インターバル 第184回「量質転化の法則」(2022年7月2日)
第184回「量質転化の法則」(2022年7月2日)
スポーツや勉強に関して『量質転化の法則』というものがある。
量は、積み重ねると、それ自体が質に変わるという意味だ。そもそも量をこなしていかないと、質の良い練習や勉強なんて分からないと思う。
「圧倒的な量」こそが「高い質」を生み出すのである。慣れないうちは、とにかく「量をこなすこと」を意識すべきだ。
こう主張すると“「量」は「質」に転化しない”というアンチテーゼ(反対意見)が出てくるのが常で、そのアンチテーゼを踏まえて話を進めたい。
アンチテーゼでは、仕事特に現場経験などで「ぐちゃぐちゃ言わずに毎日朝から晩までお客のところへ回って来い」という根性論で部下を教育する上司は無能になってしまう。
私達日本人は「日本語」を生活の中で、何万回も書いているが、日を重ねるごとにうまくなっているかといえば、多分そんなに上達していないと思われる。ただ書くだけで上達するならば、日本人全員が字はうまいはずだ。・・・私は自分の書いた文字を15分後には自分でも読めない。
この事実を見て「量は質に転化する」と言えるのだろうか?と反論されるだろう。
少なくとも上のような状態ではダメだ。同じ「文字を書く」という行動でも、例えば、ドリルに沿って、美しい文字をなぞったり、見本を見ながら集中して真似をする。そういう綺麗な字を書くための練習を毎日行ったらどうだろうか?これはやればやるほど、うまくなると思う。
この場合は、「量は質に転化する」ということになる。
バンビーニは短距離も長距離も他のクラブに比較して量が多いクラブだ。
私は身体でペースを覚えるまで何度でも走らせる。これを過酷な練習方法だとのご意見がたびたび寄せられる。たしかに基礎的な練習は少ない。アクロバット的な練習は私が教えられない。それは中学校の先生にお任せすることにして、それまでは小学生の中にある“走る因子”を活性化させることに専念している。
学校では算数の足し算、引き算は毎日繰り返し習う。8+5、5+8、15+18、28+35など同じような問題の計算を暗算でできるくらい行う。それはもっと大きくなったら習う因数分解や微積分につながるための下準備なのだ。
バンビーニでも繰り返し規定タイムで還れるよう練習をしている。1000mでは飛ばせと言ってもやみくもに飛ばしているわけではない。3分20秒で走るためには1分15秒で400mを駆け抜けなければダメで、目標が3分10秒なら1分10秒で駆け抜けることを課題にしている。その後ペースが落ちるのも計算している。これ以上落ちてはダメだのタイムも選手はわかっている。だからペースを体で覚えてくれないと困る。そのためには学校の足し算引き算の勉強方法と同じように繰り返し学ばなければならない。1000mの練習でも200mを40秒、36秒と走り分けられる選手は速くなる。なんとなく前の選手について行くだけではペースは覚えられない。自分でペースを作るには練習をたくさんやって“時間”を体で会得することだ。ペースを覚えれば「飛ばして」も決して無理な展開にはならないが、時にこどもは大人なの常識を超えてしまう。
短距離の100mでは80mから立ちふさがる空気の壁を感じろと言ってある。12秒を切るための壁の厚さと13秒を切るための壁の厚さとは異なる。ましてや11秒、10秒の壁はさらに厚い。13秒の壁は20回叩けば壊れるが12秒の壁は99回叩いても壊れない。しかし、100回叩いたら壊れるかもしれない。11秒の壁は1999回叩いても壊れない。しかし、2000回叩いたら壊れることもある。10秒の壁は陸上を引退するまで破れないかもしれない。しかし、引退する前日に破れるかもしれない。壁はたくさん叩いた方が壊す確率が高くなるのだから必然的に練習量は多くなる。
トイレに逃げ込んだり走り終わっても息が上がらないなど、まだまだ高い目的を持っているとは思えないこどもがバンビーニにもいる。周りの子に刺激されいつの日か全力で練習するようになることを祈っている。
ダラダラ練習するだけでは「量質転化」はせず、ただ長い苦痛の時間を持っただけだ。要は高い達成意欲を持って練習に臨めば、たくさん練習することは、「量は質に転化する」といってよい。
第183回「男の子女の子」(2022年6月25日)
岩谷時子作詞、筒美京平作曲「男の子女の子」は明るく楽しい未来に思いを馳せたこどもの気持ちを歌ったものだが、この子らの未来はというと・・・
こどもは学童にくる時、家庭とのコミュニケーションを図る連絡帳ノートを出さなければならない。ある時、1名が出していなかった。マネージャーは「連絡帳ノート出してないお友達がいるよ」と大声を出して提出を求めていたが、誰も返事がない。「毎回言っているのですが、毎日出すものを忘れるってどういうこと?」と語気を荒げて言った。
Y男はすぐに「そうだよ。連絡帳はS子先生の言うように大事な物なんだよ」と1年生に諭していた。「先生、何年生ですか?」「2年生です。1年生が出来て2年生が出来ないってどういうこと?」「それじゃ、責任感がないということだね。皆、やるべきことはやろうよ。1年生に見本を見せる学年でしょ」と2年生のY男がこれまた甲高い声で煽り立てる。
「わかりました。じゃ、名前を呼びます。R男、S子・・・以上です。呼ばれてない人が出してないと言うことです」間髪を入れず「先生、僕呼ばれていないのですが」とY男。皆の視線が彼に飛ぶ。「えっ、僕? そんなことはないよ」とロッカーに行きランドセルの中を探す。「あれ?あったよ。おかしいな、さっき出したのに、いや出したような気がしたのだけど・・・アハ、ハ、ハ、きっと疲れてたんだね。よくあることだよ。はい先生」シーンとした学童内で悪びれないY男は、吉本新喜劇のオチにつながるような人生を歩むのではないかと陰ながら心配になった。
教師の間で「デストロイヤー」と呼ばれている2人の女の子がいる。R子、K子2人に共通しているのは、誘ってもいないのにゲームをしているグループにずかずか入って来て、勝手にルールを変えてしまい、自分らが勝つようにしてしまうことだ。決して私と一緒に遊んでいるこどもたちは勝つことばかり考えてはいない。楽しみたいのに。こういうタイプの子には関係したくないのだが・・・
最近はかるたが流行っている。R子は強引に入ってきてメンバーを女の子対私の構図に変えてしまい、自分が読み手になり自分も参加すると言い出した。他の子は黙って従う。ま、大勢に影響ないだろうと認めたたがこれがまた問題になった。読むまでの間が長いので早くしろよと言おうとしたら、R子は読む前に自分で黙読して見渡しながら札を見つけておいて、読み札を読んでいることに気がついた。だから1人舞台になってしまう。行事がまわしをつけている相撲のようなものだ。「おい、ずるはやめろ」と注意するが一向に気にしない。
しまいには「文章を全部読むのは面倒くさいから頭文字だけでやろう」と勝手に「め」とか「よ」と読んで、取らせる。こどもがマスク越しに出す声は聴きとりづらく「ぬ」なのか「す」なのかわからない。かるたは読んでいる文章と絵札の描かれている内容で確かめることができるが、頭文字だけでは幼稚園の「いろはかるた」のようなもので、文字探しのゲームになってしまう。
ある日、なぞなぞカルタをしようとK子が言い出す。なぞなぞを言ってその答えがカルタの頭文字になっているカルタだ。なぞなぞが入っている分こどもたちの頭の回路が長くなり、私の取り札が多くなる。そのためK子は全部読み終わるまで取ってはダメとルールを変更して、難しいなぞなぞはゆっくり読むし、答えがわかって私が手を伸ばす準備をしただけでフライングとなり、女の子のグループの戦利品となってしまう。ま、どっちみちどんなゲームでも彼女らの勝ちになるようにルールが曲げられるのだ。刑務所でヤクザの親分と博打しているようなものだ。
このK子の特技は、いつでもどんな時でも涙を出せることだ。外遊びでサッカーをしようと言ってきたのでつきあう。2m離れて私にボールを当てるという都合のいいゲーム。しかし、まっすぐ蹴れない上、力を入れようと蹴る瞬間目をつぶる癖のあるK子のボールは、私に当たることはない。当たらないからぐちゃぐちゃ言い出したので、後ろに下がって走って来て蹴る寸前に私がちょこっと蹴ってしまった。こともあろうに、ないボール蹴るものだからスッテンコロリン。思わず笑ってしまった。彼女のプライドが傷ついたことは言うまでもない。
マネージャーに泣きながら訴えた。訴えによると「イリがわざと私を転ばし、ボールを遠くに蹴たりしていじめられた」とのこと。面倒くさいので「すみません」、厳重注意処分となった。
女というものは、生まれた時からアクトレスなのかもしれない。
第182回「SHOWTIME」(2022年6月18日)
スター選手とはファンが望んだ通りの結果を実現させ、皆のこころのよりどころとなる選手のことである。
大リーグの大谷翔平選手が活躍すると気持ちが躍る。大谷選手が不調だと、重い気持ちになってしまう。ここぞと言う時に三振すると、こころにさざ波が生じ、時には大きな波となり1日気が滅入ってしまう。
もう見ない、といっても気になるので片目で見る。片目で見てもショックの度合いは変わらない。
もう完全に見ないと決めても、ビデオには撮る。帰宅してビデオを大谷選手の場面だけ見るが、調子が悪ければ短い時間の視聴でもめげてしまう。
ならば、ネットニュースで結果を見てよければビデオを見ることにした。しかし、14連敗中の時は1度もビデオを見ることはなかった。
もうこうなったら、大谷選手の出るテレビはビデオも撮らない、としたら投打の大活躍。私が見なければ活躍するのか。活躍すれば見たい、でもビデオは撮っていない。今度は撮らなかったことがストレスになる。しかし、私の対応で大谷選手が活躍するなら・・・
大谷選手に対するこのような気持ちからこどもの頃を思い出した。昔巨人の長嶋選手が活躍していた時はビデオもない頃だったし、ネットニュースもない。良くも悪くも見なければならない。打たなかったときは右側を下にして寝ながらテレビを見ていたので、今度は左側を下にして見ることにした。それでもダメなときは立ってみた。そうしたらホームラン。以降長嶋選手が打席に立つ時は、家にいても立ってみることにした。
私の頭は、経済用語の「尻尾が頭を振り回す」状態になっていた。当時自分の行動が長嶋選手の好不調を左右していると本気で思っていた。
スポーツ観戦の醍醐味はスリルとサスペンスにある。打つか打たないか、大技が出るのかそれとも鉄棒から落下してしまうのか、ドキドキして、体をよじりながらリアルタイムで選手のプレーを見るのが最高の観戦方法なのだ。
しかし、大谷選手の場合私はこの最高の観戦方法より、こころの安らぎの方を取った。彼のホームランでこころは弾むが、彼の三振は見たくない。打った時にはテレビのスポーツニュースを見る。NHKが終わったらテレ朝で、次はフジで見る。大リーグはすべてアメリカの1テレビ局の配信だから同じ画面を何回も見ていることになる。しかし、楽しい画面は何度見てもいい。私はスポーツの醍醐味を捨てて、しばらくはこの方法でこころ穏やかな生活を送りたいと思っている。
大谷選手以上に大好きなバンビーニのこども達を引率する場合、話は別だ。一緒に長い間練習してきたこどもたちの成長を見ないでいられようか。よい時も悪い時もあるが、すべて受け入れる責任がある。小学生の場合不調は怪我や病気でもしていない限り長くはない。だから、悪い時にはめげないように指導すればいい。調子のいいこどもは放っておけばいい。こどもは調子のいい時は木に登る。落ちないよう声をかけるだけでいい。
バンビーニの方針である「飛ばせ!」を実行しているこどもを見ると、何か幸せな気分になる。あと100mで抜かれたので、ではこの夏猛練習して秋にはトップに立つという思いが頭を駆け巡る。こう考えるだけでワクワクする。全力走できないこどもも見捨てない。君の先輩もそうであったが、今ではどうどう飛び出していく。彼らができて君が出来ないわけがない。
5年男子1000mでA男が3分10秒を大幅に切って優勝した。それだけでもうれしかったが、2位の選手は絶対王者だったので喜びはさらに増した。前回の「インターバル」で大会ではレース中ライバルを意識しないと書いたが、それはこどもであって、私はライバルに対してかなり敏感である。私にはこどもに言えない本音の部分があるのだ。
先日の大会で初めて挑戦した種目は入賞の可能性が高かったので、ハラハラドキドキだった。新種目に挑戦しているこども達はバンビーニのパイオニアであり、後輩たちが挑戦する時のランドマークになる。新種目に出たT男はガラスの心臓の持ち主だ。しかし、ガラスの心臓は非難されるものではない。それだけその種目に真剣に立ち向かっている証しなのだ。ガラスを鋼(はがね)に変えるのは場数を踏まなければならない。あと半年、ただそれだけだ。
個別にはT男のようなこどもがたくさんいる。それぞれに課題はあるが地道に練習を繰り返すことが必要だ。短距離は長距離ほどいつもベストが出るわけではないが、ある時0.5秒も記録を縮める時がある。壁は何度も叩けばいつか破れるものだ。ベストを出す子は見ているとレース展開に勢いがある。グイグイ感がある。これには「お~お」と声が漏れてしまう。
バンビーニのこども達のレースは、時に大谷選手が逆転満塁サヨナラホームランを打った気持ちにさせてくれることがある。その時、大会はまさにSHOWTIMEと化す。
第181回「克己至上主義」(2022年6月11日)
先日の日経新聞のスポーツ欄に「勝利至上主義」に対する評論が載っていた。趣旨はこうだ。
勝利至上主義が批判的に取り上げられることが多い。日本では体罰や不合理で過酷な練習など精神主義や根性論と結びつくものだから余計だ。しかし、こども達のスポーツは楽しむもので勝敗にこだわる必要はないと言われると「それではスポーツから得られる充実感や楽しさ価値が半減する」
スポーツから得られる意義は1.ライバルへのリスペクトであり、2.敗北が教えてくれるものだ こうしたスポーツの果実は、勝つための努力を積み重ねるほど大きくなる。勝利を目指すのはスポーツの価値をさらに高めるための方法や手段なのである。それを目的と勘違いしてしまうのが問題なのだ。
という内容のものだった。
「勝利至上主義で何が悪い」と書くと炎上してしまうので、誤解のないようにするには「克己至上主義で何が悪い」である。
バンビーニが強化指定記録を目指すのはライバルに勝つということではなく自分に勝つことを意味している。自己記録を更新しなければ強化指定記録は切れない。我々はライバルの子はリスペクトしているが、大会でその選手についていくということはしない。結果的に付いていくことになる場合があるが、自分の計画したスピードで飛ばすことを心がけている。後半落ちてもそれは気にしない。また練習を積んで距離を延ばせばいい、ライバルは落ちなかっただけだと考えているからだ。
大会ではライバルを意識しない走りを心がけるが、通常の練習では大いに意識する。○○君ならこのくらいの練習はしているはずだ、□□さんの練習態度はきっと謙虚なのだろう、であるならば、自分はそれ以上の練習をしなければ勝てないと思って練習している。結果的にライバルの存在感が自分を高めてくれたことに感謝するようになる。ライバルが記録を伸ばせない時ライバルの不調を本当に心配する気持ちが芽生えれば、本物のスポーツ選手となったと言える。
レスリングの吉田沙保里が全盛期の頃(2004年~2016年)55kgの階級では他の選手(何千人、何万人の同期、後輩たち)は誰1人オリンピックに選ばれなかった。どんなに練習しても彼女に勝てなければ認めてもらえない。下手すると4回戦で当たってしまい、新聞に名前さえ出ない時もある。その時はこれまでの練習は何だったんだろうと思ってしまう。
しかし、陸上競技には順位だけでなく、自分のこれまでの記録を破れたかどうかという価値観がある。
冬の寒い中のトレーニング、夏の暑さの中の練習をクリアしたことは、自分の欲望や邪念にうち克った証しである。その結果大会で自己新が出れば己(おのれ)にうち克(か)つたことになるのだ。
こどもは理屈なしに選ばれし者にあこがれる。強化指定記録を破れば強化指定練習や指定選手だけが着れるTシャツがもらえるのだ(実際は買うのだが)。埼玉県で男女各100人くらいが毎年選ばれる(5、6年生の合計なので1学年なら男女各50人程度だ)。小学生にとって大きな自信になる。強化指定選手に選ばれるかどうかは、自分の努力だけの実力の世界なのだ。態度が悪いとか学業の成績が悪いなどで減点されることはない。埼玉はライバルに勝たないと選ばれないという条件もない。標準記録突破だけが唯一の条件である。
大会で12位でもベスト記録が出れば褒めてあげたい。1位でもベストが出ないと「もっと練習せい」と言わざるを得ない。小学生の内はスランプは少ない。練習すれば毎回ベストが出る。だから私はお気楽だ。「飛ばせ!」と吠えているだけだ。
明大ラグビー部の北島監督が言っていた「前へ!」という掛け声と同じだ。歳をとると主義主張は簡単なワードになるようだ。
その点、中学生以上のこどもを預かるコーチや先生の苦労は大変だと思う。私は指定選手に育て上げ、こども達が中学高校の先生の目にとまればいいと思っている。その後のこどもの将来は先生たちにお任せするだけだ。
無責任の物言いに聞こえるだろうが、日本の陸上界は、学校に陸上部がほとんどない小学生の時は民間クラブが受け持ち、毎日の練習が始まる中高の生徒らは学校の部活が主体、というのが実態だからである。そのためバンビーニのこどもたちが成長してオリンピックに出ても、小学生時代のコーチの名前は忘れられる運命にある。
私は入会時にこども達に決まってこう言う。
「オリンピックで金メダルを取ったら、その時NHKかCNNのカメラの前で必ず言ってくれ。『こうして金メダルを取ったのは小学生時代にバンビーニの入山コーチに出逢ったおかげです』と。その言葉を聞いて、泣きながら私はあの世に走り出す」
これまでうなずいたこどもは1人もいない。
第180回「お主も悪よのう」(2022年6月4日)
こどもの世界にも大人の世界のようにいい奴と悪い奴がいる。大人の目からするとすごくいい子に見える子も実は・・・という例がある。
ある日学童で物が無くなることがあった。勉強が終って、S子の消しゴムがなくなった。我々大人も探すが見つからない。ロッカーから皆のランドセルの中も見た。間違って入れることもあるからだ。しかし見つからない。時間がないので仕方なくあきらめおやつにした。2時間後遊びの時間中に見つかった。見落としか、でもそれは絶対にありえないのだ。道志村女児行方不明事件のように見つかった場所は何回も見た。見落とすことは考えられない。
第一発見者のY男は以前も同じように紛失したハンカチの第一発見者なのだ。偶然が重なったのか、そう考えないといけない。まずはこどもを信用するべきだ。誰かが置いたものを目ざといY男が発見したことは充分考えられる。しかし、誰かが置いたのだろうが、誰が置いたのか見た者はいない。証拠がない。学童に監視カメラがなかったことは不幸中の幸いだ。ビデオを見て犯人が分かることは辛いことだ。これだけ大袈裟になった(いやマネージャーは今後の為にわざと大袈裟にしたと思う)のだから、犯人は事の重大さはわかっただろう。願うことは二度としないことだ。
帰りの会でクイズをした。R男の行動に困惑する。問題を出すと2秒で手を挙げ答えを言いに来る。積極さは買うが、答えはいつも外れている。違うと言われてもすぐ他の答えが浮かぶらしく、席に戻るとまた手を挙げる。他の子は黙っているので仕方なくまた当てる。と今度はとんでもない答えを持ってくる。4回連続で手をあげるが、すべて外れだ。仕舞いにはマネージャーが「R男、出てくればいいと言うものじゃないわよ。ちょっとは考えなさい」と怒り出してしまう。折角の遊びが台無しになる。R男の独壇場となり、以降クイズはなくなった。R男の行為がわざとではないことを祈る。
ボールを取られると怒りが収まらず器具を蹴ったり叩いたり。自分をコントロールできない子がいる。T男は最初は石をけるくらいだったが、段々怒りが増してきた様子が見て取れる。するとバスケの支柱を覆っているマットを蹴り始めた。そのうち跳び蹴りになった。体が揺れ始め目がつり上がってく。これ以上怒って他の子を傷つけたり本人が怪我をしてはいけないのでずっとそばにいた。跳び蹴りに失敗して地面にひっくり返って動きが止まった。
そこでバスケで「私に勝てるか」ゲームを皆に提案した。私が後ろ向きでボールをバスケに入れる。こども達は自分の好きなように入れる。どちらが多く入れられるかというゲーム。皆の歓声で立ちあがったのでT男を呼ぶ。ボールを渡したら今までがなんだったのだというくらいニコニコしてやる。私が失敗すると大声で笑う。この手のこどもは気に入らなければ今後もキレる。家でも同じことが起きていると思うが、力で抑え込めなくなる高校生になっても治らなければそれは問題だ。それまでに心のコントロール能力をつけさせることが必要になる。
3人兄弟の末っ子で兄たちは後輩の面倒見がいい子であったため、3男もいい子だと思っていた。挨拶もきちんとできる。ある日のこと、外遊びの休憩時間に水筒のある場所に皆は戻ることになったが、その際最後に戻ることになったE男が、女の子たちが砂場で作っていた造形物を蹴って壊していった。私は見てしまった。休憩時間が終って何というかと見ていたら、泣いている女の子たちのそばで第3者のように様子を見ていた。その様子は放火魔が火事の現場で見ているようだった。
女の子たちがいないところで「E男、お前が壊していたのを俺は見ていた。なぜ謝らない」と怒ってもあっち向いてだんまり。私が前の方に回って目を見るが、さらに90度向いてしまい目を合わさない。「僕何もしていない」の一点張りだ。その後女の子に砂をかけた。弱い女の子にしかやらない。その時は捕まえてお尻ペンペンをしてやった。「ごめんなさい、もうしません」と泣く。開放するがそれが嘘泣きであったことは5分後にわかった。私がドッチボールの方に行っている間、また女の子に砂をかけた。女の子の訴えに事実確認はせずに追いかけた。“逃げるのだからそれが自白”だ。40分の外遊びの時間が終った。終わればそれ以上は追及しない。
お兄ちゃんたちがいい子でも3男がいい子とは限らない。教育は個人が基本であることを忘れていた。思い込みはいけない。母親が迎えに来ると「ママ、僕寂しかったよ。早くママに会いたかった」と甘えた声がしらじらしい。
「E男、お主も悪よのう」
第179回「あぁ~あ」(2022年5月28日)
雰囲気・物事に感じて、悲観の情を表す声(weblio辞書)
巨人阪神戦で巨人は甲子園で勝てないことが多い。「甲子園の雰囲気に飲まれる」とはサッカーなどでいう完全アウェイ状態であり、観客の応援にうまく阪神が乗っかている現象といえる。巨人の投手も3ボール2ストライクの場面では投げづらいと思われる。うなりのような応援が巨人の投手の身体を縛り付ける。阪神ファンは負けることを考えていないように思える。
一方東京ドームでは巨人にとってホームグラウンドなのだが、同じ場面で逆に凡打となることが多い。これは慎重派の巨人ファンが醸し出す「打てないのじゃないか」という球場全体の雰囲気がバッターの筋肉を委縮させてしまっている。その結果、東京ドームに響く声は「あぁ~あ」となる。この雰囲気は「気」であり、「気」が勝敗を分けていると言える。
風は大気の流れであり、それまで無風であった球場がダイナミックに動き、一瞬にして大風を吹かせる。甲子園ではその大気が阪神の選手に呼吸されることで、「打つ」という「気」が体内に充満し、力として働く。東京ドームでは巨人の選手の打つ活力を吹き飛ばしてしまっている。
ほぼ9割の阪神ファンの甲子園と30%のアンチ巨人の存在する東京ドームでは、球場内に漂う“ホーム球団が「勝つ」”と言う「気」の量が異なる。しかも巨人ファンの多くは阪神ファンのような熱狂的信者が少ないから“絶対勝つ”という「気」の質も大きく違う。だから一度動き出した「気」は一方的に傾きやすい。こうなると原監督でも手の打ちようがなくなる。
この「気」の存在は野球のような大掛かりなスポーツだけでなく、1人のテニス選手の様子からもわかる。
テニスの東レ・パンパシフィック・オープンでクルム伊達公子が観客のため息に激高した一件が波紋を広げた。スポーツニュースでも伝えられていたので多くの人が見ていたと思う。
2011年全米優勝のサマンサ・ストーサー相手に、第2セットのタイブレーク最初のポイントでダブルフォールト。観客から「あぁ~あ」と大きなため息が漏れると、クルム伊達が「ため息ばっかり!」とブチ切れたのだ。ほかにも、ミスした時の観客のため息に「シャラップ!(黙れ!)」と叫ぶなど、この日のクルム伊達は終始イラついた様子。今大会前、自身のブログで「観客がため息をつくと、やる気を削がれる」と訴えていた。そして当日ついに我慢の限界を超えてしまった。
観客に怒鳴ったことに対し「お客さんに対して失礼だ」と思う人もいるだろうが、これは伊達選手が観客の「気」に飲みこまれないようにしている証拠ともいえる。
28日の彩の国KID陸上大会を皮切りに小学生の強化指定大会がこれから順次行われていく。保護者の方はその際自分のこどもやバンビーニの他のこどもたちが走っているのを見て、段々抜かれていく姿に「あぁ~あ」と言わないでほしい。そう思っていると、「気」がその子のスピードをより減速させてしまう。バンビーニの戦術は単純で「飛ばせ」である。今日600mしか持たなければまた練習して次は700mもてばいい、その次は800mまでと延ばしていき最後のレースで1000mまで持てばいいと教えている。だから、今日後塵を拝しても、次の大会での進歩(どれだけ持つようになったか)を見てほしい。そうすれば最後の大会で洩れる声は「あぁ~あ」ではなく、きっと「おお~」となっているはずだ。
第178回「聞いてないよォ」(2022年5月21日)
孫が来年小学校に上がるのでランドセルを買うことになった。山形に住んでいるのでお金を送って済ませようと思っている。それにしても、黄色いビニールのカバーで覆われているランドセルを歯を食いしばり背負って帰って来るのを見ると、ランドセルは子泣き爺に見えてくる。
「お疲れさん」と声をかけると「このランドセル重いよ」と汗だくで話す。学校の玄関から200mくらいなのだが・・・まるで昔家に来ていた行商のおばちゃんのようだ。「どっこいしょ」といって家の玄関に60kgある竹かごを置き、かごを覆っていた黒い風呂敷をほどき野菜を売りに来るおばちゃんを思い出す。
体重60kgの人が4kgの荷物を背負うのと体重20kgのこどもが4kgのランドセルを背負うのでは、4/60(6.7%)と4/20(20%)の負荷の差すなわち3倍こどもの負荷が大きいことになる。学校の資料は持ち帰えらせ家で勉強させるという大人目線で物事を考えると、弱者のこどもにしわ寄せが行く。金曜日になると学校にある荷物をすべてランドセルに入れて帰るので金曜日は地獄のようだ。こどもに文句を言われるともっともだが、思えば行商のおばちゃんは110%の負荷だった。君たち、まだまだ人生は長いよ。上には上がいるのだ。
コロナ禍である今は仕方ないが、学童ではマスク着用が厳格に義務付けられている。着用していないのは当然だが、マスクが鼻から下がっていても注意される。少しぐらいと思うのだが、マネージャーは絶対にゆるさない。以前ここの学童が濃厚接触者になった子がいたため神経質になっている。鼻からマスクが常時落ちる子は決まっているが、ほとんどの子がちょくちょく落ちる。よく考えてみればマスクは1年生には酷なのだ。マスクの真ん中をいくら折っても引っかける鼻の高さが低い。また大人の鼻と比べて軟らかい。彼らの鼻は大人の岩山と違って脆い砂山なのだ。これでは落ちるのが当然だ。しかし、マネージャーは理解していても妥協はいっさいしない。戦時下の司令官である。この時期学童にはまだ戒厳令が敷かれている。
おやつの時間はその重点管理項目のマスクをはずさなくてはいけない。司令官は13分で食べろと命令を下す。距離は1.2mm離す。(*) お喋りは厳禁で、その命令を破るとおやつは取り上げられる。
おやつを13分で完食できるのはほとんどが3年生だ。1年生の大半は食べきれない。なんで遅いのかなと思ってよく見ると、変な食べ方をしている。歯がないのだ。歯が抜けている子が多いため、残存している歯でやっとの思いでせんべいを食べているので遅い。
奥歯が抜けている子は、残っている脇の歯を使って噛んでいる。その歯もぐらぐらしているのだから恐る恐る噛んでいる。上下がっちり残っている歯は少ない。おばあちゃんのように歯が全く無くなれば自然に歯茎で食べるのだが、中途半端に歯が残っている。大人は1度は通る道とばかりこどもの歯については全然気にかけない。若いのでせんべいをお湯につけて軟らかくする芸当もない。それを13分で食べると言うのは酷というものだ。
こども達の気持ちを代弁すれば、「聞いてないよォ」
*マネージャーの根拠とする指針
国立感染症研究所「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領」
1.患者と同居あるいは長時間の接触(車内、航空機内等を含む)があった方
2.手で触れることの出来る距離(目安として1メートル)で、マスクなどの必要な感染予防策なしで、「患者」と15分以上の接触があった方(周辺の環境や接触の状況等個々の状況から患者の感染性を総合的に判断する)
3.適切な感染防護無しに患者を診察、看護若しくは介護していた方
4.患者の気道分泌液もしくは体液等の汚染物質に直接触れた可能性が高い方
が濃厚接触者に該当する
第177回「勝ち癖」(2022年5月14日)
学童での話。
1人6個のおはじきを争奪する“おはじきじゃんけん”を学童全員で行った。しかし、早々と6個のおはじきを取られたこどもがいた。6個取られるとゲームセットである。その子は見ていて負けるなという雰囲気が漂っていた。
案の定負ける。負けると親が死んだような泣き方(慟哭)でいつまでたっても涙が止まらない。身体中の水分がすべて涙で出てしまうのではないかと思えるほどだ。他のこども達は関わらないようにその子からスーと離れていく。
2年前にはジャンケンが大好きでいつもおやつの順番ジャンケン(グループの代表ジャンケン)にしゃしゃり出る3年生のK男がいた。ところがこの子がすこぶる弱い。
1人負けで早々席に戻っていくが、必ずくやしさで机の上で泣く。この子は顔を上げず静かに泣く。決勝まで残る場合も10回に1回はある。しかし、相手の意気込みが強く必ず負ける。決勝まで行ったのだから泣く必要はないと思うのだが、負けた瞬間涙があふれ出る。「泣くならもうやるな!」と怒るが、翌日また元気よく手を挙げる。懲りないのだ。2人負けで4番争いのじゃんけんとなったことがある。なんとか勝つと「イエ―」と席に戻りグループの子にハイタッチをする。5グループしかないので、皆は複雑な目で見ている。K男は気にしない。その時勝てばいいのだ。こういう子が大人になった時問題となる。
ヤクザが博打で誘うのはこういう男だ。最初に勝たせて大きく賭けて来た時にごそっと巻き上げるのだ。その時はショックでやらなくなるがその後「たった1回失敗しただけじゃないか」と自分で自分を慰める。今度は勝つと思い、また同じような展開で負ける。これを財産が無くなるまで続ける。いかさまをしなくても、素人に対してはヤクザは決して負けない。場数を踏んでいるからだ。もちろんヤクザにも勝負ごとに向かない輩もいる。しかし、ヤクザにはケンカに強い男がいる、女にもてる男がいる。法律に滅法強い男もいる。それぞれ役割りが違うが、その道のプロを擁しているのがヤクザ組織だ。
博打に向いている男は小さい時から“勝ち癖”を身に付けている。
つまり、勝負強い人間とは勝ち癖を持っている人間を言うのである。皆さんの周りにもいるでしょう、あらゆる勝負になんだかんだ勝ってしまう人。
しかし、勝ち癖がある人間も100戦100勝出来るわけではない。負ける時もある。しかし、ここぞという時には勝つのである。
野球ではかつて巨人に長嶋と言う選手がいた。首位打者をとっても3割3分だから3回に1回しか打たない。それでも巨人の4番として不動のものだったのは、勝負強い選手だったからだ。9回裏2死満塁、点差は1点、巨人ファンは固唾を飲んで打席の長嶋を見ている。ホームランは要らないがヒットを打ってもらいたい、ファンがそう思った瞬間、長嶋は1,2塁間を破るヒットを打つ。それまでの2回の打席は帽子を飛ばして三振しているのだが・・・
勝ち癖をつけるには小さな「成功体験」を積み重ねることが肝心だ。いきなり高いところを目指そうとすると、当然上手くいかない。まずは「最終的なゴール」を決めて、そこに至るまでの道筋を細分化し、「小さなゴール」をいくつも決めて、それを達成していく。
バンビーニでは6年生になって1000m3分を切れといった目標を課すが、4年生ではまずは1000m3分30秒を目指させる。5年生になったら3分20秒、6年生の春になったら3分10秒とステージを上げていき6年生の秋の大会で3分を切るのである。
これはそんなに難しいことではない。最初は気負わずに「小さな勝ち」を取りに行くのだ。練習の際バンビーニで一番速い選手を抜くことだ。インターバル20本のうちのたった1本だが、その「小さな勝ち」の積み重ねが「大きな勝ち」を生み出し、勝ちの「良い流れ」に乗ることができる。そうやって「成功体験」を積み重ねることで、自分に自信を付けることが出来る。それが「勝ち癖」を付けるということなのだ。
また、組織の世界で「くせ」というと、それは組織に属する人々が当たり前だと思っている感覚のことを指す。
バンビーニという組織の中でこども達が無意識のうちに共有している価値観や雰囲気は「最初から飛ばす。800mまでもたなかったら次は850m、900mと延ばしていけばいい、そうすれば記録は出る。練習では一番速い仲間に1回勝つことを目指す。勝てたら次に2回勝つ・・・こうして切磋琢磨していけば皆指定選手に成れる」だ。
これがバンビーニの“勝ち癖”というものである。
176回「犬笛」(2022年5月7日)
1年生のお世話で部屋を動き回っていたら「イリ、お金頂戴」とこどもに言われ「何で?第一お金なんかあるわけないだろう」と言い返したら、ニヤッと笑ってズボンのポケットを指差した。手を突っ込んでみるとお金があった。スーパーで買い物をしたが小銭入れがないのでズボンのポケットに入れ学童に出勤、しばしお金のことは忘れていた。自分で持っていてもジャージだと硬貨がすれた音がわからない。それでもこどもは硬貨が2枚以上あれば聞き分けることができる。他の金属音と硬貨音も区別できるみたいだ。
さらに、リックに入れた携帯電話のメールの小さな着信音が聞こえるのだ。仕方ないので振動モードにして入れておくが、彼らは振動音も聞こえる。彼女から?警察からかな?などと勘繰りうるさい。
蚊が飛んでくると私に助けを求めてくるが、私には見えないし聞こえない。私のこどもの頃遊んでいた綾瀬公園では、若いお兄ちゃんたちがたむろするのを追い払うためにモスキート音を流したら効果があったと聞いている。
こども達は小さな声でマスク越しで会話している。どうして、どうして聞こえるのだ?私には聞こえない。笑っているから通じ合っているのだろうな。私はこどもと話をしている際、小さい声を聞こうとして頑張っている時は、なんとかいくつか単語が聞こえるが、「もうダメだ。わからない」と心の中で諦めた瞬間、その後の言葉は音としか聞こえない。皆さんもいつかわかるようになる。
ゲームのUNOでは小声を利用してズルをされる。後ろに回って私の持ち札を仲間に知らせている。小さい声で言えば聞こえないと分かっているからだ。彼らは私がもっていない色ばかりを出してくる。ドロー4(フォー)という強力な武器が1枚ある事を知らせているので、私のドロー4のカードが出るまでこども達は自分のドロー4のカードは出さない。ドロー4のカードを出すと次の人は4枚カードを引かなければならいが、スタック(ドロー4返しの積み重ね)をすると自分はもらわずにそのカードがない次の人が8枚もらうことになる。つまり私がドロー4のカードを切るまでこども達は我慢する。私が切った瞬間、こども達は一斉に自分の持っているドロー4のカードを切ってくる。私が1枚しかないことを知っているから安心して切ってくる。結局私は自分で勝負して12枚のカードを背負い込んでしまった。
先日水曜日、バンビーニの練習があった。スタートの位置まで歩いていくことになった。R男とK男が会話をしながら20m先を歩いていたので、夜だしわからないだろうと我慢していたおならをした。すると2人は即座に振り向き「コーチ、今おならしたでしょう」とニコニコして寄ってくる。「いや、してないよ」ととぼけても、もう彼らの顔が確信に変わっていた。無口のK男は身体が震えている。顔を見るとくしゃくしゃに笑っている。逃れられないなとなかば諦めた。
「聞こえたか」「うん、はっきりと」「そうか、それはおならじゃなくって『祇園精舎の鐘の声』だ」「なにそれ?」「『諸行無常の響きあり』ということだ・・・誰にも言うなよ」「うん、だ~れにも言わないよ」とR男は「デヘヘへ」の笑顔をした。ダメだこりゃ、R男のイントネーションも「だ」と「れ」の間が無駄に長かったし「言わないよ」の「わ」が上に丸くつりあがっていた。こういう時は絶対に喋る。ここで話さなくても家に帰ってから喋る。間違いない。これでまた威厳が無くなった。きっと来週からは殺人の現場を見られた犯人のような気持ちで接することになるのだろう。
それにしても、こども達は2人で喋りながらなぜ偶然の音に気づくのだろうか、こどもは犬と同じ聴覚を持っているとしか思えない。これまで400mのトラックでは、200mのスタートは、周りに迷惑のかかるホイッスルではなく手を振ったり帽子を振ったりして合図していた。しかし、今後は犬笛を吹いてスタートさせようかと真剣に考えている。
第175回「生存者バイアス」(2022年4月30日)
人は先入観や偏見をもつことがある。東北弁を話す人は素朴で、関西弁を話す人はうさんくさいと色眼鏡で見てしまうのはその典型だ。先入観や偏見は多くの場合は取るに足らないものだが、これが国家や企業などが計画を作ったり分析をする場合に現れると、その結論は危険なものとなる。
「生存者バイアス」という言葉がある。
「バイアス」とは多くの場合、「偏りを生じさせる何か」を意味する。例えば「評価にバイアスがかかっている」と表現した場合、「評価者が持つ先入観や偏見が影響して偏った評価がなされている」ことを意味する。
第二次世界大戦中、爆撃機の生存(帰還)確率を上げるため、戦場から帰ってきた爆撃機の被弾の痕をアメリカ軍が調べたところ主翼や尾翼などの特定の部位に集中していた(図はウイキペディアより引用)。
この結果を見て、軍部は「被弾の痕が集中している部位のボディを強化しよう」と提案した。しかし、統計学者のエイブラハム・ウォールドは、これに異議を唱え「むしろ、被弾の痕が無い部分のボディを強化するべき」と提案した。
軍部は、戦場で生き残って帰還した爆撃機の状態を基準に対策を練った。一方、ウォールドは、戦場で生き残れなかった爆撃機の状態を踏まえることで、致命傷を避けられるとした。
つまり、彼は帰ってきた爆撃機の被弾の痕が無い部分をもし撃たれたら、帰ってこれないような致命的な損傷につながるのではないかと考えた。軍部は墜落した飛行機を探すのは大変だ、大なり小なり帰還した飛行機と同じでそれ以上に撃たれたから墜落したとした。その結果、生存したもののみを基準に判断を行い、生き残らなかったサンプルを除外して結論を出す。すなわち、生存者(帰還した飛行機)だけで判断するという(「バイアス=先入観、偏見」がかかっている)軍部の過ちを指摘した。
ここまで極端な例を出さずとも身近にも「生存者バイアス」の例がある。いろいろなスポーツで実績のあるコーチや監督が、たびたび体罰の有用性について主張することがある。彼らの主張は、おおむね「実績のある選手はみな、体罰を受けて成長した」となる。
しかしこの主張は、体罰が日常的におこなわれたその集団の生き残り(生存者)にしか目を向けていない。活躍できる才能を持った選手が、体罰によって芽を摘み取られてしまった可能性を無視している。彼らは最後まで部活を続けず辞めてしまうか、辞めなくともやる気をなくしてしまっている。もし体罰をせず指導していれば・・・
もうすぐ5月だ。バンビーニでも新規入会する子もいるが辞めていくこどももいる。強化指定選手に成ることを最終目標にしていることは、HPにも記載しているし入会の時に説明しているのでこの前提でバンビーニは練習している。
こどもは誰もが指定選手になれる可能性を持っている。しかし、実際にはバンビーニでは4割の人間は強化指定選手になっていない。小学生の時はつきたての餅のようにどんな形にもなれる。その4割の人間をどう育てるのかが問題だ。鏡餅のようになってからでは遅い。
ラストスパートに生きがいを感じているこどもがいる。平均ペースで走る子もいる。しかし、バンビーニではこの走法を封じている。埼玉県の陸上の方針が強化指定選手育成にあるのだから、記録をクリアすることが必須である。そうでなければ指導する中学高校の先生たちに気づいてもらえない。記録を出すためには最初から飛ばすということが必要であり、これが当クラブの原点だ。
しかし、我々大人はこれまでの経験から知らず知らずに偏った独自の発想に陥っていく。いったん形成されると誤りに気づき、正していくことは至難の技となる。
強化指定になれたのは人一倍の練習をした各自の努力の結実なのだが、練習メニューや運営の仕方が強化指定選手になれたとコーチは思いたい。しかし、強化指定選手に育った子どもたちと同じ練習メニューを実行しても、残りの子に効果がなかったのはなぜだったのかという疑問が生じる。塾のせいなのか、自主練をしなかったからか、逆に過剰な自主練のせいなのか、兼用している他種目の運動のせいなのか、はたまた私の性格や指導方法を嫌ってのことなのか、辞めていったこどもたちに聞きたいところだが、小心者の私には追いかけて聞く勇気がない。
第174回「記憶術」(2022年4月23日)
兄弟姉妹で同時に入る子もいるため、バンビーニのこども達は苗字ではなく名前で呼んでいる。今年の特徴はラ行う段の「ル」から始まる名前の子がたくさんいることだ。ルリ、ルイ、ルキ、ルナ、ルル、覚えるのが大変だ。最初は一種のあだ名で覚えることにしている。例えば、ルルは3人きょうだいの3番目に当たるので「ルル3錠(三女)」と覚えている。しかし、この覚え方は薬のCMを知らないこども達にはまったくウケない。
「たいが」と呼ぶと同じ名前の子が2人いる。ある時、生意気な方の子が「どっちのたいがよ?」と質問することがあった。「いい男の方だ」と答える。皆納得。しかし、よせばいいのに学童でもやってしまった。ある日「こはる」と呼びかけた。いつも小うるさい女の子が「どっち?!」言い方もカチンと来たので「可愛い方のこはるだ!」マネージャーにこっぴどく怒られた。
バンビーニではタイムや順位などが人物についてくるのでさほど苦労せずに名前は覚えてしまうが、学童のように安全安心な場をつくるだけの集団だとよっぽど個性的でないと名前は覚えられない。大人しいあるいはいい子だけだと私の印象には残らない。
こどもの名前は、通常次のようなことをきっかけとして覚えることが多い。
(1)変わった名前かなつかしい名前
学童でも名前で呼ぶことが多いので苗字は関係ないのだが、本人が強く苗字を強調するので覚えてしまった。「僕の名前は“えのきぞの”Yです」確かに「えのきぞの」は人生初めてであった。社会人のときには「大王丸」という人がいた。この人には名前ではかなわない。取引先の人は絶対に彼の名前は忘れないし、おもしろがって積極的に名刺をもらおうとしていた。私のような入山という名前では所詮先祖は「木こり」か「またぎ」と想像されてしまう。取引先の人にとっては単なる“路傍の石”的名前だ。だから、覚えてもらおうと自然に多弁になった。
バンビーニには女の子に「○○子」という名前の子がいない。学童には唯一「やえこ」がいる。なつかしい名前なので忘れない。一方「△△男」はバンビーニにも学童にも1人もいない。昔はクラスの1/3が△△男だった。私だって“まさお”なので親父のような偏屈な人でなければ「政男」になった可能性が高い(実際は「政夫」)。同級生に双子の兄弟がいた。名前は「一男(かずお)」と「次男(つぐお)」だ。我々は「カズ」「ツグ」と呼んでいた。いまから思うと双子という条件下では安直な名前だった。こどもの時は凄いなぁと思った金太郎、銀次郎、銅三郎の3兄弟もいいかげんな付け方だった。昔は父親が真剣に画数や言われや吉兆の漢字などに無頓着な家が多かった。8人の兄姉の後、祖母は末っ子(その時は)として生まれ、これ以上増えないようにと「とめ」という名をつけられた。しかし、父親の願いに反しその後弟2人が生まれた。
「大次郎」「拓蔵」など昔風の名前はすんなり頭に入る。
内緒で言葉遊びもしている。ここにはネネという速い女子中学生と漫才の中川家のお兄ちゃんに似ているジュンという3年生の子がいる。私はいつも好んで「ジュンとネネ」と続けて呼んで1人ウケている。私の若い頃の女性デュオ「じゅんとネネ」の響きと重なり、なつかしく思えるからだ(バンビーニのジュンは男の子だが、まもなく活躍をお見せできると思う)。
(2)怒っても離れないこども
学童ではいつもちょっかいを出してくる子やズルをする子を怒るが、まったく懲りない。時々頭に来て懲らしめ泣かしてしまうが、それでもまた寄ってくる。飼い猫のようにまとわりつく。喧嘩しても大人同士の世界と違い「二度と口をきかない」ということはない。「トムとジェリー」の関係がまた心地よく、表の態度とは違って「また来ないかな」と思っているくらいだから、自然と覚えてしまう。
(3)問題児
リョウタという子が中学に入ったので学童に挨拶に来た。昔はちょっとした問題児で道路でカードゲームを仕切ったり、煙草を吸うモノマネが板についていたり、女先生達と取っ組み合いのケンカをした。お母さんも閉室を5分過ぎた19時05分に「セーフ」といって入って来たり、息子のことを報告すると自分のこどもを守ろうと異常に熱くなるタイプだったが、そのお母さんも落ち着いてきた。あの頃は苦しかったのであろう、2人で犯罪を犯すのではないかと心配するくらいだった。どんなに問題児でもいや問題児であったからこそ礼儀正しく成長する姿にほっとする。お母さんにそっくりな顔をした「りょうた」はお母さんと共に忘れることはない。頑張れ、リョウタ!
第173回「初年兵と1等兵」(2022年4月16日)
学童は新1年生が入学して2週間が経った。今年は1年生と2年生で35人を超えたため、評価点が低くなる3、4年生で残れたのは4、5人であった。
2年生は新一年生に学童の玄関から外遊びの校庭までの行き帰りを教える。リーダーは積極的に手を挙げたK男となった。K男は曲がったことが大嫌いでルールを厳格に適用する。お喋りは厳禁、列の曲がりもゆるさない。曲がっていると走って行き注意をする。まるで羊を誘導する牧羊犬のようであった。
R男は外遊びの際ケンカしている1年生に「H男が言うのはわかるが、ここはそうじゃない、僕は○○と思うんだ」と諭していた。つい最近まで「抱っこ!」の男の子だったのに・・・こどもは成長するものだ。彼らは過去先輩たちの行動を見ていた。今度は僕らの番だと自覚してきたのだと思う。
K男が私のところにやってきた。「イリ、ちょっと聞いてよ。S男(新1年生)が僕に対して『黙ってて』と言った。先輩の僕に対してだよ。失礼だと思わない。怒ってやったよ」と訴えてきた。
「えっ」と思わず言ってしまった。「先輩」「失礼」などという言葉がK男から出て来るとは思わなかった。以前私が彼に何回も言った言葉だ。半年前までの君の行動を思い起こしてみたらと言いたくなるが、言葉の意味はわかっていてくれていたようだ。
こうしてあらゆる場面で1等兵に昇進した2年生が初年兵である1年生を教育し始めている。
マネージャーのほめるテクニックも1等兵の行動を後押ししている。皆が騒いでいる時に「静かにするよ」と言った2年生の子に「S君えらいね、皆に注意してくれた。皆もルールは守ろうね」と褒めた。
しかし、こどもは機を見るのに敏である。それからは少しでも喋るとあらゆる子が「静かにするよ」と大声をあげる。皆が我負けじと注意するものだから「そっちのがうるさい!」と私は心の中で怒鳴っている。
名前で注意する子も出てきたが、言った者勝ちである。寸前まで自分がうるさかったのに場の雰囲気が変わってくると「○○くん静かにして!」という。途端に自分の方が上位の立場になる。言われた方はとんだいいがかりである。注意をした子は顔もきちんと「怒り顔」になっているし「呆れた奴だ」の顔になるのだからたいしたものだ。しかし、意地悪から出てきた行為ではない。機を見るのに敏なこどもの特性が感じられる行動である。
一方新1年生側では変わった子が入ってきたので波風が立った。その子は体が大きい。背も横幅も大きい。関脇のような体格だ。
女の先生だと弾き飛ばされてしまう。校庭では砂を持ったり石を持つこともある。まだ同級生とはケンカしていないようだが、多分誰も勝てないだろう。2年生でもやられてしまうに違いない。だが、問題は体ではない、A男の口の利き方にある。外遊びにいったとき女先生に「ばか」とか「くそ(ババア)」とか言った。初年兵は口の利き方、正しい行動を教えなければならない。幼稚園とは違うことを厳しく教えなければならない。
天から黄門様の声が聞こえたような気がした。「イリさん、懲らしめてやりなさい」と。仰せのとおり砂場で懲らしめてやった。悔しかったのだろう、砂場で大の字で涙を流しながらしばらく空を見ていた。
学童に帰ってきて遊びの時間になぞなぞをした。J子が「パパやママにはなくておじいちゃんやおばあちゃんにあるもの、な~んだ?」と問いかけてきた。
「しわだ」と自信を持って答えた。「違うよ・・・わかんない?答えは『くそ』だよ。くそじじいやくそばばぁとは言うが、くそパパやくそママという言葉はない」とJ子に鼻で笑われた。
言われてみるとそうだな。私も女先生も年寄だからAの表現はまんざら的外れな言葉ではなかったのではないか、少なくとも懲らしめるほどではなかったのではと自戒の念が湧いてきた。
第172回「ステップアップとステージアップ」(2022年4月9日)
私が高校生の頃、陸上の大会は城東支部、東京都、関東大会、インターハイと上がってくシステムだった。2年生までは東京都大会でライバルとしてきた同級生がいたが、その子が東京都大会で3位入賞し関東大会、インターハイと進んだ。その子とライバルだった(東京都大会は7位)のに翌年はまったく歯が立たなかった。今から思うとその子はステージアップしたのだ。私はステップアップしていたのだがステージアップの人間には勝てない。このようにステップアップとステージアップは大きな差があるのだ。
バンビーニで教えた選手で凄い子はたくさんいるが、S子のステージアップは特筆する。
S子は2019年まではA子に歯が立たなかった。しかし、2020年コロナ禍の中大会数はほとんどなくなったが、休まずに練習をして追いついた。バトミントンに関心が移ったA子とはその後4ヶ月で劇的に力の差をつけた。S子は2021年3月27日以降ステージアップをしたと言える。それは練習態度にも現れ、サボる子に同調しなくなった。サボる人間を積極的に諭すことはしないが、我関せずの態度で押し通した。2022年3月27日には1000m3分18秒70まで記録を伸ばし卒業していった。
惜しむらくはA子で、血統的にもスピードを持っていたので、S子と続けていたらS子より先に指定をとっていたと思われる。もっと練習に関心を持たせる工夫をしてあげればよかったと反省している。
2019年 |
2020年 |
2021年 |
|||||||
9月22日 |
2月5日 |
3月27日 |
|||||||
1000m(草加選手権) |
400mx5インターバルの一環 |
1000m(越谷選手権) |
|||||||
A子 |
4.01.69 |
A子 |
1.35 |
1.45 |
1.41 |
1.37 |
1.44 |
A子 |
3.36.31 |
S子 |
4.14.57 |
S子 |
1.38 |
1.49 |
1.46 |
1.48 |
1.47 |
S子 |
3.27.08 |
|
3月11日 |
|
|||||||
400mx5インターバルの一環 |
A子は3月から |
||||||||
A子 |
1.43 |
1.43 |
1.43 |
1.37 |
1.30 |
バトミントンへ転籍 |
|||
S子 |
1.46 |
1.45 |
1.46 |
1.37 |
1.42 |
|
|||
9月9日 |
|||||||||
400mx5インターバルの一環 |
|||||||||
A子 |
1.29 |
1.30 |
1.39 |
1.43 |
1.40 |
||||
S子 |
1.29 |
1.31 |
1.33 |
1.36 |
1.39 |
||||
11月28日 |
|||||||||
1000m(日清カップ) |
|||||||||
A子 |
3.48.88 |
11月以降A子練習頻度激減 |
|||||||
S子 |
3.43.39 |
この子がステージアップしたと感じるようになったのは、タイムだけではない。その態度振る舞いにある。以前にも書いたが練習がまじめで“速くなりたい”の一心で自分を変えようとしていた。
人間は人生の節目や事故、事件、病気、受験などで自分を変える衝動に囚われるものだ。それを実践すると物の見方や好みが激変する。
例えば、今までずっと彼氏がいなくて友達と遊ぶことを人生の楽しみとしていたとする。しかし、大学に入って突然彼氏ができた。会う時間は減ったけど、友達は応援してくれているし話も聞いてくれる。でも、なんだかしっくりしない。…昔は好きなものや選ぶものも一緒だったし、行きたい場所も同じだったのに、なんでだろう?
自分が出す周波数が変わったために、友達と見ている世界が少し変わってしまったのだ。似たような波動域にない人とは繋がることが難しく、話をしていても「言葉は通じるけど、会話ができない」状態になり、ついには会うこともなくなってくる。
今までは仲間だと思っていたのに、急にキラキラし始め別の人のようになってしまった場合、周りの人は居心地が悪くなって今までのステージに引きとめようとする。所謂ドリームキラーと呼ばれる人たちがいる。この手の人間に係ってはいけない。
人間ステージが上がると、過去に大好きだったものに興味がなくなる可能性がある。波動が上がる場合、自分の視野は広くなる。そのため、選択肢が増え、過去好きだったものがそんなに魅力のないものに見えるようになることがある。いま好きな韓国のアイドルグループはあと5年で忘れるよ(これを言うと皆怒るだろうけど・・・)。
中学校は小学生だからでゆるされたことも、中学生になるとゆるされない半大人社会だ。陸上においてもステージが3つも4つも上の先輩をみることになる。だからこそ、自分自身のさらなる変化を必要とする。人生が次のステージに進もうとしているのに、そのサインを無視すれば、成長はストップする。チャンスに後ろ髪はない。しかし、チャンスが何なのかわかる人間は稀である。
これからは脱皮して大きくなる蝶のように振る舞えるかどうかが問われることになる。
第171回「模倣犯」(2022年4月2日)
小学生は友達と同じキャラクターグッズを集めたり、同じアイドルグループを追いかけたりする。友達と同じ靴を履いたり、給食を同じ順番で食べようとするなど、こどもの「友達の真似」に悩む保護者は少なくない。独創性がないとか個性がないとか。しかし、ご心配なく。
心理学の有川教授は「周囲の行動を真似るのは成長の過程」だと言い、「真似」が子供の成長において重要なものだとしている。
周りの人たちの動作を見て真似ようとするのは、周囲を見ている・関わろうとしているということ。社会性を身につけようとする健全な成長で、むしろ、その子の個性や独創性は周囲の「真似」の積み重ねによって成り立っている。
たとえば、隣の子と同じ絵を描いてみようと真似ることや、ごっこ遊びの中で友達と同じキャラクターを演じること。そんな「一度おなじことをしてみよう」という体験が積み重なって、「自分はこうしてみよう」という発想がわいてくる。
逆に「まったく真似をしない子どものことも、気にかけてほしい」と有川教授は言う。子どもの「真似」が成長に欠かせない過程である、ということは、子どもがまったく「真似」をしない場合は対人関係や発達に困難を抱えているケースがあるとしている。
陸上の世界でも模倣はちょくちょく起こる現象である。次の写真を見てほしい。
柔軟体操で開脚して左足に体をつける練習だ。他の選手は体を左足に倒しているが、A男とB男は右足に倒している。A男とB男が間違っているのだが、状況はA男が人の話を聞かないタイプ、B男はA男に一目を置いている。B男は無条件にA男に従う傾向にあり、A男と同じように行動することが多い。左からと言っても必ず何人かは右足からやる子がいる。印西のかけっこ教室のように全く知らない者同士でもこどもは比較する人間がいるようである。その子が間違えると数人の人間が間違える。コーチの言うことより自分が意識するこどもの真似をする。
強い選手の走り方を真似るこどもがいる。何が良くて何が悪いかは本人はわからない。ただ彼が速いということだけは事実なのだ。まずは同じ走り方をすれば速くなるというのは自然な考えである。自分なりに彼の特徴をとらえている。我々コーチから見ると矯正しようとするところまで真似てしまうことがあり、どんなに速い選手でも悪い点は皆の前で指摘している。それは速い選手を教育すると同時にこれから真似ようとするこどもにも注意を喚起している。
しかし、いいことばかりでなくサボることも真似をする。バンビーニでは「トイレ」というワードが重要となっている。足が痛いとか気持ち悪いとかで休むことはあまり許されない。ただし、「トイレ」と言えば「仕方ない。皆の前で漏らしてしまうのは本人がひどく傷つく」と思っているので、簡単に許可してしまう傾向にある。こどもたちはこの様子を見ているので、苦しくなると「トイレ」となる。模倣犯を地でいっている。だからインターバルでは1本どころか2本も休める。強くなりたい子はこのような行動はとらないが、目的がはっきりしていない子に多い。
家庭内でも「真似」がある。次男は長男の真似をする。しかも何がダメで何んだったら許されるのかをじっと見ている。父親が怒るのはどういうときか、褒められるのは何をした時か、そしてそれを見て自分はうまく家庭内を渡ってる。
意味があるのか疑わしい行動も真似をする。大会で100m種目の場合ほとんどの選手は大地に一礼してスタートラインに着く。スタブロの足を置く前にジャンプする選手もいる。100mではスタートが最大の注目点で、短距離選手は先輩たちの一挙手一投足を注視しているからだ。誰かに教わったわけではないしコーチが指導したわけではない。長距離の選手はこのような形はあまりない。
こどもにはよい手本(先輩)がいれば全体がアップする。長距離の集団的効果は練習の際、速い子の戦術(走り方)やラストスパートをするタイミングなどを学ぶ、有効な真似のできる環境を提供していることである。
第170回「大人の童話」(2022年3月26日)
学童の“帰りの会”で、童話の「浦島太郎」を朗読した。
浦島太郎の話は、おじいさんになってしまう玉手箱をなぜ乙姫様は渡したのだ、という疑問が小さい時からある。その日は考え過ぎて夢を見た。「大人の童話」を朗読している自分がいた。
時は昔、出だし中盤は同じなので割愛、後半も似たようなもので省略。大人の童話は終盤から話が始まる。
「一度ふるさとに帰って両親に会ってきたい」
乙姫様はそれを聞くと、私より両親が大切なのかと内心怒ったが、したたかな女性なので、その心を抑えて言った。
「この玉手箱を大事に持っていてください。そうすればまた竜宮城に戻れますよ。それまでは決して(あなたが自分で)この箱を開けてはいけませんよ」。
太郎が亀の背に乗って村に帰ると、自分の家はおろか村の様子がすっかり変わっていて、太郎の知っている人が一人もいなくなっていた。村のおじいさんに昔のことを聞いた。「ここの1人息子は釣りに行って行方不明になり浦島家は途絶えたらしい。その親が死ぬとき家や土地や家財を村に寄付したそうだ。太郎が帰ってきたら面倒を見てくれとな。しかし、戻らなかった。そのため100年経って記念に建てたのがその人の墓だ」という。
浦島太郎が竜宮城で過ごしているうちに、地上では300年も経っていたのだった。困った太郎は、玉手箱以外にもらったお土産を少しずつ売って生活の糧にした。そこそこのお金になった。ある日、噂を聞いた女が尋ねてきて一夜を伴にした。女は太郎が寝ている間に玉手箱を盗んで逃げようとしたが、玉手箱の中身を見ようとした途端白い煙がモクモク・・・女の姿はおばあさんになった後消えてしまった。猜疑心の強い乙姫様は太郎の浮気はゆるしてもその相手は絶対にゆるさないのだ。玉手箱はそもそも女の化粧箱で女性なら興味がない者はいない。だから太郎に近づく女は必ずさわると乙姫様は読んでいた。玉手箱は浮気防止器だったのだ。翌朝起きた太郎は女がいなくなったことに気づき、転がっていた玉手箱に蓋をしていつものところにしまった。
数日後太郎が借りていた家に強盗が入った。「やい、お前は骨董品をもっているそうじゃないか、ここに出せ」という。怖くなった太郎は玉手箱を差し出した。強盗が蓋を開けると白い煙がモクモク・・・強盗はおじいさんになった後消えてしまった。太郎は驚き急いで玉手箱の蓋を閉めた。玉手箱の煙は消えてなくなる効果があるらしい。警戒心の強い乙姫様は太郎をないがしろにする者は許さないのだ。玉手箱はそのための武器のようなものでもあった。
しかし、逆に太郎はそんな恐ろしいものはいらない、売ってしまえと骨董商のところに持って行った。しかし、骨董商は品定めのため、必ず玉手箱の蓋を開けるのだ。そのたびに骨董商は消えて行ってしまい、取引が成立しない。ほとほと困り果てた太郎は、こんな状態なら玉手箱を開けて自分も消えようと思った。自殺しようとしたのだ。
ただ、消えるのを目の前で何度も見て来たので、小心者の太郎は腰が引けて少しずつ開けた。そのためかかる煙の量が少なくなってしまい、太郎はおじいさんまでで煙はなくなってしまった。
一度死にかけた人間は生にこだわる。
しかし、おじいさんでは働くこともできない。蓋は鼈甲で装飾されていたため、それだけでも価値があった。太郎は転がっている蓋を売ってたくさんのお金をもらった。蓋を売ってしまったので、白い煙も溜まらず、消える心配はなくなった。箱の中には真ん中に大きな真珠がほどこされていた。これを引っ張ってとった。この真珠を売ればさらに家一軒買える。死ぬまでは困らないであろう、そう思うと明日売ることにした。
寝ていた時、暗闇で真珠のあった穴から光が出ていた。その穴を覗くと300年前の亀を助けている若者がいた。しかし、よく見ると亀をいじめている少年の1人は自分であった。亀を助けた男も成長した自分であった。見方を変えると村に戻った時に最初に話しかけたおじいさんは今の自分であった。そこは時空の中を駆け巡っている自分が見えた。
真珠を売りに行く途中、竜宮城に行くことになったあの海岸に立ち寄った。「乙姫様はどうしているのかな」とふと思った。でも玉手箱はなくなったので帰れない、そう思った時亀が陸にあがってきた。自分の前まで進んで来ると亀は乙姫様に変身したのだ。「さあ、ご両親も亡くなられたし、今度はずっと私と一緒にいれますね」「うん」太郎は頷いてしまった。その途端、太郎は鶴になり気持ちも体力も若返った気がした。乙姫様も亀の姿に戻り鶴を上に乗せ竜宮城に向かった。
なぜ竜宮城というのか、それは乙姫様の前の夫が竜だったからだ。今度は鶴だ。鶴にちなんで竜宮城を鶴ヶ城と改名した。名称などは乙姫様にとってはどうでもいいことなのだ。なぜなら、もともとはシーパラダイスというテーマパークだったのだから。
鶴は千年、亀は万年という。
めでたい言葉だが、よく考えると、乙姫様は1万年の寿命、鶴になった太郎の寿命は千年なのだ。長い時間を過ごすことになるが、700年後乙姫様はそわそわし始めるであろう。そう、乙姫様は太郎の死後、あと8人の男と生活を伴にする計画になっている。太郎はそのことを知らないのだ。1万年の時間をどう飽きずに過ごすかが乙姫様の重要な問題なのだ。
そもそも乙姫様は御伽草子の作者がつけた名前であり、本当の名前は「貶め(おとしめ)様」なのだ。
第169回「リンゲルマン効果」(2022年3月19日)
20世紀初頭「人間のサボりのしくみ」をドイツのリンゲルマンという農学者が「綱引きでの牽引力を測定する実験」で解明しようとした。
その結果,1人だけで綱を引いた時の力を100%とすると、2人で引っ張ると1人当たり93%、3人では85%、8人では半分になってしまうことが分かった。
これにより、「集団で作業を行う場合、メンバーの人数が増えれば増えるほど1人あたりの貢献度が低下する」という現象が確認された。
人が増えると無意識に手を抜くこの心理現象が、「社会的手抜き」あるいは「リンゲルマン効果」と呼ばれている。
そのしくみはこうだ。
他にも参加している人がいる場合、「何も自分が頑張らなくても誰かがやるだろう」という共同作業の落とし穴に落ちてしまう。昔、祭りで神輿をかついでも私はぶらさがっているだけだった。それでも神輿は動いた。
また、他の参加者が有能である場合、自分が努力してもその成果はあまり目立たない、「そんな中で努力しても報われない」と考え、手を抜くというケースもある。
逆に、他の参加者が不熱心な場合、「自分一人頑張ってもバカらしいのでサボってしまおう」と考えるケースなどもこれに該当する。
2015年には、NHKの番組で、リンゲルマン効果を検証するため綱引きのプロである「綱引き連盟」の人たちに同じ綱引きしてもらった。この場合1人→3人→8人と試してみても、一人あたりの力は全く低下しなかった。リンゲルマンの実験にランダムに参加した人間と比べ、綱引きに対する意識が違っていたからだ、と容易に想像できる。
NHKは無差別に集めた学生に手抜きさせないためにはどうするかと考えた。そこで、応援のチアリーダーを投入したところ、1人の時と同じ力が発揮された。社会的手抜きが消えたのだ。
NHKではさらに一捻り加えた。別の学生のチームに対して、「特定の一人だけの名前を呼んで応援」するというものだった。その結果、その応援された一人の部員だけは手抜きをせずに頑張ったものの、他の部員はさらに手を抜いてしまうという結果となった。
この実験の教訓は、こどもたちが集団の中でも手を抜かずに頑張るには、自分のことを見てくれている誰か、応援してくれている誰かの存在が必要不可欠ということだ(もっともこれはこどもだけでなく大人にも当てはまるが・・・)。こどもの気が散るからといって見学を控えてもらうクラブもあるが、バンビーニでは保護者の存在を必要としているし、コーチの声掛け(褒めるだけでなく怒ることも)はさらに必要だと考えている。
「練習課題を魅力あるものにする」「その集団に属していることへの魅了を高める」といった工夫も、社会的手抜きを防ぐ効果がありそうだ。
バンビーニでは通常長距離を年齢・実力によって3つの集団に分けている。一度ある子をAクラスにあげてみたら前のクラスの方がタイムがよかった。下げてみたらAクラスの最下位のこどものタイムより速かったという不思議な現象が起きた。
上げた時モチベーションは上がるのか、ランクを下げたらどうなるか、今後その効果を科学的に解明したいと思う。この場合こども1人ずつの個性が影響するのだろうと予想される。また、練習内容によってグループ分けの変更も行ってみたい。それは「練習の課題を魅力あるものにしたい」し、「バンビーニのAグループに所属していることの魅力を高める」ようにもしていきたい。
あまりにもタイムにバラツキの多いグループ分けはあきらめるこどもも出てくるなど非効率的な面がある。同じようなレベルで構成されるグループ分けの方が伸びると思っているが、同じレベルだとリンゲルマン効果が表れるが、この場合少し速い選手を1人入れることで手抜きを避けることができると考えている。綱引きとは違った「長距離走の集団効果」を引き出し、いつの日かその効果をご報告したい。
第168回「ちょっと、待った!」(2022年3月12日)
学童での話。
2年生のD男が私のところにニコニコしてやって来た。「D男、馬鹿にうれしそうだね」「うん、僕ねA子ちゃんとF子ちゃんとT子ちゃんに『しかえし』しようと思っているんだ」「仕返し?おいおい物騒なこと言うなよ、何があったんだ?」不思議そうな顔をした彼はニヤッと笑って「イリはバレンタインにチョコレートもらえなかたから心配いらないよね、気楽だね。僕はね、チョコレートを3人からもらっちゃったんだ、うふ。ホワイトデーになったら、もらった男子は女子に『しかえし』しなきゃいけないらしい。何がいいと思う?」
「ちょっと、待った!」
「D男、それはきっと『しかえし』ではなく『おかえし』というじゃないかな。仕返しは『嫌なことをされた者に対してやり返すこと』なのだよ。皆と喧嘩になっちゃうよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
女の子と遊んでいた時、突然小1のR子が「イリ、K子ちゃんがイリとキスしたいんだって」、「えっ、ないないない」とK子。よせばいいのにR子がさらに囃し立てるものだから、K子は強く否定したかったのだろう「私ね、イリとは『二度と』キスしないから!」という。
「ちょっと待った!」
「K子、私との関係を強く否定したいのだろうが、『二度と』というのは『一度過ちを犯してそれを悔い改める時に使う言葉』なんだよ。こういう場合は『二度と』ではなく『絶対に』しない、というのだよ。ここをはっきりしないと私は学童をクビになってしまうし、浦和警察署に連れて行かれてしまうよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
「俺を怒らせたらどうなるかわかっているか。お前をボコボコにしてやる」R男は外遊びの際、必ずこうタンかを切ってくる。校庭に出て、「ヨシ闘うぞ」というと逃げまどう。今度は「俺の逃げ足は日本一すばやい」といって逃げるが、20mくらいで追いついてしまう。捕まえてお尻ペンペンをして解放してやる。10mくらい離れてから「今日はこのくらいにしてやる」と言う。まるで吉本新喜劇のようなオチを入れる。彼は池乃めだかを知らないのに・・・笑ってしまうが、言わないわけにはいけないので、
「ちょっと、待った!」
「決闘の場合、その言葉は勝った者が言うのであって負けたものは『参りました』というのだよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
入会した頃「先生、抱っこ!」と言っていた1年前から比べれば進歩したのだが・・・
1年生のR子が帰りの身支度をしていた。「今日のお迎えは誰だ。おじいちゃんか」「うん、おじいちゃんだけど、来週からは違うんだ。わたしんち、お父さんのお父さんとお母さんと一緒に住むことになったの。お母さんのお父さんとお母さんはそばにいるので、以前からおじいちゃん、おばあちゃんと呼んでいたの。でも、同じ呼び方をするとどっちかわからなくなるのでジジーとババァと言うことにするって、お母さん言ってたよ。だから来週からはババァが来る」
「ちょっと、待った!」
「おいおい、それを言うならジージーとバーバーだろう。いくらお母さんにとって義理のお父さんお母さんでも短縮形では呼ばせないと思うよ。言葉を縮めると怒られるよ」
「ふーん、そうなんだ」
こどもは言葉を覚えるのは速いが、聞き違って覚えることも多い。しかし、この聞き違はそれなりの理由なり背景がある。大人がはなから無視したり理解しようとしないと、こどもとの間に溝が出来てしまう。
なぜこの子はこのようなことを言うのか、何と勘違いしているのか、と考えると何を言いたいのか段々わかってくるものだ。
間違った言葉はそれはそれで微笑ましい。初めて聞くとなんか楽しくなってしまう。本音を言うと、もう少しその言葉をころがしていたいのだが、その子の将来の為に訂正しなければならないのは、ちょっぴり残念なのである。
しかし、世の中正解ばかりで間違いのない世界だったら、何と味気ないことだろうか。
第167回「永遠の0」(2020年3月5日)
昨年12月に男子マラソンの日本記録保持者・鈴木健吾(富士通)選手が女子マラソンで東京五輪8位入賞を果たした一山麻緒(ワコール)選手と結婚した。
この2人の間に生まれたこどもは将来マラソン選手になり、父親を超えることだろう。遺伝的には非常にシンプルな組み合わせだ。つまり長距離に強い父と長距離に強い母の遺伝子を併せ持つからだ。さらに、鈴木健吾選手の父親は高校駅伝に出た長距離ランナーでもあった。競馬で研究されている祖父の血も優れているのだから、生まれた子は長距離が強いと思われる。
中距離のエースである田中希美選手もサラブレッドである。父健智氏は3000m障害で日本選手権に出場、母千洋氏は北海道マラソンに2度優勝している。
しかし、陸上競技を遺伝という観点から研究をする人間はいない。なぜなら鈴木・一山夫妻の子が成人するまで(結果が出るのに)20年はかかるのである。またそのこども(鈴木選手の孫にあたる子)を研究するにはさらに20年以上がかかる。また最悪の場合18歳でこどもに走る意思がなくなり勉学に進まれたら、研究はそこで終わってしまう。自分のタイプでもない人と結婚したくないと言い出すかもしれない。そんなリスクのある学問に優秀な学生は向かわない。「陸上競技と遺伝の関係」という学問は「永遠の0」の学問だ。
一般に言えることは、カエルの子はカエルなのである。トンビが鷹を産むことはない。しかし、時間軸を長くとれば別の話になる。生物学は進化というものを認めている。
ラマルクの「用不用説」は「獲得形質が遺伝することで、生物が進化する」としている。生涯の間に身につけた形質(獲得形質:機能、特徴、形態など)は小さくとも子孫に伝わる。蓄積されたものはごくわずかでもその形質が何世代も続けば大きな変化となる。
ラマルクは代表的な例としてキリンをあげた。
キリンはほ乳類の中にあって、他のものと比べて首が異様に長い。それを進化で説明しようとすれば、元は首が短かったと考える。キリンの首が長いのは高い枝にある木の葉を食べようとして、いつも首を伸ばしていた。そのために次第に首が長くなり、大人になるまでには首が長く、強くなる。
そのようなキリンが子供を生めば、生まれた子供にはその形質がわずかに伝わるので、親が生まれたときよりも、その子供の首は少しだけ長くなっている(はずだ)。
キリンはそのような生活を何千年にもわたってアフリカのサバンナで繰り返していた。その結果長い年月の間に首が伸びた(と思われる)。
もし、日本が国と国民をあげて支援し、鈴木選手のこども(男の子と仮定する)が20年後、同じように女子マラソンの優勝者と結婚し、これを100年間同じような結婚が繰り返えされたら、第57回オリンピック競技大会で1時間55分の世界記録での金メダルを獲得する(かもしれない)。
しかし、人間は感情があり意志がある。学者がコントロールできるエリアは少ない。競走馬の配合のようにはいかない倫理的な問題も存在する。しかし、陸上競技の中距離やマラソンで、田中選手や鈴木選手のような世界のトップクラスの選手になれるのは、遺伝子にめぐまれていることが必要条件とはなるだろう。しかし、十分条件ではない。たとえ遺伝的優位性があってもその素質を充分に伸ばす環境に恵まれなければ、世界のトップレベルにはなれないのである。
多くの陸上選手は遺伝的アドバンテージがないが、実際はその後の環境次第でかなりのレベルの選手になれるということがしばしばみられる。
こどもは親を選べない。だから自分の生まれた環境を嘆くのではなく、トンビなら鷹になるよう爪を研ぎ降下スピードを増す練習を続けるのだ。しかし、小さいうちから自分で練習メニューをつくることは難しい。その場合、所属するクラブのコーチに任せることだ。小学生のうちは指導者の影響が大きいのは当然のことで、私達コーチの責任は重い。
生育していく環境の要因によって、カエルの子がカエルのままで終わることもあるし、カエルの子が一挙に鷹にもなることもある。
バンビーニには剣道の達人の保護者が2人いる。そのこどもがとても速い。親は陸上の経験はない。剣道の何が陸上競技に影響を及ぼすのか、礼儀か、気合いか、左足か、考えるだけでワクワクする。
第166回「うちの子に限って」(2022年2月26日)
印西のかけっこ教室において、感動的なシーンに出くわした。ある子が入会した時、腕振りを指導したことがあった。こどもはそれが恐いと思ったらしく、翌週親に「うちの子は精神的に弱いので、優しく指導してほしい」と言われた。しかし、私には強く指導した覚えがない、何が問題なのかわからない。その旨話をしたら「うちの子に限って嘘は言わない。うちの子が自分の意志で嫌だと言ったのは生まれて初めてなのです。コーチのおかげです。ありがとうございます。もう一度家で話し合ってみます」褒められたのかけなされたのか理解できなかった。
そして翌週を迎えた。「うちの子は他にやりたいことがあるようなので、今日でかけっこ教室をやめてそちらにいきたいといいます。コーチに対して自分から言いいなさいとしました。言えたら望み通りにしていいとしたのです。さ、コーチに自分の口から言いなさい」と○○に促した。「○×÷▲?」「何々、はっきりいいなさい」「絵を勉強したいのでかけっこ教室をやめたい」「なに、聞こえないよ」とお父さん。私も聞こえなかったが「そうか、わかった、頑張って」といったが、お父さんが納得しない。「もっと大きい声で」「・・・絵を勉強したいので、かけっこ教室をやめたい」と今度は父親にも私にも聞こえた。「よく言えた!!パパは○○が自分で言えたのがうれしい。コーチ、自分で自分の将来を決めてくれました。コーチ、褒めてやってください」と彼女を抱きしめ泣き出した。
出演者が観客を置き去りにし自分の演技に感動している。1人氷の上に取り残された自分はどうすればいいのだ・・次の授業の時間が迫っている、と思ったその時、父親は振り向きざま「ということで、退会の手続きは事務所に言えばいいですか?」と冷静に質問したので「はい、そうしてください」
感動的なシーンの後はコントの落ちになってしまった。
バンビーニ創成期の頃、週2回練習するなど可愛がっていた女の子が大会で記録が伸びなかった。練習時のインターバルなどのタイムは良いので、記録が出ないのが不思議だった。ある時お母さんから「コーチ、なぜうちの子は記録が出ないのですか?こどもが真面目にやっていたら必ず記録は出る、出ないのはコーチの責任だとおしゃっていましたよね!」と詰問された。「すみません、私にもわかりません。怪我か病気をしていませんか」「うちの子に限ってそのようなことはございません!」かなりご立腹で怖かった。しかし、念のために病院に行ったところ「甲状腺ホルモン異常」とのことだった。発症すると倦怠感が出て運動には不向きの病気だ。
しかし、このお母さんのすごいところはここからで、私とのコミュニケーションを深め、病院との連携を強くし、この病気を克服または軽減させてしまい、6年生最後の大会(認定試合はこれで最後という大会)でS指定どころかG指定選手にしてしまった。このお母さんとの感動的シーンは事情をよく知った家内にとられてしまったが、いい思い出となった。
同じ頃、強い選手だったこどもが弱いこどもに意地悪をしていた。自分の荷物を持たせたり、練習中わざと速度を落として弱いこどもに抜かさせ最後の10mで抜き返す。俺はお前より速いのだと見せつけるためだ。お母さんに「お宅の子はいじめをしていますよ」と注意をしたが「うちの子に限ってそんなことはありません。もしいじめられているという子がいるならば、それはコーチの指導力不足ではないのですか?!」
いじめられた子は受験勉強でやめていったので、大ごとになる前に問題はなくなった。
このように「うちの子に限って」と言うのは、自分のこどもに対し「心配することを放棄してしまう」ということだ。
こどもを信じるのは保護者として当然だが、自分のこどもの問題点に目をつぶるのは危険だ。道路に飛び出すこどもに対して「うちの子に限って事故にはあわない」という保護者はいるのだろうか。いないはずだ。事故の可能性を否定できないからだ。
だが、自分のこどもの立ち振る舞いを第3者に指摘されると、まずはこどもを信じようとして否定してしまう。うがった見方をすると自分の子育て方法を非難されたと思うのかもしれない。最近は、私のこどもの頃に比べて教育熱心な保護者が多い。しかし、熱心さは結果的にこどものために道をつくってしまうことになる。だから、道の途中でこどもが道をはずれているといっても信じようとしない。こどもが行方不明になるまでは。
こどもが成長する過程で多くのこどもは親離れする。こどもは常に直線の道を歩くとは限らないのだ。保護者にとって悲しい事実なのだが・・・
ここまで「そうだ、そうだと」と賛同して読んでくれた保護者も多いだろう。しかし、実際に自分のこどもの問題点を指摘すると、多くの保護者は決まってこう答える。
「うちの子に限って・・・」
第165回「農耕民族的狩猟民族」(2022年2月19日)
北京オリンピックが終ろうとしている。夏冬オリンピックでいつも思うことがある。
なぜ日本人は自己ベストも出せずに終わってしまうのだろうか、また大事なところでミスを犯してしまうのだろうか。反対になぜ西欧人は世界記録(つまり自己ベスト)で優勝したり、プレッシャーのかかる最終滑走で一つのミスなく演技ができるのだろうか
我々日本人は気配りの国民であることは誰もが認めるところだ。気配りとは要するに他人の目を気にしているということである。他人の目を気にするということは、他人が自分をどう思っているかと考えることになる。失敗したら自分に対する評価が下がると思い、心が荒縄で縛られ身体が委縮し競技に影響が出てしまう。いつもは練習で伸び伸び演技できるのに本番で半分の力も出せないという現象が起きる。
この現象を「日本人は農耕民族だからだ」と解説する評論家がいる。
彼らは狩猟民族と農耕民族の違いを次のように説明する。
狩猟民族は文字通り生活の基盤を狩猟に置き、森や平原、海などに生息する動物や魚を狩り、生活の糧を得てきた。彼らは一つの地に定住せずに、小集団で移動しながら生活していた。この動物を獲らなければ自分らが餓死する、と思えば狩りに対する気迫は鬼気迫るものであり、ここぞと言う際の力は最大限に発揮される。獲物のいるところは他の小集団には教えることはない(win-lose)。
一方の農耕民族は、主に河川流域に住んで麦や稲を育てて日々の生活を営んできた。作物を育てるために一箇所に定住し、河川の増水や収穫時期を知るため天文学や地政学が発達し、計画的に作物が育てられるようになった。少なくとも餓死する心配は少なくなった。
種まき、田植え、刈取りなど他の人たちとほとんど同時に行う農耕民族は共生が生き方の基本であった。他の人たちと同じように行動することが一番生活しやすく、それゆえ農耕民族は他の人々と競争することはない(win-win)。
だから、「農耕民族である日本人は、競技のオリンピックでは、ゲルマン人やスラブ人およびアフリカ人のような狩猟民族の西欧人には勝てない」と言う論理になる。
この論理は2つの命題から構成されている。一つ目の命題は「農耕民族は狩猟民族に勝てない」ということ、二つ目は「日本人は農耕民族である」ということだ。
アルペンスキーでは過去日本人のメダルは1個しかない。クロスカントリーではゼロだ。夏の大会である陸上競技では「より速く、より高く、より遠くへ」を競うスポーツで体重制も採用されていないので、これらの種目では「農耕民族は狩猟民族に勝てない」という命題は体格とパワーの違いからほぼほぼ正しいと言える。
しかし、日本人は今回の北京大会で高木美帆がスピードスケートで小林陵侑がスキージャンプで金メダルを取っている。パワーゲームの陸上競技でもマラソンやハンマー投げで過去金メダルを取っている。このことを先の評論家はどう説明するのだろうか。
説明できないのは、2つ目の「日本人は農耕民族である」という命題に問題があるからだ。
歴史から考えると日本での水田稲作はたかだか3000年の歴史しかない。日本に渡って来た祖先は12万年前の無土器時代まで溯る。その時は狩猟民族だったはずだ。長い間ナウマンゾウやニホンオオカミと闘ってきたのだ。その時間と稲作の時間を比較すれば、日本人には狩猟民族の遺伝子が身体のどこかに眠っていると考えるのが自然である。
そう考えると、「日本人は農耕民族である」という命題が疑わしいのだ。
長いおもちゃやキュウリのような太く曲がりくねったものをネコに気づかずに置いておくとそれに気づいたときネコは飛び上がって驚く。ヘビとネコは長い間捕食者と捕食対象者の関係であったので、ヘビを知らないネコが跳び上るのは本能的(遺伝的)恐怖からなのであり、遺伝子が飛び上がる行動をもたらしている。
実際こども達を長年見ていると、小学生低学年は知識が少ない(経験不足である)ので、本能的な行動をすることが多い。得意な種目ではグイグイ来る。絶対に負けないと思ったら何回でもやろうとする。恐怖心もないからどんな大会でも真面目に練習すれば、ベストで走れる。相手をいたわる配慮もないからゴールして相手を見ながらガッツポーズをする。狩猟民族の姿が見え隠れしている。
しかし、それは3年生くらいまでで4年生頃から徐々に調和の教育を受け共生の農耕民族の生活に染まってくる。だが、稀にその環境に染まらず狩猟民族の遺伝子発現が行われた日本人がいて、その人たちがさらに人一倍努力した結果、金色のメダルに辿りつけたのである。彼らは農耕民族ではなく、新しい民族(皆と仲良く生活できる狩猟民族)と言える。
バンビーニでも練習メニューの工夫(遺伝子組み換え的練習)によって、こどもたちの体内に隠れている狩猟民族遺伝子を刺激させ、「農耕民族的狩猟民族」のこども達を育てていきたいと思う。農耕民族的狩猟民族は陸上競技で1番になれるのと同時に、これから広がるデジタル社会(自ら開拓することで、新市場を独占又は寡占できる狩猟社会)の勝利者なのである。
第164回「形」(2021年2月12日)
バンビーニの最終目標は埼玉県の強化指定選手になることだ。しかし、強化指定選手になると、こども達はバンビーニの黄色いTシャツは着てくれなくなる。
指定選手になると、「強化指定選手のTシャツ」が1枚だけ購入できる。今年はピンクのTシャツで、毎年色を変えているのがミソである。
このTシャツを競技場で着て練習していると多くのこども達はこの人は速い選手なのだと判断する。昨年、他のクラブの選手と競争することがあったが、強化指定選手(昨年のTシャツはグレー)に他のクラブの選手はついて行こうとしなかった。後半バテテしまうと思っているからだ。
ある時、バンビーニのひょうきん者のE男がこのTシャツを借りて走った。E男は真ん中ぐらいの選手で強化指定にはほど遠かったが、他のクラブの選手は彼の飛出しについて行かなかった。しかし、半分を過ぎてからは他の選手に実力を見透かされ抜かれてしまった。E男も半分以上先頭で気持ち良かったせいかタイムはベストを出した。
このこどもたちの様子を見ていて、菊池寛の短編小説「形」を思い出した。
あらすじはこうだ。
「中村新兵衛は、槍の達人で、身につけている陣羽織と兜を見ただけで敵が恐れおののくほどであった。新兵衛は、初陣に出る若武者からその陣羽織と兜を貸してもらえないかと頼まれる。守役だった新兵衛はその頼みをこころよく受け入れる。 翌日の戦いで、新兵衛から借りた陣羽織と兜を身につけた若武者は、大きな手柄を立てる。しかし、新兵衛自身はいつもと違う「形」(陣羽織と兜)をしていたため、勝手が違っていた。いつもは虎に向かっている羊のような怖気が敵にあった。彼らが、狼狽、血迷うところを突き伏せるのになんの雑作もなかった。今日は、彼らは勇み立っていた。敵は、相手が中村新兵衛とは思わず、怖じ気づくことなく、十二分の力を発揮し、新兵衛はいつも以上に奮闘したにもかかわらず、破れ、命を落としてしまう」
ある人が、一生懸命努力し、高い能力をつけ、結果を出したとしても、その結果を目に見える形に変えておかなければ、他の人にとっては、その人がどれだけの力を持ち、成果を残した人なのか、初見で認識することはできない。この小説の主人公であるところの中村新兵衛にとっては「猩々緋(しょうじょうひ)の陣羽織」という「形」が威圧感の源となり、そこから生まれる雰囲気、イメージ、空気の力を借りて、戦場において大いに勇を奮うことができたのである。不幸なことに、当人がその事実に気づいたのは、絶命する直前だった。
情報が溢れている現代では、ほとんどのこどもは自分より速い子の過去の実績という威圧に簡単に負けてしまう。強いチームの黒いユニフォーム、青いユニフォームを見ただけで「強いチーム=速い選手」のイメージで「やはり実力が違う」と思い諦めてしまう。最初の飛出しで彼より前に出ても「いつか抜かれる」とビクビクして走ることになる。これでは勝てない。
ライバルの子と練習が出来たなら、一緒に練習していくうちにインターバルの1本でも勝ち、次に3本勝つようになると、それがいつしか自信につながっていく。過去の実績という「形」はその子の頭からは徐々になくなっていく。
コロナ禍の今、ライバルと練習する機会はほとんどなくなったので、OG,OBを利用し、彼らを仮想ライバルとして心に焼き直しして練習に臨んでほしい。
強化指定のTシャツほどの効果はないにしても、こどもたちの活躍によって、バンビーニのオレンジのユニフォームを着ているだけで他のクラブの選手に勝てる日がきっと来る。バンビーニというブランド(形)が形成されれば後輩たちはアドバンテージがもらえるのである。
いつだったか日経新聞は、ブランドとは「顧客のあこがれを引き受ける存在」と定義していた。ルイヴィトンやロレックスのイメージは長い年月がかかっているが、陸上競技においては3,4年で認めてもらえることがある。だが、逆にその権威は翌年消滅することがあるのも事実である。
野球のPL学園をはじめスポーツでの「形」はあっという間になくなってしまうものだ。今後も心して精進していかなければならない。
第163回「待合室」(2022年2月5日)
午前中薬をもらいにかかりつけの診療所に行った。若い時の放蕩のつけだ。この時間帯労働力人口はいない。地域に残っているのは60歳以上のジジババだ。彼らがそれぞれの思惑で集まってきている。
待合室は誰も声を出す者がいない。知らない者同士の集まりだ。また、クラッシクを流しているが、半分は聞こえていないと思われる。
診察室からから出てきた看護師が「さとうまさおさん!」と呼んだ。
3人が立ちあがった。「えっ」と無関係な間柄だが、我々全員が驚いた(1人を除いてだが・・・)。
「あの、お名前は?」1人の白髪の男(全員老人なので以降男と女と表現しても問題ないと思う)に看護師は聞いた。「私がささきまさしです」「いえ、さとうまさおさんをお呼びしたのですが」「そうか、聞き違いか」(全員心の中で「『さ』しかあってないだろう!」)
あらためて看護師が「さとうまさおさん」と呼んだ。「はい!」と女が手を上げて答えた(全員「えっ、なぜあなたが?」)。
「私がさとうまさこです」看護師「さとうまさおさん、男性をお呼びしていますので、非常に近いですが、お間違いかと思います」
さらに看護師が立ちあがっている3番目の男に「あなたがさとうまさおさんですね」と尋ねた。「はい、私が『かとうまさお』です」と得意げに答えた(全員心の中で「さとう、といったでしょう」)。
もう一度大きな声で呼びかけたら、看護師の目の前で競馬新聞を見ていた男が、落とした赤鉛筆を拾おうとして、自分が呼ばれていることに気が付いた。本人が一番自分の名前に無頓着だった。
耳を澄ませるとモーツアルトの「きらきら星協奏曲」が流れていた。
消毒もせず診察券を出して座った男に「田中さん、健康保険証は出しましたか?」と看護師が聞いた。「出したよ!何言ってるの?最初に出したでしょ」看護師は逆らうことなく受付に戻って健康保険証を探し始めた。「やっぱり診察券しか出してないようですが・・」
「何言ってるの?じゃ、俺がぼけているとでもいうの」
「いや、そのようには・・・」「じゃあ、俺の財布を見てよ。診療所に来るときはいつもこの中に入れて来るのです~。ほれ、ないだろう、だから受付に出したのに決まっている」看護師が財布を覗きながら「ああ、ありました。このブルーのものです」「なに?これか。それならそうとキチンと言いなさいよ。俺は診察券だと思ったよ」(全員「最初から保険証と言ってたぞ!」)
BGMはモーツアルトのレクイエム「怒りの日」に代わっていた。
3回目のワクチンの予約を取りに男が入ってきた。受付にフーテンの寅さんの調子で、「忙しいか?医療従事者も大変だね。今日予約申し込みに来たよ。俺エッセンシャルワーカーだから、優先してね」「車の運転手さんですか?」「いや、違うよ。お風呂の時に花王の『エッセンシャル』を使っている労働者だよ。アハハハ」(全員固まる)
看護師が予約表を持って男のそばに来た。「では、お名前からおっしゃってください」「綾小路です」(全員「えっ?」)「綾小路こと小林八十二(やそじ)だよ。知ってる?俺の爺さんが銀行の頭取でその銀行の名前を取ってつけた名前だって」
看護師は嫌な顔をせず「はい、綾小路小林さん、ではいま一番近い日にちで言うと2月7日になります。この日でいいですか?」「いいね、バッチグーだよ」「11時でよろしいでしょうか」「その日は先勝だ。とってもいい時間だね。あんた、俺に気使っているな」「じゃ、それで」と予定表に小林八十二の名前を書いた。看護師が受付に戻るため3歩歩くと「ちょ、ちょっと待って。その日は友達の葉子ちゃんとカラオケに行く約束をしてたっけ、ダメだな」
「わかりました。では、いつがよろしいでしょうか。次に一番近いところでは、8日ではいかがでしょうか」「いいね、ドンピシャいいね」「ではお時間も11時でよろしいですか」「任せるよ」看護師が予定表の8日の欄に小林八十二と書いて受付に戻ろうとして、5歩歩いたところで「ちょちょっと待って。その日は岸田総理と会食があるんだっけ」(全員小林八十二に耳目を向けた)
看護師が「綾小路小林さん、どこで食事するのですか?」「北浦和の丸福だよ。」(全員、「えっ、お忍びで」)「綾小路小林さん、本当に岸田首相ですか?」
「いや、岸田総理だ。本名岸田弥太郎で昔はキシちゃん、キシちゃんと言っていたんだが、岸田文雄が総理になったのであだ名を岸田総理に今年から変更したんだ」(全員「やぱり」)
「わかりました。では2月9日でどうですか」「そうだね。でも、その日は先負だから午後がいいね」「では、2月9日15時で予約を御取りします」「うん、お願い」看護師は慎重に7歩歩いたところで戻る足を止め、一瞬小林八十二の方を振り返った。
音楽はドボルザークの「新世界」が終ろうとしていた。
私は小学生を相手に陸上クラブを運営していて、言うことを聞かない、あるいは言っていることが分からないと、事あるごとに嘆いて来たが、ここの看護師に比べれば今の苦労は苦労ではないことがわかった。
そう気づいた時、ベートーヴェンの「喜びの歌」が静かに流れ始めた。
第162回「普通の女の子に戻りたい」(2022年1月29日)
今回は、バンビーニの「普通の女の子」であった2人を紹介したい。
1人目は、バンビーニの入会時は4年生で、身体を動かす程度にしか考えていなかった永尾志穂である。新郷東部公園で練習をしていた頃は当時の先輩や同期の女の子には到底かなわなかったし、本人も勝てるとは思ってもいなかっただろう。当時は楽しければよかった。
越谷市選手権での1000m4分10秒16が4年生でのデビュータイムであった(2019年7月28日)。9月22日の草加選手権でも1000m4分14秒57であったので、この頃の実力は4分10秒前後だった。
練習場所を2019年10月23日から舎人公園陸上競技場に移したことで練習のレパートリーが格段に増えた。新郷東部公園の手探りの走りと違って、照明のある競技場で決められたペースでたくさん走れたのだが、コロナの感染拡大から2020年の大会は秋のほんの短い期間しかなかった。2020年11月14日越谷カップで3分39秒29をだしたが11月28日の日清カップでは3分43秒39に落ちてしまった。この頃の実力は3分40秒前後といえる。
もう少し速くなりたいと言って、5年生の2020年12月から日曜日クラスにも参加し週2回の練習に増やした。この日曜日練習が効いた。速い選手と競うようになって発芽したのである。今でこそ皆を代表して練習の軽減を訴えに来るが、当時は黙々と練習をこなしていた。練習の時は毎回精根尽き果てるまで走った。
コロナ対策が緩和された昨年2021年にその成果がいかんなく発揮されたのである。
2021年3月27日越谷市記録会で3分27秒08と第一関門の30秒を切り、5月1日の第1回不破杯も3分27秒72で、この頃の実力は3分27秒前後になっていた。
6月26日新座市記録会では3分23秒06までタイムを縮め、ついに8月29日のチャレンジトライアルで3分19秒74、S指定を獲得した。1年間で20秒、2年間で50秒縮めたことになる。
もう1人は1月8日放送の「炎の体育会TV」に出た木原來南(くるみ)である。
志穂より1年遅く入った來南は入会後しばらく寡黙な子で通っていた。昨年春ある事からブレークした。お地蔵様が雲雀(ヒバリ)に変身したのである。もうピーチクパーチクしゃべるしゃべる。しかし、そのことが彼女の原動力となった。
志穂と同じ大会で比較すると2020年11月28日日清カップでは3分46秒69であったが、2021年3月27日越谷市記録会で1000m3分30秒14、5月1日第1回不破杯で1000m3分27秒14、そして夏を過ぎ涼しくなった10月24日、小学生クラブ交流大会で1000m3分19秒45を出してS指定選手になった。1年間で30秒近く縮めたことになる。
2人に共通しているのは練習に対する「真面目さ」である。大人のように我慢強い。このひたむきな努力で、年間で20秒、2年間で50秒(あるいは1年間で30秒)を縮めることができる子は「普通の女の子ではなかった」のかもしれない。
しかし、何もしなければ2人は今も「普通の女の子」だったのだ。このような伸び代が大きいこどもに今後何人会えるのだろうか。
ティモンディ高岸の「やればできる」ではないが、要は成功するためには、目標に向かって頑張る気持ちをずっと維持できるかどうかなのだ。練習をパーフェクトにこなせれば、後はコーチの私の責任だ。
以前、この子らが指定を取ったら泣いちゃうだろうなと家内と話をしていたが、あれよあれよとタイムを縮め、指定タイムを突破するのは確実視されるようになった。指定タイムを切った当日も他のこどものアップに気を取られ、放送でタイムを知ったのであった。泣く準備をしていたのに、抱きしめたかったのに、合格発表の掲示板を見る前に先に見に行った友人から「入山、受かってたよ」と言われたようなものだ。
目標を達成した今、もう走りたくないかもしれないが、君たちが「普通の女の子に戻りたい」と思うのはまだまだ先の話だ。これまでの一生懸命さは認める。しかし、女性アイドルグループのキャンディーズがそう思ったのは、平均3時間くらいの睡眠で年間休みなく唄っていた4年間があったからだ。キャンディーズの追っかけであった私から言わせれば、キャンディーズに比べたら努力はまだまだだ。
君たちは2年間の厳しい練習をこなしたせいか、「春一番までは年下の男の子(篤人)には負けないと思っている。今中学生活を占っても、なかなかハートのエースは出てこない。自分の魂を売ってでも速くなりたいと思った時現れたやさしい悪魔は、よく見ると微笑み返しをしている。暑中お見舞い申し上げる頃までは一層の努力が必要になる。中学でもしばらくは何もしなくても速いだろうが、それはやさしい悪魔のわなだ。アン・ドウ・トロワ、新たな気持ちで中学の陸上部の練習に励んでほしい」
第161回「ルビンの壺」(2022年1月22日)
皆さん、この絵は何に見えますか?
これは認知心理学における有名な「ルビンの壺」である。2つの絵が描かれている。一つが壺、もう一つは2人の顔である。
通常は白い「壺」を見たときは、黒い顔が見えない。黒い「2つの顔」を見たときは、白い壺が見えない。ルビンの壺では白地(つまり壺のように見える部分)を図(*)として認識すると、黒地(つまり2人の横顔のように見える部分)は地(*)としてしか認識されず(逆もまた真である)、決して2つが同時には見えない。*)1つのまとまりのある形として認識される部分を「図」、図の周囲にある背景を「地」と呼び、認知心理学は「人間は図と地の分化によって初めて形を知覚する」と考えている。(ウイキペディアより)
人間は,一度こうだと「思い込む」と,ほかに何も見えなくなってしまうことがある。恋愛中の相手は清廉潔白でこの世の中で最高の人だと思う。だから後先考えず家を売って街中のバラを女性に捧げたという男も出てくる(加藤登紀子「100万本のバラ」)。
「思い込み」を一度取り去って,あの人は「こんな人だ」と決めつけないようにすることが大切だ。
人には多面性がある。自分にとって,「嫌だなあ」と感じる面もあるが、つきあってみると実はいい奴だったということがある。
このことは,自分自身のことについても同じことが言える。自分は勉強ができないとか,運動が苦手だとか,思い込んでいる子がいる。苦手だと思っていたことも,挑戦してみると案外簡単だったり,楽しくなったりすることがある。そうなれば、新しい自分を発見することができる。「できない」と思い込まないで,あきらめずに,いろいろなことに挑戦することが大切だ。
バンビーニのA子は100mで埼玉県1位で全国大会に出るほどの実力派短距離選手であるが、5年生のG指定には手が届かなかった。持久力もある選手なのでためしに全国大会以降長距離クラスに籍を移して練習していたところ、600m走でG指定選手になった。この冬はジャベリックボールも始めた。自分の隠れた才能を見つけようと努力しているし親の理解もあるので、この子は100mだと決めつけない指導にこころがけている。
ルビンの壺の教訓は「同じモノを見ていても、人によって見え方が違う」ということで、「ある人にとっては人の横顔に見えて、ある人にとっては壺に見える絵だが、人の横顔にも壺にも見える絵である事は間違いない」のである。それなのに「ルビンの壺の絵は壺にしか見えない絵であり、人の横顔に見える事はありえない」と言ったら、それはその人の見え方、考え方がおかしいのである。
発達障害の子は「ルールはルールだ」として決して譲らない。学校の玄関から学童の玄関までコースも並ぶ順番も決められた通り歩く。誰かがふざけて順番を変えようものなら鬼の形相で怒る。出勤途中の私が話しかけても、ギョロ目で睨まれる。歩く時は黙って歩くルールだからだ。世の中は「There is no rule but has exceptions.」なのだが、彼にとってはゆるされない考えなのだ。
たんにどっちに見ても自分には害の及ばない「ルビンの壺」のような例の場合には「見方を切り替える」ことは比較的簡単だが、人生観や理論などそこに自分の善悪感情や利害が絡んでくると、相手の見方を認めると自己否定になったり、自分の利益が損なわれたりするので、おいそれとそれを認めることができなくなる。
スポーツ界でもよく見られる行動である。長距離が強くなっているクラブには「小学生から心拍数の上がる練習はよくない」と非難する人がいる。「毎日練習しているわけではないので、ある程度才能を発芽させるには刺激が必要だ。粘り強い精神は低学年から養う必要がある」との意見は無視する。心拍数を高める練習は邪悪なものでこどもの成長を阻害すると主張するコーチは「スキャモンの発育曲線」をバイブルとしているが、その理論を裏付ける自分なりのエビデンスがどれほどあるのだろうか。
さて、皆さんにもう1枚絵をお見せします。さて、今度は何に見えますか。
ヒントはこの絵の題名が「少女と老婆」。若い時は老婆もすぐわかったのだが、いまはなかなか見つけられない。気づいても明日になればまたわからなくなる。老婆を認識するまで時間がかかり、老人性発達障害になっているようだ。そういえば最近頑固になったと息子に言われている。
第160回「私と一緒に逃げて!」(2021年1月15日)
学童でこどもと遊ぶ時、男の子は私に戦いを挑んでくることが多い。「ダブルキックアタック」とか「○*△÷♯▲?$」とか言って蹴りを入れて来るが、足の長さを考え一定の距離を設けていれば当たることはない。こどもに距離感はまだない。漫画チックだが頭を手で押さえていれば拳が私に当たることもない。だからこどもたちは私に勝てるわけがない。
タイマンの時(対峙している時)、何も動きがないのに「今だ!」といってかかってくる。何が「今」なのか聞いたが、テレビでそう言っているからだと言う。
ドッヂボールの変形で、制限枠がなくどこまで追いかけてもいい“メチャぶつけ”をすることがある。この時は柔らかいボールでもあるので、こどもには思いっきり当てる。手加減はしない。跳ね返ったり外れたボールを私が取りに行くことはない。必ずこども達が走って取りにいく。そのうち僕の方が早く取った、いや僕のが先だ、ということでもめる。その時はボールを思いっきり高く上げて3度弾んだら取っていいことにする。2人は競うが、取られた方はぶつけられるから一種のチキンレースで、気の弱い方が負ける。
ある時H子が「入山先生!私と一緒に逃げて!」と叫び、血相を変えて私の手を取り走り出した。その勢いは何か暴走車が来たのかと思うほどだった。「私が隠れるところを知っているから、早く早く」屋外バスケットコートのバスケ台まで連れて行かれた。「ここなら安心、R男らが入山先生を泥団子で攻撃しようと準備しているのを見たの。私から離れないで、私が入山先生を守るから。ずっとここにいてもいいのよ」
H子だけが私を「イリ」と呼ばす、入会以来ずっと「入山先生」と呼んでいる。よく見ると砂場の砂を水で固めた泥団子を両手に持った悪ガキたちが私を探している。バスケ台には衝撃を緩和させるラバーで覆われているので方向によっては彼らからは見えない。H子はそこから離れて間合いを見ている。「入山先生、左から逃げて!」と叫ぶ。H子は一生懸命なので、寺田屋事件で襲われた坂本龍馬がお竜(りょう)に促され逃げているような気分になった。
雨降りの時は室内でゲームやけん玉などをするが、それに飽きたR男が私に「イリ、何か遊ぼう」と言って寄ってくる。私はトランプのスピードやオセロが好きなのだが、こどもが寄って来ればまずはそちらを優先する。
静かにかつ動きのあるものといえば、「真剣白刃取り(しんけんしらはどり)」がいい。手刃をこどもの頭に振り下ろす、こどもは両手でそれを挟み込む。うまく挟めたらこどもの勝ち、頭に私の右手が当たったら私の勝ちだ。だいたいが私のスピードについていけない。手が間に合わないので、そのうち頭に手を置いてやるようになった。頭に当たっているのに事後手を添えることができるので、「イェイ」と言って勝ったつもりでいる。「お前、今頭に当たっただろう」「いや、当たってないよ」彼の頭に当たり続けるので逆に私の手が痛い。相当な石頭だ。何しろ私は手加減をしない大人なのだ。R男はその後も永遠にやろうとするが、18時だ、帰らなきゃ。
翌日も雨だった。R男がニコニコしながら私のところにやって来てこう言った。
「イリ、またやろうよ、あの『新年白髪取り(しんねんしらがどり)』」
第159回「スポーツ選手は引き算が苦手」(2022年1月8日)
携帯電話は機能がたくさんあり決済機能も付くようになっては、手放せない存在となった。もう通話とメールだけでは売れないであろう。その点では携帯電話は足し算の産物であるといえる。
一方で足し算ではなく引き算で成功した商品もある。
その筆頭はソニーのウォークマンであろう。
当時のテープレコーダーは、まず録音ができてそれを聴く、というのが常識だった。社内からは、録音機能の無いテープレコーダーは絶対に売れないと反発されたが、創業者で当時の名誉会長の井深大と会長の盛田昭夫が押し切る形で生まれた。
いざ販売してみると、不安の声に反して、ウォークマンは空前の世界的大ヒットとなる。1号機の発売後13年で累計1億台を突破した。
顧客が求めた価値は「録音ができること」ではなかった。「外出中でも音楽を楽しむことができる」「いつでもどこでも好きな音楽を聴ける」という価値だったのである。
ポイントになるのは、引きをしたときに新しい価値が生み出されることにある。もし、新しい価値が生まれなければ、それは「引き算」ではなく、単に「無駄を省いた」ものに過ぎない。「機能」を引き算をしたが、これによって生み出されたのは「新たなライフスタイル」だった。
この他にも「アイスクリーム専用スプーン」「卵かけご飯専用醤油」のように用途の引き算が、商品の「価値」を高めたのである。
陸上競技では、速くなる子の多くは自主練をしている。そうでないと速くならないのだが、問題点がある。スポーツ選手は引き算が苦手なのだ。調子が悪くなると練習量を落とすのではなく、逆にもっと増やしてしまう傾向にある。調子の悪いのは「走り込み」が足りないからだとか、ライバルに後れを取るのはスピードが不足しているからで、もっと「スピード練習」を増やさなければならないと思うのだ。小学生の場合、多くは保護者がストイックな性格をもっており、後押しをしているか、率先してやらせている。
私も昔は365日走らないといけないと思っていた。ニュージーランドのリディアードやオーストラリアのセルッティの理論に心酔していたからだ。私もご多分に洩れず調子が悪いと練習量を増やした。そのため疲労が抜けないままシーズンが終わってしまった。毎日がだるかったのである。当時瀬古選手が1ヶ月1000km走っていた時代だった。
成功した選手からすれば練習を重ねていたからだと声高に言うだろう。そうすると自分はまだ努力が足りないと思う。だから練習量を増やす。
今から思えば、毎日練習することが譲れないのなら、走り込みではなく短距離の練習でもよかったし、バスケや水泳でもよかったのだ。目先を変えた練習が必要だった。当時は「走り込み」という言葉が呪縛となっていた。
バンビーニには今故障で離れている有望な選手たちがいる。故障を見抜けなかった私の責任である。この子たちは思い切って練習を休んでいるが、そろそろ帰って来る。今度は、「走り込み」の呪縛から解き放し、引き算を取り入れた練習も実践していきたいと思う。つまり長距離だけでなく短距離的な練習も加えたい、と書くと「加えたい=増やす」と読み解かれてしまうので、正しくは「長距離練習の量を引き算し、その分走る距離は減るが、他種目の練習を取り入れることによって力をつける」ということだ。思い切って完全休養の日をつくり、怪我をさせずに育てることに心がける。実力が上がるにつれて第二コーチの保護者との連携がますます必要となってくる。力がついて来たこどもたちに引き算をしてあげるのは大人の責任である。
第158回「日の丸弁当」(2022年1月1日)
冬休み、学童のこどもらとお昼ご飯を食べる機会があった。私が違和感を抱いたのは、黙食もそうだが、問題はその食べ方だ。
ご飯とおかずを別々に食べる子が2/3を占めるのだ。私などはご飯におかずを乗せて一緒に食べるのが普通だと思っているので驚いた。おかずを先に平らげる派とご飯を先に平らげる派がいて、見ていると半分半分だった。両派ともその大きな順番は変わらない。ご飯だけでよく食べられるなと思う。しかし、おかずは残す子がいるがご飯を残す子はいない。
私が小学生のころは給食制度が今ほど確立されていなかったから、お弁当になることも多かった。当時の児童の多くはおかずと一緒にご飯を食べた。私のお弁当箱は蓋を開けると蓋の裏側には赤いものがべっとりついていた。おかずのウインナーの着色料のせいだ。卵焼きは必須だが、野菜炒めも時々入る時がある。
コロナ時代の今では信じられないが大声でワイワイガヤガヤと食べていた。ご飯粒が飛んでくることはしょっちゅうだった。先生は注意することなくニコニコ笑いながら食べていた。
ふと左隣のT子を見ると、アルマイト製のお弁当箱の蓋を45度の角度で開けながら、隠すように食べている。何を食べているのだろうと見ると、白いご飯の真ん中に赤い梅干しがあるだけのお弁当だ。日の丸弁当だ。T子の家が貧しいことは薄々聞いていたので、お喋りで無神経の私も何も言わなかった。見て見ぬふりをしていた。しかし、ご飯だけで美味しいのかなぁと思いつつも、私はウインナーを美味しく食べた。「うまい、うまい」が当時の口癖であった。T子には酷な言葉だったに違いない。
T子は貧しかったのかもしれないが、勉強はできた。ある時社会で先生が質問をした。アメリカの初代大統領は誰でしょうと。10人くらいが手を上げた。私は分からなかったが、知らないと思われるのはシャクだから、どうせ当てないだろうとあとから「ハイハイハイ」と手を上げた。誰よりも大きな声で、まるで俺は知っているから俺を指せば答えるぞとの勢いであった。先生はその勢いに負けたのか私を指した。いつもは指さないのになんで知らない時に指すの?勢いは急速にしぼんでしまった。「あの、その・・・」知らないのか思い出せないのか皆が判断するギリギリのタイミングで横からT子が「ワシントン」と小声でささやいた。T子は知っていても手を上げる子ではなかった。ワシントンかワトソンかわかないがとりあえず神の声と思い「ワシントン」と答え、なんとか笑われずに済んだ。
その日のお弁当の時、T子に「礼だ」と言ってウインナーを1個上げた。T子は固辞したが「それじゃ、俺の気が済まない」とこれまた勢いだけで受け取らせた。T子は1個のウインナーをちょびりちょびり歯で刻みながらお弁当を食べていた。いつもに比べておいしそうな顔に見えた。
次のお弁当の日の朝「母ちゃん、ウインナー美味しいから4個にしてよ」とおねだりした。
弁当の時間、「T子、俺ウインナー嫌いなのに、俺の母ちゃん好きだと勘違いして4個も入れてきた。笑っちゃうよね。到底食べられないので、お願い、2個食べて」と今度はお願いの姿勢で受けとらせた。前の時と比べて歯で刻むウインナーの小片が倍になったように見えた。
それからT子は休むことが多くなり、まもなくいなくなってしまった。夜逃げしたとの噂が立った。夜逃げとはどういうものかわからなかったが、決していいものではないことはこどもながらも感じていた。
いま学童のこどもが白いご飯だけをおいしそうに食べる姿を見て、T子に取った対応は間違っていたのではないかと思うようになった。あの時の家庭環境においては彼女なりに美味しいお弁当だったのかもしれない。
日の丸の国旗を見るたびにT子のことを思い出す。今頃は孫のお弁当作りに創意工夫していることだろう。
今年もよろしくお願いします。
第157回「さよなら」(2021年12月25日)
バンビーニでは6年生は12月でいったん卒業としている。大会もなくなり燃え尽き症候群の子もいるし、他の手習いに重点を移す子もいる。それでは、1月、2月の冬期トレーニングはこなせないだろう。これまで一緒に練習してお互いの熱いこころの状況から「やめます」とはいいにくいと考え、やめるキッカケになればと12月を卒業としている。8月の暑い時はまだまだこの子らと離れることは考えてもいなかったのに、もう12月。名残惜しいが「さようなら」だ。
アメリカでは「さようなら」を表す言葉は「Good bye」で「God be with you」(=神はあなたとともに)の短縮形だ。神に相手の無事を願う別れの言葉を意味する。
ヨーロッパの「さようなら」はフランス語の「アデュー」やスペイン語の「アディオス」があるが、二度と会えないような深刻な別れの時に使うらしい。語源が十字軍遠征の際に述べた「神のもとへ」だからだろうか。
「さようなら」という日本語の語源は、実は世界中で珍しい「接続詞」だという。竹取物語や源氏物語では「さようならば」という接続詞は別れの場面で多く使われ、そこで、後世「さようならば」=別れの言葉というイメージが出来上がり、現代では「さようならば」の「ば」も省略され「さようなら」となり独立語になった、と鎌倉女子大学の竹内整一教授は、述べている。
日本人は神との関係からなどと大袈裟な観点からではなく、「別れ」を「いったん立ち止まって、今までのことを確認し、次のことへ進むための節目とする」と考えている。
状況や背景は個々によって異なるが、1例としてあげるなら、結婚40年、熟年離婚に至った夫婦の「さようなら」は、「いやいや何とかやってきたけれども、あなたは全く変わろうとしなかった。さよう(である)ならば、明日からはそれぞれに人生を楽しんでいきましょう。」という意味が込められている。もし、今家内に「さようなら」と言われたら、私はそれこそこの世と「さようなら」だ。だから、「ねえ、ちょっと!」と呼ばれるとギクッとする。おそるおそる居間に行くと、「ゴミ捨ててきて」と言われ、嬉々として捨てに行く。
高校生になればスランプも経験するだろう、勉学に苦労し、恋愛に悩むこともあろう。自分でブレークスルーできない時はまたバンビーニにおいで、待っている。12月で「さようなら」だけど、二度と逢わないと言っているのではない。薬師丸ひろ子がかつて「セーラー服と機関銃」で「♪さようならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの 遠い約束♪」と唄っていた。私は気の利いた言葉もかけられないだろうが、人生の「雨宿り」の場所として、気が晴れるまでいていい。
皆が追いつき追い越せと目標にしてきた子がいた。2度も差し切られ涙の2位の子もいた。努力のカガミの子がいた。バンビーニの大黒柱として支えてくれた万能のキャプテンもいた。長くなるとさらに強くなる長距離馬がいた。勉強の合間に練習に来て強化指定をとった根性娘もいた。野球がうまいため陸上の大会に出なかった男の子がいた。短期間で強くなったうえ皆となじむのも記録的短時間で実現した子もいた。あと1ヶ月早く入部したら指定選手になれた超明るい6年生がいた。
君たちと練習した時間は楽しかった。
再び逢うまでの 遠い約束・・・「さようなら」
第156回「G線上のアリア」(2021年12月18日)
ドイツの作曲家J・S・バッハの管弦楽組曲第3番の第2曲は、別名「G線上のアリア」(*)と呼ばれている。
*)ドイツの作曲家J・S・バッハの管弦楽組曲第3番の第2曲を、アウグスト・ヴィルヘルミがヴァイオリン独奏用に編曲したもの。原題《Air》。名称はヴィルヘルムが原曲のニ長調をハ長調に移調し、ヴァイオリンのG線(ヴァイオリンには4本の弦が張られていて、音の高い順にE線、A線、D線、G線と呼ばれる)のみで演奏できるよう編曲したことに由来する。アリア(叙情的なメロディーをもった歌の形式)をヴァイオリンのG線のみを使って演奏することが可能なため、こう呼ばれる。(ウイキペディアより)
先日の駅伝において、6人のこども達が一つの目標に向かって練習をし、レース後の一体感を味わったのは、「G線上のアリア」の演奏と同じようだった。
終わってみれば、学年も男女も異なる選手たちが、たった1本の弦(タスキ)の上に集まり、ひとつの曲(駅伝協奏曲)を奏でていくようなそんなイメージだった。指の押さえる位置によって圧力によってメロディーをG線上で表現していくのが「G線上のアリア」であるが、駅伝でも適材適所にこどもたちを配置すれば、ヴィルヘルミが意図したような旋律となり、ワクワクドキドキする。今回1秒差で逃げ切ったバンビーニの保護者の方は、胸が締め付けられるような最終楽章だった駅伝協奏曲を堪能してくれたと思う。
1870年代、この演奏方法(「G線上のアリア」)は、ヴァイオリンは4つの弦で弾くものと思っていた人達には目新しいものに映ったはずだ。
もし、強引にこども教育を4つの視点で考えるとすれば、次のようになるであろう。勉強をE線(Education)、自分で判断し行動できることをA線(Action)、しつけをD線(Discipline)、全力で物事に打ち込めることをG線(Gallop)とすることができる。
教育はそれぞれの親によって微妙に重点の置き方が異なる。小学生の親なら、ヴァイオリンが美しく弾けるためにバランスよく各弦に通じた練習を行うように教育していることが多い。しかし、駄洒落ではないが、人生はG線だけで生きていくのでもいいのではないかと思う。私は子育てを卒業しているから無責任に聞こえるだろうが、経験上こういう結論になった。一つのことに打ち込めたらノーベル賞も獲得できるし、野球の大谷選手にもなれるのだ。中華も蕎麦もオムライスも寿司も提供できる食堂は便利だが、味はすべて並み以下であることが多い。
大谷選手が野球でなくサラリーマンだったらまだ係長にもなっていないだろうし、藤井君が棋士にならなかったら、ボーとした大学生だっただろう。1本の弦(G線)だけでは人生は窮屈かもしれない。でも自分の好きなことに全力投球できる集中力があるならば他人よりすぐれた能力が開花し、大谷選手のように世界中から注目される選手となる。野球のように週5日できるものではないので、陸上競技はなかなかお金の面で魅力あるスポーツに発展しないが、オリンピックで金メダルをとるものなら一生歴史に残るだろう。野球において2015年のパリーグの首位打者の名前を言える人が何人いるだろうか。藤井棋士、羽生棋士以外の棋士の名前を何人の人がどれだけの名前をいえるだろうか。しかし、1964年東京五輪のマラソン金メダリストのアベベ(エチオピア)選手のことは、年配の日本人で知らない者はいない。
私がことあるごとに、陸上において才能があると言っても、保護者は半信半疑だし、「スポーツのコーチなら、大多数がこの子には野球より陸上競技を選ばせる」と言っても「本人は野球が好きだ」と言って陸上1本化に同意しない。
ハンカチ王子が絶頂の時に、彼とマー君を選ぶとしたらどちらがいいかと質問したアナウンサーに対して、間髪を入れずに「マー君」と答えたのは野村監督だった。野村監督を含めプロの評論家のほとんどがマー君であった。あれから15年、結果はご存知の通りとなった。
もうバンビーニを卒業するので、インターバルにおいての彼女へのエールもこれが最後になるが、今一度「G線上のアリア」を聞いて1本の弦だけで演奏する価値を確認してもらえればと願っている。才能はなくならない。問題はある年齢までにその才能を発芽させられるかどうかだ。それを過ぎると人間の場合、才能が開花しないで一生を終わってしまう。
第155回「走れメロス」(2021年12月11日)
人間不信となり、こどもは皆サボるものであるとの偏見から過酷なトレーニングを課している暴君コーチ、ディオニス・イリヤマが、駅伝は8位入賞が精一杯と言っているという話を聞き、メロス・ワタナベは激怒した。あれほど練習して8位で終わるわけないと。
メロスはコーチに意見を言うため、意を決して熊谷競技場に侵入するが、あえなく警護係に捕らえられ、ディオニスのもとに引き出された。
人間など私欲の塊だ、他人の為に走るなんて信じられぬ、と断言するディオニスにメロスは人を疑うのは恥ずべきだと真っ向から反論した。当然反抗の代償としてのペナルティは2倍の練習量を課されることになるのだが、メロスは親友のセリヌンティウス・ヒデト・シノキを人質にし、シホ、ルイ、ウタ、イツキ、クルミにベスト記録を出させ、ディオニスが予想していない駅伝3位で帰って来るから、大会終了までのペナルティの猶予を願う。ディオニスはメロスを信じず、3位になるなど根拠のない自信に過ぎず、かつ通常の倍の練習ために再び戻って来るはずはないと考えた。セリヌンティウスを見せしめに400mx30を課して人を信じることの馬鹿らしさを証明してやる、との思惑でそれを許した。熊谷競技場に観戦に来ていたセリヌンティウスはメロスの願いを快諾し、縄を打たれる。
メロスは急いで練習場に行き、誰にも真実を言わずアップを行い、皆には全力を尽くすように声をかけた。シホからルイへ8位でたすきを渡し、ルイは強豪ひしめく中9位で戻り、引き継いだウタは前半を慌てることなく走り、後半一挙にごぼう抜きして3位まで順位を上げてイツキへ、イツキは激戦の中3位をキープしクルミへ、クルミは区間賞争いを繰り広げ、それぞれの役割をはたしてメロスにタスキをつないだ。
アンカーとしてメロスは3位入賞に向けて走り出した。余裕で到着するつもりが、500mで足に痙攣、700mでは他の走者と接触事故が起きたり、折り返し地点では曲がる際捻挫をするなど度重なる不運に出遭った。足の痙攣を抑え、接触でのロスを取戻し、捻挫の痛みに耐え必死に駆けるが、無理を重ねたメロスはそのために心身ともに疲労困憊し一度は競技場に戻ることをあきらめかけた。このままセリヌンティウスを裏切って逃げてやろうかとも思った。しかし、コースにいる仲間の応援が背中を押してくれた。自分がここまで強くなったのにはシホの努力を見て来たからだし、練習ではクルミの後について行ったからだ。夏の暑さでふらふらになった時、ふと水を差しだしてくれたルイのやさしさがあったからだ。頭の中で走馬灯のように駆け巡った。ここで僕があきらめたらこの1年の皆の苦労がダメになる、そう思うと力が湧いてきた。すると、疲労回復とともに義務遂行の希望が生まれ、再び走り出した。人間不信のコーチを見返すために、自分を信じて疑わない友人を救うために、そして自分の身体を捧げるために。
こうしてメロスは全力で、体力の限界まで達するほどに走り続けたが、競技場に入って4位の選手が迫って来た。4年生と5年生ではスピードの違いは歴然だった。北口ゲートから入ってきた時の30mの差が残り50mでは5mになった。誰もが抜かれることを覚悟した。悲鳴に近い叫びがあった。しかし、メロスはラスト50mからはその差を縮めさせなかった。彼の使命感が格上の選手に優ったのだ。
そして目標の3位を獲得し、サブグラウンドで今まさにセリヌンティウス・ヒデト・シノキが過酷トレーニングを課されようとするところに到着し、約束を果たした。
メロスはセリヌンティウスにただ1度だけ裏切ろうとしたことを告げて詫び、セリヌンティウスも1度だけメロスを疑ったことを告げて詫びた。そして、走り終わった仲間たちもメロスが競技場に入った時最後に抜かれ、4位に落ちてしまうと疑ったことを詫び、泣いた。彼らの真の友情を見た暴君コーチ・ディオニスは改心し、2人を釈放したのであった。
第154回「部屋とYシャツと私」(2021年12月4日)
無くて七癖有って四十八癖と言われ、人は誰しも多かれ少なかれ癖がある。年端もいかない学童のこどもたちにも癖がある。
何か言われると涙目になる子がいる。
K男はY男にいじられると涙目になる。これで感情が抑えられれば問題はないのだが、2人を引き離した後、Y男が遠目でちょっかいを出すと限界値を超えてしまう。嫌ならY男を見なけりゃいいのにと思うのだが、K男は何されてもY男が気にかかるようだ。限界を超えると、こころの抑制が効かなくなり自らの怒りを体全体で表してしまう。大人しいK男から激しく世の中を憤る姿に一変してしまう。高校生になってもこの傾向が残っていたら危険なタイプの男だ。普段はおとなしい良い子だった、と何かあった時の周りの反応につながりかねない。
そのY男には目線が飛ぶ癖がある。
Y男は我々に怒られる時、目線があっちこっちに飛ぶ。その動きはマネジャーを探しているのだ。私は必要以上に怒らないし親に言いつけることはしないが、マネージャーは本人を叱るとともに情報共有として親に言うからだ。Y男はお母さんと2人暮らしで土日はお母さんの前ではいい子になっているから、月曜日はテンションが高い。悪い時は思い切り頭を叩く。彼はよけない。泣きもしない。しばらくすると「ごめん、さっきはイリを怒らせるようなことをしてしまって」と言ってくる。ほろっとする言葉だが油断してはいけない。心からあやまっているわけではない。「次もまた怒らせるけど優しく殴ってね」という意味だ。まったくもって懲りない。
女の子の中には口が尖る子がいる。
A子は外遊びの際私と一緒に鉄棒やろうねと言ってくる。ところがグラウンドに出ると皆が鬼ごっこや足踏みをしようとすると必ず私を巻き込む。だからA子の約束が守れないことがある。その時は皆の後ろから口をとがらせてこちらを見ている。彼女が不満のときに見せる癖だ。これをフォローしないと憎悪の顔に変わっていく。いつもはかわいい顔立ちなのに・・・こうなると何をやってもダメなのだが、高い高いとある子を抱え上げているとニコニコして「私もやって!」と近づいてくる。動物的行動に右往左往してしまう。要は約束を守らなかった私が悪いのだが。皆も心得ているので、A子の対応に私が抜けることは大目に見てくれる。
自分で言って自分で空笑いする子がいる。
お母さんとお姉ちゃんと3人暮らしのK子は無口でお母さんが迎えに来るまで1人本を読んでいる。私と目が合うとモミジのような手でおいでおいでをする。その時は何があっても彼女のところに行く。曲がったことが嫌いで、私がこどもたちにゲームでズルをされている時、私の味方になってくれる。そのせいか皆と遊ぶことが少ない。私と話をする際、自分の話に空笑いをすることがある。これが出る頻度が彼女のストレスの大きさを示している。その時は何でも言うことを聞くことにしている。
腕相撲しようという。彼女はぎっちょなので左手でやる時は負ける。必死の形相で負ける。得意げなK子、しかし右手は左手での勝利を引き立てるため必ず勝つ。手加減はしない。
K子は腕相撲の後、私の手を握りながら家庭内のことをいろいろと話をしてくれる。私のあぐらの上に乗りたがっているが、それは禁止になっているので手を握るだけだ。若い頃だったら恥ずかしさがあって手を握ることもできなかったと思う。今は酸いも甘いも嚙み分けた年齢になった。銀座のホステスの百戦練磨の手と比較すれば言葉に尽くせない純粋な手だ。私も手を放すことはしない。小さすぎて恋人握りはできないが、彼女の手を包むように握っている。しかし、時間が来ると私は手を放してさっさと帰ってしまう。子泣き爺になってはいけない、なぜなら家には砂かけ婆が待っているからだ。
最後に、漫画のように眉毛の動く子供がいる。
E男は普段眉毛は通常の位置にあり、違和感はないのだが、怒り出すと一変する。ふたつの直線が突端にへの字に変わる。外遊びではまとわりついたり蹴ったりするので、払い腰で地面に投げ倒した。E男の怒りが頂点に達したようだ。への字の角度がさらに鋭角になった。こんなにも心の動きがわかりやすい眉毛があったのか?
E男に会うまで、私の知っている限り眉毛が動く男は平松愛理の歌に出てくる男だけだった。
♪「・・・いつわらないで 女の勘はするどいもの
あなたは嘘つくとき 右の眉が上がる
あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて
私は知恵をしぼって 毒入りスープで一緒にいこう・・・
もし私が先立てば オレも死ぬと云ってね
私はその言葉を胸に 天国へと旅立つわ
あなたの右の眉 見とどけたあとで・・・」♪
この子らに幸多かれと祈る。
第153回「駅伝ノススメ」(2021年11月27日)
「駅伝ノススメ」という本の冒頭には「天ハ火トノ上ニ火トヲ造ラズ(炎)、卑トノ下二誹トヲ造ラズトイエリ」とある。
つまり駅伝選手はアドレナリンを出し過ぎて熱くなって炎のように飛ばし過ぎてもいけない、相手をなめたり、逆に根拠のない理由で自己を卑下してはいけないし、調子の悪かった選手を責めてもいけない、いうことが書かれている。
埼玉県の小学生駅伝が12月5日に開催される。レース観戦の参考になればと思い、「駅伝ノススメ」の中から駅伝の魅力を紹介したい。
(1)息遣い
息遣いによってその選手が調子いいのか悪いのかわかってしまう。息遣いが荒くて調子のいい者はいない。大人になれば我慢して抑える練習をしなければいけないが、小学生では無理だ。よって1kmを過ぎたらこの息遣いに気を配るといい。息遣いの荒い者と並走してはならない。自分もその重力の中に引きこまれてしまう。目標がその選手だったら見捨てるに限る。
(2)足音
追いつかれてくると、ある時点から足音が聞こえてくる。大会はアスファルトなので「ヒタヒタ」という表現がぴったりの音である。追いつかれる者にとってはシューベルトの「魔王」に怯えるこどもの様になる。
「魔王」では悲しい結末を迎えることになっている。
(3)相手を抜く時
抜けるのに抜かないのはゲームで言う「舐めプ」状態だ。相手をいたぶってはいけない。それどころか、油断すると逆に疲れたライバルに塩をおくることになりかねない。寸前まで自分一人では諦めかけていた相手に元気を与えかねない。結果的に自分がそのライバルのペースメーカーになってしまう。抜く時は一挙に抜き去り、ライバルを絶望の淵に追いやるのである。
(4)タスキを渡す時
渡す方は「まかせたぞ」、もらう方は「よしゃ」の言葉が自然に出てくる。外部から見ると、抜かれて来て「まかせたぞ」は無責任な言い方に聞こえるが、「俺は今日調子悪かった。申し訳ないが、俺の分も頑張ってくれ、頼む」という心の中に上の句があり、下の句の「(だから)まかせたぞ」の発言につながっているのである。渡す方は懇願の顔になっている。
逆に数人抜いてきてタスキを渡す場合、顔が険しくなり「俺がここまで頑張ったんだからお前も頑張れ!抜かれたら承知しないぞ」と恫喝の上の句に、念のための「(だから、後は)まかせたぞ」の下の句が続く。
(5)南サブゲートから出てくる瞬間
これは熊谷競技場のコース独特の現象なのだが、入口正面を過ぎて競技場に入るまで200m位の距離があり、その間の争いは見えない。入口付近で応援してすぐ競技場に入っても、南サブゲートから出てくるまでの30秒間は期待の電界と不安の磁界とが入り混じる時間である。その見えない舞台裏での攻防で、ライバルを抜いて南サブゲートから現れることがある。チームとって大歓声が生じる瞬間だ。ローンレンジャーが愛馬「シルバー」に乗って崖の上に現れたのと同じだ。我々にとってはヒーローだ。この感動がたまらない。
(6)戦友
同じコースを走り、頑張る姿を見てきたメンバーには自ずと一体感が出てくる。目的と努力が一緒で、さらに絆の象徴である1本の“タスキ”が神秘的な力をもたらす。最後の走者がゴールした時、皆が真の“戦友”となる。
(7)ルール
こどもは何するかわからないので、犯しやすいルールを紹介する。
①中 継
1. 中継線は幅50㎜の白線で示す。たすきの受け渡しは、中継線から進行方向20mの間に手渡しで行わなければならず、中継線の手前からたすきを投げ渡したりしてはならない。
→通常は受けてはもらうまで動かないことが多い。リレーとは異なるので加速のための引っ張りは要らない。
→リレーの際のバトンパスはテークオーバーゾーンの外での受け渡しは(身体が中でも手が外だと)失格であるが、駅伝は身体が中であれば受け取る手は外でもいい。
2. たすきを受け取る走者は、前走者の区域(中継線の手前の走路)に入ってはならない。
→前走者が中継点の手前5mで倒れても、その選手を思いやってもらいに行ってはいけない。あらん限りの声で励ますしかない。
②たすき
1.たすきは布製で長さ1m60~1m80、幅6㎝を標準とする。
2. たすきは、必ず肩から斜めに脇の下に掛けなければならない。
3.たすき渡しに際して、前走者がたすきを外すのは中継線手前400mから、次走者がたすきをかけるのは中継後200mまでをおおよその目安とする。
③ 助 力
1. 競技者は競技中、いかなる助力も受けてはならない。
2. 人または車両による伴走行為は、いっさい認めない。
3. 正常な走行ができなくなった競技者を一時的に介護するために、競技者の体に触れるのは助力とはみなさない。
→プリンセス駅伝の脱水症状や箱根駅伝のような低体温症は考えられないので、転倒して骨折をしたとか、極度の緊張で気分が悪くなったとかが予想される。最悪の場合が起きた時躊躇なく潔く行動すること、その際の保護者、選手の決断は誰も責められない。
ということで、8位入賞をめざしたい。
第152回「日陰の女」(2021年11月20日)
演歌やTVでは、妻帯者を好きになった女性が描かれることが多い。なぜなのか。それは、男も女もそんな立場にはなりたくないが、そういう状況が2,3日で終わるなら、一度は経験してみたいと思っているからだ。
またその悲しい結末を癒すのに、カモメの鳴き声を聞きながら1人港や海岸で歩くのがお決まりのパターンである。しかし、それは決して特異な行動ではない。普通の大人は失恋を癒すのに銀座を歩くことはしない。周りのにぎやかな話し声や銀座の華やかな雰囲気の中で歩くことは「雑踏の中の孤独」に陥ってしまうからだ。悲しい時落ち込んだ時に水前寺清子の「365歩のマーチ」を聞いても決して立ち直ることはできない。悲しい時は悲しい曲を聞いた方が回復は早い。人間は自分のテンションと同じ曲を好ましいと感じるものなのだ。だから失恋の時に歩く場所はうらびれた所と決まっている。
バンビーニにはかけもちのこどもがたくさんいる。塾はもとより、サッカー、野球、空手、水泳、ラクビーなどのクラブにも入っている。最近の傾向はオリンピックのせいなのか空手が目立つ。対戦型のスポーツはおもしろいものだ。こどもの優先順位では陸上は最下位に近い。何かあれば他のスポーツを選ぶ。多くのこどもたちにとってバンビーニは大人の世界でいう「日陰の女」の存在なのである。
水曜日クラスはその典型だ。S男は才能があるが、大会に出てくれない。彼は川口では1,2番の野球クラブのエースで4番だ。日曜日の試合や練習があればそちらが優先だから陸上の大会には縁遠い。バンビーニのエースであるR子も小さいころからやっている野球が優先である。S男と違って大会には出てくれるが日曜日の練習では野球が優先になってしまう。H子は4年生だが、空手で全国大会の上位者だ。彼女と喧嘩しても上段廻し蹴りでのされてしまう。全国大会と埼玉県大会とでは比べようもない。でも走るのは速いし、なによりも根性がある。
陸上のコーチとしてはジュクジュクした思いがある。他のクラブのコーチはこういう思いはないのだろうか。強く言えば彼らは陸上をやめる。遠い昔、女性に「だから、あんたは重いのよ」とまるで子泣き爺かのように言われたことがある。確かに若いころから物事に熱中してしまい思い入れの強い癖があった。OBとなって元いた会社の部下に電話した。新しい会社の仕事上元の会社の組織図が欲しかったのである。しかし、何度か居留守をつかわれ、諦めた。あれほど面倒をみたのに。バンビーニを作った時、教え子のオリンピック選手に電話をし、バンビーニ主催のマラソン大会に出てくれないかとお願いをしようとした。しかし、要件を伝える前に「長距離を教える小学生クラブに推薦状は書けない」と言われてしまった。「自分は陸連側だ」とも言っていた。タダとは言わないが安く出場を依頼しようと思っただけなのに、推薦状の話で電話したわけではないのに。
このことがあって以来、人との縁は線ではなく点であると思った。そう思ったら気が楽になった。しかし、最近優秀なこどもたちに出逢うようになり、また子泣き爺になりかけている。
入会して来るこどもたちにはメインのスポーツや塾がある。ある子は入会しても都合で来れないことが多い。「今日も来てくれなかったか・・・」カラスがねぐらに飛び急ぐのを見ながら、見沼田んぼのあぜ道を涙さしぐみ帰宅する。しかし、会える時だけで満足しなければいけない。来てくれた時目一杯指導すればいいのだ、それ以上のことを期待してはいけない。彼らがこちらを振り向くまで待つだけだ。バンビーニは所詮彼らにとっては日陰の女なのだ。
テレサ・テンは熱唱する。
「あなたが好きだからそれでいいのよ
たとえ一緒に街を歩けなくても
この部屋にいつも帰ってくれたら
私は待つ身の女でいいの・・・」
第151回「あの、ハゲー!」(2021年11月13日)
春先その日のR子は荒れていた。帰宅するなりタオルやスパイクの入ったリックを放り投げ、冷蔵庫からコーラを取り出し一気飲みをして、ソファに仰向けに倒れ込んだ。
「何なんだ、いつも私ばかり怒って。たまには他の子も怒ればいいのに、絶対私を嫌っている。教育委員会に訴えてやる。パワハラだ」
「何怒っているの?」
母親の質問にひとりごとのように答えた。
「あいつ、私を車にたとえやがって、『お前の走り方はポルシェが銀座を走っているようなものだという。ポルシェが信号で停まり、歩行者をよけながら走っている。ポルシェは速く走るために作られた車だ。銀座でちょこまか走るのではなく、ドイツのアウトバーンで200km以上で走るのがふさわしい。お前はただみんなに見せるために銀座を走っているのか、ドアホー』という。“ち〜が〜う〜だ〜ろ〜!”私が何で車なんだ。わけがわからない。私はディズニーの『カーズ』じゃないんだ」
「600m以上の練習になるとサボるというが、私だって一生懸命練習しているのに200mと600mとどう走り方が違うというのだ。具体的に説明しろ。きっと言えないんだ。嫌そうな雰囲気が顔に出ているとかK子ちゃんに抜かれても平気な顔をしているとか、顔なんかいくらでも演技できる!もっと科学的に指摘しろ!
ああ、そうですよ、私は野球が好きですよ。何も陸上を自分から好んでやっているわけではない、ママに『足が速くなれば野球クラブでより活躍できる』と言われたから入ったんだ。
何が将来だ、何が中学生になった時の準備だ、私は今の私でいい。キリギリスでいいのだ。それなのに態度が悪いからと練習を追加させやがって、私はもうクタクタ。コーチのせいだ。あの、ハゲー!」
まな板でニンジンを切りながら「まあまあ、いまカレーをつくっているから、もう少し待っててね。」という言う母親の声に応えることもなく、疲れのせいなのか涙のせいなのか、R子はそのまま意識が遠ざかってしまった。
秋、陸上の大会の表彰台にいた。「何だ、これは」アナウンスでは小学生女子の長距離で表彰されたらしい。
表彰式が終ってコーチのところに行ったら頭を叩かれた。そのせいでやっとレースのことが思い出された。コーチはバカの一つ覚えで「飛ばせ!」としか言わない。「飛ばしていけるところまで行き、ダメなら練習を重ね力尽きた地点をどんどん先に伸ばせばいい」と言っていた。
コーチは「いつも陸上競技は科学だ」と言っているのに、「残り50mは根性だ」と漫画の「巨人の星」の事を引き合いに出す。パパですら知らない漫画を引き合いに出すな!言っていることが首尾一貫していない。根性は科学じゃない! ただ今回はこころが身体を押してくれたようだった。最後までねばれた。これがコーチの言う「根性」なのだろうか
コーチがごほうびにキチンカーのカレーパンをおごってくれた。できたてのパンだ。食べようとしたら、ママの声が聞こえて来た。
「R子、カレーができたよ。さあ、起きて起きて」
カレーを食べたら、なんだか怒るのがバカバカしくなってきた。明日から春合宿が始まる。長い距離のジョッグから始まるのだろうな、嫌だけどちょっとだけ頑張ってみるか。夏合宿やインターバルなど本当はやりたくないけど、何か表彰台に上がっていい気分だったことをR子は思いだした。
その時見た夢は、今秋正夢となった(第37回全国小学生陸上競技交流大会女子1000m第2位、第37回彩の国小学生クラブ交流大会女子1000m2位、第12回埼玉チャレンジカップ女子600m3位)。
第150回「博士の愛した数式」(2021年11月6日)
「博士の愛した数式」は第一回本屋大賞に輝いた小川洋子氏の作品。交通事故の影響で80分しか記憶が続かない天才数学者と一組の母子の心温まる交流を描いた小説である。しかし、老人の年代になると交通事故に合わなくても記憶障害に陥る。
居間にミカンを取りにいった際、家内が明日買い物に付き合ってよというので取り合うとそのまま自分の部屋に戻ってしまい「いけね、ミカンを取りに行ったんだっけ」とまた居間に行く。するとテレビで漫才をやっていたのでそれを見て部屋に戻り、椅子に座って気づく・・・「ミカン」
今度は忘れないぞと居間のミカンを先に手に取る。効率よく行動しようと思い、コーヒーも入れる。部屋に戻り机の上にコーヒーカップを置くと肝心なミカンがない。コーヒーメーカーのところに置いてきた。家内が持ってくるだろうと思っていたが、それもしばらくすると忘れ、翌朝そのままの姿のミカンを見つけて、昨夜のことを思い出す。私は博士よりひどい。私の記憶は1分しか続かない。しかも天才ではない。
お笑いのタケシとさんまが凄いのは話術だけではない。先輩、後輩芸人の名前をフルネームで覚えていることだ。だから話がスムーズにいく。聞いている方も耳に心地良い。家内との話ではそうはいかない。「何と言ったけかな、黒くて柔らかいやつ、あれあれ」「わかる、わかる、おいしいよね。でも名前が出てこないね」「わかる?よかった」会話はここで終わってしまう。
学童では子どもを呼ぶとき下の名前で呼ぶ。「ゆう」とか「れん」はいいのだが、5文字以上のこどもになると、私には大変な負担となる。ランドセルやロッカーに書かれている名前はほとんどがひらがななで記載されているので記憶することが難しい。漢字はギザギザしているので脳に引っかかる。ひらがなは丸いボールのようなもので脳の中を転がって行ってしまい止まってくれない。
学童でも毎年長い名前の子が入って来るが、1人なら覚えられる。しかし、今年は数名いる上さらに難しくしているのは近似名なのだ。「そういちろう」「りゅういちろう」「こういちろう」この子たちが交互に寄って来るので混乱してしまう。こうなると苗字で呼ぶしかない。ところがこんどは苗字が長いこどもがいる。「えのきぞの」は舌がもつれる。あだなでは呼べない・・・
お迎え時には親子の組み合わせを判別するのにさらに苦労する。ましてやこの子らの祖父母が迎えに来る組み合わせとなるともうわからない。顔が似ていればなんとかなるが、しわの多さが遺伝的特徴を相殺する。もうマネジャーにお任せするしかない。
学童は学校内にあるが、先日出勤する際女の人とK男が一緒に立っていた。「お、K男、今日は休みか、いいね、お母さんと一緒か」「えっ、そうなんですか?」「・・・(はっと気づいた)いや、今日じゃなかった・の・か・な?」女の人は学校の担任だった。
バンビーニでは柔軟体操などで号令をかけている最中に、話しかけてくるこどもがいる。「俺が号令かけている時に話しかけて来るな、ややっこしい」といつも言う。説教しているうちにいくつまで数えたか忘れてしまい、少な目の数から再開すると皆から非難轟々となる。混乱の原因を作ったこどもにはペナルティとして「数字を言いながら途中で20人くらいの人数を数えさせる」ことにしている。つまり「1,2,3・・・・と言いながら5くらいから、人数を数えさせる」のである。ほとんどの子は きちんと数えられない。数字の数え方も条件を複雑にするとむずかしい。“コーチの愛した数式”はこどもたちとの心温まる交流とは決して言えないのである。
第149回「太陽がくれた季節」(2021年10月30日)
大会に出かける時に必ずすることがある。それは“青い三角定規”の「太陽がくれた季節」のCDを聞くことだ。
昔母校の後輩を指導していた時、練習の始まる前に強制的にこの歌を唄わせた。当時は後輩に対してものわかりがいいわけもなく、上下関係も堅固なものであったから、誰も文句を言わない。毎日、1ヶ月間唄わせた。文句は言わないが、さりとて誰も喜んで唄ってはいなかった。しかし、それから半世紀も経って皆と逢うと「この歌を聞くとあの時のことを思い出す」と口々にいう。私もそうだ。大雨でも強風でも練習をした。むしろ水たまりを走るのが快感だった。練習を休むことに罪悪感を持つ年齢でもあったし、曲がったことや女々しいのが大嫌いな頃だった。妥協が一切ない青臭い時代だ。当時現役で走っていたので、「俺について来い」式だから規定タイムに誰も文句が言えなかった。ただついていくしかない。教えられた方は辛かっただろうと思う。小1の女の子に「コーチもやってよ」という私へのからかいに対し、「神様が走っちゃいけないという」との言い訳をする自分など、当時は想像もしていなかった。
歌というものは過去の記憶を掘り起こす力がある。しかし、サザン・オールスターズのようにヒット曲が多いと記憶はもつれる。彼らの歌を聞いていると確かに懐かしいのだが、すべて同じメロディーで同じ唄い方だから聞いたことはあるが、いつの時代かわからなくなる。サザンの「いとしのエリー」の音楽が流れた時、家内に「あの頃が懐かしいね」といったら「ちょっと待ってよ、あの曲は私が会社に入った頃よ。あんたとつきあってないじゃない、誰と聞いたのよ」と余計なトラブルを引き起こす。
その点青い三角定規は「太陽がくれた季節」しかヒットがないから、思い出すのが簡単だ。青春真っ只中の頃の歌と断言できる。この歌を聞いて競技場に行くことによって、私は今人生2回目の青春を味わっているようだ。まさか、今のこども達にこの歌を強要することはできないので、CDを聞くことによって自分だけが若返るのを大会当日の秘かな楽しみにしている。そいえば、その日は老人ではなく20歳になっている私であることを、こども達は誰も気付いていない。
会社を定年で辞める頃になると、多くのサラリーマンはサミュエル・ウルマンの「青春」の詩を声高に言うようになる。ウルマンは次のように謳いあげた。
「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の様相を言う。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言う。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。・・・」
男というものは10代後半から20代前半のあの青臭い時代をもう一度味わいたいが、それはかなわぬことだと悟っている。しかし、心の奥底では、もう一度と言う願望は捨ててはいない。ウルマンの詩は、年寄になりたくない男たちがすがりついた宗教的な「教え」ともいえる。
「太陽がくれた季節」の歌詞も最後はこう結ばれている。
「青春は太陽がくれた季節
君も今日からはぼくらの仲間
燃やそうよ 二度とない日々を」
青春とは人生の中で何事にもまぶしく見える時期だ。目を細くし手を額にかざさないと見えない時すらある。バンビーニに入ることは強化指定選手をねらわされることになる。1人で練習するより皆でねらうことが全体のレベルを上げ個の力を強くする。仲間となった皆と一緒に燃えて励まし合って、二度とない小学生時代の思い出づくりをしよう。
第148回「シートート」(2021年10月23日)
学童では学校から帰って来るとランドセルをロッカーにしまう。その際、いろいろな物が飛び出す子どもがいる。不審者対策のブザー、毎日体温を記載する月間シートなどが飛び出す。ある時1年生のM男に「出ているぞ」と注意したら、ランドセルを動かして対応しようとするので、一つのものをかたづけているうちに他の物がまた出てしまう。いたちごっこなのだが、その都度注意していると、
「注文の多い人だなあ」
「・・・お前な、お前が悪いから指摘しているのだぞ」
こどもをからかうときは、膝の上にうつぶせにさせ「お尻ペンペン」と言ってお尻を叩くか、後ろから足を持ってこどもの腰を浮かして「はい、おしっこしましょうね、シートートー」と言っておしっこの真似に持って行く2つのやり方がある。「シートートー」とは外でおしっこをさせる時の母親の言葉だった。60年以上聞いていない言葉が咄嗟に出た。こども達は初めて聞く言葉のようだったので、ウケた。最近の親は言わないのだろうか。それもそうだ。野外でおしっこさせるような時代ではなくなったのだ。
外遊びの際、鬼ごっこの鬼がゾンビに替わった日があった。R子は眠りから覚めたゾンビとなって追いかけて来る。隠れていると、「ふん、ふん、何か人間のにおいがするぞ」といって薄目を開けて迫ってくる。加齢臭じゃないだろうなと心配しながら逃げる。
吸血鬼とゾンビの違いはゾンビは腐りかけた死体のはずだが、そんな細かいことはこどもにとってどうでもいいことだ。手を前に上げ目をつぶればそれがゾンビとなる。それよりも何よりも自分で「ゾンビだぞ」と言いながら来るのでわかる。モノマネが似ていない芸人が「芦田愛奈だよ」というのと同じだ。言わないとわからない。
意識的に私を捕まえずに他のこどもを捕まえ、こども達が全員ゾンビになる。その後唯一の人間である私を皆で追いかけるというのがいつものパターン。壁際に追い込まれ1人のこどもは私の足に絡みつきさらにもう1人が反対の足に絡みつく。これ以上は力を入れるとこどもがケガをするので抵抗しないでいると1人が背中に乗ってきて思いきり体を傾けるので耐え切れず倒れる。シマウマがライオンに倒されるシーンと同じだ。そこにゾンビの女王になったR子様に首をかまれることになるが、首は跡が付くとまずいので腕にしてもらったが、本気で噛むので痛い。
折角のスチュエーションなので私もゾンビになる。マイケル・ジャクソンのスリラー風にやると、もうこどもの笑いは止まらない。30秒ほどやって疲れたのと恥ずかしくなってきたのでやめようと思った。しかし、ここからがこども達の真骨頂だ。「やって、やって」の大合唱。飽きない。やりたくなくないので、もうひたすら逃げるしかないがすぐ捕まる。
この光景は羨ましいと思う人がいるかもしれないが、こどもの期待に応えようとするのは疲れるものだ。このこども達が親や先生に期待され、いい成績を残さないといけないと思う日が何年かすると来る。その時私の苦労がわかる。
第147回「細かいところが気になるのが僕の悪い癖」(2021年10月16日)
TV「相棒」の主人公杉下右京の口癖である。私も右京と同じ気持ちになることが時々ある。出勤から帰宅までのある日の出来事である。
(以下『 』は杉下右京の口調を思い浮かべてお読みください)
改札を通る時、今ではほとんどの人がSuicaを利用する。
『おや?』『妙ですね』
スイカをタッチしようとすると、すぐ前の人の残額が2~3秒ほど表示され続けているので私の目に残像として焼き付き、自然と私の残額と比較してしまう。前の人の残額が1992円だとして私の残額が2014円だと私の勝ち、逆なら負けである。勝てば「生活に困っているのかな?」「苦学生かな、母子家庭かな、頑張れよ」との発想になり、逆だと「きっとスイカでコーヒーやパンなんかを買っている輩だな」高額な残額の相手が女性だと「どこかにパトロンがいるに違いない、いいなぁ、女って」と妄想が構内を駆け巡ってしまう。
『僕としたことが・・・あの人と同じ発想をするなんて』
さいたま新都心の駅の男子トイレは小便器が20基ある。たまに入ると誰もいない時間がある。ここぞとばかり左から10番目のところで用を足していると見知らぬ男が右から10番目のところにやってきた。そう、私の隣だ。誰もいなんだから他でやれと叫びたい。なんでここに来るのだ。そこの便器に愛着があるのかこだわりがあるのか
『たとえどんな理由があろうと、この状況下でこんなに近くに寄るのを、正当化することはできませんよ!』
電車が目的地の駅に入り、自分の乗った車両が階段付近で停まるようで停まらず、数メートル先まで行きそうになると、私の足の裏には力が入る。そうなのだ。私は無意識に自分の足の力で電車を停めようとしているのに気づいた。
『君の馬鹿げた発想が時として僕の脳みそを刺激するので助かります』
出張かけっこ教室のお昼は、マクドナルドの「ビックマックセット」(690円)と決めている。もう3年ほど続けている。その日の列は20m位になっていたが、習慣(週間)なので我慢して並んだ。あと3m位に来た時ふと後ろを見た。
『はぁい??』
なんと私の後ろに人がいない。17m並んだ忍耐は何も役に立たなかったのだ。いつもは並ぶ店は嫌いで避けるのだが、その健気な気持ちを逆なでするかのように私の後ろに人がいない。もうマクドナルドと言えども二度と行列には並ばない。
『もしも人に限界があるとすれば、それは諦めた瞬間でしょう』
帰りにスーパーのライフに寄った。100円のクーポンがあったのでビール6缶680円を580円で1セット買うことにした。家内には缶ビールは1本100円以下で缶コーヒーより安い、とビールを飲むことを正当化してきた。ところが店員のおばちゃんはクーポンの有効期間を見て「お客様、このクーポンは有効期限を過ぎていますので使えません。この券は破棄させてもらいます」と手をお大きく掲げ私のクーポンを引き裂いてしまった。「10月3日と10月8日を見間違えただけじゃないか。そこまでしなくとも・・・払いますよ、定価で。しかも現金で。たかがクーポンと言えども、先日ライフからもらい私の所有物になったのだ。それを私に断りもなく公衆の面前で破り捨てるとは・・・」
『あなた、人間として恥を知りなさい!』
『僕はね、穏やかな人間ですよ。でも、売られたケンカは買いますよ。そして必ず勝ちます』
1日の出来事を最後まで読んで頂き
第146回「名探偵コナン」(2021年10月9日)
タイムを狙うスポーツに従事しているせいか、時間について“こだわり”がある。
まず、一つ目は「時は流れるものか刻むものか」のテーマである。
病院などにある壁掛け時計で「秒針が流れる様なものは」は嫌いだ。時は刻むものだと思う。小さい時から家にあったぜんまい時計のせいかもしれない。流れるような時計はせかされているようで落ち着かない。1秒の心の余裕は必要だ。
忙しい時は、大きな川に流されている様な気がする。時におぼれている自分がいる。暇なときや平和なときは浮き輪に乗ってゆったりとした川に身を置いている気分になる。その時は「時は流れている」ように思える。しかし、自分を真剣に直視している時、これから大事を成そうとするとき「時は刻む」と思う。
ロケットを打ち上げる時は「10、9、8、・・・3、2、1」と数える。また、よく映画で時効が迫った犯人の気持ちを表現するために時計が出てくるが、かならず23時59分55秒から始まり、56、57、58、59と時計の針が「カチ」という音とともに進み、0時00分を指すと安堵感が画面一杯に表れる。時は心に刻むものなのだ。
ストップウオッチはデジタル式が多いが、数字が動くので1秒刻みの時計と同じと考えていい。ただ、競技場にある電光掲示板もデジタル式だが、100mのタイムは観客席から見るのとゴールした時の電光掲示板の結果表示がいつも違っている。ゴール手間で見た数値から予想するゴールタイムと電光掲示板の結果表示が異なるのは、そこに無意識に加わる「期待」というバイアスがかかるからだ。私から見るとうちのD男はいつも12秒台だし、A子は13秒台でゴールしているはずなのだが・・・
もうひとつのこだわりは「時間は相対的なもの」ということである。
子どもと大人では時間の長さが異なり、大人にとって時間の進み方は速い。こどもが10歳、大人が50歳としたら、こどもの1年は1/10、大人は1/50にあたり、同じ1年でもこどもと大人では感じ方が異なるからだ。また、恋人といる時の時間は短く、教師に叱られている時は長い。このように時間は相対的なものだ。
科学でも時間は相対的なものだとしている。「時間は観測者ごとに異なり、光速で宇宙旅行をして戻ってくると、地球の方が早く時間が過ぎて、自分の子供が自分(宙旅行者)より年寄りになっている」と唱えたのがアイシュタインである。
この理論をバンビーニのこども達に当てはめると、バンビーニで練習をし「走ることが速くなる」と、“光速で動いているこどもたち”から平穏無事な生活をしている“止まっている友達”は「早く年取っている」ように見える。陸上競技をやめて普通の生活に戻った時、そこはタイムマシンに乗ってたどり着いた未来の地球となる。時間的余裕があるため「年取った同級生」と比べ好奇心が旺盛で、かつ勝負勘、心構え、礼儀、同じ目的の友達や大人との付き合い、スランプの脱出法などをバンビーニで会得しているため、人間的な余裕もある。まるで名探偵コナンだ。楽しいだろうな。
第145回「百日紅」(2021年10月1日)
スポーツ選手を花にたとえた話として有名なのが、野村監督が現役選手だった頃「王と長嶋はひまわり、俺は日本海の海辺に咲く月見草」いつもマスコミの注目は王と長嶋で自分が活躍してもほとんどとりあってくれないことを嘆いた言葉だ。
さいたま新都心の通りには季節ごとに楽しませる街路樹がある。春には「桜」の優雅さが街をきらびやかにし、その後、はにかむように咲く「花水木」が落ち着きのある街に変える。しかし、夏になると「百日紅」が赤や白の花を咲かせ、他に花々がない季節にその華やかさが街の活気を支えてくれる。
近年の日本の酷暑の中にあっても、「百日紅」は暑さに負けずに長期間、次から次へと開花し続ける。漢字で書く「百日紅」は、初夏から秋までほぼ3ヶ月間、つまり100日間も咲き続けていることからつけられた名前だ。
バンビーニも7月4日の全国大会埼玉予選が終了して9月末までの3ヶ月よく練習をした。「百日紅」の開花と同じ期間、こども達は文句は言うが、やることはやった。たぶん一人で練習をしようとしたらできなかっただろう。9月20日には長距離はクロスカントリーコースでたっぷりと走った。脱落者は出なかったのは集団の効果だと思う。長距離はここに参加した者全員が指定選手になろうとしていたからだ。
「百日紅」の花は、一つひとつは小さくて縮れているが、これらがまとまって房状になり、豪華な咲き姿を見せる。バンビーニも同じように、1人が調子悪くても他の選手を目標に走れば知らず知らずのうちに調子は戻る。大会で1人が活躍すれば「あの子があのタイムを出せるなら、練習では私の方が前にいつも行っていたので、私でも出せる」と思う。
「百日紅」の花言葉は、「雄弁」だ。真夏の暑さに弱ることなく、枝先に花を密生させて堂々とした咲き姿を見せることから、「雄弁」という言葉が与えられたという。そういえば以前はほとんどの選手は無口で不愛想だったが、自信がつくにつれてうるさいことうるさいこと幼稚園児並みだ。本来の雄弁には程遠いが、おしゃべりを彼らの自己主張と捉えればこれも雄弁と言っていいだろう。
「百日紅」は放任してもよく育つ。そうでなければ街路樹にならない。こどもたちの多くは練習はガンガン行ってもなんでもない。体調に気を遣う必要がないのだ。もちろん若干暑さで参る子がいるが、まだまだ百日紅の領域まで育っていないからであり、指定選手を狙う子は酷暑にも強い。
もし秋の大会でたくさんの指定選手を輩出できたら、この鍛練期である3ヶ月の練習期間を「百日紅トレーニング」と称して、来年以降の計画に位置付けていきたい。
「百日紅」は別名「サルスベリ」という。その名はあの樹肌がツルツルしていて猿も登れないので「サルスベリ」という名がついた。「猿も木から落ちる」を連想してしまうので、この練習を実施しても大会当日病気や怪我、転倒などミスのないレースを心がけなければいけない。いよいよ、大会の10月が始まる。
第144回「トムとジェリー」(2021年9月25日)
こどもの人間関係は難しい。本当に仲がいいのか、虚構なのか、よく見ないとわからないことが多い。
学童でもいくつかの「仲良し組み」がいる。
Y男とK男はケンカばかりしている。多くの場合Y男がK男にちょっかいを出し、室内では執拗な攻撃にK男が耐え切れず泣き出すパターンが多い。Y男は懲りないこどもでしつこい、K男は自分の感情が抑えられないタイプで、その様子をみれば絶交してもおかしくない関係なのだが・・・校庭で遊んでいる時はY男を追っかけるが、Y男はすばしこいので捕まらない。血相変えて追っかけているので最初は止めに入ったが、それから1、2分経って彼らの方を見ると、もう肩を組んで歩いている。そのうち2人で私に絡んでくる。これも毎回同じで、学童版「トムとジェリー」と言える。
Y男は毎日来る。K男はたまに休む。K男が休むと「おい、K男がいなくて寂しいか?」と聞くと「いや、別に」とうそぶく。他に友達はいそうにない。Y男は1人で本を読んでいることが多い。ちょっかいをだしてもつきあってくれるのはK男と私だけだ。私にちょっかいを出すのはいいが、度が過ぎるので頭を叩かれる。浣腸をやるのでその痛さによって頭を叩く度合いが異なる。「いいか、頭叩かれた痛さが私の痛さだ。わかったか」とすごんでも決して泣かないし懲りない。泣くのは私がK男に味方して責められた時だけだ。「なんで、僕だけ・・・」と泣く。ちょっと言い過ぎたかなと思うと、K男が「そうだよ、Y男だけが悪いんじゃないよ。イリが悪い」という。「なんで俺が悪いんだよ。俺はお前の味方じゃないか」「ううん、僕はY男の味方」なんだかわけがわからなくなる不思議な関係だ。
女の子になると少し様相が異なる。2年生のM子とU子はいつも一緒で、周りから見ていても仲がいい。
「ねえ、イリ。M子ちゃんと遊んであげてよ。M子ちゃんイリと遊びたいんだって」
「・・・うん、遊んでもいいのだけど、『あやとり』以外にしようよ。私は男の子だったから『あやとり』をしたことがないのだよ」
ある時今度はM子が私のところに来て
「ねえ、U子ちゃんの髪の毛三つ編みにしてあげて」
「・・・うん、してあげてもいいんだけど、私は三つ編みをしたことがないのだよ」
「じゃ、やってみたら。お父さんは簡単にやっているよ」
「わかった・・・やってみる。・・・お~い、髪の毛の分量がわからないよ。どこで半分にしたらいいの?こんなものか。髪の毛を編むのは紐と同じように結んでいけばいいのかな?・・・こうかな?」
「痛い、イリ、痛いよ」
「ね、やっぱり私じゃダメでしょ」
その後、2人は二度と髪の毛を編めとは言わなくなった。
もう一組、2年生でT子とE子という子の組み合わせが問題だ。
E子はT子を支配下に置いている。E子はいつもT子と一緒に座り他のこどもの接近をゆるさない。T子はE子がいなければ誰とでも遊ぶ、明るく楽しい子だ。ところがE子が来ると従属的関係に甘んじている。遊びも宿題もE子に指示される。もっといえば外遊びから帰って来ると「あなた、濡れているからお着替えしたら」といって着替えまで指示される。T子が宿題の答えがわからないと聞いてくるので教えようとすると、E子がしゃしゃり出てくる。学力はE子とT子ではT子の方が上なのだが・・・
以前は私とトランプのスピードをやるのが常だったが、「おい、T子、スピードやるぞ」と声をかけても、最近はE子が出てきて「ダメ、私と遊ぶのだから」と目をつりあげて言う。怒っているのだ。T子はあきらめ顔で従う。E子は自分の思い通りの子をつくりあげていこうとするママのようだ。
2人に何があったかわからないが、家が同じマンションというのもつらいだろうな。自分の母親にも言っていないようだが。困った関係だ。
そんな悩んでいる私の後ろで、いつものようにトムとジェリーが仲良くケンカしていた。
第143回「記録」(2021年9月18日)
陸上競技の成績は「記録および順位」で表すことができるが、バンビーニでは特に「記録」を重視する。
吉田沙保里の全盛期時代にいた選手は彼女の出る大会では絶対に優勝することはできなかった。女子レスリングでは吉田沙保里を破らなければ正しい努力評価をしてもらえなかった。陸上競技でもこれから2,3年は田中希実がいる限り、他の選手は1500mで日本一になれないと思う。しかし、幸にも陸上競技や水泳競技には日本一という順位だけでなく、自己記録という目標がある。日本一が無理でも自己記録が更新できればこれまでの努力は報われる。ここが陸上競技と対戦型競技の違いである。
陸上競技の「記録」は時間とともに進化するので、その価値は時間と共に劣化するといえる。例えば、半世紀前には高校女子800mを2分22秒で走れば関東大会で3位に入賞しインターハイに行けたが、今では入賞どころか予選通過もできない。冷静に言えば、バンビーニの女子(小6)でもこの記録を出す。「俺について来い」と先頭になって走っていたあの時の練習(青春)はいったいなんだったのだろう、と自問してしまう。
ただ、誤解しないでほしい。当時の記録を出した選手自身の価値を否定しているのではない。あの頃、我々は青い三角定規の「太陽がくれた季節」を聞いて頑張ってきたのだ。その価値は今もっても輝いている。
現在の選手が過去の選手以上の記録を出せるのは、栄養学やトレーニング方法の進化ばかりだけでなく、タータントラックの開発、それに伴うシューズの改良がおこなわれたからだと言ってよい。もし、1964年東京オリンピック100mで優勝した(タイムは10秒00)ボブ・ヘイズがいたらボルトに勝っていたかもしれない。ボルトの方がヘイズより環境条件は格段恵まれているからだ。
人類の記録の更新はこれからも続くだろう、しかし、決して平等ではないと言うことを忘れてはならない。オリンピックが常にアフリカのサバンナで裸足で行われ、それで記録が更新されたなら絶対評価をしてあげるべきだが、ペースメーカーがいる時代で厚底シューズを履いたキプチョゲと給水もままならない時代の裸足のアベベ(ローマ五輪マラソン優勝者)を単純に比較はできない
記録の面白さは絶対値だけではない。伸び率という相対値にも目を向ける必要がある。
素人がハイレベルの選手に追いつくのは並大抵の努力では追いつけない。練習中に挫折するかもしれない。伸び率はそれを乗り越えた努力の表れとして評価されるべきだ。
ただし、100mを12秒00から0.1秒縮めるのはそれほど難しいことではないが、 11秒00から同じ0.1秒縮めるのは難しい。すなわち、陸上を始めた時の記録が高いほど記録の改善(伸び率)に難易度(価値)が生じる。その価値は認めるが、「伸び率の絶対値」も評価してほしいと思っている
人類の記録は限りなく発展するのかいつか限界が来るのか、この命題はたくさんの異論があり結論を出すのは難しい。なぜなら、我々は人類の限界を予想する術がない。歴史や科学そしてスポーツは異端児によって未知の世界を切り開いてきた。いつ現れるかわからないがいつか現れる異端児(例:走り高跳びの背面跳びを考案したフォスベリーなど)により記録は伸び続けると考えられる。
それはあくまでも人類としてであり、個人記録は確実に限界がある。長年トレーニングを続けていると記録は徐々に伸び率が小さくなり、やがて一定の状態となる。どんなに頑張っても越えられない壁にぶつかる。自己記録は停滞し、そして低下に転じる。自己の限界は誰にでも訪れる。陸上を継続するかの判断をする時がやがてやって来る。本人には残酷だが、決断は自分自身で行なわなければならない
だが、小学生については何の心配もいらない。小学生の段階では記録の限界はない。興味があり続ける限り伸びる。魚の一生にたとえるならば、サケが川を下って海にまさに出ようとしている瞬間である。遡上のことなど考える必要はまったくない。大海原で大きく育っていってほしい。
第142回「天国に一番近い男」(2021年9月11日)
こども達にキツイ練習を課すと必ず言われる言葉がある。
「コーチもやってよ」
200mのインターバルや110m加速走などは中学、高校、大学といやっというほどやってきた。その経験も踏まえての練習計画だ。以前こども達の煽りに乗ってしまい300m走をやったらお尻の筋肉を痛めてしまい、2度とこどもの挑発には乗らないことにしている。だから、こどもに言われたらこう答えている。
「コーチはね、こどもの頃、人一倍練習をしてきたので、神様が『入山、お前は十分努力してきた。もうこれ以上やる必要はないよ。よくやった』とおっしゃるのだ。もう神様と仲良くしなければならない年頃になった。神様のいうことは聞かないといけないから、やらないのだよ」
「・・・・」
「だから、神様とお友達である私の言うことを聞け、さあさあ始めるぞ」
学童では私が床屋に行くと必ず寄ってくる連中がいる。頭が坊主だからだ。肌触りが良いのだろうか、すぐ頭をいじりにくる。ある時2年生のY子が私の頭をさすりながら
「ねえ、ねえ、イリは学童に来ない時は何しているの?仏様をしてるの?」と尋ねてきた。
「?・・・Y子、それは『お坊様』というのじゃないのかな?仏様だと私はもう死んでいることになるからね」
「・・・」
入会したこどもには最初に「もし君がオリンピックに出て金メダルを取ったら、1度でいいからNHKのテレビの前で『今あるのは小学校時代に教わったバンビーニの入山コーチのおかげです』」と言ってくれ、約束だよ」と言うことにしている。
ある時この話をした小1の女の子が
「コーチ、今何歳?ちょっと考えてみて、私が大人になってオリンピックで活躍できるのは20年後だよ。その時、コーチ生きてる?」
「・・・う~ん、難しいかもしれないね」
「でしょう、じゃ『テレビの前』でなく『お墓の前』で言ってくれ、が正しい言い方じゃないの?」
「・・・」
学童では17時頃から保護者が迎えに来る。顔が似ている親子なら○○お迎えに来たよと言えるが、おじいさんが迎えに来るともう私には誰を迎えに来た人かわからない。そこで「お帰りなさい、お~い、お迎えに来たよ」と大声を出すと、腰を上げた子がおじいさんのお目当ての孫だ。こども達が少なくなると私に寄って来る子がいる。消毒作業の邪魔になるので時々「S男、お迎えだよ」」と言うと、私から離れて身支度をする。そして虚言だと知るとブーたれる。何回か引っかかったS男は、ある時意趣返しとばかり玄関付近から私に向かって「イリ、お迎えが来たよ」と言い放った。居合わせたこども達の目はすべて玄関に注がれた。
それにしても、言葉というのは不思議なものだ。今まで何気なく使っていた言葉も自分が言われてみると、妙に嫌な響きに聞こえる。私のお迎えはまだ早い。
第141回「水を飲ませることはできない」(2021年9月4日)
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
この言葉はイギリスの諺で、英語表記では「You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.」と書く。馬が水を飲むかどうかは馬次第なので、人は他人に対して機会を与えることはできるが、それを実行するかどうかは本人のやる気次第であるという意味だ。
うちのクラブにはかつてスーパー1年生と呼ばれた男の子が2人いる。入って来た時は先輩たちを抜くことを楽しんでいた。まるでチーターのこどもがガゼルをもてあそんでいるようだった。2人を見ているだけでワクワクした。しかし、練習に対する取り組みがなぜか年々後ろ向きになってきて、今では普通の4年生になっている。1人は勉強で、もう1人は水泳で頭角を現しているためだ。バンビーニの長距離女子は精鋭がいるが、不思議と長距離男子は5,6年生が1人も入会していない。クラブ運営の点からも男子4年生に期待がかかる。3年前はこの子らがバンビーニを背負うと思っていた。しかし、時の流れに押し流されてしまった。1年生で指定タイムがあったら即切っていた逸材なのだが、3年の時間は長すぎた。成果を出すには無理強いするのではなく、根気よく指導するべきなのだが、「水は飲ませることはできない」
途中で入ってきた野生児の3年生がいるが、この子はこの子で裸馬のように乗りこなすのが難しい。乗るというよりいつも抑え込んでいることの方が多い。何しろ目の付け所が違う。走ることより足元の昆虫や手元の新しい道具に関心がいってしまう。鞭を入れようが餌をやらないようにしようがめげない。これはこれでたいしたものだと思うが私のストレスはたまる。首を振ったりペースが上下するのを直せば、5年生で指定タイムをクリアできる力があるのに「水を飲ませることはできない」
6年生のR子については、長い距離の練習が嫌いで何度も「これを克服しないとラストで逃げれないよ」と言うのだが、400mまでの練習は楽にこなせるのに、600m以上の距離になるとまったくふがいない。脅してもすかしてもダメだ。600m以上の練習に真剣に取り組まないからそれまでの「逃げ」が活きない。だから同じ過ち(ゴール直前で差される)を繰り返す。3分05秒は切れる実力があるのに「水を飲ませることはできない」
この子が卒業するまで毎回声が枯れてしまうのかと思うと、「喉頭がん」が心配になる。
4年生にはもう1人問題児がいる。その子が問題なのは、練習態度ではない。練習は一生懸命なのだが、「走り終わっても決して息が上がってない」ことが問題なのだ。たぶん全力走をしていない。いや、できないのだと思う。大人は全力で走ってくださいと言えば速い遅いは別にして全力で走れるだろう。ところがこどもは走れない子がいる。いつもいう自己防衛反応が働くのだ。しかし、「野良犬に追っかけさせれば全力で逃げる」と思う。私が彼に小言を言っているのはタイムではない。練習の時全力で走れ、ということだけなのだ。しかし、それができない。何度も怒るのだが、「水を飲ませることはできない」
この子らは才能がないのではない。才能は有り余るほどある。後は気持ち次第だ。今からでも十分間に合う。「上昇意欲は人一倍あったが才能がなかった」私からすれば見過ごすことができない存在なのだ。「才能があるのに努力しない子には、クラブにいる限り喉頭がんを恐れず叱り続けて行く。水を飲まないなら馬面を水に浸けても飲んでもらう」
こう書くと「ほめて育てる」教育者からは非難されるだろう。しかし、私はこどもを無責任にほめない。結果的には「水を飲ませることはできない」だろうが、彼らを放っておくことはもっとできない。
第140回「集団免疫とラクチン」(2021年8月29日)
バンビーニは会員3名で始まった。クラブ運営は手探りで、1クラス1