期待に応え連続得点を演出しました。

これがバスケットでよく言われる“ホットハンド(hot hand)”というものです。ホットハンドとは、試合中や練習中に神懸かりしたようにゴールを繰り返して決めるような時に使われる言葉で、正に“絶好調”と言う感じのことです。好調であれば味方からのパスも自然に多くなり、それに応えればますますボールが集まってきます。そのため1試合のゴール数が選手本人もビックリするような得点数になります。

例えば、2006122日に行われたロサンゼルス対トロントの試合でアメリカNBA界のスーパスター、コービー・ブライアントが1試合81ポイントの驚異的な新記録を作りました(松浦俊介訳『科学で勝負の先を読む』)。これらこそ正に“スーパーホットハンド”と言えましょう。このような現象は恐らくバスケットボールだけでなくサッカーやラグビーなど多くのスポーツでみられる現象です。

バスケットボールにみられるホットハンド現象がランニングにも現れるのではないかと初代ランニング学会会長の山地啓司さんは考えています。「筆者がかつて選手であった頃、マラソンや駅伝のレース中にこの種の絶好調の状態を何回か経験したことがある。この現象をバスケットボールのホットハンドになぞらえて“ホットレッグ(hot leg)”と命名しよう。本来、駅伝やマラソンを走っていると生理的にはだんだん疲れてきて脚が思うように動かなくなるのが一般的現象であるが、レースの後半に差し掛かって何かの拍子に急に脚が快調に動き呼吸も楽になり、どんなにスピードを上げても走れそうな錯覚さえ感じられる時がある。それは長い時は数キロ続く。中盤にそんな状態になると自重しないと大きな落とし穴が待っているので用心する必要があるが、レースのゴール数キロ前になると大きく崩れる心配がないので思い切ってどんどんペースを高められる。そんな現象を経験した時はほとんど自己新記録を更新する」

一般に市民ランナーでも“ランナーズハイ”と言って長い距離を走っていると心身の陶酔感に浸る時があります。これを体感した時はもうランニングをやめることは難しくなります。ゴルフでナイスショットをした時や釣りで大物を釣り上げた際に竿の震えを味あうともうやめられなくなるのと同じです。

しかし、山地さんは「ホットレッグは酸素の収支のバランスが最高のレベルで調和し、しかも疲れた中で大脳は冴え攻撃的・闘争的状態、しかも脚は毒素が一気に抜けたような軽やかさを感じるものである」としてランナーズハイをさらに超越したものとしています。

小学生にこのことを感じさせるのは距離的に無理ですが、疑似的体感はできるのではないかと思います。何度も何度もハイスピードで1000mを走っていれば、脳ではそれがその子の最大距離と認識されます。いままで最後の第3コーナーでへばったのに第4コーナーまで何でもない、こりゃいけるかもと感じさせればそれがホットレッグの降臨となります。

苦しくないレベルのジョグとかFunランでは、ランナーズハイやホットレッグは得られません。走っていて「ちょっとキツいかも」「ヤバっ、苦しい」っていう段階を超えたときに、突然訪れることが多いようで、心臓にある程度の負荷をかけて辛くなるくらいのペースで走ることが必要になると思われます。一定以上の長い距離を走っていると、さっきまで苦しかったのに突然脚が軽くなって、呼吸もラクになり、気分がよくなる。なんだかどこまでも走れるような気がしてくるのですが、なんでそうなるのかは諸説がありますが、よく言われるのが「エンドルフィン」説です。肉体を苦痛から解放するために、ある種の「脳内麻薬」のような働きをする物質が脳から出るのです。それはこれまで厳しい練習をしてきた選手へのご褒美なのかもしれません。

 

参考文献:ウイキペディア、山地啓司(初代ランニング学会会長)論文、

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17回「山のあなた」(201956日)

55日の日曜日クラスの長距離の部で、小3の女の子が400mのインターバルを練習しました。タイムが落ちる中なんとかついてきたのですが、17時になり競技場を出なければならないと思った私は「残念だが練習はこれで終わりだ。競技場の外でダウンしよう」と言いました。保護者からは今日は夜間もあるのでまだいいのでは、というご指摘があり、事務所に聞きに行ったところその通りでした。そのため、選手らには「よかった。時間はたっぷりあるので残りの3本やるぞ!」と言って練習を再開しました。すると小3の女の子は思わず涙がこぼれ、お母さんのところで泣いてしまいました。もう終わったと思い、これまで耐えてきた気持ちが雲散霧消してしまったのでしょう。私はもうシャワーを浴びたような彼女に練習しなさいとは言えませんでした。

ここで思い出しました。私が中1の時大正テレビ寄席で三遊亭歌奴の「授業中」という落語を聞いていたことを。この創作落語はカール・ブッセの詩で上田敏訳の「山のあなた」が基になっていました。

山のあなたの 空遠く

「幸い」住むと 人のいう

噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて

涙さしぐみ かえりきぬ

山のあなたに なお遠く

「幸い」住むと 人のいう

山の向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば、幸福があるのだと誰かが言った。

それならばと私も他の人を誘って探しに行ったけれど、欲しかった幸福は見つからず、涙を浮かべて帰ってくるしかなかった。

すると、さらに誰かが言う。

その幸福なら、あなたが探しに行った場所よりも、確かもっとずっと遠い山の向こうにあるのに、と・・・。

という意味です。

「コーチよ、しっかりしろ。こっちは一生懸命やっているのだ。追加などできるか。終わりと言ったら終わりだ。あと3本なんて気持ちがもたない」

コーチは子供たちの身体のことだけでなく、心もケアしなければなりません。今また小3の女の子に教わった気がします。

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16回「目標設定」(201951日)

年号が「令和」に変わりました。新たな元号が始まり、これから20年、30年自分にとってどういう時代にしようかと思いを巡らしていらっしゃる方も多いのではありませんか。

毎年新年の目標を明確に立てる人もいれば、立てない人もいます。立てて意識し続けることができる人もいれば、意識し続けられない人もいます。もう私のような年齢になるとここ数年間の目標は「家内安全、健康第一」しか思い浮かびませんでした。少なくともバンビーニ陸上クラブを立ち上げるまでは・・・・

 

目標を意識し続けることは簡単ではないかもしれません。しかし、目標を持ち続けることで人の意識の状況はずいぶん変わり、その結果、行動もその後の展開も大きく変わります。

心理カウンセラーの藤田耕司さんは

「人間の脳は脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)という部位で視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚からインプットされる五感情報の取捨選択を行っている。人間は五感を通じて絶えず情報をインプットしているが、その情報のすべてを同じレベルで同時に認識し続けると情報がオーバーフローしてしまう。

そのため、脳幹網様体賦活系で重要な情報と重要ではない情報との選別が行われる。重要だと判断された情報は意識に残るが、重要ではないと判断された情報は五感で感じたとしてもスルーされ、意識に残ることはない。

例えば、試験勉強をしている時、靴下が足に触れている感覚を意識していたり、かすかに聞こえる空調の音を意識していたりすることはないだろう。ほぼすべての意識は英単語が書かれた参考書に向けられているはずである。このように五感からのインプット情報を取捨選択しているのだが、強い関心を持っている情報に関しては重要情報だと判断し、優先的に意識にあげてくれる」(一部加筆)と言っています。

新しいスーツを買うという目標を考えている時、街を歩くと他の人のスーツが目につくようになります。携帯電話を買い替えようとしている時は携帯電話のCMが目に留まりやすくなったり、他の人の携帯電話が目につくようになったりします。こういった経験は皆さんおありだと思います。

 

毎年「今年こそ平均体重になるぞ!」「簿記1級を取ろう!」「今年こそ結婚!」こんな目標を立てようとしている方は残念ながら思いは遂げられる確率は低いです。年末になって「また今年も出来なかった」と絶望するよりも、新年の目標設定の仕方を少し工夫して達成できる目標にするべきです。

目標の立て方に失敗すると、自信喪失につながってしまいます。皆さんも目標を達成できなくて落ち込んだことはありませんか? それは、目標を達成できないあなたが悪いのではなく、達成できない目標設定をしてしまったからかもしれません。

方や臨床心理士林田一氏はおもしろい例をあげています。

あるギャンブル依存症の方がいるとしましょう。この方は月に10万円パチンコでお金を失っています。そして彼はある日こう思います。

「もう金輪際パチンコはやめよう!

しかし、次の給与が出ると、財布にお金が沢山入っていることに気づきます。彼は我慢することができずにパチンコをして給料をすべて失ってしまいました。

「こんな俺は生きている価値がない。」

彼はすっかり自信を失ってしまいました。

 この場合も、パチンコに行ってしまった彼が悪いというより、目標設定の仕方が悪いのです。もちろん、依存症の場合パチンコを辞めるというゴールが大前提です。しかし、いきなり「パチンコを辞める」とだけ目標設定をしてそれに挑戦するのは、山に登ったことがない人がマッターホルンの登頂を目指すようなものです。極端な話ですが、この目標を「財布に1,000円しか入れない」、「繁華街に近づかない」などに変えてあげることで達成可能な目標になります。達成可能な目標を細かく達成することで、自信もつき前向きな気持ちになるでしょう。

自信を失いやすい方は、日々の目標設定の仕方を少し見つめなおすだけで、明るく健康な毎日を送れるかもしれません。

バンビーニ陸上クラブは埼玉県の強化指定選手をつくりあげることを目標にしていますが、最初から厳しいタイム設定はしていません。長距離における練習で、インターバルトレーニングをします。

インターバルトレーニングは平均スピードを徐々に上げて行くトレーニングで、コーチである私が子供たちの成長具合を見て設定します。設定してもできない子が出てきます。努力してできない子には「200mx10の時まず半分の5本を設定タイムで帰ることをめざしなさい。それができたら次は7本、8本最後は10本すべて設定タイムをクリアする。すると今度はステージを上げて強化選手B指定のタイムを、クリアしたらA指定のタイムを、と目標を上げて行く」と教えています。最初からA指定のタイムは設定しません。まずは自己ベストから設定していきます。

達成可能な目標設定は、「重要性」と「出来ると思うかどうか」がポイントです。「出来ると思うかどうか」の意義は、以前書いた「人類の壁」でも申し上げました。当クラブでは、子供たちには達成可能な目標設定にしてあげています。

もう一つの要素「重要性」が揃うと、その目標は達成可能な目標となります。重要性とは、その目標を自分が重要だと思っているかどうかです。

例えば「禁煙する!」という目標にした場合、「本当はやめたくないけど嫁がうるさいし、とりあえず禁煙宣言しようかな」とか思っていると100%うまく行きません。人間は思ってもいないことを言うことがあるのです。新年の目標の場合、よくあるのは「とりあえず言っとけ、できなかったらできないでまあいいや」です。

「目標は立てたからには絶対に、100%、なにがなんでもやりきる」という強い想いがないならば、それは重要性を認識している目標とは言えません。逆にこれだけ強い想いのない目標は達成不可能です。「一応目標たてといてできたらラッキー」という気持ちでは目標達成はできません。

このように「重要性」と「出来るかどうか」に着目して目標を立てると達成可能な目標設定となります。

元号改変は、大きな目標を立ててしまいがちです。勢いでその目標のまま走り抜けてしまうと「また今年も出来なかった」と何年も同じような絶望感に襲われてしまうことでしょう。今、一歩立ち止まって、「重要性」と「出来るかどうか」に着目し、目標設定をし直してみることが大切です。そうすることが目標達成した一皮むけた自分に近づく最初の一歩なのです。

参考文献:臨床心理士林田一氏談、心理カウンセラー藤田耕司談

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15回スポーツおける「菊と刀」(2019422日)

私が学生だったとき、「菊と刀」(*)という本を読んだことがあります。アメリカ人が日本との開戦を予測して日本および日本人を研究したことを後日まとめた本でした。アメリカ人はこんな風に日本や日本人を観ていたのだとあきれるやら感心したことがあります。ここまで分析されたら戦争に負けるわけです。アメリカ軍は日本人の行動を熟知しており、カレンダーで429日は天皇誕生日、1123日は新嘗祭、211日は紀元節と日本人のけじめある祝日を理解し、この日は防備を徹底しています。なぜなら追い詰められた日本人が「万歳突撃」をする心理的決断日になることが多いのです。

(*)『菊と刀』は、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版されました。ベネディクトは、フランツ・ボアズより教わった急進的な文化相対主義の概念を日本文化に適用するべく、恩や義理などといった日本文化『固有』の価値を分析しました。本書は戦争情報局の日本班チーフだったベネディクトがまとめた5章から成る報告書「Japanese Behavior Patterns (日本人の行動パターン)」を基に執筆されたものです。蛇足ですが、ベネディクトは女性でかつ日本に行ったことのない文化人類学者でした。日本人の書物を読み、日系人に会ってまとめたものだったのです。

 

さて、「インターバル」に掲載する資料を集めているうちにライトナー・カトリン・ユミコさん(ウイーン大学卒哲学博士)の『外国人からみた日本のスポーツにおける「ふしぎ」─ 2016 リオ五輪における日本人アスリートの立ち居振る舞いに着目して─』の研究ノートを見つけました。

スポーツにおける「菊と刀」を見つけたようで懐かしい気がしましたので、ご紹介します。

長いので、要約しますと、日本人は必ずオリンピックになると「金メダル宣言」をし、負けたらTVの前で「謝る」。さらに相手を称えるなどレースまた試合の駆け引きや敗因の分析をしない傾向にある、としています。謙虚である日本人の行動を非難するのでなく、外国人ではやらない行為に不思議かつ称賛の念を抱いているとのことでした。

彼女以外でも、きっとどこかライバルの国が、陰で「スポーツでの日本人の行動」を事細かく分析し、対戦競技では丸裸にされてしまうのでしょうね。怖い、怖い。

 

<論文抜粋>

1.「金メダル宣言」

 「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタン男爵による有名な言葉は世界的に知られているが、近年のオリンピックに出場するトップアスリートの多くにとって、オリンピックにおいて金メダルを取ることの方が、競技人生の最大目標であるに違いない。 しかし、そうした中で、多くの日本人選手が、メダル候補でない選手を含め、大会前に「金メダルを宣言」する風景は、日本の「Rio 2016」報道で初めて目の当たりにした。柔道やレスリングをはじめ、体操や水泳等の選手でも、特に、メディアに対するインタビューにおいて、「必ず金メダルをとる」や「絶対に金メダルを持って帰る」というような宣言をするアスリートを見て、「堂々と宣言ができてすごい」と率直に思った一方で、「このようなことを言ってしまって大丈夫か」と心配にもなり、複雑な気持ちであった。

 世界ランクの上位に入り、オリンピック前の様々な国際大会において優勝の経験もあり、優勝の最有力候補と言われる選手であれば、金メダルが取れる自信もあるであろうことから、実際にその目標を言葉にすることによって、自分自身の目標をより明確に現実的なものにしようと意識を高めることは、選手によってはオリンピックへの一つの備え方であるかもしれない。しかし、それほど金メダルが期待されていなくても金メダルを取る宣言する選手を見ると、自分自身に余計なプレッシャーをかけているようにしか見えず、なぜこのような発言をするのか「ふしぎ」に感じる。

 オーストリア人選手のメディア対応と比較をしてみると、金メダルを取る可能性について聞かれる場合は、多くの選手が「金メダルについてはあまり考えずに一試合一試合を大事にして全力を尽くしたい」や「特にオリンピックでは、何が起きるかはわからないので、金メダルについては深く考えていない」等のようにコメントをする。つまり、どちらかというと、とにかく自分自身に余計なプレッシャーをかけないように慎重に答えるアスリートが多いのだ。

それだけでなく、その競技の誰もが認める、ほぼ金メダル確実といわれる選手でさえ、メディア側が世の中の注目が集まるであろうビッグ・ニュースになりうるメダル獲得宣言という答えを引き出そうと、しつこくメダルに関する質問を繰り返しても、以上のようなコメントで交わし、メダル宣言は極力しないような対応をするアスリートがほとんどなのである。

 この「金メダル宣言」をジャパノロジー分野においてもよく議論されている性格的特徴という観点からみてみると、一般的には謙虚で控えめ、アピールを好まないといわれる日本人が積極的にメダルを取る宣言をしているのに対して、普段の生活ではアピール感が強いといわれる欧米人の方がむしろメダルを取る確率について慎重に答えているという姿は、非常に「ふしぎ」なことであると考えられよう。

個人的には、歴史的に「根性論」に基づいて語られてきた日本のスポーツだからこそ、「実力を度外視して、誰もがとにかく強い気持ちや志をみせなければならない」等のようなスポーツというものに対する精神力を賛美する理由から、多くの選手が、義務のように金メダル獲得を宣言してしまうのではないかと考える。

 

2.「負けたら謝る」

 金メダル宣言と同様に、「負けたら謝る」という 2016 リオ五輪に出場した多くの日本人アスリートにみられた立ち居振る舞いも、外国人からみる日本のスポーツにおける謎の一つであるといえる。その中で、そもそもそこまで金メダル候補として期待されなかったであろうという選手でさえ、インタビューで泣きながらも謝るというのは、「ふしぎ」な光景であった。

 オーストリアにおいて、サッカー等といったチームスポーツの場合は、個人のミスでチームが負けたときは、テレビのインタビュー等のメディア対応においてチームメイトに謝るという風景は度々見受けられる。しかし、個人競技の場合は、アスリートが、特に「なぜ」という理由も、「誰に」という対象となる人物も述べずに、とにかく金メダルが取れなかったことを「謝る」ということはない。この場合には、期待に応えられなかったこととその原因について、自分自身の感情や感想を表現し、試合のパフォーマンスを分析するということが一般的であるのではないかと考えられる。

 おそらく日本人の場合には、応援してくれている人やサポートしてくれている指導者、あるいは家族及び友人に対して謝っているのではないかと推察はできるが、実際に「誰に」そして「なぜ」謝っているのかは、日本人でない身としては理解しがたいことであるといえよう。

通常負ける原因を考えてみても、「何等かの理由で実力や持っている力を発揮できなかった」、「その日は相手が自分自身より強かった」や、「判断ミスをしてしまった」等は推察される。いずれも意図的に負けるようなものでなく、したがって、(当事者が)謝らなければならないものとして受け止めなくてもいいと解釈される。

また、「Rio 2016」における報道を振り返ってみても、「謝って当然」や「謝るべき」と、選手の謝る姿に納得するメディア関係者や元アスリートであるテレビの解説者もいないように捉えられる。それだけでなく、「十分に頑張っていましたね。本当にお疲れ様です。」という日本的な言い回しで、むしろ選手を励ます場面が多くみられたことから、むしろアスリート以外の様々な人には選手たちが金メダルを取る難しさと、彼らが競技以外の生活を犠牲にしてまでその目標に向けて世界と戦って頑張っている過程こそが評価されているようにみえる。このような対応のズレをみていると、選手以外の人々の方が、オリンピックで金メダルを取ることの難しさをアスリートより理解し、オリンピックというものをより現実的に捉えているような印象は受けてしまう。

 しかし、日本人ならではの性格やそれによる考え方という視点から謝っている日本人選手の立場になってみると、もしかすると負けた原因を分析すると世間的に言い訳や責任逃れと批判される恐れがあるということから、対外的にはわざと試合内容やパフォーマンスを冷静に分析しないのではないかとも考えられる。応援されている人にどのように見られるかという、周りの目を本人の評価に直結するものとして受け止め、それが「負けたら謝る」という立ち居振る舞いにつながるのではないかとも考えることはできよう。

 

3.「相手を称えない」

 スポーツにおいて試合で負けるというのは、様々な理由はあるものの、基本的には、相手がより強かった、速かった等、パフォーマンスがより優れていたからであるといえるのではないだろうか。さらに、より優れたパフォーマンスを発揮できたその相手を称えるという行為も、オリンピック等といった国際的なスポーツイベントではよく目にする。しかし、筆者が日本でみた2016リオ五輪の報道で取り上げられた日本人選手には、そのような行為をとるアスリートを一人も見ることがなかったというのは、本稿で述べる日本のスポーツやアスリートにおける3つ目の「ふしぎ」である。

もちろんどうしても相手を称えなければならないわけではなく、また外国人選手の誰もがそのようなことを行うわけでもないが、今まで多くの外国人選手にみられたこのような行為を日本人選手において(筆者が見る限りにおいては)一切目にしなかったというのは、衝撃的なことであった。

 「負けたら謝る」という行為に対する解釈に類似しているが、相手を称えることによって敗因を自分自身に起因させるのではなく、誰かのせいにするような言い訳や責任逃れと思われる可能性がこのような行動をとる原因の一つとして考えられるのではないだろうか。しかし、可能な限り準備や調整を経て、最高の状態で臨んだ大会において、自分自身のベストパフォーマンスや実力をすべて発揮ができたのに、最終的に負けて銀メダルに終わるという展開も、特にオリンピックにおいて度々みられるが、その場合には、優勝をした相手とそのパフォーマンスを率直に称えていいのではないかと筆者は考える。ましてや僅差で勝負した相手は、常に競い合って厳しいトレーニングや練習を乗り越えてきた者同士としてその苦労を一番に理解できるからこそ、金メダル獲得を称賛するというのは、むしろスポーツマンシップそのものなのではないかとも考えられる。それは、自分自身を否定してしまうということではなく、さらには、競技人生を終えなければならないことを認めることでもないであろう。

 

外国人の日本人アスリートに対する「疑問と尊敬」

 「ふしぎ」だから非難をするのではなく、むしろ外国人として到底考えが及ばない彼らの行動の背景を認めるだけでなく、さらに一歩踏み込んで自分自身にはできないであろうという考えから尊敬を払う人すら多くいるのではないかともいえる。それは、本稿のテーマである日本人のオリンピックアスリートに関していえば、彼らの多くが金メダルという大きな責任を負い、誰にも頼らずに一人で世界と競おうとする覚悟でオリンピックに臨む姿に対してであり、多くの外国人アスリートがそのことに敬意を表するものであるからに違いない。

 

 

参考文献:ウイキペディア、『外国人からみた日本のスポーツにおける「ふしぎ」─ 2016 リオ五輪における日本人アスリートの立ち居振る舞いに着目して─』の研究ノート

 

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第14回「タイガー・ウッズ」(20019416日)

昨日終わったゴルフのマスターズではタイガーウッズが優勝しました。タイガーウッズは、母親の勧めで始めた習慣で最終日は赤系のシャツを着ます。タイガーの写真は赤いシャツで写っていればどこかの大会の最終日と考えて間違いありません。タイガーが優勝することは期待していた人は老若男女多かっただろうと思います。なぜなら昔の彼は強かった。一番強い時の印象は神がかったパットです。グリーンの傾斜、芝目などあらゆるファクターをインプットしてあさっての方向に打ち出し、しばらくするとボールはゆっくりとカップに向かって行きました。さらに、追いかけるタイガーは積極的に攻めます。あと10cm後ろだったら池ポッチャになる場合でも負けている時はガンガンピンにからめてきます。まるで1位でなければゴルフでないがごとくです。マスターズは123千万円、214千万円、387百万円ですので、2位でもいいんじゃないのと思うのですが・・・

タイガー・ウッズの強さの秘密は、いろいろありますが、藤原和博さん(メンタルトレーナー)は彼の「脳の使い方」にあるといっています。タイガー・ウッズは「自分は世界ナンバーワンのゴルファーだ」という自分自身の能力に関する自己評価を持っています。

この自分自身の能力に関する自己評価のことを『エフィカシー』といいます。

エフィカシーの高い人は、新しいことにチャレンジするとき、チャンスの場面、逆境に立たされたとき、「自分なら素晴らしい結果を出せる!」と考えます。エフィカシーを上げていくのに、過去は一切関係なく、根拠はいりません。なぜなら、「自分自身の能力に関する自己評価」だからです。他者からの評価ではありません。

200510月、世界ゴルフ選手権の最終日に、タイガー・ウッズとジョン・デーリーという2人のゴルファーが優勝争いをしていました。最終の18番ホールが終わった段階で、同スコアで並び、勝負はプレーオフに持ち越されたのです。そして、迎えたプレーオフ2ホール目。タイガー・ウッズは先にパー・パットを決め、ジョン・デーリーが距離1メートルのパー・パットを決めれば、さらに次のホールへと勝負が持ち越される場面。もしあなたがタイガー・ウッズの立場だったら、このとき、どう思うでしょうか?おそらく、たいていの人は「外せ!」と思うのではないでしょうか。ジョン・デーリーが外せば、タイガー・ウッズの優勝が決まる場面で、タイガー・ウッズは、なんとジョン・デーリーのパットを本気で「入れ!」と願っていたのです。「外せ!」と思ってしまうことで、無意識に自分は相手と同じであるか下であると評価していることになってしまいます。「相手が外すことで優勝できる」と考えるということは、「相手が外してくれないと自分は勝てない」と自分に言っているのと同じです。タイガー・ウッズには「自分は世界ナンバーワンのゴルファーだ」というエフィカシーがあります。このエフィカシーを維持するためには、ジョン・デーリーが最後のパットで「外せ!」なんて思ってはいけません。

「世界ナンバーワンのゴルファーの自分が、相手のミスによって優勝が決まるなんて、自分らしくない。もっと自分はすごいプレーができる人間なんだ!」と思っていました。実際に、ジョン・デーリーが最後のパットを外した瞬間、タイガー・ウッズは本当にガッカリした顔をしていました。それは、最高のプレーで優勝するイメージがタイガー・ウッズの頭の中にあったからです。

 藤原さんは決して、エフィカシーはタイガー・ウッズだけが特別ということではないとも言っています。脳の使い方なので、練習していけば誰でも上手に脳を使いこなすことができるのです。

人はみな、天才として生まれてきているのです。生きていく過程の中で、そう思えなくなっただけです。小学生の頃出展した絵のコンクールでいつも3位までに入った自分や一度聞いた音楽をほぼ同じようにギターでひけた自分を思い出してください。あの時学校や親の理解や援助があったらきっと今頃は1200万円の画家になったし、カーネギーホールが一杯になる音楽家になっただろうと考える方はいらっしゃると思います。

自分の子どものことを低く見なさないでください。子どもたちは、とてつもない可能性を秘めています。つまり、子供たちの能力・価値はまだまだそんなものではないということです。今度はあなたが理解と援助を与えてやる巡り合わせなのです。

「自分はただのゴルファー」だと思っていれば、本当はもっとできるのに、脳はそのエフィカシーに合わせて力をセーブします。「自分ならもっと上手にプレーすることができる!」と思うこと。そこに過去は一切関係なく根拠もいりません。

エフィカシーを上げていくためには、陸上競技・人間関係・学業、何か一側面の上手くいかなかったことを見て、自分のことを責めないことです。その時はその子らしくなかっただけです。

このパットが入れば2億円、外せば1億円、つまり1パット1億円になるわけで、私なら1mの距離でも手が動かなくなり打てません。タイガーは7mの距離でもウインニングパットが入ったイメージしか持っていません。入らないことを考えていないのです。みんなタイガーのようになりましょう。

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13回「ルーティン」(2019410日)

ラグビーの五郎丸選手で有名になったルーティン(routine)は、スポーツ心理学では「アスリートがパフォーマンスの前に行う儀式的な動作の事」を指します。

五郎丸選手の前にはイチロー選手のユニフォームの袖をつかみバットをセンター方向にバットを立てる動作が有名でした。まず何人かの有名選手のルーティンをご紹介しましょう。

(1)琴奨菊(相撲)

立会直前の胸を反る動作「琴バウアー」

(2)内村航平(体操)

跳馬の前に両手を前に差し出すポーズ

(3)ウサイン・ボルト(陸上)

スタート前胸で十字を切るしぐさ

(4)C・ロナウド(サッカー)

フリーキックを蹴る前に右足から後方に4歩、最後に左に1歩動き仁王立ちする。

(5)浅田真央(フィギア)

左足からリンクに入る。前進、後進の周回、左右交互の足で滑るジグザグ滑走などの一連の動作

プロの選手は多かれ少なかれこのようなルーティンがあります。

では、なぜこのようなルーティンがあるのでしょうか。

まず一つ目は短時間で極度の集中状態をつくれるからです。

受験勉強やダイエットのための運動はなかなかやる気が起きません。脳は他の臓器に比べて怠け者で疲れることが嫌いです。脳の負担を軽減するためには、脳をなるべく使わない無意識の動作をすることです。それがルーティンなのです。やることややる手順が決まっていたり、同じ時間に行動することで体が自然に反応してくれます。

サラリーマンでも同じです。ある人は、会社に着いたらまず缶コーヒーを飲み、PCを開いてヤフーニュースを見る。毎日の売り上げを確認し、生産管理の某さんに電話する。これが仕事に入るルーティンなのです。

次に、ルーティンをすることは、自分を客観視することができるからなのです。毎日同じ動作を重ねれば重ねるほど、ちょっとした自分の体調の良し悪しに気づきやすくなります。今の自分が不調なのか普通なのか好調なのか確実に区別できる人は少ないと思います。不調も続けば普通になってしまうからです。

相撲は古いスポーツですが、そのせいか体験や経験に裏付けられており、練習方法にも多くの型があります。最初中卒で入門する子は型を守るのに窮屈な思いをしますが、慣れてくると結果的に自分を自由にしてくれます。型どおり練習していればちょっとした食い違い(好調か不調か怪我をしているか否かなど)を親方らが指摘してくれるからです。

ルーティンが流行っている現在、間違ったルーティンもあります。

当クラブに在籍したお子さんでルーティンだと言って大会当日アップ前に「納豆巻き」を食べる子がいました。保護者様もわざわざ買ってきて納豆巻きを食べさせます。それはある大会で時間がなく納豆巻きを食べて出たら、たまたまベストが出ただけなのです。ルーティンとゲン担ぎとは違います。さらにそのお子さんの保護者様は大会当日アップ前にマッサージをします。小学生にマッサージはどうかと思っているのに試合直前にマッサージをするなんて・・・しかし、これもルーティンだと言ってコーチの言うことを聞きません。独断偏見のルーティンもまた危険です。

プロ野球の野村監督が試合に勝つとパンツを変えないというゲン担ぎは有名な話ですが、試合で勝つ理由にはなりません。データー野球の神様でも最後はわけのわからない行為をするものです。

参考文献:ウイキペディア、予防医学研究者石川善樹論文

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12回「イノベーション」(201942日)

社会ではイノベーションという言葉をよく耳にします。

イノベーションとはそれまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことと言われています。

陸上競技の世界にもイノベーションがありました。ただ、ルールという規制で折角のアイデアがつぶれてしまうことも希にあります。

(1)ルール改正によって消えて行ったイノベーション

まずは走り幅跳びに登場した「回転跳び」です。

そり跳びやはさみ跳びなど従来の跳躍方法はすべて、踏み切り時に踏切足をつっかえ棒のように地面に叩きつけ、その反発力を上方向への上昇力に変えて飛距離を生み出すという考え方に基づいています。踏み切ったあとは前方上方向への推進力がかかっているため、放っておくと上半身に前方向への回転がかかってしまい着地でつんのめってしまいます。体を反ったり手足を交互に動かす空中動作は、その回転力を打ち消すための工夫なのです。

回転跳びでは踏切足をつっかえ棒にはしません。むしろ走り抜けていきます。そして前方への回転力を打ち消す動作をするどころか、逆に積極的に回転を加えます。そこが革新的なのです。

従来の跳び方に比べ記録が伸びる理由は、そり跳びやはさみ跳びの場合、踏切足をつっかえ棒にして上方への推進力を生み出すために、踏み切り前にいったん上体を後ろにそらし「ため」をつくる動作を入れる必要があり、なおかつ、踏み切りの際にブレーキ効果が発生してしまうのに対して、回転跳びの場合、助走の姿勢をそのままに走り抜けることができ、ブレーキがかかりにくいことが挙げられます。また、着地の際に記録を伸ばすため、足をできるだけ前方に振り出して着地したいのですが、そり跳びやはさみ跳びの場合、あまり振り出し過ぎると尻もちをつくか背中が付いてしまって結果的に記録が落ちてしまいがちです。

それに対して、回転跳びの場合、前方宙返りで前回転の力がかかっているので、目一杯足を振り出しても尻もちを付きにくいのです。

私が学生の頃「陸マガ」や「陸上競技」に紹介され、一時ブームになりました。しかし、ブームが起こって半年たつかたたないころ、世界陸上競技連盟は、危険性が高いという理由により、回転跳びの禁止を決定しました。現在でも日本陸上競技連盟編陸上競技ルールブック第185条には「助走あるいは跳躍動作中に宙返りのようなフォームを使ったときには無効試技とする」と規定されています。

悲運なアイデアは「やり投げ」にもあります。

現在の国際基準ルールでは、助走からクロスステップをつけながら、やりを前方に真っ直ぐ投てきするという、スタンダードな方法しか認められていません。

しかし実は、このような現在の投法とは全く違った「回転投法」が、やり投げの世界にも存在していたということをご存知でしょうか。

投げる方向に対して背を向け、そこから一気に体をひねることで、やりを飛ばすための推進力を生みだします。この方法では助走をつけることができませんが、回転によって生まれる遠心力を使った投てきは、非常に強力だったそうです。また、通常の投法ではやりの中心部あたりを持ちますが、回転投法ではやりの後端を握っていました。あえて後端をもつことにより、いわばハンマー投げのように、大きな遠心力を生み出すという狙いがあったのでしょう。

すでに禁止されてしまった回転投法ですが、その威力は本当にすさまじいものでした。

というのも、かつて回転投法によって叩き出された記録は、技術の進歩した現在のアスリートたちをもってしても、越えられない壁となり立ちはだかっているからです。記録に残っているなかで、一番最初にやり投げの回転投法が確認されたのは1950年代のことでした。名前は不明ですが、当時のスペインの選手がやり投げの大会で、回転投げを披露したことが記録されています。しかし彼はこの方法を用いて、なんと100m以上もの飛距離を叩き出しているのです。この時代の世界記録が86m04だったことを考えても、100m越えという記録が、いかに飛びぬけたものだったのかが分かります。

その後、数々の選手がスタンダードな投法で飛距離を伸ばし続けてきました(現在の世界記録は9848)が、残念ながら現在に至るまで、回転投法による記録を超えるものは現れていません。

回転投法が禁止された理由はいたってシンプルで、「危険だから」という一点につきます。上手くいけば100mを軽く超えてしまうポテンシャルを秘めた回転投法…裏を返せば、失敗すると客席に向かって飛んでいく確率が高い、危険な投法でもあったのです。

残念ながら禁止されてしまった回転投法ですが、もしも今でも回転投法が有効だったとしたら、世界記録は120m130mに到達していたかもしれません。

最後に走り高跳びについてお話しします。体操の床運動を見たことがあると思いますが、お気づきのように白井が跳んだ時の足先は優に2mを超えています。たぶん、彼の床運動のジャンプをそのまま走り高跳びにつなげたら世界記録(2m45cm)は超えると思います。ただ、日本陸連の規定では走り高跳びにおいて「競技者は片足で踏み切らなければならない」となっており、白井のオリンピックで走り高跳びの金メダルは実現しないのです。白井が高く跳ぶ時、実は両足踏切なのです。

「より速く、より高く、より強く(遠くへ)」のオリンピックのモットーは今後も様々な制約内でおこなわれることでしょう

(2)ルール内でのイノベーション

ルール内においてイノベーションをもたらした最大の功労者は、走り高跳びのフォスベリー(アメリカ)でした。彼は背面跳びの考案者兼実践者だったのです。

いまや選抜競技の世界ではほぼ100%の選手がこの背面跳びで跳んでいます。しかし初めからこのような状況になったわけではありません。

私が中学生の頃は、ほとんどがはさみ跳びかベリーロールでした。ベリーロールはお腹を中心にしてバーの回りを巻くように回転しながらクリアする跳躍方法で、助走開始からバーをクリアして着地するまで終始バーを見続けることができ、体の先端から順次バーを巻いていくことにより、比較的低重心でバーをクリアすることが可能です。ただし習得が難しく高度なテクニックを要求されます。特に最後の抜き足をバーに触れずにどう処理するかが最大の課題になります。空中でお腹を中心に回転する動作を十二分に完結できないため、最後に足が触れてしまうのです。

高校生から大学生時代のフォスベリーは元々正面跳びの選手でしたが伸び悩みを感じていました。そしてご多分にもれずベリーロールに転向しましたがなかなかうまく使いこなせません。そんなある日の大会でバーが限界近くに上がりベリーロールの難しさを感じて試技の途中で正面跳びに戻して跳躍したところ、バーをクリアしようとして無理矢理腰を上げて頭と腰がほぼ水平状態になった際に、この新しい跳躍法の着想を得たようです。おそらく腰を上げた際に頭が天空を仰ぐ形になると同時に、頭が先に流れていき、ちょうど背面跳びに近いようなクリアの仕方になったのではないかと想像します。

フォスベリーは正面跳びとベリーロールの限界に見切りをつけ、本格的に背面跳びへの挑戦を始めます。そして周りの者が奇異の目で見つめる中、全米大学選手権に優勝し、オリンピック代表選考会も見事に通過し、1968年メキシコオリンピックで金メダルを獲得します。メキシコオリンピックで背面跳びはフォスベリーひとりでした。

背面跳びが登場し、記録もそこそこ出るようになっても、すべての専門家がはじめから背面跳びの優位性を簡単には認めたわけではありません。

跳躍時にわざわざ体をひねってまでして後ろ向きになること、バーがほとんど見えない状態でクリアしなければならないこと、体の屈曲は背中で海老反るより腹で曲げる方が容易なことなど、背面跳びを否定する要素はいくらもありました。そして何より、それまでは最終的に着地する足からバーに飛び込んでいくのが常識ななか、無謀にも頭(それも後頭部)から飛び込んでいき、着地も背中やへたをすると頭から落ちていくことへの心理的な抵抗、危険性の指摘は大きかったと思います。

 しかしそんな否定論など、実際に跳んでみて背面跳びの優秀さを目の当たりにした選手にとっては何の障害にもなりません。実際に跳んでみると、跳ぶ前に抱いていた「背中でバーを越えることの難しさ」が実は意外なほど難しくないことに気づきます。そしてベリーロールの抱えていた抜き足の難しさが一連の自然な動作の中で見事に克服されていることにも気づきます。また、バーに背を向けることで高さへの恐怖をいくばくか和らげることができる利点にも気づきます。

そして何より、これまで正面跳びとかベリーロールで何とか跳んでいた自己ベスト記録をいとも簡単に更新できることに気づいたとき、もう背面跳びから逃れられなくなります。

(3)今後のイノベーション

当クラブは走るのが主体のクラブですが、走法のイノベーションには限界があります。ただ、練習方法には工夫の余地があります。画期的な練習法をつくることはコーチの役割と心得ております。ザトペックが実践したインターバルトレーニングは練習方法のイノベーションでした。これはこれで実施し、さらに子供たちにあった新トレーニングをつくっていきたいと考えています。

 

参考文献:ウイキペディア、上智まさはるの陸上競技、うさりく先生の陸上教室

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11回「人類の壁」(2019325日)

 陸上競技で1マイル走という競技がありました(1マイルは1609メートル、ヤード・ポンド法を採用している国、アメリカやイギリスなどでは根強い人気)。

 1923年に空飛ぶフィンランド人と呼ばれたパーヴォ・ヌルミ選手が4分10秒3という驚異的な記録を打ち立て、「もう二度とこの記録は破られないだろう」「1マイル4分を切ることは人類の運動能力では不可能だ」と言われ、それが定説となりました。そして、その記録は長い間破られることはありませんでした。

 それから31年経った1954年、当時オックスフォードの医学生であったロジャー・バニスター選手が3分59秒4という記録を出し1マイル4分の壁を破りました。ついに人類の壁を超えたのです。

 さて、ここからが面白いところです。ロジャー・バニスター選手が3分59秒4という31年ぶりの大記録を出したわずか46日後、オーストラリアのジョン・ランディ選手が3分58秒0という記録をだし、あっさりと世界記録を塗り替えてしまいました。31年破られなかった記録がわずか46日で。

 まだまだ続きます。その年になんと37人が1マイル4分の壁を突破したのです。そして、翌年にはなんと300人もの選手が1マイル4分の壁を破りました。

 1マイル4分の壁、そんな壁は果たして本当に存在したのでしょうか。その壁とは人間が作り出した固定観念や思い込みです。しかし、たった一人がそこに壁などないことを証明すれば他の人も続くことができます。このように、「できない」「不可能」と思っていることでも、「できるかもしれない」「できた」という経験や認識によって、今までできなかったことができるようになります。世界記録を更新する鍵は、「更新できるかもしれない」という「認識」だと思います。

 誰もがロジャー・バニスター選手のように自ら先頭に立って壁を破ることは難しいしでしょうが、ジョン・ランディ選手やその後に続く37人、300人にはなれるのではないでしょうか。

自分の常識の壁(小学生なら1000m310秒)を取り払ってくれるぶっ飛んだ人(1000m255秒)と多くの時間を過ごし、その人が苦しんでいた過去(310秒を切れなかった頃)を知り、一緒に練習することで彼の実力(255秒)を肌で感じ、あなた自身も自分の狭い壁を取り払ってほしいと思います。そうすれば、一人の人が頑張って突破した壁をみんなで超えていくことができ、バンビーニ陸上クラブの進化が早まるのではないかと考えています。

明後日、それを実践しに合宿に行ってきます。

 

参考文献:ウイッキペディア、河上信之輔氏コラム、MAX氏コラム

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第10回「ポジティブ思考」(2019年3月19日)

陸上競技でいつも結果が振るわない人。練習を誰よりも頑張っているのに、結果が出せなくていつも周りの期待を裏切ってしまう。そんなお子さんは少なくありません。当クラブは保護者様の目が厳しいので、そのような場合いつもコーチの自分が針のむしろに座らせられている気がします。しかし、この場合原因の多くはお子さんの性格や心理的な面にあるのです。その場でコーチがこのことを言うものなら「言い訳するな」と糾弾され、つるし上げられそうなので言いません。ここでこっそり主張します。あくまでもこっそりです。

大会で入賞できないのは、子どもの頭がいいからなのです。頭のいい子はネガティブ思考に陥りやすいのです。ネガティブ思考を持つ子は、練習や試合でほんの少し思い通りにいかないだけで落ち込む児童です。いつも現状に満足しない謙虚すぎる児童も当てはまります。コーチや保護者に怒られて、根に持つ児童も該当します。

これらは全部、陸上競技に関してマイナスへ働いてしまいます。心と体は繋がっています。これを心理学では心身相関と言い、顕著な例が、飲んでいるジュースに毒を入れたと言われたら、それが事実でなくとも人はだんだん気分が悪くなり嘔吐してしまうでしょう。このように自分がイメージしたことは行動にそのまま出てしまうものです。自分が疲れたと思い込めば、本当に疲れてしまうし、できるイメージが強い人ほど上達スピードが早いのです。できないと思えば、できない確率が高まります。決勝で「負けるイメージ」をしてしまえば、パフォーマンスも負けることを前提としたものになってしまいます。

 一方ポジティブ思考の代表例が低学年の小学生です。無邪気でそれこそノー天気で自分を見ているのかもしれません。褒められたら木に登ってしまう。そのくせダメになった自分のことはこれっぽっちも考えていない。叱られても5分後はどこ吹く風、くよくよしていない。我々大人では考えられない心境なのです。

この子らのようにスポーツにおいては「絶対に俺は勝つ」と思うことが必要です。成功イメージを持つことです。

昔、マイク・タイソンというボクサーは、重量級とは思えないすばやさと、相手のガードごとなぎ倒すパンチ力を持ち、ゴングが鳴るのを待てずに飛び出す気迫がありました。彼は身長180cmですが、相手が2m近い大男に対しても同じように飛び出していきました。その気迫に負けてしまったと試合に負けた選手が感想を述べていました。彼は誰にも負けないとの考えで試合に臨んでいたのです。ある試合でセコンドが相手はタイソンよりリーチが長いので離れて打ってくるから気をつけろと言っても、ぐいぐい中に入っていて打ちのめすのです。入る時に一発殴られても中に入ってダイナマイトパンチをあびせればダウンさせられるとの考えで進んでいきます。彼には負けるというマイナスイメージはありませんでした。

 当クラブではシーズンオフの時「運命ジャンケン」をさせました。これは並んだ10人に順番にジャンケンをして前に進むゲームです。勝てば進み負ければ戻ります。8人までいって戻ることはざらです。もちろん陸上競技の練習の一環ですから1人ずつの距離があり、8人目で負けて戻るのは精神的にしんどいです。1人ずつ負かしていくうちに、そろそろ負けるのではないかという思いが浮かんできた者から負けていきます。皆に言い聞かせているのは、最後まで勝つことを心に刻み込みなさい、負けることは考えないでジャンケンしなさいということです。

東海大学体育学部 教授 高妻容一氏は、ポジティブ思考になるために今すぐできることは

「普段から物事をプラスに考える思考を身につけるための習慣を持つことです。まず、人には笑顔で接すること。〈ありがとう〉と感謝の言葉を素直に言うこと。そして、いつも自信のあるポーズをとってください。上を向いて、胸を張る。肩も足も大きく開いて立つ。歩くときも大股で。不思議なことに本当に自信がみなぎってきますから。うなだれて、肩をすぼめたポーズをとっていると実際に元気がなくなってしまいます。それから口にする言葉は、独り言も会話もすべてポジティブにし、あいさつは、強く、大きな声で、語尾を上げる。ぜひやってみて習慣化してください。驚くほどすべてが変わりますから」

と唱えています。是非子供たちに実践してみたいと思います。

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9回「競馬その2」【脚質】(2019312日)

子どもたちはシーズンに入ると大会に出るのですが、短距離と違って長距離ではレース展開という特徴があります。コーチは平均タイムで走ることを勧めその練習を子供たちに与えています。しかしながら、大会になると平均タイムで走らない子がいます。また、大会前になると大会を全く意識しない子とガチガチになる子がいます。最初に飛び出すと終盤ガタガタになる子もいます。なんだか競走馬を見ているようです。

そこで、今回は競走馬のいろいろな戦法というか走り方をご説明しますので、お子さんがどのタイプなのかお考えください。

馬は基本的に臆病であり、他馬がいるとそれを追走する習性をもつので、概ねレース中は縦長な展開になります。そのため、レースに参加する馬によっては、その位置取りが有利に働くこともあれば、不利に働くこともあります。これは基本的にその馬の性格や能力によるものであり、レース中にどの位置にいると能力を発揮しやすいか、その「位置取り」で競馬を進めることを「脚質(きゃくしつ)」と言います。

では具体的に、どのような脚質があるのでしょうか。

脚質を決めるのは、主に馬の精神面(気性)と走行能力(脚力)です。精神面について詳しく見ると、他の馬より前に出ようとする闘争心、最後まで諦めずに走る粘り強さ、騎手の指示に対する従順さ(折り合い)、馬群の中でレースをしてもひるまない図太さなどがあります。走行能力については、脚の速さの他にスタート直後の加速力・瞬発力やレース終盤での瞬発力、持久力などがあります。

(1)「逃げ」

スタート直後から先頭に立って、ゴールまで先頭で走り切る戦法を得意とします。

単純に考えれば自分自身でペースを作るために、出走メンバーの中で能力が抜けている馬が逃げた場合、他馬は勝つ事はできません。一般に、レースのペースが遅いほど有利です。

逃げの戦法をとるのは、他の馬より前に出ようとする闘争心の強い馬や、気が弱く馬群の中でレースをするのを嫌う馬です。前者はよほど早いペースで走らない限り堅実な走りを見せますが、後者は他の馬に追いつかれた途端に気力をなくしてしまうことが多いのです。また、気の弱い逃げ馬はペースの緩急をつけるのが苦手で単調なペースで走ることが多く、後続馬のペースメーカーになりやすいのです。気性が荒いと騎手の制御に従わずに逃げるケースもありますので、このタイプは走るペースが早くなりがちです。

逃げ馬は基本的に周囲に競争相手がいないため、最短最良の走路を走ることが出来るメリットがある反面、他の競争相手から目標にされやすいのです。また、空気抵抗を他の馬より受けるというデメリットがあります。勝つときは一度も競争相手に先頭を譲らないため「逃げて勝つのが一番強い」と言われています。一方で人気薄の競走馬が勝利を挙げるときもこのパターンが多いのです。なぜなら、この場合は警戒されにくいためマイペースで競走することが可能だからです。

(2)「先行」

逃げ馬の直後に位置づける戦法を取る馬です。出走頭数にもよるが、大体先頭を走っている馬から4~5頭が先行馬と思ってもらってもいいです。先行馬は逃げ馬の次に不利なくレースを進める事が出来る為、競馬をする上で理想のポジションと言えます。

レースの要所で反応よく前方へ進出する気性と、後方からの追撃を凌ぐ脚力が要求される。逃げ馬と同様、一般にレースのペースが遅いほど有利です。

(3)「差し」

レース前半は馬群の中団から後方で待機させ、最終コーナー付近から徐々に進出し、ゴール前で前を行く馬を交わす戦法を身上とします。

基本的には先行馬と同様の能力が必要です。しかし、先行馬よりも前半でのスタミナロスが少ないため、ゴール前で前を交わす力は先行馬よりも上です。

その分、先行馬よりも瞬発力がなければ務まりません。さらに前を行く先行馬に進路をふさがれる危険性もあります。

性格的に馬群の中に入っても怖がらない、前の馬が巻き上げた砂などを浴びても嫌がらない気性の持ち主で、前述のとおり瞬発力を武器とする競走馬がとる戦法であるといえます。

(4)「追い込み」

レース前半は馬群の後方に待機させ、直線に入ってスパートし、前を行く馬を交わしていく戦法を展開する馬です。スタート自体や、スタート直後にスピードを出す能力が低い馬の他、馬群に入ると怯んでしまう気性の馬が、よく使う戦法です。

ハイペースで前を行く馬がスタミナを切らしてしまうと、この戦法は有効ですが、逆にスローペースになってしまうと、前を行く馬も最後まで衰えないため、勝ちきれないことも多いのです。

また追い込む際、基本的に馬群の外を通って前方への進出を図るほかなく、走行距離が他の馬よりも長くなりスタミナが必要です。

(5)「自在」

どのようなレース展開であっても、騎手の指示に従って自在に走るポジションを決めることができる馬のことです。明確に自在と分けられる場合は少なく、騎手の指示に即座に応えられる素直な性格と、どの位置からでも力を発揮できる根性やスピードの全てを持ち合わせた馬のことです。また、逆に気性が荒いためにレース前の馬の状況に応じて脚質を変えるケースもあります。本来の脚質が使えなかった場合に直線一気の追い込みで勝つなど新境地を見出すこともあります。例外はあるものの「自身の勝ちパターン」や「決め手」を持たない場合が多いのです。

競走馬はおおざっぱにこのようなタイプに分類されます。○○馬と表現されますが、このような戦法や走法を取った方がこの馬にとっては勝率がいいので、多くのレースでこのように走るのです。

お子さんの脚質(走り方)を変えると、多くは記録が出ません。事前の作戦や励ましもお子さんの脚質に合わせてすべきだと思います。

ちなみに私は学生時代は先行馬で、いつも1500mでは1000mまで高校記録のペースでした。この距離を延ばしていけばいいとの考えを頑なに守っていました(青春期によくあるパターンですが)。

最後に競走馬は馬場状態や競馬場そのものに好き嫌いがあります(陸上競技場は規格が決まっておりランナーは競走馬ほど競技場の好き嫌いはないのですが、記録が出るのは青地の競技場が多いようです)。

パドックでの様子や馬体重(前走より増えたか減ったか)も調子のバロメータとして投資家(赤鉛筆片手に競馬新聞を見ている人たち)は分析ツールとしています。競馬は前回の「血統」とあわせて、データースポーツなのです。

参考文献:ウイキペディア、JRAのHP、ゼロから始める競馬入門

 

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8回「競馬その1」【血統】(201934日)

 競馬=ギャンブルとお考えの方がいらっしゃると思いますが、偏見です。競馬は鞍上騎手によるスポーツですし、馬券を買う人にとってはデータ勝負の投資の場でもあります。

私が競馬に興味があるのは競馬における「血統」と馬の気質による「脚質」が陸上競技に通じる様な気がするからです。今回は競馬における「血統」について、次回は馬の「脚質」についてお話しします。

サラブレッドという名称は、「THOROUGHBRED」というスペルからわかるように、「徹底的に(THOROUGH)品種改良されたもの(BRED)」という語源からきています。強く速い馬の血を残し、さらに強く速い馬をつくりだす。競馬がブラッド・スポーツと呼ばれるのは、こうして優秀な血統が受け継がれているからなのです。

サラブレッドの歴史は、17世紀の初めのころ、イギリス人が東洋種の牡馬をイギリス在来の牝馬に配合させたことではじまったといわれています。つまりサラブレッドには、300年以上もの歴史があるのです。血統を知ることは、競馬のおもしろさのひとつです。それは、血統から特徴や傾向を探ることがレース検討につながるだけでなく、血統というものが国境や時代を越えたネットワークになっているからです。

たとえば、1989年にアメリカの二冠馬となったサンデーサイレンスが日本にやってきて種牡馬となり、その産駒が90年代の日本の大レースで大活躍するといったことは血統の持つ醍醐味といえるでしょう。

競走馬がデビューする新馬(メイクデビュー)や、はじめての距離に挑むとき、両親の血統を探ることで距離などの適性を推測することができます。このほかにも、両親の実績から早熟タイプか奥手タイプかなどを推測することができます。また体型が父に似ているか母に似ているかということも、どのようなタイプなのかということを判断する材料になります。

競馬は父馬の遺伝によると言われていますが、父馬は、毎年複数頭に種付けするので、産駒の能力や血統的な傾向をつかむことができます。しかし母馬は普通、年間に1頭の産駒しか送り出せません。つまり父が同じという馬はたくさんいるということになりますが、母が同じという馬は限られているのです。母馬は生涯を通じて10頭ぐらいの産駒しか産めないので、その血統的な傾向を知るためには、その母馬の父の特徴をとらえることが目安となります。

ただし、優秀な血統の馬が必ずしも大きなレースを勝てるわけではありません。反対に、それほど優秀な産駒を出していない父馬と近親に活躍した馬がいない母馬との間からでも、後に名馬となる馬が生まれることもあるのです。これは、隔世遺伝などさまざまな要因が考えられますが、後天的なトレーニングなどもその馬の素質を開花させる要素であるといえます。

 人間も遺伝的要素の研究をおこないたいところですが、デビューが3歳、4歳で古馬といわれる競走馬に対して、ピークになるには陸上競技では20年~30年、さらにその子供が成長するまで20年となると、研究者の寿命や後輩の研究者たちの熱意など継続研究が難しい学問分野となります。国家200年の計画でデーターをとるしかありません。

ただし、研究を待たずに一つ言えることは、山縣亮太と福島千里が結婚し出産したら、「100mで日本記録を破る可能性が日本人の中で一番ある子」だ、ということです。ただし、マラソンで優勝することは絶対ありません。

当クラブにNという小6の男の子がいます。この子がある時遊びでハードルを跳びましたが、教えてもいないのに抜き足がすばらしかったので、ハードルをやってみよと最後の大会は80mHをやらせました。練習中に全力で9台跳んだことはありません。9台跳ぶのを怖がっていましたが、なんと大会では3歩ですべてクリアしました。練習時間はハードルを始めて10時間ぐらいだったと思います。小さい子ですがハードル技術が天性のものですねとお母さんに申し上げたら、お母さんがハードルの選手だったそうです。もちろんお母さんはお子さんをこちらに任せて頂き1回も教えたことがないそうです。ハードルのような技術性の高い競技は母親ゆずりが大きいと思います。

 

蛇足ですが、身近なところの「身長」についてです。マサチューセッツ工科大学とハーバードの研究者が発表した最新の研究結果によると、約25万人分の遺伝データから、身長は親からの遺伝が80%、環境によるものが20%ということがわかっています。その中でも母親の身長の影響が強いという結果が出ています。

私も入会して頂く際にはお母さんの身長を見てこの子が大きくなるかどうか判断しています。もちろん私の家のように母親が小さくても、水代わりに牛乳を飲ませ、お肉を与え、椅子とテーブルでの生活をさせることにより子供は大きくなったと確信している者もいます。遺伝であきらめてはいけません。

長距離ではお子さんの気質によってレースの仕方が変わることがあります。これは遺伝が係ることの一つですが、次回、馬の「脚質」(レースでの馬が得意としている走り方)のところで述べたいと思います。

 

参考文献:ウイキペディア、JRAのHP、ゼロから始める競馬入門

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7回「チョウとカ」(2019226日)

 世の中で一番スピードの速い動作ができる筋肉は何だと思いますか?

世の中で一番スピードの速い動作ができる筋肉は、カやハエなど空を飛ぶ昆虫の筋肉です。カやハエが飛ぶときは「プーン」「ブーン」という高い音がします。音が高いということは、周波数が高いということ。つまり、それだけ速く羽を動かしているということになります。

どのくらい速く、高い周波数で飛んでいるかを調べた研究者がいますが、カの一種で最も速いものは、およそ2kHz2000Hz)。これは1秒間に2000回羽ばたいているということになります。そのくらいのスピードで羽ばたくためには、0.5msec(ミリセカンド)というわずかな時間で仕事をしなければいけません。カやハエは、そういう筋肉を持っているということです。

もし人間が2kHzのスピードで脚を動かせるとしたら、時速500km、あるいはそれ以上のスピードで走ることができることになるでしょう。そこで、そういうスピードを出す秘訣やヒントのようなものが、カやハエの筋肉にないだろうか? と考えてみたくなります。

プリングルという研究者は、2kHzのスピードを生み出す飛翔筋が、どのくらい速く収縮するかということを調べました。昆虫から取り出した筋肉を刺激して、収縮速度を測ってみたところ……なんと決して速くないことがわかったのです。筋肉そのものが素早く収縮し、素早く弛緩するという予測があったわけですが、逆にゆっくりじわじわと力を発揮するタイプの筋肉だった。ヒトに例えると、速筋タイプではなく、常に緊張を保っているような遅筋タイプの筋肉であるということがわかりました。

これは、おかしい。なぜ筋肉のスピードは遅いのに、はばたきは速いのか? そこでさらに研究を進めると、昆虫の飛び方には2種類あることがわかりました。1つは、チョウやガのようにヒラヒラと音もなく飛ぶタイプ。もう1つは、カやハエ、ハチのようにブーンと音を立てて飛ぶタイプ。そして、ブーンと飛ぶタイプのほうが周波数は高いのですが、筋肉そのものの特性としては、ヒラヒラと飛ぶタイプのほうが速いことが判明しました。

続いて、飛翔する際の神経と筋肉の活動を記録したところ、チョウがヒラヒラと飛んでいるときは、まず羽を上げる筋肉が収縮して、羽を下げる筋肉が弛緩する。次に、羽を下げる筋肉が収縮して、上げる筋肉が弛緩する。それが交互に繰り返されていました。人間がはばたくまねをするときは、三角筋が収縮して腕が上がり、大胸筋や広背筋が収縮して腕が下がります。チョウなども、それと同じようにして舞っているというわけです。

一方、カやハエの類はそうではなく、羽を上げる筋肉も下げる筋肉も同時に収縮する。しかも、収縮しっ放しであることがわかりました。同時に収縮しているのに、なぜ羽が上がったり下がったりするのかを調べてみると、その秘密は、体表の硬い組織――クチクラにありました。

昆虫のクチクラには、石油缶の蓋がもっているクリック機構のような性質があります。押されるとパコッとへこんで安定するクリックの特性、プラス、ゆっくり収縮する筋肉の特性。それが2kHzのはばたきの仕組みだったのです。

昆虫工学は研究が進み機械工学に応用されています。それはあくまでも機械への応用です。スポーツにおいても昆虫工学を応用できたらと思っています。カのようなクチクラを持っていない人間がすばやく筋肉を動かすためには、まずはチョウのような動き、すなわち筋肉の弛緩→収縮→弛緩・・・を徹底させるのが早道ではないかと思います。また、遅筋がすばやい動きを導き出すとの分析は遅筋=長距離の発想にメスを入れることになるかもしれません。

当クラブにおいて、短距離でも400mをやらせています。また2000mくらいのロング走もあります。それで短距離が速くなると考えるのは長年の経験と実績からでした。理論的根拠はありませんでしたが、石井さんの本を読んで、「スピード持久力が最大スピードを導き出す」と結論できるのではないかと思うようになりました。これから練習で実践しその考えが正しいことを証明していきたいと思います。ダメなら、PDCAサイクル*でやり直します。

*)Plan(理論)Do(実行)・Check(検証)・Action(改善)

 

 

参考文献:ウイキペディア、「石井直方の筋肉の科学」

 

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第6回「ゾウとネズミ」(2019219日)

 入学式、運動会、夏休み、2学期、遠足、冬休み、卒業式、1年間の生徒・児童が経験する行事です。大人の我々は子供の頃、その時間は長く感じました。学期ごとの時間が長いし、夏休みがこれまた1年ぐらいあったのではないかという気がしました。ところが現実に戻ってみると、我々おとなはもう2月も終わりか、1年の内2か月もたってしまい時間の流れは速い、とぼやいています。これは、大人と子供の生きている時間に対する割合が異なるからなのです。つまり、60才の大人と10才の子供では1年間の割合は1/60と1/10なのです。すなわち1年間という時間はこれまでの人生において大人1.7%、子供は10%の割合なので、大人と子供の時間の長さは子供が6倍長いのです。だから我々大人は時間がなく子供は暇をもてあそんでいるようにみえるのです。

この考えは昔読んだ「ゾウの時間、ネズミの時間」の影響が強いと思います。

その本の要旨は

動物によって「時間」というものもそれぞれ違うということです。それは心臓が1回打つのにかかる時間、呼吸するのにかかる時間、物を食べてからそれらが排泄されるまでにかかる時間、それから寿命にしても、動物によって異なるからなのです。

例えば、心臓が1回ドキンと打つ時間を心周期と呼びますが、ヒトの場合はおよそ1秒です。ところが、ハツカネズミなどは、ものすごく速くて1分間に600回から700回です。1回のドキンに0.1秒しかかかりません。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるのです。

こういった時間を計り、体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の10.25)乗に比例して時間が長くなるということのようです。つまり、体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きなんかもゆっくりになっていくということなんです。それで、我々らみるとネズミはチョロチョロ、ゾウはのっしのっし、という動きになるわけです。

時間が体重の4分の1乗に比例するということは、体重が2倍になると時間が1.2倍長くゆっくりになる関係です。体重が10倍になると時間は1.8倍になるんです。例えば、30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違いますから、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということになります。例えてみるとネズミからゾウを見たら、ただ突っ立っているだけで動かない、これは果して生き物だろうか、逆にゾウからネズミを見たら、ピュッっといなくなるわけですから、ネズミなんて果してこの世にいるのか、気にもしていないのかもしれません。

 実は哺乳類の場合、いろんな動物の寿命を心周期で割ってみますと、15億という数字が出ます。つまり、哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つという計算になるわけです。ハツカネズミの寿命は2−3年ですし、インドゾウは70年近くは生きますから、ゾウはネズミよりずっと長生きなのですが、心拍数を時間の単位として考えるなら、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるわけです。

ランニング学会初代会長の山地啓司さんは、心臓についてこうお話ししています。

我々が寝ている間も心臓は休みなく働き続けている。正確には休みながら断続的に働いている。というのは、心電図にはPQRSTと符合が打たれているが、T波が終了してから次のP波が現れるまで(心臓が収縮を終えてから次に始めるまで)心臓は休んでいることになるからだ。

ハーバード大学のW.キャノン博士は1分間70/分の場合には、心臓は1日当たり合計約15時間休んでいると推定している。この休息時間が長ければ長いほど1分間の心拍数が少なくなり、寿命が長くなる。例えば、からだの小さいハツカネズミの1分間の心拍数はおおよそ600/分であることから、休息時間は著しく短くなり、最長寿命は2~3年と短い。

それに対して、ゾウやクジラの心拍数は1020/分と少ないため心臓の休息時間も長くなり、最長寿命も70~100年と長い。このように、心拍数が少ない動物ほどTP波間が長くなり、休息時間が長くなるため最長寿命も長い。従って、動物の種間では、1分間の心拍数と寿命とは反比例するという法則性が成り立つ。

かつて心臓学者の間では、「ヒトの生涯に打つ心臓の鼓動の回数(心拍数)はすべて等しく15億回が与えられている」、とまことしやかに語られていた。これが事実と仮定して単純計算すると、1分間の心拍数が50拍、60拍、70拍、80拍の者の寿命はそれぞれ95歳、79歳、68歳、59歳となる。仮に、定期的に運動することによって心臓が肥大化し、1回の収縮で心臓から送り出される血液量が多くなると、当然心拍数は少なくなる。従って、寿命は長くなる。

例えば、1150/分の強度の運動を1時間することによって、心拍数が70/分のものが60/分に低下したと仮定すると、トレーニング前の1日の心拍数は100,800/分(70/分×60分×24時間)であったものが、トレーニング後は91,800/分(60/分×60分×23時間+150/分×60分)となる。

すなわち、例え11時間の運動中の心拍数は高まっても、安静時の心拍数が減少するため、1日のトータルの心拍数は約8,200/分少なくなる。従って、運動によって安静時の心拍数が10/分少なくなり、寿命が約6.7年長くなることになる。この計算は仮説に仮説を重ねた後、心拍数から割り出したヒトの推定寿命である。勿論、寿命は心臓だけで決まるわけではないのでこんな単純な計算が成り立つ訳がないが、動物の種間の心拍数と寿命との比例関係が同一の種のヒトに限定しても当てはまると考えると、このような計算になるという仮説である。

練習で心臓の筋肉を鍛えることによって、長生きすることにつながるわけです。現在行っている厳しい練習は記録向上の為ですが、今の子供たちが将来人生を振り返える時に、同級生より長生きしていることに気付く事でしょう。その時私はいませんが・・・

 

 

参考文献:ウイキペディア、「ゾウの時間、ネズミの時間」、ランニング学会

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5回「マグロとヒラメ」(2019212日)

 回転寿司屋に行くと流れてくるお皿にマグロなど赤身の魚と共にヒラメなどの白身の魚があることに気づきます。なぜ魚のお刺身は2種類なのでしょうか。

マグロのように、休むことなく海面の浅い部分を一生泳ぎ続けている魚は、身が赤いのです。赤といえば血液の色であり、血液は酸素を運びます。つまり赤身の魚は酸素と脂肪を燃焼して有酸素運動をしているのです。だから脂ものっています。マグロやカツオのように遠海まで泳ぐ回遊魚は、瞬発力より持久力に優れています。遠くまで長い時間をかけて泳ごうとすると、大量の酸素を取り込み、エネルギーを長く生みだし続けることが必要です。その際、酸素は「ヘム」という鉄入り色素と結合して供給されますが、この「ヘム」が赤い色をしているため、マグロやカツオの身は赤く見えるのです。

反対に、タイやヒラメのように近海を泳ぐ魚は、獲物を追いかけたり、敵から逃げるため、瞬発力が発達しています。普段は海底でジッとしていても危険が迫るといち早く逃げたりすばやく動き回ってエサを獲るタイやヒラメなどは白身の魚なのです。

瞬発力を生むのに重要なのは効率よくエネルギーを生みだすことで、酸素を大量に取り込む必要はありません。そのため、筋肉に色がつかず、白く見えます。

ヒラメやカレイなどの白身魚のエネルギー源は、脂肪ではなくグリコーゲンという糖質です。だから、白身魚をよく噛んでみると、脂はのってないけど甘みがあります。 糖質はあまり体に蓄えられないので、瞬発力はあるけど持久力はありません。白身の魚は無酸素運動をしているのです。

 さて、我々人間の筋肉にも赤身と白身があるのをご存知でしょうか。

 そもそも人間は、走る・跳ぶ・投げるといった運動ができるのは、身体を支持する骨と自由に動かせる筋肉があるからなのです。この筋肉は骨格筋といい、胃や腸などで自動的に収縮し食物を細かくし後ろに送っている筋肉や、血液を全身に送っている心臓の筋肉とは違い、自分の意志で動かすことができる筋肉です。随意筋といいます。

おもしろいもので、人間の体には魚の赤身と白身のように2種類の筋肉があって、それらを“赤筋”と“白筋”と呼びます。赤筋は別名“遅筋”、白筋は“速筋”とも呼ばれています。マラソンやジョギングなど、長時間継続して有酸素運動するときには酸素と脂肪を燃やす赤筋が使われます。そして短距離走や砲丸投げなど、瞬発的に大きな力を出す無酸素運動をするときにはグリコーゲン(糖)を燃やす白筋が使われます。400m800mを全力走すると、疲れて立ち上がれなくなることがあります。専門用語で言うと「ケツ割れ」です。その理由は、糖分は体内に少量しか蓄えられないからで、糖分は、燃焼効率が悪く、1g燃やしても4kcalにしかならない。しかも、糖分をたくさん体に蓄えようとすると体がすごく重くなってしまうから、糖分はあまり蓄えられません。

 一方、長距離走などの持久系のスポーツに使われる脂肪は、1g9kcalにもなるから非常に効率がいいうえに、体に蓄えられやすいという性質があります。だから、人が太るときは、脂肪が増えていきます。

人間はどちらの筋肉が多いかによって“私は長距離が得意”、“私は短距離が得意”という個人差が生まれるのです(精神的なものや友達などの人間環境にもよりますが)。

 人間の体には約500の骨格筋があり、骨格筋を虫眼鏡で見てみると細い糸のような線維が束になっています。この繊維の事を筋繊維といいます。筋繊維は2種類の繊維で構成されています。

①白色筋線維(白筋)

繊維は太く疲れやすいけれど素早く収縮でき、速筋とも呼ばれています。酸素の使用量が少ない筋肉です。

②赤色筋線維(赤筋)

繊維は細く疲れにくく、その収縮はゆっくりとしていて遅筋とも呼ばれます。酸素を使用しながら収縮する筋肉です。

赤筋・白筋の割合は遺伝と言われていて、何もしなければ生まれたときから変わりませんが、トレーニングや生活環境などで割合が変わることが証明されています。

トレーニングではやり方は2通りあります。

(1)バランスよく伸ばす

瞬発系の種目をしてきた人は、白色筋繊維の割合が多い可能性がある為、トレーニングに有酸素運動を取り入れ長時間動き続ける身体を作っていきます。

逆に持久系の種目を取り組んできた人は、赤色筋繊維の割合が多い可能性がある為、無酸素運動を取り入れる事で身体を作っていきます。これら赤筋・白筋の割合をバランスよくする事で、パフォーマンスを向上していく事ができます。

(2)種目に特化して伸ばす

マラソン等、持久力の必要なスポーツは遅筋(赤筋)を、スプリンター等、瞬発力が必要なスポーツは速筋(白筋)を鍛えることで、種目に特化した筋肉がつくられます。短距離は速いが1000mを超えるととたんにダメになる子どもがいます。たぶんその子は遅筋の量が極端に少ないと思われます。

指導者としては、バラスよくトレーニングするか長距離、短距離で赤・白に重点を置いたトレーニングをするか悩むところです。当クラブでも2月の基礎体力トレーニングでチューブ引きを行っていますが、回数やチューブの太さなど、特に小学生の場合は悩んでしまいます。しかも小学生は筋肉がないから余計にどう調整していいか・・・ 保護者の方の「強くしてくれ」との要望に応えるには特化すべきなのでしょうが。

参考文献:ウイキペディア、女性セブン、順天堂大学論文

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第4回「ケニア選手」(201924日)

前回「人間が動物界の長距離王」ということを書きましたが、資料調査中に初代ランニング学会会長の山地啓司さんの論文を見つけました。第3回「人間」と相通じるものがありましたのでご紹介します(一部加筆)。

類人猿とヒトの最も古い祖先(ホモ・エレクトス)の比較から、人類は歩行や走行に都合のいいからだに進化してきたことが2004BrambleLiebermanNature誌)によって発表された。それ以降人類学の分野でさらに興味深い研究が報告されている。それらを加味して、ケニア人の歴史的発育・発達や伝統的生活習慣からみたケニア選手の強さの秘密を見てみよう。

ケニアで発見された1,500万年前の人骨はエレクトスから進化し、さらに現代のケニア人と著しく酷似したことから、ケニア人の先祖の進化の過程が浮き彫りにされてきた。類人猿は13㎞歩くのがやっとであったが、エレクトスは10~15/日歩いていた。それは、脚が長くなり、足の指が短く、しかも足の裏に土踏まずが形成されたこと、さらに脚の骨と関節が著しく発達したことよって、安定した、力強く、しかもコストが少ない直立二足歩行が可能になったおかげである。

 ケニアは赤道直下の高所地帯に位置するため、暑く空気がいつも乾燥している。その気象条件の下、ケニア人は狩猟採集民族として進化してきた。ケニア男性の主な仕事である狩猟法は「残り肉漁り」と「持久戦狩猟」で、前者は夜、肉食獣が食べ残した肉をハイエナやハゲワシが見つける前の早朝に素早くとって逃げる狩猟法である。後者は汗腺の発達していない小型の主に草食動物を疲れと熱中症(4つ脚動物は直射日光が当たる面積が大きく、汗腺が発達していないため、浅速呼吸を行い、暑さに弱い特徴がある)で倒れるまで追い詰めるものである。そのために狩猟者に求められる能力は、長距離(最長約30㎞)を歩いたり走ったりしながら踏破できる能力と、他の獰猛な肉食獣を巧みに避けながらあきらめずどこまでも追跡する強い精神力と賢さ、狩猟前後に飲み水を確保する準備を怠らないなどの豊富な経験である。

 ケニア人のからだは暑くて乾燥した大地で伝統的な狩猟採集する生活に適応するように進化を遂げてきた。例えば、熱の発散を容易にするため身体の表面積の比率が大きくなるように、背が高く、手足が長くほっそりした体型を形成してきた。さらに、温かく乾いた空気を鼻から吸い込むと鼻腔内の粘膜に触れてできるだけ湿気を帯びた空気が肺に入るように適応した。

 さらに、開けたサバンナで狩猟するためには捕食動物を長時間追い求めるだけでなく、時には大型の肉食獣から逃げるために走る能力もまた大きな武器であった。従って、狩猟民族として発達したからだは、形態だけでなく機能的にも長距離を走るために都合よく進化してきた。例えば、狩猟民族が疲労をできるだけ少なくして長く走ることを可能にしているのは、一歩一歩得られる弾性エネルギーを蓄積、放出しながら走る能力に長けていることである(伸張-短縮サイクル:SSC)。その動きを可能にしているのが長く強靭なアキレス腱である。さらに、腰、膝、足首の関節を鞭のようにしならせながら足を大地に振出して着地し、しかも、着地の衝撃を和らげるために土踏まずが著しく発達している。

 もう1つの特徴は、不整地での転倒やねんざを防ぎ、体幹の前後左右の揺れを小さくしている大臀筋(深層筋)の発達である。さらに、頭を安定させる項靭帯(「うなじじんたい」:首の後方に位置する靭帯)や内耳にある平衡感覚器官である三半規管の優れた働きによって、安定した視線が保障されている。(マラソンのレース中、石畳や不整地などに変わっても、東アフリカのランナーの身体(頭)動揺はほとんど変わることはないが、それとは対照的に日本人や欧米の選手の頭は大きく揺れる)。

 このように長距離を走るのに適したからだを長年遺伝的に受け継ぎながら進化を遂げてきたケニア選手の身体的・機能的特徴を凌いで、東京五輪マラソンに勝利を収める戦略があるのだろうか。ケニア人だけでなく東アフリカのランナーの共通点は暑さに強いことである。ただその強さは、乾燥した空気の高所での話である。日本の高温多湿の環境では彼らの適応能力は未知数である。我が国の女子の五輪メダリストの3人は暑さに強かった。

 暑さに対する適応能力はある程度トレーニングによって強化できるが、究極の暑さへの適応能力はトレーニングよりも素質である(1984年のロス五輪では当時の世界記録保持者のサラザール選手を暑さに強い選手に変革するため、暑さ対策の研究チームを作って改造を図ったが失敗に終わっている。その事実を拡大解釈すると、暑さへの適応能力はトレーニングよりも素質、と考えられる)。そのことを考えると、次の東京五輪の夏場のレースでは記録がよいだけでなく暑さに強い選手を選考することであろう。

 蛇足であるが、ケニアの男子の活躍に比べるとケニアの女子選手に優れたマラソン選手が多く育たないのは、女子は伝統的に長く走る狩猟を行わず植物の実を採集することが主な仕事であったことが影響しているのかもしれない。

(ランニング学会)

当クラブにNという選手がいます。この子の特徴はどんなに疲れていてもフォームが乱れません。足が長くスリムな体型の他体がとても軟らかい。さらに、長距離走で他の子がボタボタ汗をかく中、この子はほどよい汗をかきます。つまりジワーとかく汗です。汗を多くかくのは塩分濃度の濃い汗となるので、走るのには不適切なものとなります。残念ながら土踏まずは見てませんが、推して知るべしでしょう。この子の潜在能力は大変なものですが、これで背が伸びてくれば鬼に金棒です。

 

なお、山地さんの論文の中に出てきたSSCについては後日詳しくご説明します。

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3回「人間」(2019128日)

動物界での長距離ランナーはリカオンやハイエナでしたが、その上を行くのが実は人間なのです。今回は長距離ランナー「人間」についてです。

もしもエリウド・キプチョゲと馬がマラソンで競い合ったら?

馬が全力疾走で移動するペースは時速約70㎞ですが、その速度を維持できるのは約10分間と言われています。その後も走り続けるとすれば命を落とす危険さえあります。炎天下であればそのペースはさらに落ちるでしょう。

しかしキプチョゲは時速21 kmの速さで2時間は走ることができますから、レース開始1時間後には馬を追い抜いてしまうでしょう。人間はさらに長く速く走ることが証明されています。100kmでは日本人の風見尚が6時間9分で走破し、48時間ウルトラマラソンではイアニス・クーロス(ギリシャ)が473kmに到達しています。これはリカオンやハイエナでもかないません。ただし、普通の人間ではハイエナに食べられてしまいますが・・・

 

動物界では、死に物狂いで逃げる草食動物の爆発的な加速力と瞬間最高速度は発達した大腿筋からもわかりますが、肉食動物も捕獲できなければ飢え死にしてしまいます。生きるために必死に狩りを行ってきました。そんなことを繰り返しながら、彼らは瞬発力を生み出す筋肉や心肺機能を高めていったのです。

そんな能力に特化した彼らはその速度を長時間維持することはできません。筋肉の燃焼で産み出されたエネルギーは効率の良いものではありませんからガス交換を頻繁に行わなければならず、また体温の上昇を防ぐためには呼吸で行わなければならない為、生物学的に長距離を走ることができません。

 

一方、人間はそんな瞬発力のある動物に対抗する為に全く別の進化を遂げていったのです。

二足歩行になったことで得た特性は暑さに対抗するだけのものではなく、狩りをするためにも非常に優れたものでした。

まず、長いストライド。類人猿から猿人、原人、現生人類と進化していく過程で、どんどん足が長くなっていったのは、走るのに有利だからです。

 猫背な猿人から比べて、現生人類は胸を張っていますが、これは長距離走を効率よく行うため、有酸素運動に必要な呼吸を行いやすいためと考えられます。四足歩行の動物では走るときに胸を縮めたり伸ばしたりするたびに呼吸しますが、人間は二足歩行なのでストライドと関係なく呼吸を行うことができるのも、持久走向きです。

動物は走ると体温が上昇し、体温調節を口だけで行うため、長距離は走れません。しかし人間は体毛が無く、全身に汗腺を持ち、汗をかくことで体温調整ができるため、オーバーヒートが起こりにくく、持久走に向いています。

口で呼吸できる動物は人間くらいのもので、直立姿勢で生活するようになった人間は首に対しての顔の向きが動物と変わってきます。そのため食べ物が通るルートが直角に折れ曲がって広がり、喉頭蓋と口蓋の距離が離れました。

二足歩行と言ってもいい鳥類はというと、彼らは爬虫類と同じく気道と食道とが独立している為、口で呼吸する事ができません。

 

人間にとって走るという行為は素早く動くことではなく、長く遠くへ移動することなのです。人間に近いチンパンジーと比較してみましょう。走る動物だけが持つ(走る際に頭部を安定させるために存在する)項靱帯はチンパンジーにはありませんし、大殿筋も全くと言っていいほどありません。走るために必要なアキレス腱も持ち合わせていないのです。人類の構造は持久走に特化して進化してきたといえるのです。

 

人間が狩りに弓矢を用いたのは約2万年前、槍を使っての狩りは50万年前の技術です。

200万年前に誕生した人類は道具を持たず素手で狩りをしていました。

獲物を追い立て走らせ、熱によるオーバーヒートを起こし倒れるまで執拗に追いかけまわし狩る方法で生きながらえてきたのです。

 

当クラブにRiという中学生がいます。足の長い点や引き締まった体は持久走向きですが、中学に入って急速に身長が伸び、勉強ばかりする子のせいか猫背です。もう猫背は治らないかもしれませんが、顔を起こす走法なので極力弱点を補強していきたいと思っています。もっと早い段階で気づいて人類の特徴を守るべきでした。彼に対して申し訳ないと思っています。

また、小学生のお子さんのお母さんから持久走の呼吸方法を聞かれます。昔は「スース―ハーハー」のリズムで鼻から吸って口で吐く方法がありましたが、今は口から自由に吸ってくださいとお答えしています。練習でマスクトレーニングを実施したことがあります。カラス天狗のようなマスクは呼気内の水分でビショビショになってしまい一工夫必要です。

 

参考文献:ウイキペディア、ペットショップチロルの息子、長尾周格氏のFacebook

 

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2回「リカオン」(2019122日)

前回のテーマは最速ランナー「チーター」でしたが、今回は逆に動物界最速の長距離ランナー、卓越したスタミナを持つ動物についてです。

サバンナでの長距離ランナーは何と言ってもリカオンとハイエナです。トップスピードはチーターやトムソンガゼルに劣りますが、ずば抜けたスタミナの持ち主です。獲物の体力がなくなるまで追いかけ回す、彼らの狩りスタイルはチーターやライオンよりも高い成功率を誇ります。

最高速度60km/hですが、10km/hで何時間も追いかけるそうです。リカオンの4本の足は長く、走力に優れています。

リカオンが獲物を探して一日に移動する距離は、通常半径10キロ圏内といわれています。

ただし獲物が少ない場合には、平均時速10キロ程度の移動を2〜3日もぶっ続けですることもありますし、驚くほど広い生活域を持つのです。獲物の群れを追いかけながら幼獣や弱い個体を見つけ出し、ターゲットを絞りこみます。

リカオンの群れは社会性が高く、組織力に優れていますので、そのチームワークも抜群なのです。その上、スタミナがありますので、それを活かした持久戦が得意なのです。

群れを散開させながら狙った個体を群れから引き離すようにたくみに誘導して追い詰めていきます。

リカオンが嫌われる理由としてその食べ方です。通常チーターやライオンは獲物の首に噛みつき窒息させてから食べます。ワニは獲物を川の中に引きずり込んで水死させてから食べます。リカオンは獲物が完全に死ぬ前にすぐ食らいつきます。これは、ハイエナやライオンに横取りされる前に食べてしまわなければならない事情があるからなのです。

 

「ハイエナ」

一方ハイエナも獲物が疲れ切るまで執拗に追いかけまわし、最後は取り囲んで仕留めるのです。ハイエナは、他の肉食性の動物の後ろからコソコソと歩き横取りしようとする卑怯者のようなイメージを持たれていますが、その歩き方はハイエナの前後の足の長さが大きく異なるからなのです。前足が長いために、歩く姿がぎこちなく見えるのですが、実は持久力のある俊足ランナーなのです。また狩りの時には獲物を執拗に追跡していきますので、あとをコソコソついて行くというイメージが生まれたようです。

 

チーターがスピード能力に特化して進化したのでその速度を長時間維持することはできません。筋肉の燃焼で産み出されたエネルギーは効率の良いものではありませんからガス交換を頻繁に行わなければならず、また体温の上昇を防ぐためには呼吸で行わなければならない為、生物学的に長距離を走ることができません。

リカオンやハイエナは大きな耳を持ち体温調整に役に立っているため、長い距離を走りきる能力があると言われています。また、比較論になりますが長い脚を持っている為スピードもあり、一度狙われるとなかなか逃げることができません。

だから、狩りの成功率30%以下のライオンはハイエナやリカオンの仕留めた獲物を横取りするようになるのです。テレビでライオンがハイエナに横取りされているようなシーンが放映されますが、実際は逆にハイエナの獲物をライオンが横取りしていることが多いのです。

 

当クラブにRという選手がいます。小学生の大会では常に上位に入賞します。この子の特徴はレースでは絶対に諦めません。たとえレースの途中で抜かれてもラスト200m以内で抜き返します。逆に10mリードして第4コーナーを回ったら、他の選手は抜けません。普段のスピード以上にスピードが出るのかもしれません。根性で走りきる能力があります。リカオンやハイエナは生きるために「諦めない性格」を身に着け長距離ランナーになっていたと思います。そう考えると長距離ランナーの素養とはR選手のような諦めない性格でないとダメだということなのかもしれません。ただ、Rという選手は単調さが嫌いでインターバルトレーニングでは普通の選手以下です。長距離の練習でインターバルトレーニングは避けられません。ペースが体得されてなければレースの組み立てができないからです。彼が積極的にこの単調さに耐えることができればもっと伸びると思います。

参考文献:ウイキペディア、ニコニコ大百科

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1回「チーターについて」(2019年1月14日)

チーターの速さで、とくにすばらしいのはスタートです。出発してから2秒後には、時速72kmにもなります。これは、レーシングカーでさえ不可能なことなのです。しかも、これ以上にすごいのは止まるときです。全力で走りながら、ほぼ瞬間的にその場に止まることができるのです。自動車の場合、時速100kmのスピードなら、止まるまでに100mは必要です。チーターのブレーキの力が、どんなにすばらしいかがわかります。

このチーターのスピードのひみつは、まず第一に、スピードの王らしい体つきをしているということです。小さな頭、細くて長い足、引きしまった胴体で、「流線形」の体をしています。つまり、頭部が小さく空気抵抗が少ない、長い胴体はバネの様なしなやかさを持ち、

爪を収納せずスパイクの様に地面を掻く事ができるのです。

 

ウサイン・ボルトの体つきを見てください。小さい頭と長い脚、まるでチーターが人間になったようです。速い人間はこのような自然の真理に近いのです。当クラブにSという中1の女の子がいます。彼女もボルトのように小さい頭と大きな体をもっています。何より

もストライドを大きくして走ることができます。ハムストリングを鍛えて腰高にすればすばらしい選手となります。昨年は怪我のせいで14秒台後半でしたが、6月までには13秒台が出てもおかしくありません。中3で12秒そこそこの記録を狙えます。

 

さて、これほどのスピードで走るチーターですが、長距離走は苦手です。全身をバネにして走るため、すぐに疲れてしまい長い距離は走れません。動物のエネルギーは糖質と脂質から得られますが、チータの体脂肪は限りなく0に近く、糖質に頼るしかありません。しかし、体内にある糖質は少なくすぐ消耗してしまいます。よってエネルギーの源のATPが枯渇し、筋肉を動かすことができなくなります。

そのため、獲物を狙うときは、そっと30mほどの距離まで近づいてから、一気にダッシュして100200mの間に勝負をつけなければなりません。どんなに追いかけても500mが限界なのです。獲物の動物の中には、時速8090km近くで走るものもいます(インパラなど)から、チーターの狩りはよく失敗に終わります。狩りの成功率は50%以下なのです。

 

残念ながら前出のSも長距離は苦手です。せいぜいもって1kmで、川口マラソンのような2kmでは平凡な記録しか望めません。今彼女に課題とさせているのは柔軟性(しなやかさ)と脚力(強力なバネ)です。よりチーターに近づくためです。1月、2月で習得してくれればと期待しています。

参考文献:ウィキペディア

 

 

 

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2019.06.24 Monday