第326回「ハレツ・ハンマー」(2025年3月29日)
第326回「ハレツ・ハンマー」(2025年3月29日)
バンビーニのモモナという女の子は時々突拍子のない言動をする。いつも私を見るとき目を細める。目の病気かなと思っていた。
ある時
「君は目が悪いのか?」と率直に聞いたら
「うんうん」
「じゃ、なぜ目を細めるの?」
「コーチの真似だよ」
「何の?」
「コーチ目が細いんだよ。それで目が見えるの?視界が人の半分しかないんじゃないの」
「なに!俺の真似をしてたの?毎回?5年間も?」
「そうだよ、コーチが気が付かないだけだよ」
「ちょっと待った!“目が細い”というのは、眼球が小さいためだと思っているのだろうが違うぞ。俺も君も眼球自体の大きさに個人差はないんだ。目の大きい人と小さい人の違いは、まぶたの開きによる眼球(黒目と白目)の見える範囲が違うだけなんだよ。上まぶたはなんじゃらという筋肉で開くが、この筋肉の引き上げる力が弱いと、なんじゃら下垂といって、目が細く小さい(眠そうな)状態になるのだ。だから目が細いのではなく、まぶたの筋力が人より弱いだけだよ。ちなみに俺ははげじゃない。おでこが人より広いだけだ。よけいなことだけど」
私が練習用のゴムチューブを忘れたら
「コーチ、最近『ハレツ・ハンマー』だね。」という。
「何だ『ハレツ・ハンマー』って?」
「年取ると物忘れや勘違いすることが多くなることを言うんじゃない?」
「・・・おい、おい、それを言うなら『アルツハイマ―』だろう」
「ああ、それそれ」
「『ハレツ・ハンマー』になったと言われたら何か強くなった気がするよ」
相手はこどもじゃないか、よくあることだ。でも大人になって勘違いや聞き間違い、思い込みをする人間は知識が増すにつれて少なくなるが、自分の人生を振り返ると彼女に近い間違いをたくさん経験してきた気がする。
高校時代新橋にいたテキヤのおじさんから「おい、兄ちゃん、このバック買ってけよ。安くするから」と言われてアディダスのバックを1200円で買った。当時4000円で売っていたのでかなり安いものだった。翌日学校に持っていって自慢したら冷静な奴がいて「入山、それ本当にアディダスなのか?」という。安く買った私への妬みかなと思ったが、もう一度よく見た。ロゴや文字も間違いない。
「どこがおかしい」と声を荒げたら
「入山、俺には『adidos』としか読めないのだよ」
「・・・」
「テキヤのおじさんadidasと言ったか?」
「いやいいものがあると言っていた」
予備校の時に作家の三島由紀夫が自衛隊の市川駐屯地で東部方面総監を人質にして演説し割腹自殺した。翌日の朝日新聞には三島の首が床に転がっている写真が一面に載った。昔は報道倫理などおかまいなしの社会であった。
しかし、私はその時三島由紀夫を知らなかった。
「松の木小唄」を歌った三島敏夫という演歌歌手と混同していた。なんで歌手が割腹自殺をするのか、それをなぜマスコミはこれほどまで騒ぐのか不思議でならなかった。
歌手の三島敏夫
作家の三島由紀夫
後日合点がいった。三島の文章は語彙が豊富で教養に満ちあふれ常にノーベル文学賞候補だった。思想的には真逆の東大全共闘1000人余を相手に、東大駒場キャンパスに単身討論会に乗り込み、聴衆をうならせた伝説の「知の巨人」であった。この自信あふれる姿と比べ自分がとっても恥ずかしかった。
大学に入ると、おちょこちょいさは増していった。「小椋佳」のレコードが生協で売り上げ1位であったので、購入した。表紙も「彷徨(さまよい)」というジャケットできれいな女性が描かれていた。帰宅して針を落として驚いた。「何だ、男じゃないか。畜生、間違えた」“おぐらけい”を女性名と判断したのは浅はかであった。レコード代は学食の1週間分の食事に相当したのでくやしかった。だが、今日までに累計何百回と聞いている。“彼”の曲は切なく心に沁みる曲が多かった。
会社勤めをしてからは出張先を間違えた。いつもはチケットは女の子がとってくれていたが、高校野球を見たかったので、自分でチケットを買いに行った。出張先は高松商業のお膝元。当時は甲子園常連の高校であったので、商談も高校野球をしていればスムーズに進んだ。
チケットを購入する日は高校野球の決勝戦。JTBのフロアーで見ていたが、高知商業対帝京戦は1対0で高知商業が優勝した。TVのアナウンサーの「高知商業、優勝です」という声が私を窓口まで押し出し、何の疑念もなく「高知1枚」。
始末に悪いのは間違ったことに気づいていなかったことだ。出張当日伊丹空港の出発ゲートが前回と異なっていた。ここで気づけばいいのに飛行機歴2回目だから、「飛行場と言うのは風など天候によって滑走路を代えるもの」だと思っていた。何かおかしいなと感じたのは高知空港に着く間際からだ。高松空港は海から入った。ところが今度はいったん四国の陸から海に出て空港に入る。いくら天候によって臨機応変に離着陸するといっても何かおかしいなと思うようになった。
着陸した空港の景色は変わらないように思えたが、ミスに気づいたのは空港のトイレであった。以前のトイレと場所が違う。しかも新築ではなく古い。チケットは高知になっている。前回もらった名刺を見ると高松だ。高知も高松も近いと思っていたらとんでもない。当然打ち合わせには間に合わなかった。
こんなことをしているから間が抜けた人生を歩んだのだろうと思う。
卒団式を終えたモモナは中学に入ったら陸上はしないそうだ。もう会えないかもしれないが、もし会えたら「アルツ・ハイマ―」ときちんと言える女性になっているかな?実体験から言うと心配だ。
第325回「シックス・センス」(2025年3月22日)
3月20日(祝)に足立区の大会があった。男子小学6年生の1000mを観戦したら、ふと昔見た映画のクライマックスを思い出した。
トウジは長年サッカーをやってきて昨年春からバンビーニに通う少年である。この子の入会時の目標が3分00秒を切ることであった。何回も挑戦したがその都度跳ね返されてきた。切れなかったら小学校を卒業したくない、未練が残ると悩んでいた。
スタート直前本人の腕時計は故障し動かなくなったため、やむなくはずして走った。動揺し頭が真っ白になり何もわからなくなった。ラスト1周の鐘の音も覚えておらず、トップはわかったが3分を切れたのか切れなかったのかわかない。あれほどタイムは身体で覚えろと言われてきたのに、自分の時計に頼り過ぎた。
レース中コーチにいくら目でアドバイスを求めても一切答えず、ストップウオッチを見て記録ボードに何かを書いているだけで、無視を貫いているようだった。タイムが悪いと応援もしてくれないのか、トウジは悩んだ。
コーチは200mの飛び出し、400mの通過タイムで3分切りのペースをクリアしていることを確認していた。そして800mでは確信に変わっていた。100mごとのタイムを計ってスピードの上がり下がりをチェックしていたので、トウジに声をかける必要はなかった。
ゴール後イッセイに話しかけてみたが、緊張しているイッセイは心ここにあらずで「どうして、僕を置いていったの・・・」との言葉を漏らし自分のレースに出ていった。
2人はどちらが早く3分を切るかという先輩後輩の関係にあったが、イッセイの言葉が何を意味するのかわからないトウジだった。しかし、ゴール後駆けつけたコーチの手から転がり落ちたストップウオッチを見てハッとした。ストップウオッチは2分55秒で止まっていたのだ。自分が3分を切ったことをこの時ようやく理解したのだった。
本人はこれで安心して中学校に進むことができ、バンビーニを去り川口ACに入門できるのであった。
この展開は、以前見たことのある映画『シックス・センス』のクライマックスに似ている。
映画『シックス・センス』は要約すると次のようになる(ただし、これから映画を見る方見ようとしている方は、これ以上私の文章を読んではいけません。脚本家や監督、俳優の苦労が台無しになります)。
マルコム・クロウ(ブルース・ウイルス)は、長年小児精神科医として働いている中年男性だ。今迄数多くの心を閉ざした子供達と関わり、そしてその心の氷を溶かしてきた。妻との仲も良く、子供はいないながらも2人は穏やかに生活していた。しかしある日、その平穏が突如打ち破られる。とある夜、かつてのマルコムの患者であった少年、ビンセントが家に不法侵入してきたのだ。
ビンセントは錯乱状態にあり、マルコムが「かつての自分を救ってくれなかった」とまくし立てる。そしてマルコムに対し逆恨みをしたビンセントは、挙げ句の果てに、持ち込んだ拳銃でマルコム向けて発砲した。
その事件から一年の時が流れた。あれ以降穏和だった夫婦仲もすっかり冷め、妻はマルコムがいくら話しかけても一切答えず、無視を貫くようになった。どうにかして元の2人に戻れないものか、と頭を悩ますマルコムだったが、マルコムはある日、心に闇を抱えた少年、コールと出会う。
コールが心に闇を抱えている背景には、彼の持つ特殊な力があった。コールはこの世に居ない筈の存在、つまり死者の霊を見ることが出来たのだ。
小児精神科医であるマルコムは、そんなコールの心を開こうと近づいていきますが、コールはマルコムを怖がりひたすら彼から逃げ続ける。しかしマルコムは決して諦めず、2人の距離は徐々に縮まっていった。
映画はいよいよクライマックスに入っていく。
ある日夫婦仲を戻したいマルコムにコールは「奥さんが眠ってる間に話しかけてみて」と一つの助言をした。帰宅したマルコムはコールの言う通り、眠っている妻に向かって話しかけた。
すると妻は眠りながら、「どうして私を置いていったの…」という言葉を漏らした。何のことかわからないマルコムだったが、妻の手から転がり落ちた、自分がつけている筈の結婚指輪を見てハッとする。
ビンセントが家に押し入ってきたあの晩、既にマルコムは命を落としていたのだった。遺していく妻と、そして自分が救えなかったビンセントに対しての想いがあったマルコムは幽霊としてこの地に留まっていたのだ。自分が死んだ事を理解し、そしてビンセントではないがコールという同じく心を閉ざした少年を助けることが出来たマルコムは、自分の死に納得しこの世を去っていくのだった。
私のコジツケの文章はシックスセンス(第六感)から来ているもので、ゴースト(幽霊)を見ることはできないが、ゴールド(埼玉県のゴールド指定選手)は見ることができる。これまでたくさんのゴールド選手を見てきた。ゴールド選手を夢見ているこどもはたくさんいるはずだ。トウジを送り出した今、私はつぎのこどもを探している。
第324回「ミラーイメージの法則」(2025年3月15日)
先週駅伝大会があった。小学生女子は優勝したが、走り終わった1区のヒマリが応援のため、私のいるところに来た。精一杯声を上げて2区以降の選手たちを応援していた。ライバルであるはずのヒナの時は皆が振り返るほどの大声であった。
孤高の長距離選手において仲間意識を感じる瞬間である。
ヒマリの行動は何も考えていない自然の行動だったと思うが、これは心理学でいう「ミラーイメージの法則」を体験していたと言える。
「ミラーイメージの法則」とは、「相手に向けた感情や思考が、そのまま自分に跳ね返ってきて自らの思考や行動に影響する」という考え方だ。
応援は応援を呼ぶ。相手を応援しても、その思いが伝わるかどうかはわからないが、「相手を応援しているという意識そのもの」が、自分をプラスの方向へと導くことは確かだ。次にヒマリが走る時は皆が大きな声で応援する。
そう考えると「ミラーイメージの法則」は、スポーツ心理学的におけるよい結果を導くための「知恵」のひとつと考えていい。
ヒマリの行動は、こどもたちに「ミラーイメージの法則」を教えなければならない時が来たといえる。バンビーニでは礼儀作法はあまり重視していないが、心理的な面は重点を置いている。
「人生で成功する人は、他人を応援できる人間である」
含蓄のある言葉だ。私は現役の頃仲間とよくゴルフに行った。しかし、いつも仲間がパットをするとき心の中で「はずれろ」とつぶやいていた。ドライバーで相手が空振りした時の喜びは格別だった。
でも、よく考えてみたらその後を打つ私はそれ以上のミスを繰り返していた。打つ時周りで見ている仲間が「失敗しろ!」と叫んでいるような気がして体が思うように動かなかった。今思うと私は「ミラーイメージの法則」の負の塊だったような気がする。何と情けない男だったのか。ヒマリをまともに見ることができない。
試合中、味方選手の失敗を責めるのではなく、それを賞賛するようなポーズを見せる選手を見たことがある。サッカーのロナウド選手だ。彼はある選手がパスミスをして、うまく自分がプレーできなかった時に、怒るのではなく、手を高くあげて拍手したり、「OKだよ」というサインを出していた。それは、彼が多くの試合を経験して会得した知恵だと思う。
いいも悪いも、自分の考えや感情が現実を作っている。そして、相手の中に見えるものは、自分の中にあるものなのだ。
誰かを見ていてどうしても気に入らない部分、許せない部分があるとすると、これは、裏を返せば、相手を鏡にして自分自身の姿を見ていること、すなわち相手を通して自分の見えない欠点を見ていることと同じなのである。
ある人に対して過剰に反応している時には、「一体何にそんなに反応しているのか」を慎重に考えてみればいい。そうすれば、相手の嫌な部分が、実は自分が見ようとしていなかった自分の盲点であったことに気づくはずである。
逆に、人に対していいなと思える部分は、自分の中にも同じように良い部分が存在していると考えれば、自分にもっと自信を持つことができるだろう。
これからこどもたちに教える「ミラーイメージの法則」の要点は大きく2つだ。
まず、1つ目は笑顔でいること。
笑顔は、不思議な力がある。例えば、練習に参加したときに明るく「こんにちは!」といって笑顔で挨拶すると、周りの人も自然と笑顔になる。雰囲気が良くなって、練習もスムーズに進みやすくなる。人間には他人の感情状態を無意識にマネする傾向がある。1人が笑顔でいることで、周りの人も同様に幸せを感じやすくなるのだ。
2つ目は人に優しくすれば優しくされると考えることだ。
人間には、与えられた好意を相手に返そうとする本能がある(好意の返報性)。優しくされれば優しく返したい、という気持ちが自然と生まれる。今まで何とも思っていなかった人から「好き」と言われて、自分も段々その人のことが好きになる現象が代表的な例である。
また、人は他人の行動を観察しマネする傾向があるので、ヒマリが優しく接する行動をとれば、周りのこども達もそれを「望ましい行動」だと学習し、同じように振る舞うであろう。
強くなれば他のクラブのこどもたちが挨拶にくることがある。その時無下な応対をしないことだ。彼らは無視されるのを恐れており、声をかけてくるのはよほど勇気をもって来ているはずである。だから、「丁寧に対応しろ、彼らの思いをおもんばかれ」ということだ。田中希美に声を掛け無視されたら嫌だろう、逆に会話出来たら天に上るような気分になれるはずだ。
私などは大リーグの大谷に声をかけ30秒でも会話出来たら、その場で死んでもいいと思っている。
心から応援しているヒマリの行動は私にあらためて「ミラーイメージの法則」を意識させたようだ。
第323回「降る雪や昭和は遠くなりにけり」(2025年3月10日)
先週埼玉に雪が降った。こどもの頃に比べて雪が降る日数は少なくなったのは、温暖化のせいなのだろうか。雪が降ると決まって「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句が思い出される。この句は中村草田男(明治34年生~昭和58年没)が昭和の前半に詠んだとされる。母校の小学校に行ったときにたまたま雪が降ったことにからめて詠ったものとされる。
バンビーニのヒロキは「昭和」に興味があるらしく、「昭和」のことを盛んに聞いてくる。令和と昭和を比較して自分と私との差を探っているようである。
やれ大八車はあったのかとか、火の見やぐらに上ったことがあるかとか、タバコのキセルは使ったことがあるかとか、江戸時代と昭和を混同している感があるが、質問は的外れではない。
大八車は家財道具やコメなどの重いものを運ぶ際使われていた。しかし、サスペンションがなくうるさい、坂道の運搬が難しい、柵がなく荷物が落ちるなどの問題から、戦後はタイヤ式のリヤカーに取って代わられた。
高校生になってやっと家に電話が引かれた。それまでは隣のパン屋さんから借りていた。昭和は街頭テレに象徴されるように、お金持ちが余裕のない近所の人たちに開放してくれた良い時代だった。当時の電話はダイヤル式の黒電話だった。ダイヤル式電話は回転盤を指止めまで回してから指を放し、回り戻るまでは次のダイヤルは回せなかった。1が戻るまで0.3秒かかるとすれば0は3秒かかっていた。その計算方法で言えば大阪の高槻市に電話する場合、仮に0736-84-0890にかけると相手を呼び出すまで22秒かかっていた。
携帯になれた今のこども達に22秒の待ち時間は到底耐えられないであろう。しかし、当時は誰も不便だとは思わなかった。相手が出るまで何をどう話すかなど会話のウオーミングアップの時間だったのかもしれない。22秒が淡い恋心を醸し出すこともあった。「・・・ダイヤル回して手を止めた I’m just a woman Fall in Love」という小林明子の「恋に落ちて」の歌が流行った時代だった。
固定電話からスマフォに代わり大人の威厳がなくなった。昭和の時代は親や大人のいうことは絶対だった。「われに七難八苦を与えたまえ」と言った武将は誰かと聞いて、親父が「加藤清正」といえば加藤清正なのだ。決して山中鹿之助ではないのだ。しかし、今のこども達はスマフォで情報を取得できるため、曖昧または間違った情報はすぐに指摘される。もう大人は知らないことや、うろ覚えのことは口にできなくなった。
電話と言えば現役の頃は電話関係の部品の営業マンであった。自動車電話から携帯電話になるまでの技術の進歩に歴史を感じている。自動車電話は北欧で開発された。広大な土地ゆえに、エンストで車が止まったら命に係わることになる。そこで自動車に電話をつけたらという発想から始まり、別荘生活の文化とあいまって自動車から着脱できる電話となり小型化技術によって今の携帯電話のサイズまで小さくなった。ソフトの進化によってより便利になったが、私の電話のかかわりはガラ系まででその後の飛躍にはもうついていけない。
ここで世の中からなくなりつつある公衆電話について話しておきたい。
昭和の時代は外に出かけた時の必需品であった。しかし、この公衆電話は構造上大きな欠点があった。12度~13度傾けると10円玉がロックされて何時間でも話せた。この角度を過ぎたり少なかったりするとロックされない。この角度がエアポケットなのだ。マスコミに発表すればマネをする人間が出てきて相当の損失が出るので、秘密裏に改修しなければならなかった。
この“秘密裏に”という言葉がこころに響き渡り、より一生懸命取り組むことになった。これは「磁性流体」という新技術を開発し、半年というNTTでは超異例の短い時間に承認してもらい、事なきを得た。
硬貨の偽造も問題になった。
10円の銅貨より安いものは鉄しかなかったが、それは磁石を機内に設置して引き寄せることができたので、さほど問題にならなかった。問題になったのは100円玉対応の電話機(黄色の公衆電話機)が出た時からだ。出張で遠くから会社に電話する時は10円玉10個用意するより便利なので瞬く間に他の電話機も100円玉対応になった。
ロシアのルーブル硬貨、韓国のウオン硬貨には、日本の100円玉と大きさ・重量・材質が同じものがある。困ったことにロシアは日本円で60円、韓国は10円の価値に設定してあった。偽造集団はここに目をつけた。自動販売機もほぼ同じシステムだったので悪影響は大きく、社会問題化するのは間近にせまっていた。
ロシアや韓国政府に硬貨づくりをやめろとは国際法上言えない。そこで“秘密裏に”対策を講じる必要があった。結局画像センサーを使って硬貨のデザインを判別する方法を開発して社会問題化する前に事なきを得た。
時間が経ち守秘義務もなくなって、こうして内幕を話せるようになった。その公衆電話もなくなりつつある。私にとって昭和は本当に遠くなった。
60年後温暖化対化策のゆるみから埼玉で雪が何年も降らなくなるだろう。灼熱の夏を過ごしながらヒロキが自分の心境を詠うとすれば、きっとこうなる。
「降り注ぐ 陽を浴びて今 令和の世は 遠くなりにけり」
第322回「アロンソンの不貞の法則」(2025年3月1日)
かつて、こどもはほめて育てよと日本連合艦隊司令長官山本五十六が力説していた。
その通りだと思う。しかし、毎週顔を合わせるこども達は、私の調子のいいお世辞には簡単には付いてこない。
これはこども達には「アロンソンの不貞の法則」がはたらいているからだ。
「アロンソンの不貞の法則」とは、ビジネスや恋愛などで登場する認知バイアスのことである。認知バイアスを正面切って理解しようとすると抵抗感があるが、簡単に言えば個人の「偏見」である。すなわち人間が物事の意思決定をするときに、これまでの経験や先入観によって合理性を欠いた判断を下してしまう心理傾向を指す言葉だ。
家族や仲間など、とても親しいと感じている人に褒められるケースと、初対面や付き合いが浅い人に褒められるケースでは、人は初対面や付き合いが浅い人に褒められる方が嬉しく感じる。
仕事でも、初めて取引するお客に「資料がすごくわかりやすいですね」などと褒められたら、「やった!認めてもらえた。」とつい笑顔になってしまうものだ。
そのメカニズムは、親密ではない相手からの褒め言葉は、より客観的に受け取られやすく、「自分が納得できる」好意的な言葉として伝わり、うれしく感じるという認知バイアス(偏見)が影響して引き起こされるからだ。
反対に、親密な人からの褒め言葉は「内集団バイアス(身びいき)」によって誇張されたものだと認識してしまうため、納得感が足りず承認欲求が満たされないという心理がはたらく。だから私の誉め言葉は効き目がない。
アメリカの社会心理学者であるエリオット・アロンソンによって提唱された。これまで一緒に生活していた奥さんよりも初対面の女性の愛を信じるようなものであることから「不貞の法則」と呼んだ。
先日久しぶりにバンビーニに体験者が来た。初めて会ったコーチだから、彼にとって私は「不貞の法則」の対象者なのだ。徹頭徹尾ほめて扱った。私は〇〇君と呼び、わからなければ手取り足取り教えた。楽しそうに練習し入会まであと1歩というところまでこぎつけた。あとは400mエンドレスリレーを1本残すだけとなった。
しかし、駒場競技場での時間が無くなり、100mずつ4本ではなく400m走にして練習の総距離をあわそうとした。せいぜい時間にして2分間の話だ。2分後はお母さんとともに笑顔で「入会します」となる予定だった。
体験の子には最後まで気を使って20mのハンディを与えてスタートさせた。
スターと同時に後方にある水筒を取りに数m歩いて戻ったらまだその子がいた。体験者であることをスコーンと忘れ、思わず「なんで走らないの?走れ!」と言ってしまった。文字にすればたわいもない内容なのだが、大声で言ってしまった。アクセントを入れて表現すると「なんで走らないの?走れ!」となってしまった。
彼は200m走ったところで歩いてしまい、そのままトイレに駆け込みダウンはできず、目をあわさず帰ってしまった。
「しまった!」やってはいけない「ゲインロス効果」を引きずり出してしまった。ハンディなど聞いたことのない言葉で指示したのでわからなかったのだろう。大声が怒られたと感じたに違いない。彼が歩いた瞬間にはたと気づき、もう収拾がつかないところまでいってしまったことを理解した。
ゲインロス効果は、低評価から高評価に変わる(ゲイン)と、高評価から低評価になる(ロス)の2つの心理を合わせて命名されている。「アロンソンの不貞の法則と」と同様に、マーケティング心理学の初歩的なテーマだ。
ゲインロス効果は、印象のギャップによって最初にネガティブな印象を与えた後にポジティブな印象を与えることで、最終的なイメージがよりポジティブになる現象だ。「ヤンキー風な男が困っていたおばあさんを背負って道を渡った」のを見てキュンとする女子高生のようなものだ。
人は予想外の変化やギャップに対して強い印象を受けやすい。そのため、最初に低い期待を持たせた後に良い結果を示すことで、ポジティブな印象が強調される。人を引き寄せる一つのテクニックだ。
逆に、最初にポジティブな印象を与えた後にネガティブな印象を与えると、イメージがよりネガティブに傾くことがある。女子にもてたい男や営業成績をあげたいビジネスマンが絶対やってはいけない行為だ。
私は丁寧で紳士的なそしてこどもたちを理解しているいいコーチを演じていた。その分「走れ!」の大声が体験のこどもには怒号に聞こえてしまったようだ。「走れ!」の一言が100%の入会を消してしまったのだ。一瞬の出来事だった。
チャンスに後ろ髪はないから、またいつくるかわかない体験者を待たなければならない。私以上に気を使って対応してくれたバンビーニのこども達に申し訳なかった。
今となっては思わず「走れ!」と言った自分の言葉が、自分に向かって「恥れ!」といったような気がしてならない。
第321回「不老不死」(2025年2月23日)
先日、練習の途中でチハナが「ねえねえ、コーチ、コーチはあと何年生きるつもり?」と聞いてきた。たぶん、その日の練習は厳しい内容だったので休憩中「コーチ、いなくなればいいのに」という話が出たのだと思う。うちには悪ガキの中学生がいる。ずっと昔から一緒に練習してきて、何も気を遣わずに怒れるし、何を言われても何をされても腹も立たない間柄だ。彼らの話を聞いて立ち上がったのだと思う。しかし、こうもあからさまに聞かれると返答に困る。
「そうだな、10年は生きたいかな?」と答え、「最後は家内と日本中を旅行して美味しいものをたくさん食べたいな」と感傷に浸っていたら、チハナはもう元の場所に戻っていた。エイジたちの甲高い笑い声が聞こえた。きっと「10年だって。相変わらず生きることについては貪欲な男だね、コーチは」とでも言ったのだろう。
それまで寿命のことなど考えようとしなかった私にそれを意識させてしまった。罪なこどもたちだ。
15年位前「不老不死」がマスコミで真顔で話題になった。2009年のノーベル医学生理学賞「寿命のカギを握るテロメアとテロメラーゼ酵素の仕組みの発見」が発表された。当時の日経新聞および科学雑誌「Newton」の記事を見て「不老不死の薬」が本当に実現するかと思った。うろ覚えの知識をつぎはぎしまとめると次のようになる。
我々人間は、ただ一つの細胞(受精卵)として生を受け、それが分裂し今の身体をつくり出している。さらにこれらの細胞は、古くなったり傷ついたりすると、自己複製し常に新しい正常な細胞に置き換わることで、生命活動が維持されている。
これらのことから考えると、我々の寿命を決定しているものは、細胞ということになる。だから、正常な機能を持った細胞が無限に分裂でき再生できれば、我々自身死ぬことはないはずだ。
しかし細胞の分裂回数は残念ながら有限であり、細胞の染色体の端にある「テロメア」(別名「DNAのしっぽ」)と呼ばれる部分の長さが決まっていて、細胞分裂を繰り返すたびに「テロメア」の部分が短くなっていき、ある程度短くなると細胞は分裂しなくなる。これが「ヘイフリック限界」と呼ばれ、人間の細胞分裂の回数の限界を示している。
ここから「細胞の老化」が始まるのである。老化細胞が、臓器や組織の機能低下を引き起こし、さまざまな加齢性の疾患をもたらす誘因となっている。時が経つ老化細胞は増え、やがてその細胞は死を迎え、この細胞死がすなわち我々の寿命ということになる。
その常識を覆したのが、「テロメラーゼ」という酵素の発見だ。テロメラーゼは、テロメアが短くなるのを遅らせたり、さらに伸ばしたりすることができる。
テロメアの長さを通常以上に保つことができれば、人間の細胞の多くは繰り返し分裂することができるはずで、細胞分裂が無限に行われれば若く健康的な体で無限に生きられることになる。
正常細胞にはないが、癌細胞には「テロメラーゼ」という酵素を持っている。癌はこの「テロメラーゼ」によって無限にテロメアを作ることができるため、無限に分裂することができるのだ。
という話であった。
当時思ったのは、
1つはテロメラーゼの働きをブロックすることで、癌細胞の増殖を抑え副作用の少ない優れた癌治療が実現できる。
2つ目は癌細胞から抽出した「テロメラーゼ」を正常細胞に与え「テロメア」を伸長させ続ければ、すなわち「不老長寿の薬」ができることになる。
しかし、今マスコミの話題になっていないということは、簡単に実現するようなものではなかったようだ。
もし10年以内に治験モニターの募集があれば私は手を上げる。そしてそれに選ばれたら、80年後身長1m90cm、頭髪ふさふさ、二重瞼で筋肉モリモリの私がエイジの最期を看取ることになるかもしれない。
こう書くと「コーチの『生』に対する執着心はすごいね。そうまでして生きていたいのか」とエイジの高笑いが聞こえてきそうだ。
第320回「本末転倒」(2025年2月17日)
本末転倒とは「本と末、先と後とが逆になること。重要なことと、どうでもよいこととの扱いが逆になっていること。大切なこととつまらないことの区別がつかずに取り違えていること。根本を忘れ、つまらないことにこだわっていること」(Weblio辞書)
本末転倒の出来事は実社会によくみられることだ。たとえば、
・安らぎを求めて購入した観葉植物だが、育てることにストレスを感じるようになってしまっては「本末転倒」である。
・学費を稼ぐためにアルバイトをするのはいいが、そのために大学の授業をおろそかにするのは「本末転倒」ではないか?
などである。
スポーツ界でもこのような例がたくさんある。
私が中学に上がった時、友達の多くはバスケット部やバレー部に入ろうと考えていた。なぜなら彼らはバスケやバレーをすれば背が伸びると思っていたからだ。バスケやバレーをしたからといって背が伸びるものではない。バレーやバスケに最後まで残っているのが(活躍しているのが)背の高い選手なのだ。のちの富樫選手や河村選手は稀な存在である。友達は原因と結果を取り違えていた。
ゴルフ界では女子プロに2000年~2005年に絶対王者不動裕理選手がいた。しかし、失礼ながらTVや写真映えがしない選手だった。この人が6年間賞金女王であったのだ。もしAKBの1人がゴルファーで不動選手と優勝を争う腕前であったら、ゴルフ番組の視聴率が大幅に上がったと考えられる。
そこで、低迷していた視聴率を上げるために、ある企業が立ち上がった。
プロゴルファーになるためには勉強代がたくさんかかるし、年月もかかる。お金や時間のない人ではプロになれない。その費用も全額持つというのである。生活費や練習費用は言うまでもない。
今では採用の際の禁止用語にもなった「容姿端麗」のスポーツ選手が条件だった。厳選して毎年数人の候補選手を採用した。しかしながら結果的に誰1人プロになれなかった。この企業は「美人がプロゴルファーになれる確率」を見誤ったのである。
ゴルフのうまい選手を美人にすることは難しい。整形手術の方法もあるが、たとえうまくいっても紫外線を浴びるスポーツのため、美人を維持するのが難しい。逆に美人をゴルフのうまい選手に育てる方が安上がりだし、簡単だと考えたからだ。
乱暴な計算をすると
笹川スポーツ財団の資料では、2022年の女子で週1回以上ゴルフ場に行く人は27万人いるそうだ。その27万人の集団から女子プロになれるのは1000人余であるから、確率は0.37%だ。
ゴルフ歴不要にしたから選ばれる集団は美人と言う条件のみだ。美人の人数を割り出してみる必要がある。美人の人数は男性の好みもある上、美人とそうでない人に区分けすること自体がタブーになっている昨今であるので、異論はあるだろうが、次のように計算した。
私の中学校時代はクラスに1人は美人がいた気がする。当時は50人クラス(男女同数)のため確率は1/25とすれば、女子の4%は美人である。日本の女性は6000万人いるから、美人は240万人の集団になる。ゴルフを週1回以上する集団の27万人よりはるかに多い。そのうちから1000人を輩出すればいいと考えれば、240x0.37(週1回以上ゴルフをする人がプロゴルファになれる確率)=8.8千人である。だから美人を選んでからゴルフを仕込んだ方が美人のプロゴルファーを生み出す確率が高いといえる。某企業はこの計算方法を取ったに違いない。
しかしながら、この計算方法は美人が週1回以上ゴルフをしている女性と同じレベルかそれ以上の実力があるか、またはプロによるゴルフ指導で確実に上達するという超楽観的な考えが背景にある。経験値だが「美人は運動音痴が多い」ことを忘れている。
さらに美人だからゴルフで生計を立てる必然性がないから、学ぶ貪欲さもない。よって、某企業の企画案である「美人にゴルフをやらせてプロテストまでいける確率」は9倍高くなったのではなく、限りなくゼロになってしまったのである。名前が売れる前に、美人と思わしき女子プロの子にスポンサー契約を結んで囲い込んだ方が早いし確率が高かったと言えよう。
美人のプロゴルファーを育ててTVの視聴率を上げるという某企業の発想は、「本末転倒」だったのである。
第319回「COACH」(2025年2月8日)
運動に縁のなかった家内がこの仕事に加わってくれた時から、私が「コーチ」と呼ばれるのに違和感をもったそうだ。家内にとって「コーチ」は「COACH」で、「ニューヨークの小さな工房からスタートした革製品ブランド」がまず頭に浮かぶらしい。
「コーチ」という言葉は、1500年代のハンガリーで製造された“四輪の馬車”を意味するハンガリー語の「コチ」が由来だ。屋根付きの4輪の馬車は、品質と乗り心地が良く、ヨーロッパの国々でまたたくまに有名となり、“馬車”=“コチ”と呼ばれて、貴族たちが乗る時や大事な物を運ぶ時に使用されるようになった。
欧米では現在も、目的地へ人を連れて行く鉄道やバスなどの移動手段を「コーチ」と呼んでいるが、こういった意味からCOACHというブランドは「大事なものを運ぶときに使って欲しい」という職人の願いからつくられたものである。
その後「人を目的地(ゴール)まで連れて行く」という概念が、スポーツ界にも波及し、特定の目的に向かって進む選手を指導する“コーチング”という言葉が広く知られるようになり、コーチングする人を「コーチ」と呼ぶようになった。高級ブランドとスポーツの「コーチ」という言葉は綴りも語源も同じである。
さて、コーチングは、自分で自分を指導するということを含むならば、陸上競技では大きく3つの型に分けられる。ひとつは1人で計画を立て実施する方法、親等がこどもと2人で行う方法、集団の中で指導する方法の3つがある。
私は、自分で自分をコーチするやり方をローンレンジャー型と呼んでいる。有名な例としては、マラソンの川内優輝選手だ。
彼は長い間自分で練習メニューを考え実践してきたから、自分の練習計画に自信を持っている。そのため日本陸連長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(当時DeNA総監督)の瀬古利彦さんの勧誘も断った。今更師事するより1人がいいと言って。もし、師事していたらステップアップどころではなく、ステージアップが見られたかもしれない。
1人で計画し実施するのは自分で考え自分で行う自主練習型のコーチングだが、独学の罠に引っかかってしまう。独学は石に刻むようにはっきりした足跡を残すであろうが、体系的に理論を構築していないから、トータル知識の不足、スキルの深耕が底辺まで行きついていない等の思わぬ“抜け”がある。本人は気が付かないことが多く、間違いに気づくのは、競技を引退するその日なのである。
次に、父子鷹(おやこだか)型と呼んでいるが、「親、または恩師と言われる特定の人間と2人だけで行う練習」方法がある。有名な例としてはトラック競技の田中希実親子だ。父親は実業団でも活躍した田中健智氏である。この場合は希美選手の経験不足を父親がフォローするからローンレンジャー型の選手が犯す過ちは少ない。
問題は父と娘の関係である。24時間、365日コーチと選手の関係である。練習が終わっても寝るまで練習や走法での意見交換があり、うまくいっているときはいいが、不調の時は口もききたくなくなる。
その点、私とクラブのこどもたちの関係は練習の時の「2時間だけの関係」だ。怒る方も怒られる方も2時間過ぎれば赤の他人だ。1週間後はどんなことで怒ったか怒られたかお互いに忘れている。1週間経てばいつもの関係に戻る。
3つ目は、我々のような目的別集団(強化指定記録を破るという目的のあるクラブチーム)における「集団的個別指導」方法だ。
練習は集団で行い、問題点は選手に寄り添いながら個別に指導する。腕振りの悪い子はバンドで固定して走らせる。
小学生のうちは走り方の修正は体でわからせることが一番だと思う。ヘレンケラーに「water」といって井戸の水を手にかけ続けるサリバン先生のように振舞うことだ。
自信のない子は皆の前でほめてあげる。自信がつけばこどもは木に登る。集団の威力の背景は友達の目だ。怒られても褒められても、気になるのは友達が自分をどうみているかなのだ。集団の力は、善きにしろ悪しきにしろ言葉に表せない大きな効果がある。
クラブのこども達を3組に分けインターバルのタイムを組みごとに一律に設定する。例えば400mを70秒で走る選手の組と75秒、80秒で走る組に分ける。チケットは練習開始時に渡す。80秒と言うチケットをもらったこどもが努力して75秒で還ってきたら、次の練習では75秒の組のチケットをもらう。逆もありうる。タイムを意識させ自分で練習を営む(いとなむ)わけだから、私はこれを「集団的自営券」と呼んで多用している。
しかし、3つのタイプのコーチングそれぞれでどんなに精緻なトレーニングメニューを作り上げても、陸上競技の成果はコーチと選手の「ケミストリー(相性)」で決まることが多いのも事実である。
「それを言っちゃあ おしめぇよ」とフーテンの寅さんの声が聞こえてきそうだ。
第318回「ペテン師症候群」(2025年2月1日)
人は性格がそれぞれ違うが、集団になると両極端な人間がいることに気づく。バンビーニという集団にもいる。
まず極端な性格の一方にいるエイジは、「ダニング・クルーガー効果」に陥ったこどもといえる。
「ダニング・クルーガー効果」は特に優れているわけではないにもかかわらず、実際よりも自己を優秀であると認識してしまう心理現象を指す。いわゆる“根拠のない自信家”である。
記録が出ると有頂天になるエイジに皮肉を言っても、ダニング・クルーガー効果によって、エイジは皮肉を皮肉と捉えない。純粋に褒め言葉として皮肉を受け取ってしまう。
ダニング・クルーガー効果には通常悪い事象が多いが、「根拠のない自信」は、何事にも臆せず挑戦できるというプラスの面がある。まったく経験のない異業種へ新規参入して成功させた人たちによく見られる事例である。異業種への新規参入は、さまざまなリスクを検討した結果取りやめてしまう場合が多い。通常の人はなかなか踏み出せない。しかしそこで「何とかなるだろう」と抱いた「根拠のない自信」がビジネスを成功に導く場合がある。
エイジはちょっと受け狙いの素養もあるが、稚気愛すべきところがあり嫌味がないので、他のこどもも彼の周りに集まる。
さて、反対側の極みに「インポスター症候群」別名「ペテン師症候群」というものがある。
インポスター症候群とは、自分の能力で何かを達成して周囲から高く評価されても「自分の成功は周りの環境に助けられたおかげ、運が良かったから」「自分にはそんな能力などない、評価されているのは間違っている」「私は皆を騙している詐欺師(ペテン師)である」と過小評価してしまうことである。
インポスター(imposter)は、「詐欺師」や「偽者」という意味の言葉で、この症候群にある人たちは、自分自身に対する評価が低く、マイナス思考になることが少なくない。また、何ごとにも必要以上に遠慮しがちで、自分を過剰に卑下するような発言や行動が見られる。そのため、過度に失敗を恐れて、チャレンジを避けるようになってしまう。
インポスター症候群となってしまうきっかけのひとつは、「自分自身が感じている等身大の姿と、自分が理想としている姿や周囲が思っているであろう自分の姿とのギャップ」だ。
自分をほめて認める気持ち(自己肯定感)が低い人は、自分自身の能力評価を過剰に低く見積もってしまう。加えて、周囲もそのように自分を見ているのではないかと考えてしまい、周囲からの否定的な評価で傷つくのを避けるため、「自分には能力がない」とさらに卑下してしまうという負のスパイラルに陥ってしまう。
ヒナはこのインポスター症候群だと思われる。この場合“症候群”と表現したが、病気ではなく彼女の心理傾向や気質のことだ。
大会時のミーテイングで「期待している」と言うとプレッシャーで泣いて走れなくなってしまう。
昨日まで絶好調だったのに。何回かこの現象が続いたが、ある時もう我慢できず「プレッシャーになろうがなるまいが、もう遠慮しないよ、君の大会前に流す涙はルーテインと決めた。だから気を遣わず、私が思ったように都度アドバイスする」と宣言してから、お互いに遠慮はなくなった。
今は明るく元気に練習に取り組んでいる。それどころか、うるさいくらいだ。追加の練習や規定タイムをアップしようものなら、下手な大阪弁で「なんでやねん」とちゃちゃを入れる。驚くと大きな眼(まなこ)になってこちらを見る。
それでも、たまに元に戻ってしまうことがある。練習で高いタイムを設定すると、それをクリアしようと一生懸命走る。しかし、苦しいから自分はすべてできないのではないかと思うようだ。そうすると心配で涙が出てしまう。
以前は放っておいたから自分から立ち直れないでいたが、今は私が聞く耳を持つので、立ち直りが早くなった。次の練習までの休みの間に回復する。結局指定したタイムはすべてクリアした。周りのこども達もヒナの性格を理解してくれるようになったので、泣いているヒナを見捨てず彼女のそばから離れなくなったことも大きい。ハルカやトウジのおかげである。
エイジはいつも自分は殻を破って大空へ大きく羽ばたく鳥だと思っている。自分が成功していないのはまだ殻の中だからだと屁理屈を述べる。エイジの友人のリュウノスケは練習中ゴールするたびに手を斜め横下に広げて優勝者がするポーズをする。あなたはいつも4番目で戻って来ているのですよ。 1位になるイメージトレーニングで彼の右に出るものはいない。
真面目で完璧主義のヒナは自分自身を否定することなく、頑張っている自分をしっかりとほめることが大切だ。エイジは謙虚を慎重と言うオブラートに包んで、冷たい自己分析の水で飲むことだ。
さて、彼らが結婚したら、どういう子が産まれるのであろうか。両極端の性格なのだから、真中の子すなわち普通の子が産まれるのか、それとも両親のどちらかかの性格をさらに輪をかけて引き継ぐのか、大変興味深い。
両極端の人間の結婚ということで、物理学者のアインシュタインと俳優のマリリン・モンローの話を思い出した。
モンローがあるパーティーの席で、アインシュタインの隣に座り、彼の耳元でささやいた。
「私の外見(美貌)とあなたの頭脳なら、生まれた子は完璧な子になるわ!」
すると、アインシュタインは笑顔で返した。
「しかし、その子が私の外見であなたの頭脳を持っていたら、どうしますか?」
第317回「陸上競技は“青い鳥”」(2025年1月25日)
水泳やサッカーなどこどもに最もふさわしいスポーツを探している保護者達は、陸上競技の良さをあまり理解していないようだ。
私は陸上競技の良さを次のようなものと考えている。
1.誰でも正選手になれる。
野球は9人、サッカーは11人、ラグビーは15人で行うスポーツであるため、選手の選考は監督・コーチが行う。当然身体能力、スキルの優れた者から選び、そうでない者は補欠にするであろう。だから、大事な試合であればあるほど出られないこども達が出てくる。
ところが、陸上競技では、小学生のうちは希望すればどの種目でも出られる。意地悪な監督、コーチであっても権限はリレーや駅伝の発走の順番だけであり、こどもの希望種目は拒否できない。
2.高校生になってから始めても遅くはない
ラグビーや野球などはリトルリーグから始めていないと大成できないようだ。ラグビーでは人に当たると言う行為は恐怖が伴うため小さいうちから怪我や出血に慣れておかないといけない。大学からラグビーを始めた選手がテレビに出ることはないのである。
しかし、陸上競技の場合は高校生になっても身体的能力はまだピークに達していないから、社会人になって才能が開花する可能性は残っている。ラグビーほど闘争心や経験が必要なスポーツではないのも幸いしている。
3.強力なライバルがいても、厳しい練習をしてきた成果を示すことができる
入賞しなくてもましてや優勝しなくとも自分の努力を示せるのが陸上競技である。
レスリングの吉田沙保里が全盛期の頃は誰も勝てないのだから、その時代の選手はかわいそうだ。決勝で吉田に当たるのならテレビや新聞で取り上げてくれるからまだ救われるが、もし3回戦で当たったなら、マスコミは話題にもあげない。苦しい夏の練習や、冬の寒げいこに耐えても何も報われない。桑田や清原がいた時のPL学園の時代は、他の大阪府の球児たちは世に知られずに去っていった。
しかし、陸上競技の場合上位に入らなくても、“自己記録”言う別の基準があり、これをクリアすれば満足できるのである。人は努力が報われることを感じればそれなりに満足するが、そうでなければ「いったいこれまでの自分は何だったのだろう」と自分を責めてしまう。その点陸上競技の“自己新”は全選手の励みとなる。
4.コーチは保護者の数だけいる
ラグビーのタックル、バックスのステップ、などは経験がなければ教えられない。剣道の間合い、柔道の組み手争いなどは素人が教えるのは難しい。ユーチューブを見ただけでは奥義は習得できない。
ところが、陸上競技のコーチは私のような老人でもできるし、800mを走ったことのない人でも教えることができる。この競技は練習をユーチューブで学ぶことができる。ケツワレという特殊な事象以外は。
陸上競技の理想のコーチは「俺について来い!」型のコーチだ。こどものペースをコントロールできるからだ。小学生相手ならほとんどの保護者は対応できるであろう。だから小学生の間は保護者の数だけコーチがいても不思議ではない。工夫された練習内容とこどもとのコミュニケーション・テクニックがあればいい。多くの人が気概をもって、ザトペックのように「インターバルトレーニング」というアイデアを生み出してほしい。
「青い鳥」という物語は、「チルチルとミチルは、青い鳥を探して過去や未来の国を冒険した。が、そこで青い鳥は見つからなかった(青い鳥を見つけてもその国を出る時黒い鳥に変わってしまう等)。しかしそうした困難を乗り越えた経験から、森や家の中が以前よりも幸福であることに気づくと、家の鳥かごにいた白い鳥が“幸せの青い鳥”に変わっていた」という内容である。
本当の幸せはここにあると気づくときは、人間は何か当たり前だと思っていたものを失い不幸を感じた時になってしまうことが多い。足を怪我して歩けなくなった時、走ることがどれほど楽しいことかを理解することになる。恋人が嫁ぐことを知った時、彼女が自分にとって大切な人だったことに初めて思い知るのである。
やめたいと思った時は一度陸上競技を見つめなおしてみればいい。陸上競技をやっていることが、他のスポーツをするよりも幸せであることに気づくはずだ。陸上競技の良さを理解していない人にとって、陸上競技はまだ見ぬ“青い鳥”なのである
第316回「老人と子供のポルカ」(2025年1月19日)
学童やバンビーニでこどもと接していると笑ってしまうことがある。こどもというものは、根はおしゃべりなのである。
「いりやま先生!質問するね。明日は私の誕生日でしょうか?違うでしょうか?」
「う~ん、おめでとう、君の誕生日だね」
「えっ、正解。どうしてわかったの?」
「うん、何となくね」
自分の誕生日をうれしくてうれしくて待ち望んでいる気持ちがよくわかる。
「私の欲しいものは何でしょう。次の中から選んでね。1番靴、2番マフラー、3番キティちゃん」
「待って、もう1回言って」
「1番靴下、2番マフラー、3番キティちゃん」
「ごめん、よく聞き取れなかった。もう1回」
「おじいちゃんだからしょうがないか。これが最後だよ。1番靴、2番マフラー、3番えーとキティちゃん」
「うん、マフラーかな」
「正解、よくわかったね」
「入山先生、色黒いね。クロちゃんと呼んでいいかな?」
「やめてよ、安田大サーカスじゃないから」
「じゃあ、問題ね。私は皆から何と呼ばれているでしょうか?」
「う~ん、わかんない」
「私ね、先生と違って色が白いでしょう。だから『白雪姫』と呼ばれているの」
「へえ、照れ臭くない?」
「照れ臭いって?」
「ちょっぴり恥ずかしいということ」
「なんで?」
「じゃ、皆が君を『白雪姫』って呼んだら、君は何と答えるの?」
「私は『は~い』って答えるの」
「・・・・」
こどもとの会話は楽しいが、多くのこどもは大人を警戒する。自分の親にも慎重なこどももいる。我々大人はどうすればこどもとの会話を増やせるのだろうか。会話を増やす方法は千差万別だが、黙らせるのは簡単でこどもに対してやってはいけないことをやるからだ。
こどもと老人は似ている。片方は言葉をこれから覚える。一方は言葉を忘れかけている。言語量を正規分布の形にすれば、左と右の対称の位置にある。だから、老夫婦の会話の「べからず集」は、こどもに対してしてはいけないことと同じだ。
これからの話は老夫の心の叫びである。夫を「こども」に妻を「あなた」に置き換えて読み解いてほしい。
1.“ながら聞き”や無関心で応対してはいけません
スマホやパソコンが欠かせない生活では、「メールが来たからすぐ返信しなきゃ!」「アップする画像を加工して……」とやりたいことがたくさんある。妻は手芸や料理が得意だからユーチューブで研究をしている。
しかし、夫が話しかけたときに妻がスマホ等に気を取られた生返事では、夫は会話をする意欲がなくなってしまいます。
2.目線は平行にしましょう
夫と会話をするときは、立ったままでは妻が見下ろして夫が見上げることになる。腰を下げたり椅子に座り、目線を合わせて会話をしましよう。
3.決めつけて話をしてはいけません
食事でもっと食べたいときがたまにある。言おうとした時「もうお腹一杯だよね」と言われる。しかし、満腹感は夫のものだ。
妻が勝手に決めることではありません。
4.話をさえぎったり、結論を急いではいけません
言葉を忘れかけている夫は「えーっと、誰だっけ」「ほら、昔行ったじゃない、あそこ、何だっけな?」などと話が進まないことがしばしばある。このようなときにじっと顔を見ないでくれ、本当に思い出せないんだ。また、わからないからと言って勝手に話をあっちの方に向けないでくれ、そんな話をしようとしたんじゃない。
夫が一生懸命に考えて話そうとしているときには、最後まで忍耐強く待ち、聞く姿勢を心がけましょう。
5.否定や命令は極力避けましょう。
断定的に発言する夫の態度は妻を時々不愉快にしてしまうようで、しっぺ返しなのか間違っていると「ダメじゃないの」「どうしていつもそうなの」などと言われる。
威圧的な態度や命令が続くと、夫が萎縮して会話を恐れてしまいます。
6.質問は工夫して言いましょう
学童の1日の出来事を聞きたいあまり、帰宅すると「楽しかった?」「うまくできた?」などの問いかけをする。
しかし、これらはよい結果を求める質問のため、つまらなかったとき、失敗したときにはうまく答えられない質問なのです。
また、「どうだった?」という包括的な質問をされると、何から話してよいかわからなくなります。
7.聞き上手が一番です
楽しい会話をするには、妻が聞き上手になることが必要だ。
夫が話すときには、大げさなくらいのあいづちや驚き、夫が言ったことを反復するなどして共感の気持ちをわかりやすく伝えるようにしましょう。
「話を聞いてもらえた」「共感してほめてもらえた」と感じれば、夫はどんどん会話をしたくなり、単語の数が増えて表現力も元に戻ります。
妻よ、「わかるかな?わかんねェだろうナ」(故松鶴家千とせ)
*)「老人と子供のポルカ」
黒沢映画などで名脇役であった左卜全と子供たちが、世の中の怖いものに対して「やめてけれ」と歌い「助けてー」と叫ぶコミック・プロテスト・ソングで、1970年ヒットした。
第315回「出逢い」(2025年1月12日)
人には出逢いと言うものがある。地球上で80億人の人間がいる。小田和正なら1000万人以上の人と逢っているだろうが、普通の人は逢えても3万人が限界であろう。
この出逢いの数については、1つの有名な通説がある。
人生でなんらかの接点を持つ人は、30,000人
学校や仕事を通じて近い関係になる人は、3,000人
親しい会話ができる人は、300人
友達と呼べる人は、30人
親友と呼べる人は、3人
という、いわゆる3にまつわる数字になるのだが、この数字を聞いてどう感じただろうか。
多いと感じた人もいるかもしれないが、今や世界人口は80億人になっている。
その中のせいぜい30,000人と接点を持つということは、全体の0.000375%ということになる。
こう考えると、どれだけ少ないんだと感じると同時に、世界がどれほど大きいのかということがよくわかる。
この数字の根拠は、人は平均寿命80年という前提がある。1年は365日なので、29,200日となるわけだが、まあうるう年とかもあるので、切れのいいところで人生30,000日という計算になる。
つまり、1日に1人の人と出逢うという仮定のもと、30,000日で30,000人という単純計算からきているのであり、科学的根拠は薄いが、話のきっかけだと理解して欲しい。
友人をもつことはどれだけ幸せか計り知れない。特に地方から上京した人間には地元の友人がいる。それは羨ましいほどつながりが強固である。
社交的で明るく演じているが、私の友人は大学時代の陸上部の人間しかいない。同窓会は高級ホテルのロビーのような居心地の良さがある。ただ、これまで1人だけ例外の者がいた。学生の頃は嫌味な人間と思って近寄らないようにしていたが、それでも先方はグイグイ寄って来たので、その都度ずれるようにしていた。
就職して40年近く離れていたせいか同窓会で会ったら、相変わらず人が嫌がるような発言が多いものの実害がないこともあってしばらく聞いていた。周りの雰囲気もものともせず持論を展開し、皆でリレーチームを作ろうと言い出す。悪いことではないのだが、メンバーに指定されるのはいい迷惑だ。私が陸上クラブを経営しているからだが、あくまでも指導だけで「口だけ陸上部」なのだ。100mを全力で走ったら心筋梗塞を起こす。筑波山登山でわかっている。大学の後輩にも教育的指導をしているようだが、いい迷惑だろうなと思うと、なにかこの男に愛着を感じ始めた。性格は生涯変わらないようだ。2、3回会うとワサビのようにつんとした刺激となり、また逢いたくなる。毎日逢うのは苦痛だろうが、年に1,2回なら「男はつらいよ、寅さんシーリーズ」を見る感覚で楽しみになってきた。
逆に過去の出逢いから友人と思っていた人々に、さみしい思いをさせられたことがある。
バンビーニを立ち上げてすぐは、マラソン大会、イオン・住宅展示場などでのイベントをたくさん行った。マラソン大会は3回行ったがそのあとは台風の余波で荒川河川敷が使えなくなって終わってしまった。赤字続きの大会だったが親戚の協力でなんとか乗り切った。
第1回目だから、目玉がほしいと高校時代に指導したオリンピック選手(マラソン)に先導してもらおうと考えていた。彼女も走る仕事がほとんどないと聞いていたので、少しの足しになればと思うし、走る距離も小学生の2kmくらいなので負担にはならないだろう。ただお金は10万円も払えないから「3万円+昼食」でどうかなと、金額しか頭になかった。
ところが電話に出てもらうのに3日かかり、やっとでてもらったら、冒頭から「入山さん、日本陸連は小学生の長距離を推奨していません。入山さんのクラブは長距離もあると聞いていますので、推薦状は書けませんよ。私は陸連側の人間ですよ」マラソン大会の先導のお願いをと言う前に激しくまくしたてられたので、「わかった、嫌な思いをさせてしまったね。ごめんね、何とか自分でやってみる」と電話を切った。携帯をスピーカーモードにして会話していたので、家内も聞いていた。彼女の目から一筋の涙が流れるのを見た。そうだ、家内はこのオリンピック選手を家に招いて、ご飯を頻繁に振舞っていたのを思い出した。有名になる前の話だが・・・
社会人でラグビー部の監督をしたことがある。ラグビー部をつくって7年目に人事担当常務に強化をお願いしたら、「年間5人取れ、3年で強くしろ」と言われた。当時は4部制で1部に横河電機や東芝府中などの強豪がいたが、3年間で2部まで上がったものの常務が病に倒れ、継続的採用ができなくなり、あと少しだったが夢は消えた。その後、会社もTOIEC重視になり、ラグビー部員は取らなくなった。
私が会社を退職し他の会社で仕事をすることになった時、元の会社の組織図が欲しいと営業役員が依頼してきた。「お安い御用」と2つ返事したものの、ハタと困った。ノー試験で採用し係長まで昇進したラグビー部員に電話しても誰も出ない。会社に電話したらやっと出たが「何ですか?」との一声。まだ組織図が出来ていないと言うが、1年前までその会社にいたんだよ、出る時期は君たちより知っているよ。こちらも都合があるので、愛想笑いをしてなんとかもらったが「これは極秘でこれが最後ですよ」と恩を着せられたようだった。そうだったのか組織図は極秘だったのか、初めて知った。
「出逢いは、いつの日か、いい人間とそうでない人間を判別することになる」
多くの人はそうならないだろうが、私のようにならないためには、日々徳を積むことをお薦めする。
第314回「エビングハウスの忘却曲線とインターバルトレーニング」(2025年1月5日)
ある時、小3のヒデトが質問してきた。
「コーチ、インターバルトレーニングってどんな意味があるの?」
「おい、おい、今更何言っているんだい。インターバルトレーニングというのはな、そもそも・・・・」
説明しているうちにこれを実施する意義はそういえば何なんだろうかとふと考えた。これまで定番の練習だからと疑ったことはなかったから。
すると小学生の時に覚えさせられた算数の問題に行きついた。
「3+2」の問題が何回も何回も“趣向を変えて”出てくる。3が金魚であったり、あひるであったり、2がキャンディであったり、アイスであったりするが、数字はくどいくらい同じようなものが出てくる。
この問題集の背景には「繰り返し」の教育理論があり、その理論はエビングハウスの研究に基づいている。ドイツの心理学者であるヘルマン・エビングハウスが、人間の長期記憶について研究した結果、提唱したのが「エビングハウスの忘却曲線」である。
縦軸には「節約率」、横軸には「時間」を取っており、グラフには反比例の形が現れるのが特徴的である。これは、時間が経てば経つほど、人間は記憶を忘れていくことを示している。
節約率とは、「知識を再び学習する際、どのくらい時間を節約することができるか」という復習効率を表す数値のこと。具体的には、以下の式で求めることができる。
節約率={(最初に要した時間) – (覚え直すのに要した時間)}÷ (最初に要した時間)
例えば、初めて学習する際に10分かけて覚えた物事があるとする。同じ物事を60分後に再び記憶する時、5分で記憶することができたとしよう。この場合、節約率の式に当てはめて計算すると、節約率は50%となる。つまり、60分後に復習した際には、最初の学習に比べて50%の時間を節約できたということだ。この「節約できた割合」が、節約率に相当する。
つまり、覚えていられる時間や忘れるまでの時間ではなく、同じことを覚えなおしたときの時間がどれだけ節約されたかを表している。
復習するタイミングは、3回に分けるのがベストといわれており、学習から24時間以内に10分の復習をすると、記憶が100%(学習直後の状態)に戻る
学習から1週間後に2回目の復習をすると、5分で記憶を取り戻せる
学習から1ヶ月後に3回目の復習をすると、2~4分で記憶を取り戻せる
1日後、1週間後、1ヶ月後のそれぞれのタイミングで復習を行えば、学習内容を効率的に思い出せるようになり、知識が長期的に定着する。
一夜漬けで覚えようとしても記憶が定着しないのは、覚えた瞬間から忘れていくのが人間の常であり、だからこそ覚えるためには繰り返し学習することが重要だ。
実験では意味のないアルファベットの羅列を覚える実験だったが、体系立てて覚えたり、ストーリー性のある内容であれば、記憶保持率の低下はより緩やかになると考えられる。
インターバルトレーニングも、同じように繰り返すことによって体にペースを覚え込ませようとするトレーニング方法だ
今日のインターバルトレーニングは、1952年のヘルシンキ五輪で長距離三冠に輝いたチェコスロバキアのザトペックにより実施されたものであり、高強度の運動と低強度の休息を交互に繰り返す練習方法だ。
例えば1500mを5分(100mを20秒ペース)で走れる選手がいたとする。この選手は1500mを4分30秒(100mを18秒ペース)では走れない。しかし、練習を600mx3本に分け、休息をとりながらであれば100m18秒ペースで合計1800mの距離走ることができる。
このように、持続的には走ることができなくても、距離を短くして休息をいれながら走ると、より速いペースで走ることができる。また、距離やタイムなどいろいろな組み合わせで様々なペースを体験できるのも特徴である。このトレーニングに身体が適応すると、体がスピードを覚え、1500mをより速いタイムで走ることができるようになる。インターバルは算数の四則計算のように繰り返し行うことで体にペースを覚え込ますことができる
問題集が金魚をあひるに置き換えたりするように、こどもが飽きないように距離やタイムの組み合わせを様々に変えてインターバルトレーニングを工夫している。
こう説明したかったのだが、コーチの言葉を高校生のように直立不動の姿勢で聞くこともなく、話の途中でヒデトはさっさとスタート位置まで行ってしまった。
「要するに走ればいいのね!」というヒデトの心の声が聞こえてきそうだ。
第313回「運命」(2025年1月1日)
1月1日は1年の初めと考えて特別な日と考えている人は多い。しかし、それは2024年、2025年と時間を区切った考えを持っているからだ。70年生きた人にとっては25,550日の中の1日にしか過ぎない。
なぜ人は、「偶然」に過ぎないことに運命や必然的な「何か」を見出してしまうのか?
恋人ができると2人は赤い糸でつながっていると思うカップルがいるが、出会いは単なる偶然だ。「運命的な出会い」にして2人を選ばれた人間にしたいだけだと思う。
運命と言う言葉はいい時も悪い時も使うが、「こうなるはずだったのに」というのは「過去への悔悟」であり、「いつかきっとこうなるはず」というのは「未来への期待」ともいえる。
こうした“後悔”や“願望”から自分を解放すれば、目の前に起こったことを「当たり前のこと」と受け入れることができるようになる。
運命論者とは、世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できない、とする考え方を持つ人だ。
この考えだとどんなに修行を積んでも運命は決まっているから、信仰は無意味なものとなる。
「運が悪い人」は、将来に対してマイナスをイメージする傾向があり、何かを始める前からあきらめていることが多い。
「不合格を心配して受験しない学生」「失敗を恐れて新規事業に踏み出せない経営者」など、自分自身で「運が悪い人」をつくり出しているのだ。
これまで決して運のいい方ではなかった私が言うのはおこがましいが、自分自身の能力や努力を信じることが、「運がいい人」になる秘訣だ。「運がいい人」にならなくても少なくとも「運が悪い人」にはならない。
野村克也は、その著書「運」で「不運は、備えが足りなかったときに起きる」との主旨のことを語っている。
「内野ゴロがイレギュラーバウンドして内野手の頭を超えて外野に転がり、ランナーが生還して逆転で負けた。それは多くの場合、ランナーの走路がスパイク跡でデコボコなっていいて、その窪んだこところにゴロがぶつかって不規則なバウンドをするときである。そこで内野手は、守備範囲内の走路が荒れていないかどうかを確認して、即座に自分のスパイクの底で踏みならして修復する。それを見落としたり怠ったりして荒れたままにしておくと、そのせいでイレギュラーバウンドを招くということが少なからずある。」
つまり、不運なことを想像し、それに備えておけということだ。「不運を避ける行動」によって「不運が起きない」ことになるが、そういうことだったということはわからないのである。不運とは起きてみて実感するものだからだ。
バンビーニの事務所にいろいろなところから電話やメールが入るが、ある時TBSの「炎の体育会」担当者からメールが入った。出演を依頼されたので、数人を推薦した。私はこの手の誘いは断らない方針だ。お金の話が出た瞬間に断る習性があるが・・・私はチャンスに後ろ髪はないと思っているので、何事もチャンスととらえている。
なんだかんだ2次審査まで行い、木原來南が採用された。他にも來南より速い選手がいたが、番組で大迫傑選手が出るため、「大迫愛」の強い選手が選考対象であった。たぶん大迫のことはあまり知らなかったと思うが、勉強して“大迫通”になったと思う。これがウケた。並みいるライバルを抑えて合格となった。当日は番組の都合でウオーミングアップが短くかつ長時間待たされたようでベストは切れなかったが、“眼鏡の美人”として有名になった。
バンビーニの初期の頃にはAKBから走り方の指導依頼があった。ドンケツに遅い女子が一念発起して速くなるという学園物語なので、主役の松井珠理奈と宮脇咲良の2人の走り方矯正を指導した。
珠理奈は陸上部だったせいでいじるところはなかった。問題は走り方がキモ可愛いと言われていた咲良の方であった。この子は番組では変な走り方だが実は本気でやれば普通に走れる女の子であった。TVでは演技だったようだ。腕振りを少し直したら見違えるようにきれいになった。
AKBはよく働くグループであった。我々が指導に行ったときはもうプロモーションビデオの収録を行っていて、我々が帰る時もロケは続いていた。ホテルに着いてビールを飲みながらテレビを見ていたら眠くなった。それからしばらくして目が覚め外を見たら、AKBの乗ったロケバスが帰ってきた。時計の針は1時を回っていた。翌朝7時に食事に行ったらロケバスが出発するところであった。我々はロケ場所で待機していたが、もう出番はなかった。ロケ弁を頂いて14時には帰路についた。他のクラブのコーチがやらないのは拘束時間が長いからだと思う。教えるのは15分で拘束時間は1泊2日になるからだ。TVはお金がかかるのも納得がいく。
陸上をやっていて、AKBとコンタクトが取れるなんてまさに「運命」なのだろうか。しかし、それは単なる「偶然」に過ぎない。事実彼女らからメールはその後一つも来ない。ビジネスなのだ。フジテレビがいろいろなクラブにメールして一番最初に「やります」といったところを採用したに過ぎない。
TVや映画の担当者は時間がないのだ。
第312回「悪魔の証明」(2024年12月21日)
英語にはかつて、無駄な努力を表す言葉として、「黒い白鳥(ブラックスワン)を探すようなものだ」ということわざがあった。欧州のどこにも存在が確認されていないので、「黒い白鳥はいない」と信じられていた。しかし、1697年オーストラリアでコクチョウ=「黒い白鳥」が発見され、当時の人々の驚きは大変なものだったに違いない。このコクチョウは渡りをしないオーストラリア固有のハクチョウなので、欧州人がオーストラリアに到達するまでコクチョウの存在は知られていなかったのだ。
今年の冬の練習から、1組(中学生を含む)で練習させる福田一記(いつき)は小学2年生で、長距離の才能が段違いに光っている。腕と身体が若干開いているが、問題にするほどではない。さらに足の運びもモモが上がっていて小さい体を大きく使っている。この歳でフォームは完成に近い。また、闘争心が強くライバルが前へ行こうものなら目から強烈なビームを照射し、追いつく際は獲物を捕まえるチーターのように舌なめずりしている。練習の時も2組で積極的に先頭を走る。
心技体(体は小さいが)申し分のない長距離ランナーである。2年生の部に限れば、いろいろな大会でいつも優勝をしている。
私が、ここでいい気になって
「埼玉県には、同学年で一記(いつき)より長距離が速い男子はいない」
と主張したら、
「じゃ、証明してみろ」
と言われると、その労苦は尋常なものではない。
「ある」ことの証明は、特定の「あること」を一例でも証明すればすむが、「ない」ことの証明は、すべてを同時に調べないと正確に「ない」とはいえないからだ。
コクチョウが今いなくても5分後に巣にもどるかもしれない。いつも後ろを振り返りながら探し歩くのは、能力、時間に限りある人間のできることではない。
要するに「ない」ことを証明せよというのは、問題を押し付けた方が勝ちなのだ。
「ツチノコはいるか」、「死後の世界はあるか」、「UFOは存在するか」という問いかけは、「ない」ことを証明できなければ、各命題とも「存在する」というおかしなレトリックにもとづいている。だから永遠のテーマになりうるのだ。
これは、困難あるいは不可能な証明を要求しているので、「悪魔の証明」といわれている。
「ブラックスワンはいない」という命題は、実は「悪魔の証明」の1つであったが、327年前にオーストラリアで偶然コクチョウとして発見されたことで消滅してしまった。
一記(いつき)の話に戻すと、現状は高学年に比べて2年生で出られる大会は稀であり、800mの種目も少ない。ライバルとの遭遇が極端に少ないから、どこかのクラブには一記を凌駕するこどもがいるかもしれないが、私のように独善的かつ大声で主張しなければ、大会に出てこない以上、“推定無在”となる。
また、埼玉の陸上クラブではいないかもしれないが、運動能力の高いサッカー部や野球部には存在する可能性がある。金曜日に別所沼で練習を行う際、サッカー部のこどもたちが時々走り込みをするが、結構速いし長時間走る。川口マラソンの3・4年の部でうちのハルカが負けたのは水泳部の女の子であった。ただ、幸か不幸か他の種目のこども達は800mに興味がない。
だからといって他の種目の選手を悪魔の証明の範疇外としたら、中学に進学して苦労する。ポテンシャルのあるこどもが800mの競技に専念したら、小学生から800mを走り続けたこどもは、負ける可能性が高い。他の種目をプレーしてきたこども達にとって、中学での800mは新鮮な種目の何物でもないからである。
小学生での「悪魔の証明」をクリアするには、油断せず一記(いつき)に勝ち続けさせなければならない。一度でも負ければ「悪魔の証明」はできなかったことになる。
レスリングの吉田沙保里が霊長類最強女子と言われ続けたのは、206連勝したからだ。小学校を卒業するまで陸上競技を続けるとしたら、あと4年間記録会やロードレースさらに駅伝も含めて220回ライバルと競走することになる。一記は220連勝して吉田沙保里を超えなければならないのである。その時初めて「悪魔の証明」が完成し、一記は哺乳類最強男子と呼ばれるようになる。そのためにはたゆまない練習と怪我をしない体づくりを心掛けることが肝心だ。
ただ、現在困った問題が起きている。今年1年生の女子が入ってきたが、これが一記の1年生の時の記録より速いのだ。練習の真面目さ走り方は同じだが、さらにケニアやエチオピアの人たちの底抜けの明るさを合わせ持っている。どうしょう、彼女が本格的に練習したら・・・
しかし、あくまでも今回の「悪魔の証明」の命題は、「埼玉県には、同学年で一記(いつき)より長距離が速い男子はいない」ということである。
第311回「おおきなかぶ」(2024年12月14日)
先日埼玉の小学生駅伝大会があった。シーズン初めはシード権のある10位を目標にしたが、こども達の努力で3位に入賞した。アンカーがゴールした時「おおきなかぶ」の物語が頭をよぎった。
「おじいさんがカブの種をまきました。やがて甘い大きなカブができたので、おじいさんは抜こうとしましたが、抜けません。おじいさんはおばあさんを呼び、おばあさんが後ろからおじいさんを引っ張りますが、それでも抜けません。おばあさんは孫を呼び、孫は犬を呼び、犬は猫を呼んできますが、それでもカブは抜けません。猫はネズミを呼んできました。ネズミが猫を引っ張ると、とうとうカブは 抜けました」
内田莉莎子が翻訳した際
「うんとこしょ、どっこいしょ」「それでもカブは抜けません」
というテンポのいい繰り返しのフレーズを用いて、よりこどもたちを引き寄せる物語となった。
この物語の教訓は2つ。一つは皆で協力すれば困難を克服できる。二つ目はあきらめない気持ちをもつことが夢を実現させるということだ。
おじいさんが最初にかぶを抜こうとするが、一人の力ではうまくいかず、家族や動物たちが次々と協力していく。この展開から、困難に直面したときに協力することが成功への鍵であること、また途中で諦めることなく一つの目標に向かって挑戦を続けることが大事であることを強調している。
さらに、最後に小さなねずみが加わることで目標が達成されるというエピソードは、小さな力でも役に立つことを示し、個々の力の尊さを伝えている。
この話はロシアの民話であるので、当初創った原作者はここまで教訓をしみ込ませていたのかはいささか疑問だが、原作者の意図とは別に日本の教科書にも載るようになった。
我々は夢や目標に向かって努力していても、なかなか結果が出なかったり、無駄なんじゃないかと途中で投げ出したくなったりすることがあるが、もしかしたら、実はすぐそこに努力の成果が待っているかもしれないのだ。
あきらめてしまったら、夢や目標はつかむことはできない。
100回叩いたら破れる壁を99回叩いてあきらめたら悔しいはずだ。でも人間は壁を破るのに何回叩いたら破れるかは誰も知らない。自分の寿命がいつなくなるかを知らないのと同じように・・・
『ネズミさんの力はとても小さいけど、ネズミさんが来る前にあきらめてしまっていたら、カブは抜くことはできなかったね。』
駅伝の魅力とは、なんと言っても “仲間との連帯感” に尽きる。
参加するメンバーで一本のタスキをつながなければならないという使命感は、参加してみれば必ず実感できる“特別な体験”である。
中継地点で自分のチームの選手が見えてきたとき、その仲間のランナーの必死な顔、タスキを渡そうと懸命に走り込んで来る姿に感動するだろう。また他のチームが次々とタスキを渡していく中、仲間が来ないときの不安感は母親の迎えを待つ幼児のように思える。
これらの感情がタスキを受け取った瞬間に「次のランナーに必ず渡さなければならない」という強い使命感を生み、そして普段なら調整できるはずのペースが限界を超えてしまう。
オーバーペースは、早々と体力や呼吸の限界を超えてしまう。一人で参加する大会ならば、「ペースを落とす」「歩き出す」ことで苦しさから逃れられるだろう。
しかし、駅伝ではそう思うとき、自分の胸にタスキが掛かっていることに気づく。
そして、それを必死な顔で運んで来てくれた仲間を思い出す。
沿道の保護者の応援も聞こえる。
『とにかく次のランナーにつながなきゃ!』
不思議と限界のはずの脚が、前へ前へと動き出す。
『しかし、もう限界……』
そう感じると、仲間の姿が小さく見えてくる。
タスキを受け取った時、必死な顔で走ってくるランナーが今度は自分なのだ。さっき見たランナーは実は今の自分を見ていたのかもしれない。
待ち受けるランナーは、懸命に自分に向かって大声で呼びかける。
「ここだ!」「頑張れ!」と。
もう疲れも苦しさも感じない“ミステリーゾーン”に入っていく。
そして“タスキがつながった”思いが、全身を駆け巡る瞬間を迎える。
『諦めなかった』『なんとかタスキをつなげた』
レースが終わるまでの間、自分がかけていたタスキだけがずっと仲間の誰かとともに走り続けている。
やがてタスキがゴールに還って来る。
自分がアンカーでなくとも、レースを終えた達成感を皆が味合うだろう。直前に大病を患った仲間や練習熱心で逆に調子を落としていた仲間の分をカバーしようと頑張った選手たち、逆になんとか迷惑をかけないよう自分に鞭打った選手がいた。だからこそ、3位に入れたのだ。
この瞬間、
『駅伝って楽しかったな』
と思うに違いない。
そんなこども達を見て、
「えっさっさ、えっさっさ」「それでも走るのやめません」
そんなフレーズが聞こえてきそうだ。
第310回「ユーチューブ依存症」(2024年12月6日)
一般に依存症といわれるものには、アルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症、など様々なものがある。
アルコール依存症は、長期間にわたってアルコールを大量に摂取し続けることによって、アルコールを摂取しないといられなくなる病気だ。
アルコール依存症は、決して意志の弱さや特定の性格傾向が原因ではない。原因は飲酒したこと、すなわち、長期間にわたってエチルアルコールという依存性薬物を過剰に摂取してきたことによるもので、“アルコールがある状態が正常”だと身体が誤認しているからである。
以前ランニングハイについて書いたが、そのレッドラインを超えるとランニング依存症になることがある。
ランニングそのものは、一般的には続けることが悪いのではなく、むしろ「良いこと」「偉いこと」として捉えられ、依存症の対象とされるのは違和感がある人もいるだろう。
アルコール依存症やギャンブル依存症などと違うのは、『やりたい』というよりも『やらなければ』という強迫的な側面が大きい。そして運動が過剰に行われることによって、人間関係や仕事に支障をきたすほどのネガティブな結果を生み出し、さらに健康管理を度外視して行うことがあって、怪我や体調不良に繋がってしまうことがある。
私の失敗談から言えば、走ることをやめるのは“自分の意志の弱さ”が原因だ、だからこれを克服するためには雨の日でも雪の日でも走るしかない、と考えてしまったことだ。1日やめたらその分を日曜日に埋め合わせをすると、日曜日の練習が2倍になるので、休めない。高校生の時1日20km年365日という計画をつくり実行した(ニュージーランドのコーチ「アーサー・リデアード」の著書に従った)。当然友達との遊びはすべて断わらざるを得なくなった。
練習日誌を書いた後、1日の走った距離を日本地図に赤く線を記入していった。それが1日の楽しみでもあった。ところが日本橋を出発し赤い線が青森を通り新潟に延伸されたころから体に異変が生じ、24時間インターバルをしているような疲労感が毎日続き、高校3年生のインターハイは出れるような状態ではなくなっていた。
さて、小学生の段階ではランニング依存症にはならないだろう。小学生のうちはフロイトの言う“快楽原則”が立ちはだかるからだ。小学生の問題点は親が「ランニング依存症」になっていることである。そして、その病源をたどってみると「ユーチューブ依存症」に行きつく。しかも、見る方ではなく、“自らユーチューブを立ち上げ更新し続けるという依存症”である。
こどもの成長を願い、こどもの優れた点を世間にアピールするのは親として当然の行為である。しかしながら、ユーチューブのチャンネル登録者数を競い合うのを見て、老婆心ながら苦言を呈したい。
「小学生が走る」という新しいジャンルが受け、登録者数が増えている。そのため新しい映像を頻繁にユーチューブに載せないといけなくなり、地方の小さな大会も含めて毎週大会を入れるようになった。こどもが“ランニングをやりたい”のではなく、ユーチューブの登録者数増加のためには、こどもに“ランニングをやらせなければならない”のである。
ユーザーは2週間も更新されなければ去っていく。そのことを極度に恐れているから、年間55回も大会を入れてしまう人も出てくる。大会に出るためには親は遠路も苦にしない。
しかも、ユーザーは強いこどもが見たいと思っているから、ただ走る姿ではなく優勝することが大事なことになり、自然とこどもにプレッシャーをかけてしまう。
ユーチューブをやめろとは言っていない。折角見つけた楽しみを奪うつもりはさらさらない。
12月8日の駅伝が終わると埼玉県の公式大会はない。世間では3月までロードレースや駅伝が毎週どこかで開催される。お願いだから55回も真剣勝負の場にこどもを提供しないでほしい。こどもは疲れている。
ユーザーは大会だけを見たいのだろうか。ユーザーが本当に見たいのは「こどもや親の奮闘や努力の姿を知り、心から応援したくなって大会を見、共に達成感を喜べるような空間」ではないのだろうか。もしこどもが優勝しなくなったら、どのように編集をするというのだろうか。
大会だけがユーチューブの材料ではない。地道な練習やこどもの何気ない言動は、時に感動的なものとなる。泣きながら走るこどもや負けた時の悔しい顔、ベストを出した時のうれしい顔など、大人が長い間忘れていた“こども心”が見たいのだ。今後出場回数を絞るなら、バンビーニも場の提供など協力を惜しまない。
我々が見ず知らずの大谷を心から応援するのは、彼の練習態度や先輩に対する礼儀、ファンに対する心遣いなどをTVで垣間見ているからだ。見たいのはホームランだけではない。スポーツ選手としてのすがすがしさ前向きさを知らずして、いずくんぞ大谷を応援しようか。
また、NHKBSユーザーである私は、ただTVを見ているのではない。ソファで右に頭を置き寝ながら見ていたら三振した。次の打席は左を頭にして見ている。座って観戦しても、日本茶を飲んでショートゴロだったら次はコーヒーにしている。私なりに大谷に“念”を送り、知らず知らずに彼をアシストしていたのだ。
熱烈なユーザーとはそういうものだ。
第309回「陸上のコーチングと詐欺師のテクニック」(2024年12月1日)
陸上競技のコーチングと詐欺師のテクニックは非常に似ている。
(1)見た目が大事
「無意識のうちに見た目で判断してしまうこと」をハロー効果と言う。例えば、
・見た目(服装や髪型)が整っている人の方が仕事ができそう
・人気俳優が使っている化粧品を良いものだと思う
そのため、「ハロー効果」を狙った詐欺師は次のような様子で現れる。
・ブランドものの腕時計をつけている
・いかにも高級そうなスーツを着ている
・自信ありそうな雰囲気を出している
私も次のように装っている。
1.ブランドもの(カシオ)のストップウオッチを2個~3個首から下げている。
2.いかにも高そうなジャージを着ている(アウトレット品)。
3.声出しの他、指で「来い」とか「行け」とか指示して偉そうな態度をしている。
(2)話し方
1. 曖昧な言い方はしない
詐欺師は絶対に曖昧な言い方はしない。自信をもって、断定して話をする。被害者はその話が事実と異なっていると感じても、段々と「本当かも」と思ってしまう。
こども達は「100mは脚で走るのではなく腕で走る」と説明すると初めは「???」だが、腕振りを直すと綺麗に走れるようになるので、速くなった気がする。
長距離のこども達には「800mでは前半飛ばさずして記録は出ない」と教える。後半の落ち込みは考慮していない。でも必ず「落ちたのが600mならば、次回は650mまで落ち始めのポイントを延ばせばいい」と付け加える。しかし、どのようにして延ばせるかは練習をどれだけ真剣にやるかだとしか教えていないのだが、堂々と主張しているのでこどもは妙に納得して飛ばしている。
2. 共感、同調する
詐欺師というと、口が上手いというイメージだが、本当の詐欺師は話し方ではなく、聞き方が上手なのだ。
400mのインターバルを後5本残していた時、こども達は「コーチ、後3本にしてよ」と言ってくる。
「なぜ?」
「今日ね、午前中大会があって走ってきたの」
「うんうん、そりゃ大変だったね。疲れたでしょう?」
「そうよ、すごく疲れた」
「じゃ、ダウン代わりに後5本だね。3本だと6割くらいしか回復しないよ。疲れた時はやっぱりインターバルが一番だね」
「・・・・」
3. 落として上げる
詐欺師は不安を煽りまくって、相手を恐怖に陥れる。そして恐怖でどうしようもない相手に救いの手を差し伸べるフリをして騙そうとする。
「あなたには悪霊がついている! このままでは命にかかわる! この壺なら悪霊を退散できる。だから壺を買いなさい」
「落として(=不安にさせて)」から「上げる(=救いの手を差し伸べる)」という手口だ。
私はこども達にこう言う。
「このままでは強化指定選手になれないよ。なれなくていいの?」
「いやだ、なりたい」
「君も強化指定選手のTシャツを着たいでしょ」
「うん」
「じゃ、私の決めたタイムで還って来なさい。君ならできる。練習にメリハリをつけなさい。つなぎはジョッグだよ。歩きじゃない」
(3)「円卓のナプキン理論」を実践している。
「テーブル(円卓)に座った時、目の前にあるナプキンのどちら側を取るか? 向かって「左」か? 「右」か? 誰かが最初に右のナプキンを取ったら、全員が右を取らざるを得ない。 もし左なら、全員が左側のナプキンだ。 そうせざるを得ない。 一度動いたら全員が従わざるを得ない! いつの時代だろうと、この世はナプキンのように動いているのだ」(「ジョジョの奇妙な冒険」より)。
最初に行動した人によってルールが規定されていくという効果が「円卓のナプキン理論」だ。
宗教団体やビジネス団体の一員で勧誘を促すために配置する人員を通称「サクラ」というが、サクラがいることによって場の空気を作り、そこまで興味がなく多少の不信感を持っている人の不安を取り除いている。最後に加入を促すとき、サクラが一斉に手を挙げる。そうすることでサクラでない人もそれにつられて手を挙げ加入してしまう。
だから、バンビーニでは率先して練習をする真面目なイッセイをキャプテンにして、皆を練習に誘導している。こうして私はクラブ運営を楽にしている。
(4)目的を達成するため「ドア・イン・ザ・フェイス」の方法を取る。
ドア・イン・ザ・フェイスとは、訪問してきた説得者の顔めがけて玄関のドアを閉めるといったたとえだ。
あとから提示する条件が実は本来の交渉要件であり、成約率を高めるために、わざと事前に断られそうな条件を提示する、
「財布なくしちゃったから1万円貸してほしい!」
「えっ、1万円も!?」
「だったら2,000円だけでも貸してほしい!」
「2,000円なら良いよ!」
長距離のこども達は事前に練習メニューを見てしまう。そして、時々軽減を要求してくるので、最近では練習メニューには多めの本数を記載しておく。
「コーチ 400mx20本は辛くない?」
「ダメだよ、このくらいやらないと」
皆が寄ってきて
「こどもを虐待しているよ、このクラブは」
といちゃもんをつけてくる。
「じゃしょうがない、18本にするか」
「いや、切れのいいところで15本、お願い!」
「・・・わかった、でも決められたタイムで還って来てよ」
「おー!やった」
皆は大喜びだ。
実際にタイムを記載する記録表には15本しか線を引いていない。
このように書くと「バンビーニのコーチは洗いざらい話をしている。きっといい人に違いない。このクラブにこどもを預けてみるか」と思ったあなた、この話全体が詐欺師のテクニックなのですよ。
第308回「試し行動」(2024年11月23日)
学童では、坊主が珍しいのか頭を触りに来るこどもが多い。「俺は巣鴨のとげぬき地蔵ではない、なでるな!」と怒るのだが、一向にやめない。頭を叩くこどもがいるが、力の加減によっては“頭にくる”ので追いかけて「痛いんだよ」と叱る。
「ハゲ」と言うこどももいる。ためらいながら言うので、なんとなく「ハゲ」と言う言葉は使ってはいけないことは薄々承知しているようだ。私は答える。「俺はな、ハゲじゃない坊主だ。ハゲは全く毛のない人をいうが、俺はまだ毛がある。だから時々QBハウス(床屋)に行ってバリカンで髪を刈っている。だから床屋に行かないハゲとは違って、この頭を立派な坊主と呼ぶのだ」
たまに屁理屈を言うこどもがいて、
「『坊主めくり』ではハゲの人を『坊主』というのはどうして?」
「『ハゲめくり』とは言えないからだ。」
「ふ~ん」
ある時あることがきかっけで皆が私を攻撃していると、それを遠くから見たH男はニコニコして飛んできて私を叩き始めるが、いつも間が悪い。皆が飽きてやめるときに入ってくるものだから、1人で私を叩いていることになる。皆と一緒ならわからないだろうと叩きにきているのだが、最後は孤立無援だ。私に首根っこを押さえられて、泣きべそをかきながら「もうしないよ」と許しを請う。
翌日トランプのスピードをしているとまたしゃしゃりでて勝手にカードを動かす。相手が負けそうになると私のカードをぐちゃぐちゃにする。「何するんだ」と言うと逃げ惑う。
このH男は心理学でいう「試し行動」をしている。
「試し行動」とは、自分をどの程度まで受け止めてくれるのかを探るために、わざと困らせるようなことをするこどもの行動である。
父親を交通事故で亡くしたR男も「試し行動」をとる。友達にはやさしく接するため人気があるが、私には違った態度で近づいてくる。あぐらをかいて座っていると必ず座りに来る。私は冷たいようだが、男子でも座らせない。冷たくあしらう。お母さんが見たらあまりいい感じはしないだろう。
さらにR男は若干太り気味で汗をかくので、私が触れると私の手がびしょびしょになるほどだ。よって、なるべくR男は遠ざけるが、時には意味もなく突進してくることがある。だが、あまりにも突進が痛いと「何するんだ」と首根っこを押さえる。R男も反省はしたようでうつむいて立ち去る。もう私には寄ってこないかなと心配していると、10分もしないうちにじゃれてくる。やはりくれば可愛い。その点意地を張るタイプの子は損だと思う。
試し行動の裏にある子どもの想いは、ただ一つ。「こんな僕でも愛されてるのか?」「さっき怒られたけれど、先生は僕を嫌いになっていないのか?」といった、愛情が変わらないものかを確認するための行為だ。試し行動は、大人を信頼しても良いのかを確認しているともいえる。
学童では「どんなこどもでも大好きだ!」と寄ってきた子には対応しているが、「良いことと悪いことははっきりと伝える」ことにしている。試し行動をされたからと言って、子どもの挑発に乗り、悪いことまで受け入れてしまうと、ぐちゃぐちゃになってしまう。良い物は良い、悪いことは悪い、このラインははっきりとさせて関わることで、こどもの中で「先生は僕のことは好きだけれど、ダメな物はやっぱりダメなんだ」と理解する。この積み重ねが信頼関係を構築する。
バンビーニでも練習の内容がきついと「じゃ、コーチもやってよ」という。私はその挑発に乗らない。「私は小さい頃から走りすぎたので、『入山、もうお前は走らなくていいよ』と神様はおっしゃる。そろそろ神様にお世話になる歳になった。よって神様には逆らわないのだよ」と言って走らない。小学生はわけのわからないこの言葉で私に懐柔される。
しかし、中学生になると自我も芽生え、インターバルの休みの時に「くたびれたよ。もうやめよ」と言って立ち上がらないこどもが出る。「練習の本数を決めるのはコーチの俺だ。お前らじゃない。ぐちゃぐちゃ言ってないで行くぞ」とスタートラインに向かう。神様の話をしても無視されるだけだから、怒った顔をつくる。だが、彼らが走らなければ私は途方に暮れてしまう。優越的地位にいるにも関わらず、中学生の顔色を見ながらビクビクしている。何秒経ったかわからないが、もうダメかとあきらめ顔になった瞬間、彼らは立ち上がりスタートラインに来た。よかった、まだ彼らは私についてきてくれる。
何のことはない。コーチの私も「試し行動」をしていたのだ。
第307回「限界効用逓減の法則」(2024年11月16日)
こども達を多くの大会に出場させることは間違いではないが、計画立てて行わないと、正しいとは言えない。なぜ正しくないのか。
まず体を酷使することによる怪我の恐れである。疲労回復をせずに行えば疲労は蓄積し疲労骨折につながる。以前にも書いたが、大会は「たかが2kmだ」と思うだろうが、「されど2km」なのである。真剣勝負の2kmを毎週走るのは疲れると思う。2kmでも大会は普段の1日の練習量に相当する。
疲労骨折は、ごく小さな外力の繰り返しにより、骨に慢性的にストレスが加わり、ついには骨に微細骨折を生じた状態をいう。ランニングの繰り返し、走り過ぎなどにより生じ、骨にヒビのような状態を作り、時には完全骨折にいたることもある。脛骨(すねの太い骨)、中足骨(足の甲の骨)によく生じる怪我である(日本陸連「疲労骨折予防10か条」より)。
現在中1で注目されているバンビーニOBのT男も同じ状況になったことがある。もっと早く気づけば小学生のうちから注目された選手となっていただろう。深く反省している。
もうひとつは精神面の問題である。
毎週のように大会に出ることで、こどもは自信がつき上位に入ることで喜んでいると親は思っているのだが、本当にこどもは満足しているのだろうか。
多くの大会に出れば、上位に入ることに対する熱意や達成感が段々薄れてくる。順位が下がると記録が低迷する。仕舞には大会に対するアレルギーが生じてくる。そして最後は陸上競技を去ることになる。これまで、Y子を筆頭にそのようなこども達を何人見てきたことだろうか。
小学生は自ら大会を選ぶことも申し込むことも金銭面的な問題、移動手段からできない。すべて親が段取りするのである。「上位に入賞すれば、親が喜ぶ」姿を見てこどもはさらに頑張ってしまう。親がこどものために大会に申し込みをしていると思っているだろうが、逆だ。心身の面で疲れていても、こどもは喜ぶ親の顔を見たさに大会に出ているのだ。
ミクロ経済学に「限界効用逓減(げんかいこうようていげん)の法則」というものがある。
暑い外で1日中働いた後に飲む1杯目のビールの満足度は非常に高いものだが、2杯目、3杯目、と追加するうちに、だんだんとその満足度は減っていく。
それをグラフで表現するとつぎのようになる。最初の1単位(ビール1杯)の満足度は大きく、追加するごとに満足度が減っていくことがわかる。
このように、限界効用逓減の法則とは、「同じ刺激であっても、受け取る回数が増えていくと1回あたりの満足度は段々小さくなっていく」ということを意味する。
(「限界」とは1回あたりの大きさ、「効用」とは満足度、「逓減」とはだんだん減っていくという意味と考えていい。)
私のような酒好きの者なら1杯目のビールは700円出しても飲みたいが、ビールを3杯飲んだ後は300円でも「もういいかな」と思ってしまう。次の注文は500円の酎ハイになる。
つまり人の満足度を最大限にしようとすれば、同じことを続けても難しく、変化や新鮮さが必要になるという事だ。毎週のように大会に出るのではなく、たまには紅葉狩りや実家に帰るなどこどもに飽きさせない工夫が必要だ。のんびり1日家にいるのも一つのアイデアだ。目指す大会を決めてそれに向かっていく癖(調整や動機付け)をつけないと大事な大会で失敗することになる。こどもから「大会に出たいよ」と言わせるくらい絞ってもいいのではないか。
「これを続けていても満足度は最初ほどではない」ということを知っているのと知らないのとでは、行動に大きな違いが生まれる。こどものトロフィーの数に満足し、表彰式で自分の苗字を呼ばれ、知らない人から声をかけられる。このような快感に浸る親の限界効用は、困ったことに逓増する。
第306回「深刻に悩むな、真剣に考えろ、そして何も考えるな」(2024年11月10日)
バンビーニには悩んだり神経質になったりするこどもがいる。小学生は悩むことはないと思っていたが、ここ2、3年でそういうこどもに出会った。バンビーニは強化指定という目標があり、この記録をクリアすべく、日々努力している。周りの期待から段々重荷になってくるこどもがいるのかもしれない。
いい加減に生きていたら、人生は楽しくない。真剣に人生と向き合うことは大切だけど、深刻になることはない。
私の経験から言うと深刻に悩むこどもには2つのタイプがいる。
完璧を求める子(A子)と自信のない子(B子)である。
完璧主義で真面目な子は、理想が高く「こうあるべきだ」といった固定概念が強いため考え込みやすい傾向がある。0か100かで物事を判断するため許容できる範囲が狭く、小さなミスやできないことなど他の人は意識しないことにも気が向いてしまいストレスを感じてしまう。また、理想や目標が高いほど、「なぜうまくいかないのだろう」「もっと頑張らないといけない」などと現実とのギャップに悩む。
逆に自分に自信がない子は、物事を悲観的に捉えやすくネガティブ思考に陥りやすい傾向がある。自分に自信がないと、人から褒められても素直に受け入れられず疑心暗鬼になるなど、常に不安を抱えていることが少なくない。
B子は「体格的にもスピード的にも他のこどもより優れているのだから、このまま練習を続ければ指定選手になれる」と言っても信用していない。コーチの思い込みだとし、「どうせ自分なんて」など、自分を責めるような考えが続き、少しでも体のどこかが痛いとますます気分が落ち込み、負のループから抜け出せなくなる。指定を取れなかった姉を身近で見てきたから、ますます自分をネガティブに考えてしまう。
B子はさらに自分の思いや悩みを決して言わない。怒ってもなだめても絶対に口を割らない。だから、いろいろ対処療法はできても根本治療ができない。
この2つのタイプのこどもは、頭の中をネガティブな思考がぐるぐると巡り、落ち込んだり「また同じことが起きたらどうしよう」と不安になる。自分でコントロールできないことを延々と悩み続けてしまうため、不安感を増長させ集中力や注意力の低下などをもたらす。
大会が始まる前に必ず涙目になってしまうのが、A子である。皆は気を使って話しかけない。私はいつものように「今日はベストそれも800m2分33秒を切ろう」と発破をかけるが、これが完璧主義のA子には逆にプレッシャーになる。
じゃ、これまで一生懸命練習をしてきたのに、大会当日何も言わず腫れ物に触るように扱えと言うのか?嫌だ!そんなの絶対嫌だ!コーチとして大会当日選手を鼓舞してはいけないのか。大谷が満塁で打席に入った時球場はシーンとすだろうか。私は「お~お~たに!」と言ってしまう。大谷ならファンの声援はプレッシャーではなく、心の焚火に加える薪となる。
A子に言った。「悪いけど君のことを無視できない。これからもレース前にアドバイスをする。練習を見る限り実力NO1なのだ。だから最初から飛ばして記録を狙え!君の涙はもう心配しないことにした。レース前のルーティンとみなす」
ただB子はこれ以上追い込むのは忍びない。記録を破る実力はついているのに精神面がその力をはぎ取ってしまうからだ。しかも5年生から6年生に1学年上がると指定記録は大幅に上がる。今年がダメなら来年頑張ろうと言うのは、記録が変わらないなら正しい。常に女子600mが1分58秒00なら・・・これが6年になると1分52秒00になる。B子にとって過酷なタイムだ。「どうせ自分は」の気持ちが石に刻むように心に刻まれてしまえば、今後の人生に負の思いを残してしまう。楽しいはずの陸上競技が二度と思い出したくないものになってしまう。もう強化指定の目標から開放してやってもいいのかなとの思いがよぎる。
2人に共通の解決策は「深刻に悩むのではなく、真剣に考えなさい」ということだ。練習の時指示されたタイムをクリアすること、後半ヘロヘロになってもいいから序盤から飛び出すこと、ダメになったのがどの距離なのかを冷静に見極め、調子が悪かったら何が原因かを推し測ること、など練習や大会を真剣に分析することだ。そうすれば不安は段々解消される。
それができるようになったら、究極は「何も考えるな」ということだ。
人間がもっともその力を発揮するのは、何かを考えているときではなく、何かについて考えることをやめる時である。
チハナはレースより他に関心があった。青の線は何だろう、トップで名前を呼ばれるのは気持ちいいな、等関心事が別にあった。しかし、スタート時にポケットされないよう100mレースのようにダッシュして抜け出し400mを1分15秒でまわる、という指示はきちんと守って走った。それ以外はレースのことなどは考えていない。だから、600mで指定選手を勝ち取ったのである。
来年指定記録を意識し始めても、今回のように何も考えずに走れるのか興味深い。
第305回「カスハラ」(2024年11月2日)
「カスタマーハラスメント(カスハラ)」とは、顧客が企業に対して理不尽なクレーム・言動をすることをいう。具体的には、事実無根の要求や法的な根拠のない要求、暴力的・侮辱的な方法による要求などがカスハラに当たる。対応を誤るとSNSで誇張、嘘の内容が拡散される恐れから客の言いなりになることが多い(ウイキペディアより)
学童でバスケットボールで遊んだ際、1年生がジャンプして着地で4年生の女の子の足を踏んだ。それを怒った4年生が1年生を平手打ちにする事件が起きた。その場にいた教師は「あなたは4年生なのにそれはないでしょ」ともっとも至極に注意をした。帰宅して報告したのだろう、翌日我々がミーティングしているところに母親が怒鳴り込んできた。
自分の娘だけが注意されたことが気に入らないようで「うちのこどもだけ怒られるのはおかしい。皆さんは『こども六法』を読んだことがないのですか。やったらやり返す、そうしていいと「正当防衛」(刑法36条)に書いてある」と意見をまくしたてた。
刑法にはやり返すなどの私的制裁は禁止されている上、正当防衛については成立要件は厳しく決められている。主張の脆弱性は明らかなのだが、我々は押し黙っていた。言いたいことを言って溜飲が下がったのだろう、得意げに帰っていった。法律問題以前の「やられたらやりかえすのがなぜ悪い」と怒鳴り込む母親の人間性に哀れを感じる。自分のこどもが将来どのようなこどもに育つのか考えたことがあるのだろうか。
私もバンビーニを立ち上げてまもなく、今思うとカスハラにあった。週2日来てくれるこどもに対して、週3回目は無料でいいとした。熱心さを評価したせいだ。ところが無料がいけなかった。3回目はおまけのつもりでいたようで、来たり来なかったり、ある時1人も連絡なしで来なかった。寒い中蕨公園で30分待ったが、震えが来たのでやむなく帰宅し、その晩メールで3回目はもうやりませんと連絡した。
ところが、あるこどもの母親が「おかしい、なぜやめるのかわからない。勝手すぎる」と言い出した。他人と議論するには歳を取りすぎたので、執拗なクレームを何回か無視した。
すると2週間後消費生活センターから電話があった。
「バンビーニさんですか?消費者からクレームがありました。あなた週3回やると言って料金を取っているのに2回しか実施していないそうではないですか。これは景品表示法違反です。すぐに改めてください」
「えっ?ちょっと待ってください。私は確かに2回の料金は頂いていますよ。2回来るこどもは熱心だから3回目は無料でいいということで通常のレッスンに加えて1つ講座を開きました。だが、結局無料と言うことで誰も来ないときもあれば、遅刻したり途中で帰ったりすることが起きました。これでは無料の追加講座をやる意欲が沸かず、やめさせてもらった次第です。入会する時に3回やるとは言ってません。3回目は厚意で行っただけです。それなのに私が悪いんですか?」
「そうですか、じゃ、そういう場合やめる理由をHPに書いてありますか?」
「そんなもの書いてあるわけないじゃないですか」
「大手企業は起こりうることをすべて記載しています。すぐに対応しないと相手は消費者庁に訴えますよ。そうなるとあなたの会社名などが公表されます」
「じゃ、その人と話しますので、電話したのはどなたですか」
「匿名です。だいたい私どもにかかる電話は匿名が多いのです。一度警告しましたよ。では」
なんだか慌ただしく電話を切られた。
バンビーニの“あの人”であることは確信しているが、「匿名」では何ともならない。仕方がないので「匿名の方に」という表題で事態の説明をHPに掲載した。
“あの人”は折角入会して頂いたのにいろいろなことでぶつかった。目標を埼玉県強化指定選手においているのに、“あの人”は民間のマラソン大会に重点を置き「3kmの練習をなぜしない」と練習内容にクレームを出したり、こどもが苦しそうにしているとインターバルの途中で連れて帰ったりで、今では考えられない異次元の人だった。
さすがに中学生になる前におやめになった。どこかのクラブに入ったとの噂であった。辞めて1年以上も経ったある日、バンビーニの保護者からレース前の「ルーティン」について質問されたので、“あの人”ともめた件を例に出しこのブログ「インターバル」で解説した。
「レース前に必ず“納豆巻き”を食べさせていた保護者がいた。理由を聞いたら『これを食べてベスト記録が出たことがあったので、それからずっとそうしている』と食べるのを奨励しているかのようだった。しかし、レース前に食べたら記録が出たというのは、たまたま遅刻して食べる時間がなかったからで、単なる偶然であって、いわゆる『ゲン担ぎ』にすぎない。ゲン担ぎとルーティンは全く別のものだ」と書いた。
名前はイニシャルも出さない匿名にした。ところが、1週間がたったころ私のパソコンに1通のメールが入った。
「こんにちは!お久しぶりです。〇〇です。ところで、先日はうちのXXのことを愚弄しましたね。これ以上XXを傷つけると私が許しませんよ。・・・」
見ていたんだ。大嫌いなはずのバンビーニのHPを。
今回の「カスハラ」と言う話を掲載してもいいかと家内に相談したら、「大丈夫よ、4年もたっているんだから、もうバンビーニのことは忘れているよ」
そうかもしれない。普通の人なら。でも、何か胸騒ぎがするのだ。
“あの人”はヒョウのように森の中から目を光らせじっとこちらを見ている。
ワニのように水中から目だけ出して、こちらが川に落ちるのをじっと待っている。
ある日、パソコンにメールの着信音が・・・
「こんにちは!お久しぶりです。〇〇です。ところで、先日は・・・」
第304回「オーバートレーニング症候群」(2024年10月27日)
バンビーニのこどもたち特に長距離の選手の多くは、自主トレーニングをしている。強くなったのはその自主トレ(小学生は親子ペアが主)の効果によるものが大きいと思う。
こどもは基本的に動くことや遠出が好きであり、あまり辛いという表情を出さない。ましてや小学生のうちは親のレールに乗って行動することは自然である。問題はこどもの状態を考えないで計画を立てることなのだ。
最近ユーチューブが流行りであり、そのための大会出場が目立つ。埼玉県の強化指定選手を目指すことから、有名選手に作り上げることに目標を変え、練習より大会が重要だと認識する保護者も出てきた。私はこのことを非難も否定もしない。時代の流れである。しかし、こどもを育てるときには慎重にして細心の注意が必要なのである。
この件であえて耳障りなことを言えば、
第1は大会の出場回数が多いと思う。
剣道の道場破り的発想での出場が多いのではないか。大会は選んだ方がいい。
ここで多くの反論は「たかが1.5km(時には2km)ではないか。普段の練習から比較すればアップみたいのものだ。決してこどもに負担をかけていない」という。こどもたちは気軽に走れと言われてもピストルが鳴れば真剣だ。たかが5分や10分ではないかと言ったらこどもを思いやっていないことになる。彼らはゴールしても平気な顔をしているが、年間の出場件数から判断すれば相当ストレスがたまっているはずだ。
大会は過酷でそんなにストレスがたまるのかと言う人がいるが、よく考えてほしい。
剣道で竹刀を持って2時間練習できても、真剣で死に物狂いで戦えるのはせいぜい3分が限界だ。ウルトラマンもそういえば3分しかもたなかった。つまり、「真剣勝負」とは、重い真剣を振り回し、生きるか死ぬかの超ストレスがかかる“大会”なのだ。竹刀での練習と時間で比較してはいけない。ストレスはこどもを傷つける。
小学生のY子は6年前の3年生の時にバンビーニ主催のマラソン大会に参加してくれた。その縁で4年生から入会し、埼玉県の大会で優勝を繰り返していた。根性がありラストスパートでは負けたことがない。安心してみていられる選手であった。しかしながら、ここのお母さんは決して自説を曲げない性格で、人一倍熱心な指導による自主トレや大会出場を繰り返していた。バンビーニのような小さな大会にも出てくれたのはその一環だった。トレイルランニングや東京タワー階段走など出場大会は多岐に渡っていたが、その都度優勝していた。Y子はバンビーニではなく母親が作り出した作品であった。
ある大会でベストが出なかった時は、私がアドバイスするより先に厳しい口調でY子を叱りつけていた。私の出番はほとんどなかった。しかし、その子が中学生になって陸上で記録が出なくなり、大会にも入賞が精一杯の状態になってまもなく、陸上をやめて生徒会に専念したとのうわさが流れてきた。絶対王者のあのY子ですら、燃え尽き症候群になれば、過去を捨てる。
次に休ませることも練習の一環だと心得なければいけない。往々に強い選手は練習量や質を落とすことに抵抗がある。ペアで練習する親子は保護者が判断するだろうが、そうなるとその傾向はさらに強くなる。
休養を取らない(肉体的には毎日練習、精神的には毎週大会出場など)と、オーバートレーニング症候群に陥るのである。オーバートレーニングとは、運動量が多すぎて体が適切に回復できない状態を指す言葉だ。
これにより、慢性的な疲労、筋肉痛、さらにはモチベーションの低下などの症状が現れる。疲労や筋肉痛は見た目でわかるが、モチベーションの低下を判断するのは難しい。特に当事者たる保護者が見つけるのは難しい。私の練習は正しいという信念を持っていると、宗教と同じで周りの意見が聞こえない。成績が悪いのは本人の努力が足りないという一言で片づけてしまう。また24時間一緒のコーチでは無期懲役刑の囚人と同じで、こどもは無抵抗になり、体の異変を訴えることができなくなる。
「オーバー」とは、対象のこどもにとっての許容量に対して、トレーニングの量がオーバーしている状況であって、一般的な尺度は事前に決められない。
オーバートレーニングになると、疲れやすさや、疲れが抜けないという症状がでるが、病気の診断テストでも現れないことが多い。スポーツ貧血あればヘモグロビンA1cで判断できるし、甲状腺ホルモン異常であればホルモン濃度でわかることが多いが、オーバートレーニングは病院ではわからない。数値では現れないことが多いのである。
これまでスポーツ貧血のM子、甲状腺ホルモンのN子、疲労骨折のT男を指導したが、不調の際その病気であることに気づくまで長い時間がかかった。その反省から、不調の際まずそれらを疑い、それらの疑いが晴れたのちオーバートレーニングを疑うことにしている。昨年のY子、H子の不調ももう少し見方を変えれば不調の原因が分かったのかもしれない。私の力不足が歯がゆくてならない。
バンビーニにはかつてはM子やN子やT男がいた。彼らは病気や怪我を克服し中学高校で活躍している。現在のバンビーニにはオーバートレーニング症候群の予備軍が何人かいる。しかし、発症するまで今の私にはどうすることもできない。その存在と予防を呼びかけるしかない。
第303回「ランナーズハイ」(2024年10月19日)
人間の祖先は大なり小なりの獲物を追いかけて来た。だから走ることは人間にとって本能的なものである。個人がさまざまな動機から走り始めると、多くの人がランニングを好きになるのは本能に目覚めたと言える。
1日15分走るだけでも健康によい影響がある。多くの人がランニングシューズを履いて外に出るのはそのためだ。 そして走ることが心地よくなってくると、その距離を徐々に延ばし始めても大丈夫だと思うようになると、 あっという間に、目標はフルマラソンになってしまう。
本来、長い距離を長時間走っていれば、心身に疲労がたまり苦しくなっていく。とくに、マラソン大会のような長距離レースになると、レース前半は心身に余裕があるが、後半は疲労が溜まってつらく苦しくなるものだ。ところが、本来であれば苦しくなってくるはずのレース後半に「苦しさから解放されて走ることが楽になる」という不思議な現象が起きる。
これが「ランナーズハイ」である。
ランナーズハイになると、身体が苦しさから解放されるだけでなく気分も高揚してくるため、どこまでも走り続けることができるような爽快感を感じることができる。下の写真は大人がすごいスピードで走っている画であるが、20分後大人たちの多くは高揚感にあふれて顔になる。
科学者は、ランナーズハイが肉体的疲労や痛みを忘れさせ、気分の高揚感や爽快感をもたらすのは、体内にある神経伝達物質によるものと考えるようになった。
レース前半から溜まった筋肉疲労や走り続けることに対しての精神的な苦しさは、走っている間にどんどん蓄積されていく。
神経伝達物質は、そうした心身疲労の蓄積を和らげ(鎮痛剤効果)、身体の報酬システムと言っていい『苦しいことを行ったらご褒美といえる「多幸感や高揚感」をもたらせるシステム』として作用すると考えた。
もしかすると、こどもたちが苦しさを超えて走り続けられるのは、この神経伝達物質のせいかもしれない。そう考えないと、「快楽原則」で行動しているはずのこどもの行動(バンビーニで走り続けること)が説明できなくなる。
この状態は普段本人の自覚がなければ,気づかずにやり過ごしてしまうことが多く,意識が試合の勝ち負けや記録の更新などに集中しているとその傾向はますます強いと言われている。
疲労を感じられなくなるだけでなく、多幸感を得られるのは、交合や排せつ時の快感と同じように人類存続のための神様の思し召しである。走ることが苦痛であれば、食料が得られないことになる。神様はうまく人間を操られる。この高揚感が人類の特徴である持久的狩猟法を維持してきたのである。
ただ、神経伝達物質はあくまでも脳内麻薬であり、身体に相当な負荷をかけているにも関わらず、その負荷を脳内で「ないもの、または過小なもの」と本人を騙しているに過ぎない。
しかし、ランナーズハイによって普段以上のスピードを出したり、自分の能力以上に長い距離を走ってしまうと、身体へかかった負荷により酷い筋肉痛になったり、けがをしてしまうことがある。ランナーズハイになれば、苦しみや痛みを感じることなく走り続けられるかもしれないが、本来ある苦しみや痛みは「身体の限界」を知るために必要な感覚なはずだ。身体が危険に冒されたとき、人は痛みがあるからこそ危険を察知し、危険から逃れることができる。痛みは身体からの合図であり悲鳴なのだ。だから、あまりランナーズハイを意識して神経伝達物質を出すことに注力しない方がいい。
バンビーニのこどもたちは「根性がある」といつも書いているが、もしかすると神経伝達物質によって、自分を疲れさせない身体にしているのかもしれない。本人たちに聞いてもあまり要領を得ないので、「根性」という心理的な面がすぐれているのか、脳内物質の一種である神経伝達物質の分泌が多く出る体質なのか、よく調べないとわからない。
しかし、どちらか、あるいは両方が作用して疲れさせないこどもにしているのは間違いない。
第302回「ネガティブモチベーション」(2024年10月12日)
スポーツにおいては、こどものモチベーションをどう高めていくかが、コーチの腕の見せ所である。
ものすごく崇高な目標や目的を持っていて、それを追求したい、実現したいというモチベーションはポジティブなモチベーションと言われる。それはすばらしいことで、何も言うことはない。信長が天下を統一するとい野望、野口英雄が黄熱病を根絶したいという決意、内村航平が体操で金メダルを取るという目標は、彼らをそのゴールに向かって集中させてきたと思う。
しかし、現実問題普通の人間にとってはそのような「崇高な」ゴールを追うためのモチベーションを常に維持することは難しい。
目の前に困難な障害が現れたりすると、そういうモチベーションだけではなかなか続かないことを多くの年配者は経験したはずだ。こどもならなおさら崇高な目標に向かってあえて苦労をいとわないという者はほとんどいない。つい、苦しくない方、楽な方へと走ってしまう。これがフロイトの唱える「快楽原則」という行動様式なのである。
快楽原則は幼年期を支配するが、成熟するに伴い、現実世界のため(今ある環境で生きていくため)に苦痛に耐え快楽に浸るのをやめる(または先延ばしにする)ことを学ぶ。だが、スポーツではそれに気づいたときには適格年齢を過ぎたことが多く、もう遅い。
人生とは、実際には快楽より多くの悔しい目に遭っている。大きなことから小さなことまで、いちいちそれを言わず、自分の中に秘めているだけに過ぎない。営業成績でライバルに負けた時、女性に振られた時、お金を落とした時などそれぞれ悔しい目にあっているはずだ。
そして、人間はその「悔しさ」からくるモチベーションを、日々の重要な原動力にしているところがあり、ネガティブ由来のモチベーションの方が、困難の時の瞬発力とか克服する持続力が格段に強い傾向にある。
「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)という故事成句がある。臥薪嘗胆という言葉の由来は、中国の『十八史略』に書かれている。「春秋時代、呉王の闔呂(こうりょ)は越王の勾践(こうせん)と戦いの末、敗れて亡くなった。闔呂の息子である夫差(ふさ)は、父の仇を討つために固い薪の上に寝て、その痛みで復讐の志を忘れないようにし、3年後に会稽山で勾践を降伏させた」という故事から成り立った言葉だ。
この言葉の意味は、「復讐を心に誓って辛苦すること。また、目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること」とデジタル大辞泉に書かれている。
臥薪嘗胆の「臥薪」は、薪(たきぎ)の上で寝ること、「嘗胆」は苦い胆(肝)をなめることの意。この2つを合わせて、過去の悔しい体験などをバネにして頑張ること、夢や目標に向かって日々努力すること、という意味になる。
大会でライバルに負けた時二度と負けたくないという思いから、練習に励むこどもがいる。自己ベストを出すことを第一の旨と考えるこどももいる。ベストが出ないと内なる自分に負けたと思い、悔しさから練習量を増やす。だから、こういうこども達は速くなる。
人生、良いことばかりではない。良いことがあった分、悪いこと、残念なこと、悔しいこともまたたくさんある。成功することは千三つである(1000回の機会があっても成功するのは3つくらいということだ)。だから、悪い結果に対して残念がっているだけでは、前へ進まない。ずっと落ち込んだままだと、自己肯定感が下がり、どんどん、ネガティブな方向に行ってしまう。自分は何をやっても駄目だとあきらめてしまう。嫌なことは1回だけでなく997回もある。嫌なことをエネルギーにして自分をポジティブな世界に引き上げることは人生においてとても大切なことだ。
私が土曜日に行っている「かけっこ教室」の印西温水センターは北総線の千葉ニュータウン駅にあるが、そこから印旛日本医大の10kmは完成が断念された成田新幹線の計画跡地を利用して、太陽光パネルを敷き詰めた太陽光発電が運用されている。北総線の沿線は広い道路があり太陽光が遮断される心配はない。よく考えられたものだ。
自分の持つ役に立たないと思われていた資源(性格や体力など)の利用を考え直すことも大切なことだ。
陸上においては、走るのは遅いが投げたらすごいこどもはジャべリックということも考えるべきだ。まれに好きな種目と得意な種目は異なるのである。
昔、中道貴之と言う選手がいた。彼は三重県立木本高校の時ラグビーで花園に出場した。同時に100mで10“2の高校新記録を出していた。陸上関係者からは熱烈なラブコールがあったが、ラグビーを理由に断った。もし花園に出ず、先生が陸上に慧眼があった人だったら、彼の人生は変わったかもしれない。
自分に向いていない種目をあきらめ自分を最大限に高められる種目に転向することも、ネガティブモチベーションといえる。
第301回「こやじおばさん」(2024年10月6日)
アメリカの人口は日本の約3倍である。日本もアメリカも平均値(平均の人間のレベル)はあまり変わらない。しかし、集団内の数が異なると集団内のばらつきは大きくなる。日本は国民性から言って横並びが多い(ばらつきは低い)が、アメリカは移民に対する寛容さと国の勢いから、とんでもいない悪人もいれば天才も多い(ばらつきが大きい)。しかし、ならして見れば日本もアメリカも同じレベルの人間がいるという統計的結果になる。
ふりかえって今の私の環境は、さいたま市放課後子ども居場所事業になってからは定員がなく120人にも膨れ上がった(理論的には全校児童530人が来てもいいので理論的定員は530人である)。40人定員の学童の時と違って3倍いる。
居場所事業は待機児童0を目標とした政策であるから、誰でも入れるのでお客側が強気で出ることができる。管理側の大変さは考慮されない。
しかし、人数が増えた分いろいろな児童と会うこととなり、保護者の問題を別にすれば、楽しいことがたくさんある。
まずは初めて「こち亀」(こちら葛飾区亀有公園前派出所)の主人公両津勘吉(両さん)に似ているこどもと出くわした。私の実家が亀有なので実に印象深いこどもである。
なにしろ両さんの特徴である眉毛がそっくりなのである。あくまでも漫画の上の創造物かと思ったが、この子を見てきっと作家の秋本治のそばにはモデルになった人間がいたと思った。まだこどもなので眉毛が薄いので目立たないが高校生にでもなったら眉毛がはっきりしかつつながる。あだなは「両さん」か「こち亀」になるに違いない。スポーツは万能で喧嘩早く、かつ他人の面倒見がいい。性格的にも主人公に似ている。
楳図かずお(うめずかずお)の作品に「まことちゃん」がある。この作家は「猫目の少女」や「へび少女」などホラー作家だが「まことちゃん」というギャグ作品も書いている。「まことちゃん」は坊ちゃん刈りの幼稚園児沢田まことを描いたものだ。
小1の男の子だがそっくりなのだ。でも周りは「まことちゃん」を知らないから誰も気づかない。教師の人たちも「まことちゃん」を知らない。いたずらが度が過ぎるので私にこっぴどく怒られるが、素直に反応しすぐ目がウルウルする。でも5分後また懲りずにからんでくる。ここがかわいいところなのだ。
また、特定の人物に似ているわけではないが、ある社会的階層に似ているこどもがいる。
「とっちゃん坊や」という言葉は、年齢的には十分に立派な大人であるのに「ガキじゃあるまいし」と言いたくなるような幼稚な部分がある人のことであるが、その対義語に「こやじ」と言う言葉がある。「こやじ」とは「若いのに、仕草や見た目がおやじくさい人」を表す。「こやじ」は、「子」+「おやじ」から来たものと思われる。
「とっちゃん坊や」はもっぱら男性(のおっさん)に対して用いられる表現で、あまり女性に対しては使わない言葉だが、「とっちゃん坊」やその反対の「こやじ」のような女性もこの世にいるはずなのに、これまで会うことはなかった。もう会うことはないのかなと思っていたが、いたーーーーーーーーーーーーー!ここにいた。
1年生のU子である。身体は3頭身で顔はおばさん顔である。皆がうるさくて静かになるまでおやつが配られないでいると「静かにして!」と大声で皆を諫める。遊びにおいても仕切りたがり屋である。昔東京の下町にはたくさんいた世話好きなおばさんみたいだ。私的なことだが、鬼ごっこをして庭先に逃げ込み、おばさんの育てていた花を踏み荒らし、ほうきを持って追いかけられたが、そのおばさんにそっくりなのである。
普段から仕草がおばさんで「そうそう」とか「あんたさ」とか「ちょっと聞いてよ」とか何しろおばさん語がポンポン出てくる。腰に両手を置いたり、腕を組んだり、まったくもっておばさんなのである。その姿かたちから思わず笑ってしまう。
決して美人ではないがかわいいこどもの1人である。
こどもの時と大人になった時の顔は異なるであろう。10年後会えたら私の見立てが間違っていたことになるかもしれない。これからの学校生活や塾などの過ごし方で顔は変わる。両さんもまことちゃんもこやじおばさんもどんな大人になるのだろうか、興味津々である。