バンビーニ陸上クラブ

小中学生対象陸上競技専門教室
 048-783-2989
お問い合わせ

バンビーニ陸上クラブとは、陸上競技においてトップアスリートになるための小学生向けクラブです。中学生は当クラブの卒業生に限定しております。

小学生は埼玉県の強化指定選手を目指します。健康維持や他の競技の補完的な位置づけでのご入会では継続が難しいかと思います。年間スケジュールも強化指定大会に調子をあわせたものとなっています。

ご入会においてセレクションや面接などはありませんが、前述の目的をご理解の上ご入会してください。

 

<今年の表紙のテーマ>

スポーツの最高レベルでの戦いにはドラマがあります。主にオリンピックで起こったことを中心に掲載していきますが、世界選手権やゴルフの大会も掲載していきたいと思います。

我々もこどもたちに感動が与えられようまた感動が作れるよう指導していきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。

<長嶋茂雄>

プロ野球巨人の黄金期を支え、「ミスタープロ野球」としてプロ野球人気を不動のものにした巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)氏が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。

千葉県出身。昭和33年、立教大から巨人に入団。背番号3を背負い入団1年目からレギュラーとして活躍し打率3割5厘、29本塁打、92打点で新人王を獲得した。34年の阪神戦(後楽園)での天覧試合では、村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、プロ野球ブームを巻き起こした。

現役時代は王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)とともに「ON」の愛称で親しまれ、走攻守三拍子そろった三塁手として巨人のV9に貢献。49年の引退セレモニーの際にファンの前で語った「わが巨人軍は永久に不滅です」は当時流行語に。背番号3は巨人の永久欠番になった。

プロ17年間の通算成績は打率3割5厘、2471安打、444本塁打、1522打点。首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度の実績を残したほか、オールスターには通算16度出場。入団1年目から引退するまで毎年ベストナインにも選出された。

昭和50~55年と平成5~13年の2度にわたり巨人監督を務めリーグ優勝5度、日本一2度を経験した。平成12年には日本シリーズで王貞治監督(当時)率いるダイエーとの「ON対決」が実現した。巨人の監督通算成績は1034勝889敗59分。

13年のシーズン終了後に巨人監督を勇退し、終身名誉監督に就任。14年にはアテネ五輪の野球日本代表監督に就任したが、16年3月に脳梗塞で倒れた。自身としてはアテネ五輪に出場できず、その後は懸命なリハビリを続けていた。

昭和63年に野球殿堂入り。平成25年には元巨人の松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞。令和3年の東京五輪の開会式では王氏、松井氏とともに聖火ランナーを務めた。同11月には球界初の文化勲章を受章した。

その他数々の名言、迷言を残した。

長嶋茂雄さんは昭和49年の名言「巨人軍は永久に不滅です」があまりにも有名だが、それだけでなく数々の名言・迷言を残し、一冊にまとめた本や「長嶋語録かるた」まで発売されている。奇想天外、天真爛漫、独特の語感で日本人の記憶に刻まれた「チョーさん」語録を振り返った。

「家に帰って風呂に入るまでは勝負はわかりませんよ」

「勝敗の全責任は長嶋茂雄にある。ファンは日本一を待っている」

「『バサロ』の差で逃げきりましたよ」

「ウチはまだ『不動のマウンテン』じゃない」

「アイアム失礼」

「いわゆる」「ひとつの」

「失敗は成功のマザー」

「サバっていう字は魚へんにブルーですか」

「英語が上手だねえ、こっちの子供は」(アメリカで)

「初めての還暦。ましてや年男ということで」

「メークドラマは計算してできるわけではない」

「やっぱり野球は生きている」

「もうひとりの長嶋を作りたい」

「長嶋茂雄であり続けることは結構苦労するんだよ」

(日本テレビ『長嶋語録かるた』などから)

 

2025.06.12 Thursday